こんにちは、朝潮です。
山の木々の色が赤く染まりだした秋の日の昼下がり、きっと今の私の顔も木々の色に負けないくらい真っ赤になってると思います。
だって司令官が執務室の一角に設けられたソファーの上で、私の膝を枕にして寝てるんですよ?これで赤面するななんて無理な話です。
なぜそんな事になってるかと言いますと、昨日任務の報告のために執務室を訪れた時に司令官から秘書艦の任を拝命いたしまして、今日はその初日だったんです。
秘書艦の任を受ける前に、訓練の時間や出撃頻度が減る旨は伝えられましたが、出撃はともかく訓練は減った分自主トレすれば問題ありませんし、何よりこんなチャンス滅多にないのに私が断るはずありません!
そして今日のマルナナマルマルに執務室に到着すると、すでに司令官が執務を開始されていました。
「おはようございます司令官!も、申し訳ありません!遅刻してしまいました!」
「おはよう朝潮、遅刻はしてないぞ?マルハチマルマルからでいいと言っただろう?」
「ですが……。」
司令官はすでに書類の山の間でお仕事を開始されてますし……。
「ああ、私が仕事をしてたから勘違いしたのか。実は昨日あまり眠れなくてな、ボーッとしてるのもなんなんで早めに始めてたんだ。」
あまり眠れなかったって……お体は平気なのかしら、言われて見れば目の下に若干隈が……あまりではなくまったく寝てないのでは?
「来るのが随分と早いが、昨日はちゃんと眠れたか?」
「はい!私は就寝時間には眠くなってしまうので!」
他の三人が何か騒いでたような覚えはありますけど。
「そうか、それはよかった。」
どうしたんだろう?少しガッカリしてるような気がしないでもないわね。
ガチャ。
ん?ドアノブから音が……ノックもせずに誰かしら。
「先生居る?入るわよ?」
そう言って入って来たのは普段の赤い着物ではなく浴衣姿の神風さんだった、肩掛けに水筒、手に持ったお盆の上に載ってるはオニギリとお漬物、それに空の器、司令官の朝食?二人分あるように見えるけど。
「あれ?朝潮じゃない、何してるの?」
「今日から秘書艦をする事になったので……。」
「へぇ、あの話本気だったんだ。」
司令官は神風さんに話してたのね、それよりも神風さんこそそんな格好で何してるんですか?執務室ですよここ。
「そんなに睨まなくてもいいじゃない。貴女は知らないだろうけどいつもこうなの。」
また自慢ですか?ええ知りませんとも、私は司令官のプライベートをほとんど知りません。
でもこれから知っていくんです、なんたって私は今日から秘書艦ですから!
「はい先生、朝ご飯。こっちでいいでしょ?」
「ああ。すまん朝潮、少し待っててくれ。」
ドアから入って左側にある来客スペースのテーブルに朝食を広げだす神風さん、空の器に水筒から注いでいるのはお味噌汁かな?
「朝潮は朝食を食べたのか?」
「は、はい!ここに来る前に……。」
司令官がここで朝食を食べていると知っていれば、私もここで一緒に食べたんですけど……。
「あ、そうだ!明日から朝潮が先生の朝ご飯作ってあげなさいよ!私も早起きしなくて済むし!よし決まり♪」
勝手に決めないでください、司令官の朝ご飯を作ること自体は私も大歓迎ですが……問題が一つ……。
「朝潮が作ってくれるのか!?神風もたまにはいい事を言うじゃないか!」
「たまには?」
いえ、喜んでくださるのは光栄なのですが……。
「まあ朝潮なら料理くらい余裕でしょ。あ、先生知ってる?呉にはどんな料理でも毒物に変える戦艦と駆逐艦が居るらしいわよ。」
余裕じゃないです、私料理なんて作った事ありません……。
「それ大丈夫なのか?今度霞に聞いてみるか。」
「朝潮ならそんな事にならないわよね?」
だいじょばないです……正直、自信がまったくありません……。
「どうした朝潮、顔色が悪いぞ?」
「い、いえ別に……。」
目を逸らす前に神風さんが悪だくみしてるような顔をしてるのがチラッと見えた、この人気づいてるわ。
「ねえ朝潮?得意料理とかある?」
目を逸らしたままの私の顔を、下から覗き込むように神風さんが見て来る。
得意料理もなにも、私は料理が作れません!カップラーメンが精いっぱいです……。
「神風、あまりイジメるな。」
もしかして司令官も気づいてます?と言う事は私が料理できないことが司令官に知られてしまったってことね……蒙古斑の事を知られた時以来のショックだわ……。
「はいはい、せっかく先生の朝食係から解放されるかと思ったのに。」
その割にたいして残念そうじゃないですね、実は進んでやってるんじゃないです?
