LIFE OF FIRE 命の炎〔文章リメイク中〕   作:ゆっくん

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あれから十年の時が刻まれた。


第三次テラフォーミング計画、アネックス一号出発から約三週間後。


クーガ・リーは無謀に挑み、勇敢に死んだ。


かつて、彼の父がそうしたように。






第二十話 SOLDIER 兵死

 

 

 

 

パチン。そんな音共に、金切りハサミがフェンスを切り裂く。

 

 

「………くりあ」

 

 

レナがそう囁くと、三人の人物が草影から姿を現す。

 

 

アズサ、唯香、クーガ。

 

 

いずれも、今からこの〝要塞〟に乗り込むメンバー達だ。

 

 

 

 

 

───────テラフォーマー生態研究所、第一支部

 

 

 

アメリカ・アイダホ州の郊外に位置する、広い敷地を持つ建物。

 

 

火星ゴキブリ『テラフォーマー』の研究に最も期待を寄せられているだけあってか、形だけの優遇である第四支部と異なり、膨大な予算をかけて日夜、研究が進められている。

 

 

生体『テラフォーマー』のサンプル数は優に三桁に到達する。

 

 

それもこれも、万全な研究設備と安全策が施されているからこそ許されたことである。

 

 

ただ、その二つはクーガ達にとって脅威にしかならない。

 

 

安全策が施されているということは、生体『テラフォーマー』サンプルだけでなく、対人設備も又然りだ。

 

 

情報の漏洩を防ぐ為に、最新の防犯装置も備えられているという訳だ。

 

 

それに、生体『テラフォーマー』を所有しているのも大きな問題である。

 

 

「…………エメラルドゴキブリバチ、か」

 

 

アズサとレナの話によると、花琳は『エメラルドゴキブリバチ』の特性を所有しているらしい。

 

 

『地球組』のデータベースに情報はなかったが、これは大きな脅威となる。

 

 

自在に『テラフォーマー』を操る特性(ベース)

 

 

二十年前に『バグズ二号』を裏切った搭乗員、『ヴィクトリア・ウッド』の特性(ベース)

 

 

彼女がその手術を自ら施したのか、他の誰かに施されたのかは不明。

 

 

しかし、そんなことはどうでもいい。

 

 

大切なのは生体『テラフォーマー』百体以上が、彼女の忠実な駒となっているという事実だけである。

 

 

戦力差は絶望的。故に、目的は唯一つ。

 

 

テラフォーマー生態研究所、第一支部長『趙 花琳』の確保のみ。

 

 

 

 

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テラフォーマー生態研究所、第一支部の最深部。

 

 

地下に位置するこの場所は硬く閉じられたハッチさえ開ければ、下水道に出入りすることも可能だった。

 

 

そこに、勤務する職員・研究員全てが集められていた。目の前に広がる異様な光景の、観衆であることを彼らは強いられている。

 

 

「じょーじょう。じょーじょう」

 

 

生態研究用、サンプルテラフォーマーの一体は何度も引っ張る。

 

 

綱引きの如く、引っ張る、引っ張る。

 

 

〝それ〟はゴチュゴチュと音を立てて、ズルズルと姿を現した。

 

 

「グギャアアアアア!!」

 

 

『バグズ手術』を受けた死刑囚、通称『バグズトルーパー』のうちの一体『ニジイロクワガタ』の特性(ベース)を持つ者は叫び、苦しむ。

 

 

消え入りそうな声で叫び続けるが、やがては小さくなってゆく。

 

 

虫けらのようにピクピクと体を震わせ、やがて動かなくなった。

 

 

テラフォーマーは、その『バグズトルーパー』の肛門から引きずり出した大腸を、ブンブンと振り回す。一回転ごとに遠心力が伴い、中に詰まっていた汚物がびちゃびちゃと飛び散る。

 

 

「じょうじ」

 

 

もう一体のテラフォーマーは、その『バグズトルーパー』から取り出した眼球やら睾丸でお手玉を楽しんでいた。べちょべちょと、その指の体液が滴り落ちた。

 

 

眼球の方は堅かったが、プチンと潰してやればいくらのように快音を立てて弾け飛んだ。

 

 

「じょじょ」

 

 

それに負けじと、三体目のテラフォーマーは『バグズトルーパー』の頭部を思い切り踏み砕いた。頭部のあらゆる器官が破壊され、数本の黄ばんだ歯がその場にコロコロと転がり落ちた。歯槽膿漏だったのか、吐き気を催す臭いが更に拡散する。

 

 

「うえええええ!!」

 

 

目の前で起きている出来事と悪臭に、白衣を着た女性研究員は思わずその場に嘔吐する。

 

 

「オボェエエエエエエ!!」

 

 

「っほぐうぇえええ!!」

 

 

それにつられて、他の何人かも同時に吐き出す。

 

 

生臭さと、汚物と血の鉄臭さが同居した空間。

 

この空間を地獄以外の言葉で形容できる程、女性研究員はボキャブラリに富んでなかった。

 

 

そして、この空間に最も似合わない美貌を持つ自分達の上司、『 趙 花琳 』が何故平気な顔をしていられるのかが全く理解出来ない。事実、彼女の白衣に汚物が付着したところで全く気に留める様子もなかった。

 

 

いや、それ以上に理解できないのは、何故彼女がテラフォーマー達を従え、こんな真似をしているか、なのだが。

 

 

彼女の後方に控える数人の『バグズトルーパー』達も、混乱を更に深める材料となっている。彼らは敵の筈ではないのか。

 

 

「あら。アナタ達、グロテスクなものに耐性がないのね。私が昔住んでいたところはこんなもの日常茶飯事だったけれど」

 

 

どこに住んでいたんだ、彼女は。あの物騒なグランメキシコですら、こんな猟奇的な現場を拝める機会は稀ではないだろうか。

 

 

「さてさて。私個人としてはね、よく働いてくれていたみんなを今から起こる出来事に巻き込みたくないのよ」

 

 

今から起こる出来事?

 

 

今から起こす、ではないということは、起こることをあらかじめ想定していたのだろうか。

 

 

「やりなさい」

 

 

「じょう」

 

 

花琳の呼び掛けで、一際、他の個体と比べて『体が膨れ上がったテラフォーマー』が姿を現す。

 

 

『動物性タンパク質』を過剰に接種させた個体だ。バリバリと、好物のカイコガを食みながら、強引に下水道に通じるハッチの淵を掴めば、強引にそれを引っ張る。

 

 

徐々にハッチに力が加わり、ミキメキとそれを変形させていく。

 

 

本来は、横にあるパネルに九桁の数字を入力しなければ開かない。非常時にのみ開放される

避難及び逃走( エ ス ケ ー プ)』用の特殊な扉なのである。

 

 

それをこの個体は、まるでアジの缶詰を開けるかの如く簡単に開いてしまった。恐ろしく強い力だ。

 

 

「さ、ここから逃げなさい。私の気が変わらないうちにね?」

 

 

花琳は悪戯気味に笑みを浮かべながら、強引に開かれた出口を指差す。

 

 

「あの…支部長…」

 

 

恐々と、研究員の一人が花琳に声をかける。

 

 

しかし、彼女は歯牙にもかける様子はない。

 

 

ただ一言、こう告げる。

 

 

「あら。無駄口を叩いてる暇があるのかしら?〝ああ〟なっちゃうわよ?」

 

 

先程バラバラにされた『バグズトルーパー』の死体を指差す。

 

 

グロテスクなその死体に、再び先程の恐怖と吐き気が蘇ってくる。

 

