昨日、初めて台風で避難を経験しました。割とマジでした。割とビビりました。
さて、聖者の右腕です。オイスタッハとアスタルテを薙ぎ倒します。
第八話、よろしくお願いします。
雪菜のイメージカラーが古城君の
キーストーンゲート最下層、海面下二百二十メートル。地下四十階。
光すら届かぬ海中深くに造られた、永遠の牢獄のようにも思われる部屋の中心には、絃神島を連結する四本のワイヤーケーブルの終端があった。
そのアンカーの中央、逆ピラミッドの形をした金属製の土台。
一本の柱が、絃神島を維持するため、数百万トンの荷重を今なお支え続ける
直径僅か一メートル足らずの、黒曜石に似た質感の半透明な石柱――
「西欧教会の〝神〟に仕えた聖人の遺体……」
その半透明の石の中には、ミイラのように干乾びた、誰かの〝右腕〟が浮かんでいた。
自らの信仰のために苦難をその身に受けた、敬虔なる殉教者の遺体。
そしてそれらは、神の意志を現世に顕現させるための依代となり、信仰の中心となり得る。
永遠に朽ちることなく祀り続けられる不朽体。聖遺物。
天才プログラマー藍羽浅葱が暴き出した絃神島の真実。
かつてロタリンギアの教会で手厚く保管されていた筈の聖遺物は、今や四基の
「この都市、絃神島が設計された四十年以上前、レイライン――龍脈が通る海洋上に、人口の島を築くと言うのは、画期的な発想だった。だが、建設は難航した。海洋を流れる龍脈の力は、所詮人間如きの手で御することなど不可能な代物だった」
暁古城は茫洋とした眼で、誰に聞かせるでもなく呟いた。
だがその呟きに、応える声があった。
「都市の設計者、絃神千羅は、東西南北の四つに分けた
古城の呟きに重ねるようにして後を継いだのは、銀色の槍を構えた姫柊雪菜。
「彼の設計では、島の中央に四神の長たる黄竜――連結部の要諦となる
「そのために絃神千羅が手を染めたのが――」
「供犠建材」
躊躇いがちな古城の言葉に被せるように、対峙していたロタリンギア殲教師ルードルフ・オイスタッハが低く厳かな声で告げた。
その声には、己の目的のためにただ前を向く殉教者に相応しい威厳があった。
「彼が都市を支える贄として選んだのは、我らの聖堂より簒奪した尊き聖人の遺体」
静かに響く声で宣言し、戦斧を構えるオイスタッハ。
オイスタッハの目的は聖遺物の奪還。彼が古城たちと話したのは、単に古城たちと無理に戦う必要がないからだ。
それは同時に彼の正義――正当性の証明でもある。
「我らの至宝を汚らわしい魔族どもの聖域の土台として使うなど、断じて許すことなどできません。故にわたしは、実力を持って我らの聖遺物を奪還します。退きなさい、第四真祖。これは我らロタリンギアと、絃神市の聖戦です!」
「……そうだな。確かに、あんたの言った通りなのかもしれない。けどな。だからって、この島で平和に暮らしてる五十六万人が殺されていいってことにはならない!」
オイスタッハの行動は、確かに正義であるのかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。
やつらが己の正義を貫くと言うのならば、古城もまた、己の正義を貫くのみだ――!
揺るがぬ決意を胸に、古城は要石の前に立った。隣に立つのは、銀の槍を携えた剣巫の少女。
「ならば、もはや言葉は無益! 第四真祖よ、貴方が我らの道を阻むと言うのならば、我らは貴方を排除するまでです! ――アスタルテ!」
彼の命令を受けて、ずっと後ろで控えていた虹色の眷獣が動き出した。
半透明な人型の眷獣の胸の中央には、閉じ込められた宿主――
元から感情に乏しかった彼女の表情は、今や完全に表情を、そして色を失っている。
吸血鬼ではないのに、これだけの長時間眷獣を行使し続けて来たのだ。
もはや幾ばくの猶予もない。哀れな少女を救うためにも、今ここであの殲教師を止める――!
