ワールドブレイク・ザ・ブラッド   作:マハニャー

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 お久しぶりです、一か月ぶりですか。

 というわけで、ちょっと気合を入れました。入れましたら、二万行きました。よろしくお願いします。


2‐3 冥府の魔女 ―Hell Witch―

 月の輝く夜。第四真祖暁古城と少女たちが、〝戦王領域〟の使者、ディミトリエ・ヴァトラーとの邂逅を果たしていた頃。

 古城たちのクラスの担任教師にして、絃神島有数の実力者、南宮那月は、鉄骨を剥き出しにした殺風景な部屋に居た。

 密林のように室内を埋め尽くす電子回路を保護するために、呼気が白く煙るほどに室温は低い。

 カノウ・アルケミカル・インダストリー社という会社の、とある研究室の一つだった。

 

 そんな部屋で、那月は目の前の巨大モニタの映像を見上げていた。

 彼女の背後では、黒服を着た男達が一人の獣人を拘束していた。黒死皇派と呼ばれるテロリスト集団の賛同者(シンパ)であり、特区警備隊(アイランド・ガード)に捕縛命令の出された犯罪者だった。

 そしてもう一人。モニタを見つめる那月の背後に微動だにせず佇む藍色の髪の小柄な少女――アスタルテ。

 

 次に那月が視線を移したのは、机に散らばっていた数枚の写真。どこかの古代遺跡から出土した石板を写したものらしい。

 石板の表面に刻まれているのは、モニタのものと同じ解読不能な文字の羅列。だが、卓越した魔女である那月には、そこに書かれているのが恐ろしく危険の力を秘めた代物であることが分かった。

 

「黒死皇派が、西域からわざわざ運びこんできた密輸品というのはコイツか……ただの骨董品ではなさそうだが……現物(オリジナル)はどこにある?」

「――対象確認不能。すでに当施設から運び出されたものと推定されます」

 

 アスタルテが指差すのは、部屋の隅に残された、中身のない金属製の輸送ケース。

 チッ、と苛立たしげに舌打ちしながら、那月はモニタをもう一度見上げる。

 この部屋で行われていたのは石板の解読作業のようだが、未だに解読は不完全。解読出来ているのは、ごく限られた一部の単語だけ。その中に〝ナラクヴェーラ〟の文字を見つけて、那月は眉を顰めた。

 

「馬鹿な……何を考えている、クリストフ・ガルドシュ……」

 

 那月の呟きに答える声はなかった。

 だがアスタルテは、那月の声に含まれた重々しい響きに、作られた心の内に漠然とした不安を抱いた。

 

「…………マスター」

 

 ここには居ない主を呼ぶ彼女の声は、誰にも届くことなく殺風景な部屋の壁に吸い込まれて、消えて行った。

 

 

 

§

 

 

 

 同時刻。藍羽浅葱は、自室の机の前に座っていた。

 クローゼットから溢れ出した洋服。雑誌とメイク用品とぬいぐるみが少々。浅葱の自室はごくありふれた女子の部屋だ。

 だが、この机周りだけは違う。無骨な作業用ディスプレイ、ラックマウント式の並列PCクラスタ。ちょっとしたIT企業や大学の研究室レベルの機材が勉強机に無造作に並べられているのだ。

 ごく一部の者しか知らないことだが、浅葱は〝電子の女帝〟などという恥ずかしい呼び名で呼ばれる、天才的なハッカーなのである。趣味と実益を兼ねて絃神島内の企業や人工島管理公社から高額のバイトを引き受けていたりする。

 

 幼馴染である矢瀬基樹を相手に一頻り愚痴を言って、ついでに余計なことを言われて悶々としていた時、ふと見慣れないメールの存在に気が付いた。発信者のアドレスは、カノウ・アルケミカル・インダストリー社。浅葱も何度か仕事を請け負ったことのある会社だった。

 

『解読希望――』

 

 たった一言だけ添えられて送られていたのは、得体の知れない奇怪な文字の羅列だった。恐ろしく複雑な言語体系(システム)、破綻した論理配列(アレンジ)、地球上のどの言語とも、魔術や呪術で使用される呪文とも違う。

 いかなる言語学者、あるいは魔術師の集団を以てしても、これの解読は困難だろう。

 当然だ。何故ならこれは、人間のための文字列ではないのだから。普通の言語学的アプローチで解き明かせるはずもない。

 今の人類が知らない特殊なアーキテクチャを操るための命令体系――プログラムである。

 

 しかしそんな難解にして複雑極まる文字列も、プログラムであるのならば、浅葱に――〝電子の女帝〟に、解き明かせないはずもない。

 やがて奇怪な文字が解体されて、翻訳された文字が表示された。

 

 ディスプレイに浮かび上がった単語を見て、浅葱は首を傾げながら呟いた。

 

「〝ナラクヴェーラ〟……?」

 

 

 

§

 

 

 

 暁古城は、夢の〝続き〟を見ていた。

 

 

 

 古城(シュウ・サウラ)の腕の中で抱き締められていた魔女は、そっと身を離した。

 

「見て――」

 

 徐に上着をはだけ、豊かな乳房がまろび出る。

 雪のように白い肌の上には、惨たらしい焼き印が刻まれていた。作り物めいた完璧な美を損なう、見るも無残な汚点。彼女がかつて、『奴隷』であったことの証左。

 

 でも、魔女はむしろ、それを誇るように胸を張った。

 

「奴隷だった私を、解放したのはあなたよ?」

 

 蜜のような声で、目の前の男に囁きかける。

 

「あなたには、私を繋ぎ止める責務があるわ?」

 

 そして古城(シュウ・サウラ)の手を取り、自らの乳房の上、かつて刻まれた奴隷の証へと導いた。

 

「……まったく」

 

 古城(シュウ・サウラ)は呆れたような口調で、しかしその瞳はどこまでも優しく、魔女の言葉を受け止めた。

 

「お前は自由だ。そも、人が人を縛る鎖などどこにもないのだ」

 

 乳房の焼き印を、そっと撫でる。

 

「私はあなたがくれた自由に溺れそうなの。あなたにしがみつくしかないの。……だからお願い。私のことを見て。私のことを捕まえて。私のことを離さないで。私のことを抱き締めて。私たちが死ぬまで、私たちが生まれ変わったその後も、ずっと。永遠に」

 

 冥府の魔女は古城(シュウ・サウラ)の首に手を回し、しなだれかかってくる。古城(シュウ・サウラ)の胸板で挟まれて豊かな乳房がひしゃげる。

 

「それがあなたの、私に対する贖罪よ」

 

 古城(シュウ・サウラ)は答える代りに、魔女の細い体を強く抱き締めた。

 それ以上は指一本触れず、キスすらしない。この凍える世界で、僅かな温もりを分かち合う。

 

 まるで、互いの魂の結びつきを確かめ合うような、深く、情熱的な抱擁だった。

 

 

 

