あの後遠藤さん達はあっさり帰った。ギャンブルの開催日はまだ先でその日になったら迎えに来るとのことだ。
それまでのおよそ1週間、バイトに行く以外は人様の塀の上を歩いて、鉄骨渡りの練習をしているのだけど、わかったことがひとつ。私ってむっちゃ運動神経いいわ。
靴幅もない塀の上を歩いているというのに身体が傾くことがなく安定を保っている。体幹がいい。思い返せば赤木さんとの日常でチンピラに喧嘩をふっかけふっかけられで負けたことないもんな。あ、ふっかけたのは全部赤木さんですからね?私は人様を殴り飛ばすなんてことを進んでやりません。
身体能力的にはあまり問題なさそうだ。だけど運動神経が良いからといって鉄骨渡りができるかどうかは別問題。地上74メートル上空を歩くのはきっとバランス感覚以外の別の力が必要になるのだろう。
正直それはやってみないとわからない。私が渡れるかどうかは最初の一歩を踏み出した時にわかるだろう。
まあ落ちても死なない人間競馬があるからそこで練習してから考えよう。一着取っても取らなくても鉄骨渡りの参加券はあるのだから押す押さないで下にいるオッサン達を楽しませるようなことはしません。
そうこうしているうちに13日の夜がやってきた。夜通しのギャンブルになるなら体力勝負になるだろうと言って3食お昼寝付きでカイジさんと体調はバッチリ整えてきた。
午後8時過ぎ、帝愛の車が迎えにきたのでカイジさんと共に乗り込む。
今更なのだが、うっすらとした原作の記憶でカイジさんは自力でスターサイドホテルに行っていたような気がするのだが、なんでお迎えが来るのだろう?会長から指名があったというのも心当たりないし、私帝愛に認知されてるの?世界一の悪徳金融会社に目をつけられてるって怖すぎる。
スターサイドホテルに到着して車を降りる。遠藤さんも付いてくる。ん?
「カイジはあの黒服について行け。蓮は別会場だからこっちだ」
「なっ!?蓮を何処に連れて行くつもりだっ…!」
「蓮はVIP待遇だからな。勝ち上がればお前も蓮と同じゲームに参加できるさ」
抵抗するカイジさんは黒服に連れて行かれる。え、なんだこの展開。今から始まるのって人間競馬じゃないの?
原作と違う展開に戸惑うも周りを遠藤さんと黒服達に囲まれながらスターサイドホテルに入る。
エレベーターに乗り込み最上階でチンと鳴り開いたドアを出ると恰幅の良いグレーのスーツを着た男性が黒服を従え立っていた。見覚えのある人だ。
エスポワールのホールマスター、利根川幸雄だ。
「お待ちしていましたよ、伊藤蓮殿」
「カイジさんは?」
「彼なら今からとあるギャンブルに参加してもらうところだな。気になるならばここからでも様子は見れる」
そういって利根川さんは隅に置かれたテレビを指差す。まだ、誰も映ってないがそれは紛れもなく人間競馬の出場ゲートだった。やっぱり原作の展開は合っているんだね。でもなんで私は参加しないの?
