『審判』戦後のおまけ話。アヴドゥルさんの粋な計らい。いつぞやのぱっぱら話(25話)のフォローになってないフォロー話でもあります(笑)。
犯罪じゃね……? とかいわないで! とりあえず未成年は飲んじゃ駄目! ゼッタイ!! ということでこのお話はフィクションです。みんなわかっとるわ!
……長さの割に内容がないよう。
……。
そうか……春なのにこんなに寒いのは貴様のせいか……
『審判』のスタンド使いを無事撃退。
皆で夕飯をいただいた後、片付けをしていた私と律儀にその手伝いを申し出てくれた花京院くんは、ふたりダイニングに残っていた。
「すぐに終わるからだいじょうぶだよ」「いえ、作ってもらっておいてそういうわけには」……などといつもの『譲らぬ譲り合い』をしているうちにあれよあれよと作業は終わり、さて、各自部屋に戻ろうか、というところでかけられる「ふたりとも、ちょっといいか? 」という声。振り返るとそこには師匠がいた。
「はい。かまいませんが、なんでしょうか、アヴドゥルさん? 」という彼のもっともな問いに対する返事に代わり、まぁ見ておけとばかりに師匠が壁のボタンを操作すると、機械的な音を響かせ本棚がスライドし、壁かと思われていたその場所にぽっかりと人ひとりが通れるほどの空洞が出現した。
おもわず駆け寄りおっかなびっくりふたりで顔を覗かせると、目に入るのは一面の黒。
息を呑むと同時に肺に入ってくる空気。埃っぽいかという予想に反し、思いのほか澄んでいたそれを意外に感じているとパッと明かりが灯り、視界が開ける。どうやらこれも師匠の仕業らしい。ついておいで、と勝手知ったる調子で現れた階段を下りていくそのひとは、目を丸くしつつ後に続く私達に説明してくれた。
この小屋は一見すると何の変哲もない島の一般家屋だが、実は財団が建造したいわゆる『セーフハウス』というものらしく、不測の事態に対しての備えは万全で、軽く半年は引きこもり可能な非常食、飲料は勿論のこと、小型ミサイル程度なら防御可能なシェルター、世界各国の情報をチェック可能なコンピュータルーム、最新式マシン搭載トレーニングルーム……etc、地下の広大な敷地を利用して様々な施設が完備されているそうだ。ちなみに暇つぶしのための娯楽用具も一通り揃っているので、こっそりとバカンスを島で楽しむ財団の重鎮の方もおられるとか……
そんな島の秘密に驚いているうちに目的地に到着したようだ。ここだ、と案内された部屋の扉にかかる札には『やどり木』の意を示す英字が筆記体で滑らかに刻まれていた。師匠がそれを押し開けると、まず、カランカランというベルを皮切りに、ゆったりと流れてくる低音の効いたジャズミュージックに迎えられる。
湧き上がってくる好奇心とともに一歩足を踏み入れると、そこは別空間だった。
部屋の隅に所々置かれている花を模した間接照明から漏れる薄明りの中、道しるべのように床に延びる真っ赤なベルベットの絨毯をふわふわと歩いていく。
たどり着いたカウンター。師匠に促されるまま丸い革張りの椅子に花京院くんとならんで腰かける。なんだか二重に落ち着かない気持ちできょろきょろと周囲を見回すと、ウイスキー、ブランデー、ワイン、リキュール……古今東西、様々な種類の酒瓶が壁の棚を鮮やかに飾っているのが目に入った。上流階級の方々がお忍びでやってくる隠れ家的なバー……まさにそんなところだろうか。そんな場所を貸し切り状態である。予想だにしなかった状況とそこはかとなく漂う大人の雰囲気に圧倒されていると、いつのまに移動したのかテーブルの向こう、私たちの対面に立った師匠がかしこまった様子で切り出す。
「あらためて、ふたりはわたしの命の恩人、というやつだ。ありがとう」
「いえ、そんな……」
「そうですよ。水臭い……」
声を揃える私たちに目を細めつつ、少し照れくさそうにぽりぽりと頬を掻きながら師匠はいう。
「何か礼を、と思ってね。
……ということで、僭越ながらわたしがカクテルを作ってあげよう」
「え!? アヴドゥルさん、紅茶だけじゃなく、カクテルも作れるんですか!? 」
「師匠、すごいです!! 」
師匠の淹れた紅茶……あのチャイの絶品さを思い出す。
インドへの道中ふたりよくねだって作ってもらっていた、あの香りを。あの味を。
「久しぶりの再会だ。あれから今まであったことを、教えてほしい。
今夜は飲みながら語り合おうではないか! 」
「「あの、我々、未成年……」」
「かたいこというなよ。いいじゃないか。たまには」
またも揃って常識を口にする私たちをあっさりと流す。
しかし、そんな師匠に、苦々しい面持ちで花京院くんはいった。
「いえ、それも勿論なのですが……加えて、僕は残念ながら酒があまり強くないようでして。
先日とんでもないことをしでかしたので、自粛しておきます」
それを受け、おもわず驚きと否定の言葉を返す。
「え!? あれはものすごく強いお酒をたくさん飲まされちゃったからでしょう?