 そこで古城(シュウ・サウラ)の夢は途切れ、古城は目を醒ました。

 

 

 

§

 

 

 

 翌日の朝。朝の六時、そろそろ日差しがキツくなってきた頃。

 藍羽浅葱は、暁古城の自宅を訪ねていた。

 浅葱がである。サツキや雪菜ではなく、浅葱が、である。

 

「……ったく、何であたしがこんなこと」

 

 確かに浅葱は古城の家を知っているし、何度か来たこともあるが、だからといって朝早く来るような場所でもない。

 正直に言って、浅葱本人にも、自分が何故こんなところに居るのか、よく分かっていなかった。ついでに、今から自分がやろうとしていることの意味も、よく分かっていなかった。

 ただ一つ分かっているのは、こうなったのは、古城の周りを囲む少女たちと最近また追加されたライバル(雪菜)の存在、そして昨夜の矢瀬から言われた言葉に原因があるということだけだ。

 

曰く――『とりあえず漆原とかに対抗して、古城を誘惑してみるってのはどうだ?』

 

 しかしそんなことを言われても、自分と古城の関係で一体何をすればそんな状況に持ち込めるのか、皆目見当もつかなかった。あの鈍感かつ無自覚なハーレム野郎のくせに変なところで常識的な古城を簡単に籠絡出来るなら、今頃静乃辺りがモノにしていただろう。

 

 それでも矢瀬の言葉が気になって、妙な文字列を解読した後にネットでいろいろ調べて、出てきた検索結果の内の一つを早速試そうと、古城の家に来たわけだが。

 いざやるとなると、どうにも尻込みしてしまう。

 

「……って、何をあたしは躊躇してんのよ」

 

 この部屋に入れてもらう時に会った凪沙からも、古城を起こしてやってくれと言われていることだし、仕方ない。うん、仕方ない。早く起こしてやらねば学校に遅れてしまう。うん、仕方ないのだ。

 実際はまだ時間的に余裕はあるのだが――その分、浅葱がどれだけ早くから来ていたのかが分かるというもの――浅葱は理論武装を完了して、目の前の古城の部屋のドアをゆっくりと開ける。音がしないように必要以上に気を付けたせいで、まるで忍びこんでいるようになってしまった。

 

 相変わらず必要最低限の家具とバスケットボールや雑誌程度しかない部屋のベッドで、古城がタオルケット一枚をかけてドアの方に背を向けて眠っていた。

 背中しか見えないためどんな表情なのかは分からないが、ゆっくりと上下する肩や雰囲気から、随分と気持ち良さそうに寝ているのが分かる。

 完全に逆恨みだが、人の気も知らないで――という怒りが込み上げてきて、浅葱はズンズンとベッドに近付いてタオルケットを剥ぎ取る。

 

「ほら、古城! いつまで寝てるの! 起きないと遅刻する……わ…………よ…………」

 

 古城を起こそうとする浅葱の威勢のいい声は、しかし尻すぼみに消えて行ってしまった。

 

「んぐ……あと五分…………」

 

 一瞬目を開けて起床しかけた古城だったが、すぐにもう一度目を閉じて、腕の中で眠る少女を(・・・・・・・・・)抱き締めた(・・・・・)

 ギュウッと古城に抱き締められた少女は、「ん……」と気持ち良さそうな声を洩らして、自らも古城の胸に額を擦り寄せてさらに密着度が上がる。ダボダボのTシャツ一枚で、剥き出しになった白く細い足まで、古城の足と絡み合っている。

 藍色の髪のその小さな体躯の少女は、確か人工生命体(ホムンクルス)の、アスタルテといったはずだ。昨日紹介された時には、古城の所有物とか言っていたが……なるほど。抱き枕という意味なら、確かに所有物である。

 

 その光景を――想い人が年端もいかぬ幼女を抱き枕にしている姿を――目の当たりにして、浅葱の思考は完全に停止した。

 いや、浅葱でなくともこれは同じ反応をする場面だろう。高校一年生の大柄な男子が、人工生命体(ホムンクルス)とはいえ見た目十歳かそこらの幼女と絡み合っている場面など見た日には、誰だってこうなる。即座に特区警備隊(アイランド・ガード)を呼ばないだけマシな方だ。

 

 たっぷり数十秒固まってから、ようやく正気を取り戻した浅葱は、何よりもまず、叫んだ。

 

「っ、きゃああァァ――――――ッ!?」

 

 部屋中に轟いた絶叫に、気持ち良く寝ていた古城も眉を顰め、自分に抱きつくアスタルテの細い腕を丁寧に外してやってから、目を擦りながらゆっくりと起き上がった。

 ロクに回らない頭でベッド脇の目覚まし時計を見ると、まだ余裕があった。昨日は帰ってくるのが遅くて、まだ寝足りないのだ。あと三十分ぐらいならいけるだろう。

 そう思っていると、不意に服の裾をアスタルテが掴んできた。どうやらまだ起きているわけではなく、寝ぼけてのことらしい。古城は優しく微笑みながらアスタルテの手を取ってもう一度寝入ろうとして――いきなり浅葱に耳を抓られて跳び上がった。

 

「いでででで! だ、誰だ……って、浅葱?」

「……どういうこと!」

 

 何故か自室に居る制服姿の浅葱を見て驚いた様子の古城だったが、すごい剣幕で迫られて思わず怯んでしまった。

 というか、何でいきなり怒鳴られなければならないのか。

 

「どういうこと、って何がだよ?」

「この娘のことよ! 何であんた、この娘と一緒に寝てるわけ!? 普通有り得ないでしょ!?」

「……? いやだって、抱き枕だし」

「抱き……っ!?」

 

 あっけらかんと言い放つ古城に、頬を引き攣らせて浅葱は硬直した。

 そんな浅葱を放って、古城は欠伸をしながら再びベッドに沈んだ。

 ギュウッとアスタルテを抱き締める。早朝とはいえ常夏の人工島では、それなりの気温なのだが、アスタルテの細身の体は僅かに冷たく丁度良かった。抱き枕として、文句なしの満点である。

 

 快適そうに頬を緩ませる古城と、彼の腕の中で軽やかな寝息を立てるアスタルテに、浅葱は打ちひしがれた。

 どういうことだ。まさか、自分の想い人は、人として堕ちてはいけないところまで堕ちてしまったというのか……!

