LIFE OF FIRE 命の炎〔文章リメイク中〕   作:ゆっくん

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第二十四話 LIFE_OF_FIRE 命の炎

 

 

 

 

病錬前に設置されたベンチに腰を降ろしていたクーガ・リー。その隣には、先程知り合ったばかりの少年『春風桜人』の姿があった。彼はソーイングセットでクーガのちぎれた携帯ストラップをチクチクと縫ってくれていた。その間、彼の身の上話へと会話は発展する。

 

 

「そっか、病気を治す為に『アメリカ( こ っ ち)』に来たんだな、桜人は」

 

 

桜人から聞いた話から察するに、恐らく彼は『AEウイルス』に感染しているようだ。

 

 

火星原産『A(エイリアン)E(エンジン)ウイルス』

 

 

この未知のウイルスの近縁種は地球上に存在しない上に、タチの悪いことに何故かウイルス自身も増殖することがない。

 

 

故にワクチンを開発する為のサンプルも入手出来ないという、八方塞がりの状態になってしまっている。ワクチンがない以上、感染すれば今のところ死亡率100%というのが今の現状である。

 

 

「………恐くないのか?」

 

 

デリカシーの無い質問に聞こえるかもしれないが、クーガは聞かずにいられなかった。自分が桜人の立場だったら、正直こんな風に外に出歩くことすらもままならないと思う。

 

 

治療出来る確率も低く、唯一の治療法も間に合わないかもしれない。そんな状態にまで追い込まれてしまったら、自分であれば毎日病連棟のベッドで枕を濡らしながら死を待つだけの日々を過ごしていただろう。

 

 

にも関わらず、桜人は一見すると平然とした様子で過ごしている。本当は恐いのだろうが、強がりにしても恐怖を隠せるのはクーガから見れば充分に凄い事だった。クーガが桜人ぐらいの年齢の時は、恐くて泣くことぐらいしか出来なかったから。

 

 

「…………ボクだって恐いよ」

 

 

でもね、と桜人は続けて言った。

 

 

「ヒザマルさんが約束してくれたんだ。火星から帰って、必ずボクの病気を治してくれるって」

 

 

『AEウイルス』感染者の唯一の希望。それは火星にワクチンのサンプル及び作成に向かった『アネックス1号』の生還。しかし、その道のりは非常に困難で危険だ。

 

 

しかも『アネックス1号』のクルー達が生還出来る確率は、決して高くはない。それでも患者達はそれにすがることしかできないのが現状である。

 

 

「帰ってきたらね、ポテトも買ってくれるって言ってたんだよ!後ね、ピザも!!」

 

 

桜人は、嬉しそうに燈との約束のことを話す。どうやら彼のことを信じて疑わない様子だ。

 

 

「……あいつは強い奴だからな。きっと桜人との約束も守る為に帰ってくる」

 

 

クーガはクシャクシャと桜人の頭を撫でながら、自らの友を思い起こしていた。

 

 

『膝丸燈』

 

 

クーガ・リーという人間に生まれて初めて出来た友人。同じ境遇というか、似た者同士だったから気が合ったのかもしれない。

 

 

彼は強い。恋心を抱いていた幼馴染みが『AEウイルス』で死んでしまったにも関わらず、彼女と同じ境遇の誰かを助ける為にもう一度立ち上がれて出来てしまったのだから。

 

 

自分には無理だ。もし自分が彼の立場だったら、唯香や他の大切な人々が死んでしまったら、自分では立ち直れないだろう。それが出来た彼は本当に強い。そんな風に友のことを思い返していると、桜人はそっと口を開いた。

 

 

「でも、今はもう一度会えるかわかんないよ」

 

 

彼は俯き、ストラップを縫っていた手を止めた。

 

 

「……桜人?」

 

 

「ヒザマルさんが帰ってくるまでボクが生きられるかなんてわからないし、それに雑誌に書いてあったんだ。U─NASAの人達が色んなところで〝じょうほうきせい〟を行ってるのは、色んな事件の情報を隠す為だって」

 

 

桜人は不安からか、瞳に涙を貯めている。

 

 

ゴシップ誌も罪なものだ。面白おかしく書こうとするあまり、過剰に不安を煽る記事内容を書いたのだろう。しかし、火の無いところに煙は立たぬというようにそれらは間違いではない。

 

 

それらは事実。地球圏で事件が起きているのは、全くもっての事実。むしろ、あれだけやっても情報が漏れていないU─NASAの手際の良さに拍手を送りたいものである。

 

 

「ボクね、帰ってきたらヒザマルさんに空手の奥義教えて貰う約束したんだ。ヒザマルさんみたいに強くなりたいから。でも……こんな弱虫じゃきっとなれないよね」

 

 

こぼれかけた涙を慌てて拭った桜人を見て、クーガは思わず呆れて溜め息をついた。彼が涙を流したことに呆れたのではない。彼が涙を堪えようとしていることに呆れたのだ。

 

 

「あのな桜人、人間ってのは誰でもみんなが弱虫なんだぜ?」

 

 

「……え?」

 

 

「楽しかったら笑って、悲しかったら泣く。それが当たり前なんだよ。じゃねぇと他人が何考えてるかわかんなくて不気味だろ?」

 

 

桜人は戸惑いつつも、一瞬思慮した後にコクンと頷く。

 

 

「つまり人間ってのは泣くように出来てる。そんな風に感情を見せ合えるから、強さも弱さも見せ合えるから、お互いの気持ちをわかりあえる生物に進化したんじゃねーかな?」

 

 

これらの言葉は、クーガが『アネックス1号』のクルーと過ごした1週間で学んだこと。人間とは〝強さ〟だけでなく〝弱さ〟も あって初めて完成される生き物。

 

 

〝強さ〟だけでは誰も支えてくれないし、〝弱さ〟だけでは誰も救えない。その2つを見せ合って初めて人間はお互いを信頼し合い、支え合いながら生きていけるのである。

 

 

「まっ……とはいえ弱さってのは恥ずかしいし、他人には見せられないもんだよな」

 

 

クーガは桜人を自らの胸板にそっと抱き寄せる。

 

 

「今のうちにこっそり泣いとけ。オレは世界で一番の弱虫だからな。お前が泣いても笑ったりなんかしやしないさ」

 

 

言葉をかけた後に背中をポンポンと叩くと、腕の中で体を震わせながら桜人は涙を溢した。彼の体温と涙を直に感じながら、クーガは自らの不甲斐なさを痛感する。

 

 

一般人である桜人があんなに気丈に振る舞っていたのにも関わらず、『地球組』である自分が怯えてる場合ではないだろうに、と。

 

 

 

 

 

──────────────────────────

 

 

───────────────

 

 

 

 

雲一つ無い青空の下。彼の頭上に広がる天気と反比例して、彼の心は曇り模様そのものだった。

 

 

クーガと少年のやり取りを屋上から傍観していた『地球組』構成員〝ユーリ・レヴァテイン〟は、〝使命〟と〝願望〟の狭間で頭を悩ませる。

 

 

そもそもユーリは、過去に自らの瞳を奪った男であるヤーコフに復讐を果たす為に『MO手術』を受けた。

 

 

そのヤーコフの情報を得る代わりに、『アネックス一号』が火星に到達するまで地球にて起こりえるトラブルには手を出すなと『ロシア首脳』から取り引きを持ちかけられた。

 

 

「………悩むことはない」

 

 

ユーリは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

 

 

例えばの話だ。ドラゴンボール、魔法のランプ、何でもいい。

 

 

待望してきたものが目の前に転がりこんできた場合 、手を伸ばして掴み取ってしまうのが人間の(サガ)なのではないだろうか。

 

 

故に自分は間違ってない。自己暗示にも近い形で、何度も何度も自分に言い聞かせた。

 

 

 

 

 

なのに。

 

 

 

 

 

─────────決まってんだろ。仲間だからだ。

 

 

 

 

なのに。

 

 

 

 

 

─────────少なくとも今だけはお前は一人じゃないってこった。疑っても構わねーけどよ、嫌って言ってもお前のことも守るからな

 

 

 

 

 

なのに何故、自分は正しいと唱える度にクーガの言葉が蘇る?

 

 

そしてそれを思い出す度に何故、自分の心は空虚で虚しいものになっていくのか。

 

 

自問自答を繰り返しても、問いかけだけが反響を繰り返すだけで答えは返ってこない。

 

 

そんな身動き出来ない自らの心の状態に嫌気が差し、ユーリは逃げるかのように葉巻へと手を伸ばした。

 

 

着火してくわえた後、徐々にゆっくりと口の中に香りが広がっていくのを感じる。この瞬間だけは悩ましい現実を忘れられた。ひとしきり香りを堪能した後に、ユーリは大きく煙を吐き出した。

 

 

「ケホッ!!ケホッ!!」

 

 

その途端に弾き出された女性の咳き込み声に、ユーリは我に返って慌てて火を消す。屋上とはいえここは病棟だ。考え事をしていたとはいえ、些か非常識な振舞いをしてしまった。

 

 

「………申し訳ありません。私の非礼をどうかお許し下さい」

 

 

咳き込んだ声の方向に頭を下げた後にゆっくりと頭を上げてみると病衣に身を包んでいるものの、どこか芯の強さを伺わせるロシア人女性が立っていた。

 

 

確か、この女性には見覚えがある。

 

 

そうだ。確か。

 

 

「人違いであれば申し訳ありません。もしかしてジーナさんでしょうか?」

 

 

「………そうだけど?」

 

 

怪訝そうな顔で、ユーリを見つめるこの女性。

 

 

『アネックス一号』ロシア班を束ねる班長、〝シルヴェスター・アシモフ〟の愛娘であるジーナに間違いない。

 

 

もし〝軍神アシモフ〟と恐れられた彼が今この場にいたならば、自分は確実に半殺しにされていただろう。彼の愛娘の溺愛ぶりは敵対していた時期もあるロシア軍部にすら伝わっていた程である。

 

 

娘の携帯の暗証番号を当てるのが特技だと聞いた時には、ある意味戦慄を覚えたが。

 

 

「…何で私の名前知ってるのか聞いてもいい?ハンサムさん」

 

 

「お父上と面識がありますので」

 

 

「あー!ロシアの人かぁ!なんだびっくりさせないでよ!てっきりパパが護衛雇って過保護モード発動してるのかと思んだけどね~…」

 

 

ジーナはフゥと安堵する。酷い言われ様ではあるが、彼の過保護っぷりからしてやりかねないので杞憂するのも無理ない。

 

 

「で、ハンサムさんは何をボッーとしてた訳?」

 

 

ユーリの葉巻を消そうとしていた手がピタリと止まる。事情を馬鹿正直に話す訳にもいかないし、彼女に話したところで解決出来るとも限らない。

 

 

ただ、この悩みを自分の中だけに留めておくのは最早不可能だった。ユーリはそっと口を開く。

 

 

「もし…大切な二つのどちらかの選択を迫られた場合、貴女ならばどちらを取りますか?」

 

 

「そうね…って。何一つそっちの事情聞いてないのにアドバイス出来る訳ないじゃない」

 

 

それもそうだ。自分の話はあまりに抽象的すぎる。かといって〝復讐〟か〝仲間〟のどちらを選ぶかで悩んでる、などと多少ぼかしたワードで言い換えても勘ぐられそうで恐い。

 

 

どうやって伝えたものかと、ユーリが慎重に思案していた時だった。気難しい顔で物思いにふける彼に対して、ジーナの口から溜め息が漏れる。

 

 

「いいよ、言いたくないなら無理しなくて」

 

 

ジーナは屋上の冊に手をかけながら空を見上げた後、どこか切なげな表情を浮かべて語り始めた。

 

 

「…ハンサムさんは、うちのパパのこと知ってるなら旦那のことも知ってる?」

 

 

「アレクサンドル・アシモフさんのことですね」

 

 

「そーそー。あのグラサンハゲのこと」

 

 

〝アレクサンドル・アシモフ〟

 

 

退くことのなき双剣の騎士(ス マ ト ラ オ オ ヒ ラ タ ク ワ ガ タ)』の特性を持つ、『マーズ・ランキング七位』のロシア班の一員である。知らない筈がない。

 

 

「旦那もさ、パパと一緒に火星に行っちゃったでしょ?本当のこと言うとね、ちょっとだけ心細いというか、なんというか」

 

 

自らこぼした本音に、ジーナは恥ずかしそうに微笑む。しかし、全く恥じる必要はないだろう。ただでさえ『A・Eウイルス』なんていう未知のウイルスに感染したのだ。

 

 

『アネックス一号』の任務が成功するかわからない〝不安〟と、ワクチンの作成に成功したとしてもそれまで自分が生き永らえる保証はないという〝恐怖〟で日々押し潰されそうになってもおかしくない。

 

 

そんな時に肉親や、まして最愛の夫には側に居て欲しいというのは当然の願いではないだろうか。

 

 

「それでもね、パパと旦那の選択を私は誇りに思ってるよ。何でだと思う?」

 

 

ジーナから突然質問を振られ、ユーリは僅かに悩んだ後にこう返した。

 

 

「…………祖国の名誉の為でしょうか?」

 

 

「は・ず・れ。頭が堅いね、ハンサムさんは」

 

 

ヤレヤレと言わんばかりに、ジーナはフゥと息をついて、言葉を続ける。

 

 

「理由はね、お父さんも旦那も〝どんな時でも一番大切な物〟を優先したからかな」

 

 

〝どんな時でも一番大切な物〟?

