42話「アラビアのロンメル」
マグリブとアークエンジェルがぶつかるその少し前、砂漠の某所。
丘のように連なる砂丘の盆地の底に、共和国軍ゲリラコマンド部隊の物資集積拠点があった。
照りつける太陽と空から敵の偵察機に見つからないよう迷彩を施された巨大な天幕が築かれ、その影の中で輸送機から運ばれたコンテナの積み下ろしが行われていた。
「よーし、ゆっくりだゆっくりと降ろせ」
作業員の指示に従い、ガウからMSが降ろされていく。
同じ様にミデアやファットアンクルからもMSやコンテナの荷下しがなされ、周囲は活気に満ちていた。
「来たばかりでMSをぶっ壊すなよ」
「全くです、あははは」
ちょっとした冗談にも周囲からも笑みが溢れ、久しぶりの補給に将兵達の間にも浮かれた空気が漂っている。
作業の様子を監督していたデザート・ロンメル少佐は、部下達の浮ついた空気に目くじらをたてるような事せず、見逃していた。
ロンメルの部下達は満足に補給も整備も受けられない中、良く規律を保ちまた困難な任務をやり遂げてきた。
本来ならば休暇の一つでも出すべきなのだろうが、結成されたばかりの地上軍にはまだまだ人的余裕が少なく、特にロンメルの様な砂漠戦に通じた士官は現場に止め置かれる事も少なく無かった。
そくした中で、こうして敵の警戒網を掻い潜って輸送機が来るのを将兵達は大きな楽しみとしており、実際補給のみならず小さなバザーや市なども輸送機の周りで開かれている。
「ロンメル少佐、ここにおられましたか。申し訳ありませんが、此方の受領書にサインをお願いします」
「分かった、確認する」
(ディザートタイプのザクが3機にゴブリンが6機、それと補習パーツとトラックに燃料、水、食料…)
輸送機部隊の主計官からリストを手渡されたロンメルは、その内容に誤りが無い事を確認してから最後にサインをした。
「うむ、確かに受領した。貴様もここまで良く来てくれた、タチ中尉」
ロンメルからタチ中尉と呼ばれた主計科の士官は、「それほどでもの無いです」と断りを入れ。
「いえ、これが我々の任務ですので」
と決まり切った返事ながらも、若いタチ中尉は褒められて素直にその相貌を綻ばせていた。
(若いな、だが好ましいものだ)
とロンメルは内心そう思いながらも、さて今夜は久しぶりに美味い酒が飲めるぞと思っていた時。
「ロ、ロンメル少佐〜!至急ご報告したい事が」
自分を呼ぶ声に、ロンメルは聞き覚えがあった。
「カラハンか!どうした」
この部隊の副官であるカラハンの只ならぬ様子に、ロンメルは胸がざわついた。
「ロンメル少佐、大変です!マグリブが、マグリブが木馬と戦闘に陥ったとの情報が!」
「何だと!」
ロンメルはカラハンからの報告に我が耳を疑った。
しかし直ぐに気を取り直すと、ロンメルはより正確な情報を求めた。
「何処の隊か、分かるか?」
「は、ガデブ・ヤシン率いるマグリブ本隊であります」
ガデブの名を聞き、ロンメルは自分の嫌な予感が当たったと後悔した。
「ガデブか!アイツめ、功を焦りおって」
ガデブの名を聞き、ロンメルは人目も憚らず舌打ちをした、
ガデブ・ヤシンはマグリブ結成の折、その中核メンバーの一人であるが、お世辞にも周囲からの人望がある様な人物では無かった。
他のメンバーが大氏族の族長であったり、或いはオアシス都市の顔役であったりと様々だが、ガデブはその中で唯一市井出身であり己が野心を隠さない危険な男と見なされていたのだ。
しかし若いマグリブの戦士達の中には、自分達と同じ一市民出身のガデブを英雄視する者も多く、ガデブはそれを頼みに徒党を組み愚連隊を組織する様になっていた。
