血塗られた戦車道   作:多治見国繁

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第68話 人的資源

優花里はみほの執務室を出て俯きながらトボトボと歩いていった。優花里は頭の中でみほの言葉を何度も反芻していた。

 

「私にとったら単なる道具にすぎない。道具は使わなくちゃ。ねえ?優花里さん?」

 

優花里の頭の中でみほが無邪気に笑いながらこちらを見て何度も言葉を紡ぎ再生される。優花里は足元を見ながらぎゅっと拳を握る。

 

(あの子たちは…あの子たちは道具じゃない…私と同じ血の通った人間…私の大切な…とても大切な…友達であり教え子…でも、西住殿は…)

 

そうだ。みほは彼女たちを道具としか見ていない。それは使えるだけ使って利用価値がなくなったらあっさり処分するという宣言に他ならない。みほは人間を単なる資源としか考えていないのだ。みほの頭にあるのは冷酷な数字としての概念である。そこに血の通った人間がいるという意識はない。みほは人間をあくまでも数字として、物として捉えている。だから、有効活用できる人間は徹底的に自分の手足として使うが使えなくなった瞬間にあっさり捨てるのだ。みほに「無能だ。使えない。」.と判断された者の末路はエネルギー革命の後の石炭のように最前線に送られて死ぬかみほに処分という名の処刑によって殺されていくのだ。みほにとっては自分以外の人間などその程度の価値だった。優花里はもう耐えられなかった。逃げ出したいと思った。なぜ自分がこんなことをやっているのかわからなくなっていた。しかし、優花里にはそれができない。なぜならみほが怖いからだ。怖くて怖くて仕方がない。あの悪魔の目でみほに見られたら優花里の身体は硬直して動かなくなってしまう。優花里は恐怖で支配され、みほに従うしかなく抵抗することも何もできない自分を恥じた。優花里は肩を落としうなだれながら歩き、みほの執務室がある建物の近くにある、諜報活動局の事務室がある建物の前に来た。優花里は大きなため息をつきながらその建物に入った。

 

「あ!優花里さん!お疲れ様です!話ってなんでしたか!?」

 

「ああ…大川殿ですか…」

 

優花里に大川殿と呼ばれたその女子生徒、大川奈那は1回目の食料施設での戦いでみほの降伏勧告に応じ、みほに寝返りみほの勝利に貢献した人物だ。その功績で優花里が局長を務める諜報活動局のナンバー2である事務長を仰せつかっている。

 

「優花里さん?どうしたんですか?」

 

暗い顔の優花里を見て、奈那は訝しげに優花里の顔色を伺っている。優花里は深刻そうな顔をする。

 

「大川殿…後で局長室に来ていただけませんか?」

 

「え、ええ…構いませんが…」

 

いつも明るい優花里とは違い、珍しく沈んで静かな優花里を見て、奈那は戸惑っていた。そもそも、優花里は滅多なことがない限り人を自らの局長室に呼ぶことはない。今回の呼び出しは異例中の異例だ。奈那は息を飲む。

 

「ちょっと心の準備をしておいてくださいね。」

 

奈那は汗をダラダラ流していた。優花里はまた、トボトボとその建物の2階にある自らの局長室に戻った。優花里は局長室の大きすぎる椅子に腰掛けると大きなため息をついた。そして頭を抱える。どう伝えるべきか迷っていた。10分ほどだった時、トントントンと3回ノックする音が聞こえて来た。優花里は苦い生唾を飲み込み口を開く。

 

「どうぞ。」

 

「失礼します。」

 

奈那は部屋に入ると一礼して優花里の目の前に来た。奈那は不安で仕方がないといった表情だった。当たり前である。突然上の人間に呼ばれたら誰でも緊張することだろう。特にこんな深刻そうな顔をしながら呼び出したら相手に余計な不安を与えてしまう。優花里は自分が余計な不安を煽る要因になったことを激しく後悔した。優花里はしばらく何も言わずに黙っていたが奈那はしびれを切らしたようだ。優花里に問い詰める。

