血塗られた戦車道   作:多治見国繁

106 / 150
本日からまた本編へ戻ります。
今日は30年後のお話です。
山田舞はアンチョビたちと別れて、冷泉麻子と秋山優花里の勤務する東京帝国大学へ…

東日本大震災から7年が経ちました。
震災により亡くなられた方へのご冥福をお祈りいたします。また、被災地が一刻も早く復興できることをお祈りします。


第99話 大学見学

カルパッチョ、本名落合陽菜美の話を聞いていると、あっという間に時間が来てしまった。時が過ぎ去るのは早いものだ。時計の針は20:00を指していた。今回は初めての取材であるから、あまり長居するわけにはいかない。名古屋に滞在するのは1日、泊まるにしても次の日の朝早くには帰る予定であった。もっとたくさん話を聞きたいところだが今回はこれで取材を終わりである。

 

「皆さん。本日は取材を受けていただきありがとうございました。」

 

「いえいえ。こちらこそお話を聞いて貰ってありがとうございます。お仕事の役に立つと嬉しいです。あの事件がなんだったのか、どうしてペパロニさんが死ななければいけなかったのか。解き明かしてください。そして、ペパロニさんたちの無念を晴らしてあげてください。」

 

カルパッチョは穏やかに言った。私は、今回の取材の最後に一つだけ提案をしてみた。私はカルパッチョとアンチョビにかつて敵だった者たち、秋山優花里、澤梓、冷泉麻子に会ってみないかと話を持ちかけてみた。本来ならば提案するのも躊躇われるが、交流することにより謎が解明できると考えたからである。アンチョビは是非会ってみたいと快諾したが、カルパッチョの反応は違っていた。カルパッチョは身体を震わせて顔は穏やかに笑っているが目は全く笑っていないという表情をしていた。綺麗に澄んでいた瞳はいつの間にか濁りきっている。私は恐ろしくて思わず目をそらす。

 

「冷泉麻子さんと秋山優花里さんとは会ってみたいです。冷泉さんは私の命の恩人ですし、秋山さんにはなぜドゥーチェを連れ去るなんてことをしたのか本当の話を聞いてみたい。でも……澤梓……彼女だけは……」

 

「澤梓さんとカルパッチョさんとの間に一体何が……?」

 

カルパッチョは目に涙を浮かべて言い澱む。あまり思い出したくないと言った様子だった。カルパッチョは俯いて少し困ったような表情をしている。数分後、突然カルパッチョは顔をあげて目を大きく見開いた。彼女の大きく見開かれた目は憎しみに支配されていた。

 

「彼女は私の大切な人を……私は彼女を許さない!彼女は極刑に処されるべき悪魔です!あの女悪魔、今までよく平気な顔してのうのうと生きてきたものです!私たちがこんなに苦しんでいるのに……許さない!絶対に許さない!」

 

カルパッチョは半狂乱のような状態になって叫びまくっていた。何があったのかは全くわからないがとにかく今のカルパッチョを澤梓たちに近づけると何かしらの重大事件になりそうなのはよくわかった。カルパッチョを澤梓たちと引き合わせることは残念だが断念せざるを得ない。カルパッチョも今の自分の状態はよくわかっていたようで、こんな状態で会うと澤梓を殺しかねないからと断られた。妥当な判断である。もし、カルパッチョがこんな状態で面会したいなどと言ったらどうしようかと内心ヒヤヒヤしていたので非常に助かった。

 

「そうですか……せっかくの機会でしたが残念です……」

 

私はうわべだけの言葉を並び立てた。私は内心、カルパッチョに恐怖を感じていた。今まで穏やかに話していたのにいきなり豹変したのだ。あの暗く濁った目は誰かを殺してしまいそうな目だった。

 

「お役に立てずにすみません。」

 

