これが覇王色の覇気か(違う
まだ日の上がりきっていない午前のこと。カルネ村の近くの森に一匹の魔獣が姿を現した。白銀の毛を血で赤黒く染めた大魔獣。知る人ぞ知るトブ大森林の南の覇者。森の賢王である。
しかし、森の賢王は縄張りから出て来ない魔獣だ。ここは森の賢王の縄張りの外であり、人間の生活圏のすぐそばだ。普通ならここに森の賢王がいることはあり得ない。
しかし、今森の賢王には普通ではない事情があった。数日前、自らの縄張りで巨大なトレントに似た生物が突然現れ、彼の縄張りの中で大暴れしたのだ。
もちろん森の賢王も必死に応戦した。しかしそのトレントは森の賢王よりもかなり強かった。もしも仮にだが東の巨人と西の魔蛇との三匹がかりであれば万が一もあったかもしれない。
しかしそんなことが起こるはずもなく、今森の賢王は身を大地に伏せ、傷が癒えるのをただじっと待っている。
そんな彼の探知範囲に一匹の生き物が入ってきた。足音、呼吸音などから察するにゴブリンよりも弱い。その上自分にも気が付いていないようだ。その証拠にその足音の持ち主はほとんど警戒もせずに森の賢王の方へと近づいてきた。
「うー、どこいっちゃったんだ…ろ」
藪をかきわけ、何かを探していた少女は森の賢王を見た途端絶句する。それはそうだろう。目の前にいるのは自分はおろか、王国最強の男でさえ勝てるか分からないほどの大魔獣なのだから。
少女は腰が抜けてしまったのだろう。その場に座り込んでしまう。その少女の様子を見て森の賢王は何かする気をなくした。どう見ても自分に危害を加えられる存在ではない。お互いが無言で黙り込む。とても静かな時間が流れた。森の賢王を恐れた生き物たちが別の場所に移動していて、他の物音さえも一切しなかった。
そしてしばらくすると少女の方も目の前の魔獣が自分を襲う気がないことに気が付いたのだろう。次第にその視線が森の賢王の様子をうかがうものに変わる。そして血で汚れた体を見て、なんとなくだが森の賢王がここにいる理由を察した。何かと戦って傷を負い、ここまで逃げてきたのだろう…と。少女はとりあえず村を襲うために来たわけではなさそうだとほっと息を吐く。目の前の大魔獣に傷を負わせられるようなのが近くにいるかもしれないのだが、さすがにただの村娘である少女はそこまで深くは考えられなかった。
少女はゆっくりとその場を後にして村に戻る。森の賢王はそのことを気にも留めなかった。
しばらくして森の賢王はまた何かが近づいて来る気配を感じた。足音から先ほどの娘がこちらに向かっていることに気づく。そして先ほど殺しておくべきだったかと少し後悔した。森の賢王は少女が増援を呼んできたと考えたのだ。しかし、聞こえてくる足音はいつまでたっても一人分だけ。他の人間はいないらしい。
妙だと森の賢王が首をかしげるのとほぼ同時に先ほどの少女が姿を現す。その手には青い液体が入った瓶が握られていた。
「あ、あの、怪我してるんでしたら、これどうぞ」
少女が瓶を差し出す。これには森の賢王も驚いた。少女の手に握られているのは昔人間が傷を癒すのに使っていた液体に酷似している。いや、怪我のことに触れていることを考えるに間違いなく傷を癒す液体、ポーションとやらだろう。
「って言っても分かりませんよね。ちょっと振りかけますね。おとなしくしていてください」
そう言って少女がはた目から見ても怪我をしていると分かる箇所にポーションを振りかける。森の賢王は少女の言う通り動かなかった。少女からは悪意を感じなかったし、瓶の中の液体の匂いはやはり昔自分の前で使われた治癒の薬と似ていたからだ。
青い液体が傷口―――魔樹にやられた場所だ―――に降りかかり、痛みが消えて行く。
「よかった、治りましたね」
森の賢王は傷口があった場所の匂いを嗅ぎ、舐め、本当に傷が癒えていることを確認する。そして少女に向き直った。もうすでに森の賢王はこの少女をただの人間とは考えていなかった。自分の傷を治してくれた、感謝すべき相手だととらえていた。
「かたじけのうござる。助かったでござるよ」
「…!しゃ、しゃべれたんですね…」
魔獣がしゃべれることに今度は少女が驚く。それを見て森の賢王は少しばかり面白くなった。有体に言えば森の賢王は目の前のこの少女を少し気にいったのだ。おもしろい人間だ…と。
「ええっと、もしかして森の賢王様でしょうか?」
「おおっ、確かにそう呼ばれたこともあるでござる」
「す、すごいです。本当にこんなにすごい大魔獣だなんて思ってもいませんでした」
森の賢王の中で少女に対する好感度がまた少し上がる。目の前の少女には格上のものに気に入られる特技があるのだろうか?
