ダークブリングマスターの憂鬱(エリールート)   作:闘牙王

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番外編 「バルドルの一日」

魔界。

 

亜人や魔人と呼ばれる人ならざる者たちが暮らす、もう一つの世界。その最奥に大きな神殿があった。しかしそこには全く人の気配はない。あるのはおよそ神殿とは思えないほどに邪悪な気配だけ。だがそれも当然。ここは神聖な神殿でもなければ、神に祈りを捧げる教会でもない。その真逆、邪悪な魔なるものを奉るために造られた場所なのだから。

 

その中には小さな光を放つ石がある。見るものを悪に魅了する紫の輝き。DBと呼ばれる持つ者に超常の力を与える代わりに心を蝕む魔石。だがそこにあるのはただのDBではない。シンクレアと呼ばれるDBを生み出す母足る存在。五つの頂の中でもさらに上の存在。

 

 

『バルドル』

 

 

手に入れれば全てのシンクレアを手にするのと同義である『シンクレアを統べるシンクレア』

 

その力と存在を恐れ、魔界の住人たちは決してその神殿に訪れることはない。誰もパンドラの箱を開けようとはしない。それに触れることは魔界において最大の禁忌。魔界を統治する魔王に逆らうも同然なのだから。

 

バルドルはただ静かにそこにあり続ける。調停者として、大魔王の器、自らの担い手に相応しいものが現れるまで――――

 

 

 

『それでね、ジェロったらひどいのよ? しゃべるだけのシンクレアは必要ないって。そんなことないわ、あたしだって調停者として頑張ってるんだから! っていうか二万年近く寝てたあなたには言われたくないって!』

 

 

そんな伝承は何のその。魔王と同等に恐れられているはずのバルドルはまるで女子高生ばりのテンションでそんな愚痴をこぼしている。もしその声が魔界の住人に聞こえれば畏怖と尊敬が地の底に落ちるの間違いなしの残念ぶり。だがそんなことはバルドルにとってはどうでもいいこと。むしろそんな物より誰かがここに来てくれることの方が大事と豪語するのも憚らない。それがバルドルの真の姿。誰かに構ってほしくて仕方ない、愛を連呼する邪悪の化身だった。

 

 

『すごい、バルドル! あのジェロにそんなふうにいいかえせるなんて……あたしだったらこわくてそんなこといえないのに』

 

 

そんなバルドルの愚痴に声を弾ませ、目を輝かせながら幼い少女の声が響き渡る。

 

 

『ラストフィジックス』

 

 

それが少女の名前。持つ者に無敵の肉体を与える加護を持つ、理を司るシンクレア……なのだが、その言動は完全に純粋無垢な少女そのもの。疑うことを知らず争うことも好まない。本当は聖石(レイヴ)なのではと言われる始末。もっともそれを言うと泣き出してしまうためシンクレアの中ではタブーとなっている。

 

 

『っ!? そ、そのぐらい当たり前よ。あたし、魔界では魔王と同じぐらい偉いんだから!』

 

 

知らず声を震わせながらバルドルはそう豪語するも、きょろきょろと周りを見渡している。自らの天敵である氷の女王がいないことを何度も確認しながらもバルドルは背筋が寒くなるのを抑えられない。本当はその直後に氷漬けにされているなど言い出せない空気。幸いにもラストフィジックスは微塵もバルドルの言葉を疑っていない。

 

 

(やだ……この娘、眩しすぎ……!?)

 

 

そのことに安堵しながらも子供を騙しているような罪悪感にバルドルは襲われるしかない。そのあまりの眩しさに浄化されかねないレベル。

 

 

『やっぱりバルドルはすごいなー。そういえばほかのみんなはいないの? ぜんぜんすがたがみえないけど』

『えっ!? そ、それはその……そう! みんな忙しいみたいで来れないらしいの! 全く困ったものよねー!』

 

 

声が裏返りながらもバルドルはそう誤魔化すしかない。そう、今バルドルたちは念話を通して会話をしている状態。いわばシンクレアの女子会、第二回を開催しようとしたのだが招集に応じたのはラストフィジックスだけ。他の三人は応答すらしない。だがそれは単純にバルドルのせい。一日何度も通信し、何時間も意味なしトークに付き合わされることに嫌気を差したシンクレアたち(ラストフィジックス除く)は完全にバルドルの声かけに応じなくなっている。着信拒否、ブロックユーザーに指定されています状態。