彼女は再び穏やかに笑う。彼女の憎しみの目はすっかり息を潜めていた。私は穏やかに笑うカルパッチョを見て安堵し長く息を吐く。その後、私は食事に誘われた。しかし、新幹線の時刻が迫っていたので丁重にお断りしておいた。アンチョビたちは残念そうな顔をしていたし、私も内心一緒に食事をしたかったが予約してしまっていたので仕方がない。私は見送りのアンチョビとカルパッチョと一緒に名古屋駅に戻った。二人は、まだ話し足りないからまた来て欲しいし、今度は夜も一緒に食べようと話してくれた。私は喜んで快諾して、アンチョビとカルパッチョ二人と連絡先を交換し、名古屋駅の新幹線改札口で別れ、東京に戻った。

次の日、私は東京帝国大学に来ていた。冷泉麻子と秋山優花里に会うためだ。最初、冷泉麻子から「会わせたい人がいる」と言われて誘いを受けた時は午後に待ち合わせていたが、秋山優花里からもあの元気な声で「私の研究室にも遊びに来てください!」と言われたため午前からになった。私は門に立っていた守衛に秋山優花里たちと約束があると伝え、学内に入った。私は早速、全学共通科の建物に向かう。その建物の11階に秋山優花里の研究室があった。私は、エレベーターに乗って11階のボタンを押した。そのフロアは秋山優花里と同じように戦車道審判課程の教員たちの研究室のフロアのようだ。10部屋中7部屋は秋山優花里と同じ戦車道審判課程の教員たちの研究室だった。それぞれの部屋に誰の研究室かわかるように表札がかけられている。さすが女子の嗜みとされているだけあって戦車道課程の8割の教員が女性であった。おそらく元選手だった者たちも多いのだろうと思いつつその表札の名前を歩きながら一つずつ確認していると、ある人の名前が目に飛び込んで来た。松風鈴、かつてタンカスロン競技で名を馳せた名操縦手であった。私は驚きしばらくその場で立ち止まってしまった。松風研究室の扉に一枚の写真が貼られていた。その写真は確かにあの松風鈴と鶴姫しずかの写真だった。私はタンカスロンの元選手が教員として所属していることに驚いた。研究室の扉を叩いて今の彼女の姿を見てみたいと思ったが、約束がないのに尋ねるのは失礼である。残念だが、私はマナー違反の人間にはなりたくないからやめておいた。気を取り直し私は再び秋山優花里の研究室を探した。秋山研究室は廊下の一番奥にあった。入り口にある無機質な表札に"全学共通科 戦車道審判課程准教授秋山優花里"と書かれている。秋山優花里の研究室に間違いない。秋山優花里の研究室の扉には軍人らしき人物のポスターが貼られていた。中の様子はわからないが電気がついている。どうやら中にいるようだ。研究室の扉を3回ノックした。

 

「はーい!どうぞ!入ってください!」

 

「失礼します。今日約束しました山田です。」

 

秋山研究室の扉を開けると私の目の前に本の山が飛び込んで来た。秋山優花里の声は聞こえるが本の山に埋もれているのかどこにいるかわからない。私が唖然としていると突然ガサリと本の山が崩れて、小さな悲鳴が聞こえたと思ったら本の中から秋山優花里が顔をひょっこりのぞかせた。

 

「あいたたた……また崩れてきちゃいました……こんにちは。山田殿!ようこそ秋山研究室へ!」

 

「こんにちは……秋山さん。それにしてもすごい数の本ですね……」

 

「あははは……研究者に文献は命ですからね。でも、私は他の研究者より特に本が多いかもしれません。まあまあ、とりあえず座ってください。」

 

秋山優花里は本の山を指差しながら言った。本に座れということなのだろうか。困惑していると秋山優花里はやおら慌て始めた。

 

「あ!すみません!すぐ片付けますから!」

 

そして秋山優花里はまたバタバタと本を部屋の反対側の山に積み上げる。すると本で埋もれていた場所から応接用の椅子と机が現れた。私は秋山優花里に椅子を勧められてかけて改めて部屋を見渡してみた。部屋中本だらけだ。胸の位置の高さにまで積み上げれた本の山が部屋中にある。さらに本棚にもぎっしりと本が詰まっていた。

 

「それにしてもこの本の量は圧巻です。何冊くらいあるんですか?」

 

「えっと、この部屋だけだと5000冊くらいですかね。」

 

「そ、そんなに!いったいどんな本があるんですか?」

 

