畜生道からごきげんよう   作:家葉 テイク

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四〇話:死地に赴くは

「はっ、はっ、はっ!」

 

 浅く、荒い吐息の音が騒がしく連続していた。茂みの中に潜り込んだ俺は、それを煩わしく思って初めて――吐息の主が自分であることに気付いた。

 

「チーター、息がうるさいと思いますよ……!」

「分かってる……! 分かってるが、道のりが険しかったもんだから……」

 

 必死で息を整えながら、俺は隣にいるチベスナに答える。

 とりあえずトキから逃げ出した俺達だったが……俺のスタミナで一息に下山しきることなど土台不可能なわけで。途中で息切れするのが目に見えていた俺達は、走りながら見つけた茂みの中にとりあえず身を隠しているのであった。幸いなことにチーターの身体の模様は木陰とかにいるといい感じに迷彩っぽくなる(チベスナ談・合間の休憩でそんなことを言っていた)らしいので、木々もあたりに生えているこのあたりならまぁ気休め程度にはなるだろう。

 

 しかし……こうしてみるとかなりのプレッシャーだな。トキの歌声を聴けば、チベスナはもちろん俺の耳も死ぬことは分かり切っているのでこうして逃げているわけだが……隠れるというのは、見つかるかもしれないという恐怖と隣り合わせなのだなぁ。野性動物として生きてたことなんて正味一日くらいしかないから、なんともこの恐怖は落ち着かない。

 まぁ、チーターが捕食者だからというのもあるのかもしれないが。

 

「息、落ち着いてきましたね。そろそろまた動き始めますか?」

「いや、まだだ。けっこう休んでたからな、おそらくもうじきトキが追いついてくる」

 

 そもそも、トキの移動速度は岩山に慣れているチベスナでさえ振り切れないほど速いのだ。

 そんなヤツを相手に分かりやすく逃げ惑っていても、どうせ追いつかれるに決まっている。であれば、ちょっとした変化球を混ぜるしかない。

 

「トキは俺達が休んでいるとは思ってもいないはずだ。思っていたとしても、どこで休んでいるかなんて分からない。だから、一旦ここで身を隠してやりすごそう。それでトキが通り過ぎた後でゆっくり移動を再開すればいい」

「なるほど。流石チーター、頭がいいと思いますよ!」

 

 いやまあヒトならこれくらい誰でも思いつく作戦ではあるんだけどな……。

 と、そんなことを話していると。

 唐突に、俺の嗅覚がトキの匂いを感知する。チベスナも同じようにトキが近づいてきたことを匂いで理解したらしい。目に見えて表情が強張っていた。

 

「ち、チーター。だ、大丈夫ですか? チベスナさん達がトキが匂いで分かったみたいに、トキも匂いでチベスナさん達を探すんじゃ……っ、むーむー」

「しっ」

 

 言いかけたところで、俺はチベスナの口をふさぐ。

 安心しろ。トキは別に鼻がいいわけじゃないからな。元動物の鼻がよくないならばれたりもしないだろう。

 そのまま、息を潜めていること数十秒。

 

「二人とも~待ってちょうだい~♪ なんでそんなに急いでるの~♪ 恥ずかしいのかしら~♪ ひょっとしてわたしのファンなのかしら~~♪」

 

 ……うわ、歌いながら来てるよ。しかもいつの間にかファンってことにされてるし…………。

 空を飛びながらだから俺達とは距離があるのがせめてもの救いだな……かなりうるさいが、耳を押さえればまだなんとか我慢できる範囲内だ。……あ、チベスナ耳押さえないでうずくまってら。

 

「待っててね~♪ すぐに追いついて~♪ たぁぁ~~っぷり聞かせてあげるからぁあ~♪♪」

 

 な、なんて恐ろしいことを言ってるんだコイツ……。思わず背筋が凍りついたぞ。

 

「………………」

「………………」

「…………行ったか」

 

 背筋を凍らせつつ十数秒。トキが完全に飛び去って行ったのを確認した俺は、そう言って大きく息を吐いた。

 ……流石にこのまま逃げ帰るのは後味が悪すぎるので、後はつかず離れずの位置をキープしたままトキを追いかけ、歌い疲れたところで合流するとしよう。そうすれば歌のダメージを最小限に抑えつつ『離れたところから聞いてました』みたいな感じでお茶を濁せるし。

 それにこれならトキも思う存分歌うことができるのでウィンウィンだろう。

 

「ふぅ……今まで一度も逃げきれなかったトキの歌声から逃げ切るとは……。さすがはチーターだと思いますよ。かんとくの名はだてではありませんね」

「監督じゃないんだけどな」

 

 さてはコイツ俺の否定とかまるで聞く気がないな?

