「はくちゅんっ!」
寒い……、もう12月ですもんね、雪が降ってないだけまだマシか……。
今日は鳳翔さんの副官になる予定の龍驤さんと言う方が着任される日なので、庁舎の玄関で待っているのですが……。
「ヒトサンマルマルか……。」
ヒトフタサンマルには着くって連絡があったから待ってるのに、一向に現れる気配がない。
司令官との昼食を切り上げてまで待ってるのに……。
一度執務室に戻ろうかしら、何かあったのかもしれないし。
「おや?朝潮殿ではありませんか。このような所でどうされたんです?」
「あ、憲兵さん。こんにちは。」
いつ見ても女性みたいな顔立ちですね、身長も男性にしては低いですし、実は女性だったりするんでしょうか。
「そこでは寒いでしょう、誰かを待っているんですか?」
「ええ、今日着任される方がまだ来なくて……。」
30分も遅れるなんてやっぱり何かあったんじゃ……。
「それは朝潮型の方ですか?」
「は?いえ、軽空母だと伺ってますが。」
朝潮型の人は全員顔見知りだし、呉に居る霞たちがこっちに来るとも聞いてない。
なんで憲兵さんはそんな事を?
『はて……ではあの朝潮型は……。』とか言ってますけど、誰かと見間違えたんでしょうか。
「実はですね、先ほど鎮守府西門で見知らぬ朝潮型の方を見まして。」
「西門で朝潮型を?」
誰だろう……第九駆逐隊は今の時間は哨戒中だし、大潮さんは由良さんの手伝い、満潮さんは私の代わりに秘書艦を代行してくれてる。
荒潮さんかな……朝食後に『今日は集会だからぁ~。』とか言ってどこかに行ったままだし。
でも憲兵さんなら鎮守府に居る艦娘は知ってるはずよね。
「本当に憲兵さんも知らない方だったんですか?」
「ええ、私は横須賀に居る艦娘の情報は
今
まあ、それはともかく、憲兵さんが知らないと言うなら横須賀の所属ではないという事ね。
軽空母の方が駆逐艦と間違われる事はないはずだけど、一応確認しに行ってみましょう。
「その方は西門にいらっしゃるんですか?」
「いえ、『倉庫街』の方へ行かれました、あの辺りはガラの悪い輩がいるので行かない方がいいとは言ったんですが……。」
『倉庫街』、工廠よりさらに西側にある区画ね、司令官の私兵さん達の詰め所もたしかそのあたりにあったはず、モヒカンさんか金髪さんに聞いてみますか。
「わかりました、ありがとうございます。」
「行かれるんですか?あ、ちょっと!何かされたらすぐ私を呼んでくださいよー!」
倉庫街へ向けて走り出した私に、憲兵さんが何やら叫んでますね。
何をされるんでしょう?
モヒカンさんも金髪さんもいい人ですよ?
「えっと、倉庫街はたしか……。」
工廠の先の道を……あ、小さな看板がある。
「倉庫街、インド人を右に?」
これは何かの暗号でしょうか、工廠を過ぎた所に目立たない様に立てられた看板に訳の分からない文言が……。
この先にインド人が居て、その方を右に曲がればいいのかしら。
でも倉庫街ってこの先よね?右に曲がったら北に行くようになるんじゃ……。
「と、とにかく行ってみましょう……。」
工廠から西側は私にとって未体験ゾーン、なんだか冒険してるみたいでワクワクしてきます。
「ん?なんだかカレーのような匂いが……。」
なぜこんな路上でカレーの匂いがするんでしょう?
この先の十字路の方から漂って来てますね。
「あ、こんな所にカレー屋さんがあったんだ。」
十字路に差し掛かった私の左手に『カレーショップ ダルシム』という店名のカレー屋さんがありました。
茶色い肌に坊主頭の人がカレーの乗った皿を抱えて口から炎を吐いている絵が、入り口が炎の中心に来るようにデカデカと壁に描かれています。
「インドの人は口から炎が吐けるんだ……。」
インド人……侮れませんね、カレー屋さんを営むような一般人でもそれ程の戦闘力を有しているとは。
と言うことは、これが看板に書いてあったインド人?
これを右と言うことは北に行けと言うことでしょうか、それともインド人に背を向けて右?
でも、それだと庁舎に戻ってしまいますし……。
とすると、インド人を向いて右、つまりこのまま直進?
直進でいいんなら変な看板を立ててる意味がない。
ならば北ですね!
「あれ?朝潮さんじゃないっすか、こんな所まで来るなんて珍しいっすね。」
私がインド人を右に曲がって北に向かおうとした時、インド人の吐く炎の中からモヒカンさんが現れました。
大丈夫ですか?モヒカンが燃えたら大変ですよ?