「私の専門の戦車戦略論と地政学の本が6割、戦車道に関する本が4割といったところですね。まあ、他にも論文とかもありますけど。日本語だけじゃなくてドイツ語やロシア語英語などで書かれた本もありますから蔵書が増えてしまったんですよ。これらの本は本棚に入りきらないんです。教務に本棚をもっと増やして欲しいって言ってるんですけどね。」

 

秋山優花里は遠い目をしながら言った。そのあと、私は秋山優花里の研究について尋ねた。秋山優花里はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに目を輝かせて私に個人レクチャーをしてくれた。秋山優花里の講義は面白い。色々なエピソードを交えて戦車戦略論を講義してくれた。秋山優花里も楽しそうだ。こんなに面白い講義を熱心な教員から受ける学生は幸せ者だ。秋山優花里の個人講義を受けていると1コマ目終了のチャイムが鳴った。

 

「あ、1限目終わってしまいましたね。実は私、次の時間全学共通科目の地政学概論の講義なんです。よかったら授業の体験してみませんか?」

 

「いいんですか!ぜひ!」

 

「はい!もちろん!それでは、私は講義の準備があるので先に行っててください。講義室は9号館の926講義室です。また、講義の終了後前に来てください。」

 

「わかりました。」

 

私は秋山研究室を出て秋山優花里に指定された講義室に向かった。9号館はここからそこまで離れていない。迷うことなくすぐにたどり着くことができた。私は秋山優花里から手渡された聴講生の名札を下げて講義室の中に入ると中には沢山の学生たちがいた。私は適当な席に座る。私は講義が始まるまで何もせずに椅子に座っていた。すると隣に女子学生がやってきた。

 

「ここ、よろしいですか?」

 

丁寧で清楚な感じの女子学生だった。私はもちろんというと学生はにこりと微笑んで席に着く。

 

「こんなに若い聴講生の方は初めてです。聴講生の方は大抵おじいさんやおばあさんばかりなので。」

 

「あははは。若いだなんてお上手ですね。もうおばさんですよ?実は私、秋山優花里准教授と知り合いで、見学してみないかと言われて講義を受けにきたんですよ。秋山先生の講義っておもしろいですか?誰にも言わないからいつもの様子を教えてくれませんか?」

 

すると、その学生は目を輝かせながら楽しそうに言った。

 

「とっても楽しいですよ。秋山先生は熱心でとてもわかりやすくて。毎回小レポート書かされるのが少し大変ですけど。でも、話自体はとってもおもしろいです。あと、よく脱線するんですけどそれもまた最高に面白くて興味深い。こんな評価が高い先生はなかなかいませんよ。だいたい全学でこんなに満杯になる授業も珍しいですし。」

 

「へえ〜。いいなあ。私もそんな先生に教えを受けたかったものです。ありがとうございます。」

 

「そちらは秋山先生とはどんなご関係で?」

 

「私はフリーの記者をしていまして、秋山先生の取材をしているんです。それで実は今日も取材に来たんです。」

 

「ああ、なるほど。そういうことですか。お仕事頑張ってください。あ、もうすぐ時間ですね。秋山先生の授業、楽しんでいってください。」

 

「ありがとうございます。」

 

始業を伝えるチャイムが鳴った。秋山優花里は時間ぴったりに入って来てパソコンのプレゼンソフトを立ち上げて講義を始めた。今日はフリードリッヒ・ラッツェルの理論についてだった。講義によると彼はドイツの政治地理学者であり、彼の理論はビスマルク時代における植民地獲得の外交政策の理論的根拠として用いられた。ラッツェルの考えによると国家を単なる国民の集合体としてとらえるのではなく、国土と国民からなる生命体として考え、国力は国土面積に依存し、国境は内部の同一性の境界線であり同時に国家の成長により国境線が流動的に変化するという前提を置いて主張し以下の法則に導かれると定義した。

