機動新撰組局長、近藤勇子は近藤勇とその正妻である松井つねの次女としてこの世に生を受けた。姉のたまは現在東京の近藤家に住んでいる。鳥羽伏見の戦いで敗れた近藤が江戸に帰還したさい、妻つねの胎内に宿ったと思われる。すぐに戦場に戻る近藤につねが
『もし昨夜の閨で私の胎内に生が宿れば、どのようなお名前を』
と、勇に訊ねたところ
『男ならワシの幼名の勝五郎、諱もワシと同じく昌宜。女ならば勇子とせよ』
そう言って近藤は家を出て行き、そして二度と帰ってこなかった。勇子、つまり勇の子、おそらく近藤勇はその場の思いつきで言ったかもしれないが、当の名前をつけられた本人はその名前を気に入っていた。
勇子が二歳の時、近藤勇は刑場の露と消えた。近藤は天然理心流剣術四代目宗主であるが五代目宗主は娘たまの良人で、近藤家の婿養子である近藤勇五郎が継いだ。この勇五郎が勇子の剣の師匠である。勇子にとっては義理の兄であるが、とにかく修行は厳しかった。修行をいやがる勇子に無理やり竹刀を握らせ、天然理心流を叩きこんだ。母親のつねが
『どうして嫌がる勇子に天然理心流を仕込むのか、女子には必要がない』
と、猛抗議したが勇五郎は聞く耳持たなかった。他のことに対しては義母に柔軟な態度を示す勇五郎であったが『近藤勇子に天然理心流を学ばせる』と云う点には断じて譲らなかった。
勇五郎の妻で勇子の姉であるたまが『せめて理由を聞かせてくれ』と問い質したところ、勇五郎は『大久保剛』と云う差出人の手紙を妻と義母に見せた。大久保剛とは戊辰戦争当時の近藤勇の名前で、戦地の甲府から実家にいる勇五郎あてに近藤が出した手紙である。近藤は次女勇子が誕生したことを知っていた。そして勇五郎に
『必ず、あの忌まわしき戦いは後年に再び起こる。勇子が長じてそれに立ち向かえるよう勇五郎から天然理心流を叩きこめ。勇子が自分の身を守れるため、そして未来を切り開けるように』
そう伝えてあった。つねとたまには前半の部分が分からない。
『お前さん、あの忌まわしき戦いとは?』
『…たとえ言っても信じてはもらえまい』
勇五郎はその点についても頑なに答えなかった。勇子の厳しい修行は続いた。十歳ごろにもなると彼女自身も剣術を磨くことに貪欲になっていった。
やはり父ゆずりの血か、とにかく強くなっていく自分が嬉しいのだ。大変なおてんば娘となり、近隣には『近藤の暴力娘』と恐れられた。寸暇にも修行を自発して行い、十二になったころには師の勇五郎から三本のうち一本は取れるようになっていった。勇五郎は剣だけでなく、勇子の父である近藤勇のことも伝えた。新撰組創設のこと、池田屋事件のこと、そして戊辰戦争のこと。
だが近藤が手紙で書いていた『忌まわしき戦い』については一切触れていない。勇子は父の勇を心から尊敬し、憧れていった。
年頃になった。そろそろ嫁に行く話しが出てくるものだが暴力娘としてその名を近隣に轟かせていた勇子をもらう物好きな家などあるはずがない。勇子自身、大変な気の強さである。並の男でどうこう出来るものじゃない。
「ホーホホホッ、近藤はん、今日も縁談がパアになったそうどすなぁ」
近くに住む京都弁の少女が勇子を笑いに来た。
「相手は近藤の暴力娘と聞いて『冗談じゃない』と言ったんかて?ホーホホホ!」
「うるせえな、いいんだよ結婚なんか」
とはいえ少し傷ついているようで庭で木刀を振っている。勇子を笑いに来たのは、この後に宿敵となるつばめ組のリーダー早乙女美姫だった。近藤家より近くにある名主の田中家に幼いころから食客として暮らしている。
田中家は代々美姫の生家である早乙女家に仕えていた。東京の多摩にある田中家の土地と屋敷も元は早乙女家からの拝領であった。当主の田中半兵衛は明治政府に家を取り潰された主家の姫を憐れみ、せめて嫁に行くまでは重臣であった自分が責任をもってお育てしようと引き取ったのだ。その半兵衛の息子である田中右近がやってきた。
「姫、かような暴力娘を見たら、お目が汚れますぞ」
「なんだとこの野郎!」
ちなみに右近も天然理心流の使い手である。勇子と同門であるが仲は非常に悪い。右近は美貌の姫に仕えると云う西洋の騎士道にかぶれ、自身をナイトと呼び、心より美姫に忠誠を誓っていた。近隣の娘たちの憧れの的になるほどの美男子である。加えて剣の腕はほぼ勇子と拮抗する使い手である。
