「せ、先生ッ!」
「患者が、いません!!」
懸命に治療にあたってくれた医師や看護師に心で謝罪と感謝をしつつ、意識を取り戻した私は即刻病室を抜け出した。ベッド脇に置いてあった医療器具がたくさん詰まったカートの中、目についたあるものをこっそりとバッグに入れて。
「セシリア! ……くっ! はなれ、すぎ……?」
階段の踊り場で身を隠しながら、急ぎ仲間の下に戻るべくその方法を考える。しかし現在地も館の方向もさっぱりわからなかった。頼みの綱の相棒も射程距離外か、反応がない。
窓から外を見る。すでに陽は西に傾きつつあった。時間がない。
夜。
彼の『運命の時』まで。
「……ッ!!」
振り払うべく、思い切りかぶりを振る。再び震え始めた奥歯を抑え込むように噛みしめる。
どうするべきかはわからないが、立ちどまっている暇などはないことだけはわかる。気ばかりが焦り、闇雲にでも勘だけを頼りにでも走り出そうか……、そう思い、立ち上がった瞬間だった。
「いてぇ!」
誰かと思い切りぶつかってしまう。慌てて謝る。
「す、すみません……あっ!」
「あっ! げげッ! お、おめーは!」
「ほ、ホルホース……さん?!」
顔を上げてみて驚く。包帯だらけでわかりにくいが、確かにあの人だった。反射的に身構えてしまう。
「ど、どうしてこんなところに……?」
狼狽しつつもどうにか訊ねると、眉根を寄せた相手から皮肉を込めた回答が返ってきた。
「あん? 見ての通り、誰かさんの愛しの愛しのダーリンにこっぴどくやられましたからねぇ。おめーがそれを聞くかよ……」
「い、いや、てっきり、もっとDIOの目の届かない、遠くに逃げたのかと……」
「ここは現地の人間だけが知る、腕のいいモグリの病院だからな。灯台下暗し、ってやつさ。それに今あいつはジョースターたちの相手に躍起になってやがる。おれのことなんざ気にも留めてねぇよ」
「そう、ですか……」
「お嬢ちゃんこそ……ハッ! その腕……!?」
「……」
何も言う気などなかった。無言で左側を隠す。
「だから言ったんだ。可哀想に……」
投げかけられる、憐みの視線と言葉。
「……いいんです、べつに。どうってことないですから」
それについ八つ当たりめいた苛立ちを覚えてしまう。だが、そんな時間も惜しいことをすぐに思い出し、立ち去ろうと踵を返す。
「じゃあ私、急いでいますので。……? あ……!」
が、そこで思い立つ。と同時に先日の暴挙を改めて思い返す。それを考えたらこの人物に頼りたくはなかった。しかし、自分の感情由来の些末なことにこだわっている状況ではないのは明白だ。背に腹は代えられない。
「あ、あの! ここから館へって、どう行ったらいいんですか? 貴方なら知っていますよね!?」
「はぁ!? お嬢ちゃん、なにしに行く気だよ。そんな体で……」
「闘いに戻るに決まっているじゃあないですか」
少し考えるように首をぐるっと回し白く高い天井を仰いだかと思うと、溜息混じりに男は言った。
「……いやだね。おれに、なんの義理もメリットもねぇ。忘れたのか? おれはおまえらにこんっなに、ひでーめにあわされたんだぜ?」
「で、でもそれは、お互い様でしょう?!」
「まぁな。しかし、それ以前の問題だ。あそこに戻るなんざ、確実に……死ににいくようなもんだ。女を死地におくるなんてーのはおれの趣味じゃあねぇ」
「そんなの、かまわない! いいから教えてください!」
「話から察するにお嬢ちゃん、ここに無理矢理おいていかれたんだろう? どうせ
「……っ! わかっています! そんなこと……!!」
感情が高ぶり、思わず声を荒げる。
「でも……、いや、だからこそ……!
