萌えよ剣 壬生の狼の娘たち   作:越路遼介

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土方歳絵

 北海道、明治以前は蝦夷と呼ばれた広大な土地であった。明治以降は多くの開拓使がこの地を訪れ、現在の北海道の礎を築いていた。この北海道において近代城塞の五稜郭を橋頭保に明治政府と戦った男たちがいた。それを率いていたのは榎本武揚、幕臣である。

 

 戊辰戦争最後の戦いと言われる箱館戦争、新撰組副長土方歳三も必死に戦い、討ち死にした。単身敵陣を突破しての壮絶な最後であった。

 その後、榎本の降伏をもって戦いは終わる。戦犯として榎本は罰せられるが、やがて釈放され明治政府に登用される。北海道開拓使を経て、明治十五年の現在は海軍卿と云う要職を務めている。海軍卿は機動新撰組の発起人勝海舟も歴任した重職である。薩長藩閥が多い明治政府の中、幕臣の榎本が就任しているのだから榎本武揚の器の大きさが知れる。

 

 この日は東京の屋敷を出て港へとやってきていた。同志から預かった大切な娘がいる。榎本はその男の遺言どおり、少女に英才教育を施した。榎本は厳しくも温かく育て、そして今、巣立ちの時を感無量で迎えていた。

「さぞや成長していよう…」

 船が着いた。チャイナ服を着た娘が船から降りてきた。

「おお、歳絵」

「おじ様」

 ニコリと笑い、歳絵は榎本に歩んだ。

「土方歳絵、アメリカ留学から帰ってまいりました」

「うむ、また一段と成長したな。顔を見れば分かる」

「ありがとうございます、おじ様」

「とにかく港で立ち話も何だ。馬車を用意してある。屋敷に帰ろう」

「はい」

 土方歳絵、この時十七歳。あの新撰組副長、土方歳三の一人娘である。父の歳三を心から尊敬して誇りに思っている。母は誰なのか知らない。歳三の後を追うように病で死んだとしか分かっていない。榎本は土方の妻に会ったことがないので訊ねようもない。土方歳三の妻なのに新撰組の記録にも五稜郭の戦いの記録にも女の名前はなかった。いつしか歳絵は母のことを知ろうとするのをあきらめた。

 榎本は歳絵に文武の英才教育を施した。物心ついた時には家庭教師がすでにいた。アメリカ留学の前は中国にも留学している。歳絵はいわば超がつくほどに英才教育を受けたのだ。

 

◆  ◆  ◆

 

 榎本の屋敷に帰った歳絵。榎本の私室で卓を挟み向かい合う榎本と歳絵。

「先年、京都において勝先生の発足で新たな新撰組が作られた」

「えっ…!?」

「いま京都は夜になると物の怪が徘徊すると聞いたことはあろう」

「はい、存じています」

「新たな新撰組はそれに立ち向かうため勝先生が作られた。特殊な武具で立ち向かうゆえか正式名称は『機動新撰組』と云う」

「機動新撰組…」

「その長官から歳絵に入隊してもらいとの要望だ」

「私を…」

「これがその手紙だ」

 

 手紙を歳絵に差しだした。歳絵は手紙の差出人の名を改めて見た。機動新撰組の長官おりょうの名が記されている。

「おりょう…。女性が長官なのですか?」

「おりょう殿は、かの坂本竜馬の妻だ」

「坂本竜馬の!?」

「どうして坂本竜馬の妻が新撰組の長官になったかまでは知らないが、勝先生が弟子の妻と云う身びいきで任命したわけではないのは私も保証できる。人物的には申し分ない女性だ」

「おじ様はお会いになったことが?」

「明治になってから何度かある。美貌に加えて貫録もあり、芯がしっかりした方だ。なるほど坂本竜馬ほどの男が惚れたのも頷けると思ったもんだ。聞いたことがあるだろう?坂本竜馬が寺田屋で幕府の捕り方に囲まれた時、機転を利かせて坂本を脱出させ、かつ大政奉還に動く坂本に激怒した桂小五郎が坂本に刀を突き付けた時、居合わせた彼女は刀の切っ先を掴み、自分に向けさせた。さすがの維新三傑の桂小五郎も度肝を抜かれたと聞く」