 

絶対にああなりたくはない。各々の生存本能が、この場にいることを全力で拒む。

 

 

慌てて職員・研究員は草食動物の群れの如く駆け出した。

 

 

「フフ…それでいいのよ」

 

 

「おい…オレ達は〝用済み〟ってのはどういうことだ!!」

 

 

『バグズトルーパー』の一人が糾弾する。

 

 

自分達に『バグズ手術』を施した張本人、花琳が先程そう告げたのだ。

 

 

突然で、身勝手すぎる戦力外通告。

 

 

それに『バグズトルーパー』達は戸惑っていた。

 

 

最初は悪い冗談かと思ったが、それを抗議した仲間が現実にこうして惨たらしく殺されてしまったからには、確実に冗談ではないだろう。

 

 

「言葉通りよ。後は何処とでも行けばいいわ」

 

 

「行くアテなんかあるわきゃねぇだろうが!!」

 

 

彼らは死刑囚。外の世界で生きる道など、当然持ち合わせていない。

 

 

「貴方達の度重なる失敗を間近で見てきてわかったわ。やっぱり脆弱な人間じゃ駄目」

 

 

花琳は、テラフォーマーの触角をやおらに引き寄せる。

 

 

最も憎い存在(人間)に引きずられるテラフォーマーのその姿は、どことなく滑稽だった。

 

 

「ゴキブリ並にタフじゃなきゃね。さ、外部にいる仲間に知らせた方がいいわよ。早く出ていかないと…そこのゴリラ君が貴方達の上半身を吹き飛ばしちゃうかも」

 

 

動物性タンパク質を過剰に接種した個体は、虚ろな眼でバリバリとカイコガを貪り食らっていた。しかし、花琳の一声でクルリと向きを変え、ドシンドシンと重厚音を立てて『バグズトルーパー』達の元に歩み寄ってきた。

 

 

「ヒッ!!」

 

 

堪らず、『バグズトルーパー』は悲鳴を上げて逃げ出す。

 

 

研究員と同じハッチで逃げることは許されず、通気口からの脱出を強制された。

 

 

「貴方達はちょっと待ちなさい」

 

 

「は、はぁ!?」

 

 

逃げ出したうちの数人が、突如呼び止められる。

 

 

一刻も早くこの場から離れたいが為に、明らかに浮き足立っている。

 

 

「貴方達のベースは実戦の中でデータを取れてないの。残って貰うわよ」

 

 

「ふっ!ふざけんな!オレ達の仲間を大量に殺したヤローが来るんだろ!?勝てっこねぇよ!!」

 

 

「大丈夫。〝必ず勝てる勝負〟になるわ。安心しなさい」

 

 

花琳は笑い、断言する。

 

 

未来を掌握してるかのようなその口ぶりは、どんな状況でも揺らぐことはない。

 

 

白衣を脱ぎ捨て、黒いロングヘアーを揺らす。

 

 

青いチャイナドレスが露になり、コツコツとハイヒールが床を叩く。

 

 

メトロノームのように無機質で、周期的なその音は一切の乱れを知らない。

 

 

糞尿や屍を踏みつけても尚、構わずに踏み進んでいく。

 

 

そして、先程よりも広く、視界の開けた場所に到達する。

 

 

小学校の体育館よりも広いであろうその空間。

 

 

そこに虚ろな眼で並ぶ、無数のテラフォーマーズ。

 

 

「みんな。ちょっといいかしら?」

 

 

わらわらと集まってきた実験用テラフォーマーに向かって、彼女(女王蜂)は号令を出す。

 

 

「今…お客様が来てるわ。だからね?」

 

 

彼女の命令は神の声。

 

 

テラフォーマー達に拒否権は存在しない。

 

 

「〝オ・モ・テ・ナ・シ〟…そう。〝おもてなし〟してあげてね?」

 

 

身振り手振りの後に合掌する。

 

 

すると、一斉にテラフォーマーは駆け出した。

 

 

お客様( 侵 入 者)達を、おもてなし( 返 り 討 ち)する為に。

 

 

「あ、思い出した。そうね…貴方でいいわ」

 

 

一斉に駆け出した無数のテラフォーマーのうちの一体を呼び止める。

 

 

その個体が停止すると、花琳はチャイナドレスを脱ぎ始める。

 

 

徐々に磨かれた大理石のような、綺麗な白肌が露出していく。

 

 

服が半脱ぎの状態で、徐々にテラフォーマーに歩み寄っていく。

 

 

「着替え、手伝ってくれないかしら?」

 

 

ペロリと、舌を剥き出す。

 

 

今の彼女の姿は、人間の男性であれば官能的に感じるものかもしれない。

 

 

しかしテラフォーマーからすれば、その姿は恐怖そのもの。

 

 

エメラルドゴキブリバチ。自分達を奴隷畜生の如く飼い慣らす悪魔。

 

 

逃げようと思ったところで、自らの逃避反射は既に破壊されている。

 

 

テラフォーマーは、生まれて初めて恐怖という感情に肉薄した。

 

 

動かない。強靭な自らの足が。

 

 

彼女が触れた瞬間、『一匹』のテラフォーマーの命が闇の底に消えた。

 

 

 

 

 

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フェンスに開けた穴をくぐり抜け、四人は緑の芝生を歩く。

 

 

施設までは約百メートル。

 

 

正面入り口を使わない分まだマシかもしれないが、バレバレなのは変わらない。

 

 

警備用のサーチライトでも当てられたら、一巻の終わりだろう。ただ、妙だった。

 

 

「………人の気配がありませんわね」

 

 

第一支部の警備は厳しい。

 

 

野良犬が迷いこんだだけでも警報が鳴り響くレベルだ。にも関わらず何も起こらない。逆に不気味だ。

 

 

「  ?  」

 

 

そんな時、レナが猫のようにキョロキョロとしだした。

 

 

「どうしたの?レナちゃん」

 

 

「ぽこぽこしてる」

 

 

レナの返答に、唯香とクーガは首を傾げる。

 

 

しかし、アズサだけはレナの言いたいことを理解したようだ。

 

 

「走りますわよ!早く!!」

 

 

ボコッ。

 

 

ボコッ。

 

 

ボコッ。

 

 

テンポのよい音を立てて、緑の芝生がめくれあがる。

 

 

次々と、もぐらたたきゲームの如くテラフォーマー達が首を突き出す。

 

 

「じょう」

 

 

「じょじょう!!」

 

 

一瞬で。たったの一瞬で四人は包囲されてしまった。

 

 

「…道はあたくし達が開きますわ。唯香様とクーガは進んで下さいまし」

 

 

「ここはわたしとおじょーさまがやる」

 

 

『薬』を取り出そうとする二人だが、無い。

 

 

肝心の『薬』が無い。

 

 

「…………お前らホントにそっくりだな」

 

 

クーガは呆れて溜め息をつく。

 

 

二人は事情があるとはいえ、一度はクーガ達を裏切ったという理由で『薬』の管理を自分達からクーガと唯香に任せていた。故に、アズサとレナは現在無防備な状態。

 

 

「おっ!お黙りなさい!小さな頃から共に育ってきましたので当然ですわ!むしろレナのアホ属性があたくしに伝染したとしか思えません!」

 

 

「おじょーさまの〝どじ〟ぞくせーがあしをひっぱってる」

 

 

ギャーギャーと、喧嘩を始める二人。

 

 

〝おもてなし〟に来たテラフォーマーも、悠長なその態度に首を傾げてる。

 