 絶望感に膝をつく浅葱。薄目でそれを見た古城は、何やってんだコイツ、という疑問を浮かべながら、朝になってもここまで眠い元凶となった事件を思い返していた。

 

 

 

§

 

 

 

「――今の気配〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟だね……ふぅん、普通の人間が第四真祖を喰ったって話、本当だったのか。いや、キミは普通の人間とは言えないか」

 

 古城にいきなり攻撃を仕掛け、少女たちを薙ぎ払っておきながら、〝戦王領域〟の貴族は悪びれなく言った。

 

「……〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟を知ってるのか」

「〝焰光の夜伯(カレイドブラッド)〟アヴローラ・フロレスティーナの五番目の眷獣だろ。制御の難しい暴れ者と聞いていたけれど、よく手懐けているじゃないか。霊媒の血が良かったのかな?」

 

 ディミトリエ・ヴァトラー。見た目は二十代前半に見えるが、吸血鬼――それも〝旧き世代〟の吸血鬼の見た目など信用できない。その何倍、何十倍もの時を生き、古城など及びもつかないほどの莫大な知識を蓄えているはずだ。

 第四真祖――古城自身にまつわることについても。

 

「……ッ、ぐっ、アンタ、アヴローラとは、どういう関係だ……?」

 

 淡々とヴァトラーが紡いだ、先代の第四真祖の名に、古城は原因不明の激しい頭痛を覚えた。

 呪いにも似た、かつてどこかで出会ったはずの少女の記憶を閉ざす封印。

 

 ヴァトラーは、懐かしむように目を細め、

 

「ボクは彼女を愛してるのさ。永遠の愛を誓ったんだ」

「愛を誓った……って、アンタは第一真祖の一族だろ」

「まあね。けど、要は〝血〟が強ければいいのさ。先祖だろうが誰だろうが無関係に強い血族が生き残る。吸血鬼ってのはそういうものだろう? そんな訳で仲良く愛を語らおうじゃないか、暁古城」

「待て待て待て待てっ! 何でそうなる!?」

「ん?」

「お前が愛を誓ったのはアヴローラなんだろ!?」

「だけど彼女はもう居ない。キミが彼女を喰ったんだろ?」

 

 平然と投げかけられたヴァトラーの問いに、古城は声を詰まらせた。

 古城にはその時の記憶がない。だが、ほんの数か月前までは、前世の記憶こそあれ普通の人間だった。

 そんな古城が第四真祖へと至った。考えられる可能性はただ一つ――融合捕食。古城が、その存在と記憶を奪ったのだ。

 

 しかしヴァトラーはむしろ、そんな古城を称賛するように微笑んで、歪めた唇の端からちろりと舌を見せる。

 

「――だからボクは、彼女の〝血〟を受け継いだキミに愛を捧げる。キミが第四真祖の力を得たということは、彼女がキミを認め、力を授けたということ。なら、彼女に永遠の愛を誓ったものとしては、キミとボクの性別なんて些細なことさ」

「些細じゃねえよ! むしろそこが一番ダメなところだろうが!」

「そ、そそそそそうよ! ダメよ! 兄様にも、兄様のお尻にも手を出させはしないわ!!」

「お尻って何だ、不安になるだろうが!」

 

 古城を庇うように前に出たサツキに、顔を青ざめさせながら怒鳴る古城。

 ヴァトラーはそんな二人を見て、心底から愛おしそうに微笑んだ。

 

「全く、つれないなァ、キミは。……前世でも、いくら求愛してもキミは振り向いてくれなかったからね、フラガ(・・・)

「…………ッ!?」

 

 微笑みを浮かべたヴァトラーの言葉に、古城とサツキ、そして事情を知る静乃と雪菜は息を呑んだ。

 フラガ。それは、二つある古城の前世の片方。聖剣の守護者、剣聖フラガの名だ。

 那月を含め、ごく一部の者しか知らないその名を、ヴァトラーは口にした。

 

 警戒を最大まで引き上げて、古城はヴァトラーを睨みつける。

 だがヴァトラーは、不気味な笑みを崩さぬまま、

 

「ひどいなァ、フラガ。かつては共に戦場を駆け抜け、共に勝利の美酒を酌み交わした仲だというのに。数千数万、場合によっては数億年越しの再会じゃないか」

「何だと……ッ!?」

 

 未だにほとんど思い出せていない前世の記憶。フラガのことで思い出せているのは、そのほとんどが一人で戦場に立っていた記憶のみ。

 そう、一人でだ。フラガは常に孤独で戦いを挑み、そして勝利してきた。隣に立つ者など居なかった。

 

 しかし先程の戦闘でヴァトラーの見せた紫光の通力(プラーナ)。あの輝きに見覚えがあったのも、また事実。

 

「あァ、まだ思い出せていないのか。なら、先に名を名乗っておこうか。今のボクは、アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラー。そして前世における名は――エドワード・ランパード」

「……ッ、エド、ワード……!?」

 

 その名乗りに最も大きく反応したのは、古城の傍らに居たサツキだった。

 大きな瞳を驚愕に揺らし、怯えるように古城に縋ってくる。

 

「おい、サツキ……?」

「ウソ、何で……何で、あの〝白騎士〟サー・エドワードがこんなところに……!?」

「〝白騎士〟……っ、あッ!?」

 

 サツキの呟きに、古城の脳の奥で、ヂリリ、ヂリリリ、と何かを引っ掻くような音がした。

 耐え切れず頭を押さえる古城に、周囲の少女たちが心配そうに声をかけるが、返答する余裕もない。

 

 きつく瞼を閉じた古城の脳裏に蘇るのは、あるはずのない、見たことのない記憶。白昼夢のように現実感のない光景。

 場所は……どこかの城だろうか。

 白亜の壁に囲まれた純白の広大な空間。地面に敷かれた真紅の絨毯。天井で揺れる大きなシャンデリア。巨大な門を抜けて部屋の奥に位置する豪奢な玉座。

 

 だが、常ならば煌びやかに着飾った貴族たちが集まり、玉座の王に頭を垂れているはずのその空間には――夥しい殺戮の跡しか残されていなかった。

 白亜の壁は拭っても消えない血痕が染みつき、真紅の絨毯の上には何人もの貴族の死体が転がり、天井のシャンデリアは砕けて、玉座の上には、背もたれに背中を預けたまま事切れる、麗しき女王の姿があった。

 

 その惨状を呆然と見つめる古城(フラガ)の目前には、一人の男が立っていた。

 血に染まった鎧と大剣を持ち、ゆったりと古城(フラガ)を見据える彼。

 彼の身につける白銀の鎧は、この世の何よりも硬いと謳われる、聖剣サラティガに比肩しうる王家の秘法。

 

 サラティガが地上最強の矛であるならば、あの鎧は地上最強の盾。

 その鎧を以て戦場を駆け、無数の武功を立てた彼に贈られた称号が、〝白騎士〟。女王を守護する最強の騎士。

 平民の出でありながら女王陛下より〝サー〟の名を賜り、常に爽やかな笑みを崩さず、誰にでも温情ある態度で接する全ての騎士の憧れとも言える彼は今――狂気に塗れた酷薄な表情で、古城(フラガ)に視線を向けていた。

 

『さァ……始めようか、フラガ。ボクに、キミの魂の輝きを見せてくれ!』

 

 ――そこで、古城の視界は豪華クルーズ船の上甲板に移った。

 

「……思い、出した。そうか、お前がアイツだったのか」

 