「幕末の…動乱の京都を生き抜いた方なのですね」

「そうだ。厳しい上司となろうが、頼りにもなると云うことだ」

「そんな方が私に入隊を望んで下さるとは…。土方歳三の娘だからでしょうか」

「その土方歳三の遺言により、私は歳絵に厳しい修行を課した」

「おじ様…」

「土方くんは後々、京都に物の怪が現れることを分かっていたかのようだった。歳絵への修行もこの難局に立ち向かわせるためであったのやもしれん」

「ならば新撰組に参るのは父の言葉…」

「とにかく読んでみるといい」

「はい」

 

 内容は長くはなかった。ただ

『お父上が愛した京都を誠の旗を背負って守ってほしい』

 この言葉に歳絵は京都行きを決断した。

「おじ様、私は京都に行きます」

「うむ、私から贈り物だ」

「これは…」

「隊服と太刀だ。太刀は和泉守兼定」

「和泉守兼定…!」

 土方歳三の愛刀である。歳絵は

「御免」

 と榎本に断り、太刀を抜いた。

「これが父上の刀…」

「刃こぼれ著しかったが、私の方で名工を探して直させた」

「あ、ありがとうございます、おじ様…!」

「近藤勇の娘や坂本竜馬の息子もいると聞く。仲良くするのだぞ」

「は、はい…」

「今の新撰組は親の七光りばっかりだと言われないようにな」

「もちろんです」

「では、歳絵、行って来なさい!」

「はい!」

 

◆  ◆  ◆

 

 これより数日後、土方歳絵が京都にやってきた。

「これが京都…」

 京都駅に降り立った歳絵を出迎えたのはおりょうと新太郎だった。

「長旅、お疲れ様でした。私は機動新撰組長官のおりょうです。貴女が土方歳絵さんね?」

「そうです」

「そしてこちらは」

「機動新撰組、勘定方兼参謀見習いの弓月新太郎です」

「土方歳絵です」

 

 屯所まで歩く三人。京都の町並みを見ている歳絵。

「かような美しい町に物の怪が出るなんて信じられません」

「それは夜になってみないと分からないだろうね」

「さっそく今日にでも私に出撃のご命令をいただければと思います」

「そのつもりです。物の怪と戦うには、ただ強いだけでは駄目なのです。私が何を言いたいか分かりますか」

「はい、異形の物の怪を恐れぬ心…。胆力が不可欠と」

「その通りです。しかし心で分かっていても、いざ対峙となると違ってくるもの。使い物にならなければ、いかに土方様のご息女とはいえ荷物をまとめて帰ってもらいます。良いですね」

「はい」

「歳絵くんの流派は?」

「習得したのは北海道の先住民アイヌの槍術と中国の刀剣術です。各々の長所を生かし、私の中で独自の剣となっています」

「へえ、立ち合ってみたいな」

「弓月さんの流派は何でしょう」

「北辰一刀流です」

「では屯所に着きましたらお手合わせを」

「ええ、いいですよ」

(相当、剣の腕に自信を持っているようだな…。しかし怜悧な性格をしていると見える。勇子くんと仲良く出来ると良いのだけど)

 

◆  ◆  ◆

 

 やがて屯所に着いた歳絵、隊士が待っている食堂に着くや

「せーの」

 一斉にクラッカーが鳴り響いた。沖田が

「いらっしゃい!新撰組副長!」

「大歓迎するニャ」

「今日からよろしくな!」

 続けて猫丸と竜之介が言った。大した御馳走も作れないので、せめて出迎えだけは豪勢にと勇子や薫が考えた。一瞬驚いた歳絵、しかし顔を引き締める。少しの笑顔も見せない歳絵に戸惑う勇子たちだが

