※利根川視点②
蓮の胸に機器が取り付けられる。この針が3cm伸び心臓に到達した時に蓮は死ぬ。
ホワイトボードに戦績表が貼られカードもそれぞれの手に渡る。勝負に必要な道具が用意された。いや、まて。もう一つ必要な物があったな。
「老婆心ながらこれを渡しておく」
「腕時計ですね」
「カードの選択に時間制限を与える。5分だ。あんまり時間をかけられても困るからな。わしは手元の時計で蓮の時間をチェックするから蓮さんもそれでわしが時間をかけすぎないように確認するといい」
尤もわしの時計は時間ではなく蓮の身体情報を確認する物だけどな。
蓮は無言で腕時計を手に取ると脇に寄せた。ふむ、使わないか。まあわしが迷って不当に時間を使うような事態は訪れないだろうからかまわんが。
莫大な金と命を賭けた勝負がいよいよ始まる。最初は蓮が王でわしが奴隷だ。
「では、始めよう。BET、賭け距離の提示からだ。蓮さんは10ミリより小さい値は賭けられないが、さて何ミリいく?」
「30ミリで」
一瞬、耳がおかしくなったのかと思った。聞いといて何だが10ミリ以外あり得ないと思っていた。ホワイトボードに数値を記入しようとした黒服の手も止まっている。
「30ミリとは、わかっているのか。負ければ」
「針は心臓まで到達しますね。だけど関係ない。そうしなければ貴方がたが破滅しないというならばそうするまで。限度いっぱい賭けます」
淡々と蓮がそういう。こいつ、正気か。あまり猶予はないがそれでも自ら貴重な距離をあっさり差し出すというのか。これで蓮が負ければ即死だ。
「素晴らしい、蓮さんは素晴らしい。おいっ、30だっ…!」
「はっ!」
会長の歓声、黒服によってホワイトボードに30の文字が刻まれた。もう変更することはできない。30ミリ、
「…もう取り消せない。かまわないんだな」
「勿論」
「そうか、ではまずは蓮さんからだ。カードの選択と提出をするがいい」
「私から?」
「ああ、そうだ。このEカードは限定ジャンケンのように同時にカードを出したりしない。片方が出しもう片方がそれを受けて後からカードを出す。醍醐味なのだ。この時間差が…。まあやればわかるさ」
これが表向きの理由だ。勿論、本当の理由は違う。体温、鼓動、血圧がわかるといってもそれを読み解くには時間がかかる。その為に相手がカードを提出してからの反応を窺う必要があるのだ。
蓮は話を聞くとあっさりとカードを提出した。すぐさま計器を確認する。
…少し高いな。いや、命が懸かっている勝負だと考えれば低いくらいか?なんにしても1回目は様子見だ。最初は蓮が出すカードによってどれくらいの数値を出すのかを測る。
カードを一枚選択して提出する。勿論市民だ。この数値と1枚目だ。向こうも市民の可能性が高い。
互いにカードが出揃ったのでオープンする。わしは市民、そして蓮は……皇帝だった。
「なっ」
「まずは1勝ですね」
蓮が静かにいう。馬鹿なっ!1枚目に皇帝だと!?
数値はけして高いものではなかった。命のかかった、それもキーカードである皇帝を出すならばもっと高い数値が計測されるべきだろう。
それに何故1枚目に皇帝なのだ?皇帝の最大の勝ち方、それは奴隷の自滅だ。奴隷のカードさえなくなれば皇帝側に負けはない。ゆえに奴隷側が奴隷のカードを出すまで待つ、これが王道の戦略なのだ。それを1枚目に皇帝だと?