そんなに気にしなくても……」
(まだ気にしていたのか……そりゃあ、するか……)
ペルシャ湾での惨劇……主たる被害者である私(彼および元凶たちに対しては頭部殴打の加害者でもある気はするが、そこは正当防衛およびこちらの精神的損害に対する妥当な仕置であったと声高に主張したい)がいうのだから、もう水に流してもいいのではないかとも思うのだが……やはり気真面目なこのひととしてはそうもいかないらしい。
「ダメです。同じ失態を繰り返すわけにはいかない……
もう飲まない! そう決めたんです! 」
かぶりをふる。決心は固いようだ。それを見て、諦めたように首をすくめて師匠がいう。
「そうか……ではノンアルコール・カクテルを作ってあげよう。保乃は? 」
訊ねられ、考える間もなく答える。
「あ、じゃあ私もノンアルコールでお願いします」
「……だろうな。わかった。ちょっと待っていてくれ」
そういって笑うと、師匠は瓶を何本か選び、慣れた様子で氷や道具を用意しはじめた。
その鮮やかな手つきを敬服の念を込め眺めていると、花京院くんがこんなことをいう。
「あなたは別に、僕に付き合わなくてもいいんですよ? 」
それに、応える。……少し視線を逸らしながら。
「ん? ……だって、明日から潜水艦でしょう?
二日酔いで船酔いとかいやだもん」
すると、なぜかくつくつと肩を震わせる彼。
「……まったく……、わかりやすい……」
「な、なに笑って……もう! それに師匠の作るものなら、絶対なんでも美味しいもん! 」
「ふっ、それはたしかにそうですね」
「待たせたね」
「「おおーっ! 」」
ほどなくしてコルク製のコースター上にスッと差し出されたそれを感嘆の声とともに迎える。
「ふたりのスタンドをイメージしたものにしてみたよ」
隣り合わせで並ぶふたつのカクテルグラスには、それぞれ私たちの相棒そのままの色。各々透明感のあるエメラルドグリーンおよび薄桃色の液体で満たされていた。
「すごーーい!! ハイエロファントとセシリアだー!! 綺麗ー! 」
零してしまわぬよう慎重に。グラスをそっと持ち上げ柔らかな光を透かしてみると、ゆらゆらと浮かぶ氷が得も言われぬ美しい煌めきを創りだし、一層それらしさを際立たせた。
「ふふ、気に入ってもらえて光栄だ」
満足そうな師匠に彼もまた違った方向から感銘の意を示す。
「本当に素晴らしいな! こんなの自分で作れるんですね! 作り方をぜひ教えていただきたい! 」
「いいぞ。慣れたらこうしてオリジナルを作ったり、なかなか楽しいよ。
いろいろなリキュールが部屋にあふれて整理が大変だけどな。
さ、飲んでみてくれ」
「「いただきます。……! 」」
ひと口含んだ瞬間、鼻孔を優しくくすぐるふんわりとした桃のかおり。それに続いて微炭酸の絶妙な刺激とともに爽やかな甘さが口腔内いっぱいに広がる。
「美味しいー! 」
「うん、美味い! 」
「それはよかった。おかわりすぐできるから遠慮なく言いなさい」
にこにこという。そんなこと言われたら、本当に何杯でもお願いしてしまいそう……なんて、遠慮も吹き飛ぶほどの美味しさに目を輝かせていると、師匠は労うように私たちに問うた。
「ここに辿り着くまでも、大変だったのだろう? 何人くらいの刺客と戦ったんだ? 」
(ええと……)
その解答を私が頭の中で数えているうちに、先に花京院くんが答えてくれる。
「
(……ん? )
気づいてしまい、つい口を挟んでしまう。
「あれ? 5人じゃないの? ……
「
……そうですね。間違えました。5人ですね」
あっさりと訂正する彼。その横顔のすこし伏せられた瞼のながい睫毛をみつつ、おもう。
(めずらしいな。花京院くんがそういうの間違うとか……)
その違和感は私にひとつの考えをもたらした。
(……もしかして、『あれ』は……やっぱり、夢じゃなくて……
い、いやいやいや! そんな、はずは……だって、ねぇ……現実だとしたら……
