ガラクタと呼ばれた少女達   作:湊音

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鎖と少女達

 綺麗な銀色の髪の少女がなるべく音の立たないようにゆっくりと執務室の扉を開ける、しかし古くなってしまった扉はギギギと木の擦れる音を立てた事で少女は慌ててしまったようだった。

 

「起きて……、無いわね」

 

 机に突っ伏すようにして眠っている男を見ながら少女は呟く、机の上には資料が散乱しており男が睡魔の限界ギリギリまで読み進めていた事が想像できる。

 

「まったく、だらしないわね」

 

 少女は散らばった資料の下に書かれた数字を見比べながら丁寧にまとめている。資料には艦娘にとって感情は必要なのかという内容でどこかの偉い人達が話し合った記録がまとめられていた。

 

「アンタはどっちなのかしらね」

 

 少女にとって資料に書かれている事よりも重要なのは、先日突然やってきた男が自分達をどういう風に見ているかだった、欠陥兵器だと書かれた資料を呼んだ男は何を感じて、少女達をどのように扱うのか。ただそれだけが少女の悩みだった。

 

「ほら、起きなさいよ」

 

 少女は寝ている男の肩を揺する、しかし男はピクリとも動かなかった。一見死んでいるのかと思える程反応が薄いが、呼吸をしている事を考えればそれはありえない。

 

「流石に朝までに読んでおくようにってのは言い過ぎたかしら」

 

 着任の挨拶を行う式までにはもう少し時間がある、もう少しくらい寝させて置いた方が良いのだろうか。下手に起こして式の最中欠伸をしているようでは示しが付かない可能性がある。

 

 もう少しだけ眠らせておくと判断した少女は部屋の片付けをする事にしたようだった。片付けているうちに机の上に空になったマグカップが2つある事に気付き、この男が昨晩誰かと居た事を察する。

 

「私以外に物好きが居るみたいね」

 

 男には執務室以外の施設は案内していない、暗い建物の中を1人で歩き回った可能性もあるが、恐らくは誰かがこの男に食堂まで案内したのだろう。

 

 そんな事を考えながら部屋の片付けを進めていくと、時計の長針が数字2つ分動いたことに気付いて再び男を起こすことにする。

 

「そろそろ起きなさい」

 

 再び少女が男の肩を揺する、しかし男の反応は相変わらず無い。

 

「いい加減にしないと怒るわよ」

 

 3度目は強めに揺する、流石に眠り続けるという事ができなくなったのか男は起こすなと抵抗するように少女の手から身体を捻って逃げる。

 

「隊長、もう少しだけ寝させてください……」

 

 男の寝言に少女は少し考えてしまう、隊長とは一体誰の事なのだろうか。少女の記憶の中では軍人とは起床ラッパで目を覚まし、驚くような速度で衣服を整え整列するイメージがあった。

 

「いい加減にしろって言ってるのよ!」

 

「うわぁぁぁ!?」

 

 これ以上グダグダしていても式に遅れるだけと判断した少女は男の耳元で叫ぶ、流石に起きるには十分な刺激だったのか驚いた男は跳ね起きると何事かと周囲を見渡していた。

 

「お、おはようございますって叢雲か」

 

「ったく、様子を見に来て正解だったわね」

 

 湊が眠そうに目を擦っている様子を見て叢雲が驚きの声を上げる、手には白い布が巻かれていたが中心が赤い液体で汚れてしまっている。

 

「ちょっとアンタ、その怪我どうしたのよ!」

 

「あぁ、資料で切った」

 

 確かに紙で手を切る事もあるかもしれないが、そんな言い訳が通じるような出血量では無い事は容易に分かる。

 

「紙でそんなに切れる訳……、まぁ良いわ。 救急箱を持ってきてあげるから待ってなさい」

 

 叢雲はそう言って執務室から小走りで出て行った。湊の言葉が嘘だと分かっているようだったが、問題にしたくないと遠回しに言っている以上はあまり深く追求しない方が良いと判断したようだ。

 

 少しして息を切らせた叢雲が木でできた救急箱を持って執務室に戻ってきた。それを受け取った湊が包帯を巻くのに四苦八苦している様子を見て叢雲は呆れたように溜息をついた。

 

「貸しなさいよ、やってあげるから感謝しなさい」

 

「すまない」

 

 叢雲が湊から包帯を受け取り手当をしようとするが、その様子を見る限りお世辞にも手慣れているとは言い辛いものだった。

 

「昨日聞き忘れてたんだけど、着任の挨拶って何処でやるんだ?」

 

「正門の近くに大きな建物があったでしょ、場所も知らないなんて私が来なかったらどうするつもりだったの?」

 

 どうにか包帯を巻き終えた叢雲は呆れたように湊にそう告げる、湊にとっては昨日説明しておくべきだっただろと反論したくもなったようだが、下手に怒らせて朝から面倒なやり取りをするのは勘弁して欲しいようだった。

 

「まったく、アンタは本当に軍人なの? 全然起きないし、必要な事は聞いてこないし……」

 

「そ、そろそろ時間じゃないか?」

 

 湊はどうにかこの説教から逃れるために時計を指差して話題を切り替えようとする。説教自体は慣れているようだが、自分よりも幼い女の子に説教をされるというのは複雑な気持ちになってしまう。

 

 まだ言い足りないのか、少し不貞腐れた表情をした叢雲と湊は一緒に執務室から出る。流石に無言というのも気まずいので湊は叢雲に昨日の質問の続きをしてみる事にした。

 

「この基地にはどれくらいの人が居るんだ、とてもじゃないが俺の居た基地に比べると活気が無さすぎる」

 