「来いよ、サラティガぁっ!」
右手を前に翳し、掌中に相棒の姿をイメージ。鞘から抜き放つように横に薙いだ古城の手の中には、美しい長剣があった。
細工を凝らし、意匠を凝らした柄。鏡のような刃。がっしりとした実用的な鍔。長い刀身。鋭い切っ先。
まさに神々しいまでの美しさ。
どれだけ鍛え抜かれ、磨き抜かれた逸品か、切れ味を試すまでもなく万人に分かるだろう。
宝剣――それ自体が既にして一つの宝と言うに相応しい。
銘をサラティガ。
剣聖フラガが守護する、正真の聖剣だ。
同時に、古城は右手左手右足左足心臓眉間丹田の七つの門からとめどなく溢れる、
それだけではない。傲然と胸を逸らして立つ古城の全身を、更に稲妻が包み込んだ。
怒りに任せての暴走などではなく、宿主の意思に呼応して、血の中に棲まう眷獣が目覚めようとしているのだ。
「悪いな。俺が戦わなきゃいけない相手はあんただけじゃないんだ。今はそいつと、俺の大切な奴らが戦ってるんだよ」
脳裏に、前世からの付き合いである二人の少女の姿を思い浮かべながら、古城は獰猛に牙を剥き、
「さあ、さっさと始めようぜ、オッサン! ――ここから先は、
吼える古城の隣に寄り添うように槍を構えて、第四真祖の監視者たる少女は悪戯っぽく微笑んだ。
「いいえ、先輩。
§
動いたのは、二人がほぼ同時だった。
古城がアスタルテに、雪菜がオイスタッハに向けて、互いの最高速度で突っ込む。
「すらぁぁっ!」
《神速通》が使える分、古城の方が到達するのは速かった。
未だに反応できていない虹色の眷獣の懐で最小限の動作で、それでありながら最高の速度と鋭さでサラティガを振るう。
だがやはり巨体。出遅れた体勢からでも、その巨体を回転させるだけで対応してみせた。
《金剛通》を使ってはいるが、建物全体をも震動させるほどの壮絶な拳撃を防げるとも思えない。
アスタルテの眷獣に限らず、全ての眷獣は生物ではない。濃密な魔力の塊だ。
その拳は最大級の威力を持つ呪砲に等しく、その蹴りは儀式魔術が引き起こす爆発をも凌駕する。その腕は分厚い特殊合金の隔壁すら引き裂く。
宿主である少女の、残り少ない命を喰らって――
その事実に奥歯を軋ませながら、古城は風を巻いて迫る拳を後ろに跳んでかわした。
すかさず迫る追撃。それに対しても、古城はトップスピードと急停止の速度の緩急を付けることで残像を生み出し、見事回避してみせる。
《神速通》の北斗七星の名を冠した七つある派生技の一つ、《巨門》だ。
案の定、アスタルテはそれを見抜けず、実体を持たぬ残像に向けて攻撃を繰り出した。
標的である古城は、すでに自分の背後で剣を振りかぶっているとも知らずに。
《巨門》で稼いだ時間、古城は無駄にはしなかった。
注ぎ込まれた古城の
しかし古城の立ち位置からだと、虹色の眷獣に剣は届かない。
構わず振り下ろされたサラティガの生み出した太刀風が、
白い破壊の暴風は、無防備な眷獣の背中を襲う。
虹色の眷獣が全身に纏った神格震動波が、それを
二つの力は
その結果に、古城は眉を顰めた。どうやら
だがやりようはある。そう確認して、古城は雪菜の方へ視線を向ける。
「はああっ――!」
雪菜が、銀色の槍を旋回させて、オイスタッハの腹部を狙う。
高神の森で彼女が積み上げてきた剣巫としての鍛錬に裏打ちされた、文句なしの一撃。が、
「ぬぅん!」
オイスタッハは、その巨体からは想像できないほどの敏捷さで雪菜の槍をかわし、逆に戦斧で攻撃してくる。
剣巫の持つ霊視で一瞬先の未来を見ることで、雪菜は間一髪それを回避したが、雪菜の制服の袖が戦斧の風圧で切り裂かれた。それをなした彼の膂力に、雪菜は戦慄する。
速く、重い。スピードと技量を信条とする古城の対極にあるような攻撃だ。しかもオイスタッハは、その技量の方も並ではない。
だが雪菜も、そう簡単には喰らわない。対魔族戦闘のエキスパート、獅子王機関の剣巫を嘗めるな、と言ったところだ。