 

 

そんな物が存在するのだろうか。

 

 

「それは…一体?」

 

 

ユーリが尋ねると、ジーナは優しく微笑みながら口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

「  命かな  」

 

 

ジーナは愛しそうに、膨らんだ腹部を撫で下ろした。何度も何度も、そこに宿った命を噛み締めるかのように。

 

 

「………命?」

 

 

「そう。命だよ。触ってみる?」

 

 

ジーナはユーリの腕を手に取ると、自らの腹部へと導いた。

 

 

衣服越しでも確かに感じ取れる。確実に新たな命が自分の掌の向こうで、彼女の中で、強く正しい音を刻んで脈動している。

 

 

「これが名前も知らない、事情も知らないハンサムさんに私からあげられる答えだよ」

 

 

不思議そうに掌の感触を確かめるユーリ。そんな彼に暖かく微笑んで、彼女はこう告げた。

 

 

「どんな時でも、命に優る選択肢なんてない。それだけ肝に命じておけば、きっと迷うことも、後悔することもなくなるよ」

 

 

ジーナは、病衣を着込んでいる上に僅かばかりにやつれている。お世辞にも健康体とは言えない状態だろう。しかし、今の彼女は生命力が満ちているかのような錯覚すらも覚える。

 

 

綺麗だ。ユーリは彼女を見つめる内に、そんな率直な感想を抱いた。

 

 

釘を刺しておくが、ユーリは彼女に情欲を燃やした訳ではない。

 

 

素直に綺麗だと思ったのだ。彼女自身が、いや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─────────────── 命が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人の頬をゆるやかな風が撫で、吹き抜ける。

 

 

ただただ、沈黙が続いた。特に何か特別なことをしている訳でもないのに、ユーリは今まで生きていた中で最も強く自らの命と、他者の命を強く噛み締めていた。

 

 

この不思議な感覚に、少しでも長く包まれていたい。純粋に、そう強く願った。

 

 

しかし、その幸福は意外にもアッサリと終焉を迎えた。

 

 

その数コンマ後のことだった。

 

 

「ケホッ!ケホッケホッ!!」

 

 

ジーナが突如咳き込み始める。痛々しい苦痛が連続して空を裂き、その場に響き渡る。

 

 

ユーリは足元にぬるりと、妙な感覚を覚える。

 

 

ふと足元に視線を移すと、その正体はあっさりと判明した。

 

 

血のプールが出来ている。彼女のものだろう。先程の僅か数回の咳で、こんなにもおびただしい量の血を吐き出してしまったのだ。

 

 

彼女へと目線を戻せば、やはり掌の間から血がボタボタと垂れていた。

 

 

そして更に、ユーリが掌で確かめていた〝新しい命〟にも変化が起こり始める。

 

 

ドン。ドン。ドン。

 

 

まるで助けを請うかのように、彼女の中の胎児は悲鳴をあげていた。

 

 

タスケテ。タスケテ。タスケテ。

 

 

そう言っているのだろうか。

 

 

「ドクタァ!!」

 

 

ユーリはありったけの声を絞って叫んだ。目の前の燃え尽きようとしている命を救う為に。

 

 

 

 

 

 

─────────────────────────

 

 

───────────

 

 

 

 

 

アズサ・S・サンシャインと美月レナは、病衣に身を包んだ姿でトコトコと廊下を進んでいく。

 

 

アズサの後ろにレナがピッタリと付き添う形で歩くその様子は、まるでゲームの勇者一行や、合鴨の親子を連想させた。

 

 

「負傷してしまったとはいえ…お父様にお会い出来るのは頬が緩んでしまいますわね」

 

 

「〝けがのこーみょー〟?」

 

 

「ですわですわ!!」

 

 

この非常時に不謹慎とわかっていながらも、アズサは浮き立つ気持ちを抑えずにはいられなかった。

 

 

ここ数ヵ月『地球組』の発足準備やら何やらで父に会えていなかった上に、これから自分はU─NASAで処罰を受けなければならない。

 

 

暫く会うこともままならなくなるだろう。せめて、今のうちに父に精一杯甘えておきたいのだ。

 

 

アズサの脳内では〝ワルキューレの騎行〟という名曲がBGMとして大音量で流れる程に浮き立っていた。

 

 

「でっででーでー♪でっででーでーでっででーでー♪」

 

 

最も途中から本人も気付かない内に口から漏れてしまっており、通り過ぎる人々全てが百点スマイルを浮かべつつスピーカーを垂れ流す彼女に呆然としていたようだが。

 

 

ちなみにレナは指摘すればアズサは顔を真っ赤にしてヘコむことは確実である上に、傍から見れば凄まじく面白いので黙っていた。

 

 

そしてついに、彼女らは父親の病室の前へと辿り着く。

 

 

ここは個室だ。気兼ねなく、父に甘えられる。

 

 

「おっとうさまー!」

 

 

扉を横にスライドし、病室へと飛び込む。

 

 

そんな彼女の瞳に映ったのは、顎髭をたくわえた端正な顔付きの自らの父。そして、その隣には七歳ぐらいのドイツ人であろう男の子。

 

 

『ホフマン』と書いたネームプレートを首からぶら下げている。

 

 

二人は、ベッドをソファー代わりにして映画を見ていた。映画はアズサが小さい頃から大好きだった『千百匹のワンちゃん』だ。

 

 

いくら人がいいからといって、自分の娘二人が入院したこんな時に他人のこどもの面倒を見るとは如何なものか。メラメラと、アズサ(20)は嫉妬の炎を燃え上がらせる。

 

 

「お、お父様?そちらのちいちゃな子は何方ですの?」

 

 

アズサの父はこちらに気付いたようで、柔和な笑みを浮かべながら指を立てて〝シー〟とアズサに向かって人差し指を立てて沈黙を促す。

 

 

「ハッ、ハイ!」

 

 

アズサは声のボリュームを絞って返事した後に、静かに病室からフェードアウトした。

 

 

そのままエスカレーターを下り、今の時間誰もいない食堂へとレナを引き連れて着席した後にワッと泣き出した。

 

 

「あんまりですわ!あんまりですわ!」

 

 

「あんこまみれ の まりも」

 

 

「略してあんまりですわ!!」

 

 

レナが妙な合いの手を入れても、アズサが間髪入れずにそれを返しても、ツッコんでくれるクーガがいなければ収拾がつかない。そんな時タイミングよく、クーガが食堂へと到着した。

 

 

二人の負傷具合は知っていたとはいえ、その目で実際に見て安心したようだった。

 

 

「…アズサ、レナ。無事でよかったぜ」

 

 

「うぅ…身体は打撲でも心はブロークンハートですわ…」

 

 

「…レナ、こいつ何かあったのか?」

 

 

「ひんと ぱぱん とられた」

 

 

「ヒントどころか核心ついてるじゃねーか」

 

 

クーガは溜め息をつくと、アズサとレナにそれぞれ封筒を渡した。

 

 

「アズサのお父さんからだ。二人が入院したって聞いて心配してたみてーだからさ、怪我の具合伝えたらホッとした様子でそれ書いて渡してくれって言われてよ」

 

 

アズサとレナは各々ピリッと手紙を開封した後、手紙を各々熟読し始めた。手紙には彼女達を労る内容が書いており、読み終えた時にはアズサも満足気にニマッーと微笑んでいた。

 

 

「ま…あたくしもお子様相手に大人気ありませんでしたわね」

 

 

最後に甘えたいところでしたけど、と呟くとクーガはキョトンとした表情を見せる。

 

 

「お前らの懲罰なら免除して貰ったぜ。ちょいと交渉してな」

 

 

「へー…そうですのって…え!?」

 

 

驚くアズサとレナに、クーガは事の顛末を事細かに伝えた。レナは途中から話が難しくなりすぎて、頭がショートしてしまったようだが。

 

 

「でも…償いがないというのは…」

 

 

「難しいこと考えんな。『地球組』にはお前らが必要だってことだよ。オレ一人だけじゃ弱っちくて頼りねーから助けてくれよな」

 

 

そう言って溜め息をつくクーガを見て、アズサはクスリと笑った。

 

 

「…クーガは自分の強さに自信を持てないんですのね?」

 

 

「当たり前だろ。お前らに勝てたのだって不意をついて、弱い箇所を狙えたからだ。そんなことでもしなきゃ勝てねぇ実力じゃあよ、シュバルツに勝てるかどうかなんて目に見えてるよな」

 

 

そう弱気に呟くクーガからは、全く覇気が感じられない。余程、かつてない強敵との戦いを前にして不安なのだろう。

 

 

「…くーがはたしかによわっちい」

 

 

そんなクーガを見てレナは、敢えてクーガを弱いことを肯定した。

 

 

しかしその後、間髪入れずに言葉を続けた。

 

 

「〝だから、くーがはまけない〟」

 

 

弱いから、負けない。

 

 

誰が聞いても矛盾したそのフレーズに、今度はクーガの頭がショートする。

 

 

「え?弱いから勝てる?じゃあ強いと負けるのか?アシモフのおっさんといいお前らといいオレの頭をショートさせる気か!?オレの中での弱さがゲシュタルト崩壊起こしそうなんだけど!!」

 

 

頭を抱えるクーガを見て、アズサは微笑んだ。

 

 

「クーガこそ難しいことなんて考えずに戦いなさいな。もし負けたって、あたくし達がカバーして差し上げましてよ?」

 

 

「くーが は よわいからささえたくなる」

 

 

二人の言葉に混乱しつつも、クーガは大きく息を吐いた後に思わず笑みを溢した。

 

 

「…なんだかよくわかんないけど、ありがとよ」

 

 

アズサとレナの言葉をクーガは上手く噛み砕いて理解することは出来なかった。ただ、暖かくて心強かった。

 

 

そして、それがいよいよクーガの決意を固めた。

 

 

 

 

 

─────────────シュバルツと闘おう。

 

 

 

 

 

自分よりももっと弱いあの少年、桜人ですら死の恐怖と毎日闘っているのだ。

 

 

にも関わらず、自分だけが尻尾を巻いて逃げ出す訳にもいくまい。

 

 

それに「全て放り出して逃げ出す」という選択肢を選ぶにしては、自分が〝今守っているもの〟は全て大切で、かけがえのないものだった。

 

 

それらを全て放り出して逃げ出すなど許されない。どんなに弱くても、それは何もしなくていい理由の免罪符にはならないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

──────────────

 

 

 

夜が明けた早朝、病棟と隣接したU─NASAのエントランスホールにてユーリが一人ベンチに腰かけていると、松葉杖をつく音が聞こえてきた。振り返ってみると、奥の通路からエドが出てくるのが見えた。

 

 

「ユーリさん!急に通信切っちゃうなんて酷いですよ!心配したじゃないですか!!」

 

 

エドは心底ホッとしたように肩の力を抜く。急に通信を切断した後に連絡を入れてなかったし、彼がユーリを心配するのも当然のことだろう。

 

 

「…すまなかった」

 

 

「何であの時通信を切断したんですか?」

 

 

エドはこちらをしかめっ面で覗きこんでくる。申し訳ないという気持ちも相まって、ユーリは正直な理由を彼に話すことにした。

 

 

「君はあの時…クーガ・リーや、他の仲間達の見舞いに会いにいくことを提案しただろう?」

 

 

「はい。それが…何か?」

 

 

「正直に言うとな、後ろめたいことがあったから彼らに会わせる顔がなかったんだ」

 

 

険しいユーリの表情から何かを読み取ったのか、エドは隣に座ってユーリの背中をポンと叩いた。

 

 

「でも、正しい選択が出来たからここにいる。ですよね?」

 

 

「ああ。その通りだ」

 

 

ユーリは思い返す。

 

 

ヤーコフに裏切られた一瞬。

 

クーガと共闘した一戦。

 

ジーナと過ごした一時。

 

 

この三つの思い出を振り返るだけで、自然と答えは浮かび上がってくる。

 

 

「一人のゲスの命を奪うか、大切な仲間と多くの尊いの命を救うか。どちらがより意義あるものかは天秤に乗せるまでもないだろう?」

 

 

そう告げたユーリの瞳には、非常に強い意思が宿っていた。今の彼からは、迷いや躊躇いといった感情が一切感じられない。

 

 

「…ええ。その通りですよユーリさん」

 

 

エドはユーリの言葉に頷く。彼はきっと『地球組』の一員としてきちんと役割を果たしてくれる。それを確信したエドが安堵して胸を撫で下ろしていると、二つの新しい足音が聞こえてきた。

 

 

そちらに顔を向けると、二人の女性がこちらに近付いてくるのが見える。アースランキング第二位『アズサ・S・サンシャイン』と、アースランキング第三位『美月レナ』だ。

 

 

このまま二人の会話に合流するかと思いきや、アズサはユーリを見るなり苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて柱の陰から彼を睨み、彼を〝こう〟称した。

 

 

「ユーリ・レヴァテイン…〝今世紀史上最悪のお尻触り魔〟……」

 

 

突然アズサから名付けられた不名誉な肩書きにユーリはぎょっとする。すぐさま訂正しようとしたがしかし、心当たりがない訳でもない。

 

 

そう。『蛭間一郎暗殺事件』の時だ。あの時、高所から彼女を降ろす為に彼女を抱えたのだが、その際に嫁入り前の尻を触られたと喚いていたような気がする。

 

 

しかし、今のタイミングでそれを掘り返すか?