「ど、どうしました?具合でも悪いのですか?」

 と、薫。

「…私は遊びに来たのではないのです」

「なに?」

 腹を立てる勇子。

「父上の愛した京都を新撰組として守るために来たのです。こんな浮ついた歓迎が誠の旗を背負う新撰組のすることですか。まるで女学校の仲良し倶楽部ではないですか」

「ちょっ、ちょっと歳絵くん」

「弓月さん、道場にご案内願います」

 食堂に入らず、背を向けて去った歳絵。

「なんだよあの態度!ブン殴ってやる!」

「いいじゃないの勇子さん、あのくらい鼻っぱしらが強い方が逆に頼りになるというものよ」

「だけど、おりょうさん、あれではチームワークに支障が出ますぅ!」

 頬をプクリと膨らませて拗ねる薫。

「あら、みんなは気に入らない者とは一緒に戦えないと?それこそ女学校の仲良し倶楽部よ」

「う…」

「とにかく腕前を見てみましょう。では新太郎さん、お相手を」

「分かりました」

「新太郎、私にやらせろ!」

「勇子くんがやったら歳絵くんは病院送りになるかもしれないじゃないか」

「弱いのが悪い!大丈夫だよ、死なない程度にやるから。いくらなんでも、そこまでキレちゃいないよ」

「ああ、近藤さん狡い!新太郎さんの腕試しは近藤さん、私の腕試しをしたのは新太郎さん、今度は私の番ですよ!」

「そこまで言うのならば薫ちゃん、歳絵さんのお相手を」

「はい!任せて下さい、おりょうさん!」

「薫くん、電撃や炎は…」

「必要とあらば場を外に移して使うつもりです。なに新太郎さんは土方さんの味方なんですか?」

「味方とかそういうんじゃなくてね…」

 

 先に道場に着いていた歳絵は手に馴染みそうな木刀を選んでいた。

「お待たせ!」

 薫がやってきた。

「…私は弓月さんを相手にお願いしたはずですが」

「この沖田薫が志願しました。ご不満でも?」

「ほう…沖田。では貴女があの沖田総司殿のご息女ですか」

「そうよ」

「私は土方歳絵です。父の朋友の娘であろうと容赦いたしません」

「その人を見下す態度、アッタマきました!私こそ容赦しないわ!」

 

 勇子、新太郎、竜之介、猫丸、そして長官のおりょうが立ち合い、勝負を見守った。歳絵が構えた。

「やはり土方歳三の娘…。あれは平突きの構えだね勇子くん…」

 と、新太郎。

「ああ、あれは土方歳三が考案した剣、突きを外してもすぐに横薙ぎの一閃に切り替える新撰組の剣」

「まあ沖田もここに来てだいぶ実戦経験を積んだニャ、沖田が勝つだろニャ」

「なぜ二刀を?父上の剣を捨てたのですか?」

 と、歳絵。

「父上は父上!沖田薫は沖田薫!私は私の技で行きます!」

「そうですか…。では参ります」

 

 歳絵の体が少し前のめりとなるや

「はあッ!!」

 突きの一閃が薫に炸裂、それを避けた薫は突きで伸びた歳絵の腹に横一閃、しかし平突きの横一閃の方が早かった。だが薫が二刀持っていたことが幸い、その一閃を受け止めた。歳絵も薫の胴薙ぎの一閃も体をしならせて避け、再び平突きの構えで突進、薫は突きと横一閃を避けるのが精一杯だった。

「ふむ、どうやら実戦経験がおありなだけ、私の物真似剣術では通じませんね」

「観念したの?なら私から行きます!」

 歳絵は木刀を投げて、壁に置かれている薙刀に当てて自分の方に飛ばした。

「私の得物はこれにて。では参ります」

 重い薙刀を小枝のように振り回す。歳絵の構えが変わった。

「あれが歳絵くん本来の技なのか」

 と、新太郎。薙刀では攻撃の間合いが違う。攻撃しかけていた薫が止まった。

「どうなさいました沖田さん?まさか卑怯とは申しませんね」

 

