ワールドブレイク・ザ・ブラッド   作:マハニャー

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 サブタイトルの英語が雑なのはご容赦ください。

 お久しぶりです、侍従長です。
 編集はちょっと前にしましたけど更新は久しぶりです。
 昨日はストブラの最新刊を読んでました。17、18巻はOVAまんまでしたね。また新しい設定とか入ってこなくて助かりました。

 今回は最初以外は全部雪菜視点で進みます。古城とどこぞのちょろ坂さんの掛け合いは割愛しました。あしからず。


2‐5 漆原静乃を縛る闇 ―She With Darkness―

 時は遡り、静乃が古城たちとともにディミトリエ・ヴァトラーとの謁見を果たした翌日の朝。

 登校の準備もそこそこに静乃は兄に呼び出され、広い家の廊下を歩いていた。

 彩海高校から遠く離れた、人工的に作られた小さな丘の上。外界とは隔絶されたその空間に、漆原家の邸宅はあった。

 豪奢な豪邸だが、そのひっそりとした佇まいはどこか墓石のようでもある。

 

 向かっているのは兄の部屋だ。外観から分かる通りこの屋敷はかなり広く、また部屋数も多い。

 元々朝が強いわけでもない静乃は不満げな足取りで無駄に長い道のりを辿る。

 ようやく目的の部屋に辿り着き、おざなりなノックの後に一息に開け放つ。

 

 その部屋の中は広く、豪奢だった。

 執務室の間取りではあるが賓客を招いたとしても粗末に当たることはないだろう。

 部屋の真ん中にあるイタリア製の白樫で出来た執務机に、部屋の主が腕を組んで座っていた。

 二十代半ばのいかにも切れ者然とした青年だ。

 十人の漆原の兄弟の中でも特に「貫禄がない」「貧相」と祖父になじられているが、良くも悪くも目端が利きそうな利発さを全身から漂わせている。

 青年の名は漆原賢典。静乃の実の兄にして、静乃たちが通う彩海学園の理事長であり、さらに人工島管理公社で確かな地位を確立した傑物である。

 

 彼はにこりともせずに、入室してきた妹に語りかけた。

 

「久しぶりだねぇ」

「今日、帰ったの?」

「ああ。中東を皮切りに、北アメリカ、ヨーロッパ、さらにはロシアにまで――日本は二カ月ぶりだ」

「お疲れ様」

 

 静乃は能面のような無表情で心にもない労いの言葉をかけた。

 漆原家の中では親子兄弟の間には家族の情はなく、冷めた上下関係しか存在しない。

 代々官僚を輩出する名門であるため、「個人」よりも「お家」を大事にしてきた結果だった。

 故にこの兄妹仲も完全に冷え切っている――のだが、何故か今日は、珍しく兄の機嫌が良いようだった。

 

「どうだい? 学校生活は。漆原家の女として、恥ずかしくない生活は送っているだろうねぇ」

「さぁ? 何しろ初めてのことばかりだから、自分でも自信はないわ?」

 

 やる気なさげに言う静乃。普段であればここで兄の雷が落ちるところなのだが、

 

「謙遜だねぇ。……まぁ、そういうところがあの方の目に留まったのかもしれないが」

「……?」

 

 満足そうに相好を崩す兄に、静乃は訝しげな視線を送る。

 賢典は笑みを浮かべたまま、机の上に一通の封書を投げ出した。

 銀色の封蠟で綴じられた、金色の箔押しが施された豪華な封筒。

 封蠟には、どこか不気味な印象を抱かせる、蛇と剣を形どった紋章が――

 

 それを見て静乃はハッとして、賢典はニヤリとした冷たい笑みを浮かべた。

 

「いやはや……これを見た時は本当に驚いたよ。なぁ、静乃」

「…………」

 

 賢典はゆっくりと立ち上がり、硬い表情を浮かべる静乃へ近付く。

 

「お前が一体どこであの方に拝謁したのかは知らないが、まさかあの方に見初められるとは」

「……ただのお戯れよ。あの方の」

「ただの戯れでこんなものを私のところへ寄越すものか。わざわざ臣下の方を遣わしてまで。……まぁ見たまえ」

 

 兄に促されて静乃は封書を手に取り、文面を確認する。

 その内容を頭が理解するのに、らしくないことにゆうに十秒は費やしてしまった。

 そこに書かれていたことを簡単に要約すれば、こうだ。

 

『漆原家の末女、漆原静乃をアルデアル公ディミトリエ・ヴァトラーの臣下の一人として迎え入れ、帰国する際には彼女も共に〝戦王領域〟へと連れて行く。以後、彼女の身柄はディミトリエ・ヴァトラーの預かりとする。尚これはすでに日本政府の認可を得た決定事項である』

