利根川さんが用意してくれたモニターでカイジさんの様子を見る。カイジさんは原作通り先行する前の人を押すことなく、後ろの人と絡み合いながらバランスを崩し、失格となった。
鉄骨の上でカイジさんは涙を流している。勝負に徹しきれなかったことを後悔しているのだろうか。
2千万のギャンブルであることを考えるとカイジさんの行動は甘いと言われるのかもしれない。勝負なのだから捨て身で、踏み込まなければいけない時もあるだろう。もっと早くスタートダッシュをしなければならなかった。ルールに従って人を押さなければならなかった。そういうことをしなければ勝てないゲームだった。
だけどカイジさんは押さなかった。無垢な背中を殺さなかった。そのことにどこかホッとしている自分がいる。
限定ジャンケンでカイジさんは私と戦ってくれなかった。家族とは戦えないといって、傷付けるくらいなら傷付いた方がマシだと自分を削った。
お人好しで人の善意を疑わなくて、だから裏切られるのにそれでも誰かを信じることを止めない人。
カードの内容は勝っていた。だけれどもあの勝負は私の勝ちではない、それどころか負けたような気すらするものだから不思議なものだ。
それがカイジさんの強さなのだろう。
全ての試合が終わったと利根川さんがいう。しばらくすると奥の扉からぞろぞろと人間競馬の参加者が出てきた。
「カイジさん、お疲れ」
「蓮…っ!よかった無事だったのか…っ!あいつらに何もされなかったか?」
「何も。ただ、カイジさん達の試合を見せられてるだけだったよ」
「つべこべ言わず……出せよっ…!金っ…!」
カイジさんと再会する後ろで佐原さんが利根川さんに食ってかかった。手に入れた2千万円のチケットをささっと換金しろという。
利根川さんは説明を始めた。金の受け渡し場所と期限はこちらに決定権がある。その気になれば10年後、20年後にすることも可能だ。だが、そんなことはしない。期限は7月14日午前1時半、場所はスターサイドホテルのメインビルの2214号室。
エレベーターは作動していない。非常階段も閉ざされている。だが我々の方で便宜を図り道を通してやったと。
屋上の端にあった黒いカーテンが落とされる。そこに現れたのは隣のビルまで続く鉄骨だった。
地上74メートル上空の摩天楼、鉄骨渡りが始まったのだ。
しかも今回は鉄骨に電流が流れているから途中リタイヤもないと。落ちたら死、紛うことなき死だ。
皆が怯え戸惑い尻込みする。そんな中、余ったチケットを寄越せとカイジさんがいう。それに続くように幾人もが参加を表明し、そして決断の遅かった2人がチケットを取り上げられ手を挙げた他の2人に渡す。
これで2千万円、もしくは1千万円のチケットを持った10人が選ばれた。
……ん?あれ、私は?
「私の分は?」
「蓮っ!お前まさか渡るつもりなのか!?」
利根川さんに渡ることに対するリターンを聞こうとするもカイジさんに遮られる。
「そうだけど」
「馬鹿っ!やめろ!この高さだ、落ちたら絶対に助からない。借金のことなら気にするな。俺が渡れば1千万、蓮と俺の借金が両方とも返し切れるんだ。俺が渡るっ!だからお前は何もしなくていいんだっ…!」
カイジさんが必死な形相でいう。優しい優しいお人好しのカイジさん、私の為に足を滑らせれば死ぬこの橋を渡ってくれるのだという。
だけどいらないんだ、カイジさん。
誰かの為になんてギャンブルはするもんじゃない。利己的な欲望を叶える為に自分を張るのだ。
「借金なんてどうでもいいんだ、カイジさん。私はただ渡りたいから渡るんだよ」
「渡りたいって、この橋をか!?落ちたら死ぬんだぞ!何でだよ。何でこんなことするんだっ…!」
「こんな機会は二度とないから。おそらくこれが最後の勝負、挑むことに意味がある」
神様に追いついたか確かめる最後のチャンスなのだから。
「このギャンブルをすること、それ自体が私の目的なんだ」
茫然とするカイジさんを背に利根川さんに向き合う。利根川さんはパチパチと手を叩いていた。
「流石は蓮だ。その辺りのクズとはまるで違う発想、常人とは似て非なるものだ」
「私の分の報酬は?」
「ああ、そうだな。蓮の分のチケットが必要か」
利根川さんが側にいた黒服に声を掛けて新しいチケットを持ってくるようにいう。2千万だか1千万だか知らないがそんなものはいらない。欲しいものはそれではない。
「そんな紙切れはいらない」
「ほう、ならば何が欲しいのかね?」
「指名してくれた会長とやらとギャンブルがしたい」
そんな無価値な物を貰ったって仕方ない。命を賭けて鉄骨を渡ってでも欲しいもの、
鷲巣さんに並ぶこの世界の帝王と勝負したいのだ。
「ふむ、会長とのギャンブルか。いいだろう、私から話を通しておこう」
利根川さんの了承も得た。あとは渡るだけだ。
ガヤガヤと騒がしい参加者達のざわめきを背に鉄骨に向かう。
原作では確かあみだくじで渡る順番を決めていたけど私には関係ない。
自分の行く道は自分で決めるのだ。
一歩目を鉄骨に乗せる。後ろで『蓮っ!』と叫ぶカイジさんの声が聞こえたが構わず二歩目を乗せる。
瞬間、世界が変わる。それは屋上の上に立っていた時とまるで違った。
重い、空気が重い。目の前に真っ直ぐ突き抜ける鉄骨だけが鮮明でそれ以外はぼやける。
世界が断絶された。すぐ後ろで渡り始めた私に対して叫び声のようなものが上がるがそれすら遠い。足の裏に伝わる感触だけが私を現実に繋ぎ止める。
辺り一面を刃物に囲まれてひとつ間違えればそれが突き刺さる、そんな感覚に近い。これが命を賭けるということ、そうか、そっか。
なんだ、いつものギャンブルしている時と変わらないのか。
赤木さんに初めて挑んだ東西戦、ひろさんをHIROにする為に臨んだクリア麻雀、神域に至る為に選んだ誠京麻雀も全部同じだった。
赤木さんを失わない為に全てを賭ける、これはそれと同等だ。
地上74メートル上空だというのに心は驚くほど凪いでいた。身体能力に問題ないなら渡る為に必要なのは精神力、つまり自分との戦いだ。その勝負で負けるわけにはいかない。
自分にすら勝てなくて赤木さんに勝てるわけがないのだから。
一歩、一歩、歩みを進めていく。遥か遠く対岸まで。
赤木さんに追いつく為に歩んでいくのだ。
次はカイジ視点