魔剣物語外伝 語られざる物語 作:一般貧弱魔剣
いつの時代も、人が人を恨み、妬み、憎むことは変容しない。しかし、法のもとに人のそういった感情を抑制する人の輪では、誰もがその感情を燻らせたままに過ごすことが多い。まれに、そんな火種がある日大火となって燃え上がり、人を殺めることがあるが、大抵の場合は逮捕されて監獄行きとなり、縛り首となるのが落ちである。
「はぁ、はぁ……!」
「さア、残りは貴方のミ」
だからこそ、そういった人間のために働く輩がいるのは別段珍しい話ではない。金さえ積めばどんな殺しでも請け負う碌でなし共。
「くそっ、何で俺がこんな目に……!」
「単純な話ダ。やり過ぎたのだ貴方ハ、私が動く程の恨みを育みすぎタ」
それは、恐らく人が最初の殺人を犯した時から、生まれることを必然づけられたであろう稼業。
「やめろ、くるな……!」
「聞く耳は持たヌ、私も仕事故」
「か、金なら払う! 依頼された倍額でどうだ!?」
「こちらも信用第一、そういうのは無しダ」
「た、たすけ……!」
闇に紛れ、雨に紛れ、霧のように病のように、音もなく光もなく実態もなく。善も悪も意味もなし。影に潜み、闇を渡る者共。故にこそ、彼らは『暗殺者』と呼ばれる。
「命乞いをするほど惜しいなラ、政治家としてまともに生きていれバ、少なくともこんな最後を迎えることにはならなかっただろウ。自業自得ダ」
手を変え品を変え、時代が移り変わりながら様々な技術を取り入れていく彼らは、世に出ぬ神秘さえも獲得し、より手段を増やし、巧妙化していく。
(さて、戻るとしよう。人も来たようだ)
そんな者共の中に同じ闇の住人たちからさえ恐れられ、或いは敬意を向けられる者がいる。
「うわ、ひっでぇなこりゃ……これって最近噂になってたあの議員だよな?」
「だな、周りの死体は護衛だろう、名の知れた傭兵までいやがる」
「この死体の感じ、こりゃあもしかすると……」
「ああ、間違いねぇ……」
その確かな実績と、高い実力を誇る彼を、人々はこう呼んだ。
「『百貌』だ」
ヴォルラス帝国が勃興して数年、帝国は急激に肥大化し周辺諸国への圧力を強めていた。初代皇帝ネロ・クラディウスによって始められたこの外交政策は、各国からの非難をものともせず、ドラグナール大陸に覇を唱える破竹の如き勢いがあった。
「そう、彼女はまた頭痛で動けないの……」
「はい、ご容態も芳しくなく……」
「……分かった、面会は日を改めることとします。陛下のご容態については、常に気をつけるよう」
「承知しました」
帝国中央、宮殿のとある建築物の廊下を歩く女性が一人。彼女こそ、このヴォルラス帝国の重鎮にして要石。帝国宰相であるハクノ・キシナミである。彼女はこの日、皇帝でありまた血縁者でもあるネロの面会に来たのだが、ネロの体調がすぐれないためそれが叶わなかった。
(日に日に、彼女の様子がおかしくなっていく……)
かつて、才気に満ち溢れ幼くも美しき理想を語り合った少女は、今や血で血を洗う戦争の戦端を開いた鮮血の女帝となった。国を、そして民を心より愛した彼女が日に日に薄れていく様を、ハクノは歯痒い思いで見てきた。
(このままでは、いずれ彼女は……)
既に狂気すら振りまき始めている。彼女は着実に狂っていっている。親友としてなんとかしてやりたいが、その根本的治療方法がわからない。最近は敵対派閥の妨害もあって評定や会議の場ぐらいでしか会うことができていない。何より、ネロがハクノと会うことを拒絶しているのだ。
(祖王の剣を手に入れてから、順風満帆だったはずなのに……)
彼女が封印を解いた祖王の遺品、それはかつて祖王が振るっていたと言われる絶大な力を持つ剣であった。初めは、彼女はそれを使って未開の地を切り分け、この国の領土を拡大し人々の安寧と安らぎを与えるために。次第にその矛先は変わり、周辺諸国へと向かっていった。
(戦争は国家と人民を最も疲弊させる、彼女がそれを分かっていないはずがないのに何故……)
最近では仕事に追われ、ネロへの面会を訴えることも少なくなってしまった。このままいけば、必ず何処かで破綻する。彼女はそれをどこかで確信していた。
「はぁ……また明日改めて、ネロに会ってみよう……」
既に日も傾いている。今日やるべき執務も済ませているため、そのまま家へと戻った。
「ふぅ……」
長いとも短いとも言えない家路を辿り、自宅へと到着する。玄関を開け、使用人に荷物を預けて自室へと向かう。夕食にはまだ時間があるため、少し仮眠でも取ろうかとベッドへ寝転がる。
「……本当にどうしちゃったの、ネロ」
思い出すのはやはり、無二の親友とも呼べる少女のことだ。彼女の豹変ぶりは、ハクノでさえ目を背けたくなるほどのものだった。かつて人民の幸福のため、理想に燃えた彼女はどこにもいない。
「暴君に対する憂いカ」
「っ!?」
唐突に、部屋の中から聞こえた声。ベッドから上半身を起こして辺りを見回すも、声の主は姿も形もない。警戒を強め、彼女はゆっくりとベッドから降りて立ち上がる。
「動くナ」
先ほどと同じ声。それも、今度は背後から聞こえてきた。まるで気配を感じさせることなく背後をとった相手に、ハクノは内心舌打ちする思いだった。
「一体何者……!?」
「喋るナ。助けを呼ぼうとすれば殺ス、少しでも動けば殺ス、こちらを振り返ろうとすれば殺ス」
背後から首に手をかけられる。彼女のか細い首をへし折るに十分だろう腕は、しかし力むことなく添えられる程度の力加減だった。特徴的な訛り声をしているが、帝国宰相として様々な人物と面会するハクノでさえ知らない訛りだ。
(……成る程、暗殺者ってわけか……!)