 

「……これ、は」

「いやぁ、実にめでたいことだ。あの〝戦王領域〟の貴族、しかもアルデアル公ほどのお方が臣下として迎え入れて下さるんだ。ほら、もっと誇れ、喜べ。何よりの栄誉だぞ?」

「私は……っ!」

「今日中にアルデアル公自ら迎えに来て下さるそうだ。早く準備をしろ。服はすでに私が、それに相応しいものを用意してある、しっかりと身を清めておけよ」

「兄さん!」

「何だい? あの方の元であれば、もはやお前の将来に心配などありはしない。不足があったなら早く言いなさい。私は忙しいんだ。お前に持たせる土産物も選ばなければならないし、最上級のおもてなしをせねばならん」

 

 本当に嬉しそうに笑みを零しながら浮き足立つ賢典だが、これは妹に訪れた幸運を祝っているのでは決してない。

 賢典が本当に喜んでいるのは、静乃を通じて〝戦王領域〟の貴族との繋がり(パイプ)を作れることだ。

 この兄は自分の野心や漆原家の繁栄のためならば何だってする。誰を犠牲にしようと足蹴にしようと踏み躙ろうと、微塵も痛痒を覚えない。それが例え妹の身だとしても。

 

 いつもはいやいやながら兄の言うことに従ってきた静乃だったが、今回に限って言えば断じて承服出来かねた。

 古城たちと離れて一人だけ遠い異国の地に行き、古城ではない男のものになるなど、死んでも御免だった。

 

「私は……行かないわ」

「……何?」

「行かないって言ったのよ。アルデアル公のお誘い、せっかくだけれどお断りさせてもらうわ」

 

 静乃は決然とした覚悟と決意を込めた声で、そう宣言する。

 だが……

 

(あに)の決定だ。お前はただ首肯すればいい」

 

 賢典が振り返り、冷たい瞳で静乃を見据えた。

 他者に命令することに慣れた、権力者の瞳。

 そう、権力者なのだ、この兄は。故に他者の言葉などには決して耳を傾けない。

 そして――まだ子供の静乃に、抗う術など、ない。

 

「では、静乃よ。アルデアル公がいらっしゃるまでに準備を済ませておくように」

 

 兄は一方的に命令し、また机に戻って行った。

 

 その姿を呆然と見つめながら、静乃は人形のような無表情のまま、自らの胸の内で荒れ狂ういくつもの感情に翻弄され、密かに苦しみ続けていた。

 

 

 

§

 

 

 

 姫柊雪菜は、夢を見ていた。

 

 

 

 夢の中の雪菜は、血塗られた地獄に居た。

 かつては街であったはずの場所。

 そこにあったはずの家屋はもはや跡形もなく。

 そこで生きていたはずの全ての命は消え去り。

 天を貫くように巻き上がる火炎、残っているのは、倒壊した建物の瓦礫だけ。

 例え獲物が居なくなろうとも、その炎は餓えた獣のように崩壊した街中を舐め回している。

 何もかもが失われたその場所で、雪菜は自らの腕の中に居る青年の顔を覗き込んでいた。

 

 老人のような総白髪が周囲の炎によって血のように赤く染まり、纏っている白黒モノトーンの衣装はところどころ切り裂かれ、泥に塗れ血に汚れと、その青年の姿は酷い有様だった。

 青年は自らを抱く雪菜のことなど気にせず、ただ眼前に広がる地獄のみを見つめ続けていた。

 彼の悔し涙に濡れた真紅の瞳は、瞬きすらせずにその光景を瞼に焼き付けている。

 青年自身も重傷を負っており、死に体だというのに、それにすら気付いていないようだった。

 

 青年は呟いた。

 

「……救えると、思ったんだけどな」

「はい」

「……何かが出来ると、思ったんだけどな」

「はい」

「……運命だって変えられるって、そう、思ったんだけどな」

「……はい」

 

 誰に聞かせるでもない青年の呟きに、夢の中の雪菜はひたすらに相槌を打ち続ける。

 震える彼の肩を、優しく抱き締めながら。

 

「…………ょう」

 

 不意に青年は、爪が喰い込まんばかりに拳を握り締めて、

 

「畜生っ!」

 

 ガッ!、と。振り上げた拳で地面を思い切り叩いた。何度も、何度も。拳に血が滲んでも、痛みが襲ってこようとも。止めることなく、叩き続けた。

 埒外の膂力を叩きつけ続けられた地面は、すり鉢状に陥没してしまっていた。

 殴るもののなくなった青年は、唇を噛み締め、今度は自分の頬を殴ろうとして、

 

