血塗られた戦車道   作:多治見国繁

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今日も30年後の話です。


第77話 償い

私たちは困ってしまった。こんな山奥でしかも道もわからない中、唯一道がわかる秋山優花里が錯乱して意識を失ってしまったのだ。私たちだけで戻ったら同じような風景の森が続いているので遭難する可能性がある。さらに迷ったら絶対抜け出せないとか方位磁針が使えない、電子機器が狂うなどといった樹海に関する都市伝説がなおのこと私たちを不安にさせる。だから、戻ろうにも戻れないし、進むこともできない。その時だった。突然何かが近づいてくる音がしてきた。私たちは不安に襲われる。クマやイノシシなどの野生動物も怖いが今は人間も怖い。こんなところをうろつく人間は普通の人間ではないだろう。樹海には様々な噂が囁かれている。例えば、自殺者を狙う殺人マニアそして自殺者の皮膚や臓器、血液を狙うヤクザなどそうした連中がうろついているという噂だ。今、私たちは無防備の状態だ。身を守るものは全く持っていない。この状態で襲われたらひとたまりもない。さらにそれよりも怖いもの、それは西住みほの手先と西住みほ本人だ。彼女たちにここで見つかったらきっとこの洞窟の秘密を知ったとして無惨な姿にされて樹海の動物たちの餌にされてしまうだろう。私と澤梓は突然のことに慌てる。しかし、角谷杏と小山柚子は連携してまずは落ち着くように指示を出した。

 

「2人とも落ち着いて。まずは秋山ちゃんを草の陰に運ぶよ!隠れるのはそれからだ!」

 

角谷杏は落ち着いて冷静に指示を出す。さすがは元生徒会長そして現大洗町長である。危機管理能力はとても高い。私たちは角谷杏の指示通り秋山優花里を草の陰に隠して落ち葉で秋山優花里の身体にカモフラージュをした。そして、私たちも何とか草の陰に隠れる。ガサガサと草をかき分ける音を立てながらその何かはどんどん近づいてくる。私たちは汗をダラダラ流しながら息を飲んだ。すると、その何かが私たちの前に現れた。人間だった。白いカチューシャをつけた長髪の女性だった。そう認識するが早いか角谷杏と小山柚子と澤梓が飛び出していった。先ほど現れた女性は突然のことで何が起こったかわからないといった様子だったが、やがて事態を理解したようだ。目の前に突然登場した澤梓たちに目を丸くしている。

 

「え…?もしかして…梓か…?それに会長に副会長まで…なぜここに…?」

 

「あ、はい。澤梓です!お久しぶりです!冷泉先輩!わかりますか?あ、ノーベル賞受賞おめでとうございます!テレビで見てました!すごいですね!見た目あんまり変わってないのですぐにわかりましたよ。」

 

冷泉先輩と呼ばれたその女性。その人は私の取材の申し込みを拒否し続けていた冷泉麻子だった。冷泉麻子は、相変わらずぶっきらぼうに受け答えをする。

 

「ああ、わかるよ。梓こそそんなに見た目変わってないな。見ていてくれたのかそんなに大したことではないし、本当は私が取るべきものではないがありがとう。」

 

その言葉に角谷杏が思わず会話に入り込んできた。ノーベル賞を大したことではなく、自分がとるべきものではないという発言を聞いて驚いた。

 

「そんな、冷泉ちゃん。ノーベル賞って科学者の憧れでしょう?なのにどうして…?」

 

すると冷泉麻子は一瞬悲しそうな表情になるとすぐに無表情になり、静かに語り始めた。

 

「だからこそだ。私の科学者としての道は西住さんの下で生物化学兵器を研究開発し、多くの人体実験をしたことから培った知識でなりたっている。ここにいるってことは見たんだろう?この中にあるおびただしい骨を。この中には私の実験の犠牲になった者も数多くいる。私は西住さんの下で悪魔だったんだ。生きたまま人を解剖したこともある。あの時は何も罪悪感はなかった。ただ、知りたいから。それだけしかなかった。今では申し訳ないことをしたと思っている。今さら悔やんでも私が犯した罪は消えることはないが…」

 

そうだ。冷泉麻子の科学者としての歴史は西住みほに命じられ、マッドサイエンティストとして恐れられたところから始まっているのだ。西住みほとの関わりは冷泉麻子の人生に暗い影を落としている。角谷杏は何とも言えない表情で冷泉麻子を見ながら気まずそうだ。

 

「冷泉ちゃん…なんかごめんね…私、冷泉ちゃんの気持ち全然考えてなかった…」

 

「私こそすまない…みんなにこんな気持ちになって欲しかったわけじゃなかったんだ。話を変えよう。ところで、みんなはどうしてここにいるんだ?」

 

