63話「メモ」
会議室の中を包むヒリヒリとした緊張感の源である二人の派閥のうち、最初に発言したのは軍部からであった
「ティアンム提督、貴官には確かルナツーで大切な仕事があったと思うが、ここにいるという事はそれは全て終わったと言うことかね?」
「はい、いいえ、まだ艦隊の再編成と訓練は完了しておりません」
「では任務が完了したのでないのならば、一体ここに何をしに来た」
あからさまにティアンムを攻撃する姿勢の軍部に対し、そこに待ったをかける者がいた。
「ティアンム提督を呼んだのは私だ。何か問題があるのかね」
バハロ首相自らがそう言ってのけ、さしものゴップの取り巻き達もそれ以上追求する事が出来なかった。
「...少し場を改める必要があるな。どうだろうゴップ大将、ここらで一休憩は」
「首相閣下がそう仰られるのでしたら、私からは何も」
バハロ首相とゴップ大将がそう言った事で、一時休憩となった会議室から政府高官や軍首脳部が其々に割り当てられた休憩室へと向かう。
バハロ首相とティアンムも共に会議室から出て、少し会議室から離れた部屋に入る。
「どうかね、今のこの国を見て?君の率直な感想を聞きたい」
部屋に入り、一服する間もなく、バハロ首相はそう切り出す。
「は、では遠慮なく。率直に申し上げて、この国はあまりに戦争に無関心です」
バハロ首相はティアンム提督の言葉に反応することなく、しかし目で続きを促す。
「誰も彼もが己の出世や派閥争いに熱中し、戦争を何処から遠くのことにしています」
「今も戦場では兵士達が血を流し国にその身を捧げているにも関わらず、市民達でさえ戦争と言う現実から逃避しようとしています」
これでは散っていった兵士達がうかばれない、ティアンムの目はそう伝えていた。
「なるなるほど、実に軍人らしい意見だ」
バハロ首相の反応は蔑んでいるのかそれとも呆れているのか、そのどちらとも分からなかった。
「だからこそ今の我々には君のような人間が必要だ」
バハロは、そこで初めて気を許したかのような笑みを見せた。
「政治屋紛いの軍官僚ではなく、
実際に現場を見たものの意見が必要なのだ」
「聞かせてくれ、君の考えを」
十五分の休憩を挟み会議室へと戻ってきた時、部屋の中には巨大なスクリーンが運び込まれていた。
これから何が起きるのか訝しみながら全員が席に着き、それを待っていたかの様にスクリーンの脇にティアンム提督の姿が現れる。
「これより首相閣下の特別な計らいにより、作戦をこの場で説明させていただく」
訳もわからぬまま始まった説明に、当初誰もが困惑し真剣に話を聞こうとしなかった。
しかし一方的に進められる話の中で、幾つか気になる単語が現れる、最後には誰もが信じられないといった顔でティアンム提督の顔を見つめていた。
「...以上で説明を終わりたいと思います。何か質問は?」
その瞬間集まった者達は激昂し、口々にティアンム提督を非難した。
「こんな馬鹿げた作戦が認められるか!」
「君は、軍部は、シビリアンコントロールを何だと想っているんだ!明らかにこれは軍の独断先行であろ」
「ティアンム提督、統帥本部に相談もなしに勝手な真似を...!処罰は覚悟の上だろうな」
「そうだ明らかに軍部の監督不十分ではないか!」
「軍に責任を擦り付けるおつもりか!?言いがかりも甚だしい」
最初ティアンム批判であったそれは、次第に軍と政府との責任の擦り付けあいに発展する。
「静まらんか!」
しかし会議室の一角でそう怒号が飛ぶと、その瞬間部屋の中は水をうった様に静まりかえった。
そして声をあげた意外な人物を見て、彼等はますます混乱した。
普段昼行灯と噂される統帥本部長ゴップ大将その人が、声を荒げたからだ。
「コホン、失礼した。年を取るとどうも耳が遠くてね、声が大きくなっていかん」
そう本人は言うもののゴップ大将も矢張軍人と言うことか、あの瞬間周囲を従わせる無意識の威厳や圧力といったものが溢れていた。