「やめなさい、ルシフェル」

「……止めるな」

「駄目です」

「止めないでくれ」

「認められません」

「止めないでくれ、ガブリエル!」

「もうやめなさい、ルシフェル!」

 

 血を吐くような青年の叫びに、今にも泣き出しそうな声で叫び返した雪菜(ガブリエル)は青年――ルシフェルの顔を自らの胸に埋めさせた。

 まるで、自分の心音をルシフェルに聞かせようとするように。

 暴れようとしたルシフェルを、雪菜(ガブリエル)は絶対に離さないように抱き締め続けた。

 やがて、ルシフェルは振り上げていた拳を下ろした。

 動きを止めたルシフェルに、雪菜(ガブリエル)は語りかける。

 

「……ルシフェル。あなたは今、運命と言いましたね」

「ああ。こんな、くそったれな運命……」

「運命は、絶対です。何があろうと覆ることはなく、人の力でどうにかすることなど出来ない。わたしたち使徒の力を使っても尚、完全に改変することは出来ない。いずれ修正が入ってしまう。それが例え、どんなに悲惨で、非道で、非情な運命であったとしても」

「…………」

「あなたも知っていたはずです。ずっとわたしの隣で、見てきたはずです。抗えない運命に絶望し、悲嘆し、憤怒しながら消えて行く命を」

「…………それでも」

 

 ルシフェルはポツリと呟いた。

 

「……それでも、俺は、助けたかったんだ。変えたかったんだ。死に絶える運命にあった人々を、今の俺なら、君から力を授かった俺なら、借り物の力であっても、何か出来るはずだって」

「今でも? 変えられなかった、救えなかった、何も出来なかった、今でも、そう思いますか?」

「思うよ。今度こそは、絶対に変えてみせる」

 

 先程までの取り乱した様子は微塵もない、はっきりとした口調で、ルシフェルは言い切った。

 雪菜(ガブリエル)は優しく微笑み、傷ついたルシフェルの拳を手に取る。

 雪菜(ガブリエル)の手から溢れた、白銀の神々しい光が、ルシフェルの傷を瞬く間に癒してゆく。

 その手を額に押し当てながら、雪菜(ガブリエル)は、

 

「なら、見せて下さい」

「……?」

「わたしに……人は、運命を変えられるのだということを。抗えるのだということを」

「……!」

「人の強さを。あなたたちの強さを、すでに諦めてしまった私に……どうか」

 

 懇願するように言う雪菜(ガブリエル)をしばらく見つめていたルシフェルは、再び拳を強く握り締めた。

 しかし今度は地面に叩きつけることはなく、ただ、強く、強く、ギュッと握り続ける。

 

「……ああ。もう、何一つ、運命なんかに奪わせやしない。全部、俺が全部守ってやる」

 

 揺るがぬ決意を込めた、静かな応え。

 それととともに、彼の全身から(・・・・・・)雪菜(ガブリエル)のそれと微妙に異なる(・・・・・・・・・・)純白の(・・・)神通力(アルスマグナ)が放たれた(・・・・・)

 神に通ずる力。通力(プラーナ)を極限まで研ぎ澄まし、昇華させた果て。

 その《神通力(アルスマグナ)》は、真紅に包まれた地獄の真ん中で、あたかも地上の恒星の如く――希望の光のように、燦然と輝き続けていた。

 

 その神々しい輝きを目を細めて眺めながら、雪菜(ガブリエル)はルシフェルにも聞こえないような小さな声で、呟いた。

 

「……ごめんなさい、ルシフェル」

 

 

 

 そこで、姫柊雪菜の夢は終わりを告げた。

 

 

 

§

 

 

 

「ぅ……?」

 

 不明瞭な呻き声を上げて雪菜が目を覚ました時は、まだ授業中だった。

 昼休み前の四時間目。ぼやけた視界の向こうでは教師が教科書片手に説明しながら、何かを黒板に書き連ねている。

 ようやく自分が寝ていたことを認識し、ハッとなって口元に手を当てるも特に涎などは垂れていなかったので一安心。

 

 しかしまさか、自分が授業中に居眠りをしてしまうとは。

 昨日は黒死皇派の件で少しだけ遅く寝たが、古城たちと買いに行った布団で十分な睡眠を取ったはずなのに。

 疲れているのでしょうか、と溜め息を吐きながらシャーペンを手に取って板書を始める。

 

「…………」

 

