萌えよ剣 壬生の狼の娘たち   作:越路遼介

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十六年前の真実

 慈慧の住まいである九条山を出て、新撰組屯所に向かう一行。新太郎が

「薫くん、ちゃんと屯所に帰ったかな…」

「もう薫に帰る場所は新撰組しかない。心配はいらん」

 慈慧が答えた。

「いささか厳しく仕込みすぎての…」

 薫が自分を嫌う理由を新太郎と勝に話した。

「薫くんの陰陽術にはずいぶんと助けられました。あれほどの技量を得るには相当の修行が…」

「女童では過酷と云うことは分かっておったが…結果それがあの子が自分を守るために繋がると思っての」

「まだあの子は子供だぜ。もう少し大人になんなきゃ師の愛ってのは伝わらねえかもな」

 と、勝海舟。父母の愛を知らず、師を嫌う薫。肉親の話が出ると普段の可愛らしさが消えうせて、妙に覚めている薫の態度の理由が少し分かったような新太郎だった。

 

◆  ◆  ◆

 

 しばらくして屯所に着いた。本部の長官室に通された慈慧。慈慧の訪れを聞いて屯所に滞在していた山県有朋もやってきた。さすが維新動乱を生きた山県、慈慧を見るや

(ただ者ではないな…。このご老体…)

 おりょうは全隊員を呼んだ。源内やきよみと云う普段は戦闘に加わらない者たちも呼ばれた。しかし

「あら、薫ちゃんは?」

 薫が来ていないことに気づいたおりょう。

「帰ってきていないのか?」

 新太郎が竜之介に聞くが

「いんや、九条山から帰ってきて、すぐ部屋に篭もったようじゃが」

「とにかく、これから慈慧さんから伺うことは我らにとって大事なこと。僕が呼んでくる」

「弓月さん、甘やかしすぎです。何度も言わせないで下さい」

 歳絵が止めた。

「しかし」

 そうこう言っていると

「遅れてすみません」

 薫が来た。師に会いたくはないが、その師より話されることは新撰組にとって大事なもの。聞き落とすわけにはいかない。しかし顔に涙の跡がありありと見えた。

「何だその面」

 勇子がタオルを投げてきた。

「どうも…」

 神妙に顔を拭いた薫。キッと慈慧を見つめ、テーブルについた。

 

「コホン、全員揃いました。慈慧殿、十六年前に起きた事件についてお話しいただけますか」

 おりょうの願いにうなずき、飲み干した茶碗を卓上に置いた慈慧。

「どこから話せばよいか…」

 竜之介や猫丸も身を乗り出す。今までサンダードーンについて情報はあまりに少なかったが、やっと敵を知りえるのだから。

「今から十六年前…。サンダードーンは京都に進攻を開始した。世は幕末、京都は動乱の真っ只中じゃった。京都ではやれ勤皇だ佐幕だと大騒ぎで人間同士が戦っておった。その喧騒のなか、やつらは京都を我が物にし、魔都にしようとしたのじゃ」

「魔都?」

 と、山県

「さよう…。元々京都は妖気や霊力の集まりやすい場所であった。ゆえに古は物の怪が跳梁跋扈する魔の都であった。人間を襲い、喰らい、まさに物の怪の楽園であった。しかし人間の中には物の怪を利用して権力を握ろうと云う者も出てきた。京都は物の怪と人間、かつ人間同士も争いを繰り広げる不毛の場所であった。それを早乙女家と代々陰陽術を生業とする我が神楽家が長い年月を重ねて物の怪と魔都を我が物とせん人間の悪しき心を清め、やっとの思いで『浄都』とし、今の京の都となったのじゃ」

 ゴクリと唾を飲んだ新太郎。

「それをサンダードーンは再び魔の都にせんと」

「その通りじゃ。サンダードーンは魔族に適したこの京都を橋頭堡として日本を我が物にしようとしていた。幕末の京都は混沌としていた。武士も町民も己が明日に生き残るだけで精一杯で、よもや西洋の魔物がそれに付け入り京都を手中にしようなどとは考えてもおらなんだ。そんななか、サンダードーンは紗姫殿を殺そうとした」

