ワールドブレイク・ザ・ブラッド   作:マハニャー

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 どうも、侍従長です。
 九話目です。前の話に一文だけ追加しました。特に物語に影響はないので、お気になさらず。

 今回のお楽しみいただけると幸いです。

 今更ですが、眷獣召喚の際の掛声を、「きやがれ」から、「来いよ」に変更しています。お気に召さなければ、遠慮なくお申し付けください。



 

 この話ももちろん編集済です。


9 我が名は ―I Am A―

 時計の針は、オイスタッハ達との戦いが始まるよりも前、古城が初めての吸血行為を終えた後に遡る。

 

「静乃。今どこに居る?」

『絃神島北地区湾岸の増設人工島(サブフロート)の一つ、四号増設人工島(サブフロート)よ。特区警備隊(アイランド・ガード)から、正体不明の魔獣らしき生物が出現した、という報告があったの』

「四号増設人工島(サブフロート)か。ここから近いな……」

『それはそうでしょうね。さっきまであの《異端者(メタフィジカル)》は北地区に居たわけだから、経過した時間を考えてもそう遠くには行けないわ?』

 

 静乃の淡々とした声による報告に、古城は頷いた。

 

 絃神島を構成しているのは四基の超大型浮体式構造物(ギガフロート)だが、島の周囲には海上タンク、船舶の修理のためのドック、あるいは大がかりな廃棄物処理殻(ダストボックス)など、細々とした拡張ユニット――増設人工島(サブフロート)が存在する。

 話に出てきた四号増設人工島(サブフロート)は、絃神島建設本来の目的である魔族の生態研究の本拠地となった研究区域であるため、研究過程で出た燃やせない廃棄物、もしくは後ろ暗い事情があるモノを秘密裏に廃棄するための、巨大なゴミ埋め立て施設の一つだ。

 今では二桁以上に及んでいる増設人工島(サブフロート)の中で、四号と番号が若いのは、その関係でもある。

 

 語られた事情に納得は行く。

 だから、古城が反問したのはそこではなく、聞き慣れない呼称についてだ。

 

「《異端者(メタフィジカル)》?」

『仮称よ。あの生物たち(・・)の』

「たちって……もしかして、他にも居るのか、あんなのが?」

『ええ。どうやら他の魔族特区でも確認されているらしいわ。ギリギリ撃退はされているらしいけれど、詳しいことは何も分からず、異様な風体と力を持つこの世ならざる獣たち。だから異端者』

 

異端者(メタフィジカル)》。なるほど、言われてみれば納得できる呼称だ。

 

 古城に血を吸われて、どこか恍惚とした表情で、僅かに服を乱してぐったりとする雪菜とサツキから視線を逸らして、古城は話を続けた。

 

『ええ、まったくその通りね。改めて直でこうして見ると、本当にそう思うわ』

「え? おい、もしかして、もう接触してるのか?」

『それどころか、もう戦闘中よ。キーストーンゲートの襲撃者――十中八九彼らだと思うけれど、その対応に回っている以外の人材をこっちに集めて、必死で撃退しようとしてるわ。けど……』

「無理、だろうな」

『無理ね。数だけではどうやっても倒せない。集まった攻魔師の呪力弾も効かないし、正直に言って壊滅は時間の問題だわ?』

「そうか……」

 

 予想した以上に、戦況は最悪なようだ。

 唇を噛み締めると、いつの間にか意識を取り戻したらしい雪菜とサツキが、緊迫した表情でこちらを窺っているのが分かった。

 ここで悩んでいても仕方がない。くよくよ考えている暇があったら、動き出すべきだ。

 

「悪い、静乃。俺たちは先に殲教師のオッサンたちを止める」

『そうね。優先度としては確かにあちらの方が高いわね』

「だから、俺たちがそっちに行くまで、何とか持ち堪えてくれ」

 

 自分が相当酷いことを言っていると分かっていても、そう言わずにはいられなかった。

 お願いなどではなく、もはや懇願だ。

 

「頼む。必ず、必ず助けに行く」

『そう言われても、こっちももう限界よ? もう幾ばくの猶予もないし……ああ、また小隊が一つ壊滅したわ。……古城? それでも、貴方は私に止めて、って言うのかしら?』

「…………ああ。すまん。けど……!」

『分かったわ。貴方が来てくれるまで、何とかやってみせる』

 

 忸怩たる思いで顔を歪ませる古城の耳に、電話越しに宥めるような声が聞こえてきた。

 思わず目を見開いて携帯電話を見つめると、聞き慣れた、それでいて古城を安心させてくれる、悪戯っぽい声で、

 

『当然のことよ。前にも言ったと思うけれど――貴方を(たす)けることが、私にとっては至上の喜びだもの』

「お前……やっぱり、冥府の」

『信じてるわ、古城』

 

 問い質す前に、通話が終わった。聞こえてくるのは、プーッ、プーッ、という無機質な機械音だけ。

 古城は暫し微妙な表情で固まっていたが、すぐに思い直し、立ち上がった。

 

 静乃は、古城の知る彼女は、冗談は常日頃から口にするが、嘘だけは言わない。特にこういう時は、常に本当のことしか口にしない。

 彼女がやると言ったら、あらゆる手段を用いてやってくれるだろう。

 

 なら、古城のやるべきことは何か? 彼女の献身に報いるには、どうすればいいのか?