 

「ミニコントやってる場合か!そら!!」

 

 

業を煮やしたクーガが、溜め息混じりに二人に『薬』を放り投げる。

 

 

「え…よ、よろしいんですの?」

 

 

「当たり前だろ?『仲間』だからな」

 

 

あたかも当然のように、クーガはそう告げる。

 

 

しかし、それは簡単なことではない。

 

 

仮にも一度は刃を向けてきた相手に、背中を預けるということは容易ではない。

 

 

しかも、それに加えて不安要素がまだある。

 

 

「くーがの〝くすり〟が…たりなくなっちゃう」

 

 

クーガは、基本的に三本しか『薬』を携帯しなかった。

 

 

一つは、装備を軽くする為。

 

 

二つ目は、『地球組』の戦闘服に収納できるMAXの本数である為。

 

 

そして三つ目。

 

 

大嫌いな父親が、大量に『薬』を所持していたらしいから。

 

 

慎重なクーガとしては、敵に渡る可能性も考慮するとあまりいい考えとは思えなかった。

 

 

それに何より、父親と行動が重なることすらも嫌悪していたからである。

 

 

「一本ありゃ充分だ。持っとけ」

 

 

クーガは冷静に周囲を見渡す。

 

 

すると、僅に包囲網の穴があることに気付く。

 

 

「アズサ、レナ」

 

 

二人に声をかけ、唯香をおぶる。

 

 

「………背中、任せたぜ」

 

 

告げた瞬間、クーガは駆け出す。

 

 

父親とクーガの決定的な違い。

 

 

父親は無関心に見えて仲間想い。

 

 

クーガは目に見えて仲間想い。

 

 

しかし、そこからが相違点。

 

 

父親は自信家だったが、クーガは自分が『弱い』ことを把握していた。

 

 

故に仲間に頼ることが出来る。

 

 

息子はいつか父親を超えるものだ。

 

 

まだそれには遠いかもしれないが、クーガは自ら無意識のうちに偉大な父親の背中を越そうとしていた。

 

 

 

 

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「……やれやれ。何だか頼もしくなっていきますわね」

 

 

そんなクーガの背中を見送りながら、アズサは呟く。

 

 

父親から『MO』を遺伝していると聞いた時には、嫉妬したものだ。

 

 

手術はほぼ成功に近い確率に跳ね上がるし、戦闘面も有利になる。

 

 

とはいえ、本人がそれに相当苦悩していると聞いた時からそんな嫉妬は消えたものだ。

 

 

そんな嫌悪する『遺伝MO』を、クーガは自分との戦闘で使用した。

 

 

「………誰もがみんな『父親』のことが心の底では想ってましてよ?」

 

 

アズサは微笑む。

 

 

自分の父親も、この選択に満足してくれているだろうか。

 

 

友に刃を向けるのではなく、友の背中を守るという選択をした自分を。

 

 

しかし、その友はまだ不安定な筈だ。

 

 

自分の中のトラウマと向き合うのは、勇気がいること。

 

 

従って、唯香以外にも戦力的に支える人物が必要である筈だ。

 

 

「レナ、クーガと共に行きなさい」

 

 

「ことわる」

 

 

レナは偉そうに腕を組みながら、仁王立ちする。

 

 

日本のギャグ漫画であれば〝ドーン〟というオノマトペが出てもおかしくはない程の堂々とした様子で。

 

 

「なっ…………」

 

 

アズサは戸惑う。レナが自分の指示を断ることなど、ここ数年間滅多になかったからである。

 

 

「おもいだしたから」

 

 

「……思い出した?」

 

 

「いえす。くーがとのたたかいのさいちゅー」

 

 

クーガとの戦闘の最中にレナが思い出したこと。

 

 

アズサには、それが検討もつかなかった。

 

 

「わたしはおじょーさまの〝いもーと〟です。だからおじょーさまをまもる」

 

 

妹。アズサにとって、レナは〝妹〟。

 

 

そんなに当たり前のことなのに、レナはすっかりと忘れていた。

 

 

アズサの父親も、そのつもりで自分を引き取った筈なのである。

 

 

なのに、恩を返すことばかりに囚われてすっかり忘れてしまっていた。

 

 

部下であれば、主人の言うことに素直に従うべきかもしれない。

 

 

しかし、妹であれば、間違いを犯そうとしている〝姉〟を止めるべきである。

 

 

例え姉が泣くことになろうとも、姉を後悔させない為に。

 

 

「…………覚えてましてよ?あたくしは」

 

 

ここまで一緒に生きてきて、アズサは片時も忘れたことがなかった。

 

 

レナは妹。例え、血が繋がっていなくとも。

 

 

「妹に一杯食わされましたわね。まったく」

 

 

『アズサ』はレナの方に顔を向ける。すると、すぐ真後ろで複数体のテラフォーマーが彼女に襲いかかろうとしていた。

 

 

『レナ』はアズサに顔を向ける。こちらも同じように、真後ろから複数体のテラフォーマーがアズサに襲いかかろうとしていた。

 

 

「行きますわよ。レナ」

 

 

「うぃ」

 

 

二人は、互いの首筋に向かって注射器型の『薬』を投擲する。

 

 

ダーツの如くそれは空を裂き、互いの首筋に見事突き刺さった。

 

 

変異が始まる。

 

 

二人の女神(ヴァルキリー)の力が産声を上げる。

 

 

二人はほぼ同時に、前に踏む込む。

 

 

アズサは『ヘラクレスの長角』でレナの喉元辺りに向かって突きを放つ。下手をすれば、レナの喉を貫いてしまうだろう。

 

 

レナも『マンディブラリスの大牙』を形成したのだが、位置的にこのままではアズサの首を跳ねる結果になるかもしれない。

 

 

二人は敵でもないのに、その構図は命懸けの決闘のが決着するその瞬間のようだ。

 

 

しかし、二人には一寸の躊躇いもない。

 

 

何故なら彼女らは血が繋がっていなくとも『姉妹』であり、信頼しあっているからである。

 

 

「じょうじっ……!!」

 

 

「ぎぎぎっ!!」

 

 

アズサの突きはレナの首筋を掠め、後ろのテラフォーマー三体を串刺しに。

 

 

レナのギロチンは、双刃が後ろのテラフォーマー二体に突き刺さったことによりアズサの首筋の手前で停止した。

 

 

「片付けますわよ。〝二人で〟」

 

 

「わかった。〝ふたりで〟」

 

 

『蒼天の剣士』と『紅蓮の狂獣』は、一点の目的の為に突き進む。

 

 

大切な仲間を、守る為に。

 

 

 

 

 

 

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「ちっくしょお!あの女!!」

 

 

『バグズトルーパー』のグループは、通気口をほふく前進で進み続けた。

 

 

群れのリーダーである『花琳』を失ったにも関わらず、死に対する恐怖から合鴨の群れの如く纏まっていた。

 

 

しかし、所詮は〝烏合の衆〟である。

 

 

予想外のトラブルには対応出来る訳がない。

 

 

「じょう」

 

 

通気口の向こうから、一体のテラフォーマーが現れた。

 

 

過度に死に対して恐怖していた『バグズトルーパー』達にとって、心臓を大きく震わせるには充分すぎる程の出会いであった。

 

 

「な、なんだ。テラフォーマーかよ!脅かしやがって!」

 

 

先頭の男は安堵する。前方が見えずに何事かと不安になっていた後方の男達も、胸を撫で下ろす。

 

 

「ビビる必要はねぇ。オレらを襲う命令はしてねぇ筈だろ……っておい?」

 

