「せ、セルリアン!?」
……って、マジか!?
カメレオンの報告に、俺は目を丸くしてしまった。
「それで……数は? それと、具体的な大きさだ」
思わず浮き足立ちかけた俺を落ち着けたのは、背後から聞こえたヘラジカの声だった。
振り返ってみると、ヘラジカはシロサイの膝枕に横たわりながらも、上体だけ起こしていた。明らかに疲労困憊という様相をしていたが、この場にあって全く動揺していないくらいに、その表情はしっかりと目の前の困難を見据えている。
どっしりと構えた安心感のある声は、たったの一声だけで俺だけでなく、その場にいたフレンズ達の不安を綺麗さっぱり吹き飛ばしてくれた。
「……あ、は、はい! 敵の大きさはこのくらいで……」
我に返ったカメレオンはそう言って、自分の胸の高さくらいを指し示す。大体直径一メートルちょいってとこか? 確か自分の体格より大きいセルリアンはハンターに任せるのが定石って感じだったはずだし、その基準で言うと大分でかいな……。
「それで、数は一五体でござる!」
………………。
……一五体、だと!?
この場にいるフレンズが俺含めて八人だぞ!? 倍近く……しかも戦闘向きじゃないフレンズもけっこういて、頼みのヘラジカもこの有様。これは……。
「迎撃は無理だ。逃げるしかないぞ」
俺は即座にそう判断した。薄情かもしれないが、こればかりはどうしようもない。今すぐヘラジカを抱えて反対方向へ逃げればここで壁に遮られている間に逃げ切れるはず。縄張りを放棄するのは辛いだろうが、ここは……。
「くっ、ヘラジカ様が万全な状態なら、あの程度のセルリアンなど簡単に捻れますのに……!」
現状を把握したシロサイが悔しそうに呻いた。……ん? ヘラジカが万全だったら? もし俺の策にはまってなかったら、多分ヘラジカはけっこう余裕を残して勝ってたよな。……あれれ、ひょっとして俺、かなり余計なことをしてしまったのでは……?
やっちまった感に戦く俺をよそに、ヘラジカ組は話を進めていく。
「今言っても仕方ないって! そんなことよりさ! 早くヘラジカ様を連れて逃げないと駄目だわ! こりゃ私らの手に負えないよー」
「で、でも本当に此処を離れるんですか? ここは……いっぱい思い出がある、ですぅ」
「そ、そんなこと言ってもしょうがないでござるよ……。残念ですけど、逃げないとセルリアンに食べられちゃうでござる」
「……………………あの、思ったんだけど」
口を挟めない俺やチベスナが黙ってその様子を見ていると、ふとハシビロコウが口を開いた。
彼女は、その瞳ですっと俺のことを見据え、
「…………チーターなら、何とかしてくれないかな……? ヘラジカ様に勝ったの、チーターの作戦があったから、みたいだし……」
と、遠慮がちに……しかし迷いなく言い切った。
こ、こいつ俺の作戦に気づいてやがったのか……? いや、そういえばアニメでもハシビロコウはかばんがヒトであることを看破していた数少ないフレンズの一人だったか。
そう考えると俺の作戦に気づけるほどの観察力があってもおかしくない。実際、フレンズ基準だから気づけないだけでヒト基準なら分かりやすい作戦ではあったしな。
「………………ねぇチーター、どう……?」
そう言って、ハシビロコウは小首を傾げる。
…………いや、無茶言うなって。
だって、セルリアン、それも大体同じくらいの体格のが一五体だぞ? そんな連中を相手にするなんて、たとえ作戦があったところでできるかって。
よしんば勝算があったとしても、もし失敗したら俺の身がかなり危なくなってしまうわけで。そんな状況、逃げるのが安牌に決まってる。
大体、あの作戦が成功したのだってヘラジカ達が単純馬鹿だったからってところが大きいし。セルリアンにまで通用するような作戦が俺に立てられるか? って言われると、かなり自信がない。
まぁ無理だって言えば、コイツらのことだし残念がってはいても無理強いはしないだろう。命の危機なんだから仕方ない。ここは思う存分断らせてもらおうか。
…………と。
ふとそこで、考えてしまった。
ここでコイツらが過ごしてきた日々のことを。シロサイなんか、わざわざ遠い寝床から通ってきてたんだ。毎日のようにここで集まって、切磋琢磨してきたのが、あの場所なんだろう。そうするだけの思い出が詰まった場所を、セルリアンに壊される。それってどんな気分なんだろうか。
…………チベスナでいうところのジャパリシアターが、ボロボロにされるみたいな悲しみなんだろうな、とふと思った。
別に場所自体は大事じゃないかもしれない。何か不具合があったり状況が変わればすぐに別の場所に移動したりするかもしれない。でも、そうやって自分たちの意思で移動するのと、セルリアンに壊されて無理やり移動せざるを得ないのとじゃ、やっぱり受ける印象って、かなり変わると思う。思い出そのものの輝きが、薄れてしまうと思った。
別に死ぬわけじゃねぇし、それで集まりがなくなるってわけじゃねぇとも思うけど、それでもやっぱり、悲しいだろうな、と思った。
俺が立ち上がれば、それがどうにかなるかもしれない。
……、…………。
……考えてみればこれ、完全に俺の責任みたいなもんじゃねぇか! 状況的に俺がいなければヘラジカが退治してたっぽいし! なら俺がなんとかするのが筋ってもんだろう。うん。……何より逃げたりしようもんなら後味が悪い。
それに、ヘラジカ達がアホだっていうなら、セルリアンだって同レベル以下の単細胞だろ。俺の足を使って翻弄してやれば、まだまだ一五匹くらいなら命の危険って程大袈裟な事態でもないはず。
しかも、逆に考えればこれはチャンスだ。さっきは、なんだかんだで録画しそこねちまったからな。ここで俺の動きを撮っておけば、のちのち演技の参考にできるだろ。
……なんだ、実際に落ち着いてメリットとデメリットを比べてみたら、何も悩むことなんかねぇじゃんか。何をテンパってたんだか、俺は。
「チベスナ、カメラの準備だ」
俺はそう言って、チベスナに背を向け、草原の向こうを見据える。
……せっかくだから演技指導だ! カッコイイ台詞ってのはこうやるんだよ!