(普段もそうしていればいいものの)
とは口が裂けても言えないことだが、改めてゴップ大将はティアンム提督を問いただす。
「ティアンム提督、その計画は君個人で建てたものか?」
「はい、私個人で書いたものです」
無論嘘である、ルナツーの参謀達やワッケイン司令達の手伝いもあって完成した計画だ。
「にしてはよく出来ている。では改めて問うが何故統帥本部に作戦の事を知らせなかった?」
「これは私個人が個人の時間を使って個人的に建てたものであり、謂わばメモ書きの様なもの。到底統帥本部に提出できるようなものではありません」
これは本当である、参加したメンバーの勤務時間を調整し、なるべく纏まった時間にこれらの計画の資料集めやシュミレーションを行った。
「では君が個人的に建てたメモ書きが何故この場にある」
「偶然今回持ってきた荷物の中に紛れ込んでいまして、首相閣下はそれを偶然にも目にされ閣下の要請でこの場での発表の次第となりました」
「ふむ、なるほど」
ゴップ大将の問に、あくまで軍規を侵していないとして話をはぐらかすティアンム。
二人のやり取りを、周囲の者達は緊張感をもって見守る。
「ふむ、つまりは君の個人的なメモを、我々は首相閣下と同じように偶然にも目にしたのだな」
「はい、あくまでも個人的な見解であります」
「なら私からは以上だ」
その発言に、回りの者達は騒然となった。
「ゴップ大将!宜しいのですか、これは明らかに軍規違反ですぞ」
「何、彼は単なるメモ書きと言っている。それに今ここで彼を処罰していては、今後統帥本部は一個人の走り書きでさえ確認せねばならないぞ」
そう言われて、ぐうの音も出ない軍官僚達。
「ティアンム提督も、わかっていると思うがあれはあくまでも君個人の意見であり、軍からの正式な計画書ではない。つまり、この場では単なる落書きでしかない」
自身が作り上げた作戦計画を「落書き」と断ぜられたティアンム提督は、しかし務めて冷静な様子であった。
「はい、今後この様なことがないよう気を付けます」
とそこで、バハロ首相が会議が始まってから初めて発現した。
「私からも一ついいかな?私は無論軍事の素人だがその私から見てティアンム提督のこのメモ書きは幾つか興味深い点があるが、軍事の専門家としてはどう思うのかな」
そう言われて、軍部としても答えなくてはならず、そこで一人の参謀各が立ち上がって軍部としての見解を述べた。
「既にゴップ大将が仰られる様に、軍部としましては個人的なメモにまで意見を述べるような事は致しかねます」
「私は軍部にではなく、専門家としての意見を求めているのだよ」
とそうバハロ首相に凄まれ、立ち上がった参謀はどうすればいいか、ゴップ大将の顔とバハロ首相の顔を何度も見比べながら答に窮する。
しかしゴップ大将はなんら助け船を出さず、回りの将官達も自然と距離をとった。
孤立無援の中、等々覚悟を決めた彼はまずティアンム提督の計画に否定的な意見を述べた。
しかしすかさずバハロ首相に、「ほお?軍大学の校長まで勤めたティアンム提督の案を否定するのだから、君はさぞかし素晴らしい案を持っているのだろうな」と返され、益々追い詰められる始末。
そして等々彼は認めてしまった。
「一個人としての意見ですが、半ば投機的な面もあり全面的な賛成は出来ませんが...」
とながったらしい前置きをしてから、彼は意を決してこう述べた。
「実現し仮に成功すれば大きな成功は間違いなしです。現状これ以上の案を、私は持ち合わせておりません」
最後に吐き捨てるように口から溢れた言葉に、参謀各の男は「はっ」となるがもう遅い。
軍部が、統帥本部がティアンム個人に負けたことを認めてしまった瞬間であった。
この日、大本営の中で何が起きたのか分厚い機密の壁に阻まれいまだに公式な資料は見つかっていない。
しかしこの翌日、ルナツー艦隊に緊急出動命令が出されたのは、確かである。
今回起きたこと。
やっぱり、足の引っ張りあいを書くのはたのしいです。