 実際湊の居た基地ではこの時間になれば訓練を開始する小隊も居たし、食堂なんかでは非番の男達が馬鹿騒ぎしている事もあった。

 

「アンタと私を含めて19人くらいかしら。 艦娘は3艦隊分くらい居たと思うわよ」

 

「それって俺以外は全員艦娘って事か?」

 

 昨日読んだ資料の中に艦娘の運用方法の項目もあった、基本的には6人を1グループに分けて運用すると書かれていたからには単純に掛け算をすると艦娘の人数が分かる。

 

「あら、ちゃんと勉強したみたいね」

 

「朝までに読んでおけって言ったのはそっちだろ」

 

 相変わらず上から目線な叢雲に対して湊は少し苛立ちを覚えたようだったが、先ほど手当をしてくれた事に免じてどうにか我慢したようだった。

 

「それじゃあ私は入口から入るから、アンタは後ろから入りなさい」

 

「了解」

 

 叢雲は湊に軽く右手を上げると、気だるげな足取りで建物の中へと入って行った。少女に階級があるのかは不明だが、軍に属している以上は上官に対して取る行動では無いと思うが湊は特に気にしている様子は無かった。

 

「さて、行くか」

 

 1人になった湊は建物の側面に見える小さな扉から中へと入る。急に暗い建物の中へと入ったせいか目が慣れるまで少しかかってしまったが、明かりに照らされた壇上が視界に入って緊張しているようだった。

 

 湊は大きく深呼吸をすると、ゆっくりとした足取りで壇上へと登る。その姿にはこれから彼が育てていく艦娘達への期待や不安が感じ取れる。

 

「俺の挨拶の前に1つ質問をさせて欲しい、聞いていたより少ない気がするんだが?」

 

 壇上から見える範囲には10人にも満たない程度の人数しか確認できない。その中には天龍の姿や後ろに隠れるようにしてこちらの様子を伺っている少女が居るが半数程度しか集まっていないという事だろう。

 

「ちょっと、真面目にやりなさいよ!」

 

 最悪な第一声を放った俺に対して叢雲が野次を飛ばしてくる。睡眠不足や叢雲の説教に対して苛立っていた湊にとってこの基地に来てから第一回目の暴挙が始まってしまった。

 

「そこの君、ここのマイクって基地内に放送できるのか?」

 

「そ、そこの君ってあたし……?」

 

 1番先頭に立っていた少女は突然の指名に驚いているようだった。もしかしたら自分じゃないかもしれないという淡い期待を込めて周囲を見渡しているようだったが、少女の視線を避けるように全員が視線を下げる。

 

「あぁ、そこの金髪の君だ。 放送を切り替えるかそのうざい前髪を水平線のように真直ぐと切りそろえられるか選ばせてやる」

 

「あたしの前髪を馬鹿にしないでくださいぃ!」

 

「じゃあさぼってる奴等全員連れて来い、10秒以内に選ばせてやる」

 

 湊が数字を数え始めたのに慌てた少女は走って壇上の裏へと向かう。一連のやり取りを見ていた少女達は何が起こっているのか理解できないようだった。

 

「いけると思うけど……」

 

 金髪の少女が湊に放送を切り替えたと伝えると、湊は大きく息を吸い込んだ。その様子を見て勘の良い少女達は慌てて耳を塞ぐ。

 

「さぼってる奴等良く聞け、3分以内に集合しないと引きずり出してでも俺のありがたい自己紹介を聞かせてやるからな!」

 

 怒鳴り声でハウリングしてしまったのか、キーンと耳障りな音が鳴り響く。湊は右手を軽く上下に振って先ほどの少女に放送を切るようにと指示を出すと満足そうな表情をしていた。

 

「という事で、3分休憩。 楽な姿勢で待っていてくれ」

 

 湊は腕時計を見ながら3分を計った、結果としてはオレンジ色の制服を来た少女達が3人増えはしたのだが、それでも人数が足りていない事が分かる。

 

「なかなか度胸のある奴が多そうで楽しめそうだな」

 

 湊は金髪の少女にゆっくりと歩み寄るが、その動きを見て少女は身体を縮めて怯えてしまう。

 

「君の名前はなんて言うんだ?」

 

「阿武隈ですけど……」

 

 先ほどから湊にこき使われているせいか少女の表情には明らかな不満の色が見える。

 

「来てくれたみんなには悪いが式は中止だ、俺はさぼり共を指導してくる事にするよ」

 

 湊は笑顔でそう告げると、阿武隈と名乗った少女の肩に手を乗せる。

 

「それじゃあ行こうか」

 

「あ、あたしが案内するの!?」

 

 笑顔で阿武隈の肩を押して建屋から外に出ようとする湊を叢雲が引き留める。他の少女達に関しては自分に火の粉が飛ばらないようにと阿武隈に同情の視線を向けているだけだった。

 

「ちょ、ちょっと、アンタ何勝手な事をしてるのよ!」

 

「人がせっかく挨拶の内容まで考えて居たのにさぼる方が悪い」

 

「そういう事じゃなくて、別にこの式は強制じゃないんだから良いじゃない!」

 

 叢雲の言葉に湊は大きく溜め息をつくと、真直ぐと叢雲の目を見ながら話し始める。

 

「くだらない話を聞くだけのこの式をさぼる連中が今後の訓練を真面目に受けると思うか? 確かに強制じゃないかもしれないが、これから一緒に頑張って行こうって人間に対して興味を持つことすらしないのは直す必要があるだろ」

 

「アンタの言ってる事も分かるけど、あの子達はさぼりとかじゃないのよ!」

 

 さぼりだと決めつけていた湊だったが、叢雲の焦り具合から何か理由がある事を察したようだった。しかしそうであれば尚更現状を確認しておく日露があると判断した。

 