国土(国境線)は民族(言語・文化など)の増大によって流動的に変化する。

国家は国境の拡張とともにその政治力(国力)を拡大する。

国家はより弱小な国家を吸収して成長し、同時にあらゆる地形や政経中枢や資源地域を吸収する。

原始国家の領土拡張の原因は外因性、すなわち、外国の領土拡張の動きにより引き起こされ、ますますその競争の流れは広がる。

という講義であった。理論的には難しい話であったが秋山優花里の講義力により格段にわかりやすいものになっていた。例え話や雑談もとても面白い。みんな笑顔で講義を受けていた。講義終了後、秋山優花里に声をかけると一緒にお昼を食べようと誘いを受けた。私たちはキャンパス内の学食で食事をした。私は秋山優花里オススメのランチを注文して席に着く。

 

「秋山さん。とっても面白い講義でした。こんなにおもしろい講義を受けることができる学生さんたちは幸せですね。」

 

私が褒めると秋山優花里はもしゃもしゃと髪の毛を掻いて恥ずかしそうに照れていた。

 

「お褒めいただき恐縮です。」

 

「私の隣の席の学生さんも秋山先生の授業は大人気だって言ってましたよ。」

 

「そう言ってもらえることが一番嬉しいです。今日の授業は少し難しい内容でしたが、おもしろいって思ってくれたなら幸いです。」

 

秋山優花里は嬉しそうな笑顔になる。私も秋山優花里に微笑み返した。ここでは、取材の内容に触れるのはあえてやめた。せめて食事くらいは楽しみたいと思ったからだ。そこで、話題は普段の大学の教員としての生活などを尋ねた。そういえば、秋山優花里は人文学部に赴任して来たかつてのチームメイトとは会えたのだろうか。私はそれだけ秋山優花里に聞いて見ることにした。

 

「そういえば、秋山さん。人文学部にチームメイトが赴任して来たって言ってましたよね?会えましたか?」

 

「会えましたよ!二人とも変わらず元気でした。特にエルヴィン殿とは趣味も合いますし休みの日なんかは一緒に遊びに行くことだって結構ありますよ。」

 

「それは、楽しそうですね。いいなあ〜」

 

「はい!とっても充実しててまさに天職ですよ!」

 

「自分の好きなことを思いっきりやれることほど楽しいことはないと思います。この東京帝大の戦車道審判課程の先生方は戦車道の関係者だった方って多いんですか?先ほど、秋山さんの研究室を探していた時に松風鈴さんの研究室があったんですけど……あれはあの松風鈴さんですか?タンカスロンの。」

 

「ああ。はい。松風先生ですか。そうですよ。あのテケ車のタンカスロンの松風鈴さんです。彼女は戦車道マネジメント論と戦車整備工学、そして戦車操縦方法論が専門ですね。うちの大学の戦車道審判課程の教員は結構多いですよ。戦車道やってた人。もっとも、タンカスロンは戦車道と言っていいのかわかりませんが、戦車道よりさらに過酷な戦いだって聞いてますし。」

 

「へえ〜戦車の操縦方法論は分かりますがそれに加えてマネジメントと工学を修めるなんてすごいですね。」

 

「ええ。本当にすごいです!私も彼女とはこの大学に来てから知り合ったんですけど、高校時代は戦車道は部活として存在しておらず学校非公認で活動していたので全て自力でやってたみたいで、戦車の整備から戦車道チームのマネジメントまで全て独学で学んだようで、本当に尊敬しちゃいます!」

 

秋山優花里は目を輝かせながら興奮して話してくれた。本当に楽しそうで微笑ましい姿を見せてくれる。こちらまで楽しい気分になってくる。会話も弾み美味しい食事を食べたあと、私たちは冷泉麻子が待つ薬学部の建物へと向かった。建物の3階にある毒物学分野研究室が冷泉麻子の研究室だ。私たちは研究室の扉をノックした。すると、中から男子学生が出てきて応対した。

 

「はい。何かご用ですか?」

 

「冷泉先生とお約束した山田と申します。」

 

「わかりました。呼んで参りますので中に入ってお待ちください。秋山先生もどうぞ。」

 

「ありがとうございます。」

 

「牧野君ありがとうございます。」

 