オイスタッハもそれを承知して、決して深く踏み込んでこようとはしない。雪菜の攻撃に的確に対処して、それに倍する威力の反撃を叩き込んでくる。霊視を以てしても押し切れない。再度、雪菜は驚嘆した。
互いに互いを打ち倒すことができず、完全な膠着状態だ。
雪菜はそれを嫌い、凛と澄んだ声でオイスタッハに向けて叫んだ。
「供犠建材の使用は、国際条約で禁止されています! ましてやそれが簒奪された聖人の遺体を使ったものであれば、尚更……!」
「だから何だと言うのです、剣巫よ。この国の裁判所にでも訴えろと?」
「現在の技術であれば、人柱など用いなくとも、人工島の連結に必要な強度の要石が作れるはずです。要石を交換して、聖遺物を返却すれば……!」
「貴方は、己の肉親が人々に踏みつけにされて苦しんでいる時でも、同じことが言えるのですか?」
オイスタッハの声から、隠しきれない怒りが滲み出る。
その怒りよりも、言葉の内容に、雪菜の動きが一瞬硬直した。
剣巫として育てられてきた雪菜は、肉親の顔を知らない。それを知って、オイスタッハは雪菜を挑発したのだ。
我らの気持ちが、家族を知らぬお前には分かるまい、と――
固まった雪菜の肩に向けて、オイスタッハの戦斧が容赦なく振り下ろされる。
だが雪菜は、その動揺を奥歯を強く噛んで噛み殺し、オイスタッハの戦斧に後退するのではなく、前に進み出た。
「むぉっ!?」
「確かに、わたしは家族のことを、何も知りません」
驚愕するオイスタッハの胴を雪霞狼で斬り付けつつ、雪菜は揺るがぬ決意と覚悟を秘めた声で朗々と語る。
「だから、それを失う怒りも、痛みも、悲しみも、わたしは知ることはできません」
けれど。
それでも。
雪菜は、思うのだ。
「この島には、居たんです。わたしが死んで、怒ってくれる人が。悲しんでくれる人が。その人にも、その人が死んで悲しむ人がいっぱい居るんです。それは誰だって同じで、誰か一人が死ねば、誰かが必ず悲しむんです!」
だから。
そうだから。
雪菜は、戦うのだ。
「だからわたしは守ります。戦います。わたしを大切にしてくれる人たちが居るこの島を、わたしにとって大切な人の居る、
ただの監視者としてこの島に来たに過ぎなかった雪菜は。
今この時、己の戦う意味を、知った。
今この時、槍を振るう理由を、得た。
今この時、心の底から戦いたいと、そう願ったのだ。
そんな気高い少女の瞳に宿る決意に、壮絶な覚悟と執念を持ってここまで来た殲教師が、顔を歪めて気圧されたように後退る。
直後、雪霞狼と彼女の右手、左手、右足、左足、心臓、眉間、丹田の七つの門から、
全身から白銀の輝きを散らしながら、雪菜は力強く地面を蹴った。
「あなたに、何も奪わせはしません――っ!」
「ぐっ――!」
そして、雪菜の言葉を、意志を、肯定する声が聞こえた。
「――そうだよな。守らないと、いけないよな」
雪菜に、全てを、自分を、教えてくれた少年は。
多くの、守るべきものを背負って、ここに立つ少年は。
「全部が全部、大切で、全部、全部、失いたくないものだ」
言った。
「俺は、俺から奪っていく奴を、絶対に許さない」
剣聖と冥王、二つの前世を持つ世界最強の吸血鬼・第四真祖暁古城は、そう言った。
§
「姫柊!」
「はい、先輩!」
それだけでよかった。それ以上は必要なかった。
一度だけ視線を交わし、二人は役割を交代した。
交錯するように立ち位置と相手を入れ替えて、今度は古城がオイスタッハを、雪菜がアスタルテの相手をする。
「ようオッサン。物足りないかもしれないが、付き合ってもらうぜ!」
「第四真祖! 私の邪魔をすると言うのですか!」
表情を歪ませながらも、ますます鬼気迫るよう攻撃を見舞ってくるオイスタッハ。
古城はまず、敵を見極めることから始める。繰り出される戦斧の重い攻撃に、ひたすら受けに回る。
五度ほどそのまま打ち合い、ようやく古城は攻勢に出た。
「すらっ」
「ぬうぅん!」
オイスタッハが戦斧を引き戻したタイミングで、右手のサラティガを突き出す。