「阿武隈、案内しろ」

 

「ふわぁぁ~っ! そんなに押されたらころんじゃいますよぉ!?」

 

 阿武隈の叫び声を無視して湊は建屋から出る、もしこの式に参加できていない少女達が怪我や病気の類であれば放置しておくわけにはいかないだろうし、少しでも早く対応をしたいようだった。

 

「そ、その、あたし的にはやめた方が良いんじゃ無いかなぁって……」

 

「良いから案内しろ、酷い事はしないって約束する」

 

 それとなく止めるように促している阿武隈だったが、湊を止める事ができないと理解すると大きく溜め息をついてしまった。

 

「分かりましたよぉ……。 乱暴な事はしないって約束ですからね」

 

 先ほどまでは騒いだり頬を膨らませてみたりと幼い仕草の多かった阿武隈だったが、湊に約束は破らないようにとじっと睨みつける姿は先ほどの様子からは想像できない程真剣な表情だった。

 

「正直あたし的には、あなたみたいな人は苦手です。 でも前の人とは違うって思ったので案内するけど……」

 

 ブツブツと呟く阿武隈の後ろについて歩きながら湊は考える。先ほどまでの対応が演技だったのかと疑いたくもなったが、先ほどの約束はこの少女にとって重要な約束だからこそこれほど真剣になれるのだろうと。

 

「この建物は私達の宿舎です、1階の1番奥の部屋にあの子達の部屋があります」

 

 宿舎と説明された建屋を見て湊は顔をしかめる。他の建屋と比較すると年季が入った壁にはうっすらとヒビが入っており、窓には鉄格子が取り付けられている。

 

「宿舎ってより物置か刑務所って感じだな」

 

 阿武隈は湊の言葉を無視して宿舎の中へと入って行ってしまった。慌てて湊も続くが、やはり内装に関しても少女達が住んでいるとは思えないほど寒々しく質素だった。

 

「ここです、中に居る子達が怯えるといけないのであまり大きな声を出すのもやめてくださいね」

 

 扉には『暁』『響』『雷』『電』と書かれたプレートがかけられている。湊はドアノブを掴むとそっと中を覗き込む。照明が取り外され窓は木の板が打ち付けられている室内は暗く中の様子が分からないようだった。

 

 少し目が慣れてきた湊は部屋の隅で何かが動きた事に気付いた、ポケットからジッポを取り出すと何が動いたのかを確認するために火を付ける。

 

 小さな火で見えるようになったのは完全に怯えてしまった4人の少女達の姿だった、脚は鎖に繋がれ頬に痣がある子も居る。

 

「阿武隈、説明しろ」

 

 俺の言葉に反応したのか、少女達は恐怖や不安、助けを乞うような視線を向けてくる。湊は奥歯を噛み締め傷ついた右手を握りしめる事で冷静になるように自分に言い聞かせる。

 

「素直にさせるためだって聞いています、それ以上の事は何も……」

 

 容姿から察するにまだ小学生程度だろうか、4人の少女は互いに抱き締め合い突然現れた湊から互いを守ろうと必死になっているようだった。その光景を見た湊は腸が煮えくり返る程の思いをしたが、できる限り怯えさせないようにゆっくりと少女達に近づくと、足に繋がれている鎖を確認する。

 

「鍵は何処だ」

 

「分かりません……」

 

 湊は端的に阿武隈に質問を繰り返す。

 

「切断するための工具は」

 

「分かりません……」

 

 阿武隈に対して怒鳴りそうになってしまったが、大声を出さないようにと事前に警告されていた事を思い出して寸前の所で抑える。ここで阿武隈に八つ当たりしても何の解決にも繋がらない、今は少しでも現状を理解する事を優先した方が良いと判断したようだった。

 

「何時からだ?」

 

「2週間くらい前からです……」

 

 床を見れば缶詰や空になったペットボトルが転がっているのが分かる、食事を与えられなかった訳では無い事に少しだけ安心する。

 

「理由は聞いているか?」

 

「命令に従わなかったとしか……」

 

 命令違反による罰として謹慎処分を与える事は確かにある、しかしこれはどう考えてもやり過ぎと言えるし、場合によっては大問題になってもおかしくない。

 

「どうして誰かに助けを求めなかった」

 

「私達艦娘は兵器として扱われて居ます、助けを求めたって誰にも相手にされませんでした……」

 

 湊は質問をした後に自分の発言が間違いだったと気付く、少女達の扱いに関しては資料に嫌と言うほど書かれていたし、兵器となった以上は人権など認められて居ない。

 

「ちょっと鍵を探してくる、阿武隈は毛布と何か温かい飲み物でも容易してくれ。 人手が足りなければ後ろで様子を見ている叢雲にでも手伝わせろ」

 

 そう言って湊は床に火がついたままのジッポを置くと、部屋から出て行った。途中すれ違った叢雲が何か言いたそうにしていたがそれを無視して執務室へと戻る。

 

 少しでも気を落ち着けようと胸ポケットから煙草を取り出して口に咥えるが、ジッポを置いて来た事を思い出して舌打ちをしてしまう。今すぐにでも少女達にあのような罰を与えた人間に怒鳴り込みたい気持ちだったがどうにか冷静になるように自分に言い聞かせる。

 

「手始めに机から行くか」

 

 例え少女達が兵器としての扱いしか受けていないとしても、人型の生き物を拘束すると言う行為は必ず罪悪感を生み出す。罪悪感は不安を呼び寄せ、いつか復讐されるのでは無いかと恐怖に繋がる。

 

「必ず自分の目の届く範囲に置くはずだよな……」

 

