血塗られた戦車道   作:多治見国繁

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"私"が戦う影の戦争はやがて……


第131話 影の戦争第一戦線

薬物を溶かした溶液を注射された柴沼さんは、急に明るくなった。いやにニコニコして、声も大きく、気も大きくなっているようである。そこにいるのは柴沼さんではなかった。人間を捨てた怪物と化した何かである。尤も、そうさせたのは私なのだが。もはや、彼女を完全には治す手段はない。専門の機関で治療を施せばある程度は治るが、それも本人の相当な努力と禁断症状という過酷な試練を乗り越えなくてはならない。例えそれを乗り越えたとしても一度この甲第1号薬に手を出せば、脳を丸ごと入れ替えなくては完全には治らない。だから、作戦以外では決して使うな、自分に対して一時の好奇心に駆られて使うのは以ての外だと厳命されていた。さて、このまま高揚し騒いでいる彼女をここに置いておくわけにもいかない。ここでこのまま大騒ぎされて、隣の住民に風紀委員を呼ばれては困る。私は彼女の口にガムテープを貼り付けて、後ろ手に縛ったままスーツケースに詰め込む。口を塞がれ、スーツケースに詰め込まれているのに、認知機能か何かに異常をきたしているのか、ニコニコと相変わらず笑みを浮かべていた。改めてこの薬物の恐ろしさが身にしみてわかった。もちろん、私にも罪悪感がないわけではない。彼女を廃人にしようと企んだのは私であるから、心は痛んだ。でも、一度でも手を下してしまえば、案外簡単に慣れるものだ。このままいけば、殺害することも躊躇いもなく、手を下せそうだ。そして、私は自分に、この作戦はこれからの知波単の為に必要な犠牲だと暗示をかけることで、なんとかこの過酷な任務を乗り越えようとしていた。そうしたら不思議なことに段々とこれは良いことだと思うようになった。そのような考えに至ったのには訳がある。私はもともと、そう思うようになる素地が備わってしまっていたのだ。実は私はプラウダや黒森峰、サンダースに対して良くない感情、単刀直入に言えば大嫌いだったのだ。あの連中は間違いなく私たち知波単を侮辱している。奴らは、私たち知波単のことを突撃しか能のない連中だとか無能だとか思っているのだ。これは私の本物の友人である、知波単生徒会外交部の人間から聞いた話だから信用できる話だが、奴らは外交交渉の場でも高圧的な態度で終始高慢らしい。奴らは完全に私たちを舐めていた。許し難いことだった。だから、そのような差別的な考えを持つ、黒森峰、サンダース、そしてその中でも特に凶悪で暴戻なるプラウダに支配されるよりは西住隊長の傘下に加わる方が幸せになれるはずだと確信していた。実際に西住隊長は奴らと違い、私たち知波単を対等に扱ってくれるばかりか、貴重で必要な戦力とみなしてくれていた。確かに、西住隊長は敵対陣営の街を焼き尽くし、敵を殺し尽くし、奪えるものは全て人も物も奪い尽くすという西住隊長の戦い方には川島さんや小松課長は許される行為ではないと本人の前で直接的には言わないにしろ、批判していたし、私自身も疑問には思っていた。それでも、私はそうした犠牲は些末であると捉え、西住隊長の軍事行動をほぼ全面的に支持していた。この時、かねがね苦々しく思っていた差別主義者たちに、西住隊長は牙を剥き、奴らの鼻っ柱をへし折ってくれた。聞くところによれば、西住隊長は大洗であのサンダースに支援を受けた大洗女子学園生徒会を追い詰めて、壊滅まであと一歩だという。私たち知波単学園は、もともとの設立経緯からか、反米保守思想が我が知波単の学園艦中を席巻している。私もそこの生徒だから反米保守思想であり、米国と強いつながりを持ち親米であるサンダースが支持している勢力を打ち破ろうとしているということは実に爽快だった。それに加えて、今回の作戦を提示されたことにより、西住隊長は、常に関東を窺い、西に影響力を持とうとしているプラウダといずれは手を切り、戦火を交えることが明確に示された。私は、この作戦が発令されるまで、西住隊長は実は親プラウダ派なのではなかろうかと懸念していたがどうやら杞憂だったようだ。