流石はロタリンギアの殲教師、サラティガの刀身の横腹を、戦斧の柄で思い切り殴りつけることで、攻撃の軌道を逸らしてみせた。
だが古城の本命はそちらではない。オイスタッハがサラティガの刺突に気を取られた瞬間に、同時に左拳を突き出していた。
湧き出す
「おおおおお――っ!」
「ごはぁっ!」
純白の輝きと、青白い雷光を纏った拳を受けて、腹部の装甲を派手に破損させながら、オイスタッハは吹き飛んだ。
「そは形なき刃 そは不可視の銘刀 引き裂く者よ 出でい!」
すかさず左手で虚空に魔法文字を書き綴り、闇術を発動。
生じた突風が体勢を崩したオイスタッハに迫るが、なんと彼は立てた戦斧で突風を遮り、それだけで耐えてみせた。
これにはさしもの古城も感心せざるを得なかった。
やはり、この殲教師の覚悟は本物だ。
「認めましょう、貴方はやはり侮れぬ敵だと――故に、相応の覚悟を持って相手をさせていただきます!」
「何……っ!?」
オイスタッハの全身から噴き出した凄まじい呪力に、古城は表情を歪めた。
殲教師が纏う法衣の下、装甲強化服が黄金の光を放っているのだ。
その光を直視した古城の瞳に激痛が走り、光を浴びた古城の肌が焼ける。
「ロタリンギアの技術によって作り出されし聖戦装備〝
オイスタッハの速度が、爆発的に跳ね上がった。装甲鎧が彼の筋力をアシストしているのだ。
黄金の光によって視界を奪われた古城は、鍛えられた直感のみでそれを回避しなければならない。
「くっそ、そんな切り札を隠し持ってやがったのか……!」
思わず上がった古城の声も、オイスタッハは取り合わず、一掃苛烈さを増した攻撃に古城は必死になって防御するしかない。
このままではジリ貧もいい所だ。
古城は、腹を括った。
オイスタッハを見上げて、ニヤリと笑う。そんな古城が放つ異様な気配を見て、オイスタッハが攻撃の手を止めた。
「そう言うことなら、こっちも遠慮なくやらせてもらうぜ。死ぬなよ、オッサン!」
「ぬっ……!?」
本能的に危険を察して後ろに跳んだオイスタッハに、古城はサラティガを持っていない左手を突き出した。
その左手が、鮮血を噴き出した。
「〝
その鮮血が、眩い雷光へと変わった。凄まじい光と熱量、そして衝撃。倉庫街を焼き払ったものと同じ、第四真祖の眷獣である。
しかし前回とは違い、その光は凝縮されて、巨大な獣の形を取った。
それこそが、本来の眷獣の姿。古城がようやく完全に掌握した、第四真祖の眷獣の真の姿だ。
「
出現したのは、眩い雷光を纏った獅子――
戦車ほどもある巨体は、荒れ狂う雷の魔力の塊。その全身は目も眩むような輝きを放ち、その咆哮は雷鳴のように大気を振るわせる。
古城が
だが雪菜の血を吸って掌握できた眷獣は、この一体だけだった。
しかし、それは予想できていたことだった。
何せこの眷獣は、最初から雪菜のことを大層気に入っていたのだ。倉庫街では雪菜を守るために、宿主の制止すら振り切って暴走したほどだ。
「これが、第四真祖の眷獣……! このような密閉された空間で使うとは!」
振り下ろされた雷の眷獣の前足が、オイスタッハを掠めた。それだけで、装甲鎧が火花を散らして戦斧の刃が融解し、オイスタッハの巨体が数メートル以上撥ね飛ばされた。
その攻撃の余波は漏れなくキーストーンゲートにも及び、古城たちの立っている場所だけでなく島全体に激震が走った。
戦闘が長引けば、それこそ島が崩壊するだろう――
「アスタルテ――!」
堪らず殲教師が従者を呼んだ。
呼びつけられたアスタルテは、雪菜の相手も放棄してオイスタッハと獅子の眷獣の間に割って入る。
オイスタッハが彼女に植え付け、欲した能力はありとあらゆる魔力を無効化する神格震動波。故に、天災にも匹敵する第四真祖の眷獣を無効化するにはそれしかないと考えたのだろう。
古城はいきり立つ〝
神格震動波の防御結界が、古城の眷獣の魔力と鬩ぎ合い、それを反射した。
制御を失った雷の魔力が無秩序に荒れ狂い、広いとは言えないキーストーンゲート最下層を蹂躙する。
「きゃああああああっ!」