 丁寧に探していても仕方が無いと判断した湊は手当たり次第引き出しを引き抜くと床にぶちまける。物に八つ当たりしても仕方が無いのだが、あまりに乱暴に引き出しを引き抜いたせいで右手に鋭い痛みが走る。

 

「何をボケてんだ俺は……」

 

 昨日から色々な事を経験したせいで忘れてしまっていた、執務室に隠してあるのであれば誰かが探し出していてもおかしくない。そしてこの傷を作った少女は昨晩は一体何をしていた。

 

「駆逐艦を束ねて敵陣に殴り込むか、探し物をしてたならそう言えば良かったのにな」

 

 この基地に来てからそれらしい鍵は既に見つけていた、そんな事に気付かない程熱くなっていたのかと自分に呆れてしまう。湊は執務室を出ると誰の物かも分からなかった寝室へと向かう。

 

 小さな机の引き出しを開くと4つのシンプルな鍵を取り出す。数は一致している、もしこれが違ったとしても再び探すか最悪元居た基地からチェーンカッターの1つでも借りてきたら良い。

 

「鍵、見つかりましたか……?」

 

 宿舎に戻った湊に阿武隈が声をかける。どうやら叢雲と2人で少女達に飲み物を配っているようだった。湊は阿武隈と叢雲に見つけてきた鍵を見せると鎖を外すために少女に近づく。

 

「み、みんなに酷い事をしたら……、許さないんだから!」

 

 黒髪の少女が湊の顔目掛けて中身の入ったマグカップを投げつける。中に入った液体は湯気が立つ程の温度だったが、それを浴びた湊は気にする様子も無く鎖に手を伸ばす。

 

「暁はお姉ちゃんなんだから、アンタなんかに好きにさせないんだからっ!」

 

「暁ちゃん落ち着いて!」

 

 自分の事を暁と呼んだ少女は湊の腕に噛みつく、阿武隈が必死で暁を宥めようとしているが、噛みつく力を緩める様子は無い。

 

「俺は大丈夫だ、阿武隈もそう慌てるな」

 

 慌てている阿武隈に声をかけた湊はゆっくりと暁へと噛まれていない左手を伸ばす。たったそれだけの動作なのだが、暁は異常なほど怯えた様子を見せた。

 

「い……、嫌っ!」

 

 恐らくは殴られるとでも思ったのだろうか、恐怖に負けて目を閉じた事で瞳から大粒の涙が零れる。しかし伸ばされた手は暁の頭に乗るとゆっくりと撫で始めた。

 

「ちゃんと妹達を守ってやるなんて偉いな」

 

 湊にとってはいつかの自分の姿が重なったような気がした、弟や妹のために年上の相手にだって立ち向かって行った、何度もボロボロにされてしまったがそれでも必死で立ち向かっていたと思う。

 

「もう良いんだ、お前は立派に妹達を守れたんだ」

 

「暁は響を……、雷や電を守れたの?」

 

 湊は少女の問いかけに優しく頷く、その瞬間少女の身体から力が抜け床に頭を打ち付けそうになったのを慌てて支える。他の子と比べても痣や服がボロボロになっている箇所が多い、文字通りこの少女は自分が犠牲になることで妹達が傷つかないようにと必死で頑張り続けていたのだろう。

 

「阿武隈、毛布を寄こせ」

 

「は、はいっ!」

 

 阿武隈から毛布を受け取った湊は暁を包んでやると、足に繋がれた鎖の鍵穴へと持ってきた鍵を差し込む。足枷はカチリという音を立ててから床へと落ちた。

 

「良かった、これで合ってたみたいだな」

 

 湊は暁を叢雲に預けると、次に銀色の髪をした少女の前まで移動する。やはり暁と同じようにこちらに敵意を向けてきていたが噛みついてくる事は無かった。

 

「もしかして君が2番目のお姉さんかな?」

 

「アンタ、知ってたの?」

 

 何も反応の無い少女の代わりに叢雲が肯定する発言をした。決して少女達の事を知っていた訳では無いが、少女達が互いに守ろうとしている子達の事を考えると自然とその順番が理解できる。

 

「名前、教えて貰っても良いかな?」

 

「……響だよ」

 

「響も良く頑張ったな、立派だったぞ」

 

 暁が俺に噛みついて来た時に茶色の髪をした少女2人を守る様に抱き締めたのが響だった。そして響の腕の中で必死にヘヤピンを付けた少女が中心の子を抱き締めている、この子達は自分達の妹を守ろうと全員で戦っていたのだろう。

 

 湊が響の頭を撫でると、緊張の糸が切れたのか響は嗚咽を漏らしながら泣き始めてしまった。阿武隈がそっと響を抱き締めて落ち着かせてくれている間に湊が響に繋がれた足枷を外す。

 

「君も名前を教えて貰えるかな?」

 

「雷よ、私は後で良いから先に電のを外してあげて……」

 

 次に湊は雷と名乗った少女の足枷を外そうとしたのだが、先に妹の足枷を外してくれと頼まれてしまった。別に順番を気にしていなかった湊は電と呼ばれた少女の足枷を外す事にする。

 

「電は最後で良いのです、雷ちゃんから先に外して欲しいのです……」

 

 湊にとってはこの際どちらからでも良いと思ったのだが、姉を立てるべきなのかどうかを悩んでしまう。そんなくだらない事を考えて居る湊に叢雲が鍵を寄こせと肩を叩いた。

 

「同時ならお互い文句無いでしょ?」

 

 少女達を鎖から解放した所までは良かったのだが、緊張の糸が切れて泣き出した電につられて全員が泣き出してしまった。湊は必死で泣き止むようにと声をかけていたが、結局全員が泣き疲れて眠るまで泣き止むことは無かった。

 

「俺が暁と響を運ぶから、2人は雷と電を頼む」

 