「ふーん、私は?」
「君はこのギャンブルの主役、蓮のために今夜はあるといっても過言ではない。その為、万が一でもこのゲームに参加出来なくなっては困るので最初からこちらに来てもらった。まあ言わばシードのようなものだ。この場にいること、これまでにやってきたことに心当たりはあるだろう?」
利根川さんがしたり顔でそういうが全く心当たりがない。兵藤会長にじきじきに指名されるようなことってなんなんだ?あ、まって、思い出した。そういえば去年くらいに東京に立ち寄った時に赤木さんと地下の違法カジノでパチンコ打ったことがあったぞ。
そのちょっと前に面白いポーカーをする館があるって話を聞いたから赤木さんと行って、ジュンコっていう女装趣味のおっさんと100枚ポーカーをして億近い勝負に勝った。
だけど現金って重いしさっさと使ってしまおうと違法カジノに行ったらひと玉4000円のパチンコがあって、これなら現金使い切るにちょうどいいなーとひと遊びする事にした。
ジャラジャラと玉を打っていたら赤木さんが『俺が後ろの優男をヤるから注目集めとけ』といきなりヤバいこと言ってきて、何か言うより前に赤木さんはホスト風の男を一撃ノックアウトした。いや、気を引く必要なかったじゃん。
ついでにその周囲の店員も2、3人吹っ飛ばして、ホスト風の男の懐からリモコンを取るとこちらに投げてきた。押すとあっさり玉は当たりのところにホールインする。イカサマじゃん。
ひと玉4000円の玉が弾けるように飛び出したが、銀玉なんて邪魔なだけで欲しくないし、赤木さんが暴力を振るったせいでやってきた黒服達を撒くために床に全部ぶちまけてスタコラさっさとその場から逃げた。
あの時はまさか『カイジ』と世界が混じってるなんて考えもしなかったけど、あれ『沼』じゃん。一条さんの店じゃん。
なんていうギャンブル吸引力だよクソジジイ。ジジイが一条さんぶっ飛ばしたから帝愛怒ってるんじゃない?私はなんもしてないもん。ただ、パチンコ玉を赤色の印がついている穴に入れただけだ。私は悪くないので文句は全部ジジイに言って下さい。
「3年前、帝愛に並ぶ超巨大企業、誠京グループが1人の少女によって壊滅させられた。限定ジャンケンでは気付かなかったが裏世界最強の博徒、伊藤蓮とはお前のことなのだろ?」
利根川さんがニヤリと笑う。
…違った。全然違った。赤木さんも『沼』は全く関係なかった。
え、それって森田さんと一緒に参戦した誠京麻雀のこと?蔵前さんと勝負した話だよね?え、『銀と金』側の世界のことじゃん。なんで帝愛からそんな話が出てくるの?
誠京も帝愛も巨大企業でトップは互いに常軌を逸したギャンブルが好き。なんかしらの繋がりがあっても不思議ではないが腑に落ちない。誠京は『銀と金』で帝愛は『カイジ』、世界が違うのではないか。
いや、でも赤木さんはこの世界にいる。森田さんは恋人となった人でカイジさんは血のつながった親族だ。複数の世界は混ざりあって繋がっている。
ここは『天』で『銀と金』で『カイジ』なのだ。どの世界も本物でひとつの世界なのだ。
他の人達も私が知らなかっただけで別の世界と交流を持っているのかもしれない。
「そうかもね」
「このギャンブルはこの世を牛耳る真のVIP、資産家、そういった方々が観戦される。彼の方々は見たいのだよ。前人未到、空前絶後の誰にも及ぶことのない神の奇跡をもう一度。蓮がギャンブルするところをみたいのだ」
そこで利根川さんが言葉を切る。不自然な空白、そして僅かばかり口元を吊り上げると言葉を吐き出した。
「もしくは才能ある若者の破滅をな」
そこには悪意があった。
なるほど。つまり向こうのビルにいるジジイどもは私が地上74メートル上空から落ちることを期待して待っているってことか。どれだけの金を持っているのか知らないが性根が腐りきっている。
人が死ぬことを愉悦だと思うなんて碌なもんじゃない。蔵前さんの時も思ったけどこの世界の金持ちは嫌な奴らばかりだ。
底の見えない闇に恐怖し重圧に耐えられず取り乱し無様な醜態を晒す、それを望まれている。
対戦相手に敵意を向けられるのはいつものことだけど悪意に晒されるのは初めてかもしれない。『伊藤蓮』として死を望まれる。積み上げたものが纏わりつく。
だけれどもそれは私を縛るものではないのだ。
幾人もの人に死を願われてもそんなものは障害になりえない。見知らぬ金持ちの爺さん達が束になったって私の人生に何の影響も与えないのだ。
思うのはただ一つ、赤木さんの命。それ以外のものが天秤に乗ることはない。
何が待ち受けようとも、この暗い橋を渡り切った先に赤木さんへ至る道があるというならば渡るだけなのだ。
今の時刻は午後9時。確か換金の期限が午前1時半とかだったからカイジさん達がやってくるのは11時過ぎかな。
……え、2時間も待たないといけないの。