ロンメルはいつかガデブが何かやらかすのでは無いのかと常々思っていたが、まさかこうも浅慮な行動に出るとは、流石に予想出来なかったのだ。
「大方、ヤツは木馬討伐をもって今後の主導権を握るつもりなのでしょう」
とカラハンは冷静にそう分析したが、ロンメルはそれどころでは無かった。
ガデブ本人はどうであれ、彼が率いる戦力はマグリブにとって重要なものであり、それは翻って共和国地上軍におけるアフリカ戦略の一端を担う存在であった。
それを、こんな所で悪戯に消耗させていいものでは無く、ロンメルは怒り心頭といった様子でMSの所に急ぐ。
「カラハン、暫し部隊を任せるぞ」
「ロンメル少佐!」
ロンメル少佐は副官のカラハンの制止を振り切り、MSに乗り込もうとするがその前に両手を広げたタチ中尉が立ちはだかった。
「お待ち下さいロンメル少佐!」
「どけ!タチ中尉、貴様には関係無いことだ」
ロンメルは無理矢理にでも押し通ろうとするが、しかしタチ中尉の口から意外な言葉が漏れる。
「今からMSで向かっても間に合いません、私共が乗ってきたガウをお使い下さい」
「それは本当か、タチ中尉⁉︎願っても無い事だが…」
実際タチ中尉の話は渡りに船であった、例えロンメル一人が飛び出したとて、マグリブを止められるか定かでは無い。
しかも既に戦闘が始まってしまっているとの報告が届いている以上、MSの足では間に合わない可能性の方が大きかった。
「だがガウは貴重な戦力だ、気持ちは嬉しいが貴様一人の一存で動かせるものなのか?」
そうロンメルが心配するのも無理は無い、ガウはMSを4機も載せられる巨体とそれに見合うだけのビーム砲や爆弾にミサイル、無数の対空機銃で武装していた。
正に空飛ぶ要塞とでも言うべきその威容は、敵味方から攻撃空母とも称されている。
それ故一隻あたりのコストも馬鹿にならず、地上軍では貴重な戦力として温存される傾向にあった。
「事は急を要します、何かあった時の責任は全て私の独断で行った事にして下さい。それにガウはこの様な時の為に作られたのですから、退屈な輸送機の護衛任務などよりもよっぽどお似合いです」
とタチ中尉も覚悟を決めた男の表情をし、ロンメルはその心意気に大いに感じ取るものがあった。
ロンメルはタチ中尉の肩にそっと手を触れ。
「無理をするな中尉、何ちゃんと壊さずに返せばいいだけの事。ガウ、ありがたく借りるぞ」
そう言ってロンメルは砂避けのマントを翻し、ガウへと急ぐのであった。
一方マグリブとアークエンジェルとの戦いは、大詰めを迎えていた。
「このくそ、当たれぇ!」
カルトハが操る青いハイザックが、右脇に抱えたハイパーバズーカと左腕に装備された2連装マシンガン、それと胸部バルカンを同時に放つ。
地上戦用に再設計を施されたJ型ハイザックの火力は、大きなものであったしかし…。
「その攻撃は、もう見切ったぜ!」
フラガが駆るスカイグラスパーは、相手よりも遥かに機敏な動きで易々とカルトハの攻撃を避ける。
地上から空の敵を狙う場合、彼我の速度差と高度の差が如実に現れ、特に攻撃を打ち上げるのと撃ち下ろすのとでは、その難易度は大きく違った。
つまり大空を舞うスカイグラスパーは、相手がMSだろうと地表を這いずる様に平面的な動きしか出来ないのならば、その相手は容易いのだ。
「く、メロエ!まだ墜とせないのか」
頭上から降り注ぐスカイグラスパーの攻撃を苦しげに回避しながら、カルトハは通信機に向かって叫けぶ。