 湊は眠ってしまった暁と響を起こさないようにそっと抱き上げる、阿武隈は雷を叢雲は電を背負って少女達を閉じ込めていた部屋から出る。長い時間真っ暗な部屋に居たせいか、太陽の光から逃げるように湊が抱えていた2人が体を捩じったせいで湊は慌てて抱きなおす。

 

「アンタにしては良くやったわね、褒めてあげるわよ」

 

「あたし的にも感謝してます!」

 

 急に礼を言われた事で恥ずかしくなってしまったのか、湊は何か良い誤魔化し方が無いか考える。

 

「んー、礼より先にコイツ等を風呂に入れないとな、ちょっと臭い」

 

 湊の誤魔化し方は決して少女に使って良い誤魔化し方では無かった。その言葉を聞いた阿武隈と叢雲は湊に冷たい視線を送る。

 

「アンタ最っ低ね、さっきのは無しにして」

 

「あたしやっぱりこの人苦手かも……」

 

 先ほどとは正反対の言葉を投げつけられた湊だったが、その表情は明るかった。阿武隈も叢雲も冗談だとは理解しているようで、湊に対して文句を並べていたが2人とも嬉しそうだった。

 

「っと、ここから先は私達に任せて」

 

「流石に阿武隈や叢雲じゃ2人は抱えられないだろ」

 

「私達が先に雷ちゃんと電ちゃんを入渠させてくるので、ここで待っててくださいぃ!」

 

「お、おう」

 

 入渠施設と呼ばれる建物の前についた湊は突然慌てだした2人にその場で待つように指示されてしまった。阿武隈と叢雲は慌ただしく雷と電を抱えたまま中に入ると、息を切らせて戻って来た。

 

「なぁ、俺も手伝おうか?」

 

「良いから! あんたはそこで大人しく待ってなさい!」

 

「こ、ここは艦娘のメンテナンスを行う場所なんです! 私的には知識の無い湊さんが下手に手を出さない方が良いかなって」

 

「そういう事なら仕方ないか、じゃあ暁達をよろしくな」

 

 専門知識が無い以上は黙って少女達の指示に従おうと決めた湊は今回の出来事を確認するために執務室に戻った。

 

「さて、どうしたものか」

 

 執務室はまるで空き巣にでも入られたのでは無いかと思える程散乱しているが、荒らした張本人である湊は先に片付けるべきなのかどうか悩んでいた。

 

「片付けは後で良いか……」

 

 湊は手の届く範囲に散乱した資料を集めながら机までの道のりを確保すると、椅子に腰かけ電話を手繰り寄せると元上司に連絡を入れる。軍の管轄が違う以上は詳しい情報は聞けるとは思えなかったが、少なくとも部屋を片付けているよりは有意義な情報が手に入ると考えていた。

 

「こちら鹿屋基地の湊です、中将に確認したい事があるのですが」

 

『あら、湊さんでしたか。 すぐに代わりますね』

 

 電話に出たのは淀川だった、まだこの基地にきて1日しか経っていないが湊は淀川の声を聞いて懐かしい気分になっていた。

 

『どうした、もう根を上げたのか?』

 

「根を上げたと言えばそちらに戻して貰えるんですか?」

 

 淀川の声を聞いて懐かしんでいた湊だったが、低く威圧するような声が聞こえてきて気持ちを切り替える。

 

『用件は何だ?』

 

「以前鹿屋に居た提督が部下を監禁していたようです、これは上に報告しても大丈夫でしょうか?」

 

『貴様も命令違反をした部下に謹慎を与える事があっただろう、何の問題があるんだ?』

 

「まぁ、そう言われてしまうと身も蓋も無いのですが。 それで、俺が鹿屋に来る前にここを管理していた者の情報や、問題なんかの情報って無いですかね?」

 

 艦娘という存在が何処まで公にされているのか分からない湊にとって、先ほどの事件の内容を他人に伝えるというのは難しいようだった。

 

『儂から教える事はできんが、海軍の知り合いの連絡先を教えてやるからそちらに聞いてみると良い。 相手にしてもらえなければ陸の狐が海の狸に用があると言えば答えてくれるだろう』

 

 湊は中将に告げられた名前と電話番号を適当な資料の裏にメモしていく。

 

「教える事はできないという事は、ある程度は中将も知っていたって事ですよね? 事前に説明して頂ければもっと上手く立ち回る事ができたんですけどね」

 

 湊と中将の間に沈黙が続く、冷静を装っていても湊にとっては今回の事件は許すことができない内容だった。

 

『生意気な口を利くようになったものだ。 施設を思い出して機嫌でも悪くなったのか?』

 

「ええ、ガキの御守りなんて施設に居た頃以来ですよ。 それじゃあ、連絡先ありがとうございました」

 

 中将にも音が聞こえるように湊は乱暴に受話器を叩きつける。そして大きく深呼吸を繰り返した後叩きつけた受話器を拾い直しメモに書かれた番号を入力していく。

 

『こちら呉鎮守府です、ご用件は何でしょうか?』

 

「鹿屋基地の湊臨時少佐と申しますが、そちらの提督とお話をさせて頂いても大丈夫でしょうか?」

 

『申し訳ありません、提督は現在誰の連絡も取り次ぐなとの事なので……』

 

「陸の狐が海の狸に用があると連絡してもらっても大丈夫ですか?」

 

『狐に狸ですか、少々お待ちください』

 

 湊は中将に言われた通りに伝えてみると、数分して明らかに怒りの籠った男の声が聞こえてきた。

 

『儂に何の用だ?』

 

「初めまして、鹿屋基地に所属している湊臨時少佐です」

 

『自己紹介など要らん、何の用かと聞いておる』

 