 

 

あの場にいたレナはともかく、事情も知らぬエドはすっかりそれを真に受けてしまったらしく、青冷めた表情でユーリを見つめた。

 

 

「ユーリさん…後ろめたい理由ってまさか」

 

 

「エド。少なくとも君が思ってるようなことではないから安心してくれ」

 

 

「そ…そうですよね!!」

 

 

勘違いをすぐさまユーリが訂正した後のこと。

 

 

今度はレナが動きを見せた。見覚えのない顔、つまりはエドが珍しかったのだろうか。

 

 

トコトコと歩み寄った後に、彼の回りをグルグルと回りながら全身をくまなく観察し始めた。

 

 

「えっ?えっ?」

 

 

まるで品定めをされるかのようにジロジロとレナに物色され、エドはあたふたと戸惑っている。暫くしてレナはようやく足を止めた。

 

 

「おい 〝しんじん〟」

 

 

「え?あ!はい!」

 

 

恐らくレナの言う「新人(しんじん)」とは、自分のことだろう。エドはそう察してレナの呼び声に返事をすると、彼女はゆっくりと右腕を振り上げて〝こう〟言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「〝にゃんぱすー〟」

 

 

「………にゃん、ぱすですか?」

 

 

突如発せられた聞き覚えのない挨拶に、エドはしどろもどろになって首を傾げる。

 

 

レナの発したその挨拶が、大昔の日本のアニメ流行語2013年大賞に輝いたことなど、ローマ人かつ2600年っ子エドが知っている筈もない。

 

 

いや、そんなコアな知識を知っていてたまるか。

 

 

しかしレナからしてみれぱそんなもの知ったこっちゃないらしく、どことなく失望したかのように溜め息をついた後に、手帳を取り出した。

 

 

「りあくしょん〝れーてん〟。きゅーりょー にひびくぞ、しんじん」

 

 

「ええ!?」

 

 

レナの理不尽な査定に、エドが目玉を飛び出しそうな程驚いていた時だった。

 

 

設置されたTVに、U─NASAから3kmの地点の交通が閉鎖されたことを告げるニュースが流れる。

 

 

その途端、四人は気の抜けたやり取りをすぐさまやめて、TVに食い付くように見入った。

 

 

「…シュバルツ・ヴァサーゴは本当にここへ?」

 

 

柱の陰から出てきたアズサが、最初に口を開く。

 

 

いくら脳まで筋肉で詰まってそうな男とはいえ、わざわざ本拠地に殴り込んでくるだろうか。

 

 

U─NASAはそう判断したらしく『MO手術』のことを知る僅か一握りの軍隊にコンタクトをとり、防衛・監視を依頼したようだ。

 

 

しかし、何を根拠にシュバルツがU─NASAを襲撃してくると判断したのだろうか。

 

 

それがさっぱり理解出来なかった。

 

 

「…恐らくだがほぼ間違いないと言っていいだろうな」

 

 

ホールを突き抜けるかのように、さほど大きくない声が響き渡る。

 

 

声がした方向に目を向ければ、七星がネクタイを締めながら歩いてきた。

 

 

重役との会議を一晩中していたのだろうか、目には隈がくっきりと浮かび憔悴しきった様子だ。

 

 

「………どういうことですの?」

 

 

「クーガ・リーの話だと…あの男は『MO手術』の力にどうやら陶酔していたらしい。そんな男が真っ先に起こす行動は何だと考えられる?」

 

 

「『薬』をすぐにでも確保しようとするのではないでしょうか」

 

 

アズサが頬杖をついて考えを導き出すよりも先に、ユーリが答えを述べた。人を疑ってきたユーリだからこそ、こういった問題で相手の心理状況を読み取ることに長けている。ユーリの口からは捻られた蛇口のごとく次々に推測が溢れ出す。

 

 

自動車を走らせる為にはガソリンが必要なように、『特性(ベース)』を使う為には『薬』が必要不可欠。故に、『薬』を狙ってくることは間違いない。

 

 

それならば、わざわざ本拠地を狙う必要はないと思われる。しかも、花琳と繋がっていた故に『第一支部』から持ち出すことも出来た。

 

 

しかし、その『第一支部』はクーガの手によって爆破され、花琳は逃亡したことによってその繋がりは途切れた。

 

 

そうなると、U─NASAの関連施設の知識がないシュバルツは総本山ともいえるU─NASAその場所を狙うしかなくなるのではないだろうか。

 

 

 

 

以上の推論を言い終えた時、アズサはあんぐりと口を開き、エドとレナは拍手を送った。時間をかければ誰でも答えを導き出せるだろうが、瞬時に解決したあたり流石と言わざるをえないだろう。

 

 

七星はユーリの推論にコクリと頷く。

 

 

「その通りだユーリ・レヴァテイン。間違いなく敵はここを襲撃してくるだろうな」

 

 

「だったら不味いですよ…ここには!」

 

 

たまらず声を張ったエドの顔は青冷めていた。そうだ。ここにはU─NASAの研究設備だけでなく、多くの治療患者がいる。

 

 

これから火星で死闘を繰り広げようとしている『アネックス1号』の搭乗員達の心の支えとなっている家族達も身を置いている。

 

 

もしここが万が一襲撃されれば任務の士気がガクンと落ちるだけではなく、多くの命が危険に晒されてしまう。それだけは断じて阻止しなくてはならない。

 

 

「こっちからしかける」

 

 

レナの言葉に七星は首を横に振る。本当はそうしたい。いや、そうするべきなのだ。ただ、全員が迎撃に迎えばU─NASAが無防備になってしまう。それだけは避けなくてはならない。

 

 

「…では、どうするおつもりですか?」

 

 

ユーリが尋ねると七星あらぬ方向を指で示した。その方向に四人が目を向けると、奥の通路から見知った人物が歩いてくるのが見えた。

 

 

クーガ・リーだ。

 

 

「………オレがやる」

 

 

右手首を左手で〝キュッ〟と締めながら、クーガはカツカツと足音を鳴らしてこちらへと

進んできた。その瞳はいつになく鋭く研ぎ澄まされている。

 

 

「…一人でシュバルツ・ヴァサーゴとやり合うつもりか?」

 

 

ユーリが尋ねると、クーガは首を縦に振った。

 

 

「ああ。そのつもりだぜ」

 

 

「私も同行させて貰う」

 

 

そう言うとユーリは、自らの『薬』とサイレンサー付きのハンドガンを手に取る。

 

 

「ユーリ・レヴァテイン…」

 

 

それを見た七星は当然の如く彼を止めようと言葉をかけたものの、一向に諦める様子は見られなかった。ただ、ハンドガンの装填数を確認するだけ。

 

 

「蛭間司令。別に貴方の判断に不満がある訳ではないのですが、今回の指示には従いかねます」

 

 

いつも命令に忠実なユーリが、頑なにクーガに着いていく姿勢を崩そうとしない。その様子を見て、クーガは不思議そうにキョトンとした表情を見せる。

 

 

「不思議か?ここまで意地になってでも君に着いていこうとする私が」

 

 

ユーリが尋ねると、クーガはコクリと頷いた。そんなクーガを見てユーリはフッと笑い、こう返答した。

 

 

「それは私が君の仲間だからだ。君が嫌だと言っても着いていくぞ」

 

 

君の受け売りだがな、とユーリは付け足す。かつて自分がユーリに送った言葉であることを思い出したクーガは、思わず頬を緩めた。

 

 

「ありがとな、ユーリ。でもオレを仲間だと思ってくれんなら逆だぜ、逆」

 

 

「…………逆?」

 

 

「そう。逆だ。オレもお前らがここを守ってくれんなら安心して戦えるし、もしオレが負けたとしてもお前らが控えてるって分かってるから負けた時安心して逃げられるだろ?もっとも逃げるつもりなんかねーけどよ」

 

 

ニッと屈託のない笑みを溢すクーガを見て、今度はユーリがキョトンとした表情を見せる。ユーリはクーガの言葉の意味をじっくりと舌で転がし、吟味しながら消化した。

 

 

「…なるほど。そういう信頼の仕方もあるということだな」

 

 

「そういうこった」

 

 

暫く思考を巡らせた後にユーリは溜め息をついてクーガの肩に手を置いた。

 

 

「わかった。君を信じよう」

 

 

ユーリのその言葉を聞いた途端、アズサはギョッと眼を見開いた。

 

 

「ユ、ユーリ・レヴァテインが他人を信用するなんて…きっと血迷って『アンボイナガイ』のお刺身でも食べてしまったんですのね………」

 

 

「アズサ・S・サンシャイン。私自身も驚いているよ。司令ですら苦渋の決断だったであろう無謀な作戦の後押しをしてしまったぐらいだからな。ちなみに何故君は彼を止めようとしない?」

 

 

「そんなの決まってますわ!」

 

 

ゴホンと咳き込むと、アズサはズビシとクーガを指差す。

 

 

「あたくしとレナに勝ったクーガがあのような荒くれ者に敗北する筈がありませんわ!」

 

 

「そーだ そーだ くりーむそーだ」

 

 

アズサの言葉にレナもよくわからない形で便乗する。どうやら、この二人もクーガが単騎で迎撃に向かうことに賛成のようだ。

 

 

「〝しんじん〟も さんせーか?」

 

 

レナが尋ねると、エドもコクリと頷く。

 

 

「…僕はクーガさんのことを何一つ知りません。けれどクーガさんが皆さんに信頼されていることだけはよくわかりました。信じましょう」

 

 

その言葉を聞いたクーガはエドに一礼した後、七星と面を合わせる。しかし、その割にはキョロキョロと辺りを見渡して目を合わせようとしない。七星自身と会話することが目的ではないことは確かだろう。

 

 

「七星さん。…唯香さんとゴキちゃん達は?」

 

 

案の定だ。やはりそこは当然気になるだろう。

 

 

「テラフォーマー達は地下で拘束中だが安心しろ。手荒な真似はしてない。そして桜博士だが…U─NASAの尋問官からまだ質問を受けている」

 

 

「なら唯香さんに伝言を」

 

 

クーガはどこか寂しげに表情を浮かべて、唯香への言伝てを七星へと伝えようとした。しかし、その言葉は七星に両肩を強く叩かれたことによって途切れた。

 

 

「………それ以上言うな。何か伝えたいことがあるなら君自身の口から伝えろ。生きて帰って来れればそれも可能だろう?」

 

 

七星なりの檄のつもりなのだろう。遠回しに必ず生還するように強く念押しした。

 

 

「…ありがとよ、七星さん」

 

 

それを告げた後、クーガは静かに出口へと向かう。一歩一歩がいつになく重いものの、その分より強い想いに後押しされていることをひしひしと感じた。

 

 

エントランスの自動ドアを通過し、軍隊によって封鎖された地点まで駆け出そうとした時の事。

 

 

「クーガさん! 」

 

 

「…………桜人」

 

 

振り返ってみると、声の主は昨日知り合ったばかりの少年『春風桜人』であった。こんなに朝早くにどうしたのだろうか。最も、理由は一つしか見当たらないが。

 

 

「ニュース、見たのか?」

 

 

コクリと桜人は頷く。一応名目上は逃走中の強盗犯を捕らえる為の検閲ということになってはいるものの、流石に軍隊の規模が一介の犯罪者に割り当てられるには大きすぎる規模だった。

 

 

こどもながらに、異常を感じたのだろう。

 

 

「そっか」

 

 

クーガは膝をつき、桜人と目線を合わせる。その瞳は恐怖と不安が内包されていた。そんな彼を見ていると、自然と過去の自分を思い出す。

 

 

「桜人と同い年の時だったかな」

 

 

クーガは静かに過去の思い出を手繰り寄せるかのように、ゆっくりと語り出した。

 

 

「死んじまうんじゃないかって目に何回も遭ったよ」

 

 

銃弾が頬を掠め、ナイフが肩をかすり、目の前の仲間が一瞬で屍となっていく。いつまで経ってもあの瞬間一つ一つが忘れられない。

 

 

「その度に思ってた。『何でヒーローは僕を助けに来てくれないの』『この世界にはヒーローなんていないんだ』って。でもな」

 

 

それでも一番強く思い出せるのはあの瞬間だ。漫画みたいに空も飛べなければ、ビームも出せなかったが、今の自分が追いかける理想となっているヒーローの姿。

 

 

「本当にいたんだよ、正義のヒーローは。あの人達に助けられて以来、オレはあの人達みたいになろうってずっと努力してきた」

 

