奈落の底   作:東次郎

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幽き記憶

艦内の大広間には自身の足音だけが鳴り響き、一度歩みを止めれば忽ち辺りは静寂に飲み込まれる程だ。

 

 

「言わずもがな、自身の置かれた状況に対して疑問を抱いていると言ったところでしょうか」

 

 

背後から掛けられたその声に、彼女はひと呼吸置いて振り向いた。

 

 

(…虚)

 

 

羽織に至るまで黒に統一された彼の装いは、改めて一切の隙の無さを感じさせられる。

 

 

「あなたはアルタナをご存知ですか」

 

「アルタナ?」

 

「失礼、記憶が無いと言っていましたね」

 

「…それで、何なんですかそれは」

 

「アルタナは各々の惑星に宿る強大なエネルギー物質です。これにより文明は発展したと言っても過言ではない」

 

「地球が、ですか?」

 

「それはつい最近の話ですがね。現にこれまでアルタナを巡る星間戦争は絶えず幾多の星々が滅んでいます」

 

室内の静けさに対し、窓の外に広がる賑やかな星空を遠目に眺めながら言った。

 

「我々天導衆は、惑星全てのアルタナの管理を担う組織です」

 

 

 

「そしてアルタナの最も特筆すべきは、生物に対して変質を起こすという事」

 

「変質…例えるならば?」

 

「そうですね…悠久の時を経ても、その首を切り落とされたとて死ぬことはない」

 

 

一間を置いた虚はそっと呟いた。

 

 

「謂わば不老不死、ですかね」

 

「不老不死…?」

 

 

開いた口が塞がらない彼女は虚に背を向けた。

 

 

「いつの時代もどの星でも不老不死は魅力のあるものらしい。私には理解しかねますが」

 

「…つまりは貴方がその産物だと」

 

「御名答です」

 

 

そう言って眼前に立つ虚は彼女に向かって何かを差し出した。

 

 

「…刀、ですよね」

 

「あなたの物です」

 

 

渡されたのは、鞘に収まった一振りの刀である。

 

 

「殺し屋になれという事ですか」

 

「記憶も無いならば、行く当ても無いでしょう」

 

「…理解に苦しみますね」

 

 

 

「星々を滅ぼす程のエネルギーを牛耳る組織に、一介の娘を置く必要があるとは思えませんが」

 

「時が経てば何れ分かりますよ」

 

「時間は浪費するものではありませんよ」

 

「生憎、時間は掃いて捨てるほどあるものでね」

 

「…」

 

「あなたの名は?」

 

「ご察しの通りですよ」

 

「それは困りましたね。指示を出すにも些か不便だ」

 

己は何者でどんな名で生きてきたのか、幽かな記憶すらも思い出せない。そんな虚しさが彼女の心の内を燻っていた。

 

 

「…ならば、(かすか)とでも」

 

「ほう、そうですか」

 

 

すると前触れも無く扉が開き、大広間へ入る人の姿が目に入った。此方へ来るなり彼はその場に片膝をつくと、深々と(こうべ)を垂れた。

 

 

「虚様、只今戻りました」

 

「丁度良いところに来ましたね」

 

 

虚の言う通り、帰る場所など無いに等しい。

然しだからと言ってこのまま彼等の元に身を置くつもりなど、毛頭無かったのである。

 

 

(暫く奈落(ここ)にいて、脱出の機会を伺うしか無いか)

 

 


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