 

 

『とにかく、来なかった娘たちのことを気にしてても仕方ないわ! あたしたちだけでも女子会しましょ、女子会! ラストフィジックスは最近どうなの? 担い手とは進展はあったの? もしかしてもう極み捧げちゃった?』

『え? うん、きわみはもうあげちゃったよ? まだほかのみんなとはたたかってないけど……あ、さいきんはにんぎょさんをつかってなにかしようとしてるみたい』

『へ? 人魚?』

『うん、にんぎょさんからまりょくをあつめてすっごいへいきをつくるんだって。あたしのますたーのねがいはおんなのひとをみんなてにいれることみたいだからそのためにひつようみたい!』

『そ、そうなの……へ、へー……うん、中々素敵な担い手みたいね……』

 

 

楽しそうに近況を伝えてくれるラストフィジックスに思わず引きながらもバルドルは何とか平静を装うしかない。人魚を使った兵器、世界中全ての女を自らの物にするため。欲望にまみれたある意味、シンクレアに相応しい担い手だと言えなくはないのだがそんな担い手をラストフィジックスが選んでいることに驚きを隠せない。

 

 

『ちなみにどうしてラストフィジックスは今の担い手を選んだの……?』

『え? えーっと、うん。みためがねすっごくつよそうだったの! からだもおおきいんだよ!』

『そ、そう……そうよね! やっぱり第一印象は大事よね! 人は見た目が九割って言うし!』

 

 

さらっと明かされる衝撃に事実に圧倒されながらもバルドルは何とかその場を取り繕うことに必死になるしかない。バルドルは改めて実感する。ラストフィジックスもやはりシンクレアなのだと。完全に感性のまま生きているのに加えて善悪については全く無頓着。ある意味支配を司るヴァンパイアと対になっている存在。それにしても見た目だけで選ばれた担い手には同情するしかないが。

 

 

『あ、そういえばいまのますたーもすきだけど、あたしさいしょはきんぱつのおにいちゃんをますたーにしようとおもってたの』

『え? それって金髪の悪魔のこと?』

『うん、でもあたしがあいにいったときにはもういなかったの。マザーにさきをこされちゃったみたい』

 

 

残念とばかりに不貞腐れているラストフィジックスに苦笑いしながらも改めてバルドルは思い知る。やはり自分たちシンクレアは金髪の悪魔に惹かれてしまうのだと。アナスタシスやヴァンパイアはそれに反発しているようだがその根源にあるものは同じ。バルドルもまたその例外ではない。

 

 

『そうよ、やっぱりこの世は愛なのよ、愛! ああ、早くマザーに会えないかしら! あれから五十年経ってるし、変わってるかもしれないわね!』

『マザーにあいたいの? ならあいにいけばいいんじゃないの?』

『それができたら苦労しないわ!? あたし、調停者だから自分で人間界に行くわけにはいかないのよ。ハァ……他の娘たちは担い手とイチャイチャしてるのにどうしてあたしだけこんな辛気臭いところで一人きりなの? 魔王もみんなあたしには構ってくれないし……』

 

 

いつものポジティブさはどこへやら。バルドルは目に見えて落ち込む沈み込んでしまう。マザー成分が圧倒的に不足してしまっている状態。加えて魔界では神殿に放置され、魔王たちも自分には構ってくれない。だがそんな中、バルドルはふと思いつく。自分がルールを破らずに人間界に、マザーに会いに行く手段があることに。

 

 

『だいじょうぶバルドル? そういえばますたーがいってたよ。あたしたちときのま』

『そうよ、その手があったじゃない! これならきっと大丈夫! こうしちゃいられないわ、ごめんバルドル! あたし用事があるからちょっと失礼するわね!』

『え? うん、きをつけてね、バルドル』

 

 

バルドルの必死さに圧倒されながらもラストフィジックスはそのままバルドルを見送ることしかできない。バルドルはただ駆ける。目指すはウルブールグと呼ばれる場所。凄まじい熱が支配している世界。今にも噴火してしまうのではないかと思えるような巨大な火山。だがそれを抜きにしてもウルブールグは魔界において特別な場所だった。その理由。それは一人の王が君臨する場所だからこそ。