「映画より映える場面を、見せてやるぜ……!!」
……自分でやるのは、なんかすっごい恥ずかしいが!
そして、俺は行動を始めた。
ぶっちゃけかばんのようにスマートな、無理なく安全な作戦などない。俺は元ヒトだがかばんみたいにぱっとアイデアが閃くような凄いヤツじゃないんでな。
だが俺には、かばんと違って武器がある。脚っていう、唯一絶対の武器が。だから、これを活用させてもらう。
「…………うおー、いるいる。あんなにいやがる」
俺の視線の先では、総勢一五体のセルリアンが西部劇に出てくる、風に運ばれて転がってくる丸い雑草――確かダンブルウィードっていうんだったか――みたいに転がってきていた。色も、それに合わせたようにくすんだ黄土色。……ここにきて西部劇に寄せてこなくてもいいってのに。周り草原だから全然合ってないぞ。
「チベスナ、ちゃんと撮れてるか?」
「……チーター、本当にやるのですか? チベスナさんは危ないと思いますよ」
「お、心配してくれてるのか?」
「そりゃ心配だと思いますよ。全員で後からサポートするとはいえ、あのセルリアンの群れの中に飛び込むなんてすごく危ないと思いますよ」
「…………普通に言われると、それはそれで調子狂うな」
コイツはこういうとこで変に意地張らないんだよなぁ……。普通のヒトを相手にしているつもりでやってると、こういうところでなんとなく負けた気分にさせられる。いや、勝ったも負けたもないんだろうけど、なんとなく。
……さて、あれこれ言い合っている暇も、もうなさそうだな。
既に二〇メートル程度まで迫ってきている雑草セルリアンの群れを前に、俺は屈伸運動をする。フレンズの身に準備体操不足なんてものはおよそ存在しないと言っていいが、これはある種精神スイッチを切り替える為の儀式みたいなもんだ。俺は文明人だからな。
だが、お蔭でどこかのスイッチが切り替わったような手ごたえはあった。
「んじゃ、行ってくる」
「……あ、今気付きましたけどチーターはかんとくだから撮影はチーターがするべき、」
……最後まで聞いてたらなんか脱力しそうだったので、俺はそのままダッシュして雑草セルリアンの群れの中心に突っ込んでいく。っていうか、どうやって戦いながら撮影するっていうんだよ。死ぬわ馬鹿め。
「――――――とっ!」
セルリアンの群れ……傍から見ると、それは土石流にも似た威圧感を与えてくるな。だが、緩やかになった世界の中で見れば、その印象にも文字通りの『穴』が見えてくる。
ヘラジカ&シロサイのときと同じだ。雑草セルリアンは普通のセルリアンと同じように大体球状をしている。つまり、どれだけ密集していたとしても、直径一メートルの球体が密集していれば、真下には最長一メートル程度の隙間が生まれるのである。
まして、雑草セルリアンの群れは別に密集しているわけではない。つまり――、
その隙間を潜って群れの中に潜り込むのも、当然容易!
