内臓を思い切り鷲掴みにされたかと思った。
高所からひゅうっと真っ逆さまに落ちていく感覚がして、息が止まる。なんとか吐き出した空気はどうやら声になったようだが、それはまるで他人が発したもののように僕の鼓膜を震わせた。
「う、うで……? え……?」
彼女の左腕が、ない。
包帯が巻かれているが、たしかに、肘から下が、ない。
そして、服が、血まみれ。顔色は真っ青を通り越して、もはや真っ白に近かった。
「なにッ?!」
「えっ!? あっ!」
「……。だから、なんでもないっていってるのに……」
「そ、そんな……」
仲間達の驚きと戸惑いの言葉も、彼女の呟きも、なにも耳に入っては来なかった。せり上がってくる衝動とともに全身の血液が逆流していく。
「……ゆ、るさ……ん! ……どこのどいつだ!? 誰がやった!?」
何があったのかを理解すると同時に、視界が紅一色に染まる。
初めて知った。人間は恐怖を感じた時以外にも震えるのだということが。出口を持たない怒りを無理矢理閉じ込めようとするためだろうか。身体がぶるぶると小刻みに揺れている。自制しろと虚しくも脳のどこかが叫んでいたが、無駄だった。抑えつけても抑えつけても炎のような憤激に全身がわなないて、止まらない。
「お、おちつけ、花京院! もう、いない! ヤツはもう倒したから!」
「そうだ! 保乃の護りのおかげで、全員の力を合わせてなんとか倒せたんだ!」
「じゃあ……DIOだ! そもそもの元凶! 今すぐヤツをッ!!」
(地獄の果てまででも追って……ぶっ潰してやる……!)
「ま、待てッ」
「か、花京院!」
活火山から勢いよく噴出したマグマがどろどろと流れるかの如く、激情に押し出されるまま駆け出そうとする僕を全員が制止する。
「離せッ! 止めてくれるな! ……許せるか! こんな……ッ!」
(……彼女に……こんなッ!!)
許せない。許せるはずがない。
穏やかで、真っ直ぐで、健気で、可憐で……いつも、だれかのために、懸命な彼女が。
「……おちついてって、いっているでしょうッ!!」
「……ハッ!」
逆上に憑りつかれた僕を呼び戻したのはその当人の懸命な声だった。
「そんなのじゃ、勝てるものも勝てないよ。
おねがいだから、おちついて……」
「……くそっ!!」
行き場を失った怒りは固く握りしめた拳に託すほかなく、壁を強く叩きつける。脱力して開いたその手のひらには爪が食い込んで出来た痕が幾つも赤く滲んでいた。
「……すまん」
「我々がついていたにもかかわらず、すまない……」
沈痛な面持ちで頭を垂れる二人の謝罪を慌てて彼女が否定する。
「そんな! 私がただ単にドジっちゃっただけです!
すみません……。でも、大丈夫ですから」
彼女のその言葉に、またも血液が沸騰する。
「……大丈夫なわけ、ないだろう!」
「うっ……!」
「早く病院に! なんでまだこんなとこにいるんだよ!」
「……だから、大丈夫だよ。
師匠に手当てしてもらったから。もう病院なんて行く必要ないし」
(……手当? アヴドゥルさんに……?)
気づいてしまう。またも目をそらしたくなるような事実に。
(ま、まさか……『灼』いた……のか……?)
よくみると左側を中心にところどころ火傷や焼け焦げたような跡があった。
服や、頬や……綺麗な、髪の毛にも。
(ち、血を止めるため、に……?)
焼灼止血。知識としては持っていた。状況的にやむを得なかったのだろう。理性ではわかっていた。
が、しかし、受け入れることなど到底できるはずはない。
中世ヨーロッパの英雄、聖女ジャンヌダルク。彼女は悲劇的にも終には魔女狩りを称して火炙りの刑に処されたという。このひとが女教皇……『聖女』の暗示だからとでもいうのか。洒落にすらならない。麻酔も無しに。ほとんど拷問に近いだろう。一体どれだけの苦痛が彼女の身に降りかかったのか、もはや想像することすらできない。信じられなかった。そんなものに耐え抜いたというのか、彼女は。
「そ、そんな……う、うそだろう……?
あ、アヴドゥルさんも! ポルナレフも! どうして帰さなかったんですか!?」
どうしても直視することができず、わかっているのに僕はつい傍らの二人へと声を荒げてしまう。
「違う! ふたりは帰れっていってくれた! なのに、私が帰らないってわがまま言ったの!」
それに対し、即時、強い口調で彼女から反論が飛んでくる。
「そういうことだ……」
「……ああ」
((どうにかしてくれ、花京院))
困り果てたように沈痛な面持ちでただ頷く、彼らの目が明らかにそう訴えていた。
「もう、大袈裟だよ。これくらいで。無事全員合流できたんだから、早く先に……」
ずっと僕から視線を外したまま、何事もなかったかのように上階に続く階段の方へと踵を返そうとする彼女の肩をぐっと掴む。
「……仁美さん。行きますよ、病院に」
「だから、いやだって……」
「わからないんですか?