「右近、そなた近藤はんを嫁にしてやったらどないや?」
「誰がこんなのと」
「そりゃこっちの台詞だ!」
庭先で大喧嘩が始まりそうな雰囲気だが近藤家の者はまったく気にしていない。日常茶飯事なのだろう。
「で、美姫。わざわざ縁談を蹴られた私を笑いに来たのかい?だったら暇だねアンタ」
「そんなことじゃありゃしまへん。今日はお別れを言いに来たのどす」
「え…?」
「ウチは右近を伴い、京都に行きます」
「京都…?」
「知っておりますか。京都は今、物の怪が跳梁跋扈する暗黒の都になっていると」
「初耳だ」
「姫、この女に新聞を読む習慣があるはずございません」
「うるせえぞこの!」
図星だった。
「しかし…そんな物騒なところに行ってどうするんだ。泣き虫だったお前が」
美姫は幼いころは引っ込み思案で泣き虫だった。京都弁を話す彼女は周りに馴染めず、人見知りもして無口であった。それを勇子が連れ出し、一緒に野山を駆けた。二人は親友である。長じて年頃になると生来のお姫様気質が出てきた美姫。勇子とは喧嘩ばかりであったが、それも仲の良さゆえだ。
「泣き虫は近藤はんのおかげで治っておりますえ」
「ふん、そうだな」
「で、そんなところ行ってどうするのか、と言うと、ウチには早乙女家代々継がれていた力があるかどうか見極めるためどす」
「美姫の家に代々伝わる力?」
「そう物の怪を統べる力どす」
「…?…?」
「姫、難しい話はこの女には分かりません」
「とにかく物の怪を自分の思うように使うことどす」
「そ、そんなの出来るのか?」
「自信はある。必ず出来るはず!」
「物の怪を使って何をするんだ?」
「古き良き京都を取り戻し、そして早乙女家を再興させるのどす」
「……」
「近藤はん、今までアンタとは喧嘩ばっかりやったけれど、楽しかったで」
「あ、ああ…。私もだよ」
「京の地から、ええ旦那はんが見つかるよう願うておりますえ」
「大きなお世話だ。おい右近」
「なんだ?」
「ナイトならしっかりお姫様を守れよ」
「言われなくてもそのつもりだ。お前も少しは女らしくなれよ」
「うるせ!」
よもや、この後に機動新撰組局長として美姫率いるつばめ組と対決するとは想像もしていない勇子だった。
◆ ◆ ◆
美姫が東京を出て京都に行き半年が過ぎた。名主の田中半兵衛が新聞を持ち血相変えて近藤家に来た。
「これは半兵衛さん、どうしました?」
勇五郎が訊ねると
「ひ、姫を京都に帰すのではなかった!」
「美姫殿に何か?」
「これを見て下さい!」
新聞には
『物の怪を使い、京都の夜に暗躍する盗賊団つばめ組。その首魁は早乙女美姫』
と大きく見出しで書かれてあった。
「ああ何たること!天下の名家である早乙女の姫が!私は亡き旦那様と奥方様に会わせる顔がない!」
その新聞を覗き込んだ勇子。
「あっははは!こりゃ町一番の出世だ!」
「何が出世か勇子!この町からとんでもない犯罪者が出たのだぞ!しかも倅の右近まで一緒になって…ああ情けない!」
苦笑する勇五郎、新聞をよく見てみると『名家早乙女も落ちたもの』と揶揄する文もあれば『悪徳金貸しや政商のみを狙い、強奪した金の一部を孤児院や病院に寄付。明治の義賊つばめ組と喝采をあげる者も少なからず』と書かれてある。
「ほう、何とも大したものだ」
「勇五郎殿、あんたまで何を!」
「半端な覚悟でやっていることではない。捕えられ処罰されるのもまた時の運。見守るしかないではございませんか」
「……」
「半兵衛さん、美姫も右近も元気で良かったじゃないか!」
と、勇子。
「とにかく田中家は姫と右近と断絶します」
「おいおい半兵衛さん」
「いや勇子、美姫殿と右近は実家にそうされるのも覚悟していよう」
「そう、実家の理解など求めるものではないですな…。しかし勇五郎殿、これではあのおりの…」
「勇子、道場に行っていよ」
いきなり席を外せと言われた勇子。
「な、なんだよ急に」
「大人の話に子供は首を突っ込むな」
「はいはい、分かりましたよ」
拗ねた顔で道場に行った勇子。
「これでは、あのおりの約束が…」
「まあ予想外のこともありましょう」
「予想外の範疇を越えていますぞ」
「まこと、あの時に我らが大将とした方のご息女ならば、己が才覚と器量で世に出ましょう。この『つばめ組』とやらも、その前触れかもしれませんぞ」