 

先頭から二番目の男は、先頭の男の姿勢が突然崩れたことに首を傾げる。

 

 

先頭の男の肩を揺らす。

 

 

すると、ゴトリと音を立てて男は倒れてしまった。

 

 

よく見ると、首が妙な方向に曲がっている。

 

 

首を折られたのだ。恐らく。

 

 

「うっ…うわああああああ!!殺しっ…!殺しやがっ!」

 

 

死を目の当たりにした瞬間、〝二番目〟だった先頭の男の悲鳴が木霊する。

 

 

石を投げ込まれた水面(みなも)のように、その恐怖は次々と伝波していく。

 

 

「何でだ!!何で殺された!!」

 

 

「知るか!下がれっ!早くっ!!下がってくれぇ…!!」

 

 

先頭となった男は、小便と涙を撒き散らしながら仲間達に懇願する。

 

 

テラフォーマーは狭い通路の中を通る為に、自分が通ってきたであろうT字型通路に先程首をへし折って殺した男の死体を引きずり込む。

 

 

数秒後、通路の奥からその顔がぬっと現れ、こちらに向かって〝カサカサ〟とほふく前進を始めた。

 

 

「ひいっ!!」

 

 

男の後退も間に合わず、上顎から上を力任せに契り取られて死んでしまった。

 

 

その男の死体もまた、引きずり込まれていく。

 

 

「あ、あ、あああ!!」

 

 

ガクガクと〝三番目〟だった先頭の男は震える。

 

 

仲間がまた引きずり込まれ、奥の通路に消えていった。

 

 

次は自分。どうせ逃げられはしない。

 

 

そうであれば、闘うしか選択肢は残されてない。

 

 

『薬』を構え、男は奥の通路を恐々と注視する。

 

 

その僅か二秒後に、テラフォーマーはカサカサとこちらに接近してきた。

 

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 

ブスリと『薬』を注射した瞬間、男の体内に眠る特性が発現する。

 

 

「ニジイロクワガタの甲皮ィイイイイイイ!!」

 

 

ニジイロクワガタの甲皮が身を包んだのはいいが、その鎧はテラフォーマーが放った拳にあっさりと貫かれた。

 

 

「じょう」

 

 

そいつは死亡フラグだからやめておけ、と告げて男の死体を前に押し出して退ける。

 

 

奥の方に何人か逃げていく様子が見られたが、仲間が始末しておいてくれるだろう。

 

 

『バグズトルーパー』達を無視して、廊下通じる金網を突き破り『ゴキちゃん』は着地した。

 

 

「じょう………」

 

 

やれやれ、随分な大役を任されたもんだと溜め息を吐く。

 

 

『花琳』を確保するこの作戦だが、作戦の要はゴキちゃんなのだ。

 

 

ゴキちゃんであれば、他のテラフォーマーに紛れ込めるからである。

 

 

本当は『エメラルドゴキブリバチ』の毒に完全な耐性があるハゲゴキさんが適任なのだが、彼は何分〝ハゲているから〟目立ってしまう。

 

 

故に、ゴキちゃんが抜擢されてしまったという訳だ。

 

 

「じょじょう…」

 

 

ま、任された仕事だからしゃあねぇかと愚痴をこぼした途端に、奥の通路でテラフォーマーの一体が歩いているのを見つける。

 

 

廊下の影からその様子を伺う。

 

 

他の個体がいないことを確認すると、ゴキちゃんは直ぐにその個体の後ろについた。

 

 

RPGゲームの勇者の後ろを歩く魔法使いのように、テクテクと。

 

 

こうしていれば、この個体同様に『エメラルドゴキブリバチ』の毒で操られてるように見えるだろうから。

 

 

そんなゴキちゃんの前を歩く個体だが、どこに向かっているのか検討もつかない。

 

 

一体、何を命令されたのか検討もつかない。

 

 

すると突然、『危険・侵入禁止』と書いた部屋の前に到達する。

 

 

どうやら、電気が迸る変電所のようだ。

 

 

「じょ…………」

 

 

ゴキちゃんは凍り付く。

 

 

まさかこの個体はこの中に入るつもりなのだろうか。

 

 

花琳に命懸けで電極を調整してこいなどという命令でも下されたのか。

 

 

同族に対する哀れみと、花琳に対する怒りが増す。

 

 

ゴキちゃんは拳を握り締めながらその場から去ろうとする。

 

 

すると、肩をトントンと叩かれる。

 

 

お前も入れ、と同族は言いたいのだろうか。

 

 

しかし生憎と、自分に自殺願望はない。

 

 

手を振り払わせて貰うとしよう。

 

 

そしてクルリと振り向いた瞬間、首筋に鋭い痛みが走った。

 

 

何かが、突き刺さった。

 

 

よく見れば、同族の指先には長く鋭い〝針〟が備えられていた。

 

 

ゴキちゃんが考えを巡らせるよりも早く、その針は脳に到達する。

 

 

ビビビ、と体全体に脳が弄られた信号が送られる。

 

 

同族は指を引き抜くや否や、その顔面をパコリと外す。

 

 

〝化粧〟がドンドンと崩れていく。

 

 

顔の部分の亀裂が体全体に広がっていく。

 

 

どうやら、してやられたようだ。

 

 

同族の甲皮をズルリと脱ぎ捨てると、ゴキの皮を被った悪魔が姿を現した。

 

 

「雰囲気が出ると思ったんだけれど…どうかしら?」

 

 

ペロリ、と妖艶に口元についた同族の体液を舐め取る。

 

 

一糸纏わぬその体を恥ずかしげもなく晒した後に〝変電所の中〟に平然と入るや否や、数秒も経たないうちに着衣を済ませて戻ってきた。

 

 

花琳はその黒く艶やかな長い髪についた同族の体液を、あたかも風呂上がりであるかのようにバスタオルで拭き取って出てきた。

 

 

「お待たせ。種明かししてあげるわ」

 

 

コツコツとハイヒールを踏みならしながら、毒を注入されたゴキちゃんの周囲をゆっくりと闊歩する。

 

 

「まずこの部屋なんだけれどね、本当は変電所じゃないのよ。只の通り抜け通路よ?マジックミラーのせいで中が見えてないでしょうけどね」

 

 

花琳がゆっくりと両開きの扉を開く。

 

 

すると、中は花琳の着替えが置いてあったであろう長机を除いて何もなく、後は先に通じる扉があるだけだった。

 

 

「もしうちの子達だったら平然とここを通っていく筈よ。地形的にもこの研究所を把握させている上に、『危険・侵入禁止』なんていう標示を読める筈がないわ。通常のテラフォーマーならね」

 

 

人語ならば、テラフォーマーの知能であれば理解出来る。

 

 

しかも、ここの研究所のテラフォーマーは『おもてなし』という花琳の皮肉めいた言葉の意味すらも理解できる程のレベルに達していた。

 

 

もしそのまま言葉の意味を受け取っていたら、おせんべいや座布団などをクーガ達に持っていくというシュールな図が完成していたであろうが。

 

 

しかし、文字だけは一切取得させていなかった。

 

 

重要な研究データが知られることを恐れた為である。

 

 

第四支部のテラフォーマーがそもそもおかしいのだ。

 

 

テレビや雑誌といった人間の娯楽に慣れ親しみすぎている。

 

 

故に、文字もある程度は読めるであろうと花琳は推測した。

 

 

そしてその僅かな違いを読み取られ、ゴキちゃんは窮地に陥ってしまった。

 