「司令官の朝食はいつも神風さんが作ってるんですか?」
「そうよ、一人分も二人分も手間は変わらないからね。食堂で食べればいいのに食べたがらないのよこの人。」
それで食堂で司令官を見たことがなかったのね、でもどうしてだろう?
「私が食堂に行くと皆が緊張してしまうだろう?」
なるほど!さすが司令官、部下への気配りも完璧ですね!
「気にし過ぎじゃないの?先生を見て緊張するどころかテンション上がる子もいると思うけど?」
います!少なくともここに一人居ます!
「若い娘が朝からむさ苦しいオッサンを見て喜ぶか?」
何を仰います司令官!そのむさ苦しさが司令官の魅力じゃないですか!
「ごちそうさま、美味かったよ神風。」
「お粗末さまでした。でも美味しいならもっと美味しそうな顔して食べてよ、いつも仏頂面で食べてるじゃない。」
なんだか夫婦みたいな会話ですね、また女房気取りですか?
「さて、仕事に戻るか。待たせてすまなかったな朝潮。」
「いえ!司令官が待てと仰るならいつまでも待つ覚悟ですから!」
ソファーから腰を上げた司令官が悠然と執務机に戻って行く、食べてすぐ仕事だなんて……もう少しゆっくりした方がよろしいのでは?
「昨日寝てないみたいだけど平気なの?」
やっぱり寝てなかったんだ……でもどうして寝なかったんだろう。
「一晩くらい平気だ三日三晩徹夜で行軍したこともあるんだぞ?」
「それ若い頃の話でしょ?もう歳なんだから無理しちゃダメよ。」
小言を言い続ける神風さんと、大丈夫だと言い張る司令官。
二人の光景を見ていると、私の心の中で嫉妬の炎がメラメラと燃え上がっていくような気がする、いいなぁ……私も司令官とあんな会話してみたい。
「わかったからとっとと部屋に戻れ。あ、それとお前は今日出撃があるからな、準備しておけよ。」
「出撃?どこに?」
「朝潮の代わりに大潮たちと哨戒だ。」
「哨戒くらい三人でもいいじゃない。なんで私まで……。」
哨戒も大切な任務ですよ?嫌がっちゃいけません。
「そうでもしないとお前、用もないのにここに入り浸るだろうが、気分転換に行ってこい。」
私が司令官に会えなくて悶々としてる時にそんな羨ましい事をしてたんですね……もうずっと出撃しててください。
「はいはい、わかりましたよーだ。」
神風さんが頭の後ろで手を組んで司令官に背を向ける、いくら仲がいいとは言っても不敬すぎないかしら。
「あ、今日の晩御飯何がいい?」
頭だけ振り向いて司令官に尋ねる神風さん。
晩御飯まで作ってるのか、私もお料理の勉強しようかな……。
「……なんでもいい。」
「またそれ?なんでもいいが一番困るんだけどなぁ。」
親子どころか完全に夫婦の会話じゃないですか、入り込む隙間が皆無だわ……。
「朝潮、さっそくで悪いが頼んでいいか?」
退室した神風さんと司令官の会話の睦まじさにモヤモヤしていると、司令官に呼ばれた。
本格的に秘書艦開始ね!待ってました!
「はい!お任せください!」
私は執務机の前に移動し要件を伺う。
嫉妬するのは後にしよう、今はとにかく仕事を覚えないと。
「しばらくはお使いがほとんどだと思うが、頑張ってくれ。書類の処理の仕方も追々教えていく。」
「了解しました!」
そんな感じで、お昼まであっちこっちに書類を届けたり司令官にお茶を煎れたりしながら過ごし、『先に食べておいで』と言う司令官のご厚意に甘え、お昼ご飯を食べて執務室に戻るとソファーで舟を漕いでいる司令官を見つけた。
「司令官?」
起こした方がいいのかしら……でも昨日寝てないみたいだし……。
ポト……。
司令官の帽子がソファーの前のテーブルに落ちた、あのままじゃテーブルに頭をぶつけちゃいそうね。
私はそばまで移動し隣に腰かけ、司令官を背もたれにもたれ掛けさせようと触れた瞬間、司令官がこちらに倒れて来た。
「し、司令官……!」
危ない危ない、もう少しで大声を上げてしまうところだった。
だって司令官が前のめりになりかけてた事もあって、丁度頭が私の太もも辺りに降って来ちゃったんだもの。
起きる気配はないわね……どうしよう、机を見る限り執務はほとんど終わってるみたいだけど。
「でも司令官に膝枕をしてあげれる機会なんてコレを逃したらもうないかも……。」
それに少ししたら起きるわよね、それまではこの状況を堪能させてもらおう!