 

火山の上というおよそ考えられないような場所にその城はあった。その中の玉座に一人の王が君臨している。獅子の貌を持つ巨大な漢。だが何よりも際立つのがその圧倒的な存在感。ただそこにいるだけで空気が燃え尽きてしまうのではないかと思うほどの力。滲みでる力だけで並みの者なら立っていることすらできない力を持つ頂きにある者。

 

 

『獄炎のメギド』

 

 

それがこの炎の世界を支配する、魔界を統治する王の一人。バルドルにとっては自分の願いを叶えてくれる可能性がある唯一ともいえる最後の砦だった。

 

 

「む……誰かと思えばお主か、バルドル。ここに来る時には正面から来るように言っていたはずだが」

 

 

玉座にいながらも圧倒的な王の威厳を見せながらメギドはいきなり目の前に現れたバルドルに気づき、そう口にする。だがそれもそのはず。本来なら勝手に出歩くことも避けるべきであるバルドルがこの場に、しかも瞬間移動で現れたのだから。本来その場で処刑されてもおかしくない無礼。

 

 

『そんなことで一々怒ってたら体が持たないわよ、メギド。過ぎたことは過ぎたこと。相変わらず蒸し暑いところで忙しそうにしてるわね?』

 

 

だが無礼という言葉はバルドルの辞書の中には存在しない。過去には囚われず未来のみを見据える。聞こえはいいが要するに細かいことは気にするな、がバルドルの心情もとい在り方だった。調停者とは思えないようなガバガバ具合。

 

 

「お主も変わらぬようだが……我に何の用だ? 公務が押していてな、手短に済ませてくれれば助かるのだが」

 

 

そんなバルドルに対しても決して敬意を忘れることなくメギドはそう問いかけてくる。そのことにバルドルの目頭が熱くなる。そう、最近すっかり忘れてしまっていたが、自分はシンクレアを統べるシンクレア。そのことに泣き出しかけるも同時に気まずさがバルドルには生まれてくる。だがここまできて引き下がるわけにいかないとバルドルは口を開く。

 

 

『そ、そうね……ゴホン。メギド、貴方あたしと一緒に人間界に行く気はない?』

 

 

公務どころか私情モロ出しの提案を。

 

 

「人間界に? 何故だ? まだ担い手の儀式は始まってはいないはずだが」

『そ、それはそうなんだけど……あれよ、青田買いとかいうやつよ! 一人、有望な担い手がいるから見に行ってみない?』

「うむ……だが我らは儀式には不干渉という契約があったはず。その担い手がお主を手に入れるために挑んでくるならともかく、こちらから接触するのはルール違反ではないのか?」

『え、えっと……そう言われればそうかもしれないけど……えっと、そうよ! 模擬試験みたいなものよ! いきなり全力の貴方が相手だとかわいそうだから手加減してね。貴方も自分で担い手を見定めてみたいでしょ?』

 

 

しどろもどろになりながらも必死にバルドルはそうメギドに提案する。

 

魔王と共に人間界に下りる。

 

それがバルドルの狙いであり、苦肉の策。自分一人だけでマザーに会いに行くようなことをすればルール違反。マザーだけを特別扱いしていると他のシンクレアに吊るし上げられかねない。だが魔王と一緒に、担い手を見定めるためという体裁があるなら話は別。限りなく黒に近い白だが理屈は通る。そのための最初で最後の砦がメギド。他にも魔王はいるが選択肢としてはメギドしかない。色々な意味で。だがそんなバルドルの儚い希望は

 

 

「……残念だが我は人間界に行くことはできぬ。あきらめよ、バルドル」

 

 

メギドの言葉によって風前の灯となってしまう。

 

 

『ど、どうして!? 別にルール違反するわけでもないのよ!? ちょっとよ? ほんのちょっと、ちょっとだけマザーに会いたいだけなの!?』

「……分かってはいたが、本音は口に出すものではないぞ、バルドル。我としてももう一つの大魔王の器を見定めるのはやぶさかではないのだが、どうしてもそれはできぬ」

『そ、そんな……あたし、なんだってするわ! だから」

 