あー、もう! お、おもいだしちゃダメだって!! )
『例のあれ』が頭にうかびそうになるのをおさえるため、テーブルに頭突きをする。
痛い。が、どうしようもなく火照ってしまう頬とゆるんでしまう口元を戒めるにはこれくらいがちょうどいい。
(……あ、そうか。あれが夢かどうかはともかくとして、このひとがあの赤ちゃんスタンド使いをなんとかしたのは確かなんだから……やっぱりほんとは6人でいいのか。なんで隠すんだろ? )
まぁ、らしい、といえばそうだけど。などと、じんじんと鈍い痛みを発する額を撫でつつ考える私。隣と対面から一斉にこちらに向けられている訝し気な視線に遅ればせながら気づく。
「な、なにを急に……? 」
「ど、どうした? 」
(はっ! い、いけない、不審すぎる……)
当然のリアクションであろう。傍から見たらどう考えても奇行にしか見えない。
窮地を脱するため、そして、本音でもある。せっかくなので、師匠の御言葉に甘えてしまうことにしよう。
「い、いえ! あの、美味しすぎて! おかわりいただいてもいいですか? 」
「もちろん。花京院もかい? 」
「あ、はい。お願いします」
「……美味しいです。うん、とっても! 」
(……あれ? )
一気に煽ったグラスの中身。
氷で零下近くまで冷やされているはずのそれが喉を通る……その感覚が熱を帯びているのはきっとそのせいだ。
そんなことを呑気にも考えていた。
* * *
ここ……『バーテンダーアヴドゥルさんの秘密のお店』に僕と彼女が招かれてから、かれこれ三時間程経っただろうか。
短いようで、長い、2週間ぶりの再会。
道中の出来事やスタンドの話、別行動後の潜水艦を手に入れるまでのアヴドゥルさんの苦労話……と、やはり話題は尽きることなく、僕達は時間を忘れ語りあった。
彼の作る特製カクテルもその美味しさと飲みやすさでどんどん進み、卓上をかなりの数のグラスが埋め尽くしている。ずらりと居並ぶそれらに目を遣り、アヴドゥルさんがぽつりと零す。
「やぁ、すっかり話し込んでしまったな。
……しかし、かなり飲んだな、君ら。
やっぱり、いけるほうじゃないか、十分……。にやり……」
「? どういうことですか? 」
「……ふ、ふふふ! あははは! なんか、たっのしいー!! 」
すると、暫く静かににこにこと話を聞いていた……はずの彼女が突然バッと立ち上がり、からからと笑い声をあげはじめた。
「ち、ちょっと、どうしたんですか!? 途中から、なんかおとなしいなと思っていたら……! 」
「んー? ……あれぇ、立つとくるくるするー。
あは、地球ってほんとに回ってるんだねー! うふふふふ……! 」
明らかに異常だ。というか、これは……
「あ、アヴドゥルさんッ!? まさかッ!! 」
「うん。入っているよ。アルコール。けっこう強いのがな。
甘くて飲みやすいけど酔いやすい……よくある女の子は気をつけなきゃいかんやつだ。
正気に戻ったら、よく言っておかねばいかんな」
したり顔で頷きながらそんなことをいう。どうやら確信犯らしい。
「ふにゃ……ねむい。……すや……」
そして、彼女はそういうやいなや、今度はテーブルに突っ伏して眠ってしまった。
「な、なにをしれっと言っているんですか! なぜそんなことを?! 」
「……ちなみに、花京院。勿論君のにも入っている。
ベースの酒は同じだから、同等の強さ……むしろ割る酒の都合上、君のものの方が若干強いくらいだ」
「え!? ぼ、僕はまったく問題なく正気ですが。
言われてみれば確かにちょっと体が熱いくらいで……」
「ま、要するに君の方が断然酒に強いわけだ。
……そこでつぶれている、君の好きな娘よりもな。よかったな」
「うっ!? 」
アヴドゥルさんの意図がさっぱりわからない。そのうえ、実は図星……男のささやかな矜持……をもろにつかれ、余計に混乱してきた。