それも、恐らくは裏でも最高峰の手練。ハクノは帝国宰相という立場上、その周辺警護は厚く家にいる使用人も優秀なガードを兼任している。並の刺客など、入り込むことはおろか付け入る隙さえ与えないはずなのだ。
(参った……)
冷や汗が背筋を滑り落ちる。恐らくは、部屋に入ったときから既に潜んでいたのだろうが、それを全く感じさせないのは舌を巻くほどだ。今でさえ、背後にいることは分かるが気配が非常に希薄なのだから。はっきりいって、絶体絶命と言っていい。
(冗談じゃない……私はまだ、ここで死ぬ訳にはいかない……!)
それでも、ハクノは諦める気はサラサラなかった。生来、彼女はとかく肝の据わった女である。命の危機だろうが、僅かでも可能性があるなら彼女に諦めるという選択肢はない。
(少なくとも、相手は私に気取られることなく私を殺せるだけの技量がある。そして、それを実行するチャンスはあったはず)
にもかかわらず、態々姿を現したということは自分に何か用があるはずだと彼女は考えた。人体の急所を抑えられている危機的状況下でも、彼女の頭脳は驚くほど冷静に冴え渡っていた。
「……私に何の用?」
「喋るなと言ったはずだガ」
腕に込められる力が、ほんの少し強くなる。少々の苦しさはあるが、それでも彼女は言葉を紡ぐ。こんなところで死んでたまるかと、覚悟を決めて。
「刺客がわざわざ姿を現すなんて、私に用があると暗に言ってるようなものでしょ?」
「……少なくとも愚かではないカ」
背後から感じていた人の気配が霧散し、首筋にあった感覚が消える。同時に、ハクノは大きく深呼吸をした。少なくとも話の通じる相手であるとは予想していたが、半ば賭けであったのだ。それに勝てたとあれば充足感も生の実感もひとしおであった。
「落ち着いているところ悪いガ、まだ命の危機が去ったわけではないゾ?」
再度の声。今度は、彼女の眼前にいつの間にか立っていた。全身を黒い装束で覆い、顔は髑髏の仮面で隠している。異質で異様な姿と雰囲気に、しかしハクノは一歩も引くことはない。
「いいえ、去った。貴方は私が想定したとおり理性的な人物で、私には貴方を説き伏せるチャンスが有るもの。そしてそれだけあるなら、私には十分」
「……豪胆な女性ダ」
「ええ、よく言われる。それで、もう一度聞くけど私に何の用?」
「汚職をしているかの真実を問いニ」
ハクノは彼の言葉に眉をひそめた。これでも国家を愛する気持ちはネロにも負けないという自負があるのだ、それが国を食い荒らす輩と同列に扱われるのはいい気持ちではなかった。
「やっていない、と言っても簡単に納得などしてくれないでしょうね。その噂の出処は、根拠は何?」
「世間での噂、というよりは帝国内での貴族間での噂ダ。予算のいくらかをくすねているト。既に貴方の書類には目を通したが、不自然な点は見受けられなかっタ。故ニ、こうして直接確かめに来タ」
「で、貴方の目で見た感想は?」
「噂の信憑性は皆無と判断しタ」
「そう、それは何より」
それでも、ハクノは警戒は解かない。そもそも、暗殺者ならば依頼者がいるはずなのだ。今の問答が、相手の真意であるとは到底思えない。何より、彼女は相手の言葉の裏から何らかの意図を感じていた。
(自分の仕事内容を明かしたということは、それに何らかの関係がある。噂の出処は貴族、恐らくは私に恨みを持つ貴族の誰か。そして仕事の内容に不満がある……?)