・・・・・・
・・・・・
・・・・
・・・
と思ったのがかれこれ二時間ほど前、司令官は今も私の膝の上で静かに寝息を立てています。
「よっぽどお疲れだったんですね……。」
私は司令官の白髪交じりの頭を撫でながら呟く、司令官が昨夜寝てない事に感謝しなきゃ、じゃないと司令官の寝顔を見る機会なんていつ来るかわからなかったもの。
コンコン!
執務室のドアがノックされる、神風さんじゃないわよね?あの人はノックなんてしないし。
「失礼します。提督殿、この書類なのですが……。」
この人はたしか少佐さん?執務室に司令官が居ないのを少し訝しんで周囲を見渡し、ソファーの私たちを見つけて意外そうな顔をした。
「これは……珍しい物を見たな……。」
「あ、あの……司令官は昨日眠れなかったみたいで……それで……。」
まずいかな、部下にこうゆう所を見られたら司令官の威厳が損なわれちゃうんじゃ……。
「いや、いいよ朝潮。そのまま寝かせてあげてくれ、見なかったことにするから。」
少佐さんが慈しむように司令官を見つめる。
「朝潮、この書類を提督殿が起きたら渡しておいてくれないか?廊下で会って受け取ったとでも言っておいてくれ。」
「はい、お預かりします。」
私は少佐さんから書類を受け取り、内容が見えないように裏面を上にしてテーブルに置いた。
「あの……。」
「ん?どうした?」
「先ほど珍しいもの見たと仰いましたが、どうゆう事ですか?」
司令官だって睡眠はとるだろうし、別に珍しい事とは思えないんですが。
「提督殿は眠りが浅いんだ。普段の提督殿ならノックの音どころか、自分が歩いてくる廊下の足音で飛び起きてたと思うよ。」
じゃあどうして今も寝たままなんだろう?声を潜めているとは言え、そんなに音に敏感なら起きてもいいような気がするけど。
「自分が珍しいと言ったのは提督殿が熟睡してる事さ、よっぽど朝潮の膝枕は寝心地がいいんだろうな。」
少し意地悪な笑い方で少佐さんが茶化す、私がここに戻った時にはすでに寝ていたんですが……。
「今渡した書類以外は終わってるみたいだな、すまないが起きるまでそうしててあげてくれないか?任務報告とかは自分と由良で処理しておくから。」
「はい、わかりました。」
机を一瞥して少佐さんが執務室を後にする、初めてまともにお話したけどいい人そうね。
「私の膝枕はそんなに気持ちいいですか?司令官が望まれるならいつでもしてあげますよ?」
再び司令官に視線を落とし、そう呟いてみる。
我ながらなんと恥ずかしいセリフを……顔の火照っていくのがわかるわ。
「う……う……ん……。」
司令官の顔が苦しそうに歪む、夢でも見てるのかしら?でもこの様子だといい夢じゃなさそう……。
「……ま……い……。」
寝言?どんな夢を見ているのかしら。
「す……ま……ない……。」
すまない?誰かに謝ってる?いったい誰に?
「俺は……お前たちを……。」
途切れ途切れだった寝言が次第にハッキリとしたものになっていく、お前たちとは誰を指してるんだろう。
「許してくれ……許して……。」
司令官の眼尻に浮かぶ涙を見て胸が締め付けられるような感覚になる。
「何を……許してほしいんですか?」
司令官の頭を撫でながら聞いてみる。
「俺の命令で……お前たちを死なせてしまった……。」
そうか、司令官は部下に対して謝っているのね……自分が下した命令で戦死していった部下に……。
「大丈夫ですよ……誰も貴方を恨んでなんかいません……。」
本当にそうなのかなんてわからない、だけどこの人の苦しみが少しでも和らぐのなら嘘くらいいくらでもついてあげます。
「辛かったですよね……貴方は部下を大切にする人だから……。」
ここの艦娘や私兵の人達を見てたらわかります、みんな貴方の事を尊敬してますし大好きです。
「貴方は偉いですね、こんなに苦しんでいるのにおくびにも出さず毅然として。」
自分の命令で人が死んでいく、私には想像もできません。
でも貴方はその苦しみに耐え続けて来た、その苦しみがいつまで続くかもわからないのに……。
「私が代わってあげれればいいのに……。」
この人の心の傷を癒すと誓ったのに私はまだ何もできていない、窮奇も討ち損じた。
「貴方のお役に立ちたい……貴方の支えになりたい……。」
貴方とずっと一緒に居たい……。
だけど