 

 ――信じてるわ、古城

 

 彼女の信頼に、応えること。ただ、それだけだ。

 

「サツキ、姫柊」

「はい、先輩」

「うん、古城」

 

 古城に名前を呼ばれた二人の少女は疑問を口にすることはなく、決意と覚悟を秘めた瞳で古城を見返してくる。

 頷く古城。静乃だけではない。サツキも、姫柊も。

 自分を信じてついてきてくれる彼女たちのためにも、絶対に勝たなければならない。

 

「サツキ。お前は、静乃たちの方に行ってくれ。アイツが危ない」

「えー? あたしも兄様と一緒がいいんですケド」

「頼む。お前にしか頼めない」

「う、わ、分かったわよ。気は進まないけど、兄様の頼みだもの。漆原を助けるついでにあの化け物もぶっ倒して、あたしがこの島を救ってあげる!」

 

 最初は不満そうだったくせに、古城がおだてただけで簡単に懐柔されてしまう彼女に苦笑を溢して、今度は雪菜に向き直る古城。

 この二人に、言葉は要らなかった。

 ただ目と目を合わせ、頷くだけ。それだけで、二人の意思は伝わり、同調した。

 

「よし。……行くぞ、二人とも!」

「はい!」

「うん!」

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 そして時計の針は再び進み、場所だけが変わる。

 時刻は深夜。月の光が照らし、夜でありながら暗くはない。

 半径約五キロほどの、海へと突き出した扇形の大地。

 埋め立て地のような広大で平坦な土地で、全体が分厚い鋼板の蓋に覆われている。

 

 連結橋の前には黄色と黒のバリケードが敷かれており、誰も立ち入りが出来ないようになっている。

 だがそれで隠し通せるようなものでもなかった。

 簡易バリケードの向こうから島全体に響く、鳴り止まぬ銃声と、人間の悲鳴と――何か、巨大な生物の嗤うような咆哮は。

 

「……さてさて、どうしたものかしらね」

 

 四号増設人工島(サブフロート)の中心辺り、いくつものゴンドラのようなものが並ぶ中で、高い監視塔の上に陣取った長い黒髪の少女――漆原静乃は、能面のような表情で眼下に広がる光景を眺めていた。

 手には携帯電話。古城との通話を終えたばかりだ。

 数十分前から続く戦闘。即ち、巨大な全身から夜の闇を増強するかのような仄暗い呪力(サターナ)を垂れ流す九頭大蛇と、急遽編成された特区警備隊(アイランド・ガード)の隊員たちの戦いを。

 

 絃神島の保有する特区警備隊(アイランド・ガード)は、三個大隊四百四十人強。その内の一個大隊がしばしばテロ組織の襲撃などに対する警備として常駐しており、その大隊はキーストーンゲートへの襲撃者――殲教師と人工生命体(ホムンクルス)の少女への対応のために残された。

 なので、《異端者(メタフィジカル)》の迎撃に当たっているのは、静乃が漆原家の権力をフルに使って呼んだ、残りの二個大隊の内一個大隊ほど。だがそれでも百人以上は居る。

 だというのに、戦況は最悪の一言だった。

 

 敵は巨大。故に細かい狙いを付ける必要はなく、手に持った対魔族用の呪式銃やハイパワーライフル、攻魔班の魔術攻撃を叩きこめばいつかは倒せると高を括っていた隊員たちだったが、間もなく、それは大きな間違いだったと思い知らされた。

 彼らが恐怖を堪えて必死で引き金を引き絞って放たれる弾丸も、いかなる魔術も、九頭大蛇のぬめる鱗に弾かれて未だに傷の一つも負わせることが出来ない。

 半狂乱になって突っ込んでも、待っているのは九本の長い首にそれぞれ備えられた鋭い牙で噛み砕かれる運命か、呪力のこめられた特殊装甲をないもののように丸ごと石化させるブレス。

 

 そのような状況でこれだけの時間、戦線を構築できている理由はひとえに、遊ばれているからだ。

 そう、あの《異端者(メタフィジカル)》、九頭大蛇は明らかに遊んでいる。隊員たちの必死の抵抗と死闘を、まるで子犬と戯れているかのような気安さで眺めて、その気になれば一瞬で壊滅させられるだろうに、それをしない。

 すでに集められた特区警備隊(アイランド・ガード)は半数以上が戦闘不能に陥っているが、まだ戦える。そのギリギリのラインで踏み止まっている。いや、踏み止まらせてもらって(・・・・・・・・・・・)いる。

 

 どれだけ死力を尽くしても一切の希望が見えない状況に、恐慌状態に陥る隊員たち。

 無理もない……と静乃は嘆息した。

 静乃が古城から頼まれたのは、時間稼ぎ。オイスタッハたちを止めて戻ってくるまで、戦線を持ち堪えること。

 だがこれでは、電話でも言った通りに時間の問題である。

 

「気は進まないけれど、私も始めるとしましょうか。――綴る」

 

 もう一度嘆息し、静乃はそのほっそりした指を突き付け、虚空に古代文字を書き綴り始めた。

 静乃の放つ圧倒的な魔力(マーナ)が周囲のエネルギーを喰らい、帳をさらに翳らせていく。

 雑多な音が渦巻く戦場の中で、歌うような声で詠唱する。

 

 

 

 尋常なき地よ 死の凍土よ そなたの息吹を貸しておくれ 全てを静けく凍えさせておくれ

 盛者必滅は世の摂理 神の定め給うた不可避の宿業

 水が低きへと流るるが如く 全ての(ねつ)を奪っておくれ

 時すらも凍てついたが如く 全てが停まった世界を見せておくれ

 

 

 

 第四階梯闇術《凄まじき吹雪(アンアースリィ ブリザード)》。

 憎たらしいほどしれっとした表情で、〆にトンと叩く。

 直後に顕現した尋常ならざる吹雪は、大気すら凍りつかせながら真っ直ぐ突き進み、九頭大蛇に直撃した。

 上がる苦悶の絶叫。九本ある首の内の二本がびっしりと霜に覆われている。

 

 だが、静乃は能面のような表情の裏で、焦燥を自覚していた。

 

(……まずいわね。たった(・・・)二本。これでは……!)