 

ぐっと拳を握り締めて、クーガは立ち上がった。

 

 

「今がその時なのかもしれない。あの人達がオレを助けた時みたいに、今度はオレが正義のヒーローになって桜人を助ける番なのかもな」

 

 

いや。とクーガは言い直す。

 

 

「【オレがあそこの悪者を倒して桜人を守って】《燈がワクチンを届けて桜人を救う》」

 

 

そしてポン、と桜人の頭に手を置く。

 

 

「だから病室に戻って安心して寝とけ。な?」

 

 

ニッ、とクーガが微笑むと桜人はポカンとした表情で口を開いた。

 

 

「………クーガさん」

 

 

「ん?」

 

 

「やっぱり近くに悪者が来てるの?」

 

 

「ぶッ!!」

 

 

 

【オレがあそこの悪者を倒して桜人を守って】

 

 

 【オレがあそこの悪者を倒して桜人を守って】

 

 

【オレがあそこの悪者を倒して桜人を守って】

 

 

言ってしまった。口を滑らせてしまった。一応機密事項であるにも関わらず、その場のテンション的に言ってしまった。しかも悪者がいることを言ってしまったら、桜人は余計に恐がってしまうだろう。

 

 

桜人の表情を恐る恐る覗くと、何故だか表情は晴れ晴れとしていた。

 

 

「…桜人?余計に恐くなってないのか?」

 

 

「ううん!だってクーガさんとヒザマルさんが助けてくれるって考えたらなんだかあんまり恐くなくなったよ!」

 

 

クーガは桜人の言葉を聞いて首を傾げる。

 

 

「オレみたいな弱っちそうなヒーローでも不安にならないのか?」

 

 

「そんなことないよ。ヒザマルさんと同じぐらいかっこいいよ!!」

 

 

無邪気には微笑み、自分をカッコいいと言ってくれた桜人は言葉を続けた。

 

 

「ボクも二人みたいなヒーローになれるかな?」

 

 

はにかむ少年を見て、クーガは再び過去の自分を思い出す。そういえば、自分もこんなことを小吉に尋ねた気がする。

 

 

 

〝ぼくも、二人みたいになれるかな。役に、立てるかな〟

 

 

 

そう言った自分に、小吉はこう応えたのだ。

 

 

「…………なれるさ。絶対にな」

 

 

クーガは今、初めて実感した。小吉とアドルフから渡された命のバトンを、今度は自分と燈が手に取り、今度は桜人の手に渡る。更にその桜人が別の誰かにバトンを渡し、125万種以上の生命が賑わうこの星は栄えてきたのだ。

 

 

絶やしてはいけない。消されてはならない。

 

 

このU─NASA病棟で懸命に燃えている『命の炎』を。

 

 

「そろそろオレは行くよ桜人。くれぐれもさっきの話はみんなには内緒にしといてくれよ?」

 

 

「うん!わかった!」

 

 

そう言って桜人が病室に戻ろうとした時だった。

 

 

「あっ…クーガさん!」

 

 

思い出したように、桜人は慌ててポケットから何かを取り出してクーガの手に握らせた。

 

 

「お守り貸してあげる。…ヒザマルさんには内緒だよ?」

 

 

「………これは」

 

 

手の中のものを確認した後、クーガはグッとポケットの中に押し込んでフゥと息を吐き出す。

 

 

「一時間で戻る。ありがとよ、桜人」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────────

 

 

───────────────

 

 

 

U─NASA施設内『尋問室』。

 

 

マジックミラー貼りのその一室で、桜唯香は一連の騒動の取り調べを受けていた。今この部屋の中には彼女と尋問官の女性しかいない。

 

 

髪の長さはセミロングで、ややウルフヘアに近い荒立った毛並みをしておりピンク色。その綺麗な翡翠色の瞳と整った顔立ちも相まって、尋問官だと言われてもイマイチ説得力はないだろう。

 

 

しかし、全身を固めている黒いスーツが彼女をいかにもな尋問官へと変身させていた。

 

 

そんな女性を目の前にして、唯香はまるで餌をどこに隠したかわからなくなった小動物のようにそわそわキョロキョロと辺りを見渡す。

 

 

「先程から落ち着きがありませんね、桜博士」

 

 

「ふえっ!す、すみません!」

 

 

女性に指摘されて唯香はビクッと姿勢を正す。落ち着かないのも当然だ。今頃クーガがシュバルツの迎撃に向かうと聞いていたからだ。それに、クーガに渡すものもあった。

 

 

「カツ丼でも食べますか?」

 

 

「け、結構です!!」

 

 

「ジョークです」

 

 

女性はジョークを言った後に、クスクスと笑いながら唯香の顔をじっーと見つめる。唯香は思わず頬を赤らめたが、ぶんぶんと頭を振って小さなその手で机を思い切り叩いた。

 

 

「お願いします!クーガ君の元に行かせて下さい!」

 

 

「なるほど。お腹が空いていたのではなく彼が心配だったんですね?ですがそれは困りました。尋問が終わった後もこうして貴方を拘束しておけとの指示だったのですが…」

 

 

「クーガ君に渡す物があるんです!」

 

 

「それは戦局に左右するほどのものですか?」

 

 

「はい!」

 

 

声を張り上げる唯香を見て、女性はフムと相槌をうった。

 

 

「U─NASAの命令は無視出来ません。しかし、私の直属の上司の裁量次第で一時的に抜け出すぐらいなら許可出来ますが…いかがでしょう?」

 

 

女性が誰かに尋ねるように呟くと、尋問室のドアがキィと開いた。

 

 

そこから四十代半ば程の男性が煙草を吸い上げながら入室した。ふてぶてしく、不機嫌な様子で目付きが非常に悪い。また、顎の部分の髭の剃り残しも目立ち、髪は後ろをゴムヒモで結わえた長髪だ。ついでに身長は180cmを越す長身だ。

 

 

その癖、白衣を着込んでいるのだから研究者なんだかちょい悪親父なんだか、はたまたヤクザなのかよくわからない。

 

 

唯香がこうして遭遇したらハムスターの如くとっとことっとこ逃げ出しそうな人物ではあるものの、彼女は全く怯えた素振りも見せず、キョトンと見上げて口を開く。

 

 

「あ…………」

 

 

「とっとと行け。間に合わなくなってもオレは知らねぇぞ」

 

 

男性がふてぶてしく煙を壁に吐き出しながら答えると、唯香はその脇を走り抜けて飛び出した。

 

 

「娘さんには甘いですね。博士」

 

 

一連の様子を見ていた女性が呟くと、男性は煙草を尋問室の壁になすりつけて消した。灰と火の粉が壁に焼き痕を残す。

 

 

「………うっせぇな」

 

 

やさぐれた少年のように返事する男性を見て、尋問官の女性『シルヴィア・ヘルシング』は仕事後の一杯とばかりにトマトジュースを飲み干した。

 

 

「『特性(ベース)』が『ウサギコウモリ』だからってトマトジュース飲んでキャラ付けする必要ねーぞ」

 

 

ふてぶてしい態度の中年男性、『(さくら)(あらし)』は彼女の行動にいちゃもんをつける。その態度はまるっきりチンピラだ。

 

 

「ベースの気持ちを知ることも時に必要では?」

 

 

シルヴィアがそう言い返すと、嵐は今度はそれを軽く鼻で笑った。

 

 

「ちなみに『ウサギコウモリ』は血は吸わねぇ。食うのは主に昆虫だっつーの」

 

 

そうですか、と返事するとシルヴィアはジュースの缶を捨てて外にテクテクと歩き出した。

 

 

「どこに行く気だ?」

 

 

「外でトマトジュースに合いそうな昆虫を捕まえてこようかと」

 

 

「そうか。っておい。それこそジョークだよな?

 

         ……………おい」

 

 

 

 

 

 

 

 

─────────────────────────

 

 

─────────────

 

 

 

 

 

U─NASAから3km離れた地点にて。

 

 

 

封鎖された筈のこの地点は、装甲車のエンジン音とヘリのプロペラが空を切る音、そして何よりも指揮官の部下に対する指示が飛び交っていた。

 

 

つい先程までは。今は力任せに破壊された装甲車の残骸が燃える音、精鋭部隊の呻き声。

 

 

そして。

 

 

「ギャッハッハッ!!」

 

 

鼓膜を破らんばかりの破壊者の大きな笑い声がこだまする。この場を例えるならば、『阿鼻叫喚の地獄絵図』といったところだろうか。

 

 

 

「………なんなんだ」

 

 

武装ヘリの操縦手は呟く。そう呟かずにはいられなかった。『MO手術』を受けた人間が襲撃してくるとは聞いていたものの、あんな規格外の怪物が攻めてくるとは思ってもいなかった。

 

 

まるでアメコミのハルクや、ジャパニーズKAIJU映画に出てくるゴジラの如く無茶苦茶で理不尽な力を自分は今、目の当たりにしている。

 

 

そして、今からその犠牲者の一人となる。

 

 

「降りてこいよクソガキィ!そしたらテメェのケツマンコがんがん掘ってぇブラックホール並に拡張してやっからよぉ!!」

 

 

下品なジョークを交えながら、破壊者シュバルツ・ヴァサーゴは装甲車が彼を捕らえる為に用意した特注の鎖をヘリのプロペラに向かって投擲し巻き付けた。

 

 

そして、力任せにヘリをぶん回そうと鎖を引き寄せる。既に制御を失っている故に抵抗する術もなく、ただ遠心力にヘリと自らの身体を預けることしか出来なかった。

 

 

「ギャハッ!!」

 

 

十回転程させた後に、シュバルツはハンマー投げの如くヘリをぶん投げた。ヘリの落下先には、救援できた新たな装甲車二台。

 

 

そこにヘリが落下し、搭載していたミサイルや重火器等に引火して盛大な爆発を起こした。

 

 

「芸術は爆発ってかぁ!!」

 

 

シュバルツは次に細めの電柱を両手で引き抜いて槍投げの如く投擲した。すると、飛翔した新たな武装ヘリに突き刺さり墜落させた。

 

 

「…あ~あ。つまんねぇ」

 

 

あまりにも歯応えがなさすぎたのか、シュバルツは溜め息をついた後にその場に座り込んでしまった。装甲車十台、ヘリ六機、歩兵三十二名を仕留めても尚、シュバルツは多少息を切らしているぐらいで被弾した痕すらも見られない。

 

 

イスラエルの戦場を駆け抜けてきた強者に『MO手術』を施すと、このような結果を出せてしまうのである。最も、今回はそれが悪い方向に働いてしまったが。

 

 

「………シュバルツ」

 

 

ゆらめく炎を切り裂くように、その声はこの地獄を突き抜けた。シュバルツは炎の向こう側にいるであろう声の主を、ニタリと顔の表情を緩めて迎え入れる。

 

 

 

「…おやおや。泣き虫クーガちゃんじゃねぇか。なんだ?また苛められにきたのか?」

 

 

炎の向こう側から姿を現したのは、見知った青年クーガ・リー。もっともシュバルツが見慣れているのは少年時代の彼の姿だが。

 

 

「違ェ。アンタを止めに来た」

 

 

「オレ様を止めに来ただぁ!テメェ何様のつもりだ!!ア゛ア゛!?」

 

 

空気を震わせる程の怒号が辺り一帯を支配する。地獄のようなこの風景と相まって、クーガは昔を再び思い出した。イスラエルの地獄もこのような風景が毎日広がっていた。

 

 

灰の雪が降り、炎と血の二色の赤色がそれを彩る。BGMは人々の呻き声と何かが燃える音。それに加えて、決まってあの男の怒号だった。

 

 

自分はあの頃から何も変わっていない。本当は弱くて、それを隠す為に強がって。自分を守る為に誰かの命を奪って。

 

 

だが、今と昔で決定的に違う所がある。

 

 

「そこを退けクソガキィ!!」

 

 

「断る。今のオレにはアンタをぶっ殺さなきゃいけねぇ理由がある」

 

 

 

 

 

今の自分には、闘う理由がある。

 

 

敵わなかったとしても、足掻いてみせる。

 

 

 

 

 

 

          

          〝 

          面

          

          白

 

          ェ

 

          ・

          

          ・

          

          ・

          

          ! !