 ……夢を見ていたような気がする。

 何の夢かは思い出せないが、何故か、とても懐かしい気分になっている。

 最近……絃神島に来て、古城と出会ってから度々こんな夢を見ることがあるのだが、一体何なのだろう。

 そういえば、以前古城が、前世の記憶を夢に見ることがあると言っていたような――

 

 と、その直後。

 ズズゥゥゥゥン、と。地響きのような音を立てて、校舎全体に強い衝撃が走り、建物が揺れた。

 

「……っ!?」

 

 雪菜は思わず息を呑んだ。

 衝撃だけでなく、その中に呪力の揺らめきと魔力の爆発を感じたからだった。

 

「え、何今の? 地震?」

「いや島だし、地震とかあるわけねぇだろ」

「ちょっとなになに、怖い怖い」

「すげー揺れたよな」

「何か今、屋上から凄い音が聞こえたような」

 

 教室内の生徒たちが怯えたような表情でざわめきだした。

 その衝撃は雪菜のクラスだけでなく他のクラスにも波及していたようで、そこかしこから無秩序なざわめきとそれを宥める教師陣の声が聞こえてきた。

 

「ゆ、雪菜ちゃん……」

「ごめん、凪沙ちゃん。わたし行ってくるから!」

「雪菜ちゃん!? どうしたの!?」

 

 震えながら寄り添ってきた凪沙を優しく振り払って、雪菜は静かに椅子から立ち上がった。

 集まる視線を努めて無視し、ロッカーの方に置いてあった黒いギターケースを引っ掴んで風のように教室から飛び出す。

 目指すは屋上。今の衝撃の元凶が居るであろう場所だ。

 

 全速力で廊下を駆け抜け階段を三段飛ばしで最上階まで飛ばす。

 屋上に通じるドアの前まで辿り着くと、ドアは開いていて、近くには浅葱がぐったりした様子で倒れていた。

 

「っ!!」

 

 校舎の屋上では、コンクリートに亀裂が走り、暴風が荒れ狂っている。

 その中に見えたのは、銀色の長剣を構えて何とか踏ん張る紗矢華と、暴風に取り囲まれながら必死な表情で魔力の漏出を抑えようとしている古城の姿だった。

 古城のその状態には見覚えがあった。数週間前に倉庫街で見た光景と同じ――古城の血液の中に住まう眷獣が、宿主の意思を無視して顕現しようとしている。

 

 何故こんな状況になっているのか疑問はあったが、その疑問は後回しにせざるを得なかった。

 古城を中心に撒き散らされる衝撃波が引き起こす破壊が、浅葱が倒れ伏している辺りにまで及ぼうとしていたからだ。

 

「雪霞狼!」

 

 即座にギターケースから銀色の槍を引き抜き、展開する。

 キンッ、と金属が擦れ合うような甲高い音が鳴り響く。雪菜は跳躍した。

 

「――獅子の巫女たる高神の剣巫が願い奉る!」

 

 紗矢華と古城の立つ位置のちょうど真ん中に着地した雪菜は、両手で握った槍を崩壊しつつある屋上の地面に突き立てた。

 

「雪霞の神狼、千剣破(ちはや)の響きを持って楯と成し、兇変災禍を払い給え!」

 

 雪菜の祝詞が朗々と響き渡り、それに呼応するように地面に突き立てられた雪霞狼が光を放った。

 吸血鬼の真祖をも完全に滅ぼすことが可能となる獅子王機関の秘密兵器〝七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)〟。ありとあらゆる結界を切り裂き魔力を無効化する神格振動波の光が、満ち満ちていた魔力を消し飛ばす。

 覚醒間際の眷獣が撒き散らす地鳴りや暴風も消え、後に残ったのは荒い息を吐く古城と、あちこち罅割れて廃墟のような様相を呈した屋上だった。

 

 そこで力尽きたように、紗矢華と古城がその場にへたり込んだ。

 雪菜は二人のその様子を見て、言いようのない苛立ちを感じた。

 無表情のまま二人に近付き、彼らの眼前に雪霞狼を突き立てる。

 

 古城と紗矢華はビクッと怯えたように肩を揺らして、

 

「二人ともこんなところで何をやってるんですか?」

「いや、それは、この嫉妬女が一方的に襲いかかってきて……」

「ち、違うの。そこの変質者が雪菜を裏切るような破廉恥なことをするから……」

 

 互いを指差して、言い訳がましく言い募る二人。

 まあ、大体の事情は想像出来た。大方、また紗矢華が嫉妬のままに古城に襲いかかり、古城は応戦するも負けそうになり、宿主の危険を察知した眷獣が暴走を始め、そして今に至る。そんなところだろう。