 

 慌てて、戦場全体を見渡せるようにと登った監視塔から降りるために走り出す静乃だったが、一歩遅かった。

 有体に言って嘗めてかかっていた先程と違って、怒り狂った様子で蛇体をくねらせて迫る九頭大蛇。

 かなりの迫力があったが、迫っていた九匹の内の一匹、九ツ眼が、静乃の目の前で大口を開けた。一度体験した静乃には分かった。石化のブレスだ。

 

 反応する間もなくブレスが放たれ、あわや絶体絶命――という危ういところで、静乃の視界はいきなり切り替わった。

 突然のことに、さしもの静乃も目を白黒させて辺りを見回すと、十メートルほど離れたところで、監視塔にブレスを吐き付けている九頭大蛇の姿が見えた。

 

「……まったく、手のかかる生徒たちだな」

 

 そんな静乃の視界の端に、フリルの塊が現れた。

 高価そうな扇子に、装飾過多の暑苦しそうなドレス。それを見た瞬間、誰が自分を助けてくれたのか、静乃は悟った。

 

「あら、南宮先生。ごきげんよう」

「……ふん、漆原。お前一人か?」

 

 静乃や古城たちのクラス担任にして、特区警備隊(アイランド・ガード)の特別顧問という肩書も持つ、凄腕の攻魔師、南宮那月だ。

 突如として戦場に現れた彼女は、目の前の惨状を見回して眉を顰めた。

 

「管理公社の連中に泣きつかれて来てみれば……何だこれは? ついでに、何だあれは?」

 

 あれ、のところで、右手に持った扇子を九頭大蛇の方へ向けての言葉。

 静乃は特に遠慮することも躊躇することもなく、いつもの淡々とした口調で答えた。

 

「私も正体は分かりません。ですが、《異端者(メタフィジカル)》と呼ばれているようです」

「異端者、か。随分と大仰な呼び方だな。だがまあ……」

 

 一瞬顔を顰めた那月だったが、転がっている石化した隊員にチラリと視線をやって、

 

「あれを見れば納得か。こいつらはお前が呼んだ連中だな?」

「ええ。結果は見ての通りですけれど」

「だろうな。しかし、九本か。どこぞの不愉快な蛇遣いを思い出すな。気に食わん……」

 

 忌々しげに那月が睨みつける先で、九頭大蛇がやっとこちらに気付き、鎌首をもたげて睥睨する。

 最初は静乃を見ていたが、すぐに那月に気付いて、ちろりと二股に分かれた下で舌なめずりをする。

 

 那月はさらに不機嫌そうな表情になった。露骨に気色悪がっている。

 

「まあいい。漆原、後のことは私に任せて、お前はさっさと――」

「おおーい、漆原―! 兄様に言われてきたんだけど、まだ生きてるー?」

「…………何故こうも私の生徒はアホばかりなんだ」

 

 帰れ、と言いたかったようだが、それを遮るように聞こえてきた能天気な声に、頭痛を堪えるようにかぶりを振る那月。

 両手両足と眉間、五つの門から引き出した、暗がりを照らすような金色の通力(プラーナ)を全身に纏い、サイドテールをブンブン揺らしながら駆け寄った少女――嵐城サツキは、行く手に那月の姿を捉えて、慌てて立ち止まった。

 

「な、なななな那月ちゃん!? 何でこんなとこ居るワケ!?」

「それは私の台詞だ、嵐城。それと、教師をちゃん付けするな! 暁と言い、お前と言い、矢瀬と言い……」

 

 言葉の途中で、ついに痺れを切らしたのか、九頭大蛇が再びタックルを仕掛けてきた。その超大質量でのタックルをまともに喰らえば、全身骨折では済まないだろう。

 サツキが慌て、静乃が身構える中、またしても那月が二人を救った。

 那月が二人に触れて魔力を動かしたかと思うと、再び視界が切り替わり、全く別の場所へと一瞬で移動していた。

 

「ひっ、ひぇぇ~。な、那月ちゃん、ありがといだいっ!?」

「教師をちゃん付けするなと、何度言えば分かる」

 

 能天気なサツキの頭に扇子を振り下ろす那月に、静乃は感嘆の視線を送っていた。

 

 南宮那月。彼女が得意とする魔術は空間制御。

 超上級者でさえ個人レベルでは容易には使用できない、その高難易度魔術を、まるで隣のドアを開くかのように行使してみせた。

 今の一度だけで、彼女の実力の一端が窺い知れるというもの。

 

「おい、嵐城。今、貴様は暁に言われてここに来たと言ったな? なら、その暁はどこに居る?」

「ふぇ!? え、えーっと、に、兄様はその、えーとえとえとえとえと…………」

「古城は少し用があって、遅れて来るそうです」

 

 焦ってまともに返事が出来ていないサツキに溜め息を吐いて、静乃が助け船を出した。

 那月であればそこまで神経質になる必要はないとも思ったが、それでも用心するに越したことはない。

 加えて、サツキだとプレッシャーに負けて不用意なことをポロッとこぼしかねない。

 

『ちょっと嵐城さん。しっかりしなさい、古城のためでしょう?』

『う、うぅ。わ、分かってるわよぉ!』

 

 囁き合うも、サツキはもはや涙目で溜め息が尽きない。

 

「ふん。あのバカが。こんな時に何をしているのか……」

 

 幸いにも那月はそれ以上突っ込んでくることはせずに、九頭大蛇に視線を戻した。

 つられてサツキと静乃もそちらを向く。

 

「不愉快極まりないが、恐らく私ではあれに勝てん」

「え!? 那月ちゃ……那月先生でも!?」

 

 性懲りもなく「那月ちゃん」と呼びそうになったサツキだったが、那月の一睨みで沈黙させられた。

 

「仕方があるまい。あれの対処は管理公社に任せて、お前たちは私が逃がす。いいな?」

「待ってください。私は古城にあの《異端者(メタフィジカル)》の足止めを任されました。それを放り出すわけにはいきません」

「チッ、また暁か。お前はそればかりだな」

「ええ、もちろん。愛していますから、彼を」

 

 恥ずかしげもなく言い放つ静乃。

 その揺るがぬ表情と雰囲気から、否応なく言葉の真偽を思い知らされて、更に渋面になる那月。

 だが今度は、不愉快というよりも、不満そうな表情になった。

 

「……不純異性交遊を教師の前でバラすとはな」

 

 心の底から忌々しげに吐き捨てる那月。

 それを見て、静乃はもう一言付け加える。

 

「それに、古城はあの蛇に一度殺されましたから。私たちもただでは――」

「……何だと?」

 