 妙に威圧的な態度に1度は落ち着いた湊の怒りに再び火が付き始める。

 

「端的に申し上げますが、私が鹿屋に来る前にここを管理していた者は大層なクズみたいですね。 そんな男の情報を頂きたいのですが?」

 

『……暁型駆逐艦の事か』

 

「ご存知でしたか、そうであれば海軍とは組織で子供を鎖で繋ぐようなクソ野郎共の集まりだったという事ですね」

 

『貴様、誰に向かって口を利いているか分かっているのか?』

 

「ええ、子供を監禁するようなクソ野郎の親玉を相手にしていると理解しています。 階級が上がれば何をしても許されるとでも思っているのでしょうか?」

 

 湊の頭には完全に血が上っていた、呉の提督も湊の言動に対し怒りを覚えたのか互いの言葉は徐々に乱暴な物に変わっていく。

 

『鹿屋の艦娘の管理については前任の提督に一任してあった、前任がそうする事が艦娘の運用に繋がると考えての行動であれば間違った事をしていたとは言い切れん』

 

「それ本気で言っているんですか? 言う事の聞かない子供に体罰を与え命令を聞かせる事が本当に間違ってなかったと思っているのですか?」

 

『人道から外れた行為なのは儂も理解している、しかしそれ程にも海は危険に晒されておるのだ。 今は使えぬ兵器でもどうにか使う道を模索しろ大本営からの指示もあった』

 

「なるほど、戦に負けているのは少女達があんたの言う事を聞かない事が原因だと言いたいのですか?」

 

 湊にとって暁達の事も許せなかったのだが、少女達の事を兵器だと言い切った提督の発言が何よりも許せなかった。

 

「この際だから言わせてもらいますが、戦に負ける理由を艦のせいにするとは、それでもあんた達は船乗りなんですか? おっと、デスクワークで上に上がった提督には皮肉にもなりませんでしたね」

 

『……何も知らない癖に好き勝手言いおって! 艦娘は間違いなく欠陥兵器だ、前任の提督の資料にもそう書かれておる。 貴様は余計な事に首を突っ込むんじゃない!』

 

「欠陥兵器ですか、自分達が運用できなければ欠陥だと言うのはガキの我儘と何も変わりませんよ。 近いうちに少女達は間違いなくこの国の希望になります、その時に悔しがっても手遅れですからね」

 

『面白い、1週間後に呉から鹿屋に艦娘を輸送する作戦がある。 陸路を使おうと思っていたが、貴様の信じる少女達に護衛を任せようと思うが良いかね?』

 

「分かりました、詳細を鹿屋に送ってください。 私はクソ野郎の後片付けがあるのでこれで」

 

『……その任務に失敗したならば大本営も艦娘に頼ろうなど馬鹿な考えは捨てるだろう』

 

 湊は呉の提督の捨て台詞を聞き終えると再び受話器を机に叩きつけた。怒鳴りすぎて喉を傷めたのか湊が首を擦っていると、執務室の扉がゆっくりと開かれた。

 

 

 

 

 

 執務室で怒鳴っていた湊とは別に食堂でも少女達が難しそうな表情を浮かべ小さな会議を開いていた。

 

「それじゃあ第5回駆逐艦会議を始めるわよ」

 

「あの、あたしは駆逐艦じゃないんだけど……?」

 

「阿武隈さんはゲストよ、良いから本題に入るわね。 今回はアイツの事について意見を出してもらうわよ」

 

 叢雲はどこから持って来たのか分からないホワイトボードを叩くと意見を出すように声を荒げた。

 

「夕立は怖い人だけど、本当は良い人だと思うっぽい!」

 

「僕も夕立と同じ意見かな、直接話した訳じゃないからはっきりした事は分からないけど」

 

「あたし的にはOKですけど、ちょっとデリカシーが足りないかなぁって……」

 

「意外ね、もっと否定的な意見が出ると思ってたわよ」

 

 ここに居る全員の意見が肯定的だったのは間違いなく湊が暁達を助けた事に関係していた。この会議が開かれて5回目になるのだが、1回から4回までは全て暁達をどのようにして助けるかという議題で行われている。

 

「叢雲ちゃんが1番話をしていると思うし、叢雲ちゃんの意見も聞きたいかな」

 

 叢雲は阿武隈に話題を振られ腕を組んで考える。少女にとって湊の第一印象は決して良いとは言えなかった、式でも勝手な行動をしていたし正直に言ってしまえば暁達の件が無ければ印象は最悪だった。

 

「少なくとも私達の事を兵器としては扱って無いと思う」

 

「だったらもっと早く暁達の事を教えれば良かったっぽい!」

 

「結果的にそうだけど、何も知らない彼が暁達を見て僕達の事を間違った方向に勘違いされるとって考えると焦らなくて正解だったと思うよ」

 

「良くも悪くもあいつは無知なのよ。 艦娘についてだってここに着任するまで知らなかったみたいだし」

 

「じゃあ今のうちに私達の事を教えるってのはどうかな? そうしたらきっと優しくしてくれるっぽい!」

 

 叢雲は夕立の言葉を聞いて考える、恐らくは夕立の言う通りになるとは思ってもそれは『ぽい』ではダメなのだ。もしかしたら湊が叢雲達を騙すために演技をしている可能性を考えればここはもう少し様子を伺った方が良いと判断する。

 

「叢雲ちゃん?」

 

「何よ」

 

「思ってる事はちゃんと言葉にした方が良いよ、この問題はあたし達全員の問題なんだから、叢雲ちゃんだけが悩む必要は無いからね?」

 