降り落ちて来た瓦礫に、雪菜が悲鳴を上げる。それに悪いと思いながら、古城は冷静に呟いた。
「……やっぱり、俺の眷獣じゃあいつを倒せないか。なら――!」
事実を受け止めて、古城は猛った。
この戦いにかかっているのは、己一人の命ではない。絃神島に住む五十六万人の市民に、古城の家族、友人、そして――
「くっ、先輩……!」
出会ったばかりの、この後輩も。
「すぅ――」
古城はゆっくりと、深く息を吸った。今一度胸一杯に酸素を取り込むことで、思考を冴え渡らせる。
「はぁ――」
古城はゆっくりと、大きく息を吐いた。そうして、剣を構える。
自然体となって、目を閉じる。
聞こえる。自分の、全てが。
脈動する心臓の鼓動も。全身を駆け巡る血潮の流れも。緩く穏やかな呼吸音も。
そして――七つの門が、重々しく開かれていく音も。
刮目。
右手左手右足左足心臓眉間丹田。
堰を切ったように溢れ出す力の全てを、解き放つ。
「
自然体では、あの眷獣には敵わない。
本物の化生を倒すためには、人の皮を破り捨てて、己も化生となるほかない。
――そうだ。
古城の中で、誰かが囁き、古城は頷いた。
「お、お、お、お、お、お……」
そして。
同時に。
己の中で、
それはまさに、『魔』の力。
森羅万象を満たすその全てを喰らい、際限なく高まっていく。古城すらも。
周囲の全てを黒く、黒く染め上げながら、尚も黒々と。
「もっと……もっともっともっともっともっともっと!」
それでも尚、古城は満足しない。
こんなものじゃない。俺は、こんなものじゃないはずだ。
まだ。まだ俺は、人の範疇に居る。
力を渇望する古城の魂に応えるように、
その二つは、決して調和することはなかった。
互いに争い、力を鬩ぎ合わせ、限界を塗り替えていく。
互いに互いの力を、高めあっていく。
見よ!
古城を取り巻く
やがてその二つの力が、古城の周囲でゆっくりと対流を始めた。
あたかも、陰陽道のシンボルである太極図のように。
「綴るッ――」
右手に剣を構えたまま、左手で太古の魔法文字を描く。
よく通る声で、唱える。
冥界に煉獄あり 地上に燎原あり
炎は平等なりて善悪混沌一切合財を焼尽し 浄化しむる激しき慈悲なり
全ての者よ 死して髑髏と還るべし
神は人を見捨て給うたのだ
退廃の世は終わりぬ 喇叭は吹き鳴らされよ 審判の時来たれ
古城の頭の中で、ヂリリと何かが罅割れ、声が聞こえる。
――そうだ。冥王の冥王たる由縁を、少し開帳してやれ。
古城は頷いた。
第五階梯闇術《
五行にも及ぶスペルを綴り終えて、古城は〆に、拳ではなく、右手の剣で叩いた。
漆黒。刹那、この世ならざる黒き炎が顕現した。
黒炎は魔獣のように吹き荒れ、しかしすぐに収束していく。
古城の右手のサラティガへと。
何より白き
「おおおおおおおおおおおお」
世界で唯一人、光技と闇術を使うことのできる古城だからこそ、編み出せた術理。
「《
明王の持つこの世の罪悪断ち切る降魔の利剣が、呆然と立ち竦んでいたアスタルテの眷獣へと振り下ろされた。
業火を纏った刀身が渦を巻き、黒炎の螺旋を描きながら、虹色の眷獣の組み合わされた腕に直撃する。
轟音。閃光。炸裂。
《太白》が虹色の眷獣の防御を押し退けて、《
「あ、あああああああ――――っ!」
その苛烈極まる業火の剣を一身に受けるアスタルテが、絶叫した。
彼女の眷獣が纏っているはずの、神格震動波の防御結界が、食い破られようとしている。
実のところ、古城の攻撃のほとんどは神格震動波に消し飛ばされている。
そもそも《
そうなっていないのは、ひとえにそのほとんどをアスタルテの眷獣が防いでいるから。
だが、古城の攻撃、その圧力が、徐々に徐々に、アスタルテの眷獣の魔力を上回っている。
常であれば、古城もさすがに気を遣って使用は控えただろう。
だが皮肉にも、攻撃を無効化する虹色の眷獣の能力が、古城の攻撃に対する枷をなくした。
それでも破れないのは驚きではあるが――
古城の内心に、徐々に焦燥が押し寄せて来た。