 

「さて…このサイズだとゴキブリホイホイでゴミの日に出せそうもないわね。どうしようかしら?」

 

 

クスクスと笑う花琳の後ろ数メートル、吹き抜け通路の扉の先に何かが落下する。

 

 

それはゆっくりと立ち上がると、扉を開けて姿を現した。

 

 

ハゲゴキさん。スキンヘッドのテラフォーマーのクローン。

 

 

『エメラルドゴキブリバチ』の毒を無効にする天敵。

 

 

その両腕には、『クロカタゾウムシ』と『カマキリ』の特性を持つ『バグズトルーパー』の生首を携えていた。

 

 

「あらあら…参ったわね…苦手なのが来たわ」

 

 

普通の人間であればその姿を見ただけで失禁しそうなものだが、花琳には一切の動揺が見られない。

 

 

今まさに横に、人質とも攻撃の手駒ともなりえるゴキちゃんを手中に納めたからだろう。

 

 

しかし、ゴキちゃんは花琳に向かって腕を振り上げた。

 

 

「………あらあら」

 

 

花琳は涼しい顔をしつつも、咄嗟に素早い身のこなしで避ける。

 

 

そして、花琳がいた筈のその場所にゴキちゃんの拳が突き刺さった。

 

 

床には、はっきりと拳の形が刻まれている。

 

 

「毒が効いている筈なのに…何故私の命令を無視して動けるのかしら?」

 

 

特殊な進化形テラフォーマーであるハゲゴキさんはともかく、ノーマルタイプのテラフォーマーであるゴキちゃんは『エメラルドゴキブリバチ』の毒に対して耐性は備えていない筈。それなのに、何故だろうか。

 

 

「…………まさか、後天的に免疫を取得したとでも?」

 

 

「じょぎぎぎぎ!!」

 

 

翻訳『その通りだぜお色気チャイナねぇちゃん!』

 

 

「じょじょーう…」

 

 

翻訳『いや、お前が答えるなよ…』

 

 

身近なところで言うと、予防接種というとわかりやすいだろうか。

 

 

あらかじめ該当するその毒の、毒性の弱いものを接種しておくことにより免疫を取得出来る。

 

 

そしてゴキちゃんは、昔隔離されていた実験施設で『エメラルドゴキブリバチ』の毒を散々接種させられた。

 

 

故に。

 

 

【害虫の王、揺るがず】

 

 

 

 

 

「フフ。大ピンチね、私」

 

 

しかし、花琳の余裕は崩れず。

 

 

『エメラルドゴキブリバチ』の毒が効かないことがわかっても尚である。

 

 

「じょう…?」

 

 

他に伏兵でもいるのかと、周囲を五感全てで感じ取る。

 

 

しかし、そんな気配は一切ない。

 

 

ゴキブリの体は、全身レーダーと言っても過言ではない。

 

 

臭いを感じる触覚に、地面振動を感じ取る微毛、空気振動を感じ取る尾葉。

 

 

それに加えてテラフォーマーである彼らには、人間の五感すらも加わっている。

 

 

敵の気配を感じ取れない筈がない。

 

 

それを考慮した上で判断すると、目の前の花琳はその身一つでこの窮地を脱出できる方法があるということになる。

 

 

「貴方達は…『エメラルドゴキブリバチ』が毒だけだと思っているんでしょう?」

 

 

両人指し指の、その毒針から漏れる液を舌で舐め取ると花琳はほくそ笑む。

 

 

「大きな間違いよ。確かにそれもあるけれど、貴方達は根本的なことを忘れていないかしら?」

 

 

そう花琳が言い終える前に、ハゲゴキさんとゴキちゃんは飛び出す。

 

 

この女は不味い。本能がそう告げている。

 

 

ハゲゴキさんはローキックを放つ。相手の足を切断し、機動力を奪おうという魂胆だ。

 

 

しかし、花琳は大きく跳躍してそれを回避した。

 

 

いや。それだけではない。

 

 

同時に殴りかかってきたゴキちゃんの頭の触角を引っ張ることにより遠心力をつけ、宙返りして着地する。

 

 

二人は呆気に取られ、ポカンとした表情で花琳を見つめる。

 

 

「あらあら。女性がアクションスターごっこするのは駄目かしら?」

 

 

乱れたチャイナドレスを整え、ロングヘアーを静かに靡かせる。

 

 

この瞬間ばかりは、花琳も目に見えて得意気な表情をしていた。

 

 

その瞬間、二人の中で仮説が生まれる。

 

 

運動能力からして恐らく花琳は『バグズ手術』ではなく、『MO手術』によって力を手に入れたのではないだろうか。

 

 

ツノゼミの筋力上乗せ無しで、ここまでの運動力のパフォーマンスが発揮可能かは疑問である。

 

 

「………教えてあげるわ。『エメラルドゴキブリバチ』の恐ろしさはね?」

 

 

 

 

 

──────貴方達の全てを知っていること─────

 

 

 

 

 

 

─────────────────────────────────────

 

 

 

エメラルドゴキブリバチ

 

 

学名『Ampulex Compressa』

 

 

 

この昆虫の生き方は、残酷で美しい。

 

 

この寿命の短い美しき生物は、他の蜂などと違い家臣などいなくとも、まるでシンデレラのように女王の階段を自力で登る素質を持っている。

 

 

刺した(ゴキブリ)を生きたまま奴隷にするのである。

 

 

ゴキブリは逃げることも許されず、正気を保ったままこの生物に一生を捧げることとなる。

 

 

そして次の子は奴隷の腹を食い破り、この世に生を受ける。

 

 

しかし、生まれた時に既に母親は存在しない。

 

 

子に残されるのは、母親から受け継いだ知識だけ。

 

 

一子相伝、門外不出の知識。

 

 

その知識は世代を追う毎に、緻密で洗練されたものへと姿を変えていく。

 

 

より確実に、忌々しき者( ゴ キ ブ リ)達に悪夢を見せる為に。

 

 

 

 

 

──────────────────────────

 

 

────────────

 

 

 

エメラルドゴキブリバチの特性(ちから)に加えて、花琳はたった一つだけ武道を取得していた。

 

 

少林寺─【羅漢圧法】。

 

 

動きは最小限。力は最低限。

 

 

ただ一点の経穴を突けば相手を無力化出来る、恐るべき拳法。

 

 

『バグズ二号』搭乗員、『(ヤン) 虎丸(フワン)』が好きな〝古典〟、『北斗の拳』の主人公が用いる拳法のモチーフになった拳法である。

 

 

しかし、この拳法を用いるには人体を知り尽くしていることが大前提。

 

 

生物学に精通してる花琳とは、相性が抜群にいい。

 

 

そして現在対峙している相手、テラフォーマー。

 

 

ゴキブリの知識を知り尽くす『エメラルドゴキブリバチ』にとって、この拳法はまさに〝鬼に金棒〟と言っても過言ではない。

 

 

「来なさい」

 

 

花琳の背後から、鎖が伸びているのが見える。

 

 

二本の鎖だ。その鎖は、自分達の首と繋がっている。

 

 

その鎖の先には、エメラルドの色の美しくもおぞましい悪魔。

 

 

「貴方達がテラフォーマーが私から〝ウッドお姉ちゃん〟を奪ったように…」

 

 

そしてその悪魔を従える、目の前の魔女。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方達からも全てを奪ってあげる」

 

 

「じょう!」

 

 

「じぎぎぎ!!」

 

 

二人はほぼ同時に走り出し、同時にパンチを繰り出す。

 