「こんにちはモヒカンさん、丁度良いところでお会いできました。」
「もしかして自分に会いに?まさか朝潮さんが自分の事を好きだったとは思わなかったっすよ。」
「それは絶対にないです。」
何を言ってるんでしょうかこの人は、世紀末スタイルの人は私の守備範囲外です。
撃ちますよ?
「冗談っすよ……。真顔はやめてください、怖いっすから……。」
「それより、倉庫街で艦娘を見ませんでしたか?憲兵さんのお話では、見慣れない朝潮型駆逐艦が行ったと伺ったのですが。」
「あ~どうっすかねぇ、自分昼前からここに居たんで……。」
昼前からカレー食べてたんですか?
お仕事とか無いのかしら、もしかしてサボってたんじゃ……。
「倉庫街まで送りましょうか?詰め所に居る奴らなら誰か見てるかもしれないっすから。」
「あ、お願いします。インド人を右にと言う暗号がよくわからなくて困ってたんです。」
「あの看板、まだあったのか……。」
どうやらモヒカンさんはあの看板のことをご存知のようですね。
もしかしてあれを書いたのはモヒカンさんですか?
「あれ、姐さんのイタズラなんすよ。インド人ってのはこの店の事で、店を向いて右、つまり西に行けば倉庫街っす。」
なるほど、神風さんのイタズラですか、納得しました。
あれ?じゃあ私は違う方向へ行きかけてたんじゃ……。
「ちなみに、庁舎の方からこっちに来ると左に店が見えるっしょ?だから北に行っちゃう子がたまに居るんすけど、北に行くとT字路になってるんす。そこに今度は『倉庫街←→ブラジル』って看板が立ってて……。」
ブラジル?ブラジルってあのブラジルですか?なぜブラジルに!?
でも少し気になりますね、まさか行った先にはブラジルに繋がるトンネルが!
「極々稀に、ブラジルの方へ行っちゃう頭の痛い子が居て、庁舎が見える位置まで戻ると最後に『おバカさんは14へ行け』って看板が立ってるんす。」
……私は痛い子じゃないもん……話を逸らそう……。
「じゅ、14ってなんですか?」
「とあるゲームブックで、主人公が死ぬ選択をしたらその番号が書いてあるページへ行けって意味なんすけど。オブラートに包まず言うと『バカは死ね』って意味なんじゃないっすかね。」
な、なんという巧妙なトラップ!危うく騙されるところでした!
「まあ、倉庫街の方向はわかりきってるから、大抵の子は迷わず西に向かうっすけど……って朝潮さん?どうしたんすか?」
べ、別に引っ掛かってませんし……。
私は暗号の意味に気を取られただけですから。
そうよ!騙されてなんていないわ!
だって行ってないもの、行ってないからセーフです!
「朝潮さんまさか……。」
「騙されてません!少し気になっただけです!」
なんですか、その痛い子を見るような目は、痛いのはこんなくだらないイタズラをした神風さんでしょ!
と言うか『まだあったのか』って言いましたよね?
いったいいつからあるんです?
まさか鎮守府が出来た頃からじゃないですよね?
「と、とにかく詰め所まで案内するっす。あんま気にしちゃダメっすよ?今までで最後まで行っちゃった子は、自分が知ってる限り二人位っすから。」
「ち、ちなみに引っ掛かった子と言うのは……。」
「先代の朝潮さんと、今の由良さんっす……。」
先代ぃぃぃ!
何してるんですか先代ぃぃぃ!
危うく二代続けて引っ掛かるところだったんですか!?
と言うか由良さんも引っ掛かったんです!?
あの真面目で頭の良さそうな由良さんが!?
「真面目な子ほど引っ掛かるんすかね……。でもブラジルの方に行くのはバカとしか……。」
バカって言わないで!
だって、わざわざ看板が設置してあったんですよ?小さくて見失いがちな所に設置はしてありましたけど、看板があるんだから従うのは当然じゃないですか!
真っ直ぐ行けばいいのに曲がれ的な案内があったら曲がるでしょ!?
そしてその先に待つのはブラジル行きの看板ですよ?
そんなの見たら興味わいちゃうでしょ!
行けないのなんてわかってるんですよ、でも気になるじゃない!
こっち行ったらブラジルだよ~的な看板があったら行きたいと思うでしょ!
「まあ……ドンマイっす……。」
この妙な敗北感はなんでしょう……。
神風さんに戦術的敗北をした気分です……。
今日の晩ご飯で復讐しよ……あの人の嫌いな物ばかり出してや……。
「しまった……。あの人、好き嫌いないんだった……。」
これじゃ復讐できない!
食べ物の好き嫌いがないのは大変よろしいですが、一つくらいあってもいいじゃない!