さて、私は制服からスーツに着替え、片手に柴沼さんを押し込んだスーツケースを持ち、学園艦に外部から訪れた人たち用に開設されているホテルへと向かった。私は、潤沢な諜報活動費の一部を使ってかなり長い期間、ホテルの一室を押さえていた。ホテルは私の寮からそこまで離れていない。せいぜい徒歩5分程度だ。すぐに到着したが、鬼門はチェックインだ。怪しまれないか若干、不安だったが、スーツ姿だった為か特に怪しまれることもなかった。問題なくチェックインを済ませた後、客室へと向かった。客室に到着すると、私はすぐに柴沼さんが入ったスーツケースを開ける。あまりモタモタすると、酸欠で死ぬかもしれない。死んでしまってはせっかく手に入れた情報源を失ってしまう。それでは何の意味もない。急いでスーツケースを開けると柴沼さんは笑っていた。不気味だったが、意識があって私はほっとした。彼女を抱きかかえるようにしてスーツケースから出すと、そのままベッドに寝かせて、手枷と足枷を三重にかけた。更に口に貼り付けたガムテープを新しいものに変えるために剥がす。すると、柴沼さんは楽しそうに大声で笑いながら言った。

 

「あっはははは!こんなに楽しい気分なのは初めて!うわぁ!綺麗!この世のものとは思えない!あっはははは!」

 

彼女の目は据わっていた。これ以上、騒がれたらまずい。私は慌てて新しいガムテープを貼り付けてその上に布切れを巻き、柴沼さんを決して逃れることも声を出すこともできないような状態にした。それでも、彼女は笑っていた。私は彼女の耳元で囁く。

 

「しばらくそこでおとなしくしていてくださいね。逃げようとしても無駄ですよ。」

 

私はそう言い残すと柴沼さんを置いてホテルを出た。風紀委員の動きを調査し把握するためだ。時間帯別に数回調査して、どの時間帯で武装蜂起するのが適当かを決定する。まず、学園艦の地図を手に適当に歩き回って風紀委員の様子とどこに何人いるのかを探る。地図上ではこの学園艦は10の街区に分けられていて、風紀委員の詰所、陸地でいうところの交番が10の街区のうち、5つの街区にあるようだ。まずは、この夕方の時間帯、風紀委員詰所に何人の人間がいるのか調査する。防諜の関係上、メモに残すわけにはいかない。しかし、この程度のことなら頭に入れられるから、そこまで苦ではない。私は怪しまれないようにそれぞれの詰所近くにあるビルから双眼鏡を覗き込んで詰所の様子を窺う。すると、5つある詰所のうち、この時間帯に3人以上いる詰所が2つで他は無人だった。それらの詰所が常に無人であるのかは別途に他の時間帯で調査がいる。残り3つの詰所は有人で、そのうちの1つ、ちょうど戦車隊格納庫の目と鼻の先にある詰所だが、その詰所は5人ほどの風紀委員がいた。地図を見るとそこには幹部詰所と記載があった。陸地でも、幹部交番や警部交番と呼ばれるものがある。幹部交番とは、警察署の統合などによる警察力の空白地帯を生まないように大規模な交番を設置し、逆に治安維持能力を高めるものだが、戦車隊格納庫前に置かれている風紀委員幹部詰所はそれとは大きく性格を異にしていた。継続高校風紀委員会が公開している文書の1つである幹部詰所の組織図の中に警備課情報係に所属している委員が常駐していると書かれていた。これは、陸上の公安警察に相当するものだ。風紀委員会が戦車隊を監視及び捜査対象にしていることは明白だった。これは、戦車隊を武装蜂起させるのは骨が折れそうな予感がしていた。とりあえず、今日は幹部詰所の夜間のシフトを確認することにした。私は、幹部詰所近くのビルの屋上に上がり監視を続ける。2時間くらいすると幹部詰所から2人の人間が出てきた。今日は3人が夜勤らしい。その後もしばらく監視を続けたがその後は特に変化はない。やがて定例の報告時間になった。ここで、電話をかけてもいいが盗聴の可能性もある。幹部詰所から少し離れたところで携帯電話から電話をかけることになった。相手の猪俣さんは1コール以内に出る。合言葉を交換し、相手の素性の確認が済むと、今日の報告をする。