          〟

 

 

 

 

 

 

 

 

ちっぽけなナイフ一本で足掻いた父のように。

 

 

「悪いが…先手必勝でやらせて貰う」

 

 

『薬』を取り出して素早く首筋に打てば、メキメキと変異が始まる。全身が漆黒の甲皮に覆われていき、腕からはメキメキと『オオエンマハンミョウの大顎』が出現する。

 

 

「………なんだ?その姿」

 

 

シュバルツは柄にもなく戸惑った。十年前や先日見た姿とは全く異なる変異を遂げていた為である。知らなくて当然だろう。この『オオエンマハンミョウ』の力は、クーガが新たに手にした力なのだから。

 

 

シュバルツはクーガを注意して観察する。クーガは特に襲ってくる様子もなく、自らの〝掌〟を見てこう呟いていた。

 

 

「…………やっぱ駄目か」

 

 

そう呟いたかと思えば次の瞬間、恐ろしい程の速度でクーガは攻撃に転じた。踏み込んで、シュバルツの胸部を思い切り『オオエンマハンミョウの大顎』で引き裂く。

 

 

「ガッ…………!」

 

 

反射的に腕を掴んだ為に浅く済んだが、もう少しで臓器や骨を傷つけられるところだった。

 

 

「ちなみにテメェが疲れきってるとこをドヤ顔で倒したアズサはもっと速いし」

 

 

身体が密接した状態でクーガは急所、鳩尾に向かって膝蹴りを放つ。

 

 

「ウボェエエエエエエ!!」

 

 

シュバルツはあまりの衝撃に堪らず嘔吐する。

 

 

「レナはこれの数倍馬鹿力だ」

 

 

クーガは周囲の装甲車の残骸に身を隠して、こちらを睨むシュバルツの視界から姿を消した。

 

 

「チィッ!どこ行きやがっ!!」

 

 

シュバルツがそう吠えた瞬間、クーガは再び間髪入れずに飛び出し右足のアキレス腱にあたる部分を切り裂いた。

 

 

「ッグアアア!!」

 

 

シュバルツは片膝をついて苦悶の表情を浮かべ、彼の痛みを叫ぶ声が響き渡る。しかしクーガはそれを見て眉をしかめた。

 

 

「三文芝居は止せ。届いてなかっただろ」

 

 

「クックッ…バレたかぁ?」

 

 

シュバルツはケロリと立ち上がり、のっそりとした動作で首をゴキゴキと回す。

 

 

シュバルツのベースとなった『ディノポネラ』、つまり〝蟻〟は堅い甲皮など持ち合わせていない。ただし、『オオエンマハンミョウ』を遥かに凌駕する圧倒的な筋肉量を秘めている。

 

 

その筋肉がこちらの一撃を阻害したのだろう。また、捕まらないようにいつもよりも速さばかりを意識して一撃の重さを軽くしてしまったことも原因だろう。

 

 

いつも通りの一撃であれば、その筋肉の鎧も貫通出来る筈だ。ただ、脳裏を過るのは自分と一戦交えたシルヴェスター・アシモフの言葉。

 

 

 

 

 

〝いくら弱点を突きそれを実行する力を持っていたとしても、それに頼りすぎれば相手に読まれる。自分よりも実力で上回っている相手にはまずオススメしねぇ〟

 

 

 

 

 

そうだ。自分の『オオエンマハンミョウ』を活かした戦法はパワー、スピード、タフネスの三拍子が揃ってて初めて可能な相手を確実に〝殺す〟為の戦法。

 

 

これが破られることは滅多にない。だが、アズサやアシモフ、帝恐哉など自分よりも格上の相手には殺気や行動パターンを読み取られて破られた例もまた然り。

 

 

今回のシュバルツ戦もきっと、そうなる。

 

 

「やっぱり変わってねぇなぁ弱点をすぐに狙う癖はよぉ!!いかにも雑魚が考えそうな戦法だぜオイ!ギャッハッハッハッ!!」

 

 

案の定シュバルツにも読まれていた。だが、読まれていたところでどうしようもない。

 

 

小吉仕込みの空手や、アドルフ仕込みの投剣を使って闘う手もあるがそれは彼らだから最大限に実力が発揮される戦法。自分が使ったところで、シュバルツに捻り潰されるのがオチだ。

 

 

だから自分を貫き通す。幾度の戦場を乗り越えてきた自分の力を信じて貫き通す。今更、獰猛な肉食甲虫が他の生物の真似したって自然界で淘汰されるだけだ。食うか食われるか。殺るか殺られるかの勝負に懸けるしかないのだ。

 

 

「…馬鹿の一つ覚えで悪かったな、クソムシ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─────────────────────────────────

 

 

──────────────

 

 

 

「はっ…はっ…はっ…」

 

 

桜唯香は車を乗り捨て、丘をかけ上る。撃墜されたヘリがこちらに落ちてくるのを見て、慌てて乗り捨てた為に車両がお釈迦になってしまったのである。あの場から逃れることが出来ただけでも幸運と言えるだろう。

 

 

とっとことっとこ、丘の上までようやく登り切った先から見下ろした景色はまさに地獄そのものだった。危うく目の前の景色に呑まれかけたが、パンパンと自らの頬を叩いて意識を強引に引き戻す。

 

 

自分はこの中からクーガを探さなければいけないのだ。U─NASA製の双眼鏡で地獄の中に目を凝らした。すると、やたらと上下している装甲車の残骸が視界の端に入った。

 

 

その周辺に見渡すと、三秒ごとに血飛沫が走っている地点が目に入った。恐る恐る血飛沫が飛ぶ方向に双眼鏡を向けてみる。嫌な予感はしたものの、的中してしまった。

 

 

 

「ギャッハッハッハッ!!」

 

 

シュバルツの下品な笑い声がこちらにまで響き渡り、耳を支配する。そして、シュバルツに髪を捕まれたクーガが車に何度も叩きつけられて血を大量に流す姿が網膜に焼きつく。耐えられない。

 

 

「おい唯香」

 

 

そんな時、唐突に後ろから低い声が発せられる。振り向いてみると、自らの父『桜 嵐』が煙草をふかして興味なさそうに目の前の地獄を傍観していた。

 

 

「お父さん…どうしてここに?」

 

 

「娘をムザムザ死なせる訳にはいかねぇからな。唯香、一つ尋ねるがお前あの『クーガ(ク ソ ガ キ)』に何を届けに来たんだ?」

 

 

唯香はクーガを『クソガキ』と呼わばりした嵐に少しムッとしつつも、白衣の中からゴソゴソと赤い液体の入ったアンプル剤を取り出した。嵐はそれを取り上げ、訝しげにその鮮やかな色のアンプル剤を眺めた。

 

 

「こいつは何だ?」

 

 

「筋弛緩剤の一種だよ!いいから返して!!」

 

 

嵐はいよいよ首を傾げた。筋肉を緩める薬剤の一種が何故、クーガに必要なのだろうか。一見彼を更に不利にしてしまいそうな薬剤ではあるが、唯香のことだ。何か考えがあるのだろう。

 

 

「まぁこいつをあのガキに打ち込むのはいいとして…一体どうやってあいつにお届けするつもりだ?万能の神Amazonにでも業務委託してお届けして貰うつもりか?」

 

 

嵐は皮肉めいた口調でアンプルの中の液体を揺らして口角を上げる。

 

 

「私が走って届けるよ」

 

 

唯香の台詞を聞いて、嵐は驚きのあまりくわえていた煙草を落とした。

 

 

「………本気か?そいつは。あの中を突っ切って無事でいられる可能性はマングースでハブを駆除出来る確率並に低いぞ?」

 

 

「いいよ」

 

 

「仮にあのクソガキにこいつを届けたとしてもお前はあの化け物に殺されちまうぞ?」

 

 

「いいよ」

 

 

「 良 か ね ェ ッ !!」

 

 

嵐の怒号が響く。気だるげな表情を浮かべていただったが、まるで別人であるかのように激昂を見せた。

 

 

「あのクソガキにテメェが命懸ける価値なんてありゃしねぇ!『MO手術』の技術の進展だぁ!?『ミッシェル(ファースト)』と『膝丸燈(セカンド)』で十分足りてるっつーの!あのガキはあくまで『予備(スペア)』だ!そいつをわかってんのか!!」

 

 

「そんな理由じゃないよ」

 

 

「じゃあ何だ!長ったらしく論理的にオレを納得させてみろ!!」

 

 

それを聞いた唯香はスゥと息を吸った後に口を開いて、何の躊躇いもなく次の言葉を発した。

 

 

「好きだからって理由じゃ駄目かな」

 

 

娘の口から発せられた、理屈や道理など全てお構い無しの理由に嵐は大きく深い溜め息をつく。

 

 

「…恋は盲目っつうけどまさか我が娘までノータリンになっちまうとはな」

 

 

苦く笑う嵐の手から唯香はアンプルを取り返そうとするものの、嵐はひょいと高くアンプルをつまみ上げてしまった為に、唯香では到底届かない。

 

 

「返して!」

 

 

「オレがやる」

 

 

唐突な父からの提案に、唯香は豆鉄砲を食らったような顔をして父を見上げる。嵐はそんな唯香に構わず、アンプルカッターで開け口を作った後、注射機に中の液体を注ぎ込んだ。

 

 

「で…でもお父さんが…」

 

 

「バーカ。あのクソガキに命懸けるつもりなんてオレァねーぞ。オレが嫌いなもんワーストランキングから考えてガキを助ける方に傾いただけだ」

 

 

嵐はその注射機を特殊な形状の銃のようなものに装填し、クーガに向かって狙いを定める。

 

 

「ワーストランキング二位、〝娘に手を出そうとするクソガキ〟」

 

 

そのまま丘の上を勢い良く駆け抜け、自らの『武器』の射程距離へと距離を詰めた後に丘の下のクーガに照準を真っ直ぐに定めた。そして、さながらヒットマンの如く迷いも躊躇いもなく引き金を弾いた。

 

 

射出された注射機にも似た弾丸は、クーガの首筋に見事に突き刺さり中の液体が注入されていった。クーガにありったけの暴力を叩き込んでいる最中のシュバルツでさえも、その腕を止めて丘の上の嵐を睨む。

 

 

「ワーストランキング一位〝娘の泣き顔〟」

 

 

「邪魔すんじゃねぇぞクソジジイイイ!!」

 

 

シュバルツは、半壊した装甲車を丘の上の嵐に向かって投げ付けた。それは放物線を描き嵐の元へと見事に落下しようとしている。

 

 

「うっひゃー…マジモンの化け物だなおい」

 

 

嵐はそんな危機にも関わらず、まるで他人事のように煙草をくわえて火をつけた。間違いなく、このままでは下敷きになってしまうだろう。

 

 

「お父さん!!」

 

 

唯香の叫びも聞かずに嵐は悠長に煙草をふかす。その間にも、刻一刻と嵐に装甲車の残骸は迫っているにも関わらずだ。ようやく嵐は眼前に迫った装甲車の残骸に目を配り、めんどくさそうに呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………シルヴィア、頼むわ」

 

 

「お任せを」

 

 

嵐が呟いた途端、彼の横から〝何か〟が飛び出したかと思えば何かが装甲車を真っ二つに切り裂いた。左右に分かれた残骸は、各々芝生を削り取りながら30m程滑ってようやく停止する。

 

 

唯香は信じられないといった様子で、遠目から双眼鏡で先程の尋問官の女性『シルヴィア』を観察する。頭からはコウモリ類特有の大きな耳が生え、腕には非常に硬そうな長鞭を携えている。

 

 

もしかすると、超音波メスにも近い要領で武器の切断力を強化したのかもしれない。

 

 

そんな風にいつもの癖で唯香が考察していると、いつの間にやら距離を詰めてきたシルヴィアと嵐に腕を捕まれ、U─NASAへの帰路へと強制連行されていく。

 

 

「ふえっ!?シルヴィアさん!お父さん!クーガ君を助けなきゃ!!」

 

 

「バーロー。拘束中のお前を連れ出したってバレるだけでこちとら今後の収入がヤバくなんだ。そろそろ戻らねぇとな」

 

 

「で、でも!!」

 

 

「それにあれはアイツ自身の闘いだ。あれでくたばるようじゃ今後何か起こった時に生き残れる保証はねーぞ」

 

 

唯香はそれを聞いて俯くが、シルヴィアはぽんぽんと唯香の頭を叩いてニコリと微笑む。

 

 

「安心して下さい桜博士。(この人)は貴女が悲しむことになる結果だけは絶対に避ける筈です。それは貴女が一番わかっておいででは?」

 

 

「…………でも」

 

 

「それに貴女の思惑通りにいけば彼は勝てるのでしょう?」

 

 

シルヴィアの言葉に唯香はコクリと頷く。

 

 

「では信じましょう。それに…想いを寄せる女性に見つめられていては彼も落ち着いて戦えないないかもしれませんよ?」

 

 

「ヒアッ!!」

 

 

唯香の顔は、シルヴィアのピンク色の髪を遥かに越す程に真っ赤に染まった。そんな唯香を見てシルヴィアはクスクスと微笑み、嵐は露骨にギリギリと歯軋りをした。

 

 

 

 

 

───────────────────────

 

 

─────────────

 

 

 

 

 

 

─────────アネックス一号艦内

 

 

 

 

各班六人の班長は円卓を囲み、現在『地球』で起こっている状況を整理していた。U─NASAからの連絡によると、とてつもない強さを秘めた『特性』の持ち主が制御不可能な状況に陥り、病練を襲撃しようとしているとのことだった。

 

 

「艦長…正直これはまずいよねぇ」

 

 

中国班 班長『劉 翊武』は苦言を呈する。それも当然だろう。『アネックス一号』搭乗員の中には、U─NASA病棟で『AEウイルス』の治療を受ける代わりに搭乗員として志願した者もいる。

 

 