私は……行かなければならない!」
「……もしも、彼を、うしなったら、私は、もう……」
「……御願い、します」
頭を下げる。深く深く。いつのまにか漏れて出てしまった心からの言葉とともに。
「……」
気が遠くなるかに感じられた沈黙の後、男はポツリと呟いた。
「……東に、三キロ、だ」
「あ……」
「金、持ってるか? 通りでタクシー拾って『アズハル大学東門裏』までって言えば、ものの10数分で着く」
「は、はい、ありがとうございます」
戸惑いつつも礼を言うとテンガロンハットの位置を直しながらにやりと笑う。
「これは、『貸し』だ。きっちり返してもらう。
で、今度こそお嬢ちゃんにはおれのもんになってもらうからな?」
「……このお礼は何らかで必ずします。
でも、貴方のものに、というのはやっぱり絶対に無理なので、お断りしますね」
「へっ! 恩知らずめ……。さ、とっとと行きな」
「ふふ。はい! ありがとうございました。ホルホースさん!」
駆け出した私の背中に、微かに、届くか届かないかの声が投げかけられる。
「……ちゃんと、返しに戻ってくるんだぜ。お嬢ちゃんよ……」
それに敢えて応えることなく、私は前だけを向き直し、その場所を後にした。
教えてもらったように通りに出てタクシーを捕まえようとする。だが生憎、人々の移動が最も激しい帰宅ラッシュの時間帯らしい。ヘッドライトは行きかうばかりで無情にも停止してはくれず、乗降場を見つけてそれに並んでみるも長蛇の列はちっとも進んでいる気がしない。自分の心理状態が差し迫り切っているからなおさらなのかもしれないが。
苛立ちをどうにか紛らわせたくて空を見る。しかしオレンジ色の時刻なんて疾うに過ぎてしまったらしい。一面の濃いパープルが目に飛び込んできて、まったくの逆効果だった。
もはや居ても立っても居られなかった。行列を抜け出し、走り出す。もがくように足を動かしながら、こうなったら……、と一つの案が浮かぶ。決して褒められた方法ではないことなんてわかりきっていた。でも今の私に手段など選べという方が無理だ。何度も言うが背に腹なんて代えていられるわけがない。
ここだ。若干早めのスピードで車が何台も行きかう見晴らしの良い直線道路。その中で視界の端、こちらへ向かってくる一台の黒塗りの高級車に目をつける。
ごめんなさい、とまたも心中謝罪しつつ、タイミングを見計らってそれが横を通り過ぎる瞬間を狙い、勢いよく飛び出し思い切りふっとばされてやる。
思惑通り見事宙を舞う、自分の身体。
「あわわわわ! ひ、人を撥ねてしまっ……!」
「な、何をやっとるんだーッ! 運転手ッ! 人身事故などッ! このフィリップの華麗な経歴に傷をつける気かッ! 上院議員はイメージが大切なのだぞ! イッメージがーッ!!」
倒れ臥した私に運転手と呼ばれた人が慌てて駆け寄ってくる。その後方にはパワーウインドウを開け、覗く顔を真っ赤にさせて怒鳴る中年男性。この状況で自らの保身についてしか案じないとは如何なものか。勝手極まりない当たり屋紛いの私には言われたくないだろうけど。とか思いつつも、台詞で関係性や人柄を瞬時に察知した私はすぐさまむくりと立ち上がると、つかつかと後部座席の中年男性に詰め寄る。
「ヒィッ!」
「……轢きましたね?」
「うッ」
「私、貴方の車に轢かれました。フィリップ上院議員さん。議員さんは大変ですね。イメーッジが大切ですもんね。このことが明るみに出たら次の選挙に響いちゃうかもしれませんね」
「グゥッ!」
相手が息を呑むのを確認し、声を緩める。
「黙っててあげますから、一つ私の御願いを聞いてもらえますか?」
「な、なんだ? 金か? カネだな。わかった、そんなものならいくらでもくれて……」
「要りません」
「え?」
「車に乗せてください。連れて行って欲しいんです……アズハル大学裏門まで。今すぐ! 急いで下さいッ!!」
「はぁ? な、なんだチミは? 対立候補の回し者か?」
「いいえ。私はただの変な……一般人です。
ただ……とっても急いでいる。それだけです」
