ダークブリングマスターの憂鬱(エリールート) 作:闘牙王
シンフォニア王国の砂漠地帯。その中心部に人知れず、一つの城が建てられていた。魔石殺しの異名を持つ異邦人の住処。故に誰も立ち入らないよう、砂漠の中心部に加え、幻想によってカモフラージュされていた。にも関わらず今、一人の侵入者が現れた。イレギュラーでありながら、必然でもある流れ。
クレアはそのまま開かれた扉を意に介さず通過する。その速さはまさに風そのもの。一般人では目で捉えることすら不可能。瞬きの間にクレアは城へと足を踏み入れる。目の前に広がるのは巨大な客間。煌びやかな装飾と大理石でできているかのような床が敷き詰められた空間。本来ならその豪華さに目を奪われるところだが、あいにくクレアにそんな気は毛頭ない。クレアの目的はこの城の主にあるのだから。
(あれは……! なるほど、あくまでもこっちを見くびってるってことだね……)
高速移動しながらもその目に映るのは城の門と同様、勝手に扉が開かれていく光景。その先には階段がある。どうやらその先に来いという意味であるらしいとクレアは悟る。同時に自らが侮られていることも。そのことに一層気焔を燃やしながらクレアが一歩踏み出さんとした瞬間
大地が崩壊した――――
「なっ――――!?」
思わずクレアは驚愕の声を上げる。当たり前だ。突如何の前触れもなく自らの足下が崩壊したのだから。完全に虚を突かれた形。床に敷き詰められた大理石は崩れ去り、その下から土の大地が隆起してくる。だがそれは決して地震や地割れといった自然現象ではない。その証拠に姿を見せた大地はまるで意思があるかのように荒れ狂いながら客間を埋め尽くしていく。クレアは瞬時に悟る。これが敵から、いやこの城の主からの攻撃であることを。恐らくはDBの能力であることを。
その読み通り、大地の名を持つDBの力によってその場は支配される。これまでクレアが戦ってきたDBとは文字通り桁が違う力を持つ存在。王国最速の称号を持つクレアであっても両の足で駆ける以上、大地を失えば為す術はない。それを証明するようにクレアはそのまま体勢を崩し、大地の雪崩によって押しつぶされてしまう。
それが自然の力を操る六星DBの力。魔王城の侵入者を撃退する役目を持つ存在だった――――
『あれ? 何、もうおしまい? なんだか拍子抜けね。せっかく他の娘たちも待機してたのに』
聞く者の神経を逆なでするような甲高い声が城に木霊する。もっともそれは人には聞こえない人ならざる者の声。母なる闇の使者たちの中でも頂点に位置する存在であり調停者でもあるバルドル。バルドルは城の最上階にある玉座から千里眼の能力を使い、最下層の客間の様子を盗み見ている。その視界には全てが砂埃に覆われながらも、崩壊してしまった客間が映し出されている。
『蒼天四戦士なんて大物がいきなりきたから焦っちゃったけど、全然たいしたことなかったわねー。あれね、マザーと同じでわたしもあいつらにトラウマ植え付けられてるから過剰反応しちゃったのかも。反省反省♪』
てへっ♪ とまるっきり反省などこれっぽちもしていないバルドル。もっとも最初は焦って狼狽していた。いきなり人が踏み入れないであろう、先日完成したばかりのこの場所にピンポイントに侵入者。しかもそれが蒼天四戦士。一体何の冗談なのか。裏切り者でもいるのではないかと疑うレベルでできすぎている事態。すぐさまマザーか主であるアキに泣きつこうとしたのがそこは腐ってもシンクレア。こういった事態に備えて魔王城には六星DBによって侵入者を撃退する仕掛けが施されている(アキは知らない)その管理を一任されていることを思い出したバルドルは一転、我が世の春が来たとばかりに張り切って役目を果たしたのだった。そんな中
『何を騒いでおる、バルドル。城中に聞くに堪えぬ雑音が響いておるぞ、自重せんか』
『マ、マザー!? いつの間にこっちに……っていうか雑音ってもしかしてわたしのこと?』
『お主以外に誰がおる。姿が見えぬと思えば、こんなところでまた空気を読めないことでもしておったのか?』
『そ、そんなことないわよ? むしろわたしにしては空気を読んだカンジなの! ほら見て! 信じられないけど、さっきこの城に蒼天四戦士が侵入してきたのよ! それをわたしが撃退したってわけ! すごいでしょ?』
珍しく自分でも空気が読めたと感じたのか、まるで面白い動画あるから見て見て! とスマホを持って纏わり付いてくる女子のノリでバルドルはマザーにも千里眼を見せつけてくる。振り払いたい衝動を抑えながら仕方なくマザーもまた階下の様子を覗く。マザーは悟る。侵入者があったのは間違いない、と。いくら空気が読めないバルドルであっても怨敵である蒼天四戦士を見間違えはしないはず。
