「それで、これからどこへ行くんです?」
ジャパリシアターを出て、歩き始めて数十分。
不意にチベスナがそんなことを問いかけてきた。そういえば旅をするって話をしただけで、それ以上のことを何も言ってなかったな……と自分の迂闊さに気付くと共に、『コイツ今まで何をするつもりで俺についてきたんだ?』とチベスナの行き当たりばったりさに戦慄する。
こいつに企画立案とか任せたら駄目だ。いやまぁ例のホームビデオ以下の映像でそんなことは分かり切ってはいたんだが。
「そうだな……」
俺がしっかりしなくては。
当たり前のことを再確認しつつ、俺はこう返した。
「地図を探すか」
「ちず、ですか?」
首を傾げるチベスナを見る限り、地図がなんなのか分からないみたいだな。そりゃそうか。……そりゃそうか? 確かサーバルは地図の存在を知ってなかったっけ。いやまぁアラフェネ知らなかった気がするからそこは個人差なのかもしれんが。
「地図ってのは、パークの全体を小さくして絵に描いたものだ。あてもなく歩いたって迷子になるだけだろ。だから地図を手に入れて、それを見ながら進んでいくのさ」
「その後はどうするんです?」
「島を一周する」
チベスナの問いかけに、俺はさくっと断言してみせた。
パークを見て回るのが当面の目的だからな。
まぁ、その後のことはまだ決まってない。かばんが生まれるのがいつか分からん(というか俺のいる世界線で生まれるのかも分からん。誕生の経緯とか完全に偶然っぽかったし。今後のことを考えたら多少無理やりでも生まれるように俺が働きかけるべきだろうか)が、生まれたら船に同乗させてもらうとかでいこう。
「大分長そうな旅路ですね……」
「地図がなければその旅路すら覚束なくなるんだけどな。だから、まずは地図がありそうな施設へ向かってみる。なんか心当たりあるか?」
ちなみに、ジャパリシアターも一応探してみたが、ケースはあったものの中身が空だった。やっぱり利用客が多いからなくなってしまったんだろうか。
もしなかったら……まぁ、最悪図書館の位置は分かるだろうし、そこまで行くしかないか。ボスと意思疎通ができれば楽だったんだが……。
「んー、心当たり、ですか……」
チベスナはぼんやりと顎に指を当てながら、
「あ。確かヘラジカ達が縄張りにしていた建物なら、この近くにあったと思いますよ」
ふむ、なるほど。
…………あ、今更だけど此処って平原地方だったのか。
というわけで、俺達は平原地方を進んでいた。
流石にジャパリシアターを縄張りにしていただけあって、チベスナは平原地方の地理には詳しかった。もっとも、
「ふふん。まさかチーターがこのちほーに詳しくないとは思いませんでした。チベスナさんの博識に感謝するといいと思いますよ」
……こうやって恩着せがましくドヤ顔をかましてくるのは、俺の精神衛生上とてもよろしくなかったが。
「……別にお前が増長しようが構わんけどな、方向は合ってるのか? 調子乗ってたら迷子とか御免被るぞ」
「失敬な!」
チベスナはきゃんきゃん鳴きそうなくらい心外そうな表情を浮かべ、
「あそこに大きな木があるでしょう。あそこを左に曲がれば広めの道に出ると思いますよ! チベスナさんの案内能力を馬鹿にしているのですか!」
「はいはい、悪かったよ。とっとと行こう。このまま話してたら日が暮れそうだ」
「ぐぬぬ……無事に到着したらちゃんと謝ってもらいますからね……」
不満そうに矛を収めたチベスナを適当にあしらいつつ、彼女の案内通りに草原を進んでいく。
太陽は相変わらず過酷そのものだが……不思議と、疲れはそこまで感じない。チーターはスタミナがないらしいが、それでもヒトよりはずっと体力もあるんだろうな。つくづく恵まれた身体である。色んな意味で。
…………。
足元の草の中をネズミか何かが駆け回ってる音も聞こえるしな。ホント、ヒトだったときとは色んな意味で別世界だ。
…………なんてことをやりつつ二時間。
「……なぁ、まだ着かないのか?」
だんだん息が上がってきた俺は、たまらずチベスナに問いかけていた。