 

「優花里さん。突然の呼び出し、一体なんですか?」

 

「それは…その…」

 

優花里は口ごもる。どう言えばいいのかわからなかったのだ。そんな優花里を見て奈那は優しく微笑む。

 

「優花里さん。はっきり言ってください。どうしたんですか?らしくないですよ。いつも明るいのに今日はなんだか沈んでて…」

 

「わかりました…では、言いますよ…?実はですねこれを西住殿から渡されて…」

 

奈那は優花里から差し出された命令書を手に取り読みはじめた。全て読み終わると真正面の優花里の方を向き見つめながら呟く。

 

「ついに来たか…」

 

「え…?」

 

「まあ、こんな仕事を仰せつかってるくらいですからね。覚悟はできていましたよ。」

 

「申し訳ありません…私は皆さんのことを守りきれませんでした…西住殿の魔の手から守りたかったのですが…皆さんの手を汚させたくはなかった…皆さんの手を綺麗で純粋なまま守りたかった…でも私は…結局皆さんのことを…教官失格ですね…」

 

優花里は泣きながら謝罪した。すると、奈那は優しい口調で優花里を励ました。

 

「優花里さん。優花里さんは私たち自慢の教官です。そんなに自分を責めないでください。こういう事態になることは想定できていたことです。私たちはいつも覚悟していました。そして、優花里さんからの命令ならなんでも聞くと誓っていました。それに私たちの手は決して綺麗じゃありません。純粋でもありません…私たちは一度仲間を裏切って今ここにいるのです。私たちは罪を犯した。それに一度戦争に身を置き、貴女たちを殺そうとした。もうその時から私たちの手は汚れているのです。優花里さん。お願いです。私だけでも絶対に連れて行ってください。」

 

「でも…犯罪ですよ?誘拐なんて…アンツィオの生徒に露呈したら生きて帰れないかもしれないんですよ?」

 

「ならなおのこと私たちが必要じゃないですか。優花里さんは私たちを盾にしてでも逃げてください。」

 

優花里はかける言葉が見つからなかった。優花里は静かに頷く。

 

「わかりました…では、よろしくお願いします。それと、今回の任務は大勢は連れて行けません。ですから、志願制にする上にさらにその中から選抜します。それでいいですか?」

 

「はい。わかりました。」

 

「それでは、大川殿。みんなを下の広場に集めてください。」

 

「了解です。」

 

奈那は局長室から出ていった。そして優花里は再びため息をつく。戦争の悲劇とはまさにこのことだろう。彼女たちはこれからあまりにも重い十字架を背負って生きなければならない。この戦争さえなければ彼女たちは今でも幸せに暮らせたのだ。こんな紙切れ一つで人の人生は簡単に狂わせることができる。優花里は命令書を見つめながら怯えた。そしてゴクリと苦い唾を飲むと、局長室から出て広場に向かった。

優花里が広場に向かうと、すでに集合が完了し整列が終わっていた。優花里は皆の前に立つと訓示を始めた。

 

「皆さん。集まってくれてありがとうございます。皆さんに報告です。皆さんの初任務が西住殿の命令で下知されました。今回の任務は詳しくは言えませんが皆さんの手を汚すことになります。私はなるべく皆さんには罪悪感にとらわれることなく幸せに生きてほしいと心から願っています。だから、今回は志願制にします。無理やりやる必要はありません。皆さんには断る権利があります。周りの目など気にする必要もなければ気を使う必要もありません。皆さんは皆さんの意思で決めてください。5分間考える時間をあたえます。」

 

そういうと優花里は近くにあった椅子に座って目を瞑った。優花里が見ているともしかして威圧されてしまって本当は嫌なのに嫌々志願することになるかもしれない。そして、5分後優花里は目を開けてもう一度、演台に立つと静かに語りかけた。

 

「それでは、いきますよ…志願する者は…一歩前へ!」

 

するとどうだろう。優花里が声をかけると、全員が一糸乱れず一斉に前に出た。優花里は目を剥いた。

 