「な、何故、美姫のお母さんが狙われたのですか」

 勇子が聞いた。

「それは早乙女家の力が恐ろしいからじゃ。当初サンダードーンは紗姫殿を味方につけようと考えたらしいが、紗姫殿は拒否した。味方にならぬのなら彼奴らにとって紗姫殿は真っ先に倒さなければならぬ強敵。早乙女家の当主は代々物の怪を統べる力、そして封じる力を持っている。特に紗姫殿は歴代当主の中でも、その力は傑出しておられたそうじゃ。それゆえ早乙女家の当主には、その力に溺れぬ強き心もまた不可欠であるが、紗姫殿はそれを十二分に兼ね備えておった。あの時代に生まれるべくして生まれた女子であったと言えよう」

「美姫さんが貪欲に力を求めるのも母親と同じくらい強くありたいと云う気持ちからなのですね」

 鬼女の様相となっていた美姫を思い出す歳絵。

「サンダードーンの野心を知った紗姫殿は戦う決断をされた。そこで儂は呼び出されたわけであるが、早乙女家に行ってみれば弓月陽一郎殿、坂本竜馬殿、三代目平賀源内が紗姫殿の前にいたのじゃ」

「儂らの親父らが揃ってたんじゃな…」

 と、竜之介。そして源内

「私も初めて聞きます。なぜ父を紗姫さんは?」

「サンダードーンと戦えるために己が武具を作ってほしいと依頼したのじゃ。竜馬殿には立ち向かう者たちを集めてもらうよう頼み、そして陽一郎殿には資金の提供を頼んだ」

 父、陽一郎の名前が出た。訊ねる新太郎。

「それで機動の武具の設計図は女性用しかないのか…。しかし慈慧さん、動乱の京都、人間同士が勤皇だ佐幕だと毎日命がけで戦っていた日々の中で、紗姫さんの言うサンダードーンとの対決など、にわかには信じがたい話。どうして父や竜馬殿、先代源内殿、そして慈慧さんも信じたのですか」

「漠然とした言い方になるかもしれんが紗姫殿の目じゃな。そりゃ最初は信じられんかったが、我が神楽家と早乙女家は古来より一連托生、早乙女家から共に戦えと言われれば拒否はできぬ。何より京を守りたいと紗姫殿は必死に儂らに訴えた。京都を守りたいのは皆、同じ気持ちじゃった。それゆえに儂らは紗姫殿を御輿に戦うことを決めたのじゃよ」

「弓月家は自ら家を潰したと美姫さんが言っていたけれど、そういうことだったのか。その戦いに備えて財を出して…」

「そうなるの…。弓月家は早乙女家の御用商人を務めていたが、それは陽一郎殿が紗姫殿の父上輝英殿の一番弟子であることが縁であった。輝英殿は当時屈指の武人であり学者でもあったゆえ眼力も確かであった。当時の弓月家は貧しかったが早乙女家は陽一郎殿に投資した。やがて陽一郎殿はその期待に応えて京都一番の商人となり、御用商人となったのじゃ。どんな大身になっても早乙女家への恩義は忘れなかったのじゃろう。紗姫殿の覚悟を見て惜しみなく資金の提供を申し出ておった」

「知りませんでした…。父と早乙女家にそんな縁があったなんて…」

「竜馬殿がどうして早乙女家の要請に応じたかと云うと、元は逆で竜馬殿が早乙女家に支援を求めた。竜馬殿は薩長新政府軍と幕府軍の戦いを止めるため、早乙女家を味方につけようとしたのじゃ。公家と武家いずれにも重く見られている早乙女家を介して朝廷を動かし、武力倒幕を止めようとしていた。そして紗姫殿と夫である直道殿も竜馬殿の考えに同意して全面協力を約束していた」

「たまるかよ親父、もしそれが実現していたら戊辰戦争さえなかったかもしれんのじゃな」

 今まで知らなかった父の偉業に感嘆する竜之介。

「だが、ご承知の通り、これは実現していない。紗姫殿と直道殿が、さあ朝廷工作にかかろうと思った矢先、サンダードーンが接触してきた。紗姫殿が味方につかぬと知るや刺客を放ち殺そうとしたが紗姫殿は返り討ちにしている。この日本を侵略せんとするサンダードーンと戦うことは、もはや避けられなくなった。無血の政権交代実現のため奔走していた竜馬殿にとって早乙女家の支援は不可欠。それゆえ竜馬殿は部下の海援隊も引き連れて紗姫殿に加勢を決めたのじゃ」