チーターの身体は長距離を歩けるようには作られてねぇんだよ……。それでも生身の人間よりはずっとマシだが。バスとかどっかに落ちてないかなぁ……。普通免許で運転できるか知らんけど。
「…………も、もう少しですよ」
そんな俺とは対照的に、チベスナは息こそ上がっていないものの、非常に不安そうな表情を浮かべていた。
「…………おいおい」
「だ、大丈夫! 大丈夫…………だと思いますよ」
「それは口癖の方か? それとも自信がないのか?」
チベスナは俺の問いには答えずにあらぬ方向に視線を逸らしだした。
ああ、これダメなヤツだな……。
「大丈夫! 大丈夫だと思いますよ! チベスナさん、お城までの道順はきちんとカメラに録画してありますので!」
そう言いながら、チベスナはどこからか(多分しっぽとか)カメラを引っ張り出して俺に見せる。
「この録画映像と照らし合わせながらなら、絶対に迷子にならないと思いますよ!」
「なぁ、それってもっと早く出すべきだったんじゃないか?」
「……あ」
………………はぁ。
二時間も歩いた後から道を確認したって、迷子になってて現在地なんか分かるわけないじゃないか……。やはりバカか。
「い、いいえ! 大丈夫です! 間違ったポイントが分かれば引き返すことだって可能だと思いますよ!」
「…………まぁ、そういうことでいいか」
さすがにこれ以上詰ってやるのはかわいそうなので、俺は適当なところで矛先を収め、カメラを見る方向に移行した。いやまぁ、二時間も草原を歩いてたら、どのタイミングで道を間違えたかなんてわかるはずもないが。
「……………………ええと、あれ? ここってどうするんでしたっけ?」
ところが、チベスナはそんな俺のフォローをも無にする勢いでぽんこつだった。お前さっき録画してた映像を再生してみせただろ……あぁ、あれはまぐれですか。そうですか。
ていうかコイツ、そういえばカメラの操作方法だって、録画を停止する方法を知らずにぼこぼこ殴って止めてたレベルの理解度なんだよな……。
「えーい、こういうときは叩けば何とかなると相場が決まっていると思いますよ!」
「待て待て待て待て! 叩くな叩くな!」
案の定原始的な解決法に頼ろうとしたチベスナからひったくるように、俺はカメラを取り上げる。
あぶねぇ、コイツいつもこんな調子なんだろうな……。早いとこ改善しないと確実にカメラがお陀仏するぞ。
「いいか、機械は叩いたら動いてくれるわけじゃない」
「でもいつもこうしたら勝手に動くようになりますよ?」
「それは素敵な偶然だ」
別に接続不良とかそういうわけじゃねぇんだから、偶然ボタンを押して望み通りに動いてたってだけの話だ。
仕方ない、ここはひとつ、使い方をレクチャーしてやるか……。今後の為にも。
俺はカメラを触ってあらかたの操作方法を確認しつつ、片手間にチベスナを手招きする。……あ、今手招きが猫手になってた……。くっ、意識しないとすぐこれだ……!
「……使い方教えてやるからこっち来い」
忸怩たる思いを内心で吐き捨てながら、チベスナを呼び寄せた。チベスナの方はというと嬉しそうにぴょこぴょこ跳ね気味にこちらに駆け寄って、カメラの方を覗き込んでくる。
「はいはい! チーターは優秀なかんとくだと思いますよ!」
「だから監督じゃねぇ」
適当にあしらいつつ、俺はカメラのボタンを実際に指し示してみせた。
「いいか? 電源はこれ。このボタンを押すとカメラが起動する」
「それはなんとなく分かってましたと思いますよ」
「で、録画開始はこのボタンだ。これを押すと、次にこのボタンを押すまでに撮った映像と音声が記録される」
「そうだったのですか!? さすがのチベスナさんもそこまでは読めなかったと思いますよ!」
「だろうな……」
じゃなきゃわざわざ殴って止めるなんて原始的なことはしないだろうし。
「そしてこのボタンを押すと、今まで録画してきた映像が見れる。こっちで映像を選択して……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
説明していると、チベスナが口を挟んできた。
見てみると、何やら眉間に人差し指を置いている。一丁前に考えているポーズのつもりだろうか?