 

「本日の報告です。本日は、学校に登校し、私が配属されたクラス全員の生徒と友人になりました。その中には、戦車隊の隊員が含まれています。本名は聞き出せませんでしたが、アキと名乗り、隊長車の装填手兼砲塔旋回手を務めているようです。また、生徒会の外交部北海道・東北地方学園艦課から接触があり、私にプラウダ高校の情報を求めてきました。その中の1人、柴沼という人物ですが、彼女を情報源とし甲第1号薬を生徒会に蔓延させる起点とするために注射で投与しました。現在、彼女は継続高校学園艦内のホテルに監禁しています。また、本日は風紀委員会の人員調査を行いました。まだ、全ての時間帯における調査が完了しているわけではないので何とも言い難いところもありますが、今日の夕方は5つある詰所のうち2つが無人、3つが有人でした。そのうちの1つ、戦車隊格納庫のそばにある幹部詰所では5人がいましたが、途中で2人が帰宅し、本日の夜間は3人体制になると思われます。以上、本日の報告です。」

 

「報告ありがとうございます。風紀委員についてはそのまま調査を続けてください。生徒会に関しては随分大胆な手を打ちましたね。わかっているとは思いますが、くれぐれも慎重に、こちらの計画が露見しないようにしてください。全ては知波単の為に。」

 

「分かりました。このまま慎重に調査と蔓延拡大に務めます。全ては知波単の為に。」

 

そう言うと電話は切れた。私はこの後、先程までいた幹部詰所近くのビルの屋上へ再び向かった。そして、深夜まで監視を続けたが深夜2時くらいに寮へと戻って一眠りした。次の日の朝、皆が起きだす前5時くらいに起きてホテルへと向かう。柴沼さんを監禁している客室へ向かった。客室には、薬効が切れてダランと体をベットの上に投げ出す柴沼さんがいた。どうやら薬効が切れたようだ。疲れた顔をしている。私は柴沼さんのベッドの側に立って見下ろす。

 

「おはようございます。柴沼さん。」

 

柴沼さんは何かを求めるかのような顔をしていた。柴沼さんの口に貼られたテープを剥がすと、柴沼さんは弱々しく辛そうに口を開いた。

 

「あ、あの……あれをください……あれをもう一度私に……打ってください……辛くて死んでしまいそうです……」

 

私がスーツの懐から甲第1号薬と注射器を差し出すとハアハアと息を荒げて大きく目を剥く。

 

「あ……ああ……!打って……!それを打って……!早く……!早く……!お願い……!」

 

薬が入った小分けの袋を柴沼さんの顔先に持っていくと手枷をガチャガチャと鳴らしていた。

 

「いいでしょう。その代わり、2つの約束を絶対守ってもらいます。1つ目、誰にも私のことは言わないこと。2つ目、この薬物をできる限り多くの人に広めること。特に、1つ目の約束は絶対に守ってくださいね。私のことを誰かに言ったら……分かってますよね。私はいつでもあなたのことを監視しています。私の監視からは絶対に逃れられないと思ってくださいね。私、これでもこうしたことのプロなんですよ。もし、誰かに言ったら……そうですね。あなたはもちろん、言った人、あなたとその人の家族も皆殺しにします。私はなるべく自分の手を血に染めたくない。だから……もう言わなくてもわかりますね……?」

 

柴沼さんは頭を激しく縦に振った。私はにっこり微笑んで注射器に結晶と水を入れ、溶剤を腕に打った。柴沼さんは気持ち良さそうな蕩けた顔をしていた。

30分くらい強烈な興奮状態になるので経過後に足枷と手枷を外して注射器の薬物が入った袋をいくつか手渡した。柴沼さんは奪い取るように受け取って愛おしそうに頬ずりしていた。柴沼さんをそれを大切そうにスカートのポケットに入れる。今の時間ならまだ、受付にも人はいない。私はこっそり柴沼さんの通学鞄に盗聴器と発信機を忍ばせて寮へ帰した。私も寮へと戻り、学校へと向かい1日が始まった。

