へいげんほどの長さの章はそうそうないと思います。多分。
一六話:湖畔に至る旅路
「何書いてるんです?」
平原を抜けて、ちょっとした林地帯の道なき道を歩き始めて数時間。
いい加減に疲れたのでそろそろ休憩しようということで木陰で休んでいると、不意にチベスナが俺の手――正確には持っていたメモ帳を覗き込んでいた。
俺は鉛筆を使ってミミズがのたくったような図形を書くのをやめ、肩を竦めて言う。
「文字の練習だよ」
「おぉぉ……もじ?」
「映画見たことあるんだろ?」
そう言っても、チベスナはなんのことか理解できないという感じだった。しかたがなく、俺は補足するようにさらに続ける。
「ジャパリパークに字幕映画はないのか? 下に喋ってる言葉の翻訳が同時に流れる、アレだよ」
「…………? …………、……ああ! あの、なんかよく分からない鳴き声の人たちが演じてるヤツに出てる!」
「そう、それだ」
よく分からない鳴き声ね……。言語もフレンズにとっては鳴き声のカウントなんだろうかね。確かにそんなようなもんだとは思うが。
しかしえらく出てくるまでに時間がかかったな。……いや、今の説明だけで理解できただけ上出来か。流石に映画館で暮らしていただけあって、そっち方面に関してはほかのフレンズよりは強いらしい。
「でも、書けるのならそれでいいのでは? 文字って上達とかないんじゃないかと思いますよ」
「…………あるんだよ」
言いながら、メモ帳に視線を落とす。
初めて鉛筆を持ったばかりの幼稚園児が書きましたと言わんばかりの、拙いひらがな文字がそこにある。もちろん画数の多い漢字など書いた日には、潰れてしまってただの炭素の塊を紙の表面にこびりつかせるだけになってしまうに違いない。
だいたいこんなもん、書いた本人である俺だから読めるようなもんだ。こんなところで甘んじるのは、文明人である俺の矜持が許さない。あと、スムーズな脚本作成の為にはやはり字の練習が必須だ。このままだと細かい文字が書けないからメモの紙がもったいなくて仕方がない。
…………真面目に、なんで文字が上手く書けないんだろうな? フレンズだから、で思考停止してたが、そもそもヒト化してるわけだから身体のスペック的には十分なはずなわけで……。……分からん。なんか脳機能的なのが関係してそうな気がするけど、全然分からん……。
「ふーん。チーターも大変なんですねぇ。というか、いったいどこで文字なんて覚えたんです? そっちの方が気になると思いますよ」
「企業秘密。お前が映画の存在を知ったのと似たような経緯だよ」
「なるほど……」
いや、それで誤魔化されるのかよ。俺としては助かるが。
…………流石に、俺が転生者だってことは説明しても理解できないと思うし、別に教えなくたって問題があるわけでもなし……誤魔化せるうちは言う必要はないかなぁと思っている。
「ちなみに、チベスナにもいずれ文字は覚えてもらうからな」
「えぇ!?」
なんでそんな青天の霹靂ってリアクションなんだよ。ちょっと考えれば分かることじゃないか……?
