「牌を交換しよう」
東からそう申し出られた時何を言われているか理解できなかった。
東の銀次がガン牌を使っているのは周知の事実、それを俺たちから交換を要求するのではなく向こうから提案するなど意味がわからなかった。自分たちのアドバンテージを捨てることにどんな意図があるというのか。
「本当に牌を交換していいのか?」
動揺を隠せずついそう聞いてしまう。それに答えたのは蓮だった。
「米粒のついた牌は使いたくないですから」
相変わらずの無表情で淡々と蓮がそういう。だが平常の蓮と対照に俺は血の気が引くのを感じた。
銀次のガン牌は牌の表に薄い透明な接着剤のような物を塗り牌の浮き具合からそれが何の牌なのか見分けるというものだった。それを知った俺は牌に米粒をつけ銀次のガン牌を逆手に取るつもりだったのだが、何故それを蓮が知っているのだ。
まさか見られていたのか?いや、あの時確かに誰もいなかった。考えられるのは今積まれている牌を見て勘付いたという可能性だがガン牌の存在を知っている俺でさえ目を凝らさなければ凹凸を見抜けない。一体どんな感性を持っていたらそれに気付けるのだ。
ここまで言われれば牌を変えざるを得ない。牌を変えることは西にとって有利なことだったはずなのに何故こんな敗北感を抱かなければならないのだ。
不味い、このままでは東に流れを取られてしまう。せっかく間を挟んだというのにこのままでは何も変わらない。
もうこれ以上ガン牌に左右されるのはごめんだった。形振りなど構ってられない。とにかく我武者羅に銀次を取りに行く。
ガン牌の無くなった銀次は一歩引いていたがそんなことは関係ない。ここで銀次を取らなければ西に勝機はない。
銀次に張り付き追い詰めそして執念が実る。親の倍満を銀次に直撃させ一撃で屠る。これで圧倒的に西が有利になった。
人数もそうだが点数も逆転した。ここで西はツモ上がる作戦に切り替える。同じ失点なら最終的に点棒が多い西が勝つことになるだろう。
それにこの作戦ならあの鬱陶しい蓮を仕留めることができる。常に大胆に攻めてくる蓮だが意外と奴は振ることがない。まるで何が当たり牌かわかっているかのように鮮やかにロンを避けてくる。
後7000点しかないのに蓮を殺りきれないのは奴が回避にも優れているからだ。だがこの作戦なら蓮を捕らえることができる。ツモならば振り込まなくとも場にいる者から点棒を取れるのだ。
僧我がツモ上がりをし、ついに蓮の点棒が3000となる。後ひと押しで蓮が殺れるというところで赤木と天に四暗刻を上がられ三井と阿久津が落ち逆に西が追い詰められる。
俺の点棒はあと15000点で僧我の点棒も13000と点棒に余裕はない。東の点棒も合わせて32000とあまり差がないが最後に物を言うのが人数差だ。ここで俺か僧我が落ちるようなことがあれば西の勝ちの目はなくなる。
もうこうなればしのごの言ってられない。1番点棒の少ない蓮を取る。
とはいえリーチをかけた時以外振ったことのない蓮を討ち取るのは難しい。そこで俺と僧我は七対子で蓮を狙い撃つ。ただの単騎待ちならそこにヨミは存在しないしそれでも振らないというならツモって裏が乗ればハネ満だ。残り3000の蓮を討ち取ることができる。
だがここで赤木が動いた。一索待ち、直撃で点棒を取られる。
あんな都合のいい迷彩などあるはずがない。カンをした時に待ちを変えたのだろう。赤木にしてやられた。
身動きが取れなくなった俺の代わりに僧我が動く。赤木の甘さにつけ込みマンガンを直撃で振らせた。
これで赤木も点棒が5000とマンガンを振れば終わりの状態にある。あがれる時にあがらない仲間を庇う己れの甘さがこの状態を生んだんやと僧我がいう。
確かに今の赤木は明らかに蓮を庇ったような動きをしていた。あがったら蓮を飛ばしてしまうからこそツモあがりすることを拒否したのだ。
人数の利を生かすためという考えはわかるが蓮、赤木、天の三人ならば流石に赤木と天の方が実力が上だろう。蓮を生かすために赤木が落ちれば意味がない。
なにか、違和感がある。赤木が蓮に甘すぎる。
それは卓上のこともそうだがそれ以外の…、初戦蓮・赤木が三井からマンガンを奪った時のことを思い出す。先制攻撃を決めた蓮に赤木が嬉しそうに声をかけ頭を撫でていた。
そもそもなんでこんなガキが東西戦に参加しているんだ?まだランドセルを背負っていると言われても納得できそうなガキを連れてくることを何故あの天が許した?
白い髪、鋭い目付き、他を圧倒するような雀力、ひょっとしてこのガキは赤木の親戚かなにかか?