 無論、薙刀の刃の部分は稽古用で木製。しかし歳絵のような使い手から繰り出される一撃を受けたらただでは済まない。

「土方さん、勝負は外で」

 陰陽術を使えば建物を破壊してしまう。

「お断りいたします。物の怪が、いや敵が貴女の得意とする戦場に律儀に付き合うと思っているのですか?」

「得意とかじゃなくて!ここで私の陰陽術を使えば道場が壊れてしまうからです!」

「それは貴女の都合、私には関係ありません。では参ります」

「土方さッ…!」

 さきほどの平突きとは比較にならない速さで薫に迫る歳絵。木刀で薙刀の一閃を受け止めたが歳絵は柄を持ち換え、石突を薫の顎めがけて振り上げた。

「ああっ…!!」

「そこまで!勝負あった!」

 

 薫の顎、紙一重で石突はピタリと止まった。そのまま振り上げて撃っていたら薫の顎は砕けていただろう。声を出して歳絵を止めたのは新太郎だった。眼光鋭い歳絵の顔に気圧されお尻から床に座り込んでしまった薫。薙刀を収めた歳絵。

「精進が足りませんね。お父上があの世で泣いておられます」

 薫を一瞥して道場から去った歳絵。

「合格ね…」

 と、おりょう。勇子も頷いた。

「ああ、ありゃあ物の怪を見て腰が引けるタマじゃないぜ。なあ新太郎」

「そうだね、頼もしい仲間だ」

「しっかし沖田は大ショックだニャ~。実戦経験も積んで自信たっぷりに挑んだと云うのにニャ~」

「上には上がいるってことぜよ」

 床に座り込んで肩を震わす薫を見て新太郎

「泣くなよ薫くん」

「ほっておいて下さい新太郎さん…」

 道場の床に薫の悔し涙が落ちていた。勇子が笑って言った。

「次にやる時は勝って返す!それが私たち剣士の礼儀ってモンだろ?泣くな泣くな!あっははは!」

「うう…。悔しい!悔しいです!びえええええん!!」

 

◆  ◆  ◆

 

 歳絵が入隊してほどなく、京都市内で政商や金貸しを狙った金庫破りの事件が頻繁に起こっていた。手口から物の怪の仕業の可能性もあり、機動新撰組は京都府警の要請を正式に受けて捜査に乗り出した。新太郎は歳絵と共に町で聞き込みをしていた。

「弓月さん、市民は聞き込みにいやに非協力的ですが…」

「京の人たちはつばめ組がやっていると思っている。まあ僕もだけど」

「義賊…。つばめ組ですか」

「ここ数日、数件の孤児院に匿名希望で多額の寄付をした者がいる。たぶん美姫さんだろうね」

「美姫、それがつばめ組の頭目の名前ですか。何故弓月さんは『さん付け』するのです?」

「剣の師匠が女性だったからね。幼いころから女に優しく礼儀正しくと叩きこまれたから、ついつい。あはは」

「では私もならい、さん付けしましょう。で、美姫さんは奪ったお金の一部を割いて、そういう施設に寄付をしていると」

「そう、しかも狙ったのは悪名高い政商や金貸しばかり。人々は溜飲も下がり応援したくなる。ましてや美姫さんの生家である早乙女家は京都では名家だったし、今も親しみを感じている人は多いはずだ。美姫さんが家を政府に潰されたと云うことに同情している人も多いだろうし…捕えようとする僕らに京の人たちが非協力的なのは当たり前だよ」

「盗みは盗み、義賊行為を称賛するのは後世の人たちの仕事です。我らは断固とした態度でつばめ組と対するべきです」

「うん、僕も歳絵くんと同じ考えだよ」

「弓月さんも美姫さんと対峙する時は『女に優しく』はお捨てあるように」

「そ、そうするよ」

 