そんな怪我人がいたら……足手まといだと。
むしろ却って、邪魔です」
「……っ!」
もう痛いほどよくわかっているつもりだった。彼女の性格なんて。こうでも言わなければ、とてもではないが言うことなどきかないだろう。
必死に気持ちを押し殺して、冷たく言い放つ。
「……」
しかし、そんな生易しいものではなかった。彼女の頑なさは。
「……いや!」
うつむき、唇を噛みしめていた彼女が、叫ぶ。
「いやだ! 腕なんかなくたって関係ないもの! セシリアもちゃんと使えるし!
私はみんなといる!」
「なっ……!」
キッと顔をあげ、こちらをみる。
「……私には、まだ……やらなければならないことがある! ぜったいに、ひかない!」
「くっ……」
はじめてみた。燃えるような光をもつ瞳に射ぬかれる。
そんな場合じゃないのはわかっていた。
けれども僕はこのとき、たしかに見惚れてしまっていた。
彼女のその、息を吞むような綺麗なすがたに。
しかし、同時に、たしかに、感じていた。
いやになるくらい、強く……
(……だ、めだ……!)
儚きものがはなつ、輝きを。
「……わかりました」
決意とともに、ゆっくりと、言葉を吐く。
「よかった。じゃあ、行こう!」
「ええ……」
「……」
「……うっ!」
彼女が背をむけたその瞬間、首筋に手刀を浴びせる。
「……え?」
細い肢体がぐらりと揺らぐ。
「……花京院く……ん? どう、して……?」
同じ様にその瞳も、驚きと、そして哀しみに満ちた色で揺らめいていた。
「い、や……! わ、たし、は……」
崩れ落ちる彼女を抱きとめる。
「……ごめん」
その頬に、ひとすじの涙が静かにつたって零れ落ちていった。
「……連れて行ってきます。
アヴドゥルさん、どこか病院知りませんか?
できれば……2km以上遠い方がいいんですが」
もう、戻って、こられないように。
「……西に。3kmほどのところに。
わたしの名前を出すといい。すぐに診てもらえるだろう」
「ありがとうございます。すぐ戻ってきますから、皆は先に……」
「……わかった。気をつけろよ」
「ええ。……そちらも」
「これはいかん! そこに寝かせて! ……点滴の用意を!」
「はい! 先生!」
目的の建物は幸いなことにすぐにみつかった。事情を説明するまでもなく、僕に抱えられた彼女を一目見た途端、医師たちが慌ただしく治療の準備を始めた。当然だろう。それが余計に彼女の状態の深刻さを物語っているようだった。
「……」
白いベッドの上に彼女を横たえる。
もう、何度目になるだろう。
さらさらとした艶やかな黒髪をなで、伏せられた長いまつげの先に光る雫を指先でぬぐう。
「目を覚ましたら、おこるかな? おこるよな……」
聴こえるはずのない、届くはずもない、懺悔を口にする。
「……すまない。
でも……、わかって……ほしい」
彼女の気持ちは、手に取るようにわかっているつもりだった。
それでも、もう限界だった。
これ以上『ゆるす』わけにはいかないと思った。
彼女に。
そしてなにより……己にも。
そっと手をとり、にぎりしめる。
あたたかなぬくもり。
この感触を、忘れることのないように。
「……」
ゆっくりと首をふる。
じぶんの中からわきあがる、なにかを必死に振り払い、立ち上がる。
「……いってくるよ」
刹那、扉が開く。
「それでは、彼女のこと、くれぐれも宜しくお願いします」
「……き、君!?」
治療器具をワゴンいっぱいに詰め込んで入室してきた医師達にすれちがい、ただそれだけを頼み、部屋を後にする。
「も、もういない……」
まとわりつく、なまあたたかい風を断ち切るように。
* * *
目を開ける。
「……」
とびこんでくるのは、まっしろい天井だけ。
だれも、いない。
「……っ!」
しかし、右手にはたしかにのこっていた。
あたたかい、ぬくもりが。
やさしい、感触が。
「……ばか」
「……せ、先生ッ!」
「患者が、いません!!」
もうすぐこのお話も完結です……が、性懲りもなく次回作も本作品にちなんだものにする可能性が高いです。どんなのだったら、また読んでやってもいいぜ? と思って頂けるでしょうか?
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読んでほしいなら死ぬ気で全部書きやがれ!