 断片的ながら、古城は彼のことを思い出した。

 フラガにとってほぼ唯一の友人と言ってもよかった彼。近衛騎士筆頭であった彼と肩を並べる機会は少なかったが、何度か共に戦ったこともあった。

 そして最後には――古城(フラガ)が、この手で殺した相手。

 

「サー・エドワード……!」

「サーなんて他人行儀な呼び方はよしてくれ、キミとボクの仲じゃないか」

 

 相も変わらず、ヴァトラーは軽薄に笑っている。

 

「……あの戦いの時にキミが見せてくれた、あの輝き。いや、違うな。キミの戦う姿を見たその日から、ボクの胸の中はキミのことで一杯だったよ」

 

 愛おしげに眼を細めながら、両腕を広げて近寄ってくるヴァトラーに古城は本気で後退った。

 そんな古城を押し退けて、楽器ケースを提げた雪菜が前に出た。

 

「アルデアル公。恐れながらお尋ねします」

「キミは?」

「獅子王機関の剣巫、姫柊雪菜と申します。今夜は第四真祖の監視役として参上いたしました」

「ふぅん……紗矢華嬢のご同輩か」

 

 恭しい言葉遣いで名乗る雪菜を、ヴァトラーは退屈そうに見下した。今の今まで全く認識すらしていなかったらしい。

 

「ところで古城の身体から、キミの血と同じ匂いがするんだが……もしかして、キミが〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟の霊媒だったりするのかな?」

「……っ!?」

「あれ、言ってみただけなんだけど……どうやら図星みたいだね」

 

 不自然に硬直する雪菜。ヴァトラーは少しだけ真剣味を増した目で雪菜を見据えた。

 

 先代の第四真祖から古城が受け継いだ眷獣は全部で十二体。対して、今の古城が掌握できているのはたったの一体。その他の眷獣たちは、古城のことを主だとは認めていないのだ。

 だが紆余曲折の末、古城は雪菜の血を吸うことで〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟を掌握することが出来た。

 もちろん、監視役である雪菜の血を吸ったことなど、迂闊に他人に話せることではなかったが……どうやら、ヴァトラーはカマをかけただけだったらしい。

 

 古城たちの動揺を愉しむかのように、ヴァトラーは満足げな笑みを浮かべた。

 

「でもまあ、キミが古城の〝血の伴侶〟候補だというのなら、ボクにとっては恋敵ってことになるのかな? ……後、さっきから気になってたんだけど、その娘は? 古城よりも先にボクの名前に反応していたけれど」

 

 話しかけた雪菜をさっぱりと放置して、ヴァトラーは古城の傍らに居たサツキに視線を向けた。

 ビクッと肩を震わせるサツキを庇いながら、古城はヴァトラーにサツキのことを話していいものかどうか迷った。

 しかしヴァトラーは答えを待たずに、サツキの手に握られたままだった小剣へ目をやり、

 

「その剣……まさか、アーキュール? いや、アーキュールを使えるのは王家に連なる者のみ。そういえば、さっき古城のことを『兄様』って…………」

 

 やがて何かを思い立ったらしいヴァトラーは笑みを消して、大きく目を見開き驚愕を露わにした。常の感情の読めない笑みは欠片もなかった。

 そのままたっぷり十秒以上硬直していたヴァトラーは、突如として、体をくの字に折って大笑いを始めた。

 

「ハ、ハハハハ、ハハハハハハハハハハハッ! こ、これは驚いたな! いや、ボクが浅はかだったというべきか!それもそうだ、フラガがこうして転生しているのに、その傍らに彼女が居ないのはどう考えてもおかしい! 守護者と巫女は魂の契りを結んだ者たちなのだから!」

 

 呆然と見守る古城たちに、ようやく笑い止んだヴァトラーはゆっくりと顔を上げた。

 そして、怯えを露わにするサツキに恭しく膝をつき、

 

「再び貴女にお目通り願えて光栄ですよ。お久し振りで御座います……聖剣の巫女、サラシャ姫」

「ひっ……」

 

 ヴァトラーの瞳の奥で輝く不気味な光に息を詰まらせて、サツキはますます強く古城にしがみつく。

 震える剥き出しの肩を抱いてやりながら、古城はヴァトラーを睨みつけた。

 ゆっくりと立ち上がるヴァトラーは、険しい表情の雪菜を見やって口を開く。

 

「さて、ボクの恋敵になるであろうキミに敬意を表して、特別に質問を受け付けてあげよう。何が訊きたい?」

 

 反射的に反論の声を上げようとした古城だったが、雪菜の険しい表情を見て口を噤む。

 

「貴公が絃神市を来訪された目的についてお聞かせください。そうやって第四真祖といかがわしい縁を結ぶことが目的なのですか?」

「ああ、そうか、忘れていたな。本題は別にあるよ。もちろんそっちもあるんだけどね」

「いやあるのかよ」

 

 苦々しく呟く古城。攻撃的な気配を漂わせながら、雪菜は威嚇するようにヴァトラーを睨む。

 

「本題とは……?」

「ちょっとした根回しさ。この魔族特区が第四真祖の領地だというのなら、まずは挨拶しておこうと。もしかしたら迷惑をかけるかもしれないからねェ」

「迷惑とは、どのような?」

 

 雪菜の問いには答えず、ヴァトラーは優雅に指を鳴らした。それを合図に、船内からぞろぞろと大勢の使用人たちが現れた。彼らが運んできたワゴンの上にはパーティー会場のそれがみすぼらしく思えるほどの豪勢な料理が載せられていた。

 

 ヴァトラーは行儀悪く生ハムを一切れ摘まみながら笑った。

 

「クリストフ・ガルドシュ、という名前を知っているかい、古城?」

「いや、誰だ?」

「〝戦王領域〟出身の元軍人で、欧州では少しばかり名の知られたテロリストさ。黒死皇派という過激派グループの幹部で、十年ほど前のプラハ国立劇場占拠事件では民間人に四百人以上の死傷者を出した」

「黒死皇派ってのは聞いたことがあるが……確か、指導者が暗殺されて、何年も前に壊滅したんじゃなかったか?」

 

 うろ覚えの古いニュースを思い出して古城は言った。当時小学生だった古城ですら覚えているのだから、かなりの大事件であったはずだ。

 とそこで、ヴァトラーの執事と思しき男がワイングラスを手渡してくる。未成年なので、と断ろうとしたが、彼の顔を見て逆らうことを諦めた。物腰は静かで理知的だが凄まじい威圧感を備えた強面の老人だ。

 頬に残された大きな古傷が、苛烈な人生を想像させる。

 

 同じようにグラスを受け取ったヴァトラーが、乾杯、と古城の前へ掲げてみせ、

 

「そう。彼はボクが殺した。少々厄介な特技を持った獣人の爺さんだったけどね」

 

 何でもないように言うヴァトラーを、古城は思わず凝視した。軽薄な態度のせいで実感が湧かなかったが、この青年貴族は紛れもなく世界的な重要人物なのだ。

 