これ以上は恐らく、この建物の方が耐えられない。
もしキーストーンゲートの外壁が破れて、水深二百二十メートルの水圧が押し寄せてきたら、雪菜は間違いなく即死だし、古城もどうなるか分からない。
「先輩……」
全力を振り絞る古城に寄り添うように、雪菜が隣に立った。
彼女も疲労の色が濃い、あれだけの敵を相手に生身で戦っていたのだから当然だ。
「悪い、姫柊。このままじゃ……!」
あと一歩。あと一歩で、この島を救える。だと言うのに、その一歩が届かない。
しかし雪菜は、古城を見上げて華やかに笑った。
「いいえ、先輩。わたしたちの勝ちです」
古城がその言葉の真意を問い質すよりも先に、雪菜が古城の前に出た。
「――獅子の巫女たる高神の剣巫が願い奉る」
銀色の槍と共に、雪菜が舞う。
白銀の輝きを纏って、どこまでも優雅に。
神に勝利を祈願する剣士のように。
勝利を預言を授ける巫女のように。
「破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」
粛々とした祝詞が響き、雪霞狼が輝き始める。
細く、鋭く、まるで光り輝く牙のように。
「ぬ、いかん!」
雪菜の狙いに気付いたオイスタッハが、雪菜に向けて攻撃を加えようとするも、
「邪魔すんじゃねえよ、オッサン!」
古城が《
その瞬間に、雪菜はアスタルテの元まで、しなやかな純白の雌狼のように駆け、音もなく宙を舞った。
「雪霞狼!」
雪菜はその槍を、虹色の眷獣の顔のない頭部に向かって突き出した。
雪霞狼――
だが雪菜の槍は、その力をただ一点に集中していた。
鋭く、細く、相手の結界を貫くためだけに――
アスタルテの防御結界を突き破り、雪霞狼が眷獣の頭部に深々と突き刺さった。
しかしその程度のダメージ、巨大な眷獣には大したものではない。
だからここから先は、古城の役目だ。
「
消し去った《
宙を跳ぶ雪菜が手放した槍に、光の速さで駆けた雷の眷獣が、牙を立てた。
それで、終。
雷に変換された圧倒的な魔力が金属製の長い柄を通して、まるで飛雷針のように防御結界の及ばない実体化した眷獣の体内を蹂躙する。
魔力の塊である吸血鬼の眷獣を倒すには、より強大な魔力をぶつける必要がある。
全ての吸血鬼の王である真祖の、暴力的なまでの魔力の奔流が眷獣の形を取って、一瞬でアスタルテの眷獣を消滅させた。
「アスタルテ……っ!?」
眷獣の鎧を失った
あらゆる結界を破壊するアスタルテの敗北。それは殲教師の野望が潰えたことを、何よりも雄弁に語った。
方針するオイスタッハの眼前に、古城が音もなく踏み込んだ。
「ぬぅあっ……!」
「――終わりだ、オッサン!」
相手の身体にダメージを与えず、精神にのみ作用して意識を奪う光技、《鎮星》。
ザンッ、と。容赦なく振り下ろされたサラティガが、彼の意識を一瞬で刈り取り、彼は崩れ落ちた。
§
戦いは終結し、キーストーンゲート最下層には、再び静寂が訪れた。
被害は甚大だ。それでも奇跡的に要石は無事だったし、ワイヤーケーブルもほぼ無傷。ギリギリのところで島は守られた。
それを確認して、古城は雪菜と目を合わせ、微笑み合った。
古城の笑みは何とも気の抜けたものだったが、ほんの一瞬、控えめに冬に咲く花のような、美しい微笑が雪菜の口元を過ぎって消えた。
古城は勝利した。だが、それで何が得られたと言う訳でもない。
大勢の人々が傷つき、要石の中にも聖遺物が眠ったままである。絃神島の抱える歪みは何一つ解決していない。
それでも、今の笑顔で古城は少しだけ満足できた。この戦いは、無駄ではなかったと思えた。
「……それに、救えたものだってあるしな」
呟き、意識を失ったままのアスタルテを見下ろした。目立った負傷は見られず、古城は安堵する。
しかし彼女が眷獣を宿している限り、人間よりも遥かに長く与えられた寿命も意味をなさず、あと数日も持たないだろう。
ならば、眷獣さえどうにかしてしまえば、それで解決する。
「…………いや無理だろ」