 二人が京都府警庁舎の前を通りかかると

「んだと叶、もう一度言ってみろ」

「何度でも言ってやる。今の新撰組は親の七光りばっかりだ」

 勇子が警官と今にも大喧嘩しそうな雰囲気だった。つい先日も祇園で府警と大喧嘩して治療代の請求書が束になって屯所に送られてきたばかり。

「勇子くんはまた…」

 頭を抱える新太郎。

「あの人には局長たる自覚がなさすぎます」

 歳絵が勇子に詰め寄り、

「近藤さん、喧嘩している暇があったら聞き込みをして下さい」

「お前は黙ってろ土方」

「…土方?」

 叶と云う警官が歳絵を見た。

「お前が土方歳三の娘か」

「そうです」

「近藤、土方、沖田…。『機動』新撰組ではなく『親の七光り』新撰組と冠したらどうだ?」

「新撰組を愚弄するのですか」

「旧新撰組には薩摩出身の私としては敬意をもっている。だが新撰組ごっこをしている女どもにどうして敬意を払わねばならぬのだ?」

「新撰組ごっこだと!」

 刀を握る勇子。

「聞き捨てなりません。取り消して下さい」

 歳絵も叶を睨んだ。

「取り消さなければどうする小娘」

 慌てて新太郎が間に入った。

「ああもう、府警と新撰組はお互い協力しなければならないのに、どうしてそう仲が悪いんだよ!」

「ひっこんでろ新太郎、この叶鏡一と云う警官は何かと云えば機動新撰組にイチャモンつけてくる奴なんだ。いい機会だからこの場で礼儀ってモンを教えてやる!」

「新撰組ごっこをしている女どもと言われては黙っていられません」

「…だから小娘だと言うんだ」

 叶は庁舎の方に歩いていった。

「逃げんのかコラ!」

 勇子が怒鳴っても叶は無視して去っていった。

「どうして止めたんだよ新太郎!」

「よ、よしてよ、僕に八つ当たりするのは」

「弓月さんは悔しくないのですか、新撰組を愚弄したのですよ!」

「…旧新撰組だって壬生狼と京都の人々に嫌われていたじゃないか。それでも君たちの父上は京都を守った。彼らは京都の人々に称賛されたくて戦っていたわけじゃない。そうだろ?」

「う…」

 言葉に詰まった勇子。

「それを言われると…」

 反論できません、と云う歳絵。

「『親の七光りの女ども』と言われて悔しいなら、府警が手こずっている金庫破りを僕らの手で解決して見返してやろう」

「弓月さんの言う通りです。短気を起こしてすみませんでした」

 珍しくニコリと笑う歳絵。

「よし、気を取り直して聞き込みと行くか」

 歳絵と新太郎は府警庁舎前で勇子と別れた。

 

◆  ◆  ◆

 

 見回りを再開してしばらく経ったころ、泣きべそをかいて歩いている女童がいた。歳絵が歩み寄った。

「どうしました?」

「お爺様とはぐれて迷子になってしまいました」

「それはかわいそうに」

「鈴香、この辺の道は全然分からなくて…ぐすん」

「では私たちと一緒に歩きましょう。見覚えのある道が見つけたら教えて下さい」

「は、はい!ありがとうお姉さん」

「いえ、困っている人を助けるのも新撰組の務めですから」

(へえ…。怜悧一辺倒と思っていたけれど優しいところもあるのだなぁ)

 

 新太郎も歳絵と鈴香に付きあって歩いた。ややあって三条大橋に着いたころ

「鈴香!」

「あ、お爺様!」

 前方から初老の男が走ってきた。

「良かった、お爺ちゃん探し回ったで」

「泣いて歩いていたところを、このお姉さんたちが」

「ほんにおおきに、鈴香の祖父にござ…」

 鈴香の祖父は新太郎と歳絵の着物を見て表情が一変した。

「新撰組のだんだら模様…」

「私たちは機動新撰組の者です。お孫さんが困っていたようでしたので…」

「……」

 歳絵の挨拶に無言で答える老人。

(…?何か様子がおかしいな)