 静乃が古城のことを口にした瞬間、那月の背中から、凶暴極まる怒気と殺気が撒き散らされた。

 那月の視線は九頭大蛇に向かっているため、彼女が今どんな表情をしているのかは分からないが、きっと怒り狂っているのであろうことは分かる。

 普段の怒りとはわけが違う。

 全身が総毛立ち、サツキは肩を抱いて怯えて、静乃ですら頬を引き攣らせた。

 

「……いいだろう。私の生徒に手を出したこと、たっぷり後悔させてやろうじゃないか……!」

 

 那月は静かに呟き――裏腹に、凄絶な笑みを浮かべて、扇子を一振りする。

 

 九頭大蛇の周囲の空間に、大きな波紋――高密度の魔方陣が広がった。

 異変に気付いた九頭大蛇が、九本の首をそれぞれ違う方向に向けて警戒を強めた時には、もう手遅れ。

 虚空から出現した無限の銀鎖が、まるで蛇のように迫り、九頭大蛇の首を絡め捕る。

 

 さらに扇子が振られ、巻きついた銀鎖がピンと張られて九頭大蛇を締め上げる。

 ギリギリ、という異音とともに、九頭大蛇が九の顎から絶叫した。

 往生際悪く抵抗しようとした首は鎖に引っ張られて、他の首に衝突して沈黙する。

 

「氷の闇よ 雪霊(ゆきみたま)よ そなたの息吹を貸しておくれ 死よりも静けく凍えさせておくれ――」

 

 不意に、静乃の朗々たる詠唱が響き渡った。

 第三階梯闇術《凍てつく影(フロ-ズンシェイド)》。

 放たれた不可視の冷気は動きを止めていた九頭大蛇に満遍なく直撃し、数匹が苦痛にのた打ち回る。

 

「嵐城さん! 鱗ではなく、眼を狙って!」

「兄様がやってたやつね、りょーかい! おいで、アーキュール!」

 

 続けて、両足に通力(プラーナ)を漲らせたサツキが《神速通》を発動し、果敢に挑みかかる。

 静乃のアドバイスの通り、あるいは、古城がやっていた通りに、体ではなく、その蛇眼を狙う。

 だが、やはり高さの違いは大きい。地面からでは、例え跳び上がっても十メートルある巨体では――

 

「全く世話の焼ける生徒たちだな!」

 

 ここでもまた、担任教師の絶妙なフォローが入った。

 絡み付いた鎖が蠢き、一本の首を振り回して、地面に叩きつけた。

 

「たぁー!」

 

 顎から叩きつけられて朦朧とする蛇の二ツ眼に、両手に《剛力通》を漲らせ、顕現させた小剣を突き立てるサツキ。

 響く絶叫。舞う血飛沫をステップでかわして、サツキはもう片方の眼球に小剣を叩きつけた。

 

 サツキの後方からは、静乃が《凍てつく影(フローズンシェイド)》を連発して、さらに九頭大蛇を苦しめる。九頭大蛇は止めたくても那月の鎖に囚われているため、身動きすらままならない。

 

(これ、もしかして行けるっ!?)

 

 心の奥底に確かにあった怯えが、徐々に取り払われていくのを感じて、ようやくサツキは笑顔を浮かべた。

 まだ勝利したわけではないが、戦況はこれ以上なく最高だ。この絶望を、どうにかできるかもしれない――

 

 だが、得てして何事もそう上手くはいかないのがこの世の摂理。

 そして、その表情を待っていた、と言わんばかりのタイミングで、

 

「……え?」

 

 全ての首が、ニヤリと嗤った……気がした。

 静乃と那月も気付き、警戒を強めた――瞬間、九頭大蛇が一斉に、先程までとは比にならない力で暴れ始めた。

 

「ちっ……!? こいつら……!」

 

 那月が表情を歪める。

 九頭大蛇を拘束している鎖がガチャガチャと歪んだ、耳障りな音を立てる。九頭大蛇は鎖に擦れて自らの全身が傷つくのも構わず、渾身の力で暴れ続け、ついに――

 

 ――バキイィンッ、と。

 鎖の一本が、砕けた。

 それを皮切りに、残りの鎖も次々と砕けていく。

 三人が呆然と見上げる中で、ついに最後の一本が、澄んだ音を立てて砕け散った――

 

 

 ……グルゥゥアァァァ――――――――――ッッッ‼‼

 

 

 完全に拘束から解き放たれた九頭大蛇が、勝ち誇った雄叫びを上げる。

 手始めにすぐ近くに居たサツキを、首をしならせて吹き飛ばす。

 

「ッあ――!」

 

 咄嗟に両腕をクロスして、《金剛通》を振り絞って防御に徹したために重傷にはならなかったが、背中から瓦礫に衝突した衝撃で息を詰まらせ、動かなくなった。

 

「嵐城!」

 

 思わず、といった風に那月がサツキの方に意識を傾け、その隙を縫って九ツ眼が走った。

 狙いは那月――ではなく、静乃。

 魔力(マーナ)を使えても、身体能力は常人と変わらない。故に、静乃に九ツ眼の攻撃を避ける術はない。

 

「ちぃ――っ!?」

 

 気付いた那月が、神業的な速度で銀鎖を撃ち出し、紙一重のところで九ツ眼を拘束する。

 だが――それだけ。

 まだ、九ツ眼には、攻撃手段が残されている。

 九ツ眼は醜悪な嗤いを浮かべて、大口を開いた。その奥に見える、石灰色の輝き。

 もはや防御も回避も意味を成さない。

 

 最後の足掻きで静乃が地面に身を投げ出したところで、石化のブレスが放たれた。

 どうにか直撃は避けたものの、足と背中一杯に浴びてしまった。

石化が、始まる。

 静乃は石化の呪力(サターナ)に抗うため、意識朦朧とするほどの魔力(マーナ)を振り絞るが、動くことなどできない。

 無防備な静乃を狙って他の蛇が迫るが、直前で那月が駆け寄り、空間転移で離脱した。

 サツキも回収し、九頭大蛇の攻撃が届かないところまで離れたところで、那月は焦燥に塗れた顔でサツキの胸に手を当てる。

 

「おい、おい嵐城! しっかりしろ、頑丈なだけがお前の取り柄だろうが!」

「ぁ……ぅ……ひどい、なあ……那月、ちゃん」

「お前は大丈夫か。……漆原、お前はどうだ?」

 

 問うも、静乃から答えは返ってこない。答えるだけの余裕がないのだ。

 静乃の必死の抵抗も虚しく、石化の状態異常はゆっくりと進行している。

 ギリッと那月は奥歯を噛み締めた。

 このままでは、まずい。那月本人はともかく、生徒たちはもう絶体絶命のピンチだ。

 どうする? どうやって切り抜ける――?