「ガルドシュは、その黒死皇派の残党たちに新たな指導者として雇われた、凄腕のテロリストさ」

「……そいつが、お前がこの島に来たのと関係あるって?」

「察しが良くて助かるよ。その通りだ。ガルドシュが黒死皇派の部下たちを引き連れて、この島に潜入したという情報があった」

「……何でヨーロッパの過激派が、わざわざこの島に来るんだよ」

 

 思わず洩れた古城の呟きに答えたのは、押し黙って傍観していた静乃だった。

 感情の籠もらない平坦な口調で、

 

「黒死皇派は、差別的な獣人優位主義者たちの集団よ。彼らの目的は聖域条約の完全破棄と、〝戦王領域〟の支配権を第一真祖から奪うこと」

「それなら、ますますこの島は関係ないでしょ?」

 

 首を傾げるサツキだったが、今度は紗矢華から事務的な口調で否定の声が届けられた。

 

「違うわ。絃神島は魔族特区――聖域条約によって成立している島よ。彼らがこの島で事件を起こすのは、世の中に黒死皇派の健在を示す、という意義がある」

「ま、ただの身勝手な自己満足だけれどね」

 

 恐らく本人たちにとっては至極重要なのだろう目的をばっさりと切り捨てた静乃に、ヴァトラーは面白そうに視線を向けた。

 

「へェ……そういえば、キミはまだ名前を訊いてなかったな」

「失礼をいたしました。私は漆原静乃と申します。御身には兄がご挨拶に伺ったことと存じますが」

「ウルシバラ……ああ、あの男か」

「はい。あの、いつもへらへら笑っていかにも小狡そうで、小物感に満ち溢れた、あの愚鈍な男のことです」

 

 しれっと平然とした顔で兄をこき下ろす静乃の言葉に、古城たちだけでなくヴァトラーまでもが軽く目を瞠った。

 

「面白いな、キミは。古城の周りにはキミみたいな娘も居るのか。これは、古城の心を射止めるのは大変そうだねェ。……ま、いいさ。話を戻そうか」

「そうですね。……では、魔族特区がある国はこの日本だけではないはずです。彼らが絃神島へ足を踏み入れた目的を、閣下はご存じでしょうか?」

「さぁ。そんなこと、ボクが知るはずはない。……ああ、でも、考えられるとすれば、彼らの最終目的である第一真祖抹殺のための手段がこの島にあったから、と考えれば、どうかなァ」

 

 話相手を静乃に移したヴァトラーは、妙に浮き立つような声でそう言った。

 

「……アンタはそれでいいのかよ。真祖を殺す力ってことは、アンタも危ないかもしれないんだろ?」

「おや、心配してくれているのかい古城? 嬉しいな」

「誰がお前の心配なんかするか!」

「悲しいなァ。……それはともかく、ボクとしては別に構わないし、あの真祖(ジイサン)も同じことを言いそうだけどね。ボクにも色々立場とか責務とか、面倒なことが一杯あるわけさ」

 

 もっとも、主な政務はトビアスとかアンジェラとかに一任してるけどさ、と無責任に言いながら、ヴァトラーは意味有りげな含み笑いを洩らす。

 そんな青年貴族を、雪菜が斬りつけるような冷やかな視線で睨みつけた。

 

「クリストフ・ガルドシュを、暗殺なさるつもりですか?」

「まさか、そんな面倒なことはしないさ。手加減とか、案外面倒くさくてねェ」

 

 確かに、吸血鬼の眷獣が個人を相手にするような精密攻撃に向いていないのもまた事実。

 ヴァトラーにテロリスト戦う意思がないのなら、ひとまずは安泰――とは、残念ながらいかなかった。

 

「でもさ。もし仮にガルドシュの方からボクを狙ってきたとしたら、応戦しないわけにはいかない。自衛権の行使ってやつさ。だろう?」

「なっ……!」

 

 油断していたところを突かれて、古城たちは絶句した。

 

「そういうこと……閣下は黒死皇派の指導者を暗殺した、彼らにとってのいわば仇敵。もしもそのガルドシュが本当に真祖をも滅ぼしうる力を得たのであれば――」

「彼は、真っ先にアルデアル公を狙う――アルデアル公、まさか貴方の目的は、それですか!?」

「テロリストを挑発しておびき出すのが、お前の目的か、ヴァトラー! こんなクソ目立つ船で乗り込んできたのも……!」

「いやいや……どちらかといえば、愛しい君に会うのが目的なんだけどさ」

 

 しつこく古城に色目を使ってくるヴァトラー。言い返したのは古城の腕の中に居たサツキだった。

 

「ふざけてる場合っ!? 戦争がしたけりゃ自分の領地()でやりなさいよ! 他国(余所)の街に迷惑をかけないで!」

 

 先程までの怯えが嘘のように、相手が吸血鬼の貴族だと知ったうえでサツキは喝破してみせた。

 純白のドレスの裾を翻し、胸を張って言い切る彼女の姿に、その風格に視線が注目する。

 ヴァトラーはサツキを眺めて、やがて感嘆の吐息を零した。

 

「いやはや……相変わらず勇ましいことですね、サラシャ姫。もちろん、私としてもそうならないことを願ってはいるのです。この都市(まち)の攻魔官たちがガルドシュを捕まえてくれれば私とて文句はありませんよ」

 

 ただの一般人でしかないサツキに対して恭しく接するヴァトラーに驚愕の視線が向けられたが、ヴァトラーは一切気にもかけなかった。

 

「ですが、私が従えている九体の眷獣――コイツらは、宿主である私の身に危険が迫れば、この島を沈めるぐらいのことは容易くやってみせますよ。ですから、古城には最初に謝っておこうと思ったのです」

 

 今ヴァトラーは確かに、絃神島を沈める気があると言った。彼の命を狙うせいぜい数十人のテロリストを始末するために、絃神島ものまとめて滅ぼすと。

 それを古城の前で宣言したということは、古城が止めようとしても無駄だという意思表示でもある。もし邪魔するのであれば、古城も倒す――それが、軽薄な彼の態度の裏に隠れた本心である。

 

「……ふっざけんな! そんな無茶苦茶な理屈が通るかよ……!」

「通らないと思うかい? 実際問題、ボクの抑止力となり得る存在は、この島には居ない。可能性がありそうなのはキミと、そこの恋敵クンに、あとは空隙の魔女ぐらいか。この三人でかかってくれば、勝機はあるかもしれないね」

「……くそっ!」

 

 余裕の態度で返されたヴァトラーの言葉に、古城は唇を噛み締めた。

 事実、古城の実力ではヴァトラーには勝てない。吸血鬼としての勝負でも、光技に闇術を含めた勝負でも。

 つい先程の戦闘で彼の見せた通力(プラーナ)の輝きと、卓越した防御の技の冴えは忘れられない。

 

