逆行ハリー、ぼくのかんがえたりそうのせかい 作:うどん屋のジョーカー
ハリーたちが城について数時間経った頃に、やっとホグワーツ特急がホグズミード駅に到着した。
一年生を除いた生徒たちが続々と玄関ホールを抜けて大広間に集まってくる。一番乗りだったグループは、既に大広間にいたハリーたちを見て驚いた顔をしていた。
汽車で監督生としての使命を果たせなかったパーシーは、それを挽回しようと張りきった様子で集団に突っ込んでいき、フレッドとジョージは同級生にさっそく自慢話をしてやろうと駆けて行った。ジニーはマクゴナガルに連れられて大広間から出ていく。他の一年生がやってくるまで職員室で待つらしい。
残ったハリーとロンは、仲のいい顔がないかと入り口を抜けてくる生徒を見回していた。すると、レイブンクロー生の群れの中にハーマイオニーの栗色でふわふわした頭を見つける。
「ハーマイオニーだ」ハリーが言った。
「おーい、ハーマイオニー、ここだよ!」ロンが大きな声を出して手を振ると、ハーマイオニーが二人の方を向く。二人を見たハーマイオニーは途端に怒った顔をして、前のめりになりながら大股で近寄ってきた。
「あいつ、説教するつもりだぜ」ロンが苦い顔をした。
「やっと見つけた! いったいどこへ行っていたの? 汽車の中であなた達を散々さがしたのよ。そうしたら、パーシーもいないってグリフィンドールの監督生が話していて、みんなてっきりあなた達が汽車に乗り遅れたんじゃないかって」
ハーマイオニーが言葉を切った。ハリーとロンが顔だけで笑っているのを訝しげに見る。
「まさか本当に乗っていなかったの?」
「ご名答」
ハリーが答えると、ハーマイオニーはショックを受けた顔になった。もしかしたら、二人が大変な校則違反を犯したと思ったに違いない。ハリーとロンは慌ててキングズ・クロスで起こったことと、煙突飛行で他の生徒より一足先にホグワーツに着いていたこと、そして一番重要である「きちんと大人と相談したうえで行動した」ことを話した。
「そんなにいい体験じゃなかったよ。城に着いた途端、ハリーがロックハートに捕まったんだ。それから今までずーっと、奴がこれまで何を倒したかって話を聞かされてたんだから」
ロンは疲れた顔で頭を横に振る。
ハリーたちが城についたとき、当然ながら教職員だけしかおらず、クリスマス休暇のときよりも静かだった。教授たちは新学期に向けての最終確認や、歓迎会の段取りを話し合うために素早くはっきりした足取りで城の中を歩いていた。
「いつものホグワーツと違う風に見えるな。まるでパパが働いてる魔法省みたいな空気だ」
厳粛な空気に耐えかねたロンがこぼした。
ハリーたちは大広間で待つようにと言われた。大広間ではフリットウィックが、歓迎会の飾りのチェックをしている。それを眺めながら、これからどうしようかと話し合おうとしたとき、ハリーの名を高らかに呼ぶ声が聞こえた。
波打つ金髪を輝かせ、ハンサムな顔に意味のない笑顔を浮かべている人物が、大広間の入り口に立っている。
「げ、出た」
ロンが骨生え薬を一気に飲まされたような顔になった。
ロックハートはライラック色のマントを翻しながら、キラキラ目を輝かせてハリーに近づいてくる。フレッドとジョージは素早い動きで椅子から立ち上がり、大広間の向こう側へ行ってしまった。ジニーはフリットウィックの飾りが気になると駆けて行き、パーシーは最初からみんなと距離を取って何処かに手紙を一生懸命書いていた。
唯一、ロンは逃げるのが遅れた。
「いやはや、ハリー。まさかこんなに早く会えるとは思っていませんでしたよ。もしかして君は、他のみんなとは違う方法で新学期に登場したかったのかな? いけませんね、そういう目立ちたがりは」
こんな調子から始まり、その後はロックハートの、正確に言えば人から奪った武勇伝を、実演を交えて延々と聞かされた。ロックハートの指示で狼男を演じながら、ハリーは自分が時を遡ったのは絶対にこの為じゃないなと考えていた。
ロンのうんざりした顔の向こうで、時々通りかかる教職員たちが吠えるハリーを気の毒そうな目で見ていた。フリットウィックは何度もハリーを心配そうな顔で振り返っていたが、話しかけてくることはなかった。関わると自分も巻きこまれることを知っているのだ。
