※カイジ視点
わかっていたことだ。知っていたことだ。蓮が誰よりも平穏を望んでいるのだと俺は知っていたのだ。
コンビニで買った2つのプリンを2人で食べて美味しいと言い合える、それだけの日常を蓮は幸せだといったのだ。
だけれども気付くと蓮は死地にいる。何度やめてくれと頼んだって、必要だからと堕ちていく。それを何とかしたくて手を伸ばして手を伸ばして、
やっと手が届いた。蓮が握り返してくれた。助けてと言ってくれた。
だから助けるのだ。その為なら何だってする。命を賭けて戦う。
無表情だけどもわかりやすい、この誰よりも平穏を愛する従兄妹の命を俺が守るのだ。
ルールは聞いた。利根川とのEカードでの勝負が今始まる。
全部で6戦。賭けているのは心臓までの距離。心臓までの距離がどれだけかわからねえが30ミリ、いや20ミリでも蓮は危ないかもしれない。あんな薄っぺらい身体じゃあ20ミリでも針が心臓に到達する可能性がある。
となれば負けられるのは1回のみ。少なくとも有利な皇帝側を落とすわけにはいかねえ。ここは気を引き締めねえと。
「カイジ、張りは?」
「10ミリだ」
黒服に聞かれてそう答える。当然だろ。他に選ぶ数値なんかあんのか?
そう思ってホワイトボードに書かれた数値を見てギョッとする。30ミリ。蓮はここまでの6戦全て限度いっぱい針の長さを賭けているのだ。馬鹿っ!あいつ、くそっ…!絶対にこんなふざけた勝負は止めさせねえと。
最初の3戦は俺が皇帝側。そして先出し。
少し考えてからカードを1枚提出する。利根川もカードを提出する。
オープン。市民と市民。
当然だ。俺と蓮の命がかかった1戦なのだ。1枚目は慎重にもなる。
2枚目、奴隷側の利根川がカードを出す。
考える。考えて、考えて、カードを出す。
オープン。市民と皇帝。俺の勝ちだ。
ブワッと汗が吹き出す。やった。勝った。勝った!この1戦、俺が皇帝側で勝ったのだ。黒服が2つのアタッシュケースを運んでくる。これひとつに1億円が入っている。俺がどれほど働いても一生手にすることのない金がここに……。
馬鹿!なに腑抜けたこと言っているんだ。俺が今何賭けていると思ってるんだ。命だぞ!蓮と俺の命。もっと真剣になれ。
雑念を払うようにぶんぶんと首を振る。よし、2戦目だ。
1枚目は市民と市民で引き分け。そして2枚目、まさか利根川も2連続皇帝を出してくるとは思うまい。
皇帝を出す。オープン。市民と皇帝。皇帝側の勝利だ。
再びアタッシュケースが2つ積まれる。2億、2億だ。よし、よしっ!なんだなんだ、なんか随分と簡単だぞ。そりゃあ、確かに勝ちやすい皇帝側だけどあっさり2連勝だぜ……!
「くっ、くくく」
「あ?何だよ利根川」
突然利根川が顔を伏せ笑い始めた。負け続けてついにおかしくなったかと思った瞬間、顔を上げ話し出す。
「そんなもんか、カイジ。蓮の血縁者で、この状況で交代を申し出る程なのだから警戒したがなんてことはない。他の債務者と変わらぬ凡人ではないか」
「な、2連勝してるのは俺だぜ。そんなことは勝ってから言え」
「勝つさ。お前の心の波動はもうわかった」
利根川がくつくつ笑う。負け惜しみだとは思うがどこか不気味だ。
3回戦、1枚目はやはり互いに市民を出す。だが、2枚目。これまで俺は2枚目に皇帝を出してきた。
流石に危険か?皇帝側には奴隷の自爆を待つという選択がある。ここは1回『見』に回るか。
2枚目、市民を出す。オープン。市民と市民。
くそっ、やっぱり市民だったか。次は3枚目、どうする?市民でいくか。しかしここでまた引き分けに持ち込まれると次の提出は完全な二者択一になる。4枚目は確率50%。くそっ…!
皇帝を出す。来い…っ!市民っ!
「ククク、そんなに強く念じられては丸聞こえだ…」
…え、
思わず身体が固まる。利根川を見ると口元が吊り上がり笑っていた。
「はっきりと聞こえ出した。来い、市民と」
利根川がカードを出す。ぱらりと表に向けられたそれは奴隷だった。
3枚目、奴隷と皇帝。利根川の勝利だ。
「あ、あ…っ」
「もう、お前のパターンは全てわかり切った。もう私が負けることはない」
これがその手始めだと言って利根川がリモコンを手に取る。10という数字を入力するとスイッチを押した。
「い゛…………っ!!!!」
とんでもない激痛が胸を襲う。ドリルが肉を刻みめり込んでいく。
咄嗟に胸を押さえるがそんなんでどうにかなる痛みではなかった。痛いっ、痛いっ、痛い……っ!
