(はぁぁああ……、……あ、あつい。……今日こんなに暑かったっけ……)
先ほどうっかり大発生してしまった熱量(何かに利用できたらいいのに)。加えて、最速であの場から離脱するためにした全力疾走がまた効いた。ぱたぱたと手でかおを扇ぎ、熱を逃がしつつ、私はあの密航少女のもとにやってきた。
「なにがなんだかわからないけど……
あんたたち、いったい何者なの……? ち、近寄らないで……」
「うーん……」
すると、その警戒度は著しく上昇してしまっているようだった。当然といえば当然か。
頭を抱えているジョースターさんに様子を尋ねる。
「どうですか、あの娘? 」
「あぁ、すっかり嫌われてしまったわい。……ここは女の子同士、任せてもいいかね? 」
「はい! 話してみますね」
もちろん、そのために来たのだ。一応私も女である。こういうとき、同性、いうのはやはり大きいはず。それでよく皆に気をつかわせたり迷惑をかけてしまったりしているぶん、これくらいは役に立たなければ。
とりあえず少女に声をかけてみる。
「こんにちは。
私は保乃宮仁美。えっと、保乃って呼んで」
「やすの……さん? 」
「そう。あなたは? 」
「……。保乃さん……も、この人達の仲間、でしょ……? 」
「うん、そうだよ。心配しないで。みんな、いい人だから」
「……」
反応なし。無理もないか、と、思いつつ、とりあえず冷静に客観的な事実を伝えてみることにする。
「ふふ、忘れちゃった? じゃなきゃ今頃貴女ここにいないって。
サメの海に飛び込んでまで助けてくれる人、そうそういないよ」
「う……」
「大丈夫。私たち、エジプトに向けて旅をしているだけで……」
そのときだった。
船内を見回っていた船員さんと仲間たちの焦った声が聞こえてきた。
「うわー!! 」
「や、やはりあの船長、爆薬を仕掛けてやがったッ! 」
「ちくしょう! 」
「……ただ、ちょっと厄介な敵に狙われているけど、ね」
またかぁ……と、さすがにうんざりしてくる。
「はぁ……。さ、こっちに! 」
「う、うん」
呆然としている少女の手を取る。
「みんな早く、ボートに乗りうつれッ! 」
「近くの船に救助信号を出せッ!! 」
間一髪。全員が救命ボートに乗り移ったところで船は爆発、炎上……ゆっくりと沈んでいった……。
「これは今日の分の食事じゃ。
どれだけの間、漂流するかわからんので少ないが、我慢してくれ」
先ほどの作業、非常食をまとめるところからやって正解だった。もちろん、まさかこんなにすぐに脚光を浴びることになるとは思わなかったけれど。
隣の少女に回されてきた食料と水を渡しつつ、声をかける。
「はい。……きっとすぐ助けがくるよ」
「う、うん」
「何歳? 」
「じゅう、よん……」
「へー!すごいね。私、中学生で一人旅とかしたことなかったなぁ」
(……しかもわけわかんない現象が目の前で起こりまくった上に、この状況……漂流って……。
そりゃあ不安だよね……)
そんなことを思っていると、逆に問われた。
「あの……、あのひとなんて名前? 海に飛び込んで、私を助けてくれた……」
「え? ああ、承太郎君? 」
「……承太郎、かぁ……」
そんなふうにぽつりと名前を呟く彼女の様子をみて、あることに気づく。
(あらー! 承太郎君ったら、こんな年端のいかない女の子の心まで掴んじゃって。
罪な男だなぁ、まったく! ふふ……)
おもわず、にやにやしてしまう。
人の恋路……そーゆうお話は実はけっこう大好きだったりする。
あくまで他者の、だ。
……じぶんのことは、からっきしなくせに。
とか、そんな至極真っ当なつっこみは受け付けない。聞こえない。
こっそりとにやけている私に、なおも少女は聞きたいことがあるようだった。
「どうしたの? 」
「や、保乃さんは、もしかして……」
しかし、その言葉は響き渡る低音にかき消された。
「「あ」」
音源はどうやら彼女のお腹のようだ。見るととっくに彼女の分の食料は消えていた。
「あぁ、あれじゃ足りないよね。これ、食べる? 」
「え、それ保乃さんのじゃない……」
「私、今まだお腹空いてないから。よかったら食べて」
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
