衛宮士郎と言う男性が、この酒場『豊饒の女主人』に現れてはや二月が経った。
現れたと言うには少し語弊があるかもしれない。なぜなら彼を此処に連れて来たのは他でもない自分だ。
最初に彼を見つけた時は本当に放置しようかと考えた。
傷だらけの男性。シャツに血がこびり付いて乾いてしまい黒ずんでしまっている。
恐らく、脱がそうとしたらシャツと一緒に皮膚も付いてきそうだった。
ざっと彼の傷の具合を一舐めするように観察する。
致命傷…に近いか。
仮にここで私が彼に治療を施したとして、助かる確率は五分より悪い。8対2、それすら楽観視の嫌いがある。
…息はある。
微かに、確かにある。
赤銅の髪、少し黄色い肌。身長は高くない。しかし幼少の頃から鍛えているのだろう、見ただけで分かるしなやかな筋肉をしている。
戦う者であることは間違いない。
しかしこの傷がどうやって付いたのか、そこが問題だ。
無辜の街の住人に襲い掛かり、返り討ちにあったというのならこのまま---
「みんな、生きて…生きて、くれ…」
「……」
「どうか…みんな…」
「---」
譫言を繰り返す。その言葉には力強い願いが多分に含まれていた。
自己では無い。彼以外の誰かに向けた願い。
思わず息を飲む。彼は言う「みんな」と、愛すべきものが居るならまだ分かる。
しかしみんなと、彼は漏らしている。彼が願う『みんな』とは一人二人の話では無いのだろう。
本当に、そんなことがあるのだろうか…?
一人の人間が、死ぬ程の目に遭いながら誰かを想うことが出来るのか?
考えてゾクリと、背筋が凍った。そんな訳が無い。そんな訳がある筈が無い。
なのに、彼の顔には
「これで、いい…これで…」
満ち足りた顔でそう呟いていた。
「―――くっ」
気づいたら彼に治療を施し、担いでいた。
馬鹿な事をしている。どこに彼を連れて行こうと言うのか…。決まっている、私を救ってくれた母さんのとこだ。
豊饒の女主人の店主、ミア母さん。彼女の所には脛に傷があるような訳ありの子ばかり集まる。
無論、自分も例外では無い。過去の傷を背負い、引きずっている。
「しっかし、驚いたね。あんたがまさか男を連れ込むなんて」
「ごめんなさいミア母さん。だけど…」
「いい、いい。あんたの顔を見たらなんにも言えないさね。自分の気が済むようにするといい」
「ありがとうございます」
「リュー、その男を助けることであんたは―――」
「ミア母さん」
「…あぁ、すまない。やだね、歳を取ると口が軽くなる」
ミア母さんの言葉の続きを、私は遮った。聞きたくなかったし、自覚なんてもっとしたくなかった。
過去の過ちを、彼を助けることで清算しようと?まさか、それこそまさかだ。
私はただ…。
「ありがとう。君は命の恩人だ」
「それは…」
目覚めた彼が、私に微笑みかける。
少し、自分の脈の慟哭を感じた。
私はなにを…こんな事で、色を知らぬ訳ではないと言うのに
…知らないことにしていて欲しい。
頬に熱を感じた。それはなぜか…?
分かっている。そんなこと、私は分かっている。
彼の笑顔があまりにも寂しそうで…。
だけどきっと、救われたような安堵の笑顔が妙に印象に残ったからだ。
きっとこの時の彼の笑顔を、私は一生忘れないだろう。そんな確信めいた予感を覚えた。
彼と出会って二月。
彼の人間性がよく分かった。
一言で言うなら彼は、頭がイカレている。
なぜにこうも問題事ばかり背負い込むのだろう?