 

二人の足を動かしたのは、闘争心でも責任感でもなく、恐怖。

 

 

『DNA』に刻まれた、恐怖そのもの。

 

 

それが目の前に対峙しているのだから、無理もない。

 

 

「あらあら。せっかちね?」

 

 

クスクスと笑いながら、花琳もまた前に出る。

 

 

そして、ただスッと前方の二点に左右の指の針を突き出す。

 

 

その黒い甲皮を『貫いた』というよりも、『すり抜けて』彼らの食道に針が突き刺さる。

 

 

たったそれだけで、二人のテラフォーマーは意識を失った。

 

 

これ(拳法)なら毒もクソもないわよね?」

 

 

二人から毒針を引き抜き、蹴り飛ばした後に花琳は告げる。

 

 

復讐の為に培った力。

 

 

テラフォーマー達と、残酷なこの世界に復讐する為の力。

 

 

「………見てる?ウッドお姉ちゃん」

 

 

大切な人の存在を、世界に証明する為の力。

 

 

 

 

 

─────────────────────────

 

 

──────────

 

 

 

 

「………なんだ、これ」

 

 

第一支部の中を進んでいる最中、クーガと唯香は異様な廊下に遭遇する。

 

 

何が異様かと言うと、百メートル程の距離を妙な生物の死体が埋め尽くしている。

 

 

そのせいで、生臭さと腐臭が漂ってくる。

 

 

「うーん。この子達、〝スボヤ〟だと思う」

 

 

「…スボヤ?」

 

 

「うん。体内の体液が硫酸なの」

 

 

唯香は白衣の中からガラス棒を取り出し、つんつんとスボヤの死体をつつく。

 

 

すると、ガラス棒が溶解し始める。

 

 

「うおっ!!」

 

 

「釘ぐらいなら簡単に溶かしちゃうと思うよ…うーん」

 

 

唯香の表情はいつになく厳しく、頼もしい。

 

 

『ふえっ!?』『ヒアッ!!』『えっへん!』の三種の神器が出ないのがクーガからしたら少し残念ではあるが。

 

 

「………こいつら避けてる時間はねぇし……」

 

 

今の最優先課題は花琳の確保。

 

 

今来た道を引き返していたら、逃げられてしまうかもしれない。

 

 

彼女の確保はゴキちゃん達に任せてはいるが、彼らだけに頼る訳にはいかないのだ。

 

 

「よし……ごり押しするか」

 

 

「どういうこと?」

 

 

唯香は首を傾げ、キョトンとした表情を見せる。

 

 

自分も考えを巡らせていたところだが、クーガは何か浮かんだのだろうか。

 

 

「オレが唯香さんを抱えて向こうまで突っ走るってのはどうだ?」

 

 

「めっ!!」

 

 

唯香の蝿も殺せるかどうかギリギリの威力ビンタを受け、クーガはキョトンとした表情を見せる。

 

 

「ノープランにも程があるし、何よりそれクーガ君が一番危険だよ!」

 

 

プクリと頬を膨らませた唯香の表情を見て、クーガはこんな状況にも関わらず顔の表情を緩ませる。

 

 

「ありがとう。いっつも見ててくれてよ」

 

 

「ふえっ!?」

 

 

突然自分を所謂〝お姫様抱っこ〟したクーガに、唯香は頬を染める。

 

 

いつもであれば、この時点でクーガも頬が真っ赤になるどころか、茹でタコになってしまっているところだ。

 

 

しかし、クーガの目は落ち着いていた。

 

 

唯香は、この目をどこかで見たことがある。

 

 

どこかで。

 

 

「…………よし」

 

 

クーガは意を決したかのように、唯香を抱えたままその通路を走り抜ける。『スボヤ』の肉の絨毯を踏み締める度に、その酸性の体液が極上のステーキのように溢れ出す。そして、顕著にクーガの靴を溶かしていく。

 

 

「クーガ君!!」

 

 

「大丈夫だって!イスラエルで出くわした地雷天国(じ ご く)よりはマシだ!!」

 

 

口では強がっているものの、クーガの顔には苦痛が浮かんでいる。

 

 

靴底が溶けだし、もう少しで素足に届こうとしているのである。

 

 

「ッ!!」

 

 

もう少しで、通路を抜ける。

 

 

そんな距離に近付いた際に、クーガは大きく跳躍した。

 

 

唯香を抱えてる状態でも尚、彼の運動力は高い。

 

 

廊下の向こう側に着地し、唯香を降ろす。

 

 

その瞬間、再度唯香のビンタが炸裂した。

 

 

「…………クーガ君のばか」

 

 

クーガの足からは、血が滲み出ている。

 

 

やはり靴だけでは、強酸を防ぎきれなかったのだろう。

 

 

唯香の瞳から、涙がほろりとこぼれる。

 

 

「悪かった。…本当にごめんな」

 

 

クーガが頭を下げると、唯香は涙を拭って先の廊下に目を移した。

 

 

今度は、一見普通の廊下だ。ただ、何故か光沢がある。

 

 

ニスでも塗ったのだろうか。

 

 

「………クーガ君、ガラス棒取ってくれる?」

 

 

「ああ…うん」

 

 

唯香にガラス棒を渡すと、その光沢のある廊下を掬うようになぞる。

 

 

すると、ねっとりした粘液がガラス棒に付着した。

 

 

「後…ルーペ」

 

 

言われるがままにルーペを渡せば、唯香はルーペでガラス棒を覗き込む。

 

 

「………『広東住血線虫』だよ」

 

 

聞き覚えのない生物名に、クーガは想像力を働かせる。

 

 

取り敢えず響きからして危ないことだけはわかる。

 

 

「アフリカマイマイっていう大きなカタツムリに寄生してる虫なんだけどね、触ったら人の体内に侵入して、二日間の潜伏期間の後に色んな症状を引き起こすの」

 

 

「…素肌でこの床踏ませる為に『スボヤ』のトラップで靴を溶かしたのか?」

 

 

見事なトラップと言いたいところだが、確実に花琳はこの状況を楽しんでいると言える。

 

 

本気でクーガ達を殺したいのであれば、対人兵器を用いればいい。

 

 

このような、自らの生物学の知識を活かすトラップでなくとも良い筈だ。

 

 

最も、そのトラップも唯香によって無力化されてしまったが。

 

 

「よいしょ、よいしょ」

 

 

現在進行形で、唯香が消火器を壁から取り外している。

 

 

その姿はまるで巣に餌を運ぶハムスターのようだ。

 

 

「ピンを外して、レバーを引いて…………」

 

 

白い泡が、周囲に撒き散らされる。

 

 

光沢を放つ廊下が、瞬く間に白い薬剤で上書きされていく。

 

 

「『広東住血線虫』はこれで死んじゃうと思う。私に着いてきて!」

 

 

「…流石だな、唯香さん」

 

 

「えっへん!!」

 

 

笑顔で胸を張る唯香を見て、自らの足に止血処置を施しつつもクーガは表情を緩まる。

 

 

もし無事に帰れたら、きちんと自分の気持ちを伝えようか。

 

 

 

 

─────────────────────────

 

 

─────────────

 

 

 

廊下を無事に抜けたクーガと唯香は、エレベーターに乗って最下層のフロアへと降りていった。

 

 

花琳がいるであろう、その場所に。

 

 

その途中、唯香は先程のクーガの眼のことを思い出していた。

 

 

何かを覚悟したかのような、あの瞳。

 

 

見覚えがあると感じていたが、それもその筈。

 