「……アン。だよ」
「え? 」
「私の名前。アンっていうの」
「っ! そっか! 」
ちょっとだけ、心を開いてくれたのだろうか。嬉しくなる。
(可愛いなぁ。妹いたらこんな感じなのかなぁ……)
そんなふうに悦にひたっていると、自分を呼ぶこえがきこえてきた。
「……保乃宮さん、ちょっと! いいですか? 」
「はい! じゃあ、またね、アンちゃん」
「うん」
そこまでぎゅうぎゅうというわけではないが、決して広くはない、このボート。しかも動くたび揺れる。人を避けつつ、ゆっくり進み、彼のもとにたどり着く。
「どうしたの? 花京院くん」
「ここ! 座ってください」
となりにくるよう、いわれる。
「は、はい……」
この感じ。幸いにも、さっきの自分の失言はそーゆうふうにはとられていないようだ。ほっとする……と同時に、彼の声色から、要件を察する。
(……私、なにかしたっけ……? )
思い当たらぬまま、腰掛ける。なんだか飼い主に叱られる前の犬のようだ。
「……まったく、あなたってひとは……! 」
そんな私に、彼は小さめのボリュームで……やっぱりお説教をはじめた。
「な、なに……? 」
「なに? じゃあないですよ。見ましたよ! あなたあの女の子に食料あげていたでしょう? 」
「うッ……。だって……」
(め、めざとい……)
「自分の分はしっかり食べとかないと! 倒れても知りませんよ!
あなた細いけど、食は細くないでしょう! ここ2、3日でそれぐらい把握済みです」
(さ、さすがの洞察力……の、……なんて無駄遣いなんだろう……)
心配性で気がききすぎる彼に若干困ってしまいながらも、いろいろな感情がまじりあって、なんだかわけがわからなくなってくる。
そして、結局でてきたのは薄っぺらい虚勢と嘘八百だった。
「だ、だいじょうぶだよ! わ、私さっき台所にいたでしょ。
いろいろつまみ食いしたから、お腹空いてないの! 」
「ふーーーーん、そうですか」
「そ、そうだよ」
100%バレてしまっている……そんなことはわかっていたが、あとにはひけなかった。
……が、そんな私に追い打ちをかけるかのように、じぶんのお腹から、いまいましい音が響く。
「あ……」
「……ふっ……! ……身体は、正直ですね……くく……」
笑いを必死にこらえている彼。いや、若干漏れ出ているが。
恥ずかしくて、もう死にそうになる。
「うう……こ、これは……そう! 消化の音だか……」
すると、なおもむなしい誤魔化しを発そうと開けた口に、なにかがとびこんできた。
「むぐっ!? ……? 」
「……とりあえず、それ、どうぞ」
どうやら彼の仕業らしい。
「っ! ……ひふんはってひふんの……」
咀嚼するたびに口腔内にひろがる、やさしい甘みに戸惑いつつも、必死に反撃を試みる。
が、それは十枚くらい上手な彼に、あっさりと返されてしまう。
「はーい、もごもご言われてもわかりません。
僕は配給された分はちゃんと自分で食べましたー。
これは僕が香港で買っといたおやつなので、誰にあげようが自由です。残念でした」
「ぐっ……」
(しっかり通じてるじゃない……いじわる……)
口内に入っているぶんをごくりと呑み込んだタイミングで、もう一度、今度はゆっくりとやさしく唇にそれがおしつけられ、くわえさせられる。
「はむぅ……!? 」
「はい、もうひとつ。
今はこれで我慢してくださいね。
シンガポールに着いたら何かもっと美味しいもの、食べさせてあげますから」
「……」
「おーい! 花京院、ちょっと来てくれー! 」
「はい! ……じゃ、何がいいか、考えといてくださいね」
「……う、うん……」
どうにか、うなずく。
そうして、軽やかに呼ばれた方、ボートの先頭に向かう彼。
ひとり呆然と残される、クッキーを咥えたじぶん。
(ううう……なんなのあのひと……あああ……! )
徐々に沸々と湧きあがってくる羞恥心。激しく鳴り響く鼓動。心の中で悶える。
なんだか通り魔に心臓を一突きされたような…そんな気分だった。
もちろんそんな経験はないけれど。
唇が、やたらと熱を帯びていた。直接触れられたわけでも、なんでもないのに。
……そう。きっと彼にとっては、なんでもない、ことなのに。