改めてしっかりと頭を下げる。
「申し訳ありませんが、ちょっと運が悪かったと思って……御願いできませんか?」
「有難うございました! 助かりました! 本当に申し訳ありませんでした。この御恩は必ず!」
「まったく、なんでわしがこんな……わしは上院議員だぞ」とかなんとかぶつくさいいつつ、なんだかんだで結局ちゃんと送ってくれた。しかもしっかり急ぎ気味で。流石は上院議員。実はけっこういい人なのかもしれない。次の選挙では是非清き一票を投じて差し上げたいものだ。……選挙権さえあれば。残念ながらこの街の住人ではないので無理だが。仕方ないので代わりに日本に帰ったら故郷の銘菓でも贈ろう。……帰れたら。そんなことを思いつつ車に向けて一礼したのち、頭を上げた瞬間だった。
私が彼達を巻き込んでしまったことを心から悔やんだのは。
「……宵闇の空中散歩は良きものだ」
突然のことだった。走り去ろうとした車両のボンネットに降ってきた。
「いつも我に『おもしろきもの』を与える」
声と共に、一人の男が。
「なッ!?」
「ククク、初めまして……だったか? 貴様とは。小娘?」
「ま、まさか、貴方は……!?」
私が見たことがあるのは後ろ姿。しかも写真の中のそれだけだった。しかし、話に聞いていた、真っ赤な目、ウエーブのかかった金髪。ギリシャ彫刻の様な、その様相。そして何よりも、この
「ディ、DIOッッ!?」
「少し話をしようではないか。鼠共を追いかけながらな……ククク」
DIOがその
「ッ!? いけない! セシリアッ!」
フロントガラスは粉々に砕け散ったが、諸共彼の頭が西瓜のように無残に割られるのは防ぐことができた。本当に、どうにか、かろうじて。
「な、なんて
その破壊力はまるで承太郎君の
「ひええええぇっ」
「フン、小癪な。ならば……」
血の滴るような真っ赤な唇の端が釣り上がったかと思えば、次の瞬間、右手に運転手、そして
「えッ!? ぎ、議員さんッ! 運転手さんッ! 」
不思議で仕方がなかった。片時も私は奴から視線を外してなどいなかったのだから。
一体何が起こったのかさっぱり理解できず唖然としている私に顎で命令する。
「……小娘、さっさと車に乗れ。気づきもしないうちに今度はこの憐れな豚共の頭をぐちゃぐちゃに潰されたくなければな」
「くっ……!」
渋々従う私を横目に、DIOは運転手を路肩に投げ捨てたかと思うと議員を運転席に押し込みながら凄む。
「わかるな? 貴様が運転しろ」
「ひ、ヒィィィィッ! ゆ、夢! 夢なのだ、これはーッ!」
「いいから早くしろ」
「は、ははは、はいーッ!!」
「あの車だ。追い付け」
(みんな……!)
黒い河のような渋滞の間をぬってロールスロイスが闇を切り裂き、轟々とうなりを上げながら疾走する。
遥か前方を走るトラックの荷台の上、小さくだが仲間達が見えた。
あんなにも追い付きたかった彼らの姿がそこにある。だが決してこんな形ではない。
こんなことになってしまうとは……歯噛みをしているとDIOがまさに単刀直入。前置きもなく切り出してきた。
「さて小娘、貴様に言いたいのはただ一つだ。ジョースター共を裏切り、このDIOの元に来い」
「ッ! 誰が……!」
反射的に出た私の拒絶の言葉を待つこともなく、なおも畳みかけるように奴は続ける。
「貴様もスタンド使いならば我の力は目の当たりにしてすでに重々感じているだろう。あちら側にいたら貴様は死ぬ。確実にな。片やこちらに来れば我の傍で永遠の安心を得られる……比べるまでもないと思うが?」
「……そうですね。比べるまでもないですね」
すうっと息を吸い込み、お腹の底から言い放つ。
「貴方の傍で生きるぐらいなら、死んだ方が、ずっとずっとマシです」
ただし、その前に、ただひとつ。あとひとつ。たったひとつだけ。
『それ』を果たすまでは、死んでも死んでやらないけれど。
「クク……ククク。笑わせてくれる。貴様のその眼、遥か昔に垣間見た『なにか』に似ているな……気に喰わん」
台詞とは裏腹に何故か愉快そうに高笑いをしたのち、運転席に向けてドスの効いた声を投げる。