 

もはや取り繕うことなくバルドルはみっともなくメギドに縋りつく。傍目から見れば点滅している石がメギドの周りに纏わりついている異様な光景なのだが本人にとっては死活問題。だがそれを理解しながらもメギドは告げる。バルドルにとっては絶望せざるを得ない理由。それは

 

 

「我がいなくなればこの魔界を統治する者がおらぬ。お主にそれができるか、バルドル?」

 

 

ぐうの音も出ない真理。メギドいなくては魔界は崩壊してしまう。あまりにも単純で、覆しようのない理由によってバルドルは第一プランでありながら最終プランを放棄するしかなかったのだった――――

 

 

 

(確かこのあたりだって聞いたけど……間違いないわよね……?)

 

 

とぼとぼ、ではなくふらふらと空中を舞いながらバルドルは移動する。もしその姿があったならびくびくしている少女の姿があっただろう。おっかなびっくり。メギドに断られてしまった時点であきらめるべきだったのだが、バルドルにとってはマザーへの想いは収まらない。その証拠に今バルドルは本来であれば決して自分から近付くことのない場所へと足を向けている。だが一向に探している人物の姿は見えない。場所を間違えていたのだろうか。そんな思考がよぎる同時に

 

 

凄まじい轟音と地鳴りが全てを支配した。

 

 

『っ!? な、何っ!? 地震!? 地震なの!? 誰かジ・アース持ってきて!?』

 

 

突然の天変地異にパニックになりながらバルドルは逃げ惑うも一向にそれが収まる気配はない。目の前にはまるでこの世の終わりのように崩壊し、平らになってしまっている大地があるだけ。嵐のような暴風と地割れ。それが収まることなく起こり続けている。その証拠に周りには人はおろか動物、虫一匹いない。当たり前だ。ここで生きることができる生物など存在しない。問題なのはその気候異常が自然ではなく、人為的、たった一人の男によって引き起こされているということ。

 

今すぐ引き返してお家に帰りたい衝動に襲われながらもバルドルは突き進む。その嵐の中心に向かって。そしてようやく、その姿が視界に移ろうかとした瞬間、

 

 

『え……? ちょ、待っ――――?!?!』

 

 

バルドルはその拳によって放たれた衝撃によって呆気なく吹き飛ばされてしまった。それはもう盛大に。その直撃によってまるで隕石が衝突したような破壊が襲い掛かる。粉塵は巻き上がり、大地は崩壊し、マグマが噴き出してくる。人であればその衝撃波だけで跡形もなくなるほど出鱈目な一撃。だが

 

 

『な、ななな何するのよウタ!? あたしを殺す気!? いや、あたしは壊れないけど心は死んじゃうわよ!?』

 

 

マグマの中から決死の脱出を成功させながら息も絶え絶えにバルドルは絶叫する。シンクレアはいかなる力を以てしても破壊できない。唯一の例外は魔導精霊力とレイヴのみ……なのだがそんなバルドルをして死を覚悟するほどの威力と恐怖。本当に恐ろしいのはその一撃がただの拳の一振りだということ。

 

 

『永遠のウタ』

 

 

戦王の称号を持つ、かつての四天魔王の中では一番の実力者とされた男。それがこの天変地異の原因だった。

 

 

「ふむ、なにやら雑音が聞こえると思えば貴様かバルドル。修業の邪魔だ。さっさと消えろ」

『ちょっと待ちなさいよ、謝罪もなし!? っていうか貴方、さっきあたしのことに気づいてたでしょ!? いくらなんでも酷すぎるわよ!?』

「関係ない。とにかくさっさと失せろ。同じように吹き飛ばされたくなければな」

 

 

心底どうでもいいとばかりに踵を返し、ウタはその場を去っていこうとする。バルドルに対する敬意など欠片もない。否、それは誰であっても変わらない。ウタにとっては戦い以外の全ては些事。魔王という称号にも全くこだわりはない。今のウタあるのはバルドルに修行の邪魔をされてしまったという事実のみ。あまりにも変わらない、いや悪化しているウタの姿に呆れながらもバルドルは切り出す。

 

 