目の前の白衣を着た男子学生も秋山優花里の教え子のようだ。秋山優花里が本当に慕われているということが伝わってくる。部屋の中の応接用の椅子に通された。私は研究室を見回した。まさに研究室らしい研究室だ。見慣れない機材がたくさん置いてある。椅子に通されてしばらく待つと白衣を着た科学者冷泉麻子がやってきた。冷泉麻子はこちらの姿を認めると微笑んだ。

 

「山田さん。わざわざきてくれてありがとう。秋山さんもありがとうな。ようこそ毒物学分野研究室へ。」

 

「冷泉さんの研究室は秋山さんの研究室とはまた違いますね。」

 

「ああ。私たち理系の研究者は文系と違って複数の教員やポスドクさらには学生が所属し実験を行なって研究する。だから、文系の研究室とはちょっと違う。秋山さんの研究室に行ったのか?本の数に圧倒されるよなあの部屋は。何しろ毎月100冊ずつ本が増えるらしい。」

 

「100冊も!すごいですね!ええもうあの本の山にはびっくりしました。でも、秋山さんたちは天職につけて羨ましいって思いましたよ。自分の好きなことを全力でやれるなんて。」

 

私は秋山優花里と冷泉麻子に羨望の眼差しを向けた。

 

「ああ。私たち研究者はある意味幸せかもしれないな。あっ、そうだ。そういえば今日来てもらった目的は会わせたい人がいるって話だったな。それじゃあ早速行こう。」

 

「え?行くってどこに?」

 

「人文学部だ。」

 

「人文学部ってまさか。」

 

人文学部という言葉に秋山優花里が素早く反応した。私も薄々誰に会うのかわかった気がした。

 

「ああ。そのまさかだ。それじゃあ行くぞ。おおい!牧野!おまえ、三浦先生が来たら私はちょっとお客さんと出かけたと伝えておいてくれ!三浦先生には話してあるからそれだけでわかると思うから。山元、おまえ私がいない間牧野の実験見ておいてくれ。頼んだぞ。」

 

「わかりました!」

 

「冷泉先生。わかりました。」

 

冷泉麻子は満足そうに微笑むと私たちに目で合図した。私たちは薬学部の建物を出てもう少し奥にある人文学部の建物に向かう。建物の中に入ってエレベーターで人文学部の歴史学の教員たちの研究室がある4階に向かった。冷泉麻子はそのフロアにある一番奥から三番目の部屋で立ち止まる。表札には"人文学部歴史学科准教授 松本里子"と書かれていた。扉を叩くと「どうぞ。」と声がした。冷泉麻子が扉を開けるとドイツ国防陸軍アフリカ軍団仕様の元帥用熱帯服にイギリス軍のゴーグルを付けたドイツ国防陸軍の将官・元帥用制帽を模した帽子を着用した短髪の女性が椅子に腰掛けて大量の本に囲まれながら何やら仕事をしていた。カバさんチームのエルヴィンだった。エルヴィンの研究室は秋山優花里の研究室よりは片付いていた。エルヴィンは立ち上がって私たちを一瞥する。

 

「ああ。冷泉さんじゃないか。こんにちは。そして、そちらの方が冷泉さんが会わせたいって言ってた山田さんかな?お、グデーリアンもいるのか。」

 

「こんにちはエルヴィンさん。今日はよろしく。」

 

「よろしくお願いします!エルヴィン殿!」

 

「松本先生よろしくお願いします。山田舞です。フリージャーナリストをしています。大洗女子学園で起きたあの戦争について調査を行なっています。」

 

「人文学部歴史学科准教授の松本里子です。ドイツ現代史特に第二次世界大戦史を専門としています。よろしくお願いします……うーん、やっぱり丁寧な話し方は性に合わないな……山田さん。すまないがいつもの話し方で話させてもらう。」

 

エルヴィンは済まなそうな顔をしながらそう言った。普段の話し方はそうそう変えられるものではない。別に私は言葉遣いをそこまで気にする人ではないから構わない。

 

「あはは。確かに普段の話し方から変えた話し方をするのは苦労しますよね。別にいいですよ。私は気にしませんから。」

 

「ありがとう。助かるよ。私の研究室の目の前のゼミ室を取ってあるからそこで話をしよう。私は左衛門佐を呼んでくるからちょっと待っててくれ。」

 