「おい、もっと飛ばせ。離されているぞ」
「む、無理ですよ。この時間、見ての通りこの辺りは渋滞でギチギチなんですぅ」
議員の恐る恐る震えながらの反論に対し、奴はあっさりと、しかしとんでもない要求を始めた。
「あちらが開いているではないか」
指をさす。その先は……
「ほ、歩道……」
「ま、まさか……」
そのまさか、だった。
「行け」
「あ……あ……」
「や、やめてください、議員さん! 聞いては……」
私の制止は恐怖に憑りつかれた議員に届くことはなかった。
「……行け」
「うわはははぁーっ!!」
有無を言わさぬそのプレッシャーの前に精神が壊れてしまったのかもしれない。無理もない。議員にアクセルを床まで踏みこまれたロールスロイス。急激に回転数を上げられたエンジンの爆音はまるで怪物の雄叫びのようだった。命ぜられるまま急発進すると、宙を浮くようなスピードで、縁石もガードレールもものともせず、人並みでごったがえしている歩道に猛進を始めた。
「駄目──ッ!!」
一体何人が犠牲になるのか、数え切れるわけもない。旅の初日の飛行機事故。あの悪夢が頭をよぎり、咄嗟にセシリアを車体前方に向けて放つ。できるかぎり、広く。できるかぎり、強く。シールド状に展開する。全員を完全に護ることなど到底不可能だった。そんなことはわかっていたが、何もせずに指をくわえて見ていることなどもっと不可能だった。
黒い猛牛の突進をもろに受け、人々が次々と薙ぎ倒され吹きとばされていく。
何の罪もない人々が。
能力的にも状況的にも自分の許容量などとうに超えていた。チカチカと点滅し、回転する視界。せり上がってくる胃の中身をなんとか呑み込む。
「はぁ、はぁ……な、なんてことを……!」
「ククク、なかなかに見事ではないか。何人かは死なずに済んだかもしれんな」
DIOは本当になんてことでもないような調子でそういうと、シートに深くもたれかかったまま優雅に足を組み拍手をする。
「だが、引き換えに相当消耗したようだな。解せん。何故そこまでする? 知りもしない人間だろう?」
「わ、わからないんですか……?」
「何を嘆く必要がある? そんな者共の命が失われようがいまいが、我には何の影響もない。理解できん感情だ」
「り、理解できないのは……」
こっちの方だ。できるわけがない。しかし、それはもはや声にならなかった。
わからなかった。まったくわからなかった。
どこまでも果てしなく続く深淵の闇。そんなものの入り口にほんの少し触れてしまった思いだった。
負けまいという心と裏腹に歯の根ががちがちと音をたてはじめる。こんなにもだれかを怖いと思ったのは初めてかもしれなかった。
「小娘、貴様とて己の進む道に石ころが転がっていたら蹴り飛ばすだろう? 同じだ。邪魔であるなら排除すればよい。それだけのことだ」
そして、前方と後方を交互に指しながら低く深く凍てつくような声で淡々と言い放つ。
「……もうすぐだ。そのへんに転がっている者共……ジョースター一味も全員、あれとすぐに同じ様になる」
ぎくりとする。
まるで油をさし忘れたからくり人形のようにぎこちなく首を回し、うしろを見る。
黒いはずのアスファルトが倒れたたくさんの人の血でできた海で紅に染まっていく。
頭を映像が一瞬よぎる。フラッシュバックする。
『それ』もおなじ。真っ赤だった。
昨晩視た『彼の最期』も。
「どうした? 顔色が悪いぞ。先程の威勢は何処へ行った? クク、ククク……やはり『対話』というのは重要なのだな。おかげで見えてきたよ。小娘、貴様の『怖れること』がな」
心底楽しそうな様子で。まるで子どもをあやすような、試すような口調で囁く。
「ククク、安心しろ。安心しろよ。それなら話は別だ。譲歩してやるよ。少しだけな」
「じょ、譲歩……?」
「貴様がこちらにつけば奴らの……そうだな。ジョースターの血を引く者以外は見逃してやってもよい。……と、こういうのはどうだ、小娘?」
「そ、んなこと……、だ、れが……」
ワタシガウラギレバ、アノヒトヲマモレル?