 はぁ、と溜め息を一つ零し、雪菜は自分の腰に手を当てて、

 

「………紗矢華さん」

「は、はい」

「第四真祖の監視はわたしの任務です。それを妨害することが紗矢華さんの望みですか? そんなにわたしが信用出来ませんか?」

「そ、そんなことないわ! 私は誰より雪菜のことを信じてるもの!」

「なら、以後このような行動は慎んで下さい」

「はい……」

 

 シュンと肩を落とす紗矢華から雪菜は視線を切って、古城の方へと目を向ける。

 

「先輩」

「……はい」

「こんなところで眷獣が暴走したらどうなるか、もちろん分かってますよね? 生徒の皆に何かあったら、どう責任を取るつもりだったんですか?」

「……すいません、反省してます。すいません」

「先輩は今、実際に藍羽先輩を傷つけるところだったんです。それをよく考えて下さい」

「…………はい」

 

 古城は消え入りそうな様子で背中を丸めた。

 どうやらちゃんと反省はしているらしい。

 実際、雪菜が来なければ浅葱は確実に古城の魔力によって傷ついていた。それは古城にとって何より恐れることだろう。

 自分が大切にしているものを、自分の手で傷つけてしまうなど、絶対に嫌なはずだ。

 そして雪菜自身、古城にそんなことをして欲しくはない。

 

「……ちゃんと、気を付けてくださいね?」

「……ああ。分かってる」

 

 頭をガシガシと掻き毟る古城に雪菜が頬を緩めた、その時だった。

 

「雪菜ちゃん! 何か凄い勢いで飛び出して行ったけど、大丈夫……って、この屋上何があったの!? 何でこんなに壊れて、って浅葱ちゃん!? ケガしてる!? どうしよう!?」

「ねぇ、何今のズズゥン、って言うの! 屋上から聞こえてきたけどって、ちょっと!? 何この惨状! 藍羽も倒れてるし、古城に姫柊さんに……あっ! その女!!」

 

 忙しない足音を立てて駆け込んできたのは、古城の実の妹の凪沙と、前世における妹の嵐城サツキだった。

 半壊した屋上と倒れた浅葱を見て素っ頓狂な声を上げる凪沙と、同じく驚きながら古城と向き合っている紗矢華を見て眦を吊り上げるサツキに、雪菜は嘆息して、

 

「……二人とも、しばらく一緒に反省していて下さい。わたしと凪沙ちゃんで、藍羽先輩を保健室に連れて行きますから。雪霞狼のこともお願いします」

「お、おう、分かった……って、え!? この嫉妬女とか!?」

「何か文句でも?」

「な、ない……です」

「ですよね」

「はい……」

 

 格納状態に折り畳んだ槍を古城に押し付けた雪菜は、もう一度溜め息を零しながら、反省の意を示すためにその場に正座した二人を尻目に屋上を出て行った。

 

 

 

§

 

 

 

 保健室に浅葱を連れて行ったはいいものの、養護教諭の姿はなく、代わりに居たのはアスタルテだった。

 現在は古城の預かりとなって暁家に滞在しているアスタルテだが、古城たちが登校している間は彼女は保健室の手伝いをすることになっている。

 メイド服の上に白衣というやや倒錯的な服装の彼女は、ベッドに眠る浅葱の隣に屈みこんでいた。

 

「――診察を(メディカル・チェックアップ・)終了しました(コンプリーテッド)

 

 簡単なチェックを済ませたアスタルテが体勢を元に戻しながら、無感情にそう言った。

 

「衝撃波、および急激な気圧の変動による軽いショック症状と推定されます。後遺症の心配はありません。ただし本日中は安静を保つことを推奨します」

「分かりました。ありがとうございます」

受諾(アクセプト)。礼には及びません。……ところでミス姫柊。先ほどの魔力の波動と負傷したミス藍羽……もしや、マスターですか?」

「……はい。その通りです」

「成程。ならば、大きな怪我がなく良かったですね」

「そうですね」

 

 安堵したように小さく息を吐くアスタルテに、雪菜も強張っていた頬を緩めて微笑んだ。

 もしも浅葱が無事ではなかったと知ったら、あの不器用で無神経で不用心な、けれど優しい先輩はきっと深く傷ついただろうから。

 そしてもう一つ――出会った時は、それこそ人形のようだったアスタルテが、そういう風に誰かのことを気遣っているのを見て、何だか嬉しくなったからだった。

 

「……どうしました?」

「いえ、何でもないです」

 