 

『アネックス一号』搭乗員と同じ、死を覚悟したあの瞳。

 

 

クーガは何度も戦場に立ってきた。

 

 

だから、自分の死をなんとなく感じることが出来るのかもしれない。

 

 

「…クーガ君」

 

 

「んー?」

 

 

「もし、もしもの話だよ?」

 

 

「うん」

 

 

「…もし私を盾にされたとしても、クーガ君は任務を果たしてね?」

 

 

本人に面と向かってこれを言うのは初めてだ。

 

 

唯香の以前からの不安の種。

 

 

自分を庇って、クーガが死ぬこと。

 

 

「クーガ君は、燈君達が帰ってくる『居場所( 地 球)』を守るって約束したんでしょ?」

 

 

自分と出会った時、クーガは幼かった。

 

 

自分は十八歳で、クーガは十三歳。

 

 

幼い少年心に、憧れと恋を勘違いしてしまったのだろう。

 

 

自分を庇って死ぬことはない。

 

 

「小吉さんや、アドルフさんの大切なものを今度は自分が守りたいとも言ってたよね?」

 

 

自分が死んでも、新しい恋を見つければいい。

 

 

アズサやレナだけではなく、『アネックス一号』の中にも素敵な女性は沢山いる。

 

 

いや、この『地球』の中に、星の数程に素敵な女性は沢山いるのだ。

 

 

だから、自分に拘ってクーガが死ぬことはない。

 

 

「だから、クーガ君は死んじゃ駄目だよ。ね?」

 

 

言い終えた後で、自分の瞳から僅かに涙が伝うのを唯香は感じた。

 

 

それは素早く拭った為に、クーガに見られることはなかったろうが。

 

 

 

 

 

 

 

「当たり前だ」

 

 

クーガは、特に感情が乱れた様子もなくそう答えた。

 

 

「オレは『兵士』だ」

 

 

『薬』を取り出せば、首筋付近へと持っていく。

 

 

「綺麗事で動く『スーパーマン』なんかじゃない」

 

 

もうすぐ最下層に到達する為に、変異する準備をしているようだ。

 

 

「流石に世界と唯香さんじゃどっちを守るかなんて決まりきったことだろ?安心しろよ」

 

 

その返答に、唯香は安堵する。

 

 

クーガは自らの責任と義務をきちんと自覚している。

 

 

決して、間違った選択をすることはないだろう。

 

 

「そろそろ着く。準備はいいか?唯香さん」

 

 

「………うん!」

 

 

自分の中の不安は霧散した。何も不安になる必要はない。

 

 

唯香は、不安の晴れた顔でそう返事した。

 

 

エレベーターが、丁度開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「じょうっ!!」

 

 

突如、咆哮と共にエレベーターの背後の壁が大きく飛び出した。

 

 

クーガと唯香は、その壁に弾き飛ばされて吹き飛んでいく。

 

 

クーガは、自分と唯香を弾き飛ばした壁の方向を見る。

 

 

飛び出したエレベーターの壁の裂け目から、筋肉が異様に膨れ上がったテラフォーマーが顔を覗かせていた。

 

 

「…壁が緩衝材になってなかったら上半身吹き飛んでたぞ」

 

 

クーガは苦く笑う。あのデカブツに反撃したいところだが、吹き飛ばされた際に『薬』を弾き飛ばされてしまった。あれを回収しなければ、どうしようもない。

 

 

しかし、唯香は反対方向に吹き飛ばされている最中だ。

 

 

自分の記憶が確かならば、あの先は実験用動物の死体処理上だった筈。

 

 

三十メートル底の地底に向かって、テラフォーマーに対するアプローチの為に弄ばれた動物の亡骸をポイする訳だ。

 

 

彼処から真っ逆さまに落ちれば、唯香は間違いなく御陀仏。

 

 

あの世行き。

 

 

クーガはその身を吹き飛ばされながらも、落ち着いて自らのやるべきことを整理した。

 

 

「…………唯香さんと約束したんだ。嘘はつけねーよな」

 

 

計画(プラン)を頭の中で素早く組み立てた後、懐から取り出したナイフを壁に突き刺した。

 

 

ガリガリガリと、壁にラインを刻みながら衝撃を緩めていく。

 

 

刃こぼれを起こしてしまったものの、衝撃を殺す役割を果たしてくれた。

 

 

次は、自分の番。『スーパーマン』ではなく、『兵士』としての義務を果たす番。

 

 

 

 

 

 

 

─────────────────────

 

 

─────────────

 

 

 

 

クーガが見事に衝撃を殺したのを見届けると、唯香の体は重力に逆らえずに落ちていく。

 

 

周囲の光景が、スローモーションに見える。

 

 

しかし、唯香の心は落ち着いていた。

 

 

良かった。自分のせいでクーガが死ぬこともなくなったし、自分と一緒にクーガが死ぬこともこれでなくなった。

 

 

クーガは、きっと自分との約束を守ってくれる。

 

 

『薬』を回収し、あのテラフォーマーを倒して任務を達成してくれるだろう。

 

 

唯香は、そっと目を閉じた。未練がないと言えば嘘になるが、少なくとも後悔はないから。

 

 

 

 

 

 

 

なんで?

 

 

 

 

「嘘つき」

 

 

 

 

どうして?

 

 

 

 

「嘘つき」

 

 

 

 

何がいけなかったの?

 

 

 

 

「嘘つき!嘘つき!!」

 

 

 

 

私、嫌われた?

 

 

 

 

「………うそつき!!!」

 

 

 

 

唯香は涙を溢しながら、目の前で起きていることに対して糾弾する。真っ逆さまに落ちていく筈だった自らの体が、空中で支えられていたからである。

 

 

 

 

「ごめん」

 

 

 

 

唯香の腕には、しっかりとクーガの手が巻き付いていた。

 

 

 

「でもきちんと言ったよな。世界と唯香さんだったらどっちを取るかは明確だって。アンタの為に世界を捨てられても、世界の為にアンタを捨てたくない」

 

 

 

任務を達成する為の『薬』よりも、クーガは大切な者を救うことを選んだ。彼は〝人間〟として〝人間〟らしい選択をしたのだ。

 

 

 

 

そんな彼の言葉に対して、後方からそれを嘲笑うかのような拍手がその場に鳴り響いた。

 

 

 

 

「そうね、クーガ・リー。愛しい者の為なら世界が壊れても構わない。それが『人間』っていう愚かで脆弱な生き物の本質」

 

 

 

カツカツと音を立てながら、趙花琳はクーガに向かって歩み寄る。その途中、クーガの『薬』を踏み割る形で。

 

 

 

「………ゴキちゃん、ハゲゴキさん」

 

 

 

二人は意識を失っている様子で、エレベーターの奥の壁の中から現れた動物性タンパク質を大量に接種したテラフォーマーに脇に抱えられて、唯香を引き上げようとしていたクーガの視界に姿を現した。

 

 

 

「桜博士を引き上げる時間ぐらい待ってあげるわ。早くしなさい」

 

 

 

「ありがてぇな。お前がフェアプレイヤーだったなんて初耳だぜ」

 

 

 

皮肉めいた口調でクーガが笑うと、花琳もまた微笑み返す。

 

 

 

そして、唯香を引き上げた途端に花琳は再び口を開く。

 

 

 

「いくつか貴方達が疑問に思ってるであろうことをまとめておいたわ。それに答えてあげる」

 

 

 

花琳は御丁寧にも、自らリストアップしておいた二人がしてくるであろう質問を読み上げ始める。

 