鼻風邪を引いた雪男役をやっているハリーを見て、通りがかったスネイプがニヤリと暗い笑みを浮かべたが、ロックハートが振り返りそうになる寸前で素早く向きを変えて足早に去って行った。
それらの様子を見てハリーは、教職員たちがロックハートのお守をハリーに押し付けていることが分かった。歓迎会の準備が終わって、ロックハートが身だしなみを整えるためにやっと去った後、やけに教授たちがハリーに優しくしてくれたことで確信した。
そう説明しながら、フリットウィックから貰ったフィフィ・フィズビーや他の職員たちから貰ったお菓子で膨らんだポケットをハーマイオニーに見せる。
しかしハーマイオニーは気の毒そうな顔をするどころか、なんて素晴らしい体験をしたのだというような輝かしい顔でハリーたちを見た。
「それじゃあ、随分と勉強できたのね。羨ましいわ」
「それ本気で言ってる?」
ロンが絶句してハーマイオニーを見た。
「教授を独り占めできる機会なんてそうそうないじゃない。すごく良い経験だったと思うわ」
「ほー、教授、ね」ロンがハリーに囁いた。「あいつが教授と言えるかな」
「何か仰りたいことでも?」
ハーマイオニーが眉を吊り上げた。
「いいえ、なんにも。あ、ほら、ジニーたちが入って来るぞ」
ハリーたちがお喋りしている間に、歓迎会の準備は整ったようだ。監督生たちの指示でだんだん大広間は静まっていき、みんなが入り口の扉に注目した。
扉が開いた。マクゴナガルが小さな生徒を引き連れて入ってくる。
ジニーたち新入生は不安そうな、けれど期待に満ちた顔で豪華に飾り立てられた大広間を見回していた。
「ジニーのやつ、グリフィンドールに選ばれるといいけど」
ロンが心配そうに言った。
ハリーは当然知っていたが、ジニーがグリフィンドールに選ばれるとウィーズリー家の子どもたちはみんな大喜びした。
ジニーは緊張がやっと解けたのか、ほっとした顔でテーブルについた。
全ての組み分けが終わり、ダンブルドアが食事の合図をする。
ハリーはダンブルドアの声が聞こえる方に、顔を向けることが出来なかった。自分の中にある恥を、見透かされたくなかったのだ。隠すことでますますその重みが加わっていく気がする。体は戻ったのに、心はもう元には戻らない。
大人になるほど、自分の弱いところばかり目につく。しかもそれは事実で、否定することも出来ない。隠し事のある人間にとって、ダンブルドアは脅威なのかもしれない。見透かされることを恐れる卑怯者は、あのアイスブルーの瞳を避けたがる。昔はたまにしか感じなかったそれを、今のハリーは常に意識していた。ダンブルドアだって普通の人間だ。罪を裁く神などではないと分かっているのに、ハリーはダンブルドアの目が失望の色に染まるのを酷く恐れた。
「ハリー! 食べなよ!」
ロンが口いっぱいにステーキを頬張りながら言った。ハリーは弱く微笑んで、目の前の骨付きチキンに手を伸ばす。
かなり久々の、生徒として食べるホグワーツの食事だ。
ハリーは食事の間くらい、頭から大人らしい考えを排除しておくことにした。
友達と気楽にお喋りしながら、健康のことなんか気にせずに美味しいものをたらふく食べて、校歌を大きな声で歌う。
小さい子が怪我をするかもしれない、生徒が悪戯をしかけないか、などを心配するのは先生たちに任せて、ハリーは久々にホグワーツの宴会を無邪気に楽しんだ。
色んな種類のアイスクリームを混ぜて食べるなんて、いつぶりだろうか。
ハーマイオニーがあまり良くない顔をしている中、ロンと二人でちょっと行儀の悪い食べ方でデザートを楽しんだ。本当に、楽しかった。
その日の夜は、満足した気分で眠りについた。懐かしいグリフィンドールのベッドに身を横たえて、柔らかい感触に包まれると、ハリーは少しだけ泣きそうになった。そうしてゆっくりと、眠りの世界へ落ちて行った。
ハリーは暗闇の中に浮かんでいた。
スリザリンはダメ……スリザリンは嫌だ。
誰かの声が聞こえる。
僕はスリザリンなんかじゃない。スリザリンは嫌だ!