 

「んじゃ、次はトキを追うぞ。チベスナ、頭にタオル被せとけ。少しはマシになるだろ」

「おお! それは名案だと思いますよ!」

 

 言いつつ、俺はタオルを頭に被せ…………ああ!? 手元にタオルがない! そういえばトキがいきなり歌い始めようとしたから急いで走って逃げたんだった! とすると……タオルは山頂におきっぱだ! あとトートバッグもおきっぱだ! うわあああとで取りに戻らなければ……!

 

「で、そのタオルはどこだと思いますよ?」

「…………多分山頂」

「タオルないじゃないですか」

「…………………………」

 

 ……それはともかく。

 

「あとは、適当にトキが疲れるまで待つだけだ。だがつかず離れずの距離を保つのはかなり難しいぞ。気を引き締めろ」

「ふふん。そんなの、チベスナさんにかかれば余裕だと思いますよ」

 

 こらこら、フラグを建てるんじゃない。

 

の の の の の の

 

こうざん

 

四〇話:死地に赴くは

 

の の の の の の

 

 で、チベスナがフラグを回収した。

 

 トキの後を追いかけながら下山すること体感で二〇分ほどしたあたりで、トキの様子がおかしくなったのである。今までは下山しながらのんきに歌を歌っていたのだが……急に空中で静止し、あたりをキョロキョロと見回し始めたのだ。

 

「な、なんだと思いますよ……!? どうしたというんですかこれは……!」

「う……あまりに影も形もなさすぎておかしいと思ったんじゃないか? ほら、俺とか、登ってる最中に休憩入れまくってたし。それなら、どこかで休憩しているのを見つけられるはずなのに見つけられないのはおかしい……みたいな」

 

 まぁ、ここまで俺達がトキを追いかけることができているところから分かるように、トキのペースはだいぶゆっくりめなのだが。

 それでも『逃げる』という状況下だったら、俺のスタミナなら確実に途中でバテて長めの休憩をとってトキに追いつかれていたと思うので、トキの発想はあながち間違いではない。ただ、俺が逃げるのではなく隠れるという手段を選んだというのが問題だっただけだ。

 とはいえ……。

 

「このままだとヤバイな……見つかるかもしれん」

「どうしたらいいと思いますよ!? 見つかったら耳が……耳がやられてしまうと思いますよ!!」

「あっ馬鹿そんなに大きな声出したら、」

「そこに…………いたのね…………」

「ヒエッ」

 

 上空からの声に弾かれたように空を仰ぐと、そこにはにま~……と嬉しそうな笑みを浮かべるトキの姿が。

 そしてトキは息を吸い込み――、

 

 ……や、ヤバイ!!

 

 瞬時に、時間の流れが急速に拡大されていく。

 …………とりあえず咄嗟に高速モードに入ったはいいものの、ここからどうしようか。トキはこっちの姿をばっちりとらえているわけで、しかもあと一秒後には歌い始めそうな勢いだ。ここから普通に逃げ出してもすぐに追いつかれて爆音を叩き込まれて死ぬしかないし……。

 あたりにあるのは、茂みと木だけ。まぁ砂とかもあるけど、トキに砂をぶつけるとかはちょっとやりすぎだしな……。どうしたものか……。

 

 ……いや、待てよ? こうすれば……!

 

 一発逆転の作戦を閃いた俺は、傍にいたチベスナを抱えて登山道のわきにある林の奥へと飛び込む。そしてそのついでに……木々を蹴り斬り倒す!

