時は少し遡りC.E.71 3月
ストライクのパイロット、キラ・ヤマトの奮戦の結果これまで幾度となく難敵を退けて来たアークエンジェル一行であったが、そんな彼等は今大海原を超えて一路連合軍最高司令部があるアラスカ基地を目指し太平洋への入口であるマラッカ海峡を通過しようと試みていたのである...。
地球赤道直下にある国、赤道連合と呼ばれるこの国はオーブ連合首長国やスカンジナビア王国などと同様中立国である。
東南アジアから南アジア一帯に跨る無数の諸島を抱えたこの地域は、海上の要衝として古代より栄え戦前は世界中の航路と結ばれ地球で最も人口が密集した地域でもあった。
それが為、プラントが地球連合によるユニウス7への核攻撃に対する報復として地球上に無差別撃ち込んだ核を無力化する新兵器NJによる深刻なエネルギー不足とインフラの破壊による飢饉と疫病の蔓延、通称『エイプリルフールクライシス』によって世界中で発生した難民達が海を渡って押し寄せて来たのだ。
当初は難民キャンプの設置や中立地帯への避難誘導などの支援を行なっていたが、日々増大する難民数は到底一国で受け入れる事など不可能であり、特に群島が国土の過半を占める関係上利用可能な土地は限られ難民収容キャンプは常に飽和状態であった。
これらの解決に苦慮した時の赤道連合政府は、収容キャンプのキャパシティ過剰問題を解決する為放棄された洋上採掘基地を転用しそれらを繋ぎ合わせる事で何とか必要用地を確保しようと試みたのである。
その一つがマラッカ海峡端にあるここ水上都市リグであった。
頬を撫でる赤道特有の生暖かく湿った空気を肌で感じながら、フィリップ・カウフマンは手すりに身を寄せ眼下の水上都市の様子を眺めていた。
朝から水上都市の周りには大小様々な船がひしめき合い、桟橋や長い階段あるいはクレーンで船ごと持ち上げながら難民達の列は今日も水上都市の門戸をくぐる。
基地の通りではバザーが開かれ、多くの人々が日々の食糧や生活品、消耗品を買い求め周囲には客を引く威勢のよい店主や廃品を扱うジャンク屋達の声が響く。
通りを歩く人々の様相は様々でその殆どが彼方此方で被災し難民となってここリグに辿り着いたもの達であり、よく見れば道端に座り込んだザフトや連合軍の軍服を着崩した脱走兵達の姿もちらほらと見える。
そんな人々の雑踏の中を静々と一列に歩く集団があった。
皆一様にサンダル履きに剃られた頭髪、古代の人々が身につけたと言うトーガによく似た衣を纏い、手にはお椀を掲げるように持ってバザーを行進していく。
宗教の権威が著しく堕ちたこの時代にありながらも托鉢僧の集団にバザーの人々は皆手を合わせ深々と一礼し、或は買ったばかりの食べ物やお金を鉢の中へと入れる。
ここでは誰もが僧侶達に深い感謝と敬意の念を抱いているのが良く分かる光景だ、見れば道端に座り込んだ脱走兵達も托鉢僧の列が通りかかるとある者は帽子を脱ぎあるいは深々と頭を下げているではないか。
ここが出来た当初から僧侶達は難民達に炊き出しや怪我や病気の治療を施し、戦争で身寄りを無くした老人の世話や家族を失った孤児達を引き取って孤児院を経営している。
最も困難な時期に手を差し伸べてくれたのが彼ら南洋同盟の僧侶達であり、信仰を失って久しい人々にすら畏敬の念を呼びおこさ、戦争による行き場のない者達の最後の拠り所、水上都市リグとはまさにそんな場所であったのだ。
「カウフマン少佐、至急住職がお会いになりたいそうです」
少佐と呼ばれた男、共和国地上軍潜水艦隊所属マッドラングラー隊を率いるフィリップ・カウフマンはこの年30代半ば、左右を刈り上げポマードをかけた黒髪に海の色を写したブルーの瞳、精悍な顔付きをして肌は南洋の陽に照らされて浅黒く日焼けしている。
カウフマンは身を預けていた手すりから離れ自分を呼びに来た南洋同盟の僧侶に向き直り先導する背中に続いた。
内心今度はどんな無茶な注文を付けられるのかとボヤきながらも、表には全く出さずリグ中央本殿へと向かう。
案内された本殿奥では水上都市リグの総代、ハリク・ワッタイ住職が両手を合わせ穏やかな声でまず謝意を伝えた。
「カウフマン少佐、此度の喜捨御仏も大変喜んでおられる事でしょう」
弛んだ顎に垂れ耳と福よかな面相をした歳とった住職の事を、カウフマンの部下達はパグに似ていると言っていた事をカウフマンは思い出していた。
「いえ、我らも御仏の為に働けて何よりです」
無論本心から帰依している訳ではない事などお互い百も承知の事である。
建国以来初めて地球に軍を派遣した共和国軍には、当然の事ながら地上での確固たる拠点などなかった。
地上軍司令官代理マ・クベ中将は地球上の反連合、反プラント組織など兎に角様々な組織*1と渡をつけ軍需物資のやり取りに資金援助や情報の交換などを行い何とか地盤を確保しようと腐心していた。
その一つがここ赤道連合内で近年急速に信者を伸ばす南洋同盟であり、共和国はとある奇妙な縁で彼らとの関係を構築することに成功している。
南洋同盟もまた共和国地上軍から援助を受けるのはそれ相応の訳があり、戦争が長期化するにつれ赤道連合政府や人道機関からの支援が滞る中、共和国からの援助は増え続ける難民を受け入れリグを維持し続ける以上必要不可欠であったのだ。
「で、お話というのは何でしょう?」
挨拶もそこそこに早速本題に入るべくカウフマンは油断のない目でワッタイ住職を見た。
『そこから先については私からお話ししよう』
だがその問いに答えたのは住職本人ではなく、全く予想だにしない人物であった。