 阿武隈の言葉を聞いて叢雲は大きく溜め息をついた、阿武隈は普段は頼りないとしか思えないが、時折見せる真剣な表情は叢雲達駆逐艦にとって最も信用の置ける軽巡洋艦なのだと自覚させる事がある。

 

「私はまだ信用できるかどうか分からないわね」

 

「叢雲の意見を否定する訳じゃないけど、僕は信じてみたいと思う。 もしかしたら艦の記憶がそうさせているのかもしれないけど、そうしないと始まらないと思うんだ」

 

 時雨の言葉を聞いて全員が黙ってしまった。艦の記憶を持つ少女達には人を信用したいという思いは確かにあった、個人差はあってもかつて人と協力して戦い、共に沈んでいった仲間達の事を疑うような真似はしたくなかった。

 

「そうね、裏切られる事ばかりを考えても前に進めないわよね」

 

「うん、分かってくれて嬉し──

 

 時雨の言葉を遮る様にして食堂の扉が音を立てて開かれる、少女達は一斉に音のした方向へ視線を向けると肩で息をしている天龍が立っていた。

 

「おい! ガキ共が居ねぇぞ!?」

 

 天龍は暁達が目覚めた時に不安になるとまずいと言って入渠施設で待ってくれていたはずだが、その一言で椅子に座っていた少女達は一斉に立ち上がった。

 

「まずいわね、脱走とかだったら下手すると解体もありえるわよ?」

 

「他の人に見つかる前にあたし達で先に見つけましょう、あたしは艤装が有るかを確認してきます」

 

「夕立は正門に向かって! 僕は桟橋の方を見てくる!」

 

「俺は鎮守府の周りを走って探してくる!」

 

 こうして少女達による暁姉妹捜索作戦が開始された。阿武隈は艤装が置かれた倉庫の中を必死で探した。

 

「艤装は有るみたいだし、海には出てないかな。 もしかして隅の方に隠れてたり……?」

 

 必死で棚を動かし衣服が汚れるのも気にせず倉庫のありとあらゆる場所を探していた。

 

 夕立は正門に辿り着くと周囲を見渡した。

 

「居ないっぽいぃ……。 そうだ、もっと高い所から探せばよく見えるっぽい!」

 

 木に登る途中毛虫と目があって何度も地面に落下したが、それでも夕立は諦めなかった。

 

 時雨は桟橋に置かれたテトラポットの中を確認していた。

 

「隠れるなら人目の付かない場所だよね。 おーい、暁ー?」

 

 時雨の返事に答えたのは大量のフナ虫だった、時雨は顔を真っ青にして咄嗟に飛びのいたが、足場の悪いテトラポットの上から転げ落ちる事になった。

 

 天龍は走っていた。

 

「ガキ共ー! 何処だー!」

 

 どうにか数十分かけて1週したが、暁達の事を見つける事はできず見落としたのかもしれないとひたすら走り続けた。

 

 叢雲は鎮守府に居る他の艦娘に暁達を見なかったかと聞いて回った。

 

「す、すみません! 睡眠中とは知らずに、お騒がせしました!」

 

 しかしもう昼過ぎだと言うのに眠っていた元上司の部屋を訪ねてしまい機嫌を損ねないようにと必死で頭を下げた。

 

 そんな必死な少女達とは関係ない場所で捜索作戦の目的は宙を舞っていた。

 

「すごいのです! 力持ちなのです!」

 

「危ないから絶対に手を離すなよ?」

 

 湊は電の両手を掴むとしっかりと軸足を決め回転しながら電を振り回していた。30秒ほど回転するとゆっくりと電を抱きかかえ床に降ろしてやった。

 

「次は私の番だよ」

 

「ちょ、ちょっとだけ休憩させてくれ……」

 

「目が回ったけど楽しかったのです!」

 

 そうして少女達の捜索作戦は日が沈みかける頃に暁達が居なくなったと湊に報告すると覚悟を決めた事で終わりを告げた。

 

「で、あんたは何やってんのよ」

 

「何って、こいつらがじゃれてくるから……」

 

 執務室に集まった少女達は皆悲惨な状態になっていた。阿武隈は服のあちこちに油がついており、自慢の前髪には大きな綿埃がついていた。

 

「もうやだ……」

 

 夕立の頭には木の葉が乗っており、服のあちこちが破れてしまっていた。

 

「も、も~ばかぁ~!」

 

 時雨は海にでも落ちたのか濡れてしまった靴を手に持っていた。

 

「君達には失望したよ……」

 

 叢雲は外見こそ他の子と比べればまともだったが、精神的にかなり追い詰められたような表情をしていた。

 

「……ありえない」

 

 そんな満身創痍な少女達を他所に暁達は湊に遊んでもらおうと騒いでいた。

 

「頭をなでなでしないでよ! もう子供じゃないって言ってるでしょ!」

 

「暁もそう言っているし、代わりに私の頭を撫でてもらっても構わないよ」

 

「響ちゃん順番飛ばしは良くないのです!」

 

「みんなちょっとは落ち着きなさいよ! 電こそ順番飛ばししないでよ!」

 

 本当は心配をかけた事に対して怒鳴ってやりたいと叢雲は思っていたが、久しぶりに笑顔を見せている暁達を見てどうでも良くなってしまった。

 

「いい加減離れろって!」

 

「はわわわ、怒っちゃったのです!」

 

「君達、いい加減にしないと怒るよ?」

 

 時雨の一言で全員が黙った、執務室の温度が一気に下がってしまったのでは無いかと思える程の緊張感に、何故か怒られる立場では無い夕立までも怯えてしまっていた。

 

「えっと、暁ちゃん達はどうしてここに居るのかな……?」

 

 長い沈黙を破ったのは阿武隈だった。

 

「一人前のレディとして、お礼は言わなきゃダメだと思って……」

 