暗闇の中に、組み分け帽子を被る男の子がいる。その子だけがくり抜かれたみたいに、闇から浮かんでいる。驚くことに、その子はハリーそっくりだった。いや、本当にそうなのかもしれない。
スリザリンは嫌かね? 君は偉大になれる可能性があるんだよ。
スリザリンは嫌だ。スリザリンだけはダメ。
よろしい、それなら。
帽子が大きく口を開く。
「スリザリン!」
帽子の言葉に、男の子は絶望したように口を開く。
ハリーは手を伸ばした。筋張ったハリーの手が、男の子に近づこうとする。
けれどだんだん彼は離れていく。絶望に顔を歪めたまま。
「アルバス!」
ハリーは叫んだ。
「パパ」
幼い声がした。ハリーのシャツの裾が軽く引っ張られる。振り向くと、赤毛をポニーテールにして首元でその房を揺らしている小さな女の子がいた。
「リリー?」
ハリーは今しがた、自分が何かを追っかけていたような気がしていた。しかし、そんなわけがない。
目の前にあるのは、自分の家の明かりがついていない階段だ。目的の人物は、クリスマス休暇のために家に帰って来てからずっと部屋に閉じこもり、これから夕食に呼び出すつもりだった。
ハリーは、小さく頭を振ると、不安げな表情の娘に向き直って腰を落とした。
「リリー、どうしたんだ?」
優しく尋ねると、同じ目線の高さにある琥珀色の瞳が揺れた。
「アルとお話しに行くんでしょう。あのね、アルに伝えてほしいの。私は、私も、あと二年経てばスリザリンに入るって」
そう言うリリーの顔は曇っていて、心からスリザリンに入ることを望んでいるようなものではなかった。
「リリーは本当にスリザリンに入りたいのかい?」
ハリーの問いに、リリーは少しだけ考える素振りを見せた後、閃いたように両眉を跳ね上げた。
「だって、私だったらどこでも上手くやっていけるわ。そうでしょう?」
「ああ、そうだね」
ハリーは微笑んだ。
「でも自分が本当に入りたいところを選んだらいい。兄さんは兄さんでちゃんとやるさ」
「アルは寂しそうよ」
ハリーは、駅からずっと口を噤んで無口だった息子の顔を思い浮かべる。
「ああ……だけどその内、上手くやれるようになる。スリザリンだって悪くないって分かるようになるだろう」
そのとき、奥のリビングでジェームズの騒ぐ声が聞こえた。爆発するようなクラッカーの音と、大きな笑い声が家中に響く。
リリーが呆れたように目を回した。
「ジムの元気を半分くらい分けてあげられたらいいのにな」
「パパもそう思うよ。ほら、アルバスはパパが何とかするから、お前はクリスマスケーキを食べておいで」
リリーは父親に頭を撫でられると、くすぐったそうに肩を竦める。そしてリビングに方向を変えかけたが、「あ」という声を出してまたハリーを振り返った。
「パパ、大好きよ」
しゃがんだままだったハリーの首元を抱きしめて、ハリーが「パパもだ」と返すと満足したように向こうへ駆けて行った。
そんな娘の後姿に笑みをこぼして、ハリーは薄暗く静まった階段を見上げた。
深呼吸をし、気合を入れて一段目に足を乗せる。
二階はひっそりと静まり返っていた。下から聞こえてくる賑やかな空気が、ここでは寂しさに変わっていく。
アルバスの部屋からは、明かりは漏れていなかった。
ノックをしても、返事はない。
「アルバス、父さんだよ。入ってもいいかい?」
何も返ってこない。ハリーはドアノブをゆっくり回した。鍵は開いている。
「アルバス、入るよ」
慎重に開けた扉の向こうは、ベッドサイドの電灯すらついていなかった。杖を振って、杖先に淡い光を灯す。暗い部屋の中で、アルバスは壁を向いてベッドに横になっていた。
ハリーは静かにその姿を見つめていたが、あまりにもその背が微動だにしないので起きているのだと確信した。
ハリーは部屋の中に入った。ベッドへと近づき、横たわっている息子の傍に腰を下ろす。ベッドが軋んだ音をたてた。
「やあ、アルバス。どうした、キングズ・クロスにいるときからずっと機嫌が悪いな」
微かに上下する肩に手を置くと、掌に、子どもの高い体温が伝わってきた。
「父さんは迎えに来なくてもよかったんだ」
ハリーの言葉から一分経った頃に、やっとアルバスは口を開いた。
「そうしたらどうやって帰るつもりだったんだ?」