 

 必死で頭を巡らせる那月を嘲笑うかのように、九頭大蛇が二股の舌をちろちろと動かしながら、ゆっくりと迫る。

 恐怖を煽るためだろう、一気に襲ってはこない。

 だが、最初に自分で言った通り、那月一人ではこの化け物には勝てない。

 一か八か、全力で仕掛けようと那月が身構えた――その時。

 

 咆哮が、轟いた。

 

「おおおおおおおおおおおおおっ」

 

 竜の如き咆哮が、戦場に轟いた。

 那月の下腹部にもズンとくる。那月は()を見上げ、そして息を吐いた。

 

「遅いぞ……古城(・・)

 

 咆哮を発しているのは、煌々と輝く月を背にした一人の少年。

 世界最強の吸血鬼にして、二つの前世を持つ《最も古き英霊(エンシェントドラゴン)》、暁古城だ。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

《神速通》と《羽毫の体現(デグリーズウエイト)》の太極(インヤン)でもって、北地区の研究所から手荷物を持って駆け付けた古城は、第三階梯闇術《火葬(インシネレート)》を宿したサラティガを振り被り、重力に任せて降下し――

 ニタニタと余裕風を吹かしていた九頭大蛇が、形相を変えて一斉に振り返った――瞬間、それを叩きつけた。

 

 その一撃は、堅牢な九頭大蛇の鱗を引き裂き、傍目にも分かるほどの深手を負わせた。

 

「くそっ、流石に斬れないか!」

 

 悔しげにしながら、古城は音もなく着地する。

 それから視線を那月たちの方へ移し、

 

「あれ、那月ちゃん!? 何でここに……サツキ! 静乃!」

「落ち着け、古城。二人とも命に別状はない。嵐城の方は衝撃で麻痺しているだけだが、漆原は――」

「分かってる。姫柊、頼む」

「はい!」

 

 古城の呼び掛けに応じて、アスタルテを抱えて古城と一緒に降り立った雪菜が、静乃の元に駆け寄った。

 雪霞狼に呪力を流し込み、ありとあらゆる魔力を無効化する神格震動波を宿した刃を、そっと静乃の肌に触れる。

 すると見る見るうちに静乃の石化は解除されていき、元の綺麗なしみ一つない肌が露わになっていった。

 それを見た古城は安堵の息を吐き、那月は雪霞狼の光を見て眼を眇めて、

 

「……〝七式攻魔突撃機槍(シュネーヴァルツァー)〟。なるほど、転校生、お前が監視役か」

「……っ」

「那月ちゃん。その話は後でいいか? 今は――」

「分かっている。そもそも詮索する気もない」

 

 肩を竦めて見せる那月に苦笑しつつ、古城はサツキと静乃に向き直った。

 

「待たせた」

 

 安堵と、懺悔と、苦渋の思いをこめて、古城は言った。

 

「えへへぇ……兄様? あたし、頑張ったよ……?」

「ああ……ああ、ああ! 頑張ったよ、お前は」

 

 体が動かないくせに笑みを浮かべてみせるサツキが無性に愛おしくなって、古城は乱暴にその髪を撫でてやる。

 

「静乃も。すまん、遅くなった」

「別に構わないわ? ……こうして貴方が来てくれた。それだけで、私には喜びしかないわ?」

「……ありがとう」

 

 そうやって信じてくれていることが、古城にとって何よりの喜びだ。

 

「後は任せとけ。二人とも、那月ちゃん」

 

 二人は頷き、那月も、ちゃん付けされたことに関しては何も言わなかった。

 だが、一つだけ付け加えて、

 

「古城。今日学校サボったこと、忘れるなよ。明日はその分、追加の補習を受けさせてやるからな。嵐城も、漆原もだ」

「「ええぇぇ~~……」」

 

 言われて、情けない悲鳴を上げる古城とサツキだったが、彼女の言葉の真意を誤解することはなかった。

 全員生きて、明日もちゃんと学校に来い――

 

「分かった。……行くぞ、姫柊」

「はい、先輩」

 

 再び古城は九頭大蛇に向き直り、隣に銀色の槍を構えた雪菜が並ぶ。

 彼女の身体から立ち昇る白銀の通力(プラーナ)を見て、古城とアスタルテを除いた全員が驚いた表情を浮かべた。

 

「姫柊さん……それ、通力(プラーナ)……? どうしてあなたが……」

「えっと……正直、わたしにもよく分からなくて」

 

 困ったように呟く雪菜の、古城を挟んで逆側に立ち上がった那月も並んだ。

 

「……那月ちゃん?」

「何だ?」

「……いや、何でもない。頼む」

「ふん」

 

 古城をジロリと睨んで鼻を鳴らす那月だが、その口元は確かに笑っていた。

 

 そして――もう一人(・・・・)

 トスッ、と軽い足音がして振り向くと、いつの間にか目を覚ましたらしいアスタルテが並んでいた。

 ダメージが抜け切っていないらしく、足はふらついている。だがそれでも、戦う意思を示すかのように前を剥いていた。

 

「おい、あんまり無理するな。お前が戦う必要は――」

「……否定、第四真祖。これは、私の(・・)意志です」

「え?」

 

 驚いて見返した彼女の、薄い水色の虹彩には、確かな覚悟と決意の色が滲んでいた。

 無感情で、人形のようだった彼女の瞳には、確かな生気が宿っていた。

 

「……先輩。お願いします、行かせてあげてください」

 