(……ほんとに……。やさしいんだから……)
意識する方が間違っている。そんなことはわかっていた。恋愛経験、というものが人並みにあれば、こんなふうにいちいち動揺しないですむのだろうか?わからない。残念ながらそんなものは皆無なのでこのざまだ。なさけないったらない。
悶えつつも、ふとひとつ疑問が浮かぶ。
(……あれ、……そういえば……。
なんか、いつのまにか、いつもの花京院くんに戻ってる気が……いや、むしろ元気になって……? 睡眠不足、解消したのかな? いや、いいことなんだけど……)
寝る時間なんてあったかな……とか不思議におもいつつ、一枚目はそんな余裕などとてもなかった、口の中のそれを味わうことにする。
(もっと、美味しいもの、かぁ……)
(これももう……じゅうぶんすぎるほど、おいしいんだけど……)
そして、なごり惜しくもそれをのみこんだ後で、またお礼をいいそびれたことに気がつき落ち込む私だった。
* * *
(まったく……)
お人好しもほどほどにすべきだ。ましてやこんな状況なのに。
先が読めない、とか考えていない、というわけでは決してないはずだ。だんだんわかってきた。
「……」
包帯が巻かれた右手をじっとみる。
(ひとのことは、あんなに……なのにな)
にもかかわらず、なぜか、無頓着なのだ。……自分のことに関してだけ。不思議におもう、と、ともに、もどかしく感じた。
それにしても、すこし、強引すぎただろうか。
心配だった。どうにかして食べさせておかねばと、おもった。それだけなのだが。
……なぜそうおもうのか、そこは深く考えるまい。そう決めた。
(これは、そうだ。その、……使命感だ)
仲間の健康を維持し、旅を円滑に進める(漂流している時点で円滑には程遠いが)……そのためだ。
「……」
指先が、やけに熱い。
いっそのこと偶然を装って、ふれてしまえばよかった……。
などと、一瞬浮かんだありえないそれには、もちろん気づかないふりをした。
(いかんいかん……)
回想および反省にふけりかけていた頭を切り替える。この状況を打開すべく、できることに集中せねば。
「ん……? 」
ハイエロファントでボートの周囲を探索すること数十分。相棒のレーダー網に引っかかるものがあった。
「なにか見つけたか? 」
「……あちらの方向に、なにか……」
「よし」
双眼鏡を持った承太郎がスタープラチナで確認する。
「……あれは……貨物船だ! 」
「おぉ! 救難信号を受けて助けにきてくれたのか! 」
「やった! 」
発見した、貨物船……タンカーは徐々にこちらへとむかってきた。
至近距離で見ると、それはかなり巨大なものであった。
「おおおおーッ! 」
「助かった! 」
さしのべられた救いの手に、歓喜の声を上げる船員たち。
誘うかのようにタラップもおりている。
(……これは歓迎の印か、はたまた……)
多数が安堵の表情を浮かべる中、僕と同様、難しい顔をしている人間がふたり。
そのうちのひとりに、祖父が疑問を投げかける。
「……承太郎、なにを案じておる? 」
「いいや……なぜ誰もこちらへ顔をのぞかせないのか考えていたのさ」
「! 」
そのとおりだった。船はシーンと静まり返ったままだ。
しかし、そんな中、先陣を切ってボートからタラップに跳び移るものがいた。ポルナレフだ。
「せっかく助けにきてくれたんだ! たとえ罠でもおれはこの船に乗るぜ! 」
それに続いて、この機会を逃してなるものか、とばかりに、どかどかと皆階段をのぼっていく。
たしかにこの状況ではやむをえまい……。そう思い、重い腰を上げる。
そこで、もうひとり、渋い顔をしている彼女に声をかけられる。
「……やっぱり……行くしかない、よね……? 」
「まぁ……。行かざるをえない、が正しいでしょうね」
「だよねぇ。……逃げられないもんね」
「ええ、たとえ罠でも……ね」
ボートとタンカーを交互に見る。例えるなら蟻と人……といったところであろうか。その気になれば踏みつぶすことなど容易だろう。
「……気が進みませんか? 」
「うん。なんか……。なんだろ……? お化け屋敷に入る前みたい……? 」
「はは……なんだそれ。まぁ、だいたい同感ですけど」
不気味にたたずむ鉄の塊。冷ややかなそれからは全く熱を感じなかった。