ハリーは笑いながら聞いた。
「ホームじゃなくて車の所で待つとか。それか、スコーピウスのお父さんに送ってもらった」
「そんなに父さんのことが嫌いか?」
身を乗り出して、顔を覗き込むと、アルバスは泣くのを耐え忍んでいるかのように唇を噛んでいる。
「来てほしくなかったんだ。嫌だった。どうして分かってくれないの?」
「アルバス、父さんは――」
ハリーは言葉を切った。行きたかったんだ、お前たちを迎えに、ホームまで。それは、ハリーがしてもらえなかったことだから。
初めてジェームズを送り出したとき、ハリーはホームから立ち去るホグワーツ特急に、昔とは違う感動を覚えた。
遠ざかっていく、自分の子供を乗せた汽車。寂しいようで、どこか誇らしい気持ちが満ち足りていくのを、毎度感じている。それはきっと、ハリーの両親が生きていたら感じてくれたものだろうと、想像の中で自分と両親の姿が重なる。その時のハリーは、今の家族への愛と、両親から与えられていただろう愛を、同時に感じることができた。
けれどこれは、ハリーだけの感情だった。ハリーは子育てをするとき、つい自分がしてほしかったことを基準に考えてしまうため、自分と子供たちはまた別の人間だということを常に心の中で唱えなければいけなかった。
気づかれないように深呼吸をして、ハリーは口を開いた。
「アルバス、お前が周りに何かを恥じているのなら、それは感じる必要のないものだよ。周りを気にする必要なんて全くないのだから」
「でも、ガッカリしてるんでしょう?」
「何にガッカリするって言うんだ?」
アルバスが僅かに寝返りを打って、言わなくても分かるでしょ、と言いたげな目つきでハリーを睨む。
「選択は、ただの手段だ。そこに正しいか間違いかなんてない。選んだ先でどうするか、それが大事だと父さんは思うよ」
ハリーの言葉に、アルバスは不満そうだった。
「父さんは知ってるからもう間違わないでしょ。僕は父さんほど何かを知ってるわけじゃない。気づかない内にいっぱい間違ってるかも」
「その通りだ。そして父さんだって、お前と同じだよ、アルバス。生きてる限り、必ず苦難は訪れる。そうすると、時に、信じてるものを忘れてしまうことがある。知っていても、それを行動に起こすのは中々できることじゃない」
ハリーは息を吸った。
「アルバス・セブルス。例え、誤った道に進んでも、過ちを犯しても、人はいつだって善の道を選ぶことが出来る。勇敢になれる。そう教えてくれる名前だ。ダンブルドアも、スネイプも常に善人だったわけじゃない。二人が善の道を選ぼうと覚悟した後でも、間違いを犯すことはあった。それでも、そうあろうと思うことが大切なんだよ。だから、いつでも思い出せるように、お前にその名前をつけた。アルバス・セブルス、そう唱えればいつでも思い出すことが出来る。決して手放してはいけないことを」
「善って何? 僕が今からグリフィンドールに移ること? それともジェームズみたいに色んな人と友達になること?」
アルバスが苛々したように言い捨てる。
「父さんも答えを知っている訳じゃないが、たぶんそれは、自分の人生を誰と比べることもなく、一緒にいて孤独を感じない人のそばで、幸せに過ごすことなんじゃないかと思ってる」
「自分が幸せに過ごすの? 相手を幸せにするんじゃなくて?」
「もしお前が相手のことを愛しているなら、その人が不幸になるのは嫌だろう? その人が幸せになっていると、自然と自分も幸せになる」
アルバスは考えるように上を見た。
「分かったような気もするけど……」
ハリーは息子の髪を指先に絡めながら、そっと笑みを作った。
「きっとこれは、そう簡単に理解できることじゃないんだ。父さんだって、まだ理解しきれていないんだから」
アルバスの視線が、初めてハリーの視線と重なった。自分と同じ緑色の瞳が、薄く張られた涙の膜で揺れている。
「僕はダンブルドアやスネイプのようにはなれないよ。父さんみたいにだって」
「誰かのようになれというわけじゃない。アルバス、お前が見つけるのはお前の道だ。自分なりの方法で探し、自分なりの受け止め方をするんだよ」
アルバスが、息を呑んだ。
「父さんは、僕のことを愛してる?」