 同じような境遇だった者として、何か通じ合うものでもあったのだろうか。

 真剣に頼みこんでくる雪菜。古城は息を吐いて、

 

「……分かった。一緒に行こう、アスタルテ」

命令受諾(アクセプト)

 

 古城はもう、何も言わなかった。何を言っても彼女は止まらないと分かっていた。

 

 右手一本で剣を構え、右足を半歩前に出す。

 昂然と胸を張る、堂々たる構え。

 共に戦う仲間たちの士気も十分。後ろで見守ってくれる、守るべき少女たちが居る。

なら、

 

「負けられるはずがないだろ……!」

 

 

 

「那月ちゃん!」

 

 通力(プラーナ)に開眼したばかりの雪菜とともに、《神速通》で残像すら見えるような速度で九頭大蛇に接近しつつ、短く要請する。

 那月は応えて、再度虚空から鎖を撃ち出して、九体の内の二体を拘束する。今はそれでいい。

 

「姫柊! 二人で攻める!」

「はい!」

 

 十分に接近したところで、古城は長剣を、雪菜は槍を振るい、二人同時に三ツ眼を斬り付けた。怒り狂ったその首が動き出す前に走り、近くの七ツ眼に攻撃を加える。

 雪霞狼の神格震動波が九頭大蛇の鱗を真一文字に切り裂き、古城の《太白》が厚い肉をバターのように両断し、雪菜が付けた傷をさらに抉る。

《太白》による内部破壊。思ったよりもハマってくれた。

 

「……っ、ぐ!」

 

 戦果の余韻に浸る間もなく、雪菜に向けて続けて迫る六ツ眼。雪菜の細い肢体を噛み砕かんとする牙をかいくぐり、雪菜が後退する。

 反撃は、古城の役目だ。

 

「踊れ 踊れ 雷霆の精

 世に永遠に生くる者なし 刹那、閃き、快楽貪れ

 瞬きの内に全てを擲て 今宵、殺戮の宴なり」

 

 第三階梯闇術《狂乱する球雷(ボールライトニング)》。

 古城の綴った光の文字が無数の雷球と化し、絨毯爆撃するかのように六ツ眼の巨体のあちこちで炸裂した。

 六ツ眼は全身を電撃で焼かれてのた打ち回るが――致命傷には程遠い。

 

「ちっ、威力が足りないか!」

「先輩、右です!」

「――っ、くそっ!」

 

 雪菜の警告に従い、慌てて地面を転がるようにして避ける古城のすぐ横を、一ツ眼が這いずるようにして抜けて行った。

 すぐさま一ツ眼に攻撃を加えようとするが――今度は、九ツ眼が大口を開けて、古城たちに向かってブレスを吐きつけた。

 危険を察知するのが遅れて、すぐには動けない古城と雪菜。雪霞狼を持つ雪菜はまだしも、古城では危うい。

《耐魔通》と《青の護法印(ブルーウォード)》を重ね掛けして、何とか耐え忍ぼうと身構える古城だったが、結果としてそれを無意味に終わった。

 

 吐き出された石灰色のブレスを虹色の左手が薙ぎ払い、驚愕する九ツ首を虹色の右手が殴りつけた。

 その攻撃の正体は、人工生命体(ホムンクルス)の少女に埋め込まれた人造眷獣、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟によるものだった。

 

 

 

 間一髪のところで古城たちの危機を救ったアスタルテは、決然と己の敵の姿を見つめていた。

 使ったのは、とある殲教師が己の目的のためにその身に植え付けた、忌まわしき力。

 だが今のアスタルテは、それを感謝すらしていた。

 

「……感謝します、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟……創造主(マスター)

 

 この力があるからこそ、自分は戦える。

 この力があるからこそ、守りたいと思ったもののために戦える。

 この力があるからこそ、初めて、自分の意志で戦うことができる。

 

 感じる、一人の吸血鬼との間に出来た繋がり。今の〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟は、彼女の命を喰らうことはない。それは、彼のおかげだ。彼が、彼女を救ったのだ。

 ただの道具に過ぎない自分を救ってくれた彼を。

 自分たちの住む島を壊そうとすらした自分を救ってくれた彼を、彼らを。

 そして、彼らが守りたいと願うものを、守ることができる。

 

 正直に言って、まだ古城たちとの戦いのダメージは残っている。立っているのも辛いほどだ。

 しかし――アスタルテは倒れない。

 震える膝を叱咤して、自分の力で、意志で、戦場に立つ。

 

 かつては、誰かに造られて、その誰かの目的のためだけに暴虐を成す、人工の道具でしかなかった彼女は、

 

命令受諾(アクセプト)……いえ、違います」

 

 今この時、道具であることを拒み、自分で考え、決断し、行動する、一つの生命に、一人の人間になったのだ。

 

私の意志で(マイ・ハート)執行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟――!」

 

 己の眷獣に命令を下す彼女の声は、これまでになく大きく、これまでになく晴れ晴れとしていた。

 

 

 

「ぐっ……このままじゃ!」

 

 だが、アスタルテの眷獣の勢いが追加されても尚、戦いは有利とは言えなかった。

 単純に、九頭大蛇が強過ぎた。どれだけのダメージを与えても、倒れない、死なない。

 

 これは、使うしかないのか――?

 古城はこの戦いが始まってからずっと考えていた攻撃手段を、それでありながら躊躇していた力を解き放つことを決意した。

 

「姫柊! すまん、少し頼む!

