奈落の底   作:東次郎

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恐怖と畏怖

程なくして本艦を離れ、船は地上に落ち着いた。

近々奈落は江戸での任務に備えて、基地での生活を余儀無くされる事となったのである。

勿論、それは彼女も例外ではなかった。

 

 

 

十二畳程の部屋にて、改めて対面した二人は酷く凍て付いた雰囲気に包まれていた。

何せ非常に大きな組織だ。管理の行き届かない隙を狙えば、脱出の機会を作れると踏んでいた彼女だったが…

 

 

『奈落の現首領の下に、あなたを配属します』

 

『えっ…』

 

 

あろうことか頭首の直属下へ置かれ、遂に逃げも隠れも出来なくなってしまったのである。

 

 

(しかもその現首領が…)

 

 

 

「貴様、一体何を企んでいる」

 

「いえ何も」

 

眼前の朧の言葉に、彼女は焦燥を駆り立てられていた。何でもその上司である天照院奈落の現首領は紛うこと無き彼であるからだ。

 

 

(このままでは逃げられない。絶対に…)

 

 

以前逃亡を企てた際に、彼にその制裁を受けた彼女は身を以て実感していた。

 

 

「この状況に応じて我々に煮え湯を飲ませる機会を伺っている様にしか見えないが」

 

「買い被りすぎですよ。私一人で何が出来ると」

 

「それが真ならば愚かだと言いたいのだ。現に一度、逃亡を企てているだろう」

「それは…」

 

「無論、それだけに留まらないが」

 

「他にはどんな?」

 

「第一に記憶が無いという事自体が訝しい」

 

 

「あの時攘夷浪士共からの襲撃を受け、案の定容易に殲滅した故我々は事無きを得た。そしてその場にお前は現れた」

 

「つまりは私を攘夷派の者だと疑っているんですね」

 

「それ以外に何がある」

 

「…」

 

刑事ドラマの取調室の如く室内は先刻よりも切迫した空気が張り詰めており、恐怖に身を捩らぬを得ない状況であった。

 

そして最終的には「この取調室はいずれ拷問部屋へとシフトせざるを得なくなるのでは…」等と危惧の念をも抱いていた。

 

 

 

 

「…(かすか)、そう呼べとの事であったな」

 

「え?…あっ、はい」

 

間を置いてかけられた言葉に、幽は引きつった様に声を震わせた。

 

「それが真の名か」

 

「…いいえ、単なる思い付きです。特に意味はありませんよ」

 

「そうか」

 

 

 

「これ以上の話は無用だ。私も暇では無い」

 

「えっ」

 

彼のその一言に、思わず拍子抜けしてしまった。

 

 

「そして何より、あの人のご意向に背く訳にはいかん」

 

「そう…なんですか」

 

「ともあれ、任務はまだ先だ。それまでは日々の鍛錬に徹しろ」

 

「…私が言うのも何ですが、本当にそれで良いのですか…」

 

「何が言いたい」

 

沸いた疑問を思わず声にしてしまった彼女は即座にその口を噤んだ。

 

彼の言う通り、これ以上の話は無用だ。そして何よりも彼との間に軋轢を生むのはあまり良いとは思えなかったのだ。

 

「…いいえ、何も」

 

「これだけは言っておくが…」

 

 

 

「呉々もあのお方の邪魔立てはしてくれるな。天に仇を為す者と見なせば、分かっておろうな」

 

 

有無を言わさぬ様子に、幽は今にも消え入りそうな様な声で話した。

 

「…はい。では何時ぞやの初任務に控えて己の身の鍛錬に精進致します」

 

 

 

 

無事に自室へ戻って来た彼女だが、緊張の糸が解けたと同時に先程の話の中で少々引っ掛かっていた点を思い出した。

 

 

 

朧の事だ。

 

虚に対しての並々ならぬ忠誠心がある様だが、それは単なる恐怖心故のものなのだろうか。

確かに不死者と言われれば、全く恐れを抱かない者の方が稀だが…

 

 

(…本当にそれだけが理由なのかな)

 

 

しかし、それは今直ぐにでも逃げ出そうと目論んでいる幽にとっては詮無き事であった。

 


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