ソウスレバ、カレハ、シナナイ?
ズットズットコレカラモ、ワラッテ、イキテイラレル?
まさに悪魔の囁きだった。絶対にありえないはずのその考えが、次々と浮かんでぐるぐると頭から離れない。必死に耳を塞ぎ抗おう、振り払おうとしても纏わりついてくる。
(嫌……! 嫌だ!!)
「交渉は成立か? ククク、まぁべつにどちらでもかまわん。これは親愛の証だ……受け取れ」
「ぐ……ッ!?」
動揺による僅かな隙を目の前の敵が見逃してくれるはずはなかった。腕に何かが突き刺さる灼熱感と同時に這い上がってくる悍ましい感覚。話に聞いていた肉の芽だ、と気づく。その進行自体はセシリアが辛うじて、脳に到達する寸前でくい止めてくれているようだが。
しかし、抗い続けることができるだろうか。一瞬でも、あんな考えが浮かんでしまうような私に……ふっとそんな弱い自分が頭の片隅に居座り、常闇へと引きずり込もうとする。
心すべてが侵食されて、呑み込まれてしまいそうだった。その寸前だった。
「……DIOッッ!! そのひとから……離れろ──ッッ!!」
まっすぐに射し込んできたそれが、私をそこから救ってくれた。
きれいなみどりいろの光が。
「……花京院の……!」
「……っ! 花京院くん!!」
「エメラルド・スプラッシュ!!」
瞬く間に私の中の『黒』を消し去ってくれる。
「仁美さん! 捕まって!」
声が届く。
「……いいから、早くッ!」
差し伸べて、くれる。
「その手を、伸ばして!!」
ああ、そうだ。いつもそうだ。そうなのだ。
ぜったいにそうだ。
目が覚めた。
私が変えたいのは『それ』ではない。そんな方法では、駄目なのだ。
きっと『本当の未来』でだって、あの結末になってしまうとしても、絶対に『なにか』一矢報いている。必ずその志は果たしている。気高き誇りを貫いて。『それ』を変えたいのではない。
信じている。
成し遂げる。このひとはぜったいに。
乗り越える。かならず。
私は必死に手を伸ばした。法皇の、彼の元へ。
引き寄せられたその瞬間、笑ってしまうくらい簡単に肉の芽がセシリアによって排出されるのが横目で見えた。スタンドは精神が具現化したもの。それをまたも実感させられた。成し遂げるため、何が一番たいせつなのか……それも。
「……ごめんなさい」
彼に受け止められた自分の腕をみると赤い痣。しっかりと握りしめてくれていた証がついていた。
「……っ! 花京院くん! ……よかった。よかった……!」
我慢できずに崩れ落ちるように彼の胸に頬を寄せる。心臓の鼓動が心地よい。
彼の体温が伝わる。あたたかい。冷え切った身体に急激に血が通っていくみたいだった。
「ちょっ!? そ、それはこっちの……ああ、もう……!」
彼はそういうと困ったかおをして、でも、ぐっと私を抱きしめてくれた。
さっきまであんなふうに思っていたにもかかわらず、現金すぎて自分で呆れてしまう。でも、それでも……
もう、死んでもいい。そうおもってしまった。
「仁美さん! どうして……!」
DIOを振り切り、命からがらといった様相で路地裏に消えるフィリップ上院議員を全員で見送った後、彼に訊ねられる。
「はぁ、聞くまでもないじゃろ。そんなもの」
「ああ」
「だな」
「まぁ、薄々予想はしていたがな」
すると私の代わりに、代わる代わる声を揃える仲間たち。
「このボケ女のこった」
「誰かさんまっしぐら。どうせ館に戻ろうとして、治療も受けずに病院抜け出したんだろ」
「で、そこをDIOにみつかっちまって……」
「あの議員とやらの命を盾に脅されて共にいた、というところか」