 

 

「まず〝何故襲撃を予期出来ていたか〟。これに関しては簡単よ。貴方達を襲撃したメンバーの一人、『黒巳キサラ』の体内にカメラを内蔵させておいたから」

 

 

 

〝貴方のお父さんと同じようにね〟

 

 

 

花琳はわざとらしくクーガの耳元で囁く。

 

 

 

不思議とこんな時でも、父親の話を聞くだけで胸糞悪くなる自分をクーガは不思議に感じた。

 

 

 

「二つ目に。何故このようなことをしているのか。残念ながら『個人』の目的と『依頼主』からの指令の二つがあるんだけれど、どちらもあまり話したくないからやめておくわね。秘密の多い女の方がミステリアスで素敵でしょ?」

 

 

 

花琳が言い終えた途端に、『バグズトルーパー』が五人程現れた。外見からして、『ゲンゴロウ』がベースだろうか。

 

 

 

そのうちの一人が、バルブを回す。すると、下水道の汚水が大量に流れ込んできた。

 

 

 

危うく唯香が落下するところだったその場所が、あっという間に汚水で満たされる。

 

 

 

動物の死体がプカリと浮かび上がってきていた。

 

 

 

「三つ目ね。どうでもいいようで、これが一番重要かもしれないわ。私の特性(ベース)は『エメラルドゴキブリバチ』。けどこれ自体はどうでもいいの」

 

 

 

花琳は、悪戯気味にクスクス笑ってこう告げた。

 

 

 

「私に『エメラルドゴキブリバチ』のDNAを渡したのは『本多晃博士』。He is alive( 彼 は 生 き て い る)

 

 

 

世界を揺るがす一言。

 

 

 

こんな状況にも関わらず、クーガと唯香の意識はその一言に奪われる。

 

 

 

「まぁ最も…生物のDNAなんていくらでも手に入るけどね。〝お姉ちゃん〟の上司がどんな人だったか話してみたかったんだけど、折角だからそのついでにね?」

 

 

 

後に続くその言葉が、二人の耳には入ってこなかった。二人の表情を楽しむかのように、花琳はクスクスと笑う。

 

 

 

「ちょっと余談だったかしらね?そろそろやっちゃって。その騎士様(ナイト)をね」

 

 

 

花琳が号令すると、動物性タンパク質を過剰接種したテラフォーマーが、クーガの襟を掴んで持ち上げる。

 

 

 

「ガッ!?」

 

 

 

「クーガ君!!」

 

 

 

テラフォーマーが手を離せば、クーガは汚水のダムと化したその空間に落下してしまうだろう。

 

 

 

「ねぇクーガ・リー。私の仲間にならない?」

 

 

 

「………何でだ?」

 

 

 

「貴方も『バグズ二号』の件で大切な人を失ったでしょ?」

 

 

 

花琳の口ぶりからして、父親のことを言っているのだろうか。

 

 

 

「………親父(ゴッド・リー)が大切な人だ?馬鹿言えよ」

 

 

 

クーガは、嘲笑する。

 

 

 

自分の父親を『大切な人』と彼女が形容したことを。

 

 

 

「あいつはロクでもねぇクソ親父だ」

 

 

 

父親にはいい思い出がない。

 

 

 

「オレにロクでもねぇ『MO(呪い)』を遺していきやがった。そのせいでオレは死神の人気者だよ」

 

 

 

正確に言うと、父親との思い出がないと言うべきか。

 

 

 

「化け物って理由で戦場に毎日出勤だ。『手を貸そうか?』って言ってくれた仲間が手榴弾で吹っ飛ばされてよ。次の瞬間その〝手〟が文字通り吹き飛んできやがった。あん時は流石に小便ちびりながら爆笑したね」

 

 

 

冗談気味に語るものの、その記憶は辛いもの。

 

 

 

「そんなこんなで大嫌いな親父だが…一つだけ誇れるものがある」

 

 

 

U-NASAの職員から聞いた噂。

 

 

 

『バグズ二号』計画の責任者、『アレクサンドル・グスタフニュートン』が父親の体内に内蔵されたカメラから見た光景。

 

 

 

「火星のゴキブリに自分(テメー)の力が一切通用しなかったのによ、ナイフ一本で立ち向かったらしいぜ。最高にイカれてるだろ?」

 

 

 

父親(ゴッド・リー)特性(ベース)は、テラフォーマーに一切通用することがなかった。

 

 

 

普通、それがわかったところで逃げ出すだろう。

 

 

 

しかし、彼は立ち向かった。ナイフ一本で。

 

 

 

「顔も見せてくれなかったクソ親父だが…そこだけは尊敬してる。だからオレも命乞いなんてみっともねぇ真似しねぇよ。最後までお前を睨みつけて死んでやる」

 

 

 

クーガは、テラフォーマーと花琳に向かって中指を立てる。

 

 

 

「くたばりやがれ、クソムシ共」

 

 

 

「やって」

 

 

 

「じょうっ!!」

 

 

 

「クーガ君!!」

 

 

 

テラフォーマーは、全力で放り投げる。

 

 

 

クーガは水飛沫と共に、水面に大きな波紋を描いて沈んでいく。

 

 

 

「〝一応〟彼は化け物だから…普通に突き落としたんじゃ生き残る可能性がある。だから水の中で無力化して殺そうと思ったの。気に入ってくれたかしら?」

 

 

 

「お願いします…クーガ君を殺さないで下さい!!」

 

 

 

唯香は花琳にすがるように懇願する。その瞳からは、涙がポロポロとこぼれている。

 

 

 

そうする間にも、『ゲンゴロウ』の特性(ベース)を持った『バグズトルーパー』達五人が汚水の中に飛び込み、クーガへと群がっていく。

 

 

 

「あらあら…お気の毒なお姫さま」

 

 

 

クーガの生存と居場所を知らせる気泡が、ブクブクと遠目に立っているのが見える。

 

 

 

しかし徐々に、確実に弱まってきている。

 

 

 

「ホラ…弱ってる。苦しんでる」

 

 

 

五人の手によって、クーガは更に深い水中へと引きずり込まれていく。

 

 

 

「やめて下さい!お願いします!お願いします!!」

 

 

 

そう懇願する唯香の顎を、花琳は掴む。

 

 

 

「見なさい」

 

 

 

クイッと顎を横に向けると、先程まであんなにも荒立っていた水面が静かになっていた。

 

 

 

クーガが、抵抗するのをやめてしまったようだ。

 

 

 

いや。彼の命が尽きたという言い方が正しいだろうか。

 

 

 

そしてプカリと、『地球組』の戦闘服が浮かんできた。

 

 

 

「あらあら。終わったみたいよ」

 

 

 

唯香は、ペタリとその場にへたりこむ。

 

 

 

ポカンと、クーガが消えていった場所を見つめるだけ。

 

 

 

まるで物語の脇役のようにあっさりと、彼は消えてしまった。

 

 

 

彼の父親が、そうだったかのように。

 

 

 

 

 

 

 

「 He is died( 彼 は 死 ん だ) 」

 

 

 

 

 

 

 







遅くなりました。精神的な意味で書ける状態じゃなかったのですが、リーさんをはじめとする方々の励ましもあってか復活しました。


まぁその理由が失恋っていうしょうもない理由なんですがねwww


それはともかくこの小説、文字数は二十万文字を越えた上に感想数も百を越えました。


皆様のお蔭です。


これからも、登場人物達を見守っていただけると幸いです。


それではまた次回お会いしましょう(^-^)

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