その家族が襲撃に巻き込まれてしまえば戦う理由も、下手すれば生きる意味すら失ってしまう搭乗員も中にはいるだろう。故に、その知らせを聞けば気が気ではなくなり、任務に集中出来なくなってしまうかもしれない。

 

 

その知らせを伝達するか否かで、『幹部(オフィサー)』の間で論議が巻き起こっていた。

 

 

「搭乗員には知る権利がある。包み隠さず伝えるのが私達の義務じゃないのか」

 

 

ミッシェルはそう主張するが、劉はうーんと頭を悩ませる。

 

 

「………確かにデイヴス副長の意見は正論だ。ぐうの音も出ないよ。そこは僕も認める。けど無闇に不安を煽る結果にならないか考慮すべきじゃないかな」

 

 

こう言っちゃなんだけど、と更に劉は言葉を続けた。

 

 

「『地球組』が片付けてくれたら何の問題もない訳だよね?事情は任務が終わってから説明すればいい訳だしさ」

 

 

劉の発言に対して反論があるのか、アドルフは挙手する。小吉が発言を認めると、一礼した後にアドルフは口を開く。

 

 

「『アネックス一号』の搭乗員のほとんどは計画の全てを知っている訳じゃありません。

その為我々『幹部(オフィサー)』を頼るしかない。そして彼らは我々を信頼してくれています」

 

 

普段無口なアドルフの言葉に、いつになく熱がこもっていた。ドイツ班にも、U─NASAの病練に家族を遺してきた者がいる。

 

 

その班員も含めて、ドイツ班のメンバーは自分と家族のように接してくれている。その家族を裏切るような真似だけは絶対にしたくない。

 

 

「………彼らにバレるバレないの問題に関わらず、その我々が彼らを裏切る選択肢があること自体間違いだと私は思います」

 

 

アドルフが着席すると、アシモフは息を吐いて小吉へと目線を移す。

 

 

「どーすんだ艦長。正直どっちの言い分も頷けるとこあるしよ、これ自体デリケートな問題だと思うんだがな」

 

 

アシモフの言った通り、これは小さいようで大きな問題だ。『ジェンガ』というゲームの如く、一つのブロックを崩してしまうと他のブロックも芋ずる式に崩れてしまう。慎重に判断することが求められてくるだろう。

 

 

しかしそんな重圧に押し潰されそうな様子もなく、小吉はスッと口を開いた。

 

 

「うん、よし。この事実は全員に伝達する!」

 

 

「おいおい艦長…ちょっとは悩んでくれないと僕も傷つくんだけど…」

 

 

ハァ、と劉はわかりやすく大きな溜め息をついた。

 

 

「ちょっと待て劉さん!これでも一応両方の言い分を反映させたつもりなんだぜ!?」

 

 

小吉以外の五人は皆同様に首を傾げる。少なくとも、伝達する側の意見しか取り入れられてないように思えるが。

 

 

「要するによ、襲撃される事自体が不安になる要素なんだよな?だったら言ってやりゃあいいのさ。『地球組』が警護してるから絶対に大丈夫だってな!!」

 

 

小吉の発言を聞いて、五人はついこのお気楽艦長の頭をひっぱたきそうになった。

 

 

「………艦長」

 

 

「なんだい劉さん」

 

 

「ぶっちゃけ僕の意見あんまり反映されてないよね」

 

 

「………スマン」

 

 

「それに警護されてるのは大前提だし、その警護も絶対とは言えないのが最大の不安要素ってことは勿論忘れてないよね?」

 

 

うんうんと劉以外の四人も頷く。他の四人が小吉に言いたいおおまかなことを劉が大体代弁してくれているようだ。

 

 

「………ウン」

 

 

劉が一言発する度にどんどんと小吉ゴリラの心は抉られ、顔面の彫りはドンドン深くなってウホウホと野生へと帰る準備が整っていく。

 

 

「それに絶対に大丈夫なんて言ってもし駄目だった時なんて悲惨だよ。そん時は流石に包み隠さず本人達に伝えるしかないし、そん時は僕らと搭乗員の信頼関係は崩壊したも同然だろうね」

 

 

「待ってやってくれ。信頼関係以前に艦長のメンタルが崩壊しかけてる」

 

 

「……ウホ」

 

 

「ほらな野生に帰っちまったじゃねぇか」

 

 

ミッシェルが止めに入った時は時既に遅し。小吉のゴリラメンタルはほぼ完全に崩壊していた。

 

 

そんな小吉を見て、五人はふと脳内にクエスチョンマークを浮かべた。

 

 

小吉は何故『絶対に大丈夫』と言ったのだろうと。小吉は何の根拠も無しにいい加減なことを言うような人物ではないと知っているからだ。何かそれなりの勝算があるのではないだろうか。

 

 

「あの…艦長。何故絶対に大丈夫なんて言ったんですか?」

 

 

ローマ班 班長『ジョセフ』が恐る恐る尋ねると、小吉(42)は袖口で涙をグシグシと拭った後に空咳をし、こう告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───────クーガが『ミイデラゴミムシ』の特性を使用したらしいぜ?

 

 

 

 

 

 

この言葉が響いた後、シーンと室内は静まり返った。その後、各々が反応を見せる。

 

 

「あー…アテには出来ないけどそりゃ『絶対』って言いたくもなるね、うん」

 

 

劉は謎が解けたといわんばかりに顎髭を撫でながら首を縦に振る。

 

 

「チッ…もっと早く言えよ」

 

 

毒を吐きながらも、ミッシェルはどこか嬉しそうに微笑む。

 

 

「……………………」

 

 

クーガを気にかけていたアドルフも胸を撫で下ろし、安堵の表情を見せた。

 

 

「フン…やりゃ出来るじゃねぇかあの坊主」

 

 

アシモフもクーガとの対戦を思い返しながら、葉巻に火をつけて一服した。

 

 

 

 

 

「…それじゃ各自班員に報告ってことでいいか?もしクーガが防衛に成功したら不安もかっ飛んで士気も向上すると思うんだけどさ………」

 

 

小吉からの問い掛けに、四人は各々溜め息をついた後に声を揃えてこう言った。

 

 

 

 

「「「「 意義なし 」」」」

 

 

見事に満場一致した面子を見て、小吉はフッと微笑んで言葉を続ける。

 

 

「………よし。解散だ」

 

 

清々しく、爽やかに会議は終わりかけたその時だった。

 

 

「ま、待って下さいよ!!」

 

 

ジョセフが慌てて締めの号令に割って入る。ミッシェルだけは露骨に嫌そうな顔をしていたが、男性陣はなんだなんだとジョセフを気にかけた。

 

 

「ん、どうしたんだジョー?」

 

 

「…何で、その『特性』使い始めたら安心みたくなってるんですか?確かあの『特性』って二十年前の時にはテラフォーマーを一体も倒せなかった最弱の『特性』って聞いてるんですが…」

 

 

ジョセフが言っていることは脚色のない事実。『ミイデラゴミムシ』の特性の持ち主である搭乗員ゴッド・リーは優れた戦闘の才能こそ持っていたものの、『バグズ手術』で得たその力はあまりにテラフォーマーに対して非力であり、無惨に殺されてしまった。

 

 

そんな最弱とも言える『特性』が使えたからといって何だと言うのだろうか。ジョセフの疑問は最もである。

 

 

「…………馬鹿かお前は」

 

 

ミッシェルは溜め息をつきながらやれやれと口を開いた。

 

 

「父を腕相撲で負かした男の『特性』が弱い訳ないだろ?」

 

 

「うん、ミッシェルちゃん。ちょっと黙ってて貰っていいかな」

 

 

過去に開催した腕相撲大会の話題を発掘して脱線仕掛けたミッシェルを小吉がたしなめ、ゴホンと咳払いした後にジョセフに説明を開始する。

 

 

 

 

 

「ジョー、確かに『ミイデラゴミムシ』はテラフォーマーに対して効果は薄い。だけど人間に対しては抜群の効果を誇るんだ」

 

 

ふむ、とジョセフは頷いた。確かにテラフォーマーに通用しないからといって人間に対して有効ではないとは限らない。

 

 

テラフォーマーと人間には決定的な相違点がある。挙げ出したらキリがないが、特に大きな点は『痛覚』だろう。テラフォーマーには『痛覚』が存在せず、人間には存在する。それだけで、ものによっては大分効果も異なってくるだろう。

 

 

「ちなみに『ミイデラゴミムシ』の特性は人間に対してただ強力って訳じゃねぇぞ。あの坊主とすこぶる相性がいい」

 

 

クーガと実際に一戦交えたアシモフが口を開く。

 

 

「お前…ゲームってのをやったことあるか?」

 

 

「えぇ…まぁ、はい」

 

 

ゲームとクーガの話題に何の関係があるのだろうか。ジョセフは首を傾げるが、アシモフは構わず話を続けた。

 

 

「村に来たばかりの勇者レベル1の頃の時ってよ、弱くて戦闘中あっけなくやられちまうから〝雑魚戦でも常に緊張してたり〟〝攻撃力も低いから相手の弱点をついて〟戦ってなかったか?」

 

 

確かにそうだ。雑魚のスライム相手でも序盤じゃ致命傷を与えてくる相手になりかねないし、攻撃力が足りないから草属性の相手には火属性の武器を使うなど、工夫しつつ戦っていた。

 

 

しかし。

 

 

「…ああいうのって、レベル高くなったらあんまり意識しなくなっちゃいますよね」

 

 

「ああそうだな。レベルが高くなりゃ防御力も上がって死にづらくもなるし、わざわざ炎の武器なんて使わなくても弱点無視して斬って敵なんざ余裕で殺せるようになるわな」

 

 

でもな、とアシモフは続けた。

 

 

「あの坊主はレベル100になってもプレイスタイルは初心者のまんまってこった。どんな雑魚敵だろうが最大限の一撃をぶちかましちまうんだよ」

 

 

「……………え?」

 

 

生物とは強くなればなるほど、その強さと引き換えに『警戒心』や『狡猾さ』を忘れ、代わりに油断という余計なものを覚えていく。

 

 

それは、人間誰しもが大なり小なり避けて通れない道でもある。

 

 

ただし、例外はいた。

 

 

「…クーガはな、ただでさえ臆病で弱虫だったんだ」

 

 

小吉は過去の日のクーガを思い出す。今でこそそんな面影は一切見られないが、いつも泣いてばかりで本当に弱虫だった。

 

 

「優しい子で、戦場になんかいちゃいけない奴だった。そんなクーガが無理矢理イスラエルの戦場になんて放り込まれたらどうなると思う?」

 

 

「………おれだったら、一生モノのトラウマになっちゃいますね」

 

 

「それなんだ、ジョー。クーガは誰よりも死の恐怖を知ってる。だからこそどんなに自分よりも格下の相手と闘う時も油断や隙なんて見せないし、容赦なく思い切り弱点ばかりを狙ってくる」

 

 

クーガの根幹となっている〝弱さ〟の正体とはまさにこのこと。

 

 

いくら自分が『オオエンマハンミョウ』という強力無比な武器を手に入れ、父親譲りの戦闘のセンスを開花させたところで、それはあくまで肉体面での話。

 

 

隠してはいるものの、未だに本当は臆病で弱いまま。故に、どんな相手だろうと僅かにでも殺される可能性があれば全力で相手を排除しにかかる。

 

 

『獅子 、兎を搏つ』ということわざは彼にこそピッタリだろう。

 

 

これがクーガをどんな戦場でも必ず生き抜く一流の『兵士(ソルジャー)』へと至らしめていた。

 

 

「ん……一見弱点がないように聞こえますが……」

 

 

一見弱点のないクーガの戦闘スタイルではあるものの、ジョセフは早々に穴を見つけてしまった。

 

 

「そうだね。弱点はあるよ。所詮弱者が背伸びして闘う為の戦闘方法だからね。遥かに格上の相手と相対した時は容易に対策されてそのまま殺されるのがオチだと思うよ」

 

 

劉は淡々とした口調で語るが、それは一切間違っていない。所詮は弱者の発想。強者には容易く読まれて弄ばれるのがオチだろう。

 

 

「ただし…それを補う方法はあります」

 

 

「もしかしてそれが『ミイデラゴミムシ』の『特性』って訳ですか?アドルフさん」

 

 

ジョセフからの問い掛けにアドルフはコクリと頷く。ふむ、と再びジョセフは考えこんだ末に、お次はミッシェルの方に向き直った。

 

 

「ミッシェルさん…『ミイデラゴミムシ』のことをよろしければディナーの席で詳しく…」

 

 

「それに関しちゃググれカス」

 

 

ジョセフを一蹴した後、思い出したようにミッシェルは「あ」と呟いた。

 

 

「どしたのミッシェルちゃん?」

 

 

「『ミイデラゴミムシ』と『オオエンマハンミョウ』を併用するの無理かもしれねーな」

 

 

「えっ?…えっ!?」

 

 

そんな筈はないだろう。ミッシェルだって燈だって、二つの『特性』を一つの『薬』で両方発現することが可能なのである。

 

 