『ふむ……それで、四戦士の中の誰が来たんじゃ?』
『え? えっと……その、名前はなんだったかしら……そう! 女の戦士が来たのよ!』
『クレア・マルチーズか……』
名前すら覚えていないある意味とんでもない大物ぶりを見せつけるバルドルに内心呆れ果てながらもマザーは瞬時に思考する。己が記憶として、もとい知識として知っているクレア・マルチーズの情報を。それによって導き出される二つの答えを。
『水を差すようで悪いが、クレア・マルチーズを殺すことはできぬぞ』
『? 何言ってるの、マザー。ジ・アースで生き埋めにしたのよ? 生きてられるわけないじゃない』
『普通の人間ならの。五十年経って忘却しかけているのではないか? 奴は蒼天四戦士なのだぞ』
ポカンと呆けているバルドルにもはやかける言葉はない。この程度で倒せるようなら過去の、この時代の自分たちは苦労はしていない。もう一つの理由は歴史の修正力。マザーは直接目にしたわけではないが、記録によればクレア・マルチーズが、いや蒼天四戦士が落命したのは王国戦争の最終戦。逆に言えば、それまでは決して蒼天四戦士は死ぬことはないということ。アキによればアルパインは五十年後にも存命であるらしいがマザーにとってはどうでもいいこと。何よりもマザーが今気にしていることは
『それはいいとして……よいのか、バルドル? 客間が見るに堪えぬことになっておるが……我が主様が知ればどうなるか考えておらぬわけではあるまい?』
『………え?』
目をぱちくりさせながらバルドルは改めてその惨状を目の当たりにする。崩壊してしまった城の一階部分。つい先日、アキが三日三晩不眠不休で造りあげた物。その疲労がたたり、アキは今城の地下でラストフィジックスと一緒に仮眠中。そして誰よりも城の建設をアキに焚き付けたのはバルドルだった。そのバルドルの手によって城の客間はもはや跡形も残っていない。それがバレればどうなるか。もう頭痛しかない。その事実にバルドルがないはずの顔面を蒼白にさせた瞬間、ジェロではない絶望がバルドルに襲いかかってきた――――
砂埃によって覆われていた客間から一つの影が飛び出してくる。先ほどまでと違うのは、纏っていたローブがなくなっているということだけ。五体満足、どころかかすり傷一つ負っていないクレアはそのまま瞬時に階段を踏破し、二階へと到達する。その光景にバルドルは戦慄する。間違いなく逃げ場はなかったはず。にも関わらずクレアは傷一つない。一体何故。
その煩悶を振り払うかのようにバルドルは次なる六星を解放する。爆炎の名を持つDBを。その炎の檻に捕らえられればいくらクレアといえどひとたまりもないはず。それは正しい。バレッテーゼフレアの爆炎ならば彼女を倒すこともできただろう。彼女を捕らえることができたのならば。
『――――――――っ?!?!』
調停者の声にならない叫びが城に響き渡る。そう、バルドルが設置した、捕らえようとした罠が全てクレアには通用しない。捕らえることができない。確かにその速度は目を見張るものがある。だか決してこの限られた閉鎖空間なら捕らえられないはずはない。その速さは十剣の音速剣と同等。光速の閃光のルナールには及ばない。にも関わらずその姿を捕らえることがバルドルには叶わない。どころか空間を埋め尽くすほどの爆炎ですらクレアには届かない。否、触れることができない。その全てが届く前にいなされ、受け流される。まるで水を切っているかのように、宙に舞う羽を連想させる掴み所のなさ。
ようやく50年前の記憶が、記録が蘇ってきたのか。バルドルは無駄だと悟りながらも全ての六星DBでクレアを撃退しようと試みるも全てが無意味。樹木の種子も枝も、流動の風も、氷の星屑も、白銀の塵も。
その光景にバルドルは発狂するしかない。侵入者を撃退することができない事実に加えて、その過程で崩壊し、廃城と化していく魔王城。刻一刻と迫りつつある逃れられないであろうお仕置き。もはやバルドルは自棄になるしかない。ようやく思い出す。蒼天四戦士の恐怖を。
『ラズ・ホーリー』
それがクレアが手にしている二刀短剣の名前。だがそれはただの短剣ではない。持つ者に風の如き速さを与える剣。ソング大陸一の鍛冶屋であるガレイン・ムジカが造り出した、後に生み出されるTCMの第三の剣、シルファリオンの
その答えがここにある。使用者の体重を軽くしてしまうという、デメリットを極限にまで昇華し、己の体重を一時的になくすことで敵の攻撃が当たる前に風圧によって回避する奥義。いかなる攻撃も彼女を捕らえることはできない。宙に舞う白鳥のように。閃光と対極に位置するもう一つの速さの究極系。
それが黒い白鳥『
(ここは……玉座か? だが誰もいない……どこかに隠れてるのか……?)