「あ……っ、あの、はい。ご、ごめんなさい、また迷惑……」
意外な反応に目を瞬かせながら皆の顔を見る。この状況だ。寝返った。そう疑われても仕方がない。にもかかわらず、その表情は一様に優しく、だれひとりとして私のことをそんな風に思ってもいないようだった。それが申し訳ないのと同時に、とても、有難かった。
「そんなこたぁいい。が、おまえ……腕、というか、身体いいのかよ?」
噛みしめていると承太郎君にそう問われたため、患部、左腕を撫でながらありのままを答える。
「ありがとう。点滴をしてもらいましたから。もう大丈夫」
無論痛いし、完調とは程遠い。しかし先ほどに比べたら雲泥の差だ。痛み止めその他の薬品の効果か、もしくは、病は気から、ではないけれど脳からの指令でアドレナリンというものがどんどん出ていて、感じなくなっているだけかもしれないが。だって、今はそんなことどうでもいいというか、それどころじゃあない。正直その一言に尽きる。
しかし、私の発したその答えはまたしても彼の逆鱗に触れてしまったらしく、物凄い剣幕で詰め寄られる。
「大丈夫なわけ、ないだろう!?」
「……ある」
「戻れ! 戻るんだ!!」
「……いや」
詰問をされつつも、改めてそのかおをみたらなんだかほっとして、いろいろなものが込み上げてきた。
「なんで……」
何か口にしようとした彼に向け、キッと顔を上げ、その額の前で親指を支点に、弓のようにしならせた中指をぶつける。おもいきり。力の限り。小気味よい音が夜にはじけた。
「……いたっ! で、デコピン……?!」
「当て身の、しかえし」
額を押さえる彼に告げる。
「『なんで』? それこそ、こっちの台詞だよ。なんであんなことしたの? 私の気持ち無視して……」
「そ、それは……」
「私……っ、おこっているから」
「うっ……」
悟られないよう、誤魔化すように、心にもないことをいう。
「自分だって、目がみえなくたって、とか言っていたじゃない。
私だって、私がここにいたいからここにいるの。私の意思で。
いいよ。べつに。もしもまた置いていかれたって、またこうして何回でも勝手についていくし。
それくらい、私にだってできる」
「くっ……! でも……!」
「……」
でも、そこまでだった。限界だった。
「……もう、いや」
「え?」
「もういや。はなれるの、いや。
……ぜったいに、いや」
「仁美さん……」
こんなの、ただの駄々っ子のわがままじゃあないか。わかっているのに抑えられなかった。感情の堤防が決壊してしまう。
「……もう、あきらめろ。花京院」
そこにため息まじり投げかけられるひとつの声。
「いいじゃねーか、好きにさせてやれ」
「じ、承太郎!」
「わかってんだろ? てめーだってもう。『無理』だってよ」
「っ! し、しかし……」
「ガタガタうるせーな。なら言うが、てめーこそ、さっき人形になってただろうよ」
「うっ! そ、それは言わない約束だろう!?」
「人形……?」
首を傾げた私に、ジョースターさんがこそっと教えてくれる。
「こいつ、さっきダービー弟とのゲーム対決で負けて、魂とられて、そっくり人形になっとったんじゃ」
「ええっ!?」
離れている間にそのような危険な事態になっていたとは。無事で本当によかったと胸を撫でおろす。花京院くんそっくり人形、だと……?! そう聞いてうっかり浮かんでしまった、なんともよこしまな想いとともに。
「……保乃、おまえ、今、ちょっとほしい……とかおもったじゃろ?」
「なっ! こ、心読まないでくださいッ!」
恥ずかしいことに、我が煩悩はばっちり表にだだ漏れだったらしい。呆れたようにジト目を向けたあと、からかうように微笑むと、ジョースターさんは一転して真面目な表情になる。