 老人の様子がおかしいことに気付く新太郎。老人が歳絵に

「お伺いしてよろしいか」

「なんでしょう」

「明治の新撰組には旧幕時代の新撰組の娘がいると聞く。貴女もそうか」

「…はい、私は土方歳三の娘、歳絵です」

「土方の娘…!?」

「…そうですが」

「鈴香、手など繋いでおらへんやろな!あの極悪非道の男の血を引く娘と手を繋いでおらんやろな!」

「お、お爺様?」

 歳絵の表情も一変した。父を心から尊敬し誇りとしている歳絵にとって許し難い言葉だ。

「…ご老体、今の言いようは聞き捨てなりませぬ。父を極悪非道と申しましたね」

「ホンマのこと言って何が悪い。土方歳三は京都の恥や」

「…私の悪口ならば聞き流しましょう。しかし父の悪口は断じて許しません」

「なら儂が土方歳三を許せんわけを教えたる」

「…聞かせていただきましょう」

 

「古高俊太郎」

 

「…!」

「この名前を聞いても分からんか」

「…池田屋の情報の持ち主だった方ですね」

「古高は儂の弟弟子やった。あいつが丁稚のころから儂が商いのイロハを仕込んだ。長じたら儂など及ばん商人になり、少し歳の離れた儂の一番の親友やった」

「古高さんは勤皇の志士と聞いていますが」

「そうや、京都屈指の商人にて勤皇の志士やった」

「……」

「言っておくがな、古高も勤皇の志士である以上は死の覚悟はいつでもしとったはずや。古高は剣術もそりゃあ強かった。だから土方歳三が正々堂々の果たし合いの末に古高を討ったのやったら、それは勝負で仕方ないことと儂も怨みに思ったりせえへん」

「だがそうではなかった…」

「そうや、いきなり大人数で古高の家に押し入り、捕えて屯所に連れ帰り、言語に絶する拷問をしたうえ、情報を話したらあっさり斬り殺しよった!拷問やったのも土方、斬ったのも土方や!お前の親父は畜生以下の外道や!」

「……」

「何が『誠』や。笑わせるんやない」

「お爺様、このお姉ちゃんは鈴香を助けて…」

「さあ帰るで鈴香、帰ったら風呂でよう体を洗うんやで。外道の娘と一緒に歩いたなんて汚らわしいからのう」

「お、お爺様…」

「待って下さい」

 新太郎が呼びとめた。

「なんや若僧」

「ご老体の亡き弟弟子さんへの気持ちを思い黙っていましたが、汚らわしいとまで言われれば、もう黙っていられません。彼女の父は確かに土方歳三、彼に殺された方の縁者からすれば許せないのは分かります。しかし親のしたことは娘に関係ありません。面と向かい罵詈雑言をふっかけるなど筋違いも甚だしい!謝っていただきたい!」

 普段温和な新太郎が激しい怒りを見せた。仲間の心を傷つけられて下を向いている者に誠の文字を背負う資格はない。

「なんやと?」

「弓月さん、よいのです」

 新太郎の腕を掴む歳絵。

「歳絵くん、しかし!」

「お願いですから…」

「ふん」

 老人は去っていった。新太郎の腕を掴んだまま歳絵の肩は震えていた。どんなに父を罵られても反論することさえ許されない無念。

 古高の縁者にしてみれば、まぎれもなく父は悪鬼の所業をしているのだ。父の罪は明治になり十五年経っていても許されてはいなかった。親の罪は子に関係ない。そんな美辞麗句は実際に身内や親友を殺された者には通らないのだ。歳絵は涙をこらえた。泣きたいのに泣かなかった。


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