そうだとすれば納得のいくことも多い。赤木しげるの血縁者か、道理で強いわけだ。将来こいつはとんでもない化け物になるだろう。すでにその片鱗も見せている。
僧我から二萬を、赤木から北(ドラ)を鳴く。混一色ドラ3、点棒が競ってきて再び蓮が仕掛けてきた。
蓮にツモられればまずいと手作りをする。俺より点棒の多い僧我も突っ張っているようだ。混一色の蓮は張れば索子や筒子は溢れるだろう。僧我が七対子で蓮を狙い撃っているのがわかった。
だが次の瞬間信じられないことが起こった。『ここでその七索をカンしたら鳴かせた人の責任払いになるんだよね』といって蓮が僧我の七索をカンしたのだ。
大明槓の責任払い、ここで蓮がツモあがれば僧我の1人払いとなる。
恐ろしく低い確率、だが俺はこの時終わったと思った。大明槓などあがれるものではないとわかっていながら蓮はツモってしまうのではないかと、そう思ってしまった。
おそらく蓮が大明槓を言い出した時に俺はもう呑まれてしまっていたのだろう。今の蓮にはそれだけの力があると思わされていた。
結局、蓮はあがれなかった。混一色も消えドラ3を抱えながらもあがることができず手を回すだけの状態になった。
だが、蓮は平然としていた。それすらも予定通りと言わんばかりに表情を変えず淡々とツモ切る。
俺は手牌が4cmしかない蓮をただただ不気味に思った。
俺の中にはわけのわからない焦燥が広がりただテンパイを維持するためだけに場を回していた。それは僧我も同じだったのだろう。何気なくツモ切った牌を赤木にロンと言われた。タンヤオ、三色、ドラ1、マンガン。
点棒を吐き出し僧我の残り点棒は5000になる。蓮の圧力に屈し集中力をかいた一打を赤木に掬われた形だ。これで蓮、赤木、俺、僧我の4人がマンガンを振れば終わる状態になった。誰が勝つかわからないサドンデス。
振ったことで目が覚めたのだろう、そこから僧我はがむしゃらに手作りをする。
2度安手で和了した後、天からマンガンを直取りし残り点棒8000点と天もこのサドンデスに引きずり込んだ。
これで全員がマンガンを振れば終わる状態だ。だがそこからは場が膠着し始めた。誰かが手作りすれば安手で回されてしまう。
一度休憩を取り再開する。流れは切れたがそれはこちらも同じこと、この戦いは何百億、何千億という金がかかった勝負、何をしてでも負けることはできない。
五索と五筒を一枚ずつ抜き代わりに白を入れるように指示を出す。これがアヤとなる可能性もあるが最悪の展開は防げるはずだ。何より牌の枚数が変わっていることを西だけが知っている事実はこちらが大きく有利なはず、この作戦で東を取り切る。
再開後の一戦、早速俺が聴牌した。八索を切れば一通がつきダマでいけるが五索は1枚少なく出にくい牌だ。ここは四索を切りリーチをしよう。蓮ではないが相手にプレッシャーをかける。
結局この局はあがることが出来なかった。次局、手牌にはヤオチュウハイが多い。 白も手元にないしこれは国士と決め打って手を進めていく。
9巡目、蓮の手が止まる。ツモった牌を手の中に入れると一瞬目を閉じ点棒を掴む。
「リーチ」
点棒が卓の上を転がる。これで蓮の方も張ったらしい。
だが、今の蓮は何か違和感があった。全員8000を切った状態でさらに蓮は1番点棒が少ない。前進するしかないことはわかっているがこのリーチは何かおかしかった。
蓮の麻雀は基本降ろしの麻雀だ。あの小さい身体からは考えられないほどのプレッシャーを浴びせてくる。それに呑まれ西は何度も失点を重ねてしまった。
だが、今の蓮のリーチには何も感じない。こちらを討ち取ろうとする意志も吞み込もうとする圧力も何も感じない。
まるで、俺たちに敵意を持っていないかのようだった。
いや、これは流石に考え過ぎだろう。リーチをかけた蓮はこれで手替わりすることができない。俺もこれで一向聴、アタリ牌を掴めばあっさり蓮が出すこともあるだろう。余計なことを考えずこの手を上がり切ろう。
そして、俺もついに聴牌する。その瞬間、蓮が白をツモ切った。これで終わりだ。
「ラス牌の白か…、もろうとこう…。ロン、国士無双や…!」
蓮の様子は変だったが結局あがり切ったのは俺だった。ならば結果がすべて、何の問題もない。
蓮は俺の手牌を見た後静かに自分の手を倒す。頭に使われているのは白が2枚、なるほど、蓮の様子がおかしかったのはコレか。
「白が6枚あるなんておかしな麻雀だね」
「せやな、だがそれは1枚目の白をツモ切った時にわかってたことやろ?その時に何も言わなかったってことはお前はこの無法を認めていたということや」
蓮は何も言わない。ただ俺の意を聞いて静かにこちらを見つめてくる。
何もいうことがないならこれで終わり、蓮の予選落ちでこの場はしまいや。
そう言おうとした瞬間、『じゃあ俺の異例も認めてもらおうか』と言って赤木が手を倒した。
「ロン、頭ハネだ」
そういう赤木の待ちは二・五索、五筒待ち、白なんてカスっていない。
そう抗議すると赤木は白の代わりに割りを食った牌があるはすだ。それはズバリ五索、雀箱をひっくり返して五索が出てきたら自分の頭ハネを認めろと言ってきた。
なんて奴だ、白の代わりの牌を断定しそれをロン牌としてくるだと?
五索が出て来なければ逆にお前のチョンボだと脅すも赤木は平然とそれを受け入れた。
くそっ、せっかく蓮を討ち取ることができたというのになんてことだ。部下に指示し変えた牌はずばり五索と五筒、赤木に読みを的中させられている。
この場はそれを呑むしかない。部下に雀箱をあらためさせようとした瞬間だった。
「五索はないよ」
蓮の声が辺りに響く。驚いて顔をあげると意思の灯った瞳で真っ直ぐと前を見つめている蓮がいた。
「五索はないんだ。だから勝負しよう、赤木しげる。あの箱の中に入っている牌について」
そういって蓮が赤木の方を見る。赤木も静かに蓮を見つめ返していた。
ああ、そうか。この違和感はそういうものだったのか。ずっとこの局で蓮は俺や僧我相手に戦っていたわけではなかったのだ。蓮が討ち取りたかったのはただ1人、そもそも俺たちは相手になどされていなかった。
「私は貴方を取りにきた」
そういう蓮の目には赤木しげるしか映っていなかった。