「無血による政権交代…。亡き良人の悲願でした。日本人同士が戦うなんて、あってはならぬと…。そのために良人はサンダードーンと戦う決意をされたのですね…」

 うっすら浮かんだ涙を拭うおりょう。竜之介もうなずき

「そして、この国を守るために…。親父は俺の誇りじゃき…」

「源内殿が呼ばれたのは、今お主らが使っている『結界発生装置』を作ってもらうこと。そして紗姫殿個人の武具を作ってもらうことであった」

「父と早乙女家はどんな縁が」

 源内が訊ねた。

「陽一郎殿や竜馬殿のような縁はない。戦いに備えて早乙女家が召したのじゃ。源内殿は大変喜んでいた。天才であっても世渡りは下手じゃったからな。早乙女家に才能を認められ、惜しみない資金を使って発明に取り組める。しかもその発明したものがこの国の行く末を左右するものとあってはな。源内殿はそれこそ寝る間も惜しんで機械作りに没頭した」

「そういえば私が子供のころ、父が大変喜んで母に話していました。『男冥利に尽きる仕事を得た』と…。そしてある日、満面の笑みで家を出て、父は二度と帰ってこなかったのです」

「帰られるはずがないの…。源内殿はサンダードーンとの戦いで討ち死にしているのじゃから」

「父が討ち死に…!」

 源内は初耳だった。しかし、今にして思えば母は帰らぬ夫に愚痴めいたことは何も言っていない。それどころか父、祖父、曽祖父が残した書を自分に与えてくれる時には『父上のような大きい発明家になりなさい。四代目平賀源内として恥じぬ男児になるのですよ』と言っていた。源内はこの先祖の書を受け取った時、父は蒸発したのではなく死んだのだと悟った。だがまさか死因が戦死であったとは。母は父の討ち死にを知っていたのかもしれない。そう思った。

「父の最期を慈慧さんは…」

「無論、見ておる。それも話させていただこう…」

 

 きよみにお茶のおかわりを頼む慈慧。二杯目の熱い茶をすする。

「ふう、では続けるが…。紗姫殿を中心として戦うと決めた我ら。竜馬殿は海援隊を引き連れ、竜馬殿の同志である中岡慎太郎殿も陸援隊を率いて戦いに参加した。だが、まだ足らないと見たか竜馬殿は我らも予想していなかった者たちに加勢を請うていた。それが新撰組じゃ」

 固唾を飲み、慈慧の言葉に聞き入る勇子と歳絵。

「つい昨日まで戦っていた新撰組に加勢を要請したのじゃ。さしもの紗姫殿も驚いていた。新撰組は開国論者であった紗姫殿の良人直道殿を斬ろうとしたこともあるからじゃ。竜馬殿も半ば斬られる覚悟で説得に当たったらしいが、京とこの国を守るためならばと近藤、土方は竜馬殿と一時休戦を約束し、手を組むことにし、そしてサンダードーンへ共に立ち向かったのじゃ」

「さすが父上…」

 父の侠気が嬉しい歳絵。それにしても休戦を約束したとはいえ坂本竜馬と新撰組が手を結んでいたとは。

「やがてサンダードーンとの戦いが始まった。紗姫殿を中心に我らは総力をあげて立ち向かった。新撰組、海援隊、陸援隊の突貫はすさまじく、竜馬殿、中岡殿、陽一郎殿も、そして紗姫殿の良人直道殿も刀を抜いて戦い抜いた。儂は陰陽術、源内殿は大鉄砲で立ち向かった。ニサン、テベト、セバト、アブ、アダル、その他主要な幹部たちも我らは何とか倒し、ついに我らはサンダードーンが残り二体になるまで追い詰めた。それがサンダードーンの首魁テトラグラマトンとその右腕である天戒のサリーヌと云う女」