なんにせよ蓮の勝ちだ。黒服がアタッシュケースを持ってきて蓮の隣に積む。勝ち分3億だ。
「ほほう、初手に皇帝か。流石は蓮、楽しませてくれる」
「会長」
「心配するな、利根川。先ほど銀行の頭取を叩き起こして金を用意させた。もう間も無くこのビルに金が運び込まれる。故にこちらが金を払えなくて決着ということはないぞ」
クククと会長が笑う。そうか、蓮の狙いはこちら側が支払い能力不能となって決着することだったのか。元々、高額な勝負を行う為ある程度の現金はこのホテルに運び込んでいたが、ひと勝負で億が動く勝負は想定していない。数億、数十億の支払いとなればこちらも苦しくなる。おそらく蓮はこちらが現金の支払いができなくなることを見越して高額レートを申し入れたのだろう。
だが会長の機転によりそれは回避した。会長の預金は100億はくだらない。これでいくら蓮が勝とうと軍資金が尽きて負けということは無くなった。
見誤ったな蓮。首が締まったのは貴様の方だ。
「さて、聞いた通りだ蓮さん。こちらの軍資金が尽きるということはない。存分に賭けてくれたまえ」
「2戦目を始めましょうか」
「そうだな。張りは?」
「30で」
蓮が静かにいう。また、限度いっぱいか。確かに蓮の狙いがこちらの軍資金を尽きさせることにあるならば緩めていられないか。
だが、それに足を掬われることになるかもしれないぞ?張りが大きくなるということは負ければ死だ。追い詰められているのは貴様の方だ。
ホワイトボードに30と書き込まれる。スーッと蓮がカードを出した。計測器を見ると数値は先ほどと全く同じだった。
この数値で先ほどは皇帝だったが今度はどうだ?やはり皇帝を出したというにしては数値が低い気がする。負けたら死ぬ、命を賭けているのだ。皇帝を出すならばもう少し脈拍、血圧が上がっても良い。
同じく市民を出す。オープン。わしは市民、蓮は……皇帝だ。
「私の勝ちですね」
蓮が報酬を受け取る。ドンドンと蓮の隣には6つのアタッシュケースが積まれた。ククク、そうか。蓮、もうわかってしまったよ。
これがお前の皇帝の時の数値ということか。常人と比べれば些か低すぎる気もするが流石は名うてのギャンブラー、平常を保つのは得意というわけか。
だがそれでも皇帝と市民を同じ感覚で扱うことはできまい。皇帝は勝敗を握る命のカード、他に4枚もある市民とはまるで価値が違うのだ。
皇帝を出す時の脈拍、血圧、体温はわかった。もうこれ以上は負けん。
「そうだな。しかし、お前はわしに2度も皇帝を出す時の動作を見せた。いかんな、わしのような玄人に情報を明け渡しては。これでは次は勝ってしまうぞ」
「では次は真剣勝負ですね」
30ミリ賭けると黒服に向かって蓮がいう。全く、性懲りも無く全BETか。せっかく大金を用意していただいた会長には申し訳ないがこの回で決着してしまうな。
蓮が1枚カードを出す。体温、鼓動、血圧、全て今までと同じだ。三度続けて皇帝を出すとは恐れ入る。だが、その傲慢な結果がこれだ。
勿論、奴隷のカードを出す。
「残念だよ、蓮さん。わしに3度もその手が通じると思ったのか」
「……」
「ククク」
会長が後ろで笑っておられる。いよいよ蓮が絶命する姿を見られるということに興奮しておられるようだ。
リモコンを手に取る。そして30と数字を入力した。せめて精神的には苦しまないようにしてやろう。
「貴方が勝つと?」
「そうだ。蓮、貴様のカードは皇帝だろ?わしのカードは奴隷だ」
バッと自分のカードを表にする。蓮の表情は変わらない。死の瞬間だというのに見苦しく喚かないとは立派だ。
「ひと息に終わらせてやろう」
「目が曇っていますよ、利根川さん」
蓮がカードに手をかける。捲られたカード…、それは市民だった。
ガシャリと手からリモコンが落ちる。馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な!
市民だと!?数値は確かに皇帝のものだった!何故、何故、市民なのだ!?
「馬鹿な!そんなはずは…」
「私の勝ちですね」
蓮の勝ちだ。アタッシュケースが蓮側に運ばれていく。くっ、何故市民なんだ。数値上では絶対に皇帝だったのに。
3戦終わったので陣営がかわる。蓮が奴隷側でわしが皇帝側。
落ち着け、冷静に考えればそもそもこれは皇帝側は勝ちやすいゲーム、奴隷で敗北しても大したことではない。問題は次、蓮の奴隷側の対応だ。
勝敗は勿論大切だ。だが、それよりも先に確認するべきことがある。
「陣営チェンジだ。わしが皇帝で蓮さんが奴隷、張りは?」
「30ミリで」
また、最大値か。だが、いい。それはかまわない。
1枚目、わしがカードを出す。オープン。市民と市民。
2枚目、蓮がカードを出す。オープン。市民と市民。