 言葉通り怪訝な表情で聞いてくるアスタルテに曖昧に微笑み返す雪菜。

 そんな二人のやりとりの後ろで、保健室に居るもう一人の少女凪沙は、ポケーッ、とした表情でアスタルテの手際を眺めていた。

 一緒に来ていたサツキは、女たちの仁義なき真剣勝負(じゃんけん)の末、浅葱を含めた全員分の飲み物を買いに行っている。

 

「ふわー……アスタルテさん凄いねー。ホントに看護婦さんみたい。あ、白衣着てるからお医者さんの方かな。っていうか何でメイド服の上に白衣着てるの? 患者さんへのそういうサービスなの? 何か古城君が喜びそうだけど、古城君が言ったの?」

「……ミス凪沙。そう矢継ぎ早に質問を重ねられても困ります」

 

 繰り出されるマシンガンのごとき質問に、珍しくアスタルテは本気で困惑したような表情を見せた。

 

「メイド服の上に白衣を着ているのは、これしか保健室で着用する衣服がなかっただけのことです。そしてサービスではありません。断じて違います」

「あ、そう言えばアスタルテさんってそのメイド服以外のお洋服持ってなかったっけ。なら今度買いに行こう! サツキお姉ちゃんも誘ったら一緒に来てくれるよ。雪菜ちゃんも行く!?」

「え、わたしですか?」

「うん。雪菜ちゃんもお洋服あんまり持ってなかったよね?」

「ええ、まあ……」

 

 雪菜の場合、服をあまり持っていないのは、雪菜自身がそういうことにあまり興味がないからだ。

 高神の杜では修行が第一で、自分を飾り立てることに執心するような余裕も時間もなかったし、そんな必要もなかった。

 そんな、有体に言って無駄な――オシャレに精を出す女子が聞けば血の涙を流して睨まれそうな発言だが――ことにお金を使うのも、何だか馬鹿らしかった。

 なまじ化粧など必要ないほどの、本人は無自覚の美少女ぶりも相まって、誰からも何か言われたりしなかったので、その必要性がいまいちよく分からないのだ。

 

 もともと自分のことでお金を使うような性質ではなかった。この島に来てからも何かを買ったのは、古城たちと一緒に家具を買いに行った時ぐらいのものだった。

 そこまで考えて、古城のことが頭に浮かんだところで、雪菜はふと思った。

 

 ……先輩も、ちゃんとオシャレに気を使う女の子の方が好きなんでしょうか?

 

 チラリと、ベッドの上で眠りこむ浅葱の顔に目をやる。

 雪菜たちと違いきちんとオシャレをしている浅葱は、同性である雪菜の目にも魅力的に映った。

 化粧はしていても決してケバいほどではなく、むしろ素材の良さをよく引き立てている。

 ジャラジャラと鬱陶しいアクセサリーなどを身に着けていることもなく、中等部と高等部共通の制服も、校則を破ることなくセンス良く着崩されている。

 

 彼女が自らを引き立てるために並々ならぬ努力をしているのは明白だった。

 そして、その努力が誰のためのものなのかも、また、明白だった。

 古城と浅葱、二人の距離感の近さを思い出す。互いに遠慮や面倒な気遣いなどはなく、何でも言い合える仲。

 そんな二人を見ていると、少し羨ましく思える。

 

 わたしもいつか、先輩とそんな風に――――

 

「……って、わたしは何を!?」

「ゆ、雪菜ちゃん? どうしたの?」

「あ、な、何でもないの! 気にしないで!」

 

 思わず叫んでしまい、凪沙が怪訝そうな表情で振り向いた。慌てて取り繕う。

 

 わ、わたし、どうしてあんなことを……!?

 

 直前までの自分の思考に頭を抱える雪菜を置いて、メイド服の裾を摘まんで引っ張ったりしていたアスタルテが凪沙に静かな口調で問いかけた。

 

「ミス凪沙。先程仰っていましたが……マスターは、こういう格好がお好きなのでしょうか?」

「え? うん、確かそうだったけど……あれ? でもあれは、ナース服だったかな? うーん、前に矢瀬っちが持ってきてたエッチな本の表紙に描いてあったんだけどなー」

 

 サラリと兄の個人情報をばらす凪沙に、アスタルテは興味津々な様子で、

 

「ナース服、ですか?」

「他にもいろいろあったよ。古城君って結構守備範囲広いからね。妹モノもいくつかあったし……。あ、そうだ。今度一緒にお洋服買いに行った時、あたしがコーディネートしてあげるよ! 古城君の好みは大体知ってるから!」