「「テトラグラマトン…。サリーヌ…」」

 思わずみなが声をそろえて発した名前。その名前の持ち主が我らの敵なのか

「しかし、サンダードーンと戦っているうちに分かったことがあった。使い魔ならば刀で斬られ、鉄砲で撃たれれば人間と同じく普通に死ぬ。しかし首魁のテトラグラマトンは倒した後に封印しなければならぬと。テトラグラマトンの肉体は消滅しても、その魔力は朽ちぬのじゃ。源内殿がそれにいち早く気づいて、最終決戦前に封印機を作りあげた」

「父さん…」

 父の偉大さを改めて知る源内。

「が、こちらも戦える者は二人のみとなっていた。もはや立っているのは紗姫殿と新撰組の沖田総司しかおらなかった。あとは死ぬか戦闘不能かとなっていた。そして総司がサリーヌを斬った。すさまじい一騎打ちじゃった。あの戦いがなければ総司は二十六なんて若い命を散らすこともなかったろうにの…」

「…ふん」

 薫の態度は冷淡であった。

「直道殿も討ち死にした。紗姫殿は良人の見事な最期を見届けるやテトラグラマトンに最後の攻撃に出た。己が力をすべて出し、機動剣に注ぎ込み、テトラグラマトンを斬り、源内殿の持ってきた全ての封印機にテトラグラマトンの魔力と早乙女の力を封じた。早乙女の力をもって封印を強めるためじゃ。しかし、そこまでじゃった。すべての力を使い果たした紗姫殿は近藤と土方に封印機を早乙女の治める寺社に封印するよう命じ、そのまま息を引き取ったのじゃ」

 新太郎たちは言葉もない。紗姫が命がけで倒して封印したテトラグラマトン、今その封印を解いているのは、その紗姫の娘の美姫である。

「哀れを通り越して悲惨だぜ美姫…。何も知らねえでサンダードーンに利用されちまって…」

 ため息をつく勇子。

「激闘のあと、重傷だった源内殿は言った。『紗姫殿の力を付加したとしても、封印機の効力は長くて十八年』と。さしもの天才源内でも、それが精一杯だったようじゃった。誰も責めることはできん。裏を返せば源内殿あらばこそ十八年は魔族の脅威がないということになるのじゃからな。だが源内殿は『テトラグラマトンの魔力が流出すれば、紗姫殿と我らが死ぬ思いで倒した魔族たちがまたやってくる!私の不甲斐なさで後の世代に災いを丸投げしてしまう』と血だるまのなか号泣していた。その時に竜馬殿は笑って言った。『ならば儂らの子にサンダードーンをぶっ潰してもらうしかないきに』とな。これが現在の機動新撰組創設の基となる考えじゃった」

 機動新撰組の父たちが後の世に物の怪が跋扈すると分かっていたのは、これが理由である。

 それにしても発明品が未完の状態で戦いに臨まざるを得なかった父の無念を思うと、涙が止まらなかった源内。そして、その父の嘆きに対して笑って答えた竜馬の男気が嬉しくてならなかった。

「また、テトラグラマトンを倒しても戦いはそれで終わらなかった」

「「えっ?」」

「サンダードーンの生き残りたちのすさまじい復讐が始まった。あの戦いに参加した者たちが次々と不可解な死を遂げていったのじゃ」

「まさか…」

 恐る恐る慈慧に訊ねるおりょう

「…そう、竜馬殿、そして中岡殿も殺されてしまった」

 山県を見るおりょう、薩長の仕業でも、一説にあった幕府の刺客でもなかった。良人竜馬はサンダードーンに殺されたと初めて知ったおりょう。

「なんてこと…」

 肩を落とすおりょう、京都を守るために戦い抜いた良人がどうしてそんな非業の最期を遂げなければならぬのか。無念でたまらない。息子竜之介も目を閉じて悔しさをにじませる。