最高速で駆け抜け、そのまま最上階まで到着するも人の気配はない。あるのは巨大な会議に使うかのような円卓とそれを見下ろすかのように存在する玉座だけ。間違いなくこの城の主がいるべき場所。にも関わらずその姿はない。そのことに疑問はあるも気を抜くわけにはいかない。またいつ攻撃があるか分からないのだから。
(さっきからの攻撃……間違いなくDB……! となると少なくとも六人以上は使い手がいるはず……)
周囲を警戒しながらも驚嘆するしかない。自分を襲ってきたDBの力に。間違いなく今まで自分が見てきたどのDBも比較にならない凄まじさ。だからこそ腑に落ちない。その力に不釣り合いな使い手の未熟さに。もし十全の使い手ならばいくら自分でも無傷では済まなかったはず。どの使い手もどこか未熟さが、甘さが見て取れる。しかしそんな使い手たちも全く見当たらない。一体どこに。そんな中
あまりにも場違いなファンファーレが部屋に響き渡った――――
「え……?」
思わず素でそんな声を漏らしてしまう。戦場で耳にするはずのない気の抜けた、相手をたたえるためのファンファーレ。それだけではない。いつのまにか、最初からそこにあったのか。円卓の中央に箱が置かれている。どっからどうみても宝箱にしか見えない箱が。意味が分からない。一体何が。そんなこっちの戸惑いを知ってか知らずか宝箱が勝手に開いてしまう。
咄嗟に剣を構え身構える。箱から何が飛び出してくるのか分からない。罠なのは明白。だがそれは罠ではなかった。罠であってくれた方がまだ理解できただろう。何故なら
「これは……DB?」
宝箱の中からは黒い宝石、もといDBが出てきたのだから。しかもその数が尋常ではない。宝箱から溢れんばかりのDBが出てくるという意味不明の光景。どこからどう見ても自分を煽るための悪戯でしかないのだが、何故かそんな気はしなかった。これは恐らくは報酬なのだ。試練やダンジョンをクリアした者に与えられるご褒美。そう感じるほどにこの仕掛けには善意しかない。もっともそのご褒美、報酬がDBだというのはどこか致命的にズレているのだが。どうしたものかと途方に暮れかけるも
「…………よくここまで来れたな」
そんな地の底に響くような男の声によって自分は一気に現実に引き戻されてしまった。
「――――っ!? お前は、いつの間に!?」
反射的にその場から飛び退き、剣を構える。それは反射ではあるが逃避でもあった。視線の先には先ほどまで空席だったはずの玉座に腰掛けている男の姿。いつの間に。どんな手段で。だがそんなことすら些細なことだと思えるほどにその男は異常だった。
(この気配、重圧……!! 間違いない、こいつが城の主……!!)