「……ともに、在りたいんじゃな? ……君は」
「はい……!」
躊躇いなく、頷く。
「……わかった。わしはもう、なにもいわん」
「ありがとうごさいます」
そして、黙っておくのは嫌だった。正直に懺悔しよう。伝えておかねば、そう思い続けて言葉にしようとする。一瞬でも抱いてしまった、私の中を通り過ぎた『裏切り』について。
「あの、ジョースターさん、私……あたっ!」
しかし、前髪を捲られおでこをぺしっと叩かれ、それは遮られた。
「よし、変なもんは刺されとらんな。ならばよい」
「ッ! でも、私……」
「なにもいわんでよい。わかっとるよ。DIO……奴は本当に人の心の隙をつくのが上手い。何を言われたかなんて想像がつく」
「……はい」
「でも、おまえさんはちゃんとこっちに立っとる。そういうことじゃろ?」
「はい」
「うむ」
「信じて、くれるんですか?」
「あたりまえじゃろう。このジョセフ・ジョースターをなめるな」
「す、すみません」
「それに……思い出すんじゃよなぁ。おぬしの目を見ると、いつも。なんでかはわからんが」
「え?」
「いや、なんでもないよ。じじいのノスタルジックで感傷的な戯言じゃ」
なにかを想い出すように遠くを眺めたあと、いたわるように、悲痛な顔でいう。
「はぁ、しかし、若い娘にこんな……。本当に、すまない」
「そ、そんな! ジョースターさんはなにも……!」
「この闘いが終わったら、財団に言って、特注の義手を作ってもらおうな」
「はい! ふふ、お揃いですね。楽しみだなぁ」
笑い合ったあと、もうひとつ口に出す。私の方もずっと抱いていたその郷愁のようなものに関係した、ある事柄を。
「そうだ。この闘いが終わったらといえば……。
ジョースターさんに会ってみてほしいひとがいるんですが」
「ん? なんじゃそりゃあ? 遠回しな愛の告白か? それは言うべき相手がちがうじゃろ……」
「ち、違います! そうじゃあなくって!」
「冗談じゃ。わかっとるよ。あいかわらずじゃのう……
わしも君に関して、実はずっと気になっとることがあるんじゃ。
なんというか、奇妙な縁、を感じる……というか……」
「そうなんですか?
……実は、私も、なんですよね……」
「ふっ。……やはりか」
「ふふ。……はい」
「しかし、なんとも言葉では言い表し難くてのう……」
「……ええ。それも同感、です」
「うむ。では、帰ってから、必ずな」
「はい。……かならず」
「そ、それとこれとは話が別だ!」
私がジョースターさんと話している間も、花京院くんは引き続き承太郎君と言い争っていた。
「別じゃねぇ。要は、誰がいつどうなってもおかしくない、ってことだ。
なら自分の意思をなにより尊重させてやるべきじゃあねーのか?」
「ぐっ! わかって、いる……そんなことは……。
……でも! だからこそ! もう、これ以上……!
いやなんだ……ぜったいにッ!!
……わかるだろう? ……わかってくれよ!」
「花京院くん……」
「……わかってるよ」
これも。いつもそうだ。
このひとは、いつも私のことを……
私より、……だれよりも、心の底から案じてくれる。
それがいつも、申し訳なくて……
でも、それ以上に。
いけないとわかっているけれど……
ほんとうに、うれしくて。
どれだけ救われたか……わからない。
護る、なんて、とんでもない……
ずっと、ずっと護られていたのは……
……私の方だ。
「……おこっている、なんて、うそ。
……ごめんね。
でも、あなたこそ……わかっているでしょう?