武器を失ったエロ・メロエは、当初合流したカルトハから予備のザクマシンガンを受け取り、ディザート・ザクの余裕ある燃料を生かし空に飛び上がってドダイと合流した。
空と地上からの二人の連携で、スカイグラスパーを叩き落そうと試みたのだ。
しかし、元々空が主戦場のフラガと所詮ゲリラ上がりの青の部隊とではその練度に決定的な差があり、カルトハが合流して早々にアイザックが堕とされる。
2人のMSやドダイも、ビームやミサイルを警戒するあまり機銃や機関砲の被弾が嵩み、ジワリジワリとだが追い詰められていた。
そして2人が戦っている間にもストライクに乗ってマグリブの戦士達が次々と葬り去られ、そして最悪な事にそれが起きてしまった。
『MSは火力じゃない、機動性だ!』
ストライクに真正面から飛び上がって攻撃を仕掛けるガデブのハイザック、しかし次の瞬間にはストライクから放たれたビームライフルによって、丁度コクピットの高さで上半身と下半身が真っ二つに分かれてしまう。
砂漠に無残な姿となったガデブのハイザックが転がり、それをカルトハは思わず叫んだ。
「ガ、ガデブーっ!」
共にアフリカの解放を目指す同志として、長い間交流のあった男との突然の別れ。
戦士としていつか死ぬ事を覚悟していたとはいえ、友柄のあんまりな死に様にカルトハは叫ばずにはいられなかったのだ。
しかし、それは戦場で敵に隙を晒す事になってしまった。
動きを止めてしまったカルトハのハイザックに、好機と見たスカイグラスパーの機関砲が胴体部に命中する。
砲弾が機体内部をグチャグチャに潰して暴れまわり、コクピット内に折れたフレームや破壊された部品の破片が飛び交う。
「うぐ⁉︎」
ノーマルスーツを着けていない、ほぼ生身の状態でコクピットに座っていたカルトハの肉体に、飛んできた破片が食い込む。
肉を裂き骨を砕き、血を流し全身を打撲し身体中の神経に激痛が走る。
余りの痛さに視界が血に染まり、瞳の中がまるで寿命が切れかかった蛍光灯の様にチカチカと光が点滅し、耳の奥からキーンと耳鳴りがした。
脳震盪を起こし、薄れゆく意識の中カラハンはそれでも戦意は衰えていなかった。
(まだだ、まだやれる!)
その思いが通じたのか、動かないはずの腕が動き操縦桿のトリガーを引き絞った。
狙いなどつけられない、完全に当てずっぽうの攻撃、しかしそれは運良くフラガに誤解される結果となる。
メロエを振り切り、カラハンにトドメを刺そうと近づいたスカイグラスパーは、突然攻撃してきたハイザックに驚き、相手のパイロットが死んだフリをしていたと思い込んでしまったのだ。
もしこのまま戦闘が続けば、すぐにでもこの誤解は解けただろう。
しかしこの時ムウは、ここが引き際だと彼のカンがそう知らせた。
フラガ家の者には、皆異様にカンが鋭いと言う特徴があり、ムウもまたそれと同じ血を引いていたのだ。
「坊主、こっちはもういい。アークエンジェルに引き上げるぞ」
スカイグラスパーの機首を翻し、後ろを振り返ってキャノピー越しに仕留め損ねたハイザックを見ると、ドダイと青いMSが近くに降りて機体とパイロットの救出を行っていた。
結果として見ると、この日アークエンジェルは殆ど無傷に近い状態で、30機余りものMSを払いのけ、その内の20機以上がストライク1人の手にかかっていた。
アークエンジェルに帰投するムウは、ストライクとキラの成長に頼もしい反面、空恐ろしいものを同時に感じ始めていた…。
だが、この日の戦闘はまだ終わってはいなかった。
南から、アークエンジェルが脱出を目指す紅海の出口から、マグリブを救わんと決意に燃える男が近づきつつあったのだから。