「だが、いくらなんでも盗賊まがいの一団の首魁になるとは…」
「勇子とは後に敵味方になりましょうな…」
「なんということだ。本来なら姫は勇子たちと共に、来るべき変事に立ち向かうべきなのに」
半兵衛が近藤家をあとにした後も新聞を見ている勇五郎。ふとつぶやいた。
「物の怪が出始めて一年ほど経つか…。そろそろかもしれん…」
◆ ◆ ◆
勇五郎の予感は当たった。近藤家におりょうと云う女がやってきた。当主の勇五郎が正装したうえ、下座で出迎えたので勇子はおりょうがどういう女なのか関心を持った。
「母さん、今日やってきた女の人、師匠のコレ?」
小指を突きたてて笑う勇子。
「これ、そんな無礼なことを申してはいけませんよ」
「しかし何と云うか貫録があるよねぇ…。物静かだけど威厳がある。私もあんな大人の女になりたいなぁ…」
客間で向かい合うおりょうと勇五郎。
「その様子では、そろそろ私が来ることを予想していたようですね勇五郎さん」
「はい、京都で物の怪が跋扈しだして、そろそろ一年になりますゆえ」
「亡き良人…。竜馬の予想していたとおりの世が来てしまいました」
「それに備えるべく勇子を厳しく仕込んできました。今では私も敵わぬほどに」
「私に預けてくれますか?」
「そのつもりです。して、おりょう殿」
「はい」
「他の新撰組の血を引きし者たちは?」
「土方さん、沖田さんの娘さんたちも厳しい修行を経て、強き剣士と成長しているとのこと。それに加え四代目源内さん、弓月陽一郎さんの子息、竜馬の子もまた。遠からずこの者たちが京都にやってきます」
「…まさに、あの戦いに臨んだ者の子らが集結ということに」
「正直…紗姫さんのご息女がああなるとは予想外でしたが」
「ははは…。確かに早乙女の力を継承する美姫殿を勇子たちが支えてあの者に挑むのが本来であったのでしょう。しかし勇子と違い美姫殿には師をつけようがない。師となるべきであった母の紗姫殿が亡くなった以上、自分で早乙女の力に目覚め強くなるしかないかと。深窓の令嬢として甘やかされていたら、いざと云う時に使い物にならぬもの。美姫殿がああなったことは確かに予想外な出来事とは云え、正直たのもしく思っているのです。かつて紗姫殿を大将としてあの者に挑んだ一人として」
「勇子さんと敵味方になることもまたよし、と云うことですね」
「はい、時がくれば手を取り合うはずですので」
「では本題に入りますが…政府高官である勝海舟殿の尽力によって、京都に新たな新撰組が作られました。暗躍する物の怪を倒す専門部隊で、その名を機動新撰組と申します」
「機動…。紗姫殿が装備されていた甲冑の…」
「そうです。物の怪を倒すと云う点で新撰組の前に『機動』と云う文字を加えました。そしてこの私、おりょうが勝先生より長官に任じられました」
「局長ではなくて?」
「局長には勇子さんになってもらいます」
しばらくして勇子が呼ばれた。
「近藤勇子です」
「おりょうと申します。勇子さん、こちらに」
「はい」
師の勇五郎の横に座る勇子。
「おりょう殿、説明は私から」
「頼みます勇五郎さん」
「コホン、勇子、この方は京都に設立された機動新撰組の長官、おりょう殿だ」
「し、新撰組!」
「そうだ。京都の夜に現れる物の怪を退治する専門部隊だ。長官のおりょう殿は旧新撰組局長の息女であり、今では天然理心流宗主の私も凌駕する腕前になったお前を是非局長として招きたいと仰せだ」
父のようにありたい、そう常々思っていた勇子にとって夢のような話だった。親友の美姫と敵味方になると気づくのはずいぶん後のことである。
「わ、私でいいんですか?私は剣しか取り柄がありません。学もないし、ズボラだし」
「ふふ、お父上もそうでしたよ」
「父上に会ったことが?」
「はい、時には敵、あるいは味方としてね」
「ち、父上と敵対したことも?」
「はい、でも尊敬できる敵手でした」
この人の下でなら働いてみたい、勇子は思った。ましてや新撰組として働けるならなおのことだ。
「いかがでしょう、私と一緒に京都に来ていただけますか?」
「は、はい!お世話になります!」
「頼りにしていますよ」
「よし、勇子しばらく待っていろ」
勇五郎は席を立ち、そして包みを持って戻ってきた。
「師匠、それは?」