戦場を駆けてきたお蔭で恐らく三人の中で一番『特性』の扱いに手慣れたクーガならば容易に可能な筈だが。

 

 

「いやあいつな、『ミイデラゴミムシ』の『特性』をあまりにも嫌ってたから『薬』で発現した時は『オオエンマハンミョウ』だけ発現させる訓練を死にもの狂いでしたらしいぞ」

 

 

「何その高度な反抗期!?……まぁ仕方ないわな。あの『特性』のせいで戦場に出勤させられたって愚痴こぼしてたもんな」

 

 

ハハ、と苦く笑う小吉を見て、ポリポリと頬を掻きながらジョセフは不安気な表情を浮かべる。そんなジョセフを見かねて、劉は声をかけた。

 

 

「心配しなくてもいいと思うよ。元から出来てたなら、軽いきっかけさえあればまた出来るようになる筈だからさ。それに彼の『サポーター』は『桜唯香』なんだろ?何の心配もいらないさ」

 

 

「なるほど…唯香さんとのLOVEの力でクーガ君がエボリューション…って訳ですね?」

 

 

「うん君何もわかってないね、ジョセフ君」

 

 

「ええいとにかくだ!『幹部(オフィサー)』全五名!『地球組』に全幅の信頼を寄せた上で襲撃の危険性を各班員に各自伝達すること!解散!!」

 

 

小吉の号令と共に、各班長は迅速に通達事項の伝達へと向かった。フゥと溜め息を吐くと、小吉はポケットから一枚の紙を取り出す。

 

 

『バグズ二号』で開催した、腕相撲大会の順位一覧だ。そこの二位の部分に、クーガの父親ゴッド・リーがランクインしていた。

 

 

「…なぁリー、守ってやってくれよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

─────────────

 

 

 

 

 

「ギャッハッハッハッ!!」

 

 

シュバルツは全身の甲皮が砕け、口から血を漏らすクーガを片手で持ち上げて高笑いする。

 

 

「おいどうしたぁクーガちゃぁん!?ギブでちゅか~?ギブなんでちゅか~!?」

 

 

目の前のクーガは文字通り、〝虫の息〟といったところだろうか。

 

 

「あー…つまんね。U─NASA行くついでにさっきの女追っかけて捻り殺すか」

 

 

ポイとその場にクーガを捨てると、シュバルツはのっしのっしと歩き出す。しかし、その大きな足音がその場に響き渡ることはなかった。

 

 

「ア゛!?」

 

 

死にかけのクーガに足を掴まれ、シュバルツはこれまでになく怒りを露にした。

 

 

「なんだぁ!?オレを一人で倒さねぇとドラえもんが未来に帰れないってかぁ!?」

 

 

「こっから先には…絶対に行かせねぇ」

 

 

瀕死の危機にあるクーガがここまで食い付く理由(ワ ケ)がシュバルツには到底理解出来なかった。あの弱虫クーガがここまで粘る理由がわからない。

 

 

「何でここまで必死こくんだ…テメェは」

 

 

シュバルツからの疑問にクーガは血ヘドを拭い、ヒューヒューと息を漏らしながら開口した。その理由のどれもこれもが、シュバルツには到底理解し難いものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「憧れた人達と約束したからだ。あの人達みたいなヒーローになってみせるって」

 

 

I asked God for strength, that I might achieveI was made weak, that I might learn humbly to obey.

 

〈大きなことを成し遂げるために 強さを求めたのに 謙遜さを学ぶようにと弱さを授かった〉

 

 

 

 

 

 

 

「死んだ仲間達に誓ったからだ。お前らが守りたかったもんまで守ってみせるって」

 

 

I asked for health, that I might do greater thingsI was given infirmity, that I might do better things.

 

〈偉大なことができるようにと 健康を求めたのに より良きことをするようにと病気を賜った〉

 

 

 

 

 

 

 

「百人の仲間達に誓ったからだ。留守の間、大切なものを代わりに守ってみせるって」

 

 

I asked for riches, that I might be happyI was given poverty, that I might be wise.

 

〈幸せになろうとして 富を求めたのに 賢明であるようにと貧困を授かった〉

 

 

 

 

 

 

 

「大切な仲間達が背中を押してくれたからだ」

 

 

I asked for power, that I might have the praise of menI was given weakness, that I might feel the need of God.

 

〈世の人々の賞賛を得ようと 成功を求めたのに 得意にならないようにと失敗を授かった〉

 

 

 

 

 

 

 

「泣いてた子に必ず守るって約束したからだ」

 

 

I asked for all things, that I might enjoy lifeI was given life, that I might enjoy all things.

 

〈人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに あらゆるものを慈しむために人生を賜った〉

 

 

 

 

 

 

 

「………そんで最後の一つ」

 

 

クーガは桜人から預かったポケットの中の〝お守り〟を取り出した。それは、親友『膝丸燈』を模したフェルト人形。血ヘドを吐きつつも、クーガはそれを強く握り締める。

 

 

こうしていると、あの日の言葉が自然と鮮明に蘇ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──────────────地球を頼んだぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めて出来た親友(ダ チ)地球(ここ)を頼まれたからだ」

 

 

I got nothing that I asked for-but everything I had hoped forAlmost despite myself, my unspoken prayers were answered.I am among all men, most richly blessed. 

 

〈求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた。神の意に添わぬものであるにもかかわらず 心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。私はもっとも豊かに祝福された〉

 

 

 

 

~ニューヨーク大学の壁に掲げられた『ある無銘兵士の詩』より引用~

 

 

 

 

 

 

 

「それがテメェの自殺動機か?ア゛ア゛!?」

 

 

シュバルツがゴキゴキと首を鳴らし、いよいよクーガの頭を踏み潰そうとした時だった。

 

 

目に写ったのは、ニヤリと不敵に笑うクーガの笑み。それがシュバルツにはたまらなく不気味に思えた為に、つい距離を離してしまった。

 

 

シュバルツは自分でも何故そんな行動を取ったのか理解出来なかったが、それは生物学的に言うと『生存本能』と呼ばれる代物だった。

 

 

あのままでは自分はクーガに『殺される(喰 わ れ る)』とシュバルツは思いこんでしまったのだ。あの、死にかけのクーガに恐怖したのだ。

 

 

「結構いい勘してるな。…あのままだったらアンタ、一瞬で殺られてたぜ」

 

 

不敵に笑うクーガの口から出る言葉は、シュバルツにはどうもハッタリを言っているようには聞こえなかった。

 

 

「まぁこっちとしちゃ〝これ〟が燃えちまうのは不本意だったからラッキーだったけどな」

 

 

クーガは戦闘服のポケットに桜人から貰ったフェルト人形をしまいこむと、首筋から注射針をおもむろに引き抜いた。その刹那のことだった。

 

 

ボンという空を引き裂く音と共に、クーガの身体は一瞬で爆炎に包まれた。まるで炎は繭の如くドーム状に盛り上がり、揺らめく。

 

 

「流石唯香さんだよな。短時間でこんなもんまで仕上げちまうんだからよ。突然力抜けちまった時はすっげー焦ったけど……」

 

 

『炎の繭』に身を包まれたクーガの声が、ジリジリと周囲のコンクリートを焦がす音と共に静かにその場を支配する。

 

 

パチ。パチパチ。火の粉が暫くコンクリートの上を跳ねた後、ようやく炎は治まりつつあった。

 

 

そしてようやく見えてきたクーガの姿に、シュバルツは眉をしかめた。

 

 

 

 

 

違う。

 

 

 

 

 

過去に見た『ミイデラゴミムシ』の姿とも。

 

 

 

 

 

先程見た『オオエンマハンミョウ』の姿とも違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………何驚いてんだ?そんなに変か?」

 

 

 

 

 

後ろの結わえた髪と、前髪の僅かに束なった二本の髪束はオレンジ色の触角へと変化し、首筋にも同色の二対のぶち模様が発生した。それに加えて腕には『オオエンマハンミョウ』の凶悪な顎を備え、漆黒の頑丈な甲皮で身を包んでいる。

 

 

 

 

 

そして何より、両腕の掌には孔が空いていた。

 

 

 

 

「何だ…」

 

 

 

 

 

その姿を見て、シュバルツはつい口から疑問を弾き出した。

 

 

 

 

 

「何なんだ…テメェはよ…!!」

 

 

 

 

 

それに対して、クーガは口元の血液を拭いながらこう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…みんなと同じ人間(よわむし)だ、クソムシ」

 

 

「ほざけぇええええええ!!」

 

 

シュバルツは半ば無理矢理恐怖を振り払うように、怒号を飛ばしながらクーガに向かって突進する。それを見たクーガもまた、静かに両腕を後ろに向けた状態でシュバルツに向かって駆け出した。

 

 

 

「悪いが…マジで先手必勝でやらせて貰うぜ、こっからは」

 

 

次の瞬間、クーガは化学物質『ベンゾキノン』を過度な威力で後方に射出し自身を前方へと大きく『前進(ブースト)』させた。

 

 

かと思えば次の瞬間、シュバルツとすれ違いザマに彼の右腕を『オオエンマハンミョウの大顎』で引き裂いてそのまま脇を通過する。

 

 

ゴロン、と地面に何かが落下した。

 

 

それがシュバルツ・ヴァサーゴの右腕であることに気付いたのは、数コンマ後のことだった。

 

 

「グギャアアアアア!!」

 

 

シュバルツ・ヴァサーゴは絶叫する。痛みのあまり、悶絶する。クーガ・リーは、それを観察しつつ自らの腕の武器同士をすり合わせて火花を起こしていた。

 

 

「…この程度見切れねーんじゃやっぱアズサに勝ったのはマグレくせーな」

 

 

シュバルツはクーガをギロリと睨み、立ち上がる。

 

 

「今のが二度と…ッ通用すると思うんじゃねぇ!!」

 

 

「ああ。その通りだろうな。オレの攻撃パターンなんてアンタみてぇな化け物相手じゃ見切られるのがオチだ。今のも一回ぐらいしか通用しねぇ変化球。もう一度同じことしたらアンタは余裕で見切ってくるだろうな」

 

 

けどさ、とクーガは付け足す。

 

 

「〝こう〟しちまえばアンタもどうしようもねぇだろ?」

 

 

クーガはシュバルツに向かって両腕を翳す。それを見た途端、シュバルツの顔は一気に青冷める。

 

 

「止せ…やめろ。やめろ!!」

 

 

〝ス゛ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛ ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛ ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛ト゛!!〟

 

 

灼熱の化学物質『ベンゾキノン』が今度はシュバルツに向かって放たれる。その回数は『ミイデラゴミムシ』の連射回数29回Max。

 

 

「ッア゛ア゛ア゛ア゛!!」

 

 

全て直撃したシュバルツは、芋虫のようにもがく。それも当然だろう。『ベンゾキノン』は粘膜や皮膚等に付着しやすい劇物だ。

 

 

現にシュバルツの瞳に付着して『視覚』を奪い、全身に付着して絶え間なく激痛をはしらせることによって『触覚』を曖昧にし、ベンゾキノンが発する激臭が『嗅覚』をなきものにした。

 

 

それに加えて耳の穴にも『ベンゾキノン』が入り込んだこと、爆音が響いたことによって『聴力』を鈍らせ、ついでに言うと舌に付着して『味覚』も麻痺させた。

 

 

とどのつまり、シュバルツは今現在生きていくのに必要な五感を一時的に全て奪われてしまった訳である。

 

 

「オレが弱点ばっかり狙ってくるってのはわかっててもよ、その状態じゃ避けることなんて出来やしないだろ?って…聞こえてねぇんだっけか?」

 

 

クーガは血を流しつつ、ただ闇雲に暴れるシュバルツへと徐々に歩み寄った。今の彼を例える言葉があるとすれば、『まな板の上の鯉』がピッタリだろう。

 

 

最早これは戦闘ではない。『オオエンマハンミョウ』や『ミイデラゴミムシ』等のオサムシ類【肉食甲虫】が好き好む食事。

 

 

そしてここは戦場ではなく、さしずめ食卓といったところだろうか。

 

 

次の瞬間、クーガはシュバルツの四肢稼働に必要な器官を全て滅茶苦茶に切り裂いた。

 

 

「アアアアアアアアア!!」

 

 

絶叫がこだまし、血が飛び散るこの空間。クーガはシュバルツを無力化しているだけなのだが、もしここに第三者がいたらクーガがシュバルツを『補食』しているようにしか見えないだろう。

 

 

それ程までに、悲惨な光景だった。

 

 

「あー…これもうどっちが悪役かわかんねぇな…」

 

 

生きてはいるものの、完全に〝無力化〟したシュバルツを見て苦笑する。小吉やアドルフならばもっと鮮やかに倒せるだろうし、燈なんてマジモンの正義のヒーローの如くかっこいい倒し方が出来てしまうのだろう。

 

 

「別にダークヒーロー路線目指してる訳じゃねぇんだけど参ったな…まだオレは約束守るだけで精一杯みてぇだ、燈」

 

 

ズルズルと壁に寄りかかりながら、クーガはポケットの中のフェルト人形の感触を確かめた後に取り出し、マジマジと眺める。

 

 