それから、しばらくは学校に通いながら、途中で早退したり遅刻したりしながら風紀委員に関する調査を朝晩問わずに行いながら、柴沼さんの手を借りながら外交部を中心に生徒会を薬物で汚染していった。外交部では、プラウダとの難しい交渉に疲れた職員が、次々と手を染めていき、あっという間に蔓延した。猪俣さんが蜂谷真由美先生として赴任してくるまでの6日間の間でなんと半数の東北・北海道地方学園艦課職員が薬物に手を染めたのであった。学園艦唯一の警察組織である風紀委員会もどうやら、人手不足のため、戦車隊の監視で手一杯らしく、闇の中で出回る"キケンな白い粉"に気がつく様子もなかった。また、この1週間で交友関係は大分広がった。一般の生徒とはもちろん、生徒会、そして戦車隊と幅広い人脈を築いていた。

そして、翌週の月曜日、遂に蜂谷真由美先生こと猪俣弥生さんが継続高校へとやってきた。その日、私は柴沼さんの寮へ立ち寄った。インターホンを鳴らすと柴沼さんは主人の帰宅を待っていた子犬のようにかけてきて扉が開かれた。私は山のような薬物と注射器を渡す。すると、柴沼さんは震える手でそれを奪い取り、注射器の中にたっぷり薬物を入れて自分の腕に打った。だんだんと薬物の量が多くなっているようだった。どんどん廃人になっていく様子がありありとわかった。私はそれを尻目に寮から出ると珍しく朝から遅刻することなく、学校へと向かった。全校集会で体育館に集められて、紹介された。紹介によると、普通科の2年生全クラスと3年生の一部で世界史を教えるらしい。私も2年生だから"蜂谷先生"の世界史を受けることになる。それは大変素晴らしいことだった。 今まで色々と教員に言い訳して早退したり遅刻したりしていたので、最近はあまりにも頻度が多く、怪しまれ、すんなりとできなくなっていたから、幾分楽になる。今日早速、世界史の授業でその手を使った。風紀委員会の各時間帯の詰所の人員状況は先週の調査で大分把握できてきたが確実に毎週そのような実態なのかと問われても自信がない。追加調査が必要なのだ。当然、そのような事情は同じ世界にいる人間同士だからよく理解してるので当然許可された。その日も一通り調査して、放課後になった。大体傾向は掴めたし特にいつもと変わりはない。あと2、3日ほど調査し、何も変化がないようであれば人員状況については総括を行なっても問題はないだろう。

さて、その日の深夜のことだ。私は猪俣さんと情報を交換するため、諜報任務用に用意したあの例のホテルに来ていた。猪俣さんには学校で、別れ際に今日の定例報告の時間と場所を指定しておいた。猪俣さんは既に到着していて私を待っていた。扉を叩き、いつものように合言葉を確認して中に入り、いつもと同じように状況の報告を行った。その日の定例報告で、風紀委員詰所の人員配置状況の傾向が大分掴めてきている旨を、伝えて今のところの中間の調査結果を報告した。この時報告した内容は次のとおりである。

 

1.初回調査時有人詰所について

・初回調査時有人の詰所は常に有人であることが確認された。

2.初回調査時無人詰所について

・常に無人の詰所とその時々で有人だったり無人だったりする詰所がある確認された。

3.幹部詰所について

・幹部詰所は朝と昼間は常に5人体制、夜は3人になり、他の有人詰所は朝と昼間は3人体制、夜は1人になることが確認された

4.今後の方針

・今後2・3日ほど調査を続行し総括とする

・今後の生徒会および戦車隊への工作は協議によって決定する

 

報告と方針に対して、猪俣さんは了承し、私は報告を終え、猪俣さんの報告する番になった。報告によると、猪俣さんは生徒会の中で唯一教員が所属することができる組織である、生徒会監査部に配属されることになったとの報告を受けた。それを受けて、協議の結果、風紀委員の人員配置状況の総括が終わったら、私は主に戦車隊への工作、猪俣さんが生徒会への工作を行う所謂、分業体制をとることが決定されたのであった。また、生徒会への薬物蔓延工作については猪俣さんが引き継ぐことになり、柴沼さんにもその旨は通達した。そして3日後、風紀委員会人員配置状況について状況は特に変化がない為、総括が行われ、一旦風紀委員会に対する調査は終了となった。そして、私は本腰を入れて戦車隊への工作を行うことになったのである。