「…………!」
雑草セルリアンを目前にした俺は、走行をやめてその場で踏ん張る。
ちなみに脚に力を入れた(光の粒子を出した)状態で踏ん張ると凄いブレーキがかかって一瞬で停止しちゃうので、力を入れない状態で、ただの足の力だけで踏ん張った。もちろんただ足の力だけで踏ん張っただけでは当然加速は落ちず、半ば滑走するように地面を上滑りする――が、俺の狙いはそれ。
もちろん、手を地面についたりはしていない。
チーターの特徴の一つに、身体の柔軟性というのがある。ネコ科動物は大体そうなのだが、チーターの場合は全身がばねのようになっていて、高速走行の助けになっている。……んだと思う。だって俺、今めっちゃ身体柔らかいし、走るときもそんな感じするし。
ともあれ、持ち前(らしい)柔軟性を使って雑草セルリアン達の群れの中に入り込むと――一斉に、視線を感じるようになった。
思わず、身体がすくみそうになるが……そんなことになったら俺は即・死である。臆病風を振り払うと、俺は雄叫びを上げる。
「がぁぁあああああああうっっ!!」
回し蹴り、一閃。
それだけで、一気に三体のセルリアンの核を斬り飛ばすことに成功した。
パッカーン、とセルリアンが爆発四散したのを間近で確認すると、俺は回し蹴りに使った脚で踏み込み、次の瞬間吹っ飛ばしたことで空けたセルリアンの輪の穴から一目散にバックステップで飛び退く。
「…………っ!! 危ねぇ……!」
直後、飛び退いた俺の目の前で、雑草セルリアン達が一斉に俺が先ほどまでいた場所に飛び掛かり、そして互いに衝突しあっていた。一気に多くのセルリアンが追突したものだから、雑草セルリアンの群れの中心ではパッカーン、とどうやら衝突で核が破壊されたらしい破裂音が何回か響き渡っていた。
…………よし、計算通り。
無事に雑草セルリアン達から距離をとった俺は、元に戻った時間感覚の中で残ったセルリアンの数を数えてみる。にの、しの、ろの……八。残りは八体か。
俺の作戦は簡単。
相手の懐に潜り込んで暴れて頭数を減らし、そして一撃離脱することで同士討ちを誘発、さらに頭数を減らす――という作戦だ。
そのあとは、減った頭数をヘラジカ組で囲んでひたすら叩く! 俺は隙間を高速で潜ったりしてセルリアンのヘイトをこっちに集める!
フレンズのことを自動的に狙うセルリアンだったら、高速で至近を通過する俺には反応せざるを得ないだろう。ほかのフレンズを狙ってて反応しないようなら、俺が直接攻撃を加えることで迅速に核を破壊していけるし。
まぁ総じて、俺は危険な場所に突っ込むわけだが――成功率に関して言えば結構上々な作戦だと言えるだろう。
…………まぁ、問題は作戦の後半なんだけどな。
何せ、セルリアンのヘイトは依然俺に向いている。さっきのようにほぼ不意打ち同然の状態じゃない。そんな状況で、ほかのヘラジカ組がなるべく安全に攻撃を仕掛けられるようにセルリアンどもの注意を集めないといけないわけだからな……。
はてさて、どうするか――――、
なんて思っていた、次の瞬間。
ズガンッッッ!!!! と。
一瞬爆発かと思うほどの衝撃が、攻めあぐねていた俺の目の前――つまり雑草セルリアンの群れの中心を爆心地として響き渡った。
「な、んだ!? 新手か!?」
思わず目を白黒させながらも前方を警戒していた俺の前で、一本の刃が残っていたセルリアンを両断してみせる。
いや――刃というより、それは一見すると……
「新手とはご挨拶だなぁ、チーター!」
セルリアンを一度に五体は切り払ったそいつは、さっきまでと同じどっしりとした安心感のある笑みを浮かべ――そしてゆったりと、俺の方へと歩み寄ってくる。
余裕そうに細められたその瞳は、心なしか煌々とした輝きを秘めているようだった。
ヘラジカ。
疲労困憊だったはずの群れのリーダーが、どういうわけか俺の前に立っていた。
「お前、さっきまであんなにヘバってたんじゃ……」
……いや、野性解放か。
あれを使って無理やり身体能力を底上げして、疲労を無視してこっちにやってきたっていうのか……? でも、なんでそこまで…………?
「なんだ、そんなの決まっているだろう」
ヘラジカは手に持った薙刀――俺達との決闘では使わなかった『本気』の象徴を振るいながら、当たり前のことを言うみたいに続ける。
「ここは、私達の縄張りだ。そしてお前たちは客人だ。……客人に自分の縄張りの命運を託す群れの長が、どこにいるというのだ」
……それだけ?
たったそれだけの理由で、あれだけのセルリアンを相手に、コンディションも相当悪いっていうのに単身飛び込んできたっていうのか? 命の危険をおして? ……黙っていても、多分縄張りは守られるのに?
「…………なんつーか」
………………馬鹿っていうか、無謀っていうか……。
「俺、チベスナと出会う前にお前と出会ってたら、群れに加わってたかもしれないな」
でもそういうところは、素直に尊敬する。
「はっはっは! どうせなら今からでもいいぞ? もちろん、チベスナも一緒に!」
「遠慮しておくよ。……それより、セルリアンがまだ」
「おっと、忘れるところだった。お前たち! 私の群れの底力を見せてやれ! なぁに大丈夫! お前たちなら、できる! 私が保証する!!」
そんなヘラジカの一声が、最後の合図になった。
「行きますわよ皆さん! 全軍突撃! ですわー!」
いきなり群れの中心に飛び込んできて大暴れしたヘラジカに、雑草セルリアン達の注意が向いていたちょうどその隙に。
あたりに身を潜めていたヘラジカ組のフレンズ達が、一斉に残りの雑草セルリアン達に襲撃をしかけ、そして――。
パッカーンという小気味のいい音が、即座に連続した。
ヘラジカの器の大きそうなところが好きです。