「だってそうだろ。撮影に協力してくれるフレンズの大半は文字読めないじゃないか。もちろんそういう手合いには俺が教えるわけだが、俺一人じゃキツイし……せめてチベスナが自分で文字を読めたら、俺もだいぶ楽になるからな」
「う、うーむ……。自信ないですけど、頑張ってみると思いますよ。チベスナさんはむーびーすたーなので」
「その意気だ」
…………さて、そろそろ行くか。
だいぶ息も整ってきたので、俺はメモ帳を閉じて立ち上がる。
「ん、もう行きますか?」
「ああ、待たせたな。昼までには湖に着けるように頑張ろう」
まぁ、もうじき着く頃だとは思うが…………。
「そういえばチベスナさん、みずうみは初めてだと思いますよ」
歩いていると、チベスナがそんなことを言い出した。
「あれ、そうなのか。確か川で溺れたことがあったとかって話を前にしてたが……」
「溺れてないと思いますよ。溺れてないと思いますよ」
お前の名誉の為にもそこはそういうことにしておいてやるか。
……そういえば、言われてみれば俺も湖は初めてか? 前世でも…………うん、川や海は行ったことあっても、湖は行ったことなかったな。写真やら映像やらで見たことは流石にあるが。
「ともかく。チベスナさん、みずうみは初めて見るので、なんだかわくわくしていると思いますよ。みずうみというのはどんなものなんですか?」
「どんなもの、か……。……まぁ、簡単に言うと『でかい水たまり』かなぁ」
とんでもなく幅が広くて流れの緩やかな川、でもいいが。
しかし、大体どんなイメージっていう絵面は想像できても、『どんなものか説明して』って言われるとちょっと難しいところあるな……。相手はそのイメージを全く持ってない相手だし。生まれてからずっと目が見えない人に空の青さを伝える……みたいなむずかしさを感じる。
「でかい水たまり……ということは、みずうみってできたりなくなったりするというのですか? 運がよくないと見つからないとは……なかなかハードだと思いますよ」
「ああいや、そうじゃない」
……今のは俺のたとえ方が悪かったな。
「湖ってのは、簡単にはなくならないんだ。簡単に蒸発してなくなったりしないくらい大量の水が中にあるからな」
「でも、水たまりならいっぱいあってもそのうちなくなってしまうのでは?」
「さぁ……そのへんは俺もよく分からん。湧き水があるのかもしれないし、川から水が流れてるのかもしれないし……」
あれ、湧き水でできるのは泉だっけ? 湖とか沼とか池とか、正直分類の基準がよく分かんないんだよな……あれどうなってるのかね。
……ま、この世界じゃそんな細かいところはどうでもいいか。詳しいことは図書館で調べるとしよう。
「ともかく、湖はそう簡単にはなくならないから安心しろ」
「分かったと思いますよ。…………ところで、一体いつになったらそのみずうみに着くんです?」
「待て待て、もうじき着くから」
休憩明けてからまだ一時間くらいしか経ってないからな。道なき道を歩いてるから、余計に時間がかかるんだって。チーターはあんまり足場が悪いところは得意じゃないんだよ……ネコ科だが。
「…………時間かかりすぎでは? もしかしてチベスナさん達、迷ってるのでは?」
「いや、それはないから」
地図だけならともかく、方位磁針もあるわけだしな。
方角がズレてたりすればすぐに方向転換しているから、迷う心配は全くない。………………いや、現在地が分かるわけじゃないから、方角は合っているけど座標の位置がズレていて通り過ぎてしまう、みたいな可能性はあるが……。
「あ! 今ちょっと自信なくなりましたね!」
「なんで分かるんだよ!」
「耳がしゅんとしたからすぐ分かると思いますよ! やはり迷っているのでは!?」
「ぐああああああこの耳取りてえ!!!!」
『なんて恐ろしいことを!?』とか言っているチベスナをよそに、俺は頭を抱える。取れるもんならすぐ取りたいよほんと……。しかもチベスナが若干耳の動きで俺の感情を読み取るノウハウを身に着けちゃってるのが余計にアレだ。しかも三日目にして。
「あと、迷ってねぇから! そんなに言うなら木に登って確認してみろよ! そろそろ見えてくる頃だと思うぞ!」
「チベスナさん木登りなんてしたことないと思いますよ」
言われてみれば、チベットスナギツネって木登りするような動物でもなかったしな。そもそもイヌ科の動物って木登りできるのか? なんかネコほど木に登っているイメージないが。
「チーター、登ってみてください。ネコ科なら登れるのでは?」