「……い、一気に説明されても、チベスナさんがいかに秀才とはいえ流石に追いつかないです。もっとゆっくり説明した方がいいと思いますよ」
「ああ、悪かったな……」
そういえばそうか。
操作方法が分からないヤツ相手に一気に説明しても、そりゃ通じないよな。仕方ない、操作しつつ説明してやるか。
「まぁ見てろ。まずこっちのボタンを押すと、今まで撮った映像の一覧がこっちの画面に表示される」
「分かると思いますよ」
「で、この矢印を押すと、カーソル……映像の太縁みたいなのが移動する」
「矢印というんですか、これは?」
「そういう『記号』だ。まぁこのボタンを押せばいいってことだよ」
「分かったと思いますよ」
「で、見たい映像にカーソルを移動させて……このボタンを押す。今回の場合は、お前が前に撮ったっていう道順の映像………………これか?」
「よく分からないと思いますよ」
まぁ録画した映像が何番目かなんて覚えてるわけもないか。ましてチベスナだし。
…………背景が草原だから、多分これだろう。
そんなことを考えつつ、俺は草原のサムネにカーソルを合わせて、映像を再生する――――。
『いやぁ、こんなところで出会うなんて、幸運だったと思いますよ。あ、もちろんアナタが、ですが!』
『はぁ……そうですの』
おそらくチベスナが構えているのだろう、歩くごとに揺れる景色の中で、チベスナは上機嫌に誰かと会話を楽しんでいるようだった。
もっとも、上機嫌なチベスナとは対照的に、会話の相手はどこか困惑気味な様子だったが。
『だってそうでしょう? 未来のムービースターであるチベスナさんとこうして知り合えたのですから。迷子になってみるものですね?』
『迷子になっていたのはアナタの方でしょう!』
会話相手がツッコミを入れたと同時に、カメラが映している景色はまるで振り返るように――おそらく、真実振り返っているのだろう――切り替わり、そしてツッコミの主を景色の中に捉えた。
『まったく……草原の真ん中で途方に暮れているから助けてあげたというのに。少しは感謝すべきではなくて?』
呆れたように小言を漏らしているのは、西洋人風のウェーブがかった金髪をポニーテールにした、一七、八歳くらいの少女――フレンズだった。
上半身は重そうな西洋鎧に身を包んでいるが、下半身は鎧の下から覗く赤いレオタードに黒のサイハイソックス、あとは両手両足に手甲や足甲があるきりという、だいぶアンバランスな格好をしている。しかし、本人はまるで気負った様子もなく、当然のように歩いていた。
『ありがとうございます』
対するチベスナの方も、全く気負いなく返す。
『分かればいいのですわ。さ、お城はもうすぐです。この大きな木を
やはりフレンズゆえの純朴さからか、チーターだったら間違いなくぐちぐち言いそうなあっさりした礼にも関わらず、鎧のフレンズは満足そうに頷いた。そして、チーターも見覚えのある大きな木を指さしながら、道案内を再開する。
その後も、二人は他愛のない話(主にチベスナのボケ)を繰り返していた――。
なお、チーターと共に歩いていたチベスナはこの大きな木を見つけたとき、こんなことを言っていた。
『あそこに大きな木があるでしょう。あそこを
「真逆じゃね――――か!!」
「ひっ! 吠えるのはよくないと思いますよっ……」
「そりゃ吠えもするわぁ!!」
映像を途中で止めて、俺はあらん限りの声で吠えていた。
いやだって、アイツあんな偉そうなこと言っといて思いっきり案内間違えてんだよ! そりゃ怒るわ! 菩薩のチーター君でも怒り狂うわ!
「結局間違えてんじゃねーか! ええ? 案内能力がどうとか言ってたよなポンコツギツネ!」
「ポンコツギツネじゃありません! チベットスナギツネです!」
「そういうことを言ってんじゃねーよポンコツスナギツネ!!」
「チベット!!!!」
っていうか、こんなのカメラをもっと早くに見てれば避けられたじゃないか。まぁ、幸いにも道を間違えた最大のポイントははっきりしているから、ワンチャン引き返すのもアリではあると思うが……。
「…………あら? 何か声がすると思ったら……チベスナではありませんの。何をしているんですの?」
などと思っていたら。
ちょうどカメラで聞いたことのある声が、俺の背後から聞こえてきた。
「ああ、いいところに!」
チベスナは心強い援軍が来たとばかりに俺の脇をすり抜け、声の主の方へと走り寄っていく。その後ろ姿を追うように振り返ると――そこには、やはり先ほどカメラの映像で見た金髪碧眼に、西洋鎧を身に纏ったフレンズが佇んでいた。
一つ違うところがあるとすれば、無手だった映像の時とは違い、何か槍のような武器を持っているところだろうか。
その横で、すっかり調子を取り戻したチベスナはにっこりと笑って正体不明のフレンズの肩に手を置いていた。
「紹介しますよ、チーター。こちら、チベスナさんの忠実なる部下の一人、シロサイだと思いますよ!」
………………忠実なる部下って……。