 彼の通力(プラーナ)の色から、本気の害意がないことは分かっていたが、それでも古城は確かに命の危険を感じた。

 全力の一片すら見せていないヴァトラーに対してすらこれなのだ。

 よしんば彼に勝利することが出来たとしても、古城とヴァトラーが戦えば、結果的に絃神島は壊滅してしまう。

 八方塞がり。だが、はいそうですかと受け入れるわけにもいかない。

 

「ふざけんなよ……そのガルドシュとかいうヤツは、俺が叩き潰す! お前はここでふんぞり返って見てろ!」

「先輩!? ダメです!」

「兄様!? ダメよ!」

 

 強い決意を込めて宣言した古城に、雪菜とサツキが縋りつく。

 

「先輩が全力で戦えばこの島がどうなるか分かりませんし……テロリストですよ!? 危険です!」

「そ、そうよ、兄様! 兄様が戦う必要なんてないじゃない!!」

 

 雪菜たちの反論に、古城は静かに頭を振った。

 確かに、古城の眷獣の威力では被害が測れなくなってしまうし、今の古城の実力では不安が残る。

 だが――ここでヴァトラーを自由にさせてしまうのは、最低の悪手であると、古城の勘が告げていた。

 

 その古城の様子に、もはや何を言っても無駄であると悟った二人は、悔しそうに口を噤んだ。

 

「へェ……確かにそれもいいかもね。第四真祖と凄腕のテロリスト。少しばかり敵が見劣りしてしまうが、まあそれなりには楽しめそうなカードだ。……けれどね、古城」

 

 面白そうに成り行きを見守っていたヴァトラーは、そこで一度言葉を切って、酷薄な視線を古城――ではなく、後ろに控えていた静乃へと向けた。

 

「これは王である第四真祖と、王の臣下たる〝戦王領域〟の貴族との会談だ。ボクの楽しみを奪うというのなら、キミにもそれなりの対価を払ってもらわなければね」

「対価、だと?」

「そう。簡単さ……その娘を、ボクにくれ」

 

 その娘、と言って、ヴァトラーは真っ直ぐ静乃を指差した。

 雪菜たちが驚愕に目を見開き、静乃が身を固くする。

 変わらず薄い笑みを浮かべるヴァトラーの視線から遮るように静乃の前に立て、古城は本気の殺意を込めてヴァトラーを睨みつけた。

〝戦王領域〟の貴族は、古城の怒気もどこ吹く風と平然と受け流している。

 

「ヴァトラー……どういうつもりだっ! 何故、静乃を連れて行こうとする!」

「キミたちの中で、一番素質がありそうだったからねェ」

「……素質?」

「ああ。さっきの『挨拶』の時のことさ。闇術の腕前はもちろんのこと、他の娘たちが遅れて動き出したのに対して、その娘――静乃は、ボクの存在を至近で感じた瞬間から詠唱を開始していた。でなけりゃ、第三階梯をあのタイミングで間に合わせるなんて出来っこないし。一切の動揺もなく、恐怖もなくね。それは誰にでも出来るようなことじゃあない」

 

 ヴァトラーは滔々と語るが、その言葉が、古城にはどうにも白々しく思えた。

 上辺だけ見れば手放しに称賛しているように見えるが、その裏には恐ろしい思惑が渦巻いている。そう、感じられる。

 

「ボクの下で力を磨けば、必ずや有用な戦闘員になってくれるはずさ……ま、とはいっても、静乃はキミのものだ。ボクも今すぐ彼女を引き渡せと言うほどに鬼じゃあないヨ」

「何だと?」

「交換条件だ。……ボクが静乃を連れて行くのを阻止したければ、ボクを楽しませるだけのものを見せてくれ。キミの力を、壮大なスペクタクルを、我が長年の退屈を紛らわせるだけの何かを、見せてくれ」

 

 その言葉からヴァトラーの真意を読み取って、古城はチッと舌打ちをした。

 結局のところ、最初からこれが狙いだったのだ。わざわざ古城にクリストフ・ガルドシュのことを伝えて来たのも、宣戦布告紛いのことをして来たのも、静乃を引き合いに出したのも。

 全ては、古城に、いや、第四真祖に全力を出させるため。

 

「キミが第四真祖であり、そして我が親友・フラガであるのならば……必ずや、ボクを楽しませてくれるはずだと期待しているヨ」

「くそっ……」

 

 忌々しいが、受けるほかはない。ヴァトラーの思惑に乗せられるのは癪だが、今の状況は静乃を人質に取られたようなものだ。

 古城にとってはなにより効果的な手段である。古城は大切な人を見捨てることが出来ない。

 心配そうに見上げて来る少女たちの視線を受け止めながら、古城は決然とヴァトラーを見据え、宣言した。

 

「分かった。お前の思惑に乗ってやる。お前にだけは静乃は渡さねぇ。ここから先は、第四真祖()聖戦(ケンカ)だ!」

 

 

 

§

 

 

 

「随分と威勢のいい啖呵を切ったものね?」

「仕方ねえだろ、あれは」

 

 皮肉げに呟く静乃に、古城は唇を尖らせた。

 

 ヴァトラーと別れた後。古城はサツキを帰らせて、自分は雪菜と静乃を連れてアッパーデッキの下、パーティ会場に戻っていた。

 それなりに時間は経っていたが、未だに招待客たちは会場内で談笑を続けていた。

 

 雪菜は紗矢華と一緒にどこかへ行ってしまった。久々に会った友人同士、積もる話もあるだろう。どうせ離れていても、何らかの手段で古城を監視しているに違いない。

 かくして古城は静乃と二人、会場の端、手すりに身を預けて夜の暗い海面を眺め続けていた。

 

 船に近い辺りはライトアップされた船の照明で明るいが、少し遠くなれば、そこには漆黒の海面が広がっている。

 夜空と区別がつかないほどのそれは、もしここで手を滑らせてしまえば、どこまでも吸い込まれて行ってしまいそうな、そんな不安を抱かせる。

 目の前の光景はあまり楽しいものではないが、吹く夜風は心地いい。

 

「実際、どうなんだよ? アイツの話」

「そうね。漆原家……特に、私の兄は狂喜するでしょうね。何とかして〝戦王領域〟の貴族とのコネを作ろうと躍起になっていたところに持ち込まれた今回の話だもの。乗って来ようとしないはずはないわ。もしかしたら、無理矢理押し切られてしまうかも」

「……お前自身はどう思ってる?」

「私にそれを訊くのかしら?」

「すまん。そうだよな」

 

 なら、もはや是非もない。今の古城に持てる全力を以て、この件に当たるほかはあるまい。

 差し当たってはまず、クリストフ・ガルドシュなる人物についてだ。すでに絃神島へ潜入しているらしいが、どのような人物かすら知らなければ話にならない。

 目を鋭くして真剣に思索する古城に、静乃が少しだけ嬉しそうな声をかけた。

 

「……私のことよりも、あなたのことよ? 閣下のことだから、前言を撤回したりはなさらないでしょうね。あの方との因縁は私は知らないけれど、もう逃げられはしないでしょう」