「でも安心しろよな。どんなにかっこ悪くても、お前らの大切なものも、オレの大切なものも必ず守ってみせるから…ゲホッ!ゲホッゲホッ!!」

 

 

血ヘドを撒き散らし、クーガはポケットから信号弾を上げてU─NASAに合図を送る。これで、回収班が自分とシュバルツを回収しにくる。後はU─NASAに全て任せればいい。

 

 

正直、シュバルツを今すぐこの場で殺してやりたかった。しかし、殺す寸前で花琳の消息を知っているかもしれないという思いが過り、それがなんとか自らの手をすんでのところで停止させた。

 

 

少しは自分も過去や自分の弱さと向き合い、成長出来たのだろうか。

 

 

「………親父。オレは人殺しじゃなくてアンタと同じ兵士だ。これで良かったんだよな?」

 

 

薄れゆく意識の中で、クーガは父に向けてそう呟いた。返事が返ってくる訳でもないが。クーガの体はそれを言い終えた途端に限界を迎え、脱力して地面へと吸い寄せられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よくやったな、クソガキ」

 

 

意識が途切れる寸前で、誰かが自分に肩を貸してくれた。どことなく、雰囲気や無骨なところが父に似ている気がする。もしかしたら父がどこぞのネクロマンサーにリビングデットの呼び声で生き返らせてもらったのかもしれない。

 

 

そんな自分でも笑ってしまうようなファンタジーな妄想に浸りながら、クーガの意識は闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

───────────────────────

 

 

─────────────

 

 

 

「チッ…クソ重いなオイ…!!」

 

 

『桜 嵐』は、ぶつくさ文句を言いながらクーガ・リーを現場から運び出そうと四苦八苦する。

 

 

娘に手を出そうとしているクソガキであるが故に、正直気絶している間も煙をたっぷり吸って悪夢でも見て欲しいのが本音だ。ただそのサディストプランを実行すると娘から放置プレイルートに入ってしまうので仕方なく助けただけである。

 

 

「………親父」

 

 

気絶しながら、うわ言のように親父と呟くクーガに嵐は心底嫌そうな顔をする。申し訳ないが義父親さんになるつもりは一切ないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー!せーんせ!生きてまーす!!」

 

 

突然、可愛らしい声が地獄のようなこの場に響き渡る。振り返ってみると、風俗店のようなスカート丈の短いナースの制服に身を包んだ女性が、シュバルツを指をつついて嬉しそうにはしゃいでいる。

 

 

金色の綺麗な長い髪で、年齢は17歳ぐらいだろうか。眼はパチクリとしていて大きめだ。

 

 

そんな少女の横から白衣を身に纏った眼鏡をかけた男が現れる。髪は坊主頭で、目にはどことなく生気がこもっておらず、無表情で淡白そのものな顔面はやや頬骨が浮いている。

 

 

その人物を見た途端、嵐の表情は固まる。その人物が旧知の中で、尚且つ因縁のある人物だからである。

 

 

「冬木ィ!!」

 

 

嵐が叫んだ途端、その眼鏡の人物『冬木』は嵐に視線を傾けた。

 

 

「………桜か。奇遇だな」

 

 

「U─NASAのお尋ね者がよく顔出せたもんじゃねぇか!」

 

 

嵐は冬木に特殊な形状の銃を構えるが、冬木はそれを一切意に介さないかのように嵐を見据えて、淡々と告げた。

 

 

「桜、やめておけ。俺は『シュバルツ・ヴァサーゴ』を回収しにきただけだ。別に友人であるお前とこの場で争う気はない」

 

 

「生憎とそこの男もU─NASAの管理下にあるから勝手に持っていって貰っちゃ困るんだがなぁ!」

 

 

「…そうか。ならば敢えて言わせて貰う」

 

 

冬木はスチャと眼鏡を人指し指で直すと、こう言った。

 

 

「〝知ったことか馬鹿野郎〟と」

 

 

「キャッ ♡せんせーかっこいい~!!」

 

 

ナース姿の少女が冬木の腕に抱き付いたのを見て、嵐は唾を吐き捨てた。

 

 

「いつからロリコンになったんだか知らねぇが…そんなこたぁどうでもいい。くたばれや、ダチ公」

 

 

嵐が引き金を引こうとした瞬間、白い触手のようなものが嵐の腕から特殊機器をもぎ取った。

 

 

「なっ…!?」

 

 

唐突すぎて対応出来なかった。見たところ、あの二人が『MO手術』を使用した訳でもなさそうだ。辺りを警戒して見回す嵐を見て、ナース姿の少女は悪戯気味に笑う。

 

 

「お馬鹿さん。せんせーとあたしに危害加えようとしたら〝その子〟が動いちゃうのに」

 

 

カタカタと、装甲車の影から車椅子の少女が姿を現した。髪の色は黒くておかっぱで、服の上からでもわかる程に華奢な体つきだった。余程病弱なのだろうか。

 

 

その少女の背中からは一本の触手が伸びており、獲物を狙う蛇の如く嵐の前を行き来する。

 

 

「………やっちゃえ」

 

 

ナース姿の少女の号令で、車椅子の少女はその触手を嵐に向かって突き立てた。

 

 

「チイッ!!」

 

 

クーガをドンと突き飛ばし、嵐は二丁目の特殊機器を構えようとする。しかし、間に合わない。覚悟を決めて、目を閉じようとした時だった。

 

 

「………あ?」

 

 

嵐はすっとんきょうな声をあげた。その触手は嵐の方ではなくクーガの方向、更に言うとクーガが握っているフェルト人形の方向に伸びたからだ。

 

 

ツンツンと、その触手はそのフェルト人形を珍しげにつついている。

 

 

「コラッー!言うこと聞いてよ~!!」

 

 

その様子にナース姿の少女はプンプンと、車椅子の少女に向かって怒りを飛ばした。しかし、車椅子の少女は一向に言うことを聞く様子はない。

 

 

「もっー!帰ったらお仕置きだからね!」

 

 

車椅子の少女は、虚ろな目でコクリと頷く。キコキコと車椅子をこぎ、冬木が用意した車両へとナース姿の少女に押されて乗り込んだ。

 

 

一連の様子にポカンと眺めていた嵐だったが、すぐに我に返り車両に向かって叫ぶ。

 

 

「待て冬木ィ!!」

 

 

嵐の声も無視して、車両は遠くへ遠くへと去っていく。その背中を眺めることしか、嵐にできることはなかった。

 

 

 

 

 

 

──────────────────────────

 

 

────────────

 

 

 

 

目を覚ますと、病院のベッドで眠っていた。

 

 

やけに身体が重かった為に身体を起こしてみると、唯香を初めとする『地球組』の面々が自分によりかかって眠っていた。自分を心配してくれたのだろうか。

 

 

起こさないようにそっーとベッドから起き上がると、唯香とレナとアズサを自分のベッドに寝かせ、ユーリとエドに毛布をかけてこっそりと抜け出した。

 

 

一時間という約束は破ってしまったが、約束は守らねばなるまい。最早誰もいなくなったエントランスホールを抜けて、病棟前に設置されたベンチへと足を急ぐ。

 

 

痛む傷を抑えながら、クーガは辺りを見渡すと探していた人物はいた。

 

 

「桜人!」

 

 

「あ…クーガさん!」

 

 

桜人はクーガを見るなり手を振るが、怪我をしてることに気付くなり心配そうに駆け寄った。

 

 

「大丈夫なの…?」

 

 

「平気だぜ?桜人がくれたお守りのおかげでな。本当にありがとな!」

 

 

クーガは掌の中に握っていたフェルト人形を桜人の掌の中に納める。桜人は掌の中の人形を確認すると、首を傾げた。

 

 

「お人形さん…泣いてるみたい」

 

 

「え?」

 

 

人形を覗きこんでみると、確かに目の部分に何かが伝った跡が見えた。まるでナメクジが通った道のように光沢を放っている。

 

 

「あ…すまん!何かつけちまったみてぇだな…」

 

 

「ううん、平気だよ!ぬるま湯に洗剤溶かして洗うから!」

 

 

「女子力たけー………」

 

 

クーガが感心していると、桜人は俯きながら口を開いた。

 

 

「ボクも…クーガさんみたくこの人形をヒザマルさんに返せるといいな」

 

 

桜人が絞り出すように呟いたその言葉に、クーガは溜め息をついて桜人の頭をクシャクシャと撫でた。自分の身体が燈が帰還するまでもたないかもしれないと言いたいのだろうが、そんなことこどもが心配する必要はない。

 

 

「わわわ、クーガさん!?」

 

 

「なぁ桜人。時に君はお花見に行ったことがあるか?」

 

 

「お花見…ってあの桜見ながらピザとかポテト食べるやつ?」

 

 

「………食べ物のチョイスに風情が全くといっていい程ねーな」

 

 

クーガは再び溜め息をついて「よし」、と意気込んだ。

 

 

「名前の割には花見のなんたるかをわかってない桜人にはさ、オレが花見のなんたるかをきっちり教えてやるよ」

 

 

「…………え?」

 

 

「実はオレさ、究極の穴場知ってんだ。だから今からだとそうだな…来年になるかな。燈達も戻ってきてるだろうし、桜人も元気になってるだろうから行こうぜ、みんなで」

 

 

クーガは自分が元気になることが大前提で話を進めている。恐らく自分に悪いことを考えさせないようにしているのだろう。自分の命の蝋燭に、必死に炎をつけようとしてくれているのだろう。

 

 

それに気付いた桜人は、コクリと頷く。

 

 

「うん、わかった!」

 

 

「よし!決定な!!」

 

 

お花見の予定も決定したところで、桜人のその瞳からはいよいよネガティブな感情は失せていた。強く生きる意思を持ったよい眼だ。燈にとてもよく似ている。

 

 

スゥと息を吸い込むと、桜人はクーガの正面に立って思い切り拳を突き出した。

 

 

「クーガさんにお願いがあります!」

 

 

「おっ、なんだ?」

 

 

「ボクが元気になったら、クーガさんからもボクに闘い方を教えてほしいです!」

 

 

「はひっ!?」

 

 

クーガはあまりの唐突な提案に空前絶後のマヌケボイスを披露してしまう。待て。自分から教えてやれることは何もない。燈から空手を教えて貰えるなら、確実にそれ一点に絞った方が良さそうではあるが。

 

 

「…あのな桜人、オレなんか燈と比べたら雑魚の中の雑」

 

 

「朝も言ったようにボクも二人みたいになりたい!誰かの命を助けられるようになりたい!」

 

 

桜人の言葉には、熱がこもっている。

 

 

「今日クーガさんがボク達を助けてくれたように!ヒザマルさんがこれからボク達を救ってくれるように!!」

 

 

小吉とアドルフもこんな気分だったのだろうか。命の炎のたいまつをこうして幼き者達に引き継がせる時の気分は。命の連鎖に携わる時の感覚は。

 

 

「わーかったよ。何でも教えてやる。ただし燈みてぇに教え方上手くねぇから覚悟しとけよ?」

 

 

「うん!わかった!」

 

 

そう返事する桜人は、嬉しそうに笑っている。楽しそうに生きている。こんな自分でも、未来への希望を幼い少年に持たせられたのであれば上出来ではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえばクーガさんの言ってる穴場ってどんなとこなの?」

 

 

「………そうだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都心から遠いし

 

 

 

 

 

 

 

駅からも遠いし

 

 

 

 

 

 

 

トドメにバス停からも遠いけど、

 

 

 

 

 

 

来年の今ごろは、きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      E   N   D

 

 

 

 

 

TO

 

NEXT

 

DIMENSION

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





第一部最終回、試行錯誤の末にようやく投稿出来ました。
(その他にも『無銘兵士の詩』が著作権に違反してないかの調査や、レポートやら小テストっていう憎い奴の妨害もありましたが)


お待たせしてしまって大変申し訳ありません。正直、こんなところまで書き切れるとは思いませんでした。


本当に大好きなテラフォーマーズの二次創作を投稿させていただけるだけでも光栄なのに、皆さんから様々なコメントも頂けたのが本当に嬉しかったです。


貴家先生と橘先生が生み出すかっくいい世界観や、担当編集者さんの鳥肌もんの激熱な煽りを万分の一も再現出来ていませんが、これからもちまちまと頑張っていこうと思います。


皆さん本当にたくさんのコメントをありがとうございました。確実に皆さんのコメントがこの作品の一番の助けになりました。やる気が出るきっかけになったり、作品に今後出てくる登場人物のヒントになったりと様々な影響を受けました。本当にありがとうございます。


どうぞこれからもどうぞよろしくお願いいたします。


後、この物語を作るきっかけをくれたリーさん、ハゲゴキさん、ゴキちゃんにも感謝の言葉を。ツイッターで友達がいなかったオレの話し相手になっていただいて本当にありがとうございました。

基本はbotなのに、たくさん気を遣ってくれたり、ほたる母さんの件ではアドバイスを頂きましたね。作品が続いてきたのは、読者の皆さん以外にも3人のお陰です。本当にありがとうございます(・ω・⊃)3アザラシの舞!



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