「今さら言っても始まらないが…。坂本が早乙女家を介して朝廷を動かして戦を止めていたら…。江戸城の無血開城で維新は終わったかもしれぬ」

「ちげえねえな山県さん、いくら勢いに乗る薩長も朝廷の命令だけにゃ逆らえねえ…。ここで戦をやめろと勅命でも出てりゃあ…戊辰の悲劇もなかったかもしれねえってことか」

 歴史に『もしも』はないが、そう思わずにはいられないと云う気持ちが山県と勝の言葉にこもっていた。

「新撰組や海援隊、陸援隊の者たちも、その身の危険を感じていた。しかしサンダードーンの復讐は陽一郎殿の死をもってピタリと止まった」

「ち、父の陽一郎はサンダードーンに殺されたのですか!」

 源内同様、新太郎も初めて聞いたことであった。

「そうじゃ…」

「父が…」

 新太郎は病で死んだと母に聞かされていた。しかしそれは母の当然の親心と言えるだろう。

「でも慈慧さん、どうして陽一郎さんが最後で、それ以降サンダードーンは誰も殺さなかったんだい」

 勝が訊ねた。

「あくまで仮説じゃが、首魁であるテトラグラマトンの魔力が消えると魔族たちは本来の力も出せず、かつ、この世界に留まることも難しくなるのかもしれぬ。陽一郎殿を討ったその時が時間切れであったのではないじゃろうかの」

「なるほど…。悔しくてならねえな…。もう少し早く時間切れが来てくれたら良かったのによ…」

「だが、サンダードーンがこのままでいるはずがないことは、戦った者すべてが分かっていた。封印は永遠でないと分かっている以上、備えなくてはならぬ」

「慈慧殿、坂本や近藤たちが自分の子らにサンダードーンと戦えるべく修行させたのはそのためなのか。いずれ子供たちがサンダードーンに立ち向かえるようにと」

 山県が訊ねた。

「そう、ご維新から十五年経ち、この京都に物の怪が出たのは封印機の効力が落ち、テトラグラマトンの魔力が漏れ出したゆえじゃ。徐々に物の怪と魔物が強くなっているのも、その魔力の流出量と比例してのことじゃ」

 物の怪と魔物が京都に出る理由、そして徐々に強くなっている原因が分かった。すでに十六年前の戦いが終わった時点で今の戦いは始まっていたのだ。

「だが、この事態の到来も分かっていたこと。あの戦いの生き残りは儂も合わせれば何人かはおろう。じゃが、その時代の悪は、その時代の若者によって倒されるべきなのじゃ。前に戦った我らは、後の者に自分を守る力と巨悪に屈せぬ心を授けたのじゃ。薫の父である総司も…」

 薫を見る慈慧。

「長くない命を悟り、儂に薫の養育を委ねたのじゃ…」

 

「それが身勝手だと言っているのよ!」

 椅子が倒れるほど勢いよく立って薫が言った。今まで見たこともない怒りの形相の薫。

「自分たちが出来なかったことを娘に託して生き地獄のような修行を叩き込むなんて!父の総司は私のことなんか何も思いやっていないじゃない!沖田総司なんて大嫌い!!」

 薫は長官室を飛び出していった。廊下からは薫の泣き声が聞こえる。

「薫くん!」

「よせ新太郎、土方の言うとおり、ちと過保護だぞ」

「勇子くん…」

「ま、私も師の勇五郎の課す修行が厳しくて、今の沖田と同じことを思ったことはある。私の剣の修行は父の勇の遺言…。どうして私にこんな仕打ちを、幼いころは時々思った」

 歳絵も静かにうなずく。

「私も幼きころは思いました。養父の課す修行の厳しさのあまり…」

「でもな、今の慈慧さんの話を聞くと、親父たちは私たちに後事を託すしか選択肢はなかったと思う。生まれる前から魔族の一大軍団サンダードーンと戦うことに運命づけた修行をさせなけりゃ、結局は先日の陸軍と同じく、自分より強いものには立ち向かえない半端な剣士となっていたはずだ。自分自身と京都を守るためには生まれ付いて『誠』を背負っていなけりゃ駄目なんだってことだ」

「た、たまには良いことを言いますね近藤さん」

「そのとおりじゃ。ただ喧嘩に強いだけでは役に立たない。京都を守る、仲間を守る『誠』の心が無くばサンダードーンとは戦えぬ。それゆえ後の京都を、ひいては日本と云う国を思い、おぬしらの父上は強く育てるよう残るものに言い残した。薫の言うように、それは当のおぬしらからすれば父の身勝手なのかもしれぬ。普通の娘が味わうであろう恋も知らぬまま、剣を握って戦うことになったのじゃから」