 すると木はドスンズドンと大きな音を立てて倒れていくわけだ。こうすることで、木々が密集して上空からは木陰が見づらくなるという寸法よ! ここでトキは俺達を見失う!

 

「ち、チーター、何をやってると思いますよいきなり……!?」

「しっ……あまり大きな声を出すな。木を斬ってトキから見つかりにくくしたんだよ。これでひとまずは大丈夫だろう。別のところに移動してやりすごそう」

「おお……チーター、今日はなんだか冴えてると思いますよ」

「いつも冴えてるだろうが」

「最近いつも疲れてばっかりだった気がすると思いますよ……」

 

 ……うぐ。そう言われると否定できない。でもしょうがないじゃない。高山はチーターには厳しい環境なんだよ。やっぱりあったかくて平たい土地が俺には向いているのだ。

 と、そんな無駄話を声を殺しつつやって、トキをやり過ごそうとしていると……、

 

「どこにいる~の~♪ 恥ずかしがらずに~出ておい~で~~♪」

 

 トキは上空で歌いながら、俺達の捜索を続けているらしい。しかし、聞こえてくる声の大きさは少しずつ小さくなってきている。……どうやら俺達のことは見つけられていないようだな。よしよし、あとはこのまま通り過ぎるのを待てば……。

 

 

「やっと会えたわたしのファン~♪ 一緒に歌って遊びましょ~~♪」

 

 …………。

 ふと。

 考えてはいけないことだと知りつつ、その言葉を聞いて素に戻った俺は、ふと考えてしまった。

 逃げ回る俺達を追いかけるトキは、今どんな気持ちなんだろうか、と。

 この逃避行を鬼ごっこだとトキは理解していた。つまり、遊びなんだ、これは。考えてもみろ。子供の頃、鬼ごっこで鬼になったけど友達が遠くに走って逃げてしまって、見つからずに一人で歩いている……そんなとき、俺は楽しかっただろうか?

 ……楽しくないよなあ、うん。楽しくない。

 それに。

 なんとなく、ああやって一人で正解も分からずにがむしゃらに頑張っている姿を見ていると……()()()()を思い出すのだ。

 俺はその()()()()の手を取った。その俺が同じようにがむしゃらに頑張っているヤツを放っておくのは……なんか間違ってるというか、後味が悪い。

 

「チーター……!? どうして林から出ようとしているんだと思いますよ!? 自殺行為だと思いますよ!」

「すまんなチベスナ」

 

 気付けば、俺は林の外に足を向けていた。

 ……うん。まぁトキの声がすっげぇキツイと言っても、最悪気絶するくらいなわけで……。そのくらいだったらな、別に絶対回避しなきゃいけないってわけでもないしな。ついでに歌唱的なアドバイスの一つでもしてやれば、トキの音痴被害も軽減できるかもしれないし。

 

「なんか、見てられないんだ、ああいうの。よく考えたら、アイツ歌い疲れっていう概念があるのか怪しいし……もしそうだったらこういうの全部時間の無駄だし……。そう考えたら……しょうがないからな」

 

 そう言って、俺は進んでいく。

 

「というわけで、俺はちょっと歌を聞いてくる。チベスナはそこで待っててくれ。アイツも一発歌えば満足だろうし」

「いやあの、なんでそんな……?」

 

 チベスナはむしろ俺の方針転換に困惑しているようだった。

 ああ、分かってるよ。別にトキはこのくらい全然気にしないだろうってことくらい。なんだかんだチベスナだって今まで何度となく逃げてたらしいし、そう考えたらたとえ俺達がこのまま黙って逃げだしたとしてもトキはそんなに傷ついたりはしないだろう。だから、これは俺自身の納得の問題なのだ。

 

「…………ま、聞き終わったらすぐ戻るよ」

 

 そう言って、俺はグッとチベスナにサムズアップしてみせる。チベスナはなんだかぽかんとした表情で、そんな俺のことを見ていた。




キリのいいところまで書くとシリアスが崩壊する(歌でチーター気絶)のでちょっと中途半端なところで切りました。
しかしシリアス崩壊が次話冒頭にズレただけのような気もします。


ちなみに、今回のチーターのセリフは何気に二話のセリフと類似してます。

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