「姐さんの嫌いな食べ物っすか?」
「は、はい。何かご存知ですか!?」
「ん~、基本的に食べれる物はなんでも食べる人っすけど。どうしても食べれない物が一つだけあるっす。」
それはいったいなんですか?
勿体ぶらずに教えてください、人差し指を顎に当てて考え込んでるポーズが、背筋が凍りそうなほど似合ってないですから早く!
「Gっす。」
「はい?」
G?何かの頭文字でしょうか?
怪獣でしょうか、でもそれは食べ物じゃないですし……。
まさかとは思うけど、ゴ……。
「ゴキブリっす。」
言わないでくださいよ!
せめてもうちょっと心の準備が出来てから聞きたかったです!
「セミとかイナゴとかは平気なんすけど、やっぱ姐さんも女っすね。ゴキブリだけは食えなかったっす。」
普通食べませんよ!?
セミとイナゴは……まあ聞いたことがあります、だけどGはない!
そもそも、食べ物にカテゴライズしないでください、神風さんどころか私だって食べれませんよ!
けど、その言い方だとモヒカンさんは食べれるですか?
言われてみればGが好きそうな顔立ちですね、もしかして口いっぱいにGを詰め込……。
嫌ぁぁぁぁ!想像しちゃった想像しちゃった!
眉無しで緑のモヒカンが、口にGを詰め込みながらニヤァってする所を想像しちゃったぁぁぁぁ!
「あ、朝潮さん!?どうしたんすか急に怯えて。」
怯えますよ!
モヒカンさんの好物がGだと知って震え上がってますよ!
「あの、ちょっと……。」
「ひぃ!」
無理無理無理!
黒い軍服のせいでモヒカンさんがGに見えるようになってきました!
私の1.5倍ほどの大きさのGが私に迫ってくる!
誰か……誰か助けて、このままじゃ私も食べさせられちゃう。
Gを口に詰め込まれちゃう。
司令官助けて……。
Gなんて口に入れたくない、そんなの絶対嫌!
「ちょっと君!その子に何する気や!」
「え……。」
モヒカンさんの後ろから声をかけてきたのは、朝潮型と同じような吊りスカートに頭にバイザー、左手に赤いコートのような物を抱えた、見覚えのない
「あ、この子じゃないっすか?朝潮さんが探してた子って。」
「話逸らすな変質者!その子にイタズラしよ思てたんやろ!」
「はぁ!?いきなり何を……自分はただ!」
「うっさい!ええからそこどきぃ!」
見知らぬ駆逐艦がモヒカンさんを押しのけて私達の間に割って入った。
私と同じくらいの身長、私と大差ない胸板、間違いなく駆逐艦だわ、しかも朝潮型。
朝潮型って十番艦までよね?
じゃあこの子は誰?
まさか!『朝潮』の艤装が三年も忘れ去られていたのと同じように、この子の艤装も忘れ去られていたんじゃ!
「あ、あの……。」
「こんな、見るからに怪しい奴に絡まれて怖かったやろ?でももう大丈夫や、うちが追っ払ったるさかいな。」
関西弁?
いやそれより、何か誤解をしてませんか?
確かにモヒカンさんの見た目は怪しいですが、けっして悪い人ではありません。
「ち、ちが……。」
「ええんや、何も言わんでええ……。どうせ、誰かに言ったらこの写真をバラまくでぇ!とか言われてんねやろ?汚い奴や!」
いやいや、写真なんて撮られてませんから!
モヒカンさんも何か言い返してくださいよ、この子私に喋らせる気まったくないです!
「……。」
なんで何かを諦めたような顔して空を見上げてるんですか?
何言っても信じて貰えそうにないからですか!?
あ、こっち見た。
そうです、そのまま諦めずに弁明を……。
あれ?右手を額の横に……敬礼?
「……。」
なんで満足そうな顔で敬礼したの!?
その『本望っす』って言いそうな笑顔やめてください!
何が本望なんですか!?
「変態の癖に度胸はあるやないか、幼気な子にイタズラ出来て本望ですってか?ふざけおって……ぶち殺したる!」
いや、別にイタズラとかされてないです。
自分がした想像に勝手に怯えてただけです。
「できるっすか?自分、これでも結構強いっすよ?」
意外にも迎え撃つ気満々なモヒカンさん。
駆逐艦相手に殴り合いする気ですか?
普通に問題行動ですよ?