ぼそっと呟く。何もどうにかするのが無理と言う訳ではなく、あまりにも痛々しい今のアスタルテの姿に、
「姫柊」
「はい?」
「すまん、ちょっといいか?」
「はい? ……え、ちょ、あの!?」
不思議そうに振り返る雪菜を、古城は思い切り抱き寄せた。
すでに彼女の白銀の
予想外の古城の行動に思いっ切り動揺する雪菜。
しかしそれだけで、抵抗しようとはしなかった。むしろぎこちないながらも、古城の方へ身を預けてくる。
「せ、先輩……」
雪菜の柔らかさ、温かさ、血と汗の匂い。その全てを古城は全身で味わった。
吸血鬼に血を吸われた人間は、快感と恍惚を味わうことになる、と言われているが、それはただそれだけのこと。
だが吸血鬼自身が、突き立てた牙から自分の血を相手の体内に送り込んだ場合には、その限りではない。
絶対にそうなるわけではないが、吸血好意を何度も繰り返していれば、いつかは相手を〝血の従者〟――己の伴侶へと変えてしまうのだ。
そして、永遠の余生を共に過ごすことになる。
「先輩……ダメです……わたしたち、まだ、そんな……」
弱々しい声でたしなめる雪菜だったが、その言葉とは裏腹に、やはり抵抗する素振りを見せようとはしなかった。
そのことを不思議に思いつつ、古城は雪菜を強く抱き締める。雪菜も古城を抱き返s
「――ありがとう。もう行けそうだ」
「え……?」
十分に吸血衝動が高まったところで、古城はあっさりと身を離した。
ポカンとした表情で古城を見つめ返す雪菜を放って、古城は倒れているアスタルテの隣に屈みこんだ。
ほっそりとした
長い長い沈黙の後、古城はそっとアスタルテの首筋から唇を離した。
倒れている彼女の様子に、ほんのりと頬が上気している以外に目立った変化はない。だが、やるべきことは全て終えたはずだ。
満足して息を吐いていると、雪菜が物凄い――静乃以上(!?)の能面のような顔で、銀色の槍を拾い上げていた。
「先輩……? 一体、何をやっているんですか?」
「いや、そ、それは、この子の眷獣を俺の支配下に置こうと思って。ほ、ほら、魔力の仕送りと言うか、眷獣のレンタルと言うか……つまり、この子の眷獣が宿主の命じゃなくて、俺の生命力を喰うように、すれば……いいんじゃ……ないかと……思ったんですが、ね……」
「つまり彼女を救うために、血を吸った、と言うことですか」
最後の部分が途切れ途切れな上に敬語になっている古城の弁解に対する雪菜の声は、出会ったころを彷彿とさせる冷たさと、それを上回る怒りが込められていた。
古城は背筋に凄まじい恐怖を感じながら、おずおずと頷いた。
「そ、そういうことです。眷獣の支配権を奪い取るために、仕方なく。そう、仕方なくです、はい」
「そうですか。でしたら、その前にわたしにしたことは一体……?」
「あ、いや、それはですね。血を吸うには、ほら、吸血衝動を起こさなきゃいけないんですが……さすがにその子に触りまくるわけにもいかないし、替わりも居なかったし、アテ馬と言うか、何と言うか……」
「……アテ馬、ですか……そうですか……」
俯いた雪菜が、プルプルと肩を震わせ始める。
さしもの古城も自分の失言を悟った。いくらなんでもこの言い方はない。しかし他にどう説明すればいいのやら。
なぜか今の雪菜が、噴火寸前の火山のように見えて、古城は慌てて話題を変えようとする。
「そ、それよりも姫柊! 早く上に行こうぜ! 静乃たちが足止めしてくれてる間に、早くあの蛇野郎を……」
だがその言葉は、途中で尻すぼみに消えていくこととなった。
氷のようだった無表情を崩して、雪菜がキッと眉を吊り上げて古城を睨んできた。
今にも泣き出しそうな、そのくせ怒り狂っているような顔で、
「先輩なんて、このまま海の底に沈んでしまえばいいんです! バカ――っ!」
念のため、《
次で九頭大蛇を屠ります。
今回出てきたとある二つの技を組み合わせて《
一応、技名は考えているのですが、リクエストがあれば、どうぞご遠慮なく。
お願いします。