3枚目、わしがカードを出す。オープン。市民と市民。
ここまで市民と市民、すべて引き分けだ。
そして、4枚目。蓮がカードを出す。ここが肝心だ。計測器を見て蓮の状態を観察する。
……同じだ。計測器は1戦目からブレなく同じ値を示し続けている。ということはこのカードは市民か?いや、そう思って先程は皇帝だった。よって、ここは。
2枚の手札から1枚選択しカードを出す。オープン。市民と市民。残ったわしの手札は皇帝で蓮は奴隷。蓮の勝利だ。
30ミリで3億。そして奴隷側で勝てばその5倍だから15億、蓮の勝利だ。
しかし、その代わりに蓮は大切な物を失った。はなからこの勝負は捨てるつもりだった。皇帝側の優位は勝負を保留することができること、皇帝をギリギリまで温存し蓮からカード情報を吸い上げる。それがこの回の目的だ。
先程は皇帝を出す時の身体情報しか持たないのに勝負に行ったことが敗因だった。だがこれでもう負けん。市民の時の蓮の動き、数値、そういった物がよくわかった。
とはいえ15億は大金、支払うだけの現金はあるのかと思っているとバンとドアが開き台車に大量のアタッシュケースを載せた黒服達がやってきた。
「遅くなりました。会長の預金100億をお持ちしました」
「ククク、結構結構。これでこちら側のタネ切れという決着はなくなった。2人とも存分に闘うといい」
「はっ、ありがとうございます」
たとえ全試合負けたとしても100億はかからない。これで支払い不能での決着ということはなくなった。もっとも、支払い能力など気にせず次の勝負で終わりになるだろうが。
蓮に次の試合の張りを聞くと30ミリと答えた。愚かな。その傲慢がお前の敗因、体勢を立て直す機会を失わせたのだ。
1枚目、市民を出す。オープン。市民と市民。
2枚目、蓮がカードを出す。計測器を見ると針の位置は先ほどから変わらずブレもない。とても奴隷を出したようには見えない。
だが念には念を入れる。市民を1枚選び蓮の方に絵柄を見せる。
「次はこれでいくか。無難にな」
「……」
蓮は無言だ。数値に変化もない。蓮はこの市民を恐れてない。つまり、蓮の出したカードは奴隷ではないということだ。
ならば確定した。今、皇帝を出せば勝ち。決する、この大勝負。蓮が死にわしが生き残る。
パサリとカードを置く。
「蓮さん、終わりだっ…。今君は死んだっ…!」
カードを開く。わしのカードは皇帝。わしを勝利に導く皇帝。今度こそ終わりだ。蓮のカードは市民、それ以外はあり得ない。数値はそう表している。
蓮がカードを手にする。そして開く。
奴隷。蓮のカードは奴隷だった。
「また私の勝ちですね」
「かっ…、馬鹿なっ…!奴隷!?そんなはずは、絶対にそんなはずはないっ!!!」
思わず立ち上がる。そんなはずはない!絶対に数値は市民を示していた。1度目も2度目も同じ値を示し続けている。これが奴隷なんてあり得ない!
何故だ!奴隷を出したというならば何故動揺しない!体温も鼓動も血圧もずっと一定だった。何故市民を出した時に恐れない。そのままわしが市民を出していたら死んでいたんだぞ!!
「何故奴隷なのだ!」
「利根川さんが2枚目に皇帝を出すと思ったからですね」
「何故っ…!」
「利根川さん、続きをしましょう。まだ半分も終わってないですよ」
次も30ミリだと蓮が黒服に告げる。ふらふらと席につき手札を見る。
わからない。何故数値に表れないのだ。30ミリ、負けたら確実に死ぬ値を賭けているのだ。それなのに何故平情を保っていられる。
カードを見る。もう何を選べばいいのかわからない。もういっそ1枚目に皇帝を置こうか。この方が読まれないのかもしれない。
皇帝をセットする。蓮は30ミリを賭けている。ひとつのミスで死ぬのだ。まだ逆転はできる。来い市民っ!来いっ!
「貴方は手元ばかり見てますね、利根川さん」
突如降ってきた蓮の声にビクリと身体が揺れる。な、まさか気付かれたのか?蓮の動向を気にするあまり手元の計測器にばかり目がいっていた。
顔を上げる。するとまっすぐとこちらを見る蓮と目が合った。
「なんのことだ」
「対戦相手の顔くらい見といてくださいよ」
蓮がカードを1枚出す。
「見てたらわかるというのか」
「わかりますよ。だって聞こえました。『来い市民』って」
蓮がカードをオープンする。奴隷。奴隷だ。王を敗北に陥れる奴隷だ。
ぐにゃりと視界がゆれる。ばかな、こんなことが起こるわけがない。こんな、こんな馬鹿な。
カードが手元からこぼれ落ちる。どうすれば、まるで勝てるビジョンが浮かばない。怪物、こいつは闇に生きる怪物だった。人の手に負える存在ではなかった。
もう、わしには勝てない。
その瞬間、ドンと音がして奥の扉が開いた。
勢いよく飛び込んできたのは先ほどまで鉄骨を渡っていた蓮の従兄弟、伊藤開司だった。