冷泉麻子が話題の転換になおのこと空気は気まずくなる。冷泉麻子は頭がいいが人付き合いについてはそこまで上手くない印象を持った。

 

「えっと…実は私たち、あの戦争について取材を受けていて…秋山先輩がここのことを伝えるべきだということで…」

 

「取材…?もしかして山田さんか…?」

 

「山田さんのことを知っているんですか!?」

 

「ああ。私も取材のオファーを受けたからな。でも、今はいないようだが…?」

 

冷泉麻子は怪訝そうな顔をする。すると角谷杏は笑いながら私が隠れている茂みに声をかけた。

 

「山田さん!そんなところで隠れていないで出ておいでよ。」

 

私はモジモジしながら茂みから出る。別に隠れているつもりはなく、出て行くタイミングを計っていただけなのだ。

 

「べ、別に隠れていたわけでは…初めまして。冷泉さん。」

 

「初めまして。山田さん。」

 

麻子はぶっきらぼうに挨拶を返すと微笑みながら握手をしようと手を差し出した。私はその手を取る。

 

「随分熱心に取材しているようだな。会えて良かった。無事で良かった。実は私もあのあと最初は私の体験を手記にして山田さんに渡そうと考えていた。でも、それだと伝えたいことを伝えられないかもしれない。逃げてはいけないんだ。私は自分であの時のことを語るのが怖かった。でも、考えに考えた結果、思い直して取材を受けることにした。これが私に出来る精一杯の償いであり罪滅ぼしだ。この洞窟の中見たか?驚いただろう?怖かっただろう?今まで、悲惨な話や残虐な話を梓たちから聞いてきたと思う。でも、今までは頭のどこかでは信じられないって思っていたはずだ。でも全て真実なんだ。それをここにある犠牲者たちの遺骨が教えてくれているんだ。この洞窟の中の骨はさっきも聞いていたと思うが、私が手にかけた犠牲者の骨も多い。私の手は汚れているんだ。そもそもここにある骨はすべて私が検死して、薬を使って標本に仕上げた。人はやたら私を天才だと持ち上げるが、私の研究成果の始まりは…もう言わなくてもわかるだろう?」

 

「はい全て見ました。冷泉さんの思いは私が必ず引き継ぎます。」

 

冷泉麻子は私を見てニッコリと微笑みながら頼もしそうに頷く。そして小さく私の耳元で囁いた。

「私たちの彼女たちの悲劇を後世に伝えてくれ。頼む。それが山田さんの役割だ。」

 

私は黙って頷く。冷泉麻子は私の方を二回ポンポンと叩くと皆の方に翻った。

 

「ところで秋山さんはどこだ?」

 

「あ!そうだ!秋山ちゃんのこと忘れてた!」

 

危ないところである。角谷杏は秋山優花里を忘れて帰ろうとしていたのだろうか。小山柚子は首を振りながら呆れた。

 

「会長…秋山さんを忘れるなんて…ひどいですよ…」

 

「ごめんごめん。」

 

角谷杏は頭を掻きながら申し訳なさそうな表情をした。

 

「それで、秋山さんはどこだ?」

 

冷泉麻子は、粘りつくような目線を角谷杏に向けながら詰め寄る。角谷杏は手招きをして冷泉麻子を茂みに連れて行った。

 

「こっちだよ。ほら。ここにいる。」

 

「秋山さん!なんで…なんで…まさか!おまえたちが殺したのか!?」

 

青い顔をして倒れている秋山優花里を見て冷泉麻子は、早とちりをしたようだ。角谷杏は必死に否定しながら落ち着くようにと諭す。

 

「れ、冷泉ちゃん!落ち着いて!違うよ!秋山ちゃんね、あの洞窟の中のご両親の遺骨を見て錯乱しちゃって……今は気絶しているだけだよ!それに私たちが殺すわけないでしょ?確かに秋山ちゃんたちは河嶋の仇だよ?でも、河嶋がそんなこと望んでいないのはわかってる。秋山ちゃんたちは命令されるがまま止むを得ずやったことなんだから…だから、冷泉ちゃん落ち着いて!」

 

冷泉麻子はそれを聞くと安心したように膝から崩れ落ちた。そして深呼吸をすると私たちに謝罪した。

 

「そういうことだったのか…すまない…早とちりしてしまった…」

 

「大丈夫だよ。ところで、冷泉ちゃんはなぜここに?」

 

すると冷泉麻子は少しためらいながら静かにここに来たわけを語り始めた。

 

「菩提を弔いに毎年来ているんだ。実は今日が私が初めて骨の部屋に西住さんに通された日だ。私はその時、西住さんに何もいうことができなかった。西住さんが怖かったからだ。西住さんに逆らったら今度は私が骨の部屋の住人になる気がしたんだ。せめてもの罪滅ぼしに…先に中に入っていいか?」