「そもそも、もっと早くこうなるかと思ったのに。この娘も常人より強い方みたいだな。
とっておきがほら、このとおりだ……」
苦笑いを浮かべつつ、蓋を開け放ったままのボトルを逆さにする。
「すなわち……」
そして、一滴も落ちてこない瓶をテーブルの上に置きつつ、バーンと高らかに言い放つ。
「……安心しろ、君は酒に弱いわけでは決してないッ!! 」
「!? 」
「……君に酒を嫌いになってほしくなかったんだよ。
酒はいいよ。もちろん、溺れるのはいかんが。
人を素直にさせる……心をひらく。
最初は失敗しながらでも、自らの限界を知って上手く楽しめばいいんだ。
なにをしたかは知らんが……一度やらかしたくらいで拒絶するなんて、もったいないよ」
(……アヴドゥルさん、それを僕に伝えるために……)
若干やり過ぎなうえ、無関係な彼女を巻き込む必要が果たしてあったのか、とも思うが。
「それならそうと、普通に口で言ってくださいよ……」
「言ったって君は聞かないだろう?
荒療治だよ、荒療治!! がはははは!! 」
豪快に笑うアヴドゥルさん。先程ポルナレフがため息混じりに言っていたことを思い出す。
「……ほんとに、性格変わりましたね。」
「……。そうかもな。
人生、いつどうなるかわからないものだと、あらためて思い知ったからかな。
だれしも悔いのないよう生きねばいかんと、な……」
「アヴドゥルさん……」
達観した物言いの中、その表情には一抹の寂しさが浮かぶ。
きっと真の意味では彼以外が知る由はないそのおもいの果てを慮っていると、そっとその空気を逃がすように僕に促す。
「さ、お開きにするとしよう。この娘を部屋まで連れていってやってくれ」
「……はい」
そして一転、立ち上がる僕にとんでもないことをいう。
「……襲ってもいいぞ。そうなったのはその娘の自己責任だからな。
なにをされても文句は言えない……ふふふ」
「そ、そんな真似しませんッ!! ま、まったく! なんて大人だッ……! 」
冗談とわかっているものの、発されたそのワードのせいでドッと吹き出してきた汗やらなんやらを誤魔化すべく、なぜだか非常に楽しそうな悪い大人に一喝し、彼女を揺り起こす。
「や、保乃宮さん!! ほら、起きて! 部屋に帰りますよ!! 」
「むにゃ……ふぁい……」
「それでは、おやすみなさい。ごちそうさまでした。
そして、……ありがとうございました、アヴドゥルさん。」
「ああ。おやすみ」
「おやすみなしゃい……」
「あ、こ、こら! ここで寝ないでってば!! で、では……」
「ああ、よろしくな! 」
すきあらば夢の世界へと逃走を試みる彼女の意識をどうにか繋ぎ止め、連れていく。
部屋を出るとき、なにかアヴドゥルさんが呟いたような気がするが、その声は僕には届かなかった。
「……ふたりの関係にも荒療治が必要ということ……これが、君たちへの『礼』さ……」
ながいながい階段を上り地下を抜け、小屋から出る。
吹き抜けていく、昼のものと一転して、涼やかさをまとった風が火照った身体に心地よい。日本の夏を連想させる、鈴のような虫の音や、木々の枝で身を寄せ合う鳥たちの静かな鳴き声が耳を賑わせる。
しかし、そんな夜の風情を楽しんでいる余裕は今の僕には到底なかった。
「もう……、ちょっと、しっかりしてくださいよ……」
ゆらゆら、ふらふら、覚束ない……まさにいわゆる千鳥足。そのくせやたらテンションだけは高い彼女にハラハラしつつ、島に点在する(らしい)、集落を装った財団管理下の客室であるバンガローのうち、彼女にあてがわれたそれへと向かう。
「えー? わたし、しっかりしてるよぉ? うふふ! 」
「どこがだよ……」
酔いが顔に出ないタイプ、というやつなのだろうか。顔色はちっとも変わっていないので油断した。しかし、よくよくみるとその眼はとろりと所在ない。ちなみに言動はもはや通常と比較するまでもない。
「でもなんか、ふわふわしてて、いいきもちー! なんだろ……?