私も……おなじきもち、だから。
護れなかった、なんて、いやなの。
おねがいだから、いっしょに、いさせて……!」
すなおなきもちを、ぶつける。
「……」
ながいながい沈黙。そのあと、ようやく彼が言葉を発する。
「……。ああ、もう、……わかったよ」
「……ありがとう」
「承太郎君も……ありがとう」
先程の礼を言っておこうと変わらぬ学ランの背中に声をかける。
「ああ? なにがだよ?」
すると、いつものようにぶっきらぼうな応えが返ってくる。
「さっき……」
「勘違いすんな。おまえのためじゃねぇ」
「……そっか。そうだね」
「ちゃんと、みていてやれ。目ぇ、離すな」
「うん、……もちろん」
そうだ。こんなところでこのひとに、親友も、お母さんも、『喪う経験』なんてさせない。改めて心で誓う。
加えて私には確信があった。私が彼を『護る』ことに成功すれば、それは必ず勝利につながる、と。
それに、こんなふうにいいつつも、きっと承太郎君のことだ。
なぜか思い出してしまった。
日本を発つ前の、あのやりとりを。
「ふふ。やっぱり……『ありがとう』」
「……ふん」
私がそういうと、承太郎君は帽子を深くかぶり直しながら、ぼそりとつぶやく。
「……すまんな」
「? なにが?」
「……なんでもねぇ。ったく……やれやれだぜ」
「……ほんとうに、やっぱりおまえは、底なしのボケ女だ」
「……はじめから、ずっと……おもっていた。
そして、わかっていたことだが……な」
「……よし、では……行くぞ」
全員で作戦を話し終えた後、頷き合い、歩き出す。
皆が先に進む中、彼が急に立ち止まったのに気づき、振り返り様子をうかがう。
「花京院くん……?」
「……ここで許したこと、後悔させないでくださいよ。
いや、もう、かなりしている……けれども」
俯く彼。心がぎゅっと苦しくなる。左腕に移る彼の視線。その瞳が哀しげな色に変わる。
「どうして、あなたがこんな……」
「ううん……」
師匠と先輩、ふたりの命の代償がこれくらいですんだのだとしたら、安いものだ。
むしろ、よかったのだ。そう思った。
「……しょうがないよ。これは『報い』だから」
「は……?」
それでも心底哀しそうな彼を正視できずに、つい言い訳めいたことを口走ってしまう。その言葉の意味がわからなかったのだろう。怪訝な顔をする彼に、すぐさま首を振り訂正する。
「ううん、日頃の行い、ってやつだよ。きっと」
いい事をしたら、そのぶん、きっといい事がある。それはほんとうなのだろうか? ならば、一日一善……いや、百善でも、千善だっていい。なんだってする。だから……どうか、このひとを……
「なにいってるんですか、まったく」
そんなふうに『なにか』に向けて密かに祈っていると彼の言葉で我に返る。
「なら、前科一犯ですね、あなたは」
「えっ!? み、見てた……?!」
そうだった。窃盗及び当り屋及び脅迫……? そもそも一犯どころではないことに今更気づく。こうして追いつけたのだから後悔はしていないが。しかしそれもこれも、もしやいつもの千里眼でこのひとは全ておみとおしなのだろうか……? そんな疑念を抱いたが、流石にそうではなかったらしい。きょとんとした顔で訊ね返され、慌てて口をつぐむ。
「え? 何を?」
「い、いや、なんでも!」
必死に誤魔化す。
「はぁ、よくわかんないけど、見てないですよ。だって、みえないから。あなたの罪は」
「え……?」
それ以上、彼は答えてはくれなかった。
「さ、行きますよ」
颯爽とひるがえる、碧色の背中。それをみて、また未練がましくも浮かんでしまう。
「あの、花京院くん……」
「なんですか?」
「……。なんでもない」
「またですか。変わんないな。ほんとに」
「ごめん。でも、ほんとうに……なんでもないの」
ゆっくりと首を振る。
『帰れ』
それに対して、言ってしまおうか、と、ついまたおもってしまった。
『あなたがいっしょに帰ってくれるならば』……と。
でも駄目だった。
そんなことをしたら、とんでもなく悲惨な結末になる……そんな嫌な予感があった。
そしてなにより、もう、痛いほど、わかりきっていた。
このひとの、命よりも大切な、『生きる』目的。それを奪ってしまうことになる。
そんなことをしたら、どうなるか、なんて。
だから、やっぱり、いえなかった。
その代わり……
「僕から、はなれないで。ぜったいに」
「……うん」
もちろん。
はなれない。はなれるわけがない。
かならず私が、あなたを護る。
もうすぐこのお話も完結です……が、性懲りもなく次回作も本作品にちなんだものにする可能性が高いです。どんなのだったら、また読んでやってもいいぜ? と思って頂けるでしょうか?
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読んでほしいなら死ぬ気で全部書きやがれ!