「すべて片付いてからすれば良いことだぜ慈慧さん、まあ私の眼鏡に叶う男がいればの話だがな。あっははは!」

 陽気に笑う勇子。

「己がすべきことから逃げることは、己から逃げていると同じこと。心配いりません、いずれ沖田さんにも分かるはずです」

 歳絵が添えた。拳を握り、顔が紅潮している新太郎に気づいた慈慧。

「若いの」

「は、はい」

「父を殺したサンダードーンを許せぬのは分かるが、復讐で戦えば身を滅ぼす。聞けば役目は参謀と聞くが、参謀はどんな時でも冷静沈着でなくてはならぬ」

「冷静沈着…」

「そう、そなたの采配が仲間の命を握っていることを忘れるでない。父の仇を討つため戦うのではなく、京都を、日本を、仲間を守るために戦うことじゃ。陽一郎殿の死の真相を語った儂が言うのも変じゃが、すべて終わるまで父がサンダードーンに殺されたと云うことは頭の片隅にでもしまっておくことじゃ」

 新太郎は席を立ち、慈慧に頭を垂れた。

「お言葉、肝に銘じます」

「おれもすべて片付くまで忘れるぜよ」

「私もです」

 竜之介と源内も『復讐で戦わない』ことを肝に銘じたのだ。

 

◆  ◆  ◆

 

 薫は長官室を後にして中庭に来ていた。四人の式神を召還し

「今日からみんな特訓よ!」

「「ええ~!」」

 げんなりする式神たち。

「なによ、みんな嫌なの?」

「ど、どうしたんだよ薫ぅ、いつもと違うぞ」

 天然ボケのような、いつもの雰囲気がない薫。式神白虎も戸惑っている。

「私の陰陽術も未熟なんだろうけど、みんなも力が足りない。まだまだ力を上げなくちゃ、あのクソジジイには勝てないの!絶対にギャフンと言わせてやるんだから!」

「…そういう戦いに僕たちは協力できないなぁ薫ぅ」

 玄武が言った。

「ど、どうして?」

「だって慈慧は物の怪でもなければ魔物でもないじゃん。僕たちが力を貸すのは薫が京都の人々のために戦うときだけ」

「……」

 式神の紅一点、朱雀が

「慈慧をギャフンと言儂たければ、刀でやるしかないな薫ぅ」

「もういい!みんななんか知らない!」

 拗ねて中庭を走り去る薫。

「やれやれ、女の子は疲れるなぁ…。しんたろーがボヤくの分かるよ」

 愚痴る玄武。特に今の薫は扱いが難しいだろう。

 薫を守護する式神たち、青竜、玄武、白虎、朱雀は京都の東西南北を守護する聖獣である。その守護の力を時に刃として使えるのは代々京都で陰陽術を継承してきた神楽家の者たちだけで、慈慧は神楽家の正当継承者である。早乙女家は物の怪を統べて封じる力、神楽家は陰陽術で京都を邪の者たちから守り続けてきた。慈慧が言ったように混沌とした魔の都を浄都としてきた二つの家である。

 式神は愛らしい童子の様相であるが、青竜、玄武、白虎、朱雀と云う名前の通り、彼らは聖獣と云う神に近い存在である。ならば、この聖獣に守護されている薫は無敵ではないか、と云えばそうでもない。現在、薫を守護する彼らは姿同様まだ子供なのである。

 

 十六年前のサンダードーンとの戦いのおり、慈慧の陰陽術によって彼らも京都を守る戦いに身を投じている。しかし、それは彼らであって彼らではないと云える。サンダードーンとの戦いは歴史に残らなかったのが不思議なほどに壮絶なものだった。まさに種の存続を賭けた戦いと云える。

 まして、十六年前の戦いは魔王テトラグラマトンそのものが存在しており、サンダードーンの魔族たちはその魔力の影響で現在よりはるかに強大な力を持っていた。それを打ち破るため式神たちは早乙女紗姫と共に戦い、やがて勝利するも彼らも著しく傷ついた。永遠とも云える長命な聖獣であるが、病や深手に対しては時にもろい。死を悟った聖獣たちは転生を果たした。それが現在、沖田薫を守護する式神たちである。