『ふ、吹き飛ばすのは止めて、本当に泣いちゃうから……オホン! と、とにかくあたし、貴方に用事があってきたの!』

「用事だと……?」

『え、ええ! そ、その、うん、ウタ、あたしと一緒に人間界の担い手を見定めに行かない……?』

 

 

知らず恐る恐るといった風にバルドルはそう切り出す。だがそれはバルドルにとっても諸刃の剣にも等しい提案だった。確かにウタであれば間違いなくこの提案に乗ってくるはず。何よりも戦うことが愉しみであるウタにとってこれ以上にないイベント。だからこそバルドルは最後までここに来るのを躊躇っていた。当然だ。それはつまり担い手が全力のウタを相手にしなくてはいけなくなるのと同義。手加減などウタがしてくれるわけもない。最悪マザーに会えればすぐに魔界にウタごと撤退しなければいけないような状況になるのは目に見えているが、もはやバルドルには他に手は残されてはいなかった。だがそれは

 

 

「……下らん。話はそれだけか。ならさっさと去れ」

『…………え?』

 

 

興味はないとばかりにウタに一蹴されてしまう。バルドルにとってもあまりにも予想外、想像すらしていなかった返答だった。

 

 

『ど、どうして……? 担い手の腕試しなのよ……? 貴方にとってこんなに楽しみなことなんてないはずじゃ』

「貴様らの担い手などという有象無象には興味はない。オレが望んでいる戦ができるのはあの男だけだ」

 

 

そう告げるウタに瞳には獄炎もかくやという闘志が見える。もはや目の前にいるバルドルも、担い手たちもその目には映ってはいない。あるのはただ一つ。自らにとって至高の戦を与えてくれた男の姿だけ。再びそれと相まみえる時までに己を磨くこと。その再戦こそがウタの生きる意味。

 

 

『そ、そう……なら仕方ないわね。これも一つの愛なのかしら……? それはいいとして、そんなに強い奴と戦いたいならジェロと戦えばいいんじゃないの?』

 

 

自分には理解できないウタの思考に自らの企みをあきらめながらも尋ねる。そんなに強い奴と戦いたいならジェロと戦えばいいのではないかと。

 

 

「それこそ無意味だ。オレがジェロと戦うことに意味はない。下らない話はもう終わりだ」

 

 

それに全く取り合うことなくウタはそのまま今度こそバルドルを無視しながら修行に戻ってしまう。言いたいことは山ほどあるが何を言っても無駄なのは明らか。あきらめてバルドルはその場を去らんとするも

 

 

『……え? ちょ、ウタ待ちなさいよ!? まだあたしここにいるんですけど――――!?』

 

 

そんな暇は与えないとばかりに再び修行の衝撃が襲い掛かってくる。それから逃れたい一心でバルドルは反射的に自らの能力によってその場から姿を消すのだった――――

 

 

 

(し、死ぬかと思った……あたし、死なないけど死ぬかと思った……!)

 

 

一瞬走馬灯を見ながらもバルドルは何とかウタの攻撃(修行の余波)から脱出することに成功した。それは瞬間移動。ワープロードが持つ能力と同質のもの。だがそれだけではない。

 

シンクレアを除く全てのDBの能力の使用。

 

それがバルドルの能力の一つ。シンクレアを統べる彼女だからこそ許される能力。バルドルを手に入れれば他のDBを持つ必要すらない。全ての意味でバルドルはDBの頂点に位置する存在。

 

だが今のバルドルにとってはそんなことはどうでもよかった。あるのはあの場を脱することができた安堵だけ。しかしバルドルは思い知ることになる。

 

 

「こんなところで何をしているのかしら……バルドル」

 

 

それを超える絶望がこの魔界には存在することを。

 

 

『ジェ、ジェロ……? ど、どうして貴方がここに……?』

「それはこっちの台詞よ。勝手に私の領域に踏み込むなんて、覚悟はできているかしら」

『っ!? ち、違うのよ!? これはそのちょっとした手違いで……!? 貴方の邪魔をしようと思ったわけじゃないの!? じゃなきゃわざわざこんなところに来るわけが……』

「そう……氷漬けにされて神殿に送り返されるのがお望みというわけね」

 

 