「お主名は何と言うでござるか?」
「え?ええと、エンリです。エンリ・エモット」
「そうか、エンリ殿。この借りは必ず返すでござる。何かしてほしいことはござらぬか?」
「してほしいこと、ですか?」
森の賢王はしばらくは元の縄張りには戻れない。それどころか新しい縄張りを作る必要があるかもしれないと考えていた。魔樹はかなり動きが遅かった。昨日の今日だおそらく大して移動していないだろう。そうなるとまだ縄張りにいるのだから縄張りを変えるのは当然だろう。
そして、ここから離れ、別の縄張りを探しに行く前に出来ることならやってやろうと考えていた。
森の賢王のその提案に焦ったのはエンリの方だった。ポーションをかけたのも傷が癒えればこの村に危害を加えずにどこか行ってくれるかもしれない、くらいの軽い考えしかなかったのだ。英知を感じる瞳をしているとは思ったが、まさかしゃべれるほどの高位魔獣だとは思ってなかった。そしてまさか恩返しをしてくれると提案されるとも思っていなかったのだ。
「え、ええっと…」
だからどもってしまったのも無理はない。頭の中で色々な案が浮かぶも、すぐに消えて行く。たかがポーション一本―――しかも友人が無償でくれた品だ―――で大それたことは頼めない。大混乱の末にエンリが導き出したのは村のためにも家族のためにもならないような提案だった。
「なら私とお友達になりませんか?あ、あの、色々おしゃべりとかできると楽しいと思うんです」
「なんと!友達でござるか!?それがしには今まで友と呼べるものなどいなかったから新鮮でござるな!」
どんな欲深い言葉が出るかと思ったらまさかの友達になろうという提案。友達という関係にかこつけて色々頼みごとをするつもりかもと思いもしたが、どうも目の前にいるこの少女は本気で言っているようだ。
森の賢王はエンリにさらなる興味を得た。
「では姫と呼ぶでござる。そちらもそれがしを様づけで呼ぶ必要はないでござるよ?」
「ええと、では賢王さんでって、姫ぇ!?」
「ふむ、そういえばそれがしには名前がなかったでござる。姫に名前を付けてほしいでござる」
「いや、それよりも姫ってなんです!?さっきまでは名前呼びだったじゃないですか!」
自分の付けたあだ名に思ったよりも面白い反応を返してくるエンリに森の賢王は自らも気づかぬうちに微笑んでいた。やはりこの少女は面白い。
「渾名でござるよ。女の子だから姫でござる。それよりも殿のほうがいいでござるか?」
「あ、いえ姫でお願いします」
「ふふ、では姫もそれがしに渾名を付けてほしいでござる」
「あ、渾名…渾名」
エンリは悩む。そもそも何かに名前を付けた経験などないのだ。必死に考えるが、あまり良いと思うものが浮かんでこない。うーん、うーんと思考をめぐらすエンリの頭の中に突如として天啓が訪れたかのように、一つの名前が浮かび上がった。
「では、ハムスケというのはどうでしょう?」
「うむ!気に行ったでござるよ。それがしはたった今からハムスケと名乗るでござる!」
ふぅ、とエンリが額の汗をぬぐう。ありがとう名前も知らぬ神様。なんか骨っぽかった気がするけどまあ幻覚だろう。彼女はそんなことを思いながら名前を得て喜ぶ魔獣を見る。ずいぶんと毛色の変わった友達ができたものだ。でも、それに喜びを感じている自分もいる。変な感覚だ。
「それではまずなにをするでござる?」
「あ、すいません。私洗濯の途中なんです」
「むむ、そうでござったか。ではそれがしも手伝うでござるよ」
「本当ですか?ありがとうございます」
エンリとハムスケは新しい友達と一緒に歩く。その姿は将来のエンリを暗示しているように見えた。
ただ、ハムスケを連れて帰ったカルネ村は大騒ぎになった。
エンリ・エモット lv2
大魔獣使いの少女
ファーマー lv1
ビーストテイマー lv1
ハムスケ lv33
森の賢王
種族スキル
ジャンガリアンハムスター lv33
この話の数ヵ月後のエンリとハムスケの会話
ハムスケ「そう言えば姫、何で姫がポーションなんて持っていたでござるか?結構お高いものなのでござろう?」
エンリ「何かよく分からないけど友人がくれたんです。真っ赤な顔して。風邪をひいて意識がもうろうとしていて間違えて渡してしまったんですよ」
ハムスケ「そうなのでござるか?」
エンリ「はい。ンフィーも必死に否定してたし間違いないと思います」
ハムスケ「(ああ、そういうことでござるか。がんばるでござるよンフィーレア殿)」