「分かってるさ。もちろんな」

 

 その上で古城は決めたのだ。

 

「呆れたわ。分かっていながらあんなことを言うだなんて……まあ、でも」

「ん?」

 

 静乃の細腕が、古城の首筋にすっと絡み付いた。

 拒むこともなく受け入れる古城を抱き寄せて、静乃はそのまま顔を近付け、

 

「私のためにあそこまでしてくれたのは、嬉しかったわ? ……ありがとう、古城」

 

 チュッ、と。古城の唇に、自分のそれを重ね合わせた。

 周囲の視線を憚ってか数秒もしない内に静乃は身を離したが、それでも古城を呆然とさせるには十分だった。

 

「ねえ……古城?」

「…………何だよ?」

 

 未だ混乱冷めやらぬ中、静乃の呼びかけに、古城は半ば反射的に反応する。

 なんともなしに夜の海を見つめて、静乃の話を待つ。

 こんな寂しい景色でも、こうして静乃と並んで見ていると悪くない。

 火照った頬が冷却されて行くのを感じていると、静乃がそっと口を開いた。

 

「アスタルテさん……彼女とどういう関係なのか、教えてもらってもいいかしら?」

「……どういう関係、って言われてもな」

 

 特別説明するようなことはないように思えたが、静乃がジッと見つめているのを感じて、古城はアスタルテと出会ってからこれまでのことを話し始めた。

 四月。絃神島で起こっていた連続魔族襲撃事件の犯人として、夜の倉庫街で顔を合わせた時から、彼女を死の運命から救うために〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟の支配権を書き替えたところまで。

 考えながらだったので要領を得ない説明になっていただろうが、静乃は黙って聞いてくれた。

 

「なるほどね。なら、古城はどうして、彼女を受け入れようと思ったの?」

「そうだな……。何となく、ほっとけなかったから、だと思う」

 

 正直に言って自分でもよく分からない。けれどあの時。那月の執務室で彼女の言葉を聞いて、古城は思ったのだ。

 ああ、この娘は、人間になろうとしてるんだな、と。

 

「そう……。古城は、あの娘を助けたいのね」

「助ける?」

「ええ。道具として生み出され、今こうして感情を得てしまった彼女を。色々なことを知って色々なものを得ていく彼女が、方向を間違えないように、道を踏み外さないように」

 

 何でもお見通しだとばかりの瞳でこちらを見ながら、静乃は言う。古城自身ですら分かっていなかった心の裡を。

 

「あなたの口からそれを聞けて嬉しいわ」

「……俺も、お前に聞いてもらえて嬉しいよ。サツキじゃこうはいかないだろうからなぁ」

「そうね。嵐城さんなら、『このロリコン! ロリコン!』とか言って騒ぎ立てるでしょうね」

「有り得る……っていうか、絶対そうなるな」

 

 苦笑する古城を、静乃は皮肉げに見やって、

 

「まあでも、嵐城さんも、ああは言っていても本心ではそこまで気にしていないと思うわ?」

「そうなのか?」

「ええ。あなたが他の女の子に優しくするのをいちいち腹を立てていたら、あなたとは付き合えないもの。嵐城さんの場合は、それが対抗心とかに昇華されているから健全よね」

「なるほどな……ってオイ。何かそれじゃ、俺がどうしようもない女好きみたいじゃないか」

「反論があって?」

 

 しれっと返され、古城は思わず沈黙する。

 静乃はやれやれとばかりに肩を竦めて、

 

「ともあれ、アスタルテさんのことは面倒を見てあげればいいじゃない。どうせするなって言っても聞かない。それがあなたの性分なんだし」

「お前な、どこまで俺を見透かしてるんだよ?」

 

 何か怖いぞ、と古城は不平をこぼしたが、静乃は取り合わなかった。

 

「そうね……。例えばの話だけど、あなたがある日、幼く可哀想な奴隷の女の子を目にしてしまったとしましょう」

「待て、奴隷って何だよ」

「例えばの話だと言っているでしょう? あなたはきっとその女の子を放ってはおけない。解放してあげて、責任を持ってレディになるまで育て上げるわ。絶対に。前世だろうと、現世だろうと、あなたはそういう人なのよ――」

 

 例え話にもならなければ、とりとめのない話を、静乃は淡々と語る。

 けれどその間中、古城の頭の奥底で火花が弾けていた。静乃の話が続くごとに、ヂリリ、ヂリリ、と火花はどんどん大きくなって行く。

 古城は頭痛を堪えて、よろめきながら額を押さえた。

 

「――そのことを、私はよく知っているのよ」

 

 静乃の台詞がトドメのように、頭の奥底に存在する壁に罅を入れた。

 一際強く火花が飛び散る音とともに、声が聞こえた。二つ。

 

 

 ――あなたには、私を繋ぎ止める責務があるわ?

 

 

 ――お前は自由だ。そも、人が人を縛る鎖などこの世のどこにもないのだ。

 

 

 男女の声だ。最初が女で、次が男。

 重い問答のようであり、甘い睦言のようでもある、狂おしいほどに懐かしい声。

 はっきりと聞こえて来たと思ったら、まるで腕の中からこぼれて逃げていくように、感覚が曖昧になっていく。懐かしさまで消え失せていく。

 どんなに掻き集めようとしても不可能で……。

 

 古城は大きくよろめいて、手すりに背中を支えられた。

 

「いきなりどうしたの?」

「いや……」

 

 例え話を中断した静乃が、古城を案ずる気持を乗せて、背中をゆっくりと擦ってくれる。

 額に当てられた静乃の手の平が冷え切っているのを感じて、古城はそっとその手を取った。

 

「……寒いか?」

「そうね。そろそろ冷えて来たわね」

 

 向かい合う二人に、それ以上の言葉は要らなかった。

 周囲の賓客たちの存在も忘れて、古城は静乃を抱擁してやる。静乃もまた、より一層体を密着させてきた。

 静乃の体温は低く、冷たく、それでいて彼女の芯に秘められた熱がしっとりと感じられる。

 

 キスの一つも交わすことはない。だが、ただ温め合うだけの行為に、古城は素晴らしく満足出来ていた。

 

 静乃ではないが、例えばの話だ。

 もし、極寒の地にある氷の城で、二人きりで住まうことになったとして。

 毎日のように静乃と肌を重ねることが出来るのなら。

 俺の心から、希望が失われることはない。

 なぜか不意に、古城は強く、そんな気にさせられた。

 

 

 

§

 

 

 

「はぁ……。疲れた……」

 

 クルーズ船から帰って、深夜。静乃や雪菜と別れ、眠っているであろう凪沙を起こさないようにそっと鍵を開けて自室へと舞い戻った古城は、深々と溜め息を吐いて床に座り込んだ。

 もう何もする気も、何も考える気も起きない。さっさと寝てしまおう。

 