 

「そっか。わかった。うん。もちろんいいよ。」

 

「ありがとう。」

 

冷泉麻子はそういうと真っ暗な洞窟の闇に飲み込まれて消えて行った。しばらくすると洞窟の中から叫び声と泣く声が聞こえて来た。

 

「冷泉ちゃん。泣いてるね。」

 

「はい。冷泉先輩が泣いているところなんて初めてです。」

 

「澤ちゃんも見たことなかったんだ。冷泉ちゃんの涙。」

 

「ええ。あの時は私たちの心は当然のことながら荒んでいたんです。ましてや、冷泉先輩は…人体実験の主催者のようなものですから…涙など枯れ果てていたのでしょう…」

 

私たちは何もいうことができなかった。鬱蒼とした森の中に冷泉麻子の泣き声が響く。1時間ほどして冷泉麻子は泣きはらした目をして洞窟の中から戻って来た。

 

「うるさくしてしまった。すまない。」

 

「いいよ。存分に泣いていいんだよ。冷泉ちゃんも辛いことたくさんあったんだよね?」

 

「うん。ありがとう。ところで、秋山さんの容態はどうだ?」

 

角谷杏は倒れている秋山優花里に目を落とすと、力無く首を振る。

 

「まだ戻ってこない。」

 

「まずいな…あまりモタモタしていると日が暮れてしまう。」

 

すると今まで変化のなかった秋山優花里の容態に変化があった。寝言を言い始めたのだ。

 

「お父さん……お母さん……大好きだよ……西住殿……やめて……お願い……嫌だ……殺したくない………西住殿!西住殿!やめてください!うわぁぁぁぁ!!」

 

秋山優花里はものすごい叫び声と共に目を覚ました。汗だくになりながら、酷く喘いで苦しそうだ。

 

「秋山ちゃん!大丈夫。大丈夫だよ。ゆっくり深呼吸をして。」

 

角谷杏は秋山優花里の背中をさすりながら落ち着くようにゆっくりと深呼吸させた。

 

「ありがとうございます…夢を見ていました…父と母の…最初はいつもの楽しかった日々…それを西住殿が蹂躙して奪いつくし、私に両親を処刑するように命じて…西住殿がおもしろそうに笑いながら眺める中…私がこの手で両親を殺した…ちょうどあの日…私が体験した両親の処刑の光景を…あの悪夢を…両親は私を恨んでいますよね…憎んでいますよね…わかっているんです…私は…悪魔だって…でも…信じてもらえないかもしれませんが私は両親が大好きだった…本当はこんなことしたくなかった…でも、西住殿の命令は絶対…私はどうすればよかったんですか…うわああああ!」

 

秋山優花里は泣き叫ぶ。角谷杏は秋谷優花里を抱きしめながら背中をさすり、秋山優花里に優しく語りかける。

 

「秋山ちゃん。秋山ちゃんのご両親は秋山ちゃんを恨んでなんかいないよ。私も親になったからわかるんだ。自分の子どもを恨む親がいるわけがない。秋山ちゃんのご両親はいつまでも秋山ちゃんの味方だよ。確かに秋山ちゃんのやったことは間違っているかもしれない。でも、あの時は仕方なかったんだよ。それにみんなわかってる。秋山ちゃんがご両親のこと大好きだったってことは。ご両親はきっといつまでも秋山ちゃんを見守っているよ。だって、ご両親は秋山ちゃんのことが大好きなんだから。」

 

「そうだぞ。秋山さん。そんなに自分を恨むな。ご両親はきっと許してくれる。親にとって子どもは宝物なんだ。」

 

「ありがとうございます。みなさん…ありがとうございます…ご迷惑をおかけしました…戻りましょうか…もう自分を卑下するのはやめます…私は伝えるべきことを伝えます。それが私のせめてもの償いです。」

 

秋山優花里の青い顔はいつの間にか穏やかないつもの優しい顔に戻っていた。秋谷優花里は自分を卑下することはもうやめることにしたらしい。それよりもこの悲劇をもう二度と繰り返さないために次の世代に自分たちの体験を伝えるという覚悟をしたようだ。車までの帰りの道中、秋山優花里は冷泉麻子がいつの間にかそこにいたことに驚いていた。自身の悲しみに心が覆われ気が付いてなかったようだ。私たちは樹海で合流した冷泉麻子と共に再び車に戻り、ホテルに向かった。そして、ホテルで再び冷泉麻子を加えて、全ての悲劇と残虐を集めたかのように悲惨な体験談の取材が始まったのである。

 

つづく


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