背筋が薄ら寒くなる印象を自分も受けた。
「というわけで、十分警戒しながら……行くとしましょう」
「……うん」
頷くと元気にむこうに跳び移る彼女。
「よっと」
あとに続く。後ろでは承太郎が少女に「掴まりな……」なんて言っているのが聞こえた。そう言われると、一般女性にはやや抵抗がある距離な気もする。目の前のこのひとは軽々と跳んでいたが。運動神経がいいのだろう。ここ数日で幾度となく感じたことだが。それにしたって、気遣いが足りなかっただろうかと、反省する。
「どうしたの? 」
立ち止まる僕に、段上で不思議そうなかおで振り返り問う彼女。どうやら当人はまったく気にしていない御様子だ。
「……いいえ。なんでも」
……まぁ、『一般』ではないのかもしれない。このひとは。
「そう? じゃあ、行こ……」
そういうと、向きなおり再び一段踏み出そうとする。そのときだった。
「……ひゃ……!? 」
「うわっと! 」
降ってこようとする、彼女の背中をなんとか支える。
「……き、気をつけてっていったのに……! 」
「ご、ごめんね……。す、すべっちゃった……」
しっかりしているのか、そうでないのか……はっきりしていただきたい……。
(ほんとうに……こまったひとだ)
* * *
甲板に上がるも、人っ子一人みあたらなかった。
操舵室にはさすがに……と向かうもその思惑ははずれに終わる。
「なんだ、この船は……誰もいないッ!
それなのに計器や機械類は正常に作動しているぞッ! 」
「おいッ、誰か! いないのかッ! 」
その問いに返事は、やはりないままだった。
人を見つける。まずはそこからだ。
皆で船室を調べてまわっている最中、アンちゃんがある部屋の前で立ち止まる。
「ここは……なにかな? 」
ためらいなく扉を開けて、中へと入っていく好奇心いっぱいの少女の後を慌てて追う私。
「あ、アンちゃん、あぶないよ! 」
そこは物が雑然と置いてある、倉庫のような場所だった。
「あぁっ! 」
「こ、これは! 」
その奥には檻と、そして……。
「みんな、来てみて! こっちよ、こっちの船室」
アンちゃんが声をかける。
集まってきた仲間で檻の中を確認する。
「……オランウータンだ……」
そう呟くのは、やはり物知りな花京院くん。
よく瞬時にわかるなぁとまた感心しつつ、しっかり見るべくもう少し歩みよろうとする。
「……ストップ。あまり近づきすぎないほうがいいですよ。
力が人間の5倍以上はあるらしいですから」
「そ、そうなんだ……」
そういわれ、遠巻きにじっと見る。
(……? ……なんか、この猿……)
しかし、浮かびかけたその思考はジョースターさんの一声によって霧散する。
「猿なんぞ、どうでもいい、こいつに餌をやってる奴を手分けして探そう」
(……うん、そりゃそうだよね)
言ったのち甲板の方向へ向き直るジョースターさん。
『なにか』に気づき、叫ぶ。
「! アヴドゥル、その水兵が危ない! 」
甲板に残っていたアヴドゥルさん。見ると、そのすぐ後ろにいた水兵さんに恐ろしい悲劇が迫っていた。
「ああっ!! 」
そばにあったクレーンが、動いた。
だれもさわらないのに……ひとりでに……。
「いけない! セシっ……!! 」
相棒を放とうとするも、距離があだとなった。
クレーンは、勢いよく水兵さんの後頭部に直撃、突き刺さる。
さらにメキメキと音を立ててそれを粉砕、貫きながらその身体を釣り上げた。
「うおおっ??!! 」
「きゃ……」
あまりにも残酷な光景に小さく悲鳴を上げるアンちゃん。
その視界を手で遮りながら承太郎君が言う。
「やれやれ……こういう歓迎のあいさつは女の子にゃあ、きつすぎるぜ……」
「くっ……」
(しまった……もう少し早く……)
口惜しい、苦い思いが胸いっぱいに広がり、拳を握りしめる。
皆で、駆け寄る。
「間に、合わなかった……すみません……」
「いや、わたしこそ……一番近くにいたのに敵の気配を感じさえもしなかった……」
と、アヴドゥルさん。ジョースターさんがいう。
「気をつけろ……やはりどこかにいるぞ。
どうやらこの貨物船は我々を救出するためではなくて、皆殺しにするために来たらしい!
敵はひとりか……それとも複数か……?