「私からの贈り物だ。隊服と刀だ」
包みを開けると桃色の羽織に白のだんだら模様の隊服、そして刀だった。
「これ、もしかして虎徹?」
「残念ながら義父殿の持っていた虎徹ではないが、まったく同じものだ」
この贈り物を用意していたということは師の勇五郎が後年に自分が新撰組として戦うことが分かっていたということ。だが羽織と刀に目を輝かせる勇子はそんなことに気付かない。さっそく羽織を来て刀を腰に差した。
「おお、似合うぞ」
不思議な高揚感にある勇子は刀を抜いて
「熱き炎を刀に込めて、近藤勇子、行くぜ!」
たのもしく成長した勇子を微笑み見つめる勇五郎とおりょう。勇子はその日のうちに近藤家から出て行き、京都に行った。その道中でのこと。船の客室でおりょうと食事をしている時だった。
「そういえば勇子さんは『つばめ組』を率いる早乙女美姫とは幼いころからの親友とか」
「モグモグ、はい、そうです」
「今後、私情は捨てていただくことになるわ。貴方はその早乙女美姫と戦わなくてはならないのだから」
「は…?」
思わず箸を落としてしまった勇子。
「つばめ組の賞金首、いかほどか知っています?」
「い、いえ…」
「五百円です」(現在の金額でおよそ五百万円)
「ごっ…!!」
「しかも生か死かをこだわらないというもの。京都府警がいかにつばめ組を恐れているか分かりましょう」
「まさか、そんな大物盗賊になっているなんて…」
「つばめ組は物の怪を使い、京都内の政商や裕福な府の役人を狙い金銀を強奪しています。物の怪を使ってくる以上、誰も止められないのです。加えて側近の田中右近と鈴木左近はかなりの手練れです」
「確かに右近は強いです。木刀では私も五分に戦えましたが真剣ではどうなるか…」
「つばめ組はもう警察にも手に負えない存在なのです。だから私たち機動新撰組に協力が要請されています」
「……」
「しかし当人たちが義賊と称しているだけ、強奪したお金を割いて孤児院や病院に寄付をしています。だからつばめ組は府民には大変愛されていると云う側面もあります。府警もそれを逮捕したら府民が怒りだすと分かっているから強引な捕りものが出来ない。だから私たちに仕事を回してきたのです」
「なんか狡くないですか?」
「警察が対応できないものを代わって任務遂行するのが機動新撰組の務めです。いいですか、早乙女美姫を逮捕するにためらうようなら、すぐに局長の任を解いて東京に帰ってもらいます。分かりましたね」
「は、はい!」
(美姫と戦うのかよ…)
◆ ◆ ◆
やがて美姫にも機動新撰組の設立と、その局長に近藤勇子が就いたと云う知らせが届いた。つばめ組のアジトは大徳寺の北にあり、見かけは一般住居と変わらない。その一室で美姫は右近からの報告を受けていた。
「ほうか、近藤はんがな…」
皮肉な巡り合わせに美姫はため息をついた。近藤勇子と戦うことになる、そう悟った。
「あの暴力娘が局長、ははは、大丈夫ですかな、その機動新撰組と云うのは」
「近藤はんだからこそ用心せなあかん」
「姫、右近、飯が出来たっす!」
相撲取りみたいな男が部屋に来た。
「さよか、なら食べて夜に備えるで」
「はっ」
「今日は左近特製ちゃんこっす!」
「おお、ええ匂いやな~」
美姫、右近と共にいるのは鈴木左近と云い元相撲取りだ。横綱間違いなしと期待されていたが、食い逃げして警察に捕まってしまい角界を追い出されたと云う哀れと云うか情けない経歴の持ち主だ。期待していたぶん家族の失望も相当なもので、親兄弟には絶縁されてしまい、住む家もなくしてしまった。
流れ着いた京都の町で空腹のあまり倒れてしまった。それを美姫が助けて腹いっぱい食わせてやった。評判のつばめ組と知るや左近は美姫に仕えることを決めたのだった。横綱間違いなしと言われただけあり、いささかボーとしているところもあるが、とにかく左近は強くてたのもしい。また料理も得意だった。
「ごちそうはん、左近、今日の飯も美味かったで。おおきに」
「姫に褒めてもらえるのが一番嬉しいっす」
「さ、二人とも夜に備えて眠っとき、今日も忙しゅうなるで」
「「はっ」」
「ウチもひとっ風呂入って寝るわ。じゃ後ほど」
「「お休みなさいませ」」
風呂に入る美姫、窓の外の木々を見つめ
「たとえ近藤はんでも…ウチの前に立ちはだかるなら容赦しまへんで」