「え……? っ、分かりました! 存分にやってください、先輩!」

 

 雪菜の声に頷き、古城は、先程からうるさいほどに自分の中で叫び続けている獣の声に意識を集中させた。

 つい先程目覚めたばかりの、世界最強の吸血鬼、第四真祖としての新たな権能。

 掲げた、サラティガを握っていない左手から、鮮血が噴き出す。

 

「〝焰光の夜伯(カレイド・ブラッド)〟の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ――」

 

 噴き出した赤が、一瞬で目も眩むような閃光へと変わった。

 

疾く在れ(来いよ)、五番目の眷獣〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟――!」

 

 宿主の呼びかけに呼応して、眩い雷光を纏った獅子が顕現した。

 夜の帳すら焼き尽くすような雷光は、猛り狂い、九頭大蛇へと突貫する。

 直後、閃光と轟音が迸った。

 

 獅子が三ツ眼の胴体に喰らいつき、三ツ眼が身の毛もよだつような絶叫を上げる。

 苦しむ三ツ眼を救おうとするかのように他の首が黄金の獅子を締め上げようと巻きつくが、逆に全身から撒き散らされる雷光に焼かれて悶絶する。

 

 その光景を、雪菜、那月、アスタルテ、サツキ、静乃は、手を止めて呆然と見つめていた。

 彼女たちを散々に苦しめた化け物を、たった一匹の獣が蹂躙する様を。

 

「これが……第四真祖の眷獣……」

 

 やがて、静乃がポツリと呟く。

 第四真祖の従える、天災にも匹敵すると言われる十二体の眷獣。

 その噂が誇張でも何でもないことを、彼女たちは思い知った。

 

 巨大な九本の首を持つ化け物と、鮮烈な輝きを放つ獅子とが対峙する様は、まるで神話の一節のように禍々しく、また美しかった。

 

 だが――

 

「くそっ、これでもダメなのか……!」

 

 雷光の獅子を呼んだ古城は、焦燥に表情を歪めていた。

 第四真祖の眷獣の圧倒的な攻撃力でさえ、決定打にはなりえない。

 何故か。ひとえに、古城が手加減をしているからだ。

 

 第四真祖の眷獣の力は大き過ぎる。もし何も考えずに全てを解き放ってしまえば、あの倉庫街のように増設人工島(サブフロート)どころか、絃神島本島にまで被害が及んでしまう可能性がある。

 だから古城は、眷獣に全力で薙ぎ払う命令を下せずにいた。

 

 さらに言えばもう一つ。九頭大蛇の常軌を逸した生命力だ。

 これまでに何度となく致命傷を負わせてきたはずなのに、ただの一匹たりとも削れていない。

 例え古城が〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟の全てを解き放ったとして、それでも倒せるか確証がないのだ。

 

 ギリッ、と歯を食いしばっていた古城の耳に、不意に、

 

 ドッゴオオォォォン、という建物が崩れ落ちたような轟音が届いた。しかもすぐ近くで。

 それは、那月が数十の銀鎖を束ねて、増設人工島(サブフロート)超大型浮体式構造物(ギガフロート)を繋ぐ連結橋とアンカーを、力任せに破壊した音だった。

 衝撃によって増設人工島(サブフロート)がゆっくりと本島から離れて海へと流れ始める

 

 彼女の全く予想外で破天荒な行いに、古城だけでなくその場の全員の開いた口が塞がらなかった。

 

「な、那月ちゃん……なに、やってんだ……?」

「お前がうじうじと悩んでいて鬱陶しかったのでな。手っ取り早く悩みの種を切り離してやった」

 

 微塵も後悔などは浮かばせず、さらりと言い放つ担任教師に、古城は頬を引き攣らせた。

 古城の躊躇のことを言っているというのは分かるが、やり方がいくらなんでも乱暴に過ぎる。もしかして、ただの八つ当たりなのではないか。

 そんな疑いを覚えた古城だったが、那月の次の一言で、口元に獰猛な微笑を浮かべた。

 

「この増設人工島(サブフロート)一つ程度なら好きにして構わん。……だから古城、全力でやれ」

「……了解だ、那月ちゃん!」

 

 那月の乱暴極まる気遣いのおかげで、もはや気にするものはなくなった。

 古城は遠慮なく、力を振るえる。

 

「すぅぅぅぅ……はぁぁぁぁ……」

 

 大きく息を吸って、吐く。

 自分の中の全てを一新して、書き換える。

 

 舞い散る粉塵も、飛び散る火の粉も、そこら中に転がる石像も、びゅうびゅう吹き付ける夜風も、全てを意識から排除し、ただ自分の内面に意識を傾ける。

 右手左手右足左足丹田心臓眉間。七つの門から滾々と湧き出る通力(プラーナ)を、さらに汲み上げる。

 堰を切ったように溢れ出す白の輝きが古城の全身から噴き出し、「焼き焦がすもの(シリウス)」もかくやと燦然と煌く。

 これが剣聖、フラガの力だ。

 

「お、お、お、お、お、お、お……」

 

 それだけには止まらず、同時に魔力(マーナ)を練り上げる。

 文字通り、魔、の力。周囲の光を、風を、地球を満たす大気のエネルギーを、吸い取り、奪い取り、肥え太る。

 古城の周囲だけでなく、戦場全体を暗く翳しながら、より強くなる。

 全ての光は古城の魔力(マーナ)に喰われて、奪われる。無論、通力(プラーナ)まで。

 これが冥王、シュウ・サウラの力だ。

 

「俺は……俺は――」

 

 無尽蔵の通力(プラーナ)が、底なしの魔力(マーナ)が鬩ぎ合い、切磋琢磨し合う。

 こんな力の使い方をすれば、すぐに底が尽きてしまうだろう。だが尽きない、なくならない、終わらない。

 まるで永遠に燃え続ける業火のように、燃え盛る。

 

 薪としてくべるのは、想いだ。

 サツキへの、静乃への、雪菜への、浅葱への、凪沙への、春鹿への、矢瀬への、石動への、斎子への、那月への、アスタルテへの、母親への――想い。

 全部、全部、大切で、失いたくないという、想いを糧にして、己を包む皮を焼き尽くさんとばかりに燃え上がらせる――!