……だれか、今スタンドをチラッとでも見たか……? 」
「いや……」
「……」
肯定的な返事をするひとは誰もいなかった。
「よし、僕の
そういうと、花京院くんの相棒はするりと排水パイプの中に入っていった。
ジョースターさんは船員さんたちの方に向き直り命ずる。
「いいか、命がおしかったらわしの命令に従ってもらおうッ!
機械類には近づくなッ!
全員いいというまで下の船室内にて動くなッ! 」
「な、なんだよ……くそ……」
口々に文句を言いつつも、先の一件が効いているのか、しぶしぶぞろぞろと移動する。
「君に対してひとつだけ真実がある」
続いて怯えて警戒しきっているアンちゃんにむけて言う。
「我々は、君の味方だ。
さ、行きなさい。……保乃、頼んだぞ」
「はい。行こう、アンちゃん」
「残りは二手に分かれて探すぞ! 」
* * *
「見つからんな……」
「ええ……。ありえない……」
相棒を船内、スミズミまで這わせてみたが、人の気配はどこにもなかった。パイプの中にもあらゆるスキ間にも、どこにも……。
(おかしい……そんなはずは……)
くまなく探し回った。この広いタンカーといえど、『探索』、そこは僕のこの法皇の得意分野だ。見逃すはずはない。
……本当に、ないのだ。全く。
そう。……
(……まさか……!? はっ!! )
気づいたときには、沈み始めていた。
自分の身体が。……船床に。
* * *
窓から見える水平線に、ゆっくりと夕陽が沈んでいく。あたりも暗くなってきた。
待機し始めてからすでに数時間が経っていた。
(なにかみつかったかな? みんな、だいじょうぶかな……)
ちなみに一度ひょっこりハイエロファントが様子を見に現れてくれた。
シンクの排水口から。可愛かった。
そのときにこそっと尋ねたところ、進展は残念ながらまだない、ということだったが。
そんなことを考えているとアンちゃんから声をかけられる。
「ねぇ、保乃さん」
「どうしたの? 」
「なんか、水、出るんだって。……シャワー、浴びたい」
「え? でも今はひとりにならない方がいいよ。危ないから。もう少しここにいて」
一緒に入る、というのも……。船員さんたちがその間危険だ。
しかし、彼女的には既に我慢の限界だったようだ。
「えー、でも、海に落ちたりしたから、気持ち悪い!
もう! さっきからそういってずーっとこのままじゃん!
大丈夫だって。すぐそこだし。ササッといってくるからさぁ」
この船室……食堂のようなここに船員さんたちと待機しているわけだが、入って右奥に行くとシャワールームがあった。その出入り口は確かにここから見える。
スタンドは壁をすりぬけられる。すぐにアンちゃんのもとへセシリアを飛ばすことも可能か……と思い、しぶしぶ了承する。
「うーん、しかたないなぁ……じゃあ、ここで見張っておくから。
十分気をつけて。なにかあったらすぐ叫んでね」
「うん! わーい! 」
そうして、嬉しそうに駆けていく少女。
ここなら……と、思い思いに過ごす船員さんたちを背に、食堂とシャワールームへの入り口との分岐点あたりで、壁を背もたれに腰掛ける。
(まぁ、たしかに、シャワー浴びたい気持ちはわかる。私もそれはそうなんだけど……)
潮風と汗でべたべたする。彼女は海水に浸かってしまったのだからなおさらだろう。
加えて承太郎君……ちょっと気になる男性がいる……という乙女心もあるのかもしれない。
それもまぁ……わかる……気がする。
なぜだかふっと浮かびそうになったかおには、気づかないふりをした。
(け、……警戒警戒。集中しなきゃ……)
周りを見渡す。
(……でも、なんかこの船、やっぱり気持ち悪いよね……)
この船を最初に見たときの感覚……そして、足を踏み入れてから、今までに起きたことを思い返す。
(……そういえば、あの猿の目……)
人間みたいだった。あの値踏みするような、冷たく澱んだ、目……。
背筋が寒くなるような、船を見たときと同じ感じがした。
(……スタンド使いって、もしかして、ヒト、じゃあなくても……? )
その考えに達するのと同時だった。
入り口のドアがバキバキと激しい音を立てて破壊される。
「う、うわああ! 」
響き渡る船員さんの悲鳴。
そこには、あの『オランウータン』が、にやにやとした顔つきで立っていた。
「!? さ、猿ッ! 」
そして、大きな拳を私の方めがけて振り下ろして来る。
「くっ! 」
それをどうにかセシリアで受け止める。