ある日、迷子の女の子を無事に家に帰すために街の外にある集落まで送って行った。
勿論、私は怒った。
モンスターはダンジョンだけに生息している訳ではない。
森に棲む動物が凶悪化してモンスターになることなんて稀ではない。それこそ私達が生きている事と同じレベルでよくあることだ。
店に戻って来た彼は案の定傷だらけだった。
女の子を庇い続けていたら彼女の両親が助けてくれたらしい。
なんという幸運か。
ある日は、たまたまミア母さんが不在の店で、うちの子がある客に粗相をしてしまった。
激高した客がその子に手を上げようと拳を振りかざした。彼女の位置は私からは遠く、駆けても間に合わない。
一撃貰ってしまうことを覚悟すると同時に、奴にどんな地獄を見せてやろうかと考えを走らせる。
振り降ろされる拳、しかしその拳はウェイトレスに届く前に『彼』が立ちはだかる。
鈍い音が店内に響く。
血の気が下がると同時に、歯を食いしばる音が自分の耳に届いた。そうだ、私は激怒した。彼を、彼を傷つけた!
歯が砕ける音は自分の中から聞こえた。なぜだろう?分からない。ただ私は駆けた、彼の元へ
しかし
「なにを、考えてやがる…」
「なんだてめぇ?」
「女の子に手を上げるなんざ、男のやることじゃない!」
「ガキが、調子に乗るな!!」
「てめぇこそ調子に乗るな!俺の仲間に手を上げるなんて許さない!」
「てめぇの許しなんざいらねぇよ!!」
また一撃、彼の頬に許してしまった。
我慢なんて出来ない。あの男はここで―――
「いい加減にしろ、貴様の行為、目に余る」
「なっ―――!!?」
一人のハイエルフが暴漢の喉元に杖を突きつける。
それは杖だ。刃物では無い。しかし向けられた杖に明らかに殺傷力が込められていた。
刺さることは無いだろう。潰れることだってあり得ない。
だが奴は、自分の首が飛ぶ未来を植え付けられた。
もう奴はここでその拳を振り回すことなど出来ない。それをすれば自分の命が無いことを痛感させられたのだから。
みっともない負け犬の捨て台詞を吐いて奴は店から消えた。(勘定は勿論頂戴している)
「身を挺して女性を守ることは美徳だが、蛮勇は捨て置けないぞ。少年」
「ありがとうございます。えっと…」
「リヴェリア・リヨス・アールヴだ。ロキ・ファミリアに所属している」
「改めてありがとうございます。アールヴさん」
「ふふっ、なに、リヴェリアでいい。君の名は?勇敢か蛮勇か、評価に難しい少年?」
「衛宮、衛宮士郎です。ありがとうございます。リヴェリアさん。あと、あれは勇敢でも蛮勇でもありません」
「ほぉ?ではなんだと…?」
「…?当然のことだろ」
「―――は?」
「いや、
「…」
「あれ?」
「ははっ、なるほど!君は馬鹿か」
「OK、喧嘩なら買うぞ」
「待て待て、そんなつもりは無い。それに褒め言葉のつもりだぞ?」
「絶対他意があった!」
「怒るな怒るな。しょうねん?」
「くっ―――」
…あの語尾には絶対他意がある気がする。
しかし彼女の言葉には全面的に同意する。
彼は底なしの馬鹿だ。
あの男はだらしなく、みっともない体をしていたが間違いなくレベル3の冒険者だ。
疑問が一つ。
なぜ彼は、
またある日。
彼は女の子を助けるためにその身を投げ出した。
またある日。
彼は少女を助けるためにその身を投げ出した。
またある日。
彼は私の前に立ち、手荒に私を軟派しようとした輩を追い払った。
「…」
どうも彼が助ける人たちは女の子の割合が高すぎる気もするが…。
いや、そうでは無い。
ここで大事にするのはそこでは無い。彼は人を助ける。
なんの見返りも求めず、ただそうしたいから彼はそうするのだ。
血を流すことになろうと、傷を負う事になろうと
彼はそこには頓着しない。
まるでその背中は
―――
今回は幕間の物語というか
リュー視点での士郎の姿。
物語を進める前に必要かと思い、急遽挟みました。
感想、コメント、お気に入りありがとうございます。
人様に公開するのは初めてなので戸惑うばかりです。
これからもがんばります。