「皆さん…本当にいいんですか…?」

 

「はい!構いません!行かせてください!」

 

「私も行きたいです!」

 

「み、皆さん!落ち着いてください!本当にいいんですか?皆さんの手を汚すことになってしまいますよ?」

 

「優花里さんの命令ならそれでも構いません。」

 

優花里は唖然としていた。まさかそこまで皆が自分を慕ってくれているとは思っても見なかったのだ。優花里は今日何度目かの涙を流す。優花里の目は泣きすぎて真っ赤になっていた。

 

「わかりました…しかし、全員は多すぎるのでこの中から選抜したいと思います。今までの講義内のテストと今回行うテストを加味して総合的に上位5名を選抜します。」

 

優花里は少しでもミスがあったら容赦なく減点するなど厳しく採点し、事務長の大川奈那を除いて上位5名を選抜した。選ばれた者は誇らしげに、選ばれなかった者は選ばれた者を憧憬の眼差しで見ていた。優花里は皆の健闘をたたえた。そしてニッコリ笑った。

 

 

「今回はこの7名で任務にあたります。しかし、皆さん。本当にすごいです。成長しましたね。今回はかなり厳しく採点しましたが悪い点数の人はいません。皆さん全員が80点以上得点してます。それでは、私は西住殿に報告してきます。それでは皆さん。解散してください。」

 

優花里は再びみほの執務室に向かった。そして、優花里はみほに選抜したリストを差し出した。

 

「西住殿、今回は私含めリストにある7名でアンツィオに向かいます。」

 

「わかった。期待してるね。それじゃあ、早速今日から行ってきて。川島さんには知波単の輸送機を手配してもらうようにするから。」

 

みほは満足そうに頷くとパッと満開の花のような笑顔をこちらに向けた。

 

「え!?今日ですか!?」

 

優花里はあまりに早い出発に目を丸くした。するとみほの顔が曇る。みほはサーベルを手にしていまにも抜きそうな構えをした。

 

「何か不満でも…?」

 

「い、いえ不満などありません!」

 

対応を間違ったら今度こそみほに切られる。優花里は冷や汗をかき必死に否定した。

 

「よかった。また逆らうのかと思っちゃった。えへへへ。」

 

「そ、そんなことしませんよ…それでは、早速準備を始めます。」

 

「うん。よろしく。」

 

優花里は再び諜報活動局に戻り、選抜した5人と事務長の奈那に今日出発なので準備するように指示した。優花里は緊張で胸がドキドキしていた。もし、何かの事故で彼女たちを死なせたらと思うと胸が張り裂けそうだ。優花里は彼女たちを愛していた。それは、母性に基づかれたものである。そして、出発の時間が刻一刻と迫る。出発1時間前の夜7時、飛行機の飛行音が聞こえてきた。優花里たちが搭乗する知波単の輸送機が到着したのだ。そしてあっという間に離陸の時間になった。優花里たちが飛行機に乗り込むとみほが見送りに来た。みほはにこやかな笑顔を浮かべながら無邪気に手を振っている。優花里は悲しそうな目をしてみほの方を見ながら心の中でみほに問いかけた。

 

(西住殿…もうやめませんか…?こんなことして何になるのですか…?罪に罪を重ねて一体西住殿はどこに行こうというのですか…私をどこに連れて行ってしまうのですか…?西住殿…西住殿の心の中にはもう一筋の光さえないのですか…?恐怖で支配して逆らう者は皆殺しにして…それでは何も生まれない…失うものだらけです…私が憧れた西住殿はどこへ行ってしまったのですか…もう一度私に見せてください…憎しみで支配された西住殿はもう見たくない…その宇宙よりもブラックホールよりも暗い西住殿の闇を眩しくも優しい光で包んであげたい…西住殿…)

 

しかし、優花里の心からの願いは決してみほには届かない。みほは優花里に反逆という罪の重さを思い知らせるために優花里をさらに深い絶望の淵へと落とそうとしていた。みほに支配されるということがどういうことか優花里はその身で味わうことになる。

 

つづく


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