「ぐ、っ……す、すごい力……! 」
5倍……彼の言葉を思い出す。まさか実感する羽目になろうとは……。
ちらりと後ろを見やると、皆一様に恐怖に怯えきった表情を浮かべていた。
(駄目だ! 私が突破されたらきっと……! )
先ほどの無残な光景が頭を過ぎる。
「っ! ……ま、けられないッ!! 」
何度も繰り出される攻撃に、なんとか耐える。
「ウキキキキ!! 」
「はぁ、はぁ……」
(ま、まずい……そろそろ、限、界……! )
「キキーッ!! 」
そこへ運悪くも繰り出される痛恨の一撃。
激しい衝撃に相棒の障壁が砕け散る。
「あっ! 」
「ウキキ……! 」
再び振り上げられた剛腕がもの凄い勢いで眼前に迫ってくる。
「……っ! 」
殴られる……そう覚悟した瞬間だった。
「ウギャッ!!」
悲鳴を上げながら急に仰け反る猿。片方の瞼を押さえ、そこからは鮮血がしたたり落ちていた。
「……え? 」
(……今、後ろから……? )
不思議に思い、振り返るとそこには……
(……あ……)
「グギィ……! 」
「ハッ!! 」
その声に正面を向き直すと、顔をゆがめ、別方向へ逃げて行こうとする猿の様子に気づく。
(いけないっ!! そっちはアンちゃんが……! )
相棒を彼女のもとへと送ろうとした、そのときだった。
猿がこちらをちらりと見る。
「セシリ……!? ええっ!? 」
(か、体が沈んでいくッ!? )
急に床が泥沼になったかのような感覚を覚え、半身が船底にめり込んでしまう。
(これは! や、やっぱり、あの猿がスタンド使い!? まずい、動けない!
うそ……!? セシリアも……!? )
がっちり捕まえられてしまっているようで、全く動かせなかった。
「うきゃきゃきゃきゃ……! 」
勝ち誇った笑い声(?)を発しながら、猿は再びアンちゃんの方へと悠々と歩を進め始める。
どうにか抜け出そうともがいてみるも、さっぱり効果がなかった。
シャワールームへと消えていく、猿。
(ど、どうしよ!? どうしたら!? ……なにか、なにかできることは! )
「……だ、誰かーっ! 」
かくなるうえは……助けを呼ぶ……それくらいしか思いつかなかった。
もしかしたら近くにいる仲間が、気づいてくれるのではないか、と。
必死に叫ぶ。
すると、その願いが通じたのか、走ってくる足音が聞こえた。
「……おい! どうした?! 大丈夫か?! 」
「じょ、承太郎君! て、敵が!
あ、あの猿がスタンド使いで、アンちゃんのところ……そっちのシャワールームに!!
私は、大丈夫だけど、うごけないッ……セシリアも。ごめん……。
早く行ってあげて! 」
「チッ! やっぱりあのエテ公か……わかった」
敵の方へ駆けていく承太郎君。
身体を締め付ける強さはどんどん強くなっていくようで、身動きすらできなくなってきた。
もう、いよいよできることがない。ただ、信じて、祈るのみだった。
(……みんな、どうか、無事で……)
「……ぎやぁぁぁぁあーーー! 」
すると、少ししてから、敵の断末魔の叫びのようなものが聞こえてきた。
「さ、さすが承太郎君……」
同時に身体が自由になる。
そしてむこうから承太郎君とアンちゃんが駆けてきた。
「終わったぞ。この船は消える……ボートに戻るぜ」
「え?! 」
「スタンドは、この『船』だったわけだ」
「ええっ!? 」
「……行くぜ」
「う、うん……! 」
驚きはしたが、そんな場合ではないことに気づき、走る。
甲板に続く階段を登り切ると、こちらに走ってくる花京院くんがみえた。
他の仲間もみんな無事なようで、ほっとする。
「保乃宮さん! 承太郎! 無事ですか?! 」
「うん、そっちも、だいじょうぶ!? 」
「だから話はあとだってーの。急ぐぞ」
「ああ! 」
「うん! 」
またも間一髪、ボートに乗り込む。
「これでまた……漂流か……」
誰かのつぶやきが聞こえた。……全員のため息も。
再びボートで海を漂う。
その間、花京院くんと一緒に、承太郎君に闘いの詳細を教えてもらう。猿がスタンド使いだったのも驚きだが、まさか船自体がスタンドとは。一般の人にも見えるし触れる……なんというパワーなのだろう。さすが『
「……さすがだな、承太郎」
「ほんと。さすがだね、承太郎君」
口々に賞賛の思いを伝える。
「フン……。確かに使われ方によってはやべぇスタンドだったが……本体がああで、助かったってところだな。」