戦車隊への工作はすぐに始まった。同じクラスのアキさんからはずっと是非とも練習を見に来て欲しいと誘われていたので接触に関しては全く苦労することはなかった。アキさんには今までの早退や遅刻の理由を引っ越し疲れと環境の変化による体調不良と言っていたので、気を使ってか、しばらく見学のお誘いはなかったが私から声をかけたことによって回復と見学の申し出を大層喜んでくれた。アキさんには今日の放課後にでも練習を見にいくと伝えていた。放課後、アキさんは私を連れて学校の敷地外にある戦車道格納庫に向かった。格納庫が戦車隊のブリーフィングルームを兼ねていた。アキさんが扉を開けると注目がアキさんに集まる。格納庫の中には戦車隊員が集まっていた。皆、思い思いに話や練習の準備をしていた。継続高校はそこまでお金持ちではないから、弾も整備用品も何もかもが不足している。だから、聞くところによれば毎日練習があるわけではないようだ。今回、たまたまある方法で弾が手に入ったから練習が行われるらしい。皆、気合が入っていた。

 

「あ、アキ!やっときた!練習始まっちゃうよ!あれ……?新人さん?」

 

私に一気に皆の注目が集まる。アキさんは私を皆に紹介する。

 

「うん。そうだよ。この間、転校してきた前田愛美ちゃんだよ。この間から見学に誘ってたのだけど、転校してきた疲れで体調崩しちゃってたけど、大分、落ち着いてきたからって今日見に来ててくれたの。みんな、仲良くしてあげてね!」

 

私はぺこりと頭を下げて挨拶をした。

 

「前田愛美です。よろしくお願いします。ずっとお誘いを受けてたのですけど、体調を崩しちゃってて……でも、今日は楽しみにしていたのでよろしくお願いします。」

 

私の挨拶にアキさんが思わず笑い声をあげた。

 

「愛美ちゃん、固いよ。もっとリラックスして!」

 

「は……う、うん。」

 

私は思わず「はい。」と言いかけたが私の砕けた返事を聞いて嬉しそうに笑っていた。

 

「よし、それじゃあ練習始めようか!愛美ちゃんに格好いいとこ見せよう!」

 

アキさんが声をかけると、一人、離れたところでカンテレを弾いている不思議な雰囲気な女性が口を開いた。

 

「格好良い。それは、戦車道に必要なことかな。」

 

この人はミカという。彼女もまたアキさんと同じように名字は名乗らなかったが、3年生でこの人こそ、この継続高校の戦車隊を率いる隊長である。また、ミカさんは戦場の哲学者としても名高く、異彩を放った人物だ。アキさんはそのようなミカさんに対して頰を膨らませた。

 

「もう!ミカはまたそんなこと言って!せっかく見にきてくれているのだから格好良い姿を見せようとするのは当たり前でしょ!」

 

ミカさんはカンテレを弾きながら言った。

 

「戦車道はね、人生の大切な全てのことが詰まっているんだよ。だから、彼女にはそれを見せてあげるといいんじゃないかな。」

 

そう言って、ミカさんは戦車に乗り込んだ。

 

「もう、なによそれ。愛美ちゃん。あそこの監視塔で見てて。」

 

アキさんは、そう言うと後を追うように隊長車に乗り込んだ。私は、言われた通り監視塔に登って練習を見学した。今まで私は戦車道が盛んな知波単にいながらも、戦車道の見学をしたことはなかったが、なるほどなかなか面白い。少し離れたところからでも爆音が響いて迫力がある。しかも、あの巨体を自由自在に動かし全て標的に当てた。しかも、資金が少なく、整備が不完全な戦車も多いというのが実情だ。一発たりとも無駄にはしない。実に見事だった。やがて、練習が終わって隊員たちは格納庫に戻ってきた。私も格納庫で皆を迎える。

 

「すごいです!私、戦車道を見たの初めてだったんです!精錬されていて素晴らしいものでした!戦車があんなに自由自在に動くなんて……!」

 