素敵な判断です(ナイス・アイディア)。よろしくお願いします」

「うん、任せてね! 雪菜ちゃんも!」

「ふぇっ!? わ、わたしもですか!? わたしは、別に先輩なんて……」

「誰も古城君見せるためー、何て言ってないよー?」

「ぅ……」

「むふふー。雪菜ちゃんってば可愛いなー♪」

 

 赤面する雪菜を満足げに眺める凪沙。

 口元を『3』のようにしてニヤニヤする凪沙に雪菜が言い返そうとした時、ベッドの方から小さな呻き声が聞こえた。

 

「あれ……ここどこ? 保健室?」

 

 あいたた、と額を押さえて、浅葱がゆっくりと上体を起こした。

 

「浅葱ちゃん、気がついた? あたしのこと分かる? これ何本に見える? どこか痛いところとかない? 古城君に何かされなかった?」

「……起き抜けでその質問攻めはキツイわね。一体な何がどうなったんだっけ?」

「えっとね、何か屋上の配管が破裂したらしいよ。その時のショックで気絶したんだって」

「配管? 破裂? あー、そういえば耳がキーンってなった気がするわ」

 

 顔を顰める浅葱だったが、ふと何かを思い出したように、

 

「あれ? でもその前に、古城が変な刃物持った女に追い回されてたような……古城は?」

「すいません、藍羽先輩。彼女はわたしの友人です。暁先輩も一応ご無事です」

 

 雪菜はおずおずと浅葱の前に行って告白する。

 唐突な雪菜の言葉に、浅葱は目を瞬かせながら、

 

「……えーと、あなた姫柊さんだっけ。何であなたの友達が古城を襲うわけ?」

「それは……つまり、暁先輩に対して、嫉妬、していたのではないかと」

「嫉妬? もしかして、あたしが古城と一緒に居たから?」

「そうですね……それも、一つの要因だと思います」

 

 雪菜は元来説明が得意ではなく、それは自分でも大いに自覚するところだった。

 故に、今も色々と不足気味の説明のせいで、重大な勘違いが発生していることにも気が付かなかった。

 つまりは、浅葱の中で煌坂紗矢華という少女が、暫定的に嵐城サツキ、漆原静乃、姫柊雪菜の属するグループに分類されたのである。

 そしてそれは浅葱だけでなく、同席していた残りの二人も同様で、

 

「どういうことなの? あの人、彩海学園(ウチ)の生徒じゃないよね。すっごく綺麗な人だったけど、古城君、あの人といつから知り合いだったの? ねえ雪菜ちゃん、聞かせてよう!」

「同意。説明を要求します。その綺麗な人とやらについて、具体的且つ正確な」

「え、えっと……」

 

 雪菜が返答に困り果てた、その時だった。

 凪沙と一緒に雪菜に詰め寄っていたアスタルテが、ふいにあらぬ方向を険しい表情で見据えたのは。

 

「――警告。校内に侵入者の気配を感知しました」

「侵入者?」

 

 全く予想もしなかった言葉の響きに、その場の全員が固まった。

 

「総数は二名。移動速度と走破能力から、未登録魔族だと推定されます」

「魔族……!? まさか、暁先輩を狙って……!?」

「否定。予想される目標地点は彩海学園保健室――つまりここです」

「なっ……」

 

 一瞬呆然としてしまった雪菜の背中に、誰かが突然しがみついてくる。

 

「嘘……」

「凪沙ちゃん?」

「どうしよう、雪菜ちゃん……あたし……怖い……」

 

 振り返って凪沙の顔を見た雪菜は愕然とした。

 先程までの快活な笑顔は消え失せ、真っ青な顔色で、唇は恐怖に戦慄き、血の気をなくした指先は冷え切っていた。

 生まれたての雛鳥のように震える彼女を支えながら、雪菜は戸惑った。

 

 魔族特区である絃神島の住人は魔族に慣れている、と雪菜は聞いていた。

 魔族登録証を着けた魔族よりも、短いスカートを穿いた女子中学生の方が、よっぽど街での注目を集めるほどだ。

 登録魔族の犯罪率は一般人のものより格段に低い。もし魔族が何か事件を起こしたとすれば、即座に特区警備隊(アイランド・ガード)が大挙して襲いかかってくるからである。

 つまりこの島においては、魔族を恐れる理由などない。

 だがそれでは――凪沙のこの怯えように説明がつかない。

 

「よく分からないけど、逃げるわよ! ここに居なければいいんでしょ!?」

 

 震える凪沙を見かね、浅葱が保健室の出口へ向かうが、それより一歩先に扉が乱暴に開かれる。

 浅葱の行く手を阻むように現れたのは、灰色の軍服を着た大柄な男だ。その顔は銀色の獣毛に覆われて、尖った口元から鋭い牙が覗いている。

 