モヒカンさんと見知らぬ子が腰を落として戦闘態勢に入った。
モヒカンさんは、両手を顔の前に置いて、親指をかむような姿勢のピーカブースタイル。
これは満潮さんの愛読書で見たことが有ります。
一方見知らぬ子は、持ってた赤いコートを放り投げ、左手を開いて前に出し、右手も開いてこちらは手の平を下に向けてますね……。
見たことがない構えです、中国拳法でしょうか。
「へぇ……心意六合拳っすか。実際に見るのは初めてっす。」
「変態のクセに詳しいやないか、そっちはそこからデンプシーか?」
「さあ、どうっすかね。」
空気が凍りついてるような緊迫感、二人の脳内ではすでに何回も攻防が繰り返されてるんでしょうね。
私だってそれなりの死線はくぐって来ましたし、強い人を何人も見てきました。
だからわかります、この戦いは長引かない。
おそらく勝負は一瞬、一合で決着がつく。
「行くっすよ。」
「ああ、いつでも来い。」
目つきが一層鋭くなった、二人の中で最適な一撃が弾き出されたのね。
「シッ!」
先に動いたのはモヒカンさん、その身長からは信じられないほどの低姿勢で瞬時に距離を詰めた。
この動きも満潮さんの愛読書で見て知っているわ、利き腕と反対側に大きく屈め、伸び上がるのと同時にフックを叩きつけるガゼルパンチ!
まさに風を切り裂く様な素晴らしいパンチです、それを幼い駆逐艦に放っているのは褒められた事ではありませんが。
二人の動きがスローモーションで見える。
モヒカンさんのガゼルパンチが見知らぬ子の頭を吹き飛ばすと思った瞬間、見知らぬ子が上げていた左手でガゼルパンチを受け流し、その受け流しで生じた力さえ伝える様な動きで右拳をモヒカンさんのお腹に突き付けた。
勝負は……決しましたね。
『お見事っす。』
『アンタもな。』
聞こえないはずの声が聞こえた気がします。
きっと今、二人は脳内でお互いを称え合っているでしょう。
「心意六合……、馬蹄!崩拳!」
裂帛の気合とと共に拳の先から力が解き放たれ、二人の足元のアスファルトが砕けてモヒカンさんが後方へ吹き飛びました。
モヒカンさん、貴方の事は忘れません……。
なんて言ってる場合じゃありません!
飛び方がシャレになってないです!
「モ、モヒカンさん!」
慌てて駆け寄って抱き起したはいいですが、これからどうすれば……。
白目剥いてるのがちょっ気持ち悪いし……とりあえず息があるか確認した方がいいわよね。
うん、よかった、息はある。
無事とは言えないけどとりあえず生きてるわ。
「なんや、君その変態と知り合いなんか?」
「ええ、何度も止めようとは思ったんですが……。」
見知らぬ子がコートを拾い上げながら聞いてきた。
あれ程の体術を身につけているこの子は何者?
それだけじゃない、戦っていた時のこの子の雰囲気は、司令官や神風さんのような古強者に近い物を感じた。
神風さんのように長年駆逐艦を続けてる人なのかしら。
「あ~そりゃあごめん。うち、てっきり君がイタズラされてると思ってしもて。」
「貴女は……一体何者ですか?」
私とそう変わらない見た目の子が軍の施設を歩き回っているのだから、この子が艦娘なのは間違いない。
だけど駆逐艦が着任するなんて話は聞いてないわ。
しかも存在しないはずの11人目の朝潮型駆逐艦、この子は一体……。
「ほな自己紹介しとこか。軽空母、龍驤や。独特なシルエットでしょ?でも、艦載機を次々繰り出す、ちゃーんとした空母なんや。期待してや!」
「は!?」
今なんと?軽空母 龍驤?
この子が、私が出迎えるはずだった龍驤さん!?
いやいや、そんなはずありません。
こんな、どこからどう見ても小学生か中学生くらいにしか見えない人が軽空母だなんてあり得ません。
どう見ても駆逐艦です!
関西の人みたいですから今のはきっとボケなんでしょう、だったらツッコミを入れないと失礼ですね。
「そ、そんな胸の薄い軽空母が居るわけないやろー。」
ど、どうです?
ツッコミは初めてですが上手くできたでしょうか。
あ、かなりにこやかな笑顔を浮かべてます、どうやらツッコミはせいこ……。
あれ?何をしてるんです?
いつの間に私の懐に潜り込んだんです!?
「誰の胸がまな板やゴラァァァァ!!」
何が起こったんでしょう、龍驤さんと名乗る駆逐艦が私の胸辺りに両肩の肩甲骨を当てた瞬間、私の体の中を凄まじい衝撃が駆け抜け、後方へ吹き飛ばされました。
「君かてうちと大差ないやろ!コラ!聞いとんのか!」
息ができない、龍驤さんが私に馬乗りになって首をガクンガクンさせてきますが、もう意識が保てない……。
気絶させられるのはいつ以来だろう。
私は、若干半泣きになった龍驤さんを見ながら意識を手放した。