ハッ! 重力を操るスタンド使いがもしや近くに!? まさかあのひとが!? 」
「いないですって……」
(今一瞬、戦闘モードに……。だれだよ、あのひとって…… )
しかし真剣な表情は3秒ともたず、再び、へらりとわらう。
「あは! それでね、なんかねー! すっごく、たーのしいー!! 」
「はいはい。それはもうききました」
「わぁ。おほしさまも、きらきら、きーれーい……」
伸びをするように大きく手を広げ、空を仰ぐ。
(……うっ……! )
露わになった白い首元から鎖骨への流れるようなライン。
反らされ、上向きにその綺麗なかたちが強調されたふたつの膨らみ。
目に飛び込んで来ようとする刺激的なそれらから、急ぎ視線を逸らす。
「はっ、はいはい! そうですね!! 」
その動揺がもとで、気づくのが遅れた。
「……あれぇ……? さかさ…… 」
「……って、あぶなっ! 」
段差に足をとられたのか、なにかにすべったのか定かではないが、急激にぐらりとかたむく彼女の身体。天を見上げてばかりいたらそのうち足元をすくわれる、とはまさにこれか……とか、そんな訓戒めいたことを悠長に考えている余裕も当然あるはずもなく、咄嗟に支えようと彼女と地面の間に割って入る。
「うわっ! 」
「きゃ……」
が、勢いは殺せず、ふたりして後ろに倒れこんでしまう。
「いって……」
「……えへ、ごめんね」
「ああもう、だいじょうぶですか? 」
「うん……ありがと」
「はぁ……」
したたかに打ち付けた臀部辺りが痛む。が、僕の体がクッションになり、彼女は無傷のようだ。
ならばよい。
(あ……)
しかし、図らずも、座ったまま背中から抱きしめてしまう形になる。
……役得だ。とか、思っていない。
……なんてのは、嘘だ。
ふわりと、花のかおりがした。
やさしい、感触。
「……」
こみあげてくるなにかに押され、気づかれない程度に、ほんの少しだけ、回した腕に力をこめる。
「……。ねぇ、かきょういんくん……」
「な、なんですか……? 」
それに浸っている間もなく、小首をかしげつつ、こちらを向く腕の中の彼女。
そのしぐさに、そして、いつもより舌ったらずで甘ったるく僕を呼ぶその声に、不覚にも鼓動はますます早まってしまう。
しかも本気で僕の心臓を壊しにかかってきたのか……さらにとんでもないことを言い出した。
「……まえみたいに……して? 」
「は?! な、な、なにをッ……?! 」
(なにをだ!? ま、まさか、あ、あれか!? い、いや、前みたいにってことはあっちか!? )
自らの発言が『星』の暗示のあのスタンド並みの拳の弾幕を僕の胸に叩きつけているなんて、これっぽっちも思っていないようだ。彼女はあっさりと続けた。
「……もう、わたしあるけないよー。
まえにだっこしてくれたじゃない、おひめさまみたいに。
あれ、もういっかい、してほしいなぁ……」
「な、なんだ、それか……。……はぁ。し、しかたないな……! 」
「わぁい! ふふふ、やったぁ」
がっかりなんてしていない。……やっぱり嘘だけど。
リクエストにお応えし『お姫さま』を抱えあげる。
「まったく……なんて世話の焼ける……」
(なんかいつもとちがって……やたらと甘えん坊だし……)
「……ほ、ほんとうに、あとで重々気を付けるように言っておかねば……! 」
普段はまわりに気を使い過ぎで、遠慮がちで、我慢強くて、頑張り屋で……。
なんということだ。このギャップ。やっぱり反則だ。
……もう勘弁してほしい。
そこでふと浮かびそうになる。
(……あれ? 前にこうしたのって……たしか……)
が、へべれけ酩酊状態なお姫様を抱えたこんな状態下で思考がまとまるわけもなく、結局霧散してしまう。
「……すや」
「って、また! ねないで! ちょっと、着いたよ! 」
声をかけると寝ぼけまなこをこすりながらこんなことをいう。
「んー? あれぇ? もうついちゃったの? ざーんねん! 」
「ざ、残念ってなんだよ! ……こ、この酔っ払い……! 」
深い意味などないのだ。今このひとはしょうきではない。そうだ、考えるな……そんなふうに必死に己にいい聞かせるとともに、振り払うように彼女にいう。
「ええと、か、鍵! 鍵出して」
「かぎ? ……んーと……」
ごそごそとポケットを探りはじめる彼女。