「……獣人?」

 

 浅葱の呟きを聞いて、雪菜の腕の中に居る凪沙が、ひっ、と小さな悲鳴を上げた。

 

 ――相手が一人で、そして浅葱や凪沙が居なければ、例え獣人相手でも素手で制圧することは可能だっただろう。

 だが彼女たちを庇いながらでは不意討ちでも勝つのは難しいだろう。この獣人は、以前この島に来たばかりの頃に殴り飛ばしたものとは明らかに違う。十分な訓練を受けた戦士のはずだ。

 雪霞狼は古城に預けたまま。完全なミスに雪菜は歯噛みした。

 

 その獣人の後に続いて、軍服の男がもう一人入ってくる。

 人間の姿のままだが、凄まじい威圧感の初老の男性である。

 

「見つけたか、グリゴーレ」

「この三人の中の誰かですな、少佐。一人ずつ嗅ぎ比べれば、すぐに分かりますがね」

 

 くぐもった声でそう言った獣人の手から、小さな靴が放り投げられる。

 その靴の持ち主が誰かは分からないが、彼らは獣人特有の敏感な嗅覚を使い、その靴の匂いを辿ってここまでやって来たのだ。

 少佐と呼ばれた男が、ふむ、と面倒そうに鼻を鳴らした。

 

「日本人の顔は見分けにくくていかんな。まあいい。全員まとめて連れて行くぞ。交渉の道具には使えるだろう。人質にもな」

「…………」

 

 近付いてくる獣人に浅葱が一歩後退った――直後、抑揚のない無機質な声とともに、メイド服に白衣という奇抜な衣装の少女が跳び出した。

 

「――人工生命体保護条例・特例第二項に基づき自衛権を発動。実行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の(ロドダク)――」

 

 だが、人工眷獣を召喚しようとした少女――アスタルテの言葉が、最後まで紡がれることはなかった。

 軍服の男が、雪菜ですら反応できないような神速の抜き撃ちで、一瞬のうちにアスタルテの細身の体に六発の銃弾を叩き込んだのだ。

 彼女の体はたちまち壁際まで吹き飛び、眼前で起きた凄惨な光景に、浅葱たちが絶句する。

 

「……少佐? どうしました?」

「この人形から、妙な魔力の流れを感じたのでな。護身具でも仕込んでいたか」

 

 特に罪悪感も浮かばせずに素っ気なく言った男に、雪菜は今度こそ戦慄した。

 残虐に見える彼の判断が、兵士として文句なく正しいものであることを雪菜は知っていた。

 

 アスタルテは、人工生命体(ホムンクルス)でありながら、ある男の悲願のために、その体に圧倒的な戦闘能力を持つ人工眷獣が埋め込まれている。

 そんな予備知識など一切なしに、男はただ魔力を察知して一瞬の躊躇も見せずに迅速に無力化した。

 並の兵士に出来ることではない。この男は途轍もない腕を持つ超一流の戦士だ。

 例え雪菜に雪霞狼があったとして、果たして一対一で勝てるだろうか――

 

「ああ、脅かして済まなかった。安心してくれ。大人しく従ってくれれば、君たちに危害を加えるつもりはない」

 

 流暢な日本語で男はそうのたまった。

 

「君たちの中にアイバ・アサギが居るな。我々のためにちょっとした仕事をしてもらいたい。それが終われば、三人とも無事に解放すると約束しよう」

「……アンタたち、何者なの?」

 

 後輩たちを庇うように前に進み出た浅葱の背中を見て、雪菜は驚愕した。

 浅葱は決して訓練を受けた戦士ではない。だというのに、声を震わせることもなく、毅然と男を睨み返している。恐怖を感じていないはずもないのに。尋常ならざる胆力であった。

 その浅葱の勇ましい姿に、男は確かな賞賛の表情を浮かべた。一流の戦士である彼をして、浅葱の勇気には感じ入るものがあったのだろう。

 

「これは失礼。戦場の作法しか知らぬ不調法な身の上故、貴婦人(レディ)への名乗りが遅れたことを詫びよう」

 

 紳士的な物腰でそう言った男は、静かに帽子を脱いだ。

 その男の顔を見て、雪菜はハッと息を呑んだ。

 

「わが名はクリストフ・ガルドシュ――〝戦王領域〟の元軍人で、今は革命運動家だ。テロリスト、などと呼ばれることもあるがね」

 

 ――秀でた額と、尖った鷲鼻。知的でありながら、苛烈な威圧感を持つ老人の顔。

 その頬には、目立つ傷跡が残されていた。

 大きな、古い傷跡が――


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