感情を感じさせない絶対零度の視線と言葉を一身に受けながらもバルドルは戦慄するしかない。あまりにも突然の瞬間移動であったためにランダム移動になってしまったのだがよりによってここに飛んできてしまう己の悪運に。

 

見渡す限り雪と氷しかない白銀の世界。その主である女王以外には生きることが許されない聖域。

 

 

『絶望のジェロ』

 

 

それが彼女の名。その名の通り全ての者に絶望を与える無慈悲な氷の女王だった。

 

 

『止めて!? 送り返すのはいいけど氷漬けは勘弁して頂戴! 冷たくはないけど冷たく感じるのはもう嫌なの!?』

「ならさっさと消えなさい。邪魔よ」

『はい……』

 

 

バルドルは息を殺しながらその場を立ち去らんとするもふと気づく。ジェロの周りがまるで戦いがあったかのように崩壊していることに。奇しくも先ほど目にしたウタのよう。

 

 

『もしかしてジェロ……貴方も修行してたの?』

「……それがどうしたというの? 貴方に何の関係が?」

『えっ!? な、何でもないのよ!? ただウタといい、修行するのが流行ってるのかと思っただけで!?』

「アレと一緒にされる筋合いはないわ。今度同じことを口にすれば殺すわよ」

 

 

今のジェロなら本当に自分を殺しかねないとバルドルは恐怖する。今の魔界にジェロに逆らうことができる者は存在しない。比喩でもなく、ただ純粋にな絶対的存在。

 

バルドルは知っている。大魔王の器が現れるまで二万年もの間眠りについていたジェロが五十年前に目覚めた理由。それからの彼女の変化。生まれた時から完成していたはず彼女の成長。奇しくも先ほどウタが口にした言葉が全て。ジェロと戦うことは無意味。そこには二つの意味があった。

 

一つが魔王同士の争いの禁止。魔界の混乱を防ぐための誓約。だがこれのみであればウタが戦わない理由とはならない。故にもう一つの理由のみが重要だった。そう、ただ単純にジェロにはウタは敵わない。ただそれだけ。

 

ジェロが変わった理由もまた明白。見る者を魅了する美貌と白い肌。だがその中に一点のみ、傷がある。腹部にある、刀傷。体を貫いた傷跡。自動再生なら瞬く間に再生できるはずの傷が残っているのはジェロがわざと残しているからこそ。

 

その傷を癒すことこそが今のジェロの生きる意味。

 

 

(もう、ジェロったら乙女なんだから! やっぱりこの世は愛なのよ、愛♪)

 

 

バルドルはただ言葉には決して出さずにジェロの初心さに悶えるしかない。もっとも同時にそれを向けられている相手に対する憐憫も。だからこそバルドルは担い手鑑賞ツアーにジェロを誘うことはない。誘っても来ないのは分かり切っているし、来たら一瞬で自分だけでなくマザーも氷漬けにされるのは確実。

 

 

(でも結局マザーにはしばらく会えそうにないわね……あっちからあたしを召喚してくれればいいんだけど、そんなことできるわけない……し……?)

 

 

そんな中、ふと気づく。発想の転換。こちらから向かうのではなく、向こうから呼んでもらえばいいのではないか。普通ならあり得ないことだが、一つだけ方法がある。そう、それは

 

 

「そう……消える気がないのなら付き合いなさい。ちょうど手ごろな相手が欲しかったところよ」

『へ?』

 

 

起死回生の妙案が浮かんだのも束の間。バルドルはそのままジェロによって摘まみ上げられてしまう。その言葉だけで十分だった。

 

 

『じょ、冗談よねジェロ? あ、あたしに貴方の相手ができるわけないじゃない!? ウ、ウタでも呼んでくればいいでしょ!?』

「それをするとメギドがうるさいから止めておくわ。それに頑丈さならあなたの方が上でしょう?」

 

 

そんなこれっぽっちも嬉しくない称賛を受けながらもバルドルはただ絶望する。その脳裏にあるのはただ一つだけ。

 

 

『大魔王からは逃げられない』

 

 

そんな洒落にならない、本物の大魔王の絶望によってバルドルは染め上げられてしまうのだった。

 

 

 

時は刻一刻と迫っていく。全ての時が交差するその日に向かって――――

 

 

 


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