「なんでお前が気になってることを俺が確かめなくちゃ……」
……俺もちょっと自信なくなってきたから登って確認してみるが。
「待ってろ、ちょっと見てくるから」
「いってらっしゃ~い」
チベスナの気の抜けた見送りの声を背中に、俺は手近な木の幹に手をかける。サーバルみたいな感じでうみゃみゃーっといけるかな……と思いつつ、幹に体重をかけてみる、と。
ガリッ。
……普通に爪の力が強すぎて、幹の方が削れた。
「チーター?」
「……ちょっと失敗しただけだ。大丈夫、心配いらん」
そうだな、
うんうん。よく分かった。
「――――よし、斬り倒すか」
「チーター!? なんだか物騒な言葉が聞こえてきたと思いますよ!」
「なぁに、こんなに木がいっぱいあるんだ。一本くらい切り倒したって環境保護団体から文句言われることもないって」
「かん……チベスナさんにも分かるように言うといいと思いますよ!」
「えらいフレンズに怒られないってことだ、よッ!!」
言いながら、俺は木にローキックを入れる。
先ほど幹を傷つけた俺の爪が、今度は狙った通りに木を切りつけ――そして、両断された木の幹がゆっくりと倒れていく。
ガササササ! と。
倒れた木の幹は、そのまま隣にあった木に倒れ掛かると、そのまま枝が絡み合って静止した。
よし、計算通り。
「……木を登るのは要練習だが、こうすれば問題ない。倒れ掛かった木を歩けば簡単に木に登れるわけだ」
「びっくりさせないでほしいと思いますよ……。…………というかチーター、ネコ科なのに木に登るの下手なんです?」
「うるせぇ」
その分俺は速く走れるからいいんだよ。
適当に言いつつ、俺は木の上まで歩いてみる――と。
俺の眼前――大体ここから数百メートル先に、大きな湖が広がっていた。かなり広い湖だ。全周……五〇〇メートル以上はあるだろうか? 目測なので全然自信はないが。
そして、方向はやはり合っていた。このまま歩けば数十メートルくらいで道路に出て、そのまま道なりに進めば難なく湖に着く流れだった。
「おぉー! みずうみだと思いますよ!」
「うわ!?」
どうだチベスナ、湖あるぞ――と言おうと思った瞬間、真後ろから歓声が飛び出して、俺はあぶなく枝から落ちそうになった。
振り向くと――いつの間にかチベスナが俺と同じように倒れた木を登ってこっちまで来ていた。まぁ、そうか。こうすれば木が登れなくても上に行けるもんな。
「さ、チーター! 早く行きましょう! みずうみが我々を待っていると思いますよ!」
言いながら、チベスナは倒れ掛かった木を階段みたいに駆け下りていく。おいおい、さっきまで不満たらたらだったってのに現金なヤツだな……。…………まぁそれは今更か。
「おい、一応枝が引っかかって立てかけてある状態だが、そんな風に急いで駆け下りたりしたら……」
枝が折れて木が倒れるぞ、と言おうと思った、のだが。
「おわー!?」
ずしーん! と。
言い終わる前に、枝がへし折れて、立てかけていた木が落ちた。……あーあ。チベスナ、倒れた拍子に数メートルも吹っ飛んでるし。フレンズじゃなかったら普通に怪我してたところだぞ、あれ……。
「……だから言ったのに」
「いっ、言うのが遅いと思いますよ!」
「はいはい」
言いながら、俺は木から飛び降りて地面に着地する。
フレンズの身体は強靭だから、このくらいの高さならなんてことないのだ。……というか、時速数百キロで壁にドロップキックを叩き込んでも足がしびれた程度だったし、自由落下で時速数百キロになるくらいの高さまでなら、落ちても大丈夫なんじゃないかなと思う。
……そういえば、サーバルも山から落ちても平然としてたしな。
「つか、あんまり大きな物音をたてたらこのへんの動物を刺激しそうだな。……木を切り倒すの、早まったか?」
「でもチベスナさんはみずうみを見れたので満足だと思いますよ」
立ち上がって体中に付いた葉をパンパンと叩き落としながら、チベスナはそんなことを言った。まぁ、お前は満足だろうけども。そもそもお前の杞憂だったわけだしな……。
ただ、このへんのフレンズを脅かしちまわなかったかなと少し不安になったりもするわけで……。
「な、なな……なんの音ッスか……!? せ、セルリアンッスか……!?」
…………あ、ほら。言わんこっちゃない。
現在のチーターは自分を『ヒトからフレンズになった存在』と認識しているため、
無意識下でヒトとしての能力にロックをかけている状態です(本当は使えます)。