もはや問うまでもない。目の前にいる男が城の主であり、自分の探していた相手。その証拠に男が現れた瞬間、目に見えるのではないかと言うほどの瘴気が、重圧が生まれている。あの洞窟がかわいく見えるレベルの邪悪さ。それとは対照的にその姿は思ったよりも若い。もしかしたら少年と言ってもいいぐらいかもしれない。いかなる理由か、やはり自分を侮っているのか。どこか気だるげな、虚ろな様子でこちらを見据えている。
瞬時に悟る。それは戦士としての自分の直感。目の前の男が自分よりも遙か上の存在であると。相手は何も持ってはいない。完全な丸腰。にも関わらず一刻も早くここから逃げろと自分の直感が、本能が告げている。目の前の相手には決して敵わないと。同時に蘇るのはサガ様の予言。この男と出会うことが運命だったとするならとんだ笑い話だ。ようするに自分はここまで、ということに他ならない。だがそれを易々と受け入れられるほど自分は素直ではない。
「……ようやく会えたってのにつれないじゃないか、ダークブリングマスターさん?」
一度息を飲みながらそう挑発する。逃走するにせよ、戦うにせよ相手は格上。馬鹿正直に真っ向から挑むのは自殺行為。少しでも相手の意識を逸らし、隙が作れれば。そんな意味での声かけ。だがそれは
「ダークブリングマスター……?」
予想を遙かに超えた効果を発揮する。さっきまでの態度は何だったのか。まるで信じられないといったばかりに男は面食らっている。一体さっきの言葉のどこにそんなに驚く要素があったのか。だがそれは己にとっては千載一遇のチャンス。蜘蛛の糸のような、瞬きの間に消えてしまうであろう僅かな隙。しかし自分を前にしてのそれは致命的な油断となる。
瞬間、体が軋む。静から動。停止から最高速へ。自らの身体の限界を超えた使用すれば身体のダメージによってラズ・ホーリーが使用できなくなるほどの一撃必殺の奥義。その真髄である自らの肉体の重さの相転移。それによって自分の速さはこの一瞬のみ、光速すら凌駕する。
(――――取った!!)
秒にも満たない刹那。双剣で男の首を両断する。防御も回避も不能な完璧なタイミング。それを仕損ずることなどあり得ない。なのに
男の首は変わらずそこにあった。どこか傷一つ負っていない。何事もなかったかのように玉座に君臨している。まるで夢でも見ているかのような光景。
(なっ!? そんな馬鹿な、一体何が――――!?)
混乱の極地に陥りながらも何とか思考する。間違いなく自分の剣は相手の首を切り裂いた。しかしようやく悟る。その速さ故感じ取りにくいが、その手応えが全くといっていいほどなかったことに。ならあの男は幻なのか。いやあり得ない。幻であの気配を、重圧を放てるわけがない。なら答えは一つしかない。何らかの能力によって自分の攻撃は無力化されてしまったのだと。
それを示すように目の端に男の胸元が写る。そこに輝く一つのDB。だがそれこそが異常だった。男の気配で混同し、感じ取れていなかったがその邪悪な波動は通常のDBではあり得ない物。先の六つのDBを合わせても及ばない域にある魔石。
その事実に打つ手がない。どんな能力かは分からないが自分の先の攻撃が通じない以上、もはや活路はない。あまりにも理不尽な力。ならばこの場から離れることを。しかしそんな思考を読まれたかのようにさらなる異変が起こる。
「っ!?」
瞬きほどの隙。それによって今度は自分が窮地に陥ってしまう。気づけば玉座にすぐ側にいたはずなのに、今は円卓の端に位置する席に自分は座ってしまっている。一体何が起こったのか。加えてその場から全く動くことができない。自分の身体が自分の物ではなくなってしまったかのように言うことをきかない。身動き一つ取れない。許されるのは呼吸のみ。明らかに先ほどまでのDBとは違う、使い手の差。図らずも理解する。ダークブリングマスター。その存在を。その力を。
一歩一歩男がこちらに近づいてくる。もはやそれに抗う術はない。完全な詰み。逃れようのない絶対的な死を前にし、覚悟を決めたその瞬間
自分の目の前に、紅茶の入ったティーカップが差し出された。
「――――」
もはや言葉がない。何が起こっているのか分からない。分かるのは
「………とりあえず、お茶でもどうですか?」
自分の命運を握っているはずの男が、何故か清々しいほど見事な土下座をかましているということだけ。
クレアは後に思い知る。それが長くに渡る自分と魔石殺しとの腐れ縁の始まりだったのだと――――