私は拍手をして皆を称えた。これは素直な嘘のない反応だった。

そんな私を見て、ミカさんを除いた隊員たち皆か嬉しそうな顔をしていた。ミカさんは、いつもと同じように澄ました顔で微笑を湛えながらカンテラを弾いていた。アキさんは嬉しそうに満面の笑みを浮かべて口を開いた。

 

「えへへへ。そんなに絶賛されると照れちゃうよ。」

 

その後、私たちはお互いの親睦を深めるために、色々と話をした。とても和気藹々とした楽しいものだった。しかし、1人の隊員によるある質問によって場の雰囲気は180度違うものになった。

 

「前の学校はどんな学校にいたの。」

 

ミッコという隊員だった。彼女は隊長車の操縦手を務めている。その操縦術はまさに魔法といっても過言ではないものだった。私にこの質問をしたミッコさんの目には私に対しての明らかな不信感があった。継続高校を取り巻く情勢から判断すれば、当たり前のことだろうとは思う。これは好機だ。これを機に工作を始めよう。私は設定通りの答えを返した。

 

「東北の方です。」

 

それを聞いた途端、皆の表情が変わった。笑顔を作っているが、目が笑っていない。ミッコさんはさらに不信感を増した表情をしていた。

 

「ふうん。東北ね。東北っていったらプラウダの勢力圏内だよね。まさかとは思うけど愛美……」

 

それに割り込むようにしてアキさんが憤りの声をあげた。

 

「ミッコ!こんな時にそんな話持ち出さないでよ!今は関係ないでしょ!?ミカも黙ってないでなんとか言ってよ!」

 

さらにその非難の声に割り込むようにしてミッコさんが口を開いた。

 

「アキは黙ってて。みんな、この子を縛って拘束して。」

 

ミッコさんの指示で、私は近くにあった椅子に数人の隊員の手で拘束された。諜報員である私が拘束されるとは不覚だった。

 

「な、何するんですか!?」

 

私はあえて抗議の声をあげた。ミッコさんは何かを見定めるように私の瞳を見つめながら問う。

 

「単刀直入に聞くね。君、東北の学校から来たっていったけどプラウダのスパイとかじゃないよね?」

 

その言葉を聞いて私はメソメソ泣く演技をした。

 

「スパイ……?そんな……酷いです……」

 

アキさんは私を擁護してくれる。私の背中をさすりながらキッとミッコさんを睨んだ。

 

「ミッコ!なんてこと言うのよ!そんなわけがないじゃない!いくら何でも酷いよ!愛美ちゃん泣いちゃったじゃない!突然こんなことして本当にごめんね……全く……スパイだなんて……」

 

アキさんは懸命に私を宥めながら励まそうとしてくれた。しかし、このまま武装蜂起の方向へと持っていくためにアキさんには申し訳ないが、そのまま泣く演技を続けた。

 

「屈辱です……!私は……私は……プラウダの迫害を逃れてやっとの思いでここまで来たと言うのに……!!」

 

私は叫び声をあげた。私の叫び声に皆、一瞬たじろいだ。アキさんも、ミッコさんも何を言っているのかわからないという顔をして、大きく目を見開いて戸惑っている。しばらく沈黙が続いた。ものすごく長い沈黙に感じた。

 

「え……?プラウダの……迫害……!?どう言うこと……?」

 

やっとの思いで口を開いたのはアキさんだった。私は、このシナリオの核心をつく話を迫真の演技で話した。

 

「私は……私は……これで転校は2回目なんです……一番はじめはプラウダにいました……私は本当に楽しい学校生活を送っていたんです……あの暴君が戦車部隊を掌握し、実権を握るまでは……」

 

「暴君って……?まさか……」

 