「……あーった。はい」
鍵を受け取り、ドアノブの穴に差し込み、回す。ちなみに両手が塞がっていたため相棒に頼んだ。浮かんだ「僕があけるんかい」というツッコミは無駄打ちに終わることが明らかだったので、呑み込んだ。「すごーい! ハイエロファントじょうずーっ! あれ? なら、かぎ、いらなかったんじゃあ? 」……とかいう腹立たしいことに意外と的を射た彼女のツッコミは無論聞かないふりをした。
「よいしょっと……はい、降りてください」
紳士がみだりに女性の部屋に侵入するわけにはいくまい。木製の扉を開け、框のところで立ち止まり、降りるよう促す。しかし、彼女に動く気配はなく、代わりに寄せられる不満げなこえ。
「えー、……もうすこし。ベッドまで……」
「はぁ?! もう……わ、わかったよ……」
何故かそれをはねつけることができず、躊躇いながらも室内へと足を踏み入れる。
自分にあてがわれた部屋と構造も調度品も同じ様なもののはずなのに、未開の土地に足を踏み入れるような感覚に陥る。
長いような短いような……そんな旅路のあと、たどり着いたベッドの上におろして座らせる。
「……」
「……」
(……ハッ……! い、いかん……)
「……じゃあ、僕はこれで……」
どう考えてもこれ以上ここにいるとまずい。
さっさと退散すべく背を向ける。
しかし、裾を引かれる感覚。後ろ髪が……とかそういうのではなく、実際の。
「……いっちゃうの……? 」
「うっ……! 」
驚き振り向くと、そこには切なげに僕をみあげる潤んだ瞳。
「……やだ。もうすこしだけ……
おねがい、……そばに、いて……ほしいの……」
「は!? ちょ、ちょっ、な、なにを……」
そして、僕の背中にかおをうずめ、彼女はさらにとんでもないことを言い出した。
「だってね、わたしね、かきょういんくんのこと……」
「ッ!? 」
「……」
「……? 」
どぎまぎしながら待つも、続く言葉がいっこうにやってこない。おそるおそる様子を伺う。
「……すー……」
「ね、寝てるし……。
……お、思わせ振りなことだけ言い残して……。なんてお姫様だよ……」
いいかげん可愛さが有り余り、若干憎たらしくなってきた。腹いせに、すこしだけおざなりに、ベッドに転がす。
「はぁ……くそう、なんでこんな……」
心拍数も血圧も呼吸数もさっきから上がったり下がったり、急変動が激しすぎて、いいかげんにしろと心臓、肺、血管、その他諸臓器から苦情が来そうだ。それを一番訴えたいのはこっちの方なのに。
何度人の心にオラオララッシュ(僕のみに効果を発する)を叩き込めば気が済むのか。そんな耐久力僕にはない。もうすこし己の破壊力が特Aクラス(僕に対してのみ)であることを自覚していただきたいものだ……などと、溜息まじりに悪態をつきつつも、元凶のそのあどけない表情をみていると、つい、どうでもよくなってきてしまう。
(まぁ、でも、たまには、こんなあなたも……悪くない……かな)
はじめてみた。
そして、ぼくだけしかみたことのない、そんな彼女。
―わたしね、かきょういんくんのこと……―
先程の言葉が頭をリフレインする。
(人の心を素直に……か。酔っぱらいの戯れ言なのか……それとも……)
ゆっくりとかぶりをふる。
(このひとのことだからな……。あまり期待はしないでおこう。うん)
「すー、すー」
きもちよさそうに……しあわせそうに眠る、彼女。
「まったく、人の気も知らないで……無邪気な顔しちゃってさ……」
そっと手を伸ばし、さらさらとした髪を指で梳く。
「……ほんとに……襲って、やろうかな……」
てのひらで頬をつつみ、親指の腹で唇にふれる。
「ん……」
「なんてね! 」
そのまま、鼻をおもいきりつまんでやる。
「むぎゅ……! 」
「……現実ではちゃんと、『本人の同意を得てから』って決めてるからね。
ったく……覚悟しとけよ! 」
いいつつ勢いよくバサッと毛布をかけてやる。
……今にも暴れ出しそうな、なにか、を塞ぐために。
「すや……」
「……おやすみ」
* * *
目を覚ますと、ベッドの上だった。頭が重い。
(あれ……? 私……昨日花京院くんと師匠と一緒に話していて……そのあと? )
朧気にしか記憶がない。なんだかやたらと楽しくてふわふわしていて、しあわせ……だったような……。