「私も暁と同じだ」

 

「そうそう、お礼はちゃんとしないとね」

 

「みんなと同じなのです!」

 

 暁達の言葉を聞いて少女達は一斉にその場に崩れ落ちた、素直過ぎるその言葉に叢雲と同じように怒る気力が無くなってしまったようだった。

 

「ところで、君達とは初対面だよな?」

 

 湊は背中合わせに座り込んだ時雨と夕立に声をかけた。

 

「僕は白露型駆逐艦、時雨。 隣に居る夕立の姉になるかな」

 

「白露型駆逐艦、夕立よ。 時雨の妹っぽい!」

 

 鹿屋基地で空気が読めないと言えば夕立だったが、湊はそれ以上に空気が読めていないような気がする。叢雲達からすればこの場はまず自分達の心配をするのが優先されるのでは無いかと思っていた。

 

「2人共駆逐艦か。 阿武隈は軽巡洋艦だったよな、他の艦種ってこの基地に居ないのか?」

 

「居るわよ、と言っても軽巡洋艦が3人に重巡洋艦が1人、戦艦が3人と1人かしら。 あんたの事を信用できるまではどこかで監視てもしてるんじゃないかしら」

 

「なんというか複雑な気分だな、暁達の事を考えると仕方が無いのかもしれないけどな。 それと、折角集まったみたいだから伝えておくけど、明日から海上で訓練を開始するから0600に偽装をつけて桟橋に集合する事」

 

「夕立海に出れるっぽい!?」

 

 湊の言葉に1番に反応したのは夕立だった、他の少女達も夕立程大袈裟では無かったが、久しぶりに海の上を走れると考えると口元が緩んでいた。

 

「出れるっぽいぞ。 そろそろ本格的に君達の事を知る必要が出てきたしな、艦娘なんだから陸上よりも海上の方が良いだろ?」

 

「そんな勝手な事して良いの? 艤装を付けるって事はあんたが撃たれるとかそういう心配しない訳?」

 

 湊の前任は艦娘の反抗を恐れて一部の従順な艦娘にしか艤装を装着させていなかった。

 

「……もし俺目掛けて撃ってきたら罰として執務室の片付けをやってもらうからな」

 

 湊はそう言って部屋の隅に乱雑に集められた資料の山を指差す、中には『機密』と書かれた判子の押されている物もあり、それを見た少女達は呆れてしまった。

 

「でも、本には6人が良いって書いてたしこのままだと2人余るのか」

 

「僕は待機で良いよ、暁達をバラバラにするのは可哀そうだし、夕立はもう自分が海に出る気みたいだしね」

 

「うぅ~んっ! 楽しみっぽい!」

 

 夕立には時雨達の会話は届いていないのか、期待に目を輝かせ気持ちだけは先に海の上へと飛んで行ってしまっているようだった。

 

「どんな訓練にするの?」

 

「一応水雷戦隊ってのを組んで、護衛任務を想定した訓練にするつもりだ」

 

 叢雲の質問に湊は答える。

 

「そう、なら旗艦は阿武隈さんになるし、私も留守番で良いわよ」

 

「そうか、ありがとう。でも、一応時雨と叢雲も時間になった艤装をつけて桟橋に来てくれ。 それと───

 

「そうだ! 夕立達はあなたの事をなんて呼べば良いの?」

 

 我に返った夕立が湊の言葉を遮る。その言葉に執務室に居た全員がハッとした表情で湊に視線を集める。唯一叢雲だけは出会った時に自己紹介を受けていたし、鹿屋に着任した理由も聞いていたので興味無さそうにしていた。

 

「そういえば叢雲以外には自己紹介してなかったか、俺の名前は湊。 階級は臨時少佐で鹿屋には教官として新兵を鍛えてやって欲しいって指示を受けて着任している」

 

「みなとさんですか、私達にぴったりな名前なのです!」

 

「たぶん電が考えてるのは『港』の方だな、残念だけど漢字は違うぞ? 意味は一緒らしいけど、さんずいに奏でるって書いて湊だ」

 

 そう言って湊は胸ポケットにしまっていた身分証を電に見せた、全員がそれを見たかったのか電の上から覗き込むようにして電が潰されてしまった。

 

「重いのです!」

 

 しかしそんな電の悲鳴よりも少女達の視線は身分証の湊の写真に集中していた。

 

「一人前のレディは見た目で人を判断しないんだからね!」

 

「頭がいがぐりみたいなのです!」

 

「何か悪い事したっぽい?」

 

「あたし的には絶対NGかなって……」

 

「さすがにこれは恥ずかしいな」

 

 少女達に見せた身分証には軍服に坊主頭という正直お世辞にも見た目が良いと言う物では無かった、それだけでも威圧感は十分だったのだが写真に写っている湊の目付きの悪さが更に犯罪者のようなイメージを醸し出していた。

 

「髪の事には触れないでくれ、今はこうして伸びてるだろ」

 

「大丈夫、雷は髪型や目つきで人を嫌ったりしないわよ! それに、叢雲や天龍さんみたいに目付きが悪くても良い人だっていっぱい居るもの!」

 

 雷の言葉に叢雲、阿武隈、時雨、夕立が固まった。その様子を不思議に思った湊は尋ねた。

 

「どうした? そんなに目付きが悪いっての気にしてたのか?」

 

 暁姉妹捜索作戦が開始されて既に2時間近くが経っていた、しかしこの場には作戦に参加した艦娘が1人足りない。

 

「あんた達! 天龍さんを探すわよ!?」

 

 叢雲達は暁達の手を引き執務室を飛び出した、結局天龍は日が沈み真っ暗な道をフラフラと走っている所を湊によって保護された───。


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