たしかに、上手くやられていたら、あっというまに全滅だったはずだ。スタンドの闘いとは、精神力の闘いだ。スタンド自体の能力ももちろんだが、使役する本体の能力…知力や冷静さ、判断力が非常に重要になってくる、ということだろう。改めて実感する。
そして、本体もスタンドも有能なこの方。
「……疲れた。おれは寝る。助けが来たら起こせ」
と言って帽子を深くかぶりなおす。
「助け、かぁ。今度は、本物がくるといいね」
「ええ。本物のね……」
なんて、眠れる獅子の睡眠の妨げにならぬよう、ひそっとふたりで話していると声をかけられた。
「あの……」
船員さんたちだった。
「……ねぇちゃん、……一体、あんた……? 」
「はっ……!? 」
(しまっ……! そうだった……)
護ろうと必死で、そんなことを気にしている余裕がなかったことを思い出す。
(……また……? )
ふるえだす、じぶんの身体。
(……また、な、の……? )
「……? 仁美さん……? 」
俯き、ぎゅっと目を閉じる。
しかし、続いて私の耳に入ってきた言葉たちは、覚悟したようなものとはてんで違うものだった。
「……さっきは、本当にありがとうございました! 」
「すげえな! なんの格闘技やってんだ? そんな細っこいのに、筋肉、半端ねぇんだな! 」
「あのでけぇ猿に負けてなかったもんな! しびれたぜ! 」
「へ……? 」
普通の、セシリアがみえない人にとっては、私が素手でオランウータンと闘い、その剛腕を何度も受け止めていた……ように見えていたはず。それが可能であったのは、私がとんでもない馬鹿力の持ち主ゆえ、と、どうやら思われているようだ。明らかにそんな範疇を超えていると思うが。
(……なんだ……)
ほっとして力が抜ける。
「オレ、ボクシングやってたんだけどよ、あの重そうなパンチをなぁ……。
どんだけのヘビー級だってんだよなぁ」
「おれも空手、柔道あわせて五段なのによぉ……ねぇちゃんにはかなう気がしねえな! 」
しかし、名誉なのか不名誉なのか、少なくとも女としては哀しい勘違いをされてしまった気がする。
「……プッ! 」
そして隣には、またも笑いをこらえているひとが約一名。
「え、ええと、……あの、あれは……」
恥ずかしいやらなんやらで私が返答に困っていると、にやにやしながらも助け船を出してくれる。
「……それはきっと、火事場の馬鹿力ってやつですね。
やぁ、すごいなぁ。ひとはみかけによらないものですね。ふっ、くく……ふはははは! 」
「ぐっ……」
そういってまた、堪え切れなくなったのか笑いだす。
前言撤回。出されたのはべつに助け船ではなかったらしい。
「も、もうっ! 」
からかわれてばかり……いつか仕返しを目論んでやる……とか思うだけで、くやしいことにいい方法はちっとも思い浮かばずじまいだけれども。
しかし、そんな私の代わりをしてくれたのも船員さんたちだった。
「笑ってる場合じゃねーよ! にぃちゃん、もっと身体鍛えねーと!
いざ、ねぇちゃんにエッチなことなんてしようもんなら、ぶっとばされちまうぜ! 」
「ぬぁッ!? なッ、なにを!? 」
「ちげぇねぇ!がんばれよ、にぃちゃん! 」
「がはははは! 」
「ぐぬぅ……」
皆に笑い飛ばされる彼。
とりあえず、復讐は果たせたらしい。
……誘爆した私にも、十分被害がおよんだが。
散々からかわれた後、当然のごとくしばらく互いに無言だったが先に沈黙を破ったのは彼だった。
「……ちょっと、まだ怒ってるんですか? 」
「……。ふーんだ、どうせ馬鹿力女ですよーだ」
ほんとうは、もう全然怒ってなどいなかったが。……恥ずかしいだけで。
でも、すぐ許してしまうのはちょっと癪だったので、そんなことをいってそっぽを向いてみる。
「まったく、冗談が通じないなぁ……こどもなんだから」
「はぁ!? 」
抗議の声をあげようと振り向く。
「まぁ、でも……」
すると、頭にぽふっとのせられる彼のてのひら。
そのまま、こどもにするかのように、よしよしと撫でられる。
「にゃっ!? 」
「……よく、頑張りましたね」
「えっ……?」
「あの人たちが、今ああして笑っていられるのは……あなたの……セシリアの、おかげかもしれない。……だから」
そして、悔やむような、つらそうなかおでいう。
「……助けに行けなくて、すみません。もう少し早く、気づくべきだった……」
「……」
(……また……)
「うそ。……そんなことないくせに」
「え……? 」
気づいていないとでもおもっていたのだろうか?