(も、もしかして……! )
まだ少しぼんやりしている頭をかかえつつ、飛び起きダイニングスペースに向かうと、優雅にコーヒーカップを傾けている彼がいた。
「お、おはよう! 花京院くん! 」
「おはようございます。
今日もいい天気ですね。実に航海日和だ」
まぁ一度深海に潜ってしまえばあまり天候は関係ないのかもしれませんが……なんて、普段とちっとも変わらないその様子にすこし安堵、かつ若干拍子抜けをしつつ、相槌をうちながらも、おそるおそる訊ねる。
「そ、そうだね。
えっと、そ、それで、あの、昨日のことなんだけど……、あれ、お酒……だったの? 」
「そうらしいですよ。飲みやすいけど、酔いやすい……よくあるやつ、だそうです」
彼のあっさりとした答えに、自分の朝の状態を得心する。
「そ、そうなんだ。どおりで……
ごめんなさい。あの、お、お手数を、おかけしたんですよね……? 」
そして、先に謝っておくことにする。昨夜自分があのまま酔い潰れてしまったのであれば、その後の展開など予想に易いものだ。おそらく……というか確実に、このひとが後始末をしてくれたに違いない。夢現で朧気な自分の記憶とも合致するわけで。
すると、私の謝罪を受け、ぴくりと眉根を寄せる彼。
「おや、覚えているんですか? 」
「ほとんど覚えてない……。ど、どんな感じだったの? 私……」
「ふーん……」
私の質問に、一瞬宙を仰ぐ彼。
「そうですね……いつもとちがって、なかなか新鮮でしたね」
「!? ど、どういうこと!? 」
そのあと、非常に意味深なことを言い、少し意地悪く、にやりと微笑む。
「まぁ、これでおあいこ、ということで。……ただーしッ! 」
「な、なんでしょう……? 」
高らかに言い放つ彼に『お説教モード』に入る予感を瞬時に察し、それ以上の追及を諦め佇まいを直す。
「以後、ああいう甘いお酒には気をつけて!
昨日はアヴドゥルさんの策略だったから仕方ないけど……
悪い人もこの世にはたくさんいるんですからね! 」
「は、はい。ほんとだね……。気をつけます……。
あ、そっか、師匠はそれを教えてくれたんだね! 」
ぐうの音も出ぬ正論に深く反省する。加えて、ようやくすべて納得がいった。さすがは師匠。身をもって己の弱さを知れ。そういうことか。
しかし、ひとり頷いている私を横目に、彼は眉間に手を当て、ため息混じりにこういった。
「……はぁ、まったく、ほんとうに、素直すぎるんだから……。
余計心配になったんですけど」
「だ、だいじょうぶだよ! 」
必死で弁解する私にジト目をむけ、あきれたような表情をうかべたあと、ふっと笑い、彼は私の耳元で、そっと、こうささやいた。
「……いいかい?
……あんなふうになっていいのは……僕といるときだけ、だよ」
「へっ!? あ! え?! は、はいっ……! 」
同時に感じる、あたまにぽふっと乗せられる、彼のてのひらの感触。
「頼みますよ。じゃ、またあとで」
それだけいうと、彼は、軽やかに、爽やかに、部屋へ戻っていってしまったのだった。
(……。全っ然、航海日和じゃあないんだけど……)
……私の心に激しい波風を立てておきながら。
もうすぐこのお話も完結です……が、性懲りもなく次回作も本作品にちなんだものにする可能性が高いです。どんなのだったら、また読んでやってもいいぜ? と思って頂けるでしょうか?
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そのまま4部にクルセイダース達突入
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花京院と彼女のその後の日常ラブコメ
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花京院の息子と娘が三部にトリップする話
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花京院が他作品の世界へ。クロスオーバー。
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読んでほしいなら死ぬ気で全部書きやがれ!