エルヴィンは私たちを目の前にあるゼミ室に案内して、同じカバさんチームのメンバーだった左衛門佐を呼びに行った。しばらくするとエルヴィンは左衛門佐を連れて戻って来た。彼女は、長髪に六文銭紋をあしらった赤い鉢巻と、同色の弓道用胸当を着けていた。

 

「やあやあ。みんなこんにちは。」

 

「おう。左衛門佐さん。こんにちは。」

 

「左衛門佐殿こんにちは!」

 

「杉山先生こんにちは。山田舞です。フリージャーナリストをしています。」

 

「山田さんか。人文学部歴史学科の准教授杉山清美だ。専門は日本中世史で特にソウルネームの真田氏の研究をしているんだ。今日はよろしく。」

 

左衛門佐は手を差し伸べてきた。私は喜んでその手を取る。癖なのだろうか左目を瞑って眩しい笑顔で私の手を握った。一通り挨拶が終わった。彼女たちは本当にソウルネームでお互いのことを呼び合っていた。なんだかそれが新鮮に思える。そこにふと疑問が浮かんできた。冷泉麻子にはソウルネームはないのだろうか。私は気になってエルヴィンに尋ねてみた。

 

「松本先生。秋山さんと杉山先生はそれぞれソウルネームで呼び合っているんですよね?冷泉さんにはソウルネームって無いんですか?」

 

するとエルヴィンの顔が少しだけ曇った。なぜだかわからないが、聞いてはいけないことだったようだ。私は少し慌てて質問を取り消した。

 

「聞いてはいけないことだったようですね。すみません……」

 

すると、質問が聞こえていたのか代わりに冷泉麻子が口を開いた。

 

「あるぞ。私のソウルネーム、教えてやる。」

 

「冷泉さん!」

 

エルヴィンは制止しようとした。しかし、冷泉麻子はそれを手で制して言葉を発した。

 

「いいじゃないか。真実を話して何が悪い。私はそれだけの罪を犯したのだから気にするな。私のソウルネームは……メンゲレ、ヨーゼフ・メンゲレだ。」

 

私は耳を疑った。それは忌避されるべき名前だった。ヨーゼフ・メンゲレ、彼は死の天使と言われている。アウシュビッツ強制収容所においてモルモットと呼んだ囚人たちを残虐な人体実験の魔の手にかけた狂気の医者として知られている。渾名は死の天使でまさに悪魔というべき人物だ。なぜそのようなソウルネームにしたのだろうか。

 

「なぜ……その名前をソウルネームに……?」

 

「私の犯した罪は話しただろ?その償いのためだ。私の犯した罪をいつまでも忘れないためにこの名前にしたんだ。」

 

「なるほど……」

 

それだけしか言えなかった。誰もそのあと言葉を発することができなくなってしまった。冷泉麻子はその様子を一瞥して口を開く。皆、思わず姿勢を正した。

 

「さあ、そろそろ始めようか。エルヴィンさん左衛門佐さん、山田さんはあの時の大洗女子学園の戦争について調べている。私は、その取材に協力してあの時の体験を話している。そこで、エルヴィンさんたちにも是非あの時のことを話して欲しいんだ。エルヴィンさんたちのあの壮絶な体験を是非後世に残したい。」

 

「私からもお願いします。私はこの悲劇を風化させてはならないと考えています。この悲劇は後世に残していかなければならないのです。ですから私は今まで色々な人からお話を伺ってきました。昨日もアンチョビさんとカルパッチョさんからお話を伺いました。私はこの事件を解明し、2度とこんな悲劇が起きないようにしたいのです。どうかお願いします。私たちと一緒にこの事件を解明してくれませんか?」

 

エルヴィンと左衛門佐は私の顔を何かを見通すようにじっと見つめていた。私は必死にこの取材の意義を訴える。すると、二人は顔を見合わせ頷き口を開いた。

 

「カルパッチョ……懐かしい響きだな……わかった。協力しよう。元からそのつもりだったしな。私たちも歴史学者の端くれ。この悲劇の歴史を伝える必要性は心得ている。私の体験が何かの役に立つなら是非使ってくれ。」

 

つづく

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。