目を丸くする彼に、いう。
「ちゃんと……きて、くれたじゃない」
あのとき、振り返る私の目に飛び込んできた……
排水口からのびる、きらきらとひかる、みどりいろ。
「……どうにか、一本だけ、ですけどね」
そういうと、彼は照れくさそうに、やっぱりいいわけを始める。
「べ、べつに嘘じゃあないですよ。
あれが精一杯で、あのあとまた動けなくなっちゃったし……
あんなの助けに行ったうちに……」
(もう……)
どれだけ自分に厳しいのやら。あきれつつ、……尊敬しつつ……
そのことばをさえぎってやる
「……はいるよ。じゅうぶん。……ありがと」
「仁美さん……」
するとふたたび、あたまにふわりとやさしい感触。
「……無事で、よかった」
「花京院くん……」
「……だから、もう少し鍛えてから出直せっていってんだろぉー! 」
「こんなとこですんな! 陸でやれ! 陸で!! 」
そこで、やっぱり飛んでくる野次。
「う、うるさいなっ! 」
真っ暗闇の海の上、このボートだけやたらと明るい笑い声が響いていた。
そして、間もなく、本物の明かりに照らされて……
私たちは今度こそ、通りかかった漁船に無事保護され、シンガポールへと降り立つことができたのだった。
* * *
漁船で与えられた部屋のベッドに横になり、思う。
それにしても散々だった。僕がそんな破廉恥な真似をするような男にみえるというのか。失敬な。
(くそ……あいつらめ……)
今回はちゃんとほめてあげたかっただけなのだ。それだけなのに。
(……。鍛えるか……)
しかし、彼らのいうことにも一理ないわけではない。スタンドに直接攻撃は通じない……といえど、肉弾戦にも強いことにこしたことはないだろう。本体は生身なのだから。そういうことだ。
……いつの日か彼女にそーゆーことを……とか目論んでいるわけでは決してない。
全然おもってない。そんなこと。おもうわけない。
そんな己への暗示を唱えながら床で腕立てをしていると、ふと、気になったことをおもいだす。
(あのとき……)
一瞬垣間見えた、彼女の、あの怯えたような表情。
(なにか……? )
しかし、思考はそこで、途切れる。
「はっ! 」
生温かい視線を感じた。
「花京院、おまえ……」
「どんだけ素直なんじゃ……」
「ち、ちがう!これは……ただ己を高めるための……」
「……がんばれよ」
「今度また同じ部屋にしてやろうな……にしし……」
「う、うるさいっ!も、もう寝る!」
急ぎベッドにもぐりこむ。
連日の睡眠不足がたたっていたのか、緊張の糸が切れたのか……
すぐに襲ってきた睡魔に抗うことができなかった。
僕は深い眠りの淵へとゆっくり落ちていった。
どうやらさんざん悩んだあげく、一周まわって開き直った彼は心の赴くがまま行動することにしたようです。
……すとーかー? あー、あー、きこえなーい!
(H30.3.4追記)
そして、ななな、なんとッ!絵を描いて頂いてしまいました!!
あのシーンが漫画にッ!!
【挿絵表示】
アヴさんポルさんの背中が最高に大好きです。本当にありがとうございましたーッッ!!
もうすぐこのお話も完結です……が、性懲りもなく次回作も本作品にちなんだものにする可能性が高いです。どんなのだったら、また読んでやってもいいぜ? と思って頂けるでしょうか?
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そのまま4部にクルセイダース達突入
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花京院と彼女のその後の日常ラブコメ
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花京院の息子と娘が三部にトリップする話
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花京院が他作品の世界へ。クロスオーバー。
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読んでほしいなら死ぬ気で全部書きやがれ!