「そうですよ……!カチューシャです……!カチューシャが実権を握ってからはプラウダの学園艦は地獄になりました……監視社会になったんです……そして、逆らう者は全員シベリア送りという名で氷点下ともなる冬の北海道の地で何日も何日も働かされるんです……満足な食事も与えられず……寝床も暖房も何もかもがなくて……想像できますか……!?私は、カチューシャに意見しました。やりすぎだと。その結果私は追われる身になったのです……私も、シベリア送りとなりました……そして、何日も何日も寒くてひもじい思いをしながら強制労働です……私は学校を愛していました……でも、私も生きる為に逃げました……仲間を置いて……仲間がどうなったかはわかりません……もしかしたら連帯責任で殺されているかも……必死に逃げて逃げて逃げ続けました……そして、ようやく東北にたどり着き、私はそこで生活を始め、学校に通い始めました……プラウダに見つかるかもしれないから陸の学校です。苦労しました……食べていくのにも大変で……学費も含めるとあっという間にお金は底をつきました……でも……学校ではみんな優しくしてくれて楽しかった……なのにそんな幸せは長くは続きませんでした……プラウダが私のことを見つけたんです……だから、また私は逃げました。そして、反プラウダで有名な継続ならば、きっと大丈夫だと信じてここまでやってきました……なのに……疑われて……よりにもよって……あの……あの……プラウダのスパイかですって……?ふざけないでくださいよ……!私がどんな思いでここまできたのかも知らないで……!」

 

私の話はもちろん全てが真っ赤な嘘だ。しかし、私のあまりにも悲痛な演技に皆、ころっと簡単に面白いように騙された。皆はこれが本当にあった出来事だとおもって俯いている。涙を流している生徒もいる。アキさんは声に出して思い切り泣きじゃくり、私の体から縄を解いて抱きしめてくれた。その小さな体は恐怖で震えていた。

 

「大丈夫……もう大丈夫だよ……そんな辛い思いをしてきたなんて……私、知らなかった……させないよ……プラウダから愛美ちゃんを守ってみせる。だから安心してよ……」

 

ミッコさんは明らかに憤っていた。それは、自分自身にもプラウダにもだ。悔しそうにギュッと拳を握って怒りに震える。

 

「ごめん……私が間違ってたよ……私、何してんだろう……何も罪もない人をこんな傷つけて……本来の敵を見失っていたよ……プラウダがこんなだったなんて……それなのに生徒会は……許せない……!」

 

ミカさんは表情には出さず、いつものように優しげな微笑を浮かべてカンテレを弾いていた。でも、その手は震えているように見えた。そして、ミカさんもようやく口を開いた。

 

「ここにいる仲間が君を助けてくれるはずさ。」

 

そう一言だけ私に告げた。こんなに皆が疑いもなく簡単に引っかかると思っていなかった。は罪悪感でいっぱいになったが、一先ずは反プラウダの空気を醸成することができた。さて、後はある言葉を戦車隊の誰かの口から聞き、私がそれを一押しするだけで一気に火は燃え上がるはずだ。私はその言葉を待っていた。すると、その言葉はすぐに紡がれた。

 

「なら、何としても阻止しなくちゃね。生徒会の計画を……」

 

その言葉を言ったのは意外な人物だった。アキさんだ。私は演技を続ける。悲劇の少女、前田愛美として。

 

「え……?生徒会の計画……?」

 

「うん、生徒会がプラウダと手を組もうとしているの。」

 

私は恐怖に怯えた顔をして思いきりかぶりを振った。

 

「い……嫌だ……!やめて……!お願い……お願いだからプラウダなんかと手を組まないで……!地獄を味わうことになるわよ……!何としても阻止して!お願い!あなたたちのその戦車という力を使ってでも!」

 

私は最後の一押しとなる言葉を紡いだ。アキさんを始め継続の戦車隊の面々は力強く頷いた。一人、ミカさんを除いて。これで、何か事件があればほとんどの確率で戦車隊は動くことになると判断してほぼ間違いないだろう。ただ、懸案があった。それは、ミカさんの反応である。ミカさんを見る限り、あまり行動を起こすことに乗り気ではないような感じがした。ミカさんは確固たる信念を持っている。ミカさんはよっぽどなことがない限り動くことはないだろう。例えば、身近な人に危害が加わるとか。何かしらの対策を考える必要があった。これは、猪俣さんと相談して決めることにしよう。排除か巻き込むか。いずれにせよ、間違いないことはどの道を進もうとも行き着く先は地獄であるということただ一点だ。私が一度つけた火はあっという間に継続高校の隅々まで広がり、猛火として包み込むことになり、私を含めて地獄を見ることになったのである。

つづく

 




次回の更新は終戦の日、特別編として大洗戦線に参加した名もない二人の元兵士のお話です。
彼女たちは戦場で何を見たのでしょう。
8/15の21:00更新を目指します。
よろしくお願いします。

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