 最低限の寝る準備として、ボロボロになってしまっていたタキシードを脱ぎ捨てる。どうせズタズタで一部焦げているし、捨てることになるだろう。もったいない気もするが。

 肩の凝る衣装を脱ぎ捨てて、上からTシャツを一枚羽織っただけの状態で、古城はベッドに身を投げた。

 

 そういえば、アスタルテはどうしたのだろうか。那月から仕事を仰せつかっているとのことだが、そろそろ帰って来ていてもおかしくはないだろう。

 だがまあ、那月が居るのだ。滅多なこともないだろう。古城はそう思考を完結させる。

 

「疲れたな、マジで……。もう寝よう」

「慰労。お疲れ様でした、マスター」

「おぉ……。眠い。もう寝るわ……」

命令受諾(アクセプト)。では疲労回復のため、この抱き枕を抱いて睡眠を取ることを推奨します」

「あぁ……………………って、は?」

 

 眠気のあまり適当に応対していた古城だったが、そこでようやく違和感に気付いた。

 呆然としたまま隣を見ると、藍色の髪をした少女が古城のTシャツ一枚を着ただけの無防備な格好で、両手を広げて古城を無表情に見つめていた。

 

 混乱しすぎて、寝るときはメイド服は着ないんだな……、と謎の感慨を浮かべる古城。

 とりあえず色々訊いてみることにする。

 

「……何で、ここに居るんだ?」

「マスターにお届物があったので」

「……お届物って?」

「マスターの安眠のため、世界一暖かくて柔らかくて可愛い、抱き枕をお届けに上がりました」

「……どこに?」

「ここです」

 

 両手を広げて万歳するアスタルテ。

 

「……自分で言うか、それ?」

「私の持ちネタではありませんので。作者に言ってください」

「メタ発言すんな。……つまり、アスタルテを抱いて寝ろ、ってことか?」

「肯定。その通りです、マスター」

「いや何でだよ」

 

 凪沙を起こさないように気を遣いながら、古城は問い質すが、アスタルテはしれっとした顔のまま、

 

「私はマスターの所有物ですから。抱き枕的な意味合いも含めて、所有物です」

「そのりくつはおかしい」

 

 反論するも、そろそろ眠気が限界だった。

 ひらひらと手を振ってもう好きにするように言い、古城はシーツを掴んでベッドに倒れ込んだ。

 そのシーツの中に、アスタルテが無防備に入って来る。

 

「おやすみなさい、マスター」

 

 アスタルテは当然であると言わんばかりに抱きついてきた。

 華奢ではあるが柔らかく暖かい、プニプにした感触が伝わってくる。

 実はアスタルテも相当眠かったのか、即座に軽やかな寝息を立て始めた。

いつもは無表情だが、アスタルテの容姿は普通以上に整っている。無防備な寝顔が愛らしい。

 

「………………もう、いいか」

 

 一瞬放り出そうかと思ったが、何か色々面倒臭くなってそのままにしておいた。

 ふと思い立ち、アスタルテの言葉に従ってアスタルテの身体を抱き寄せる。すると、想像以上の心地よさにあっという間に意識が眠りへと引きずり込まれる。

 

 いつもよりも気分がすっきりとしている。これならば、明日も妙な疲れが残ることはなさそうだ。

 暖かくて柔らかくて可愛いという売り文句に、偽りなしだった。

 

 

 

§

 

 

 

 昨日のことを回想している内に、朝の自室に居る人数がさらに増えていた。

 

「……古城君? アスタルテちゃんと一緒にベッドに入って、何してるの……?」

 

 浅葱の叫び声を聞きつけて部屋に入ってきた暁凪沙が、部屋の惨状を認めて、一瞬で表情を消した。

 背筋が粟立つような冷たい声で訊いてくる。

 

「な、凪沙……?」

「あたしは朝ご飯の準備があったから、浅葱ちゃんに起こしてもらうように頼んでたんだけど……アスタルテちゃんが用意した部屋に居ないと思ったら、何で一緒のベッドで、そんな恰好で寝てるのかな……!?」

「え、いや、それは……」

「古城君の変態! 色情魔! ロリコン!」

「待て誰がロリコンだ! 俺はただ、アスタルテを抱き枕にしてただけだ!」

「それが変態じゃなかったら何だっていうの!?」

 

 全くの正論であった。

 しかしこれは仕方ないだろう。何故なら、抱き枕云々はアスタルテの方から言い出したことであり、古城はそれに従っただけなのだから。

 と、ツッコミどころ満載の自己弁護をしている古城に、更にダメ押しのように、仁王立ちする凪沙の背後から小柄な人影がひょっこりと顔を出す。

 

「……先輩? 何かあったんですか?」

「あ、ダメ! こんな不潔な人のことを見たら雪菜ちゃんが穢れるから!」

「……え?」

 

 キョトンと目を瞬きながら雪菜が部屋の中を覗き込み――先程の凪沙の焼き増しのように、一瞬で表情を消した。顔立ちが並外れて整っているが故に、人形のような無感動な瞳が古城の背に冷たい汗を伝わせる。

 

「…………あー、うん。まあ、何か分かってた」

 

 ついに諦めの境地に至った古城は、投げやりに呟いた。

 ここまで来れば、彼女も入って来るだろうことは何となく予想していた。サツキや静乃が居ないだけまだマシだろうか。

 

「……ん、ふぁ……?」

「お、起きたか、アスタルテ」

「はい……。おはようございます、マスター」

 

 そこでようやく、アスタルテが目を覚ました。のろのろと体を起こし、猫のようにくしくしと目を擦る。

 口元に手を当てて欠伸を噛み殺す彼女の仕草に、人工生命体(ホムンクルス)と言ってもあまり変わらないな、と微笑ましさを感じる古城。

 そんな古城に、アスタルテがゆっくりと正面から抱きついてきた。

 

「「「なっ!?」」」

「ん……」

「どうしたー?」

 

 息を呑む少女たちを尻目に、古城は彼女の藍色の髪をそっと撫でてやる。

 気持ち良さそうに目を細める彼女の髪は、寝起きだというのに一切の大した寝癖もなく触り心地がとてもいい。古城は夢中で――現実逃避もあるが――アスタルテの髪を撫で続けた。

 

 やがて満足したらしいアスタルテは、古城から身を離してベッドから降りる。何となく古城たちが見守る中、アスタルテはTシャツの裾を正し髪を撫でつける。

 そして、顔を上げたアスタルテは固まる雪菜たちを数秒眺めて、

 

「……おはようございます、皆さん」

「え、あ、お、おはようございます……」

「えっと、アスタルテちゃん……よく眠れた……?」

「肯定。……マスターの胸の中で、たっぷりと」

 

 僅かな笑みを湛えて放たれた、微妙に優越感の混じった言葉に、三人の少女たちは彫像の如く硬直したのだった。




 アスタルテの性格改変タグ付けたほうがいいでしょうか?

 次の投稿も遅くなりそうです……(来週は二度目の市共通テストだ―)。

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