喉を抑え込まれたような、詰まった声だった。ハリーはアルバスの頬に手を伸ばす。
「ああ、もちろん」
小さな顔をそっと撫でると、アルバスは視線を流した。
「もう学校には行きたくない」
「ホグワーツにか?」
ハリーは心底驚いた。自分が学生だった頃は、そんなこと全く思わなかったからだ。考えもしなかった。しかし、すぐにアルバスは“自分”ではないと思い出す。
「まぁ、お前が行きたくないのならそうしてもいい。家で父さんや母さんが勉強を教えてもいいだろう。そうだ、友達が出来たんだろう。スコーピウスにはそのことはもう話したのか? 学校に行かないと、言っておいた方がいいんじゃないかな?」
「そんなこと言えないよ」
飛び起きたアルバスはまごついた。
「だって、そんなこと言ったらきっと悲しむ」ここで一度言葉が切られた。「それに、僕だって、そんなお別れみたいなこと言いたくない」
「そうか」
ハリーは微笑む。すると、上体を起こしていたアルバスは膝を抱えて、口元を膝頭にくっつけながら声を出した。
「じゃあ、もう少しだけ……通ってみるよ。イースターまでとか……。帰りたくなったら、帰ってきてもいい?」
「お前がそうしたいのなら」
ハリーはアルバスを抱えられてる膝ごと抱きしめた。
「父さんはお前を愛しているよ、いつだって」
いつだって。
ハリーは何かの気配で目が覚めた。
上半身を起こして、枕元に置いていた眼鏡を掛ける。眼鏡の隣に置いていたアナログ式の腕時計は、まだ真夜中を指していた。
見ていた夢の内容を、はっきり覚えている。実際にあった出来事の記憶が主だったが、その前の不思議な場面はまさに夢らしい。結局、あの帽子を被っている少年がハリーなのか、アルバスなのか分からなかった。ハリーは確かに、自分の組み分けに関して深く悩んだ時期があった。ちょうど今の時期だ。当時は本当にスリザリンが嫌で、組み分け帽子の「君はスリザリンでも上手くやれる」という言葉が「君もヴォルデモートと同じ恐ろしい怪物だ」と言われているように聞こえた。実際、スリザリンは悪でもないし、ヴォルデモートは人間で恐ろしい怪物ではなかった。どうして今さら、あんな夢を見たのだろうか。やはりあれは、アルバスなのかもしれない。きっとそうだ。
掌には、つい今しがた息子を抱きしめたような感触が残っている。もうすぐ子供の世界に戻ってから一か月くらいになる。
何の傷跡もない小さな手を見ていると、自分に子供がいたことを忘れそうになって眩暈がした。ハリーは自分の手から目を逸らした。
そうだ、目が覚めたのは、何かここにいてはいけないものの気配を感じたせいだった。ハリーは急に気がついた。
開けっ放しのベッドのカーテンの向こうに、薄暗い部屋の様子が見えた。みんなよく眠っていて、子どもたちが発てる寝息や鼾が夜の静寂に溶けていく。ぐるりと部屋を見渡して、やっとハリーはこの部屋にいるはずのない姿を見つけた。
パーシーと同じ年頃の背の高い少年が、ハリーの机に腰をもたれさせて窓の外を見ている。
彼の端正な顔立ちが、月の灯りに照らされてぼんやりと透けていた。
トム・リドルがこちらを向いた。
少し透けてはいるものの、その視線をしっかり感じることが出来る。もう実体化できるようになったのか、と思うと同時に、ハリーは自分の体に何も異変が起きていないことを確認した。実体化できるほどの力は与えたようだが、ジニーのように魂を持って行かれているわけではない。ハリーは安心した。今のところは、全てが予想通りだ。
「トム」
ハリーが呼びかけると、少年は小首を傾げながらそっと近づいてきた。
「僕のことが、分かるの?」
「ああ、君がこうなれることは知っていた」
分かりやすいくらいにリドルの顔に驚きが広がった。
「それじゃあ行こうか」
ハリーはベッドから降りて、スリッパを履いた。洋服ダンスを開いて、透明マントと外出用のマントを引っ張り出す。
「行くって、どこへ」
「秘密の部屋へ」
この言葉には、リドルはその黒い瞳を僅かに揺らしただけだった。驚いてはいたのだろうが、その感情は普通の人では気づけないくらい上手く隠されていた。
「君に話したいことがある。でも、その前に場所を替えよう」
外出用マントの上から透明マントを羽織りながら、ハリーは言った。