 つい最近に生を受けたばかり。式神としての力は持ちながらも子供なのである。また転生したと云えども、前世の力すべてを継承しているわけではない。現に彼らはテトラグラマトンとの戦いは何一つ記憶していない。無論、十六年前は自分たちの召還術者であった慈慧のことも知らない。薫の師匠であると云う認識しかない。慈慧は後年に弟子の薫がサンダードーンと戦うことは分かっていたため、それで薫に式神を預けたのであろう。

 

 慈慧は新撰組屯所に一泊していき、丁重にもてなされた。しかし薫は会おうとしなかった。

 そして翌朝になった。慈慧は新太郎の部屋に訪れた。

「若いの、世話になったの」

「とんでもございません。今まで何も分からなかったサンダードーンについてお教え下さり、本当に助かりました」

「座ってもよいかの」

「はい、いまお茶でも」

「よい、すぐに済む」

「は?」

「若いの、いや新太郎殿」

「は、はい」

「薫を頼む」

「え?」

「あの子にとって儂はつらい修行そのものでしかない。蛇蝎のように嫌われて当然なのじゃ」

「ですが、そのくらいの修行でなければ薫くんに今の力は…」

「その通り、だから薫が一生儂を許さないのも分かったうえで行ったこと」

「慈慧さん…」

「儂を憎み、いつか倒そうとしているのならそれもよい。薫は今、ここが唯一の居場所で仲間たちが家族じゃ。薫の何よりの心の支えとなっている。強情でわがままなところもあるが、手のかかる妹とでも考え、優しくしてやってくれ」

「分かりました。しかし薫くんがお父さんを憎むのは…」

「…総司も憎まれるのは分かったうえであろう。もう少し大人になれば薫も父の気持ちは分かる」

「……」

「ではの」

 慈慧は去っていった。新太郎はこのまま二人を分かれさせてはいけないと思い、薫を部屋から連れ出しそうとした。

「いやですよぅ、あんなジジイの見送りなんか」

「そんなこと言っちゃ駄目だよ。師と言えば父も同然だろう」

「父なもんか。あんな生き地獄を味あわせた人なんか」

「でも、それがあったから今の薫くんは強いんだ」

「……」

「僕らは薫くんの陰陽術がなかったら、サンダードーンはおろか物の怪にもとっくに全滅させられている」

「……」

「慈慧さんは今もああして厳しいかもしれないが、それも唯一の弟子である薫くんを愛すればこそなんだ」

「愛すればこそ?ふん、新太郎さんは美人の先生に優しく指導されたからそんなことを言えるのです」

「薫くん…」

 それは薫の誤解である。千葉佐那子の課す修行は並大抵のものではなかった。血だるまになるほど打ち据えられたのは数え切れない。だが、それを苦労自慢のように話しても意味は無い。勇子や歳絵は新太郎の地力を見て、それは分かっていただろうが薫には分からなかったようだ。

「分かった。じゃ僕は行くよ。でもこのまま今日がお師匠さんとの今生の別れになったら一生後悔するのは君自身だよ」

 薫の部屋から立ち去った新太郎。ドアを閉めた薫だが、どうも引っかかる。

「今生の別れになったらせいせいする…」

 そう自分に言い聞かせるが、ややあって床を思い切り蹴った。

「ああもう!ずるいなぁ新太郎さんは!」

 薫も天国荘を出た。屯所の入口には慈慧を見送るため、おりょうや新太郎、機動新撰組らがいた。

「ジジイ…」

「何じゃ薫」

「せ、せいぜい長生きすることね。テトラ何とかをぶっ倒したら、今度はジジイの番だからね」

 ふっ、慈慧は笑い

「ほう、それは楽しみじゃ」

 慈慧は新撰組屯所を去っていった。ついに十六年前の戦いの全貌が明らかになった。偉大な先駆者たちに恥じぬよう『誠』の旗のもと戦いぬくのみ、決意を新たにした機動新撰組であった。

 

◆  ◆  ◆

 

 一方、このころ北野天満宮、一人の女が境内を歩いていた。ちょうど茅の輪くぐりの時期であったのだろう。境内には立派な茅の輪があった。その手前で立ち止まった女。

「あれから十五年になるのね…総司…薫…」


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