暗殺者にとって雇い主を明かすことは、自らの首を絞めることと同義だ。半端者であれば調子に乗って明かすこともあるだろうが、相手は超がつくであろう一流。尋ねるなど自殺行為に等しい。
しかしここで明らかにしておかなければ、確実に次がある。その時また、こうしてチャンスがあるとは限らないのだから。
「私の雇い主について考えているのだろウ?」
(っ! しまった、没頭しすぎて気取られた……!?)
「生憎だガ、私の雇い主は教えられなイ。いや、そもそも教える人物などいなイ」
「……どういうこと?」
「私ハ、自らの意志で貴方を見極めにきたのダ」
見極める、言葉の通りであれば自身を測りにきたのであろうとハクノは考える。しかしそれは何故で、どうして自分なのか。
「さっきまでのは演技だったと?」
「いヤ、本気で殺すつもりだっタ。本気の私を相手にしてなお駆け引きができるぐらいでなけれバ、そのまま首をへし折ってやるつもりだっタ。私は貴方という人物を見ていタ、能力、判断力、胆力諸々ヲ。ついでに私の実力を見せるためでもあっタ。私を雇って貰うためニ」
「つまりさっきまでの一連の流れは、私を試すと同時にその実力を見せることによる売り込みも兼ねていたってことか……」
暗殺者は日陰者だ。表の人間、まして宰相であるハクノに会うなど不可能である。こういった強引な手段でなければ、目通りするなどできなかっただろう。
「貴方が人物的に本当に信用できる相手かを慎重に見定める必要もあっタ。ならば直接会っテ、互いを見極める他あるまイ」
「……正直、信用できない。今までの話はあくまで貴方が真実だとする言葉だけ。これだけで貴方を信用すると思う?」
「思わヌ。しかしこちらも引き下がる気はない故、私を実力で貴女に買わせル」
「っ! これって……!」
差し出されたのは、一枚の羊皮紙。書かれている内容は、帝国内部で不穏な動きを見せる貴族閥の悪行の数々。奇しくも、それはハクノが以前から部下に命じて追わせていた者達だった。
「全て私が調べ上げたもノ、偽りなく真実であると誓っていイ。この程度であれバ、私には造作もなイ」
「……どうして、わざわざこんなことを?」
「『大命』を果たすためニ」
「大命……それは一体どんな?」
「『大いなる厄災』を阻止するこト」
今一、要領を得ない答えにハクノは少しだけ苦い顔になる。恐らくは、その目的の詳細を語るつもりはないのだろう。依然として信用できない相手だが、それでもこれは破格の好機でもある。
これだけの仕事を苦もなく全うできる裏の人材は、喉から手が出るほど欲しいもの。そんな人物が、真偽はともかく直接売り込みに来るなど滅多なことではない。
(今は少しでも手元で動かせる人材が欲しい……恐らく彼はそれも見越している)
それはつまり、政治的な駆け引きもできるということだ。こちらの意を汲める程の隠密など、一から育てでもしない限り手に入るものではない。冷静にメリットとデメリットを分析し、彼女は腹を決めた。
「分かった、貴方を雇う」
「それは重畳」
「けど、私は貴方を信頼も信用もしない。貴方個人の持つ能力だけを欲する」
「それで構わヌ、元より我ら影の者との契約などその程度で十分」
こうして、ハクノは不気味な暗殺者と奇妙な関係を築くこととなった。
「とりあえず、その妙な訛りぐらいは直してくれないかしら。どうせ、本当の話し方はそんなではないのでしょう? そんな訛り方する人間、この大陸にいる覚えがないもの」
「やはり、貴女は聡いな」
奇妙な発音ではなく、帝国内で一般的に使われる話し方に変わる。恐らくは、自身を声や言葉遣いから特定させないための技法なのだろう。
「それで、貴方の得意とすることは?」
「暗殺、諜報、破壊工作。裏仕事であれば多少の無茶でも熟してみせよう。それから、暗殺のために磨いた技術諸々もある」
「へー、例えばどんな?」
「実際に見てもらったほうが早いか」
そう言うと、彼の姿が一瞬ぼやける。まるで、影と一体化しその輪郭があやふやになったかのようであった。それが数秒で収まると、そこには先程とはまるで別の人物がいた。
「え……」
「驚いていただけましたか?」
驚愕、というほかなかった。先程までの痩せぎすで大柄な男性的体つきではなく、小柄で肉付きのよい褐色肌の別人へと変貌していたのだから。しかし何より驚きなのは。
「お、女の子になった……!?」
可憐な少女の姿になったことであった。少女は膝をつき、ハクノへと頭を垂れる。
「我は姿を定めぬ影、あらゆる顔を持ち本当の顔は誰も知らず。故に、『百貌』のハサンと呼ばれております。これからどうぞよろしく、我が仮初の
(これ、もしかして私早まった……?)
ハクノは内心、頭を抱えるのだった。