 

「綴る――っ!」

 

 右手に剣を構え、左手で太古の魔法文字を描き、詠唱する。

 

 

 

 冥界に煉獄あり 地上に燎原あり

 炎は平等なりて善悪混沌一切合財を焼尽し 浄化しむる激しき慈悲なり

 全ての者よ 死して髑髏と還るべし

 神は人を見捨て給うたのだ

 退廃の世は終わりぬ 喇叭は吹き鳴らされよ 審判の時来たれ

 

 

 

 第五階梯闇術《黒縄地獄(ブラックゲヘナ)》。

 虚空に描いた魔法文字を左拳ではなく、右手のサラティガで斬り払う。

 直後に顕現する、この世ならざる黒炎を纏いし白き剣――

 源素の業(アンセスタル・アーツ)太極(インヤン)、《天をも焦がす降魔の黒剣(クリカラ)》。

 

 

 

 それだけではない(・・・・・・・・)

 

 

 

 古城はさらに、新しく手に入れたばかりの第四真祖の権能を行使した。

 全身を駆け巡る血液に宿る魔力を綴り終えたばかりの左手に集中させ、荒ぶる獣を呼び招く。

天をも焦がす降魔の黒剣(クリカラ)》を維持しながら別の力を行使しようとしたために、脳髄に激痛が走る。

 その痛みを気力で捩じ伏せ、古城は叫んだ。

 

疾く在れ(来いよ)、〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟――!」

 

 咆哮が雷鳴のように大気を震わせて、戦車ほどもある巨体を持つ、雷光を纏う獅子が顕現する。

 黄金の獅子は、今度は九頭大蛇に向けてではなく、黒炎を纏った(・・・・・・)サラティガへと(・・・・・・・)突進した(・・・・)

 

 二つの大いなる力と力は相克することはなく、むしろ融け合い(・・・・)混ざり合った(・・・・・・)

 黒白の利剣に青白い雷光が掛け合わされ、勢いを増す。

 黒と、白と、青と。炎と、光と、雷と。

 

 だが、太極(インヤン)は、全く同等の複数の力を掛け合わせて乗算させる術理だ。

 掛け合わせる力の内のどれか一つでも弱過ぎる、または強過ぎても、それは発動しない。

 

 剣聖の誇りに、冥王の矜持に対抗するのは、第四真祖の魔力――ではない。

 三種の力の入り混じった剣から、雷鳴のような咆哮が轟いた。

 我を嘗めるな――とでもいうような。誇り高き雄叫びが。

 

 そう、眷獣の力を高めるのは宿主の魔力などではなく、眷獣自身だ。

 吸血鬼の眷獣とは、膨大な魔力の塊が意志を持ったもの。つまり眷獣には強い自我が、意志がある。

 

 雄叫びの次の瞬間、古城の掲げる利剣が放つ力が――爆発的に膨れ上がった。

 眷獣の意志――〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟の意地によって、それは成された。

 

 古城の、何も失いたくない、奪う者は、神だろうが魔王だろうが斬り殺すという思いをもって、それは成された。

 

「俺は、俺から奪っていく奴を、絶対に許さねええええええええええええええええええええええ」

 

 源素の業(アンセスタル・アーツ)の、新たな太極(インヤン)――

 

 

 

「《雷霆招き煉獄齎す神魔討滅の嵐魔剣(カラドボルグ)》――!」

 

 

 

 黒き炎と、白き光と、青き雷霆。それは正に、三色の暴風。

 古城は嵐を纏う魔剣を、一気に九頭大蛇へと叩きつけた。

 弾ける、目を焼くような閃光と、体を芯から揺さぶる衝撃。

 

 ――――――――――――ッッッッッッ‼‼‼

 生み出された轟音は、もはや人間の可聴域を超えていた。

 

 何人たりとも自然の猛威には抗えぬように、本物の化け物であった九頭大蛇もまた、一切の抵抗を許されず、次々と消し飛んで行く。

 絶叫や断末魔すら聞こえない。

 全てが、嵐へと呑み込まれて行く。

 

「俺は聖剣の守護者(フラガ)禁呪保持者(シュウ・サウラ)四人目の真祖(暁古城)だ!

 この俺を怒らせたことを未来永劫、煉獄の最奥で悔いろおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 

 咆哮を上げて、古城は嵐の魔剣を振り切った。

 最後に残った九ツ眼もまた、青と黒と白の嵐に巻き込まれて、微塵となって消え失せる。

 

 それで、終。

 

「かああああああああああああああああああああああっ!」

 

 とどめとばかりに、大地へ剣を突き立てる。

 今の古城に持てる全てを込めた渾身の一撃が、増設人工島(サブフロート)全体を倒壊させる。

 廃棄施設も、中にあった燃やせないゴミも。全てが一切合財等しく消え去る。

 そして――奥深くに隠れていた、九頭大蛇の本体へと、届いた。

 刃が、九本の首よりも尚巨大な胴体を貫き、嵐が消し飛ばす。

 

 火山の噴火が如く、爆炎と雷霆が巻き起こった。

 地面から莫大なそれらが一直線に噴き上がり、天を貫く槍の如く屹立する。

 

「ちょっ……先輩! やりすぎです!」

「兄様―! あっぶなーい!」

「あらあら、どうするのかしらね、これ?」

 

 アスタルテの眷獣に抱えられて、那月の空間転移で間一髪増設人工島(サブフロート)から逃げ出していた少女たちの非難も、未だ鳴り響く轟音に掻き消されて古城に届くことはなかった。

 

 彼女たちの言葉通り、第四号増設人工島(サブフロート)は、もはや完全にただの浮き島である。

 九頭大蛇を無事に殲滅したのはいいものの、その代償は大きかった。

 事前の那月のファインプレーによって特区警備隊(アイランド・ガード)は逃がされていたため、奇跡的に死者は少なかったが、だからいいという訳でもない。

 

 ともかく、絃神島に未然の災厄をもたらした《異端者(メタフィジカル)》は、二つの前世を持つ転生者にして世界最強の吸血鬼、暁古城の手によって、無事討伐されたのであった。

 地面に剣を突き立てたまま肩で息をする古城の姿を、昇り始めた朝日が、まるで祝福するかのように照らし出していた――――




 いかがだったでしょうか。
 作者の厨二センス……でなくて、九話目は。
 原作であまり注目されなかったキャラにも頑張ってもらいました。那月ちゃんとか。

 一応、次の十話で一生は終了となります。文字数を調べてみたら、書籍一冊分あってビビりました。


 8月12日 読者様の感想を受けて誤字修正。ルビなども。
 混乱させてしまい、すいませんでした。
 これからもよろしくお願いします。

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