脳が焼かれる。目の前が真っ赤になってこの痛みを止めてくれと何かに祈った。
しばらくして針は止まった。だけれども俺の胸は針に貫かれたままだ。ドクンドクンという心臓の鼓動が耳の裏まで届いてくるようだった。
「カイジさん、大丈夫っすか!!」
「カイジくん、大丈夫かい!?」
佐原と石田さんが駆け寄ってきたがとても応えられなかった。口を開けることもできなかった。
「ククク、愉快愉快。これが聞きたかったのよ。カイジくんの苦痛の呻き声が。この声を聞きたくて大金を賭けたというものだ」
俺の醜態に会長とやらが愉悦に満ちた顔で笑う。
「だがカイジくんは情けないな。ほれ、蓮を見てみろ。大の大人が叫び出すほどの苦痛だというのに表情ひとつ変えぬではないか」
その言葉にバッと振り返る。そうだ。俺が負けたばっかりに蓮にも同じ苦痛を味わわせてしまった。俺はなんてことをしてしまったんだ。
少し離れた席にいた蓮はいつも通りの無表情だった。だけれどもただでさえ白い顔が真っ白だった。何でもないわけがない。蓮だってこの痛みが辛いはずだ。
「せっかくここまで蓮は勝ち続けてきたというのにカイジくんのせいで痛みを負った。さぞかし恨めしかろう。今のお前の苦痛は全てカイジくんのせいなのだ」
くつくつと笑いながら会長がいう。その通りだ。蓮はこれまで全勝だった。俺が横からしゃしゃり出たから蓮に余計な苦痛を味わわせてしまった。
俺のせいだ。ちくしょう……っ!
「大丈夫ですよ」
「ほう。だが、現にカイジくんは一敗し君の命は風前の灯なのだぞ」
「カイジさんが勝つので何の問題もありませんね」
驚いてバッと蓮を見る。蓮は真っ直ぐと俺を見ていた。その瞳には一点の陰りもない。蓮は何の疑いもなく俺を信じてくれているのだ。
「……利根川、次は100%勝ちなさい。死の淵となれば流石の蓮も考えが変わることだろう。あの鉄仮面が崩れ去り無様に命乞いをする様が見たいのじゃ」
「はっ」
会長と利根川が言葉を交わす。必ず勝つだと。そんなことはさせない。負ければ蓮は死ぬ。絶対に蓮を死なせはしない。
カードを交換して俺が奴隷側となる。皇帝のカードに対して奴隷を当てなければならない奴隷側は明らかに不利。それでもやらなければならない。
1枚目、利根川は熟考した。そして1枚のカードを提出する。
冷静に考えればこれは市民だ。圧倒的に有利な皇帝側は奴隷の自爆を待てる。これは市民のはずだ。
だが、たからこその皇帝なのかもしれない。奴隷側がそう読むと見越しての市民なのかもしれない。
裏を返せばばキリがない。それでも選択しないといけないというのなら俺は、
カードを出す。オープン。市民と市民。
はーっと息を吐き出す。1枚目は何とか引き分けられた。だが、問題は2枚目だ。
奴隷側の先出しである2枚目と4枚目、ここに皇帝が来ると考えるのは当然のことなのだ。
市民か奴隷か。もう負けられない。
手を止め熟考する。2枚目に皇帝が来ることはないと思う。皇帝側としては当然奴隷側の自爆を待ちたいはずだ。そして2枚目は奴隷側が勝負を仕掛けてくるタイミングだと当然わかっているはず。
だから2枚目ではない。前の3戦、俺は2連続2枚目に皇帝を出していた。
俺も後はないが利根川だって当然追い詰められている。向こうだって無謀なことはできないはずだ。
市民を置く。勝負所はここではない。市民だ。利根川の出すカードも絶対に市民のはずだ。
利根川の番。手元のカードを見て熟考する。俺が1番嫌だったのは速攻でカードを出すことだ。直感的にカードを出すということは迷いがないということだ。考えるならば考えれば考えるほど恐れが絡みつく。大丈夫、利根川は2枚目に皇帝を出さない。
利根川がカードを提出する。オープン。俺は市民。そして、利根川は、
「ククク。言っただろう、カイジ。お前の心の動きはもう読めたとな」
……え、
利根川がカードを表にする。カードは……皇帝だった。
俺の負けだった。
「なんでっ、なんで……っ!2枚目に皇帝が通せるんだよ……っ!!そんなわけが、」
「なんてことはないんだカイジ。私は今までの経験から相手がどんなカードを出したのか読むことができるのだ。お前のような凡人相手に負けんよ」
ピッピッと利根川がリモコンを操作する。10という数字がモニターに刻まれた。待て、待ってくれ。それを押したら蓮が、
「待て待て、利根川。少し楽しませろ。絶対に勝つと信じてたカイジくんが負けたのだ。蓮が何を思っているのか聞きたいじゃないか」
くつくつ笑いながら蓮に近寄る会長。そしてチラチラと蓮の周りを覗き込む。
「足の震えも手の震えもないのか。素晴らしい胆力だ。だが、これから死ぬというのに我慢などしても無意味じゃぞ。言いたいことは言っておくべきじゃ」
「そうですね。言いたいことは言っておくべきですね」
恨み言を言われると思った。蓮を死に至らしめるのは俺なのだ。俺が余計なことをするから蓮は死ぬのだ。だから罵られると思った。
だけれども蓮は真っ直ぐ会長を見返した。そして口元を吊り上げる。
「私は必ず帰ってきます。そしたら震えるのはあなたの番だ」
「なっ、」
「12戦目、貴方を倒します」
「利根川っ!この無礼者を殺せ……っ!」
瞬間、蓮がこっちを向いた。何の恨みも悔いもない、一点の曇りもない瞳が俺を射抜いた。
「カイジさん、私は帰ってくるよ。だから11戦目、貴方が気付けると信じてる」
「気付く?」
俺は何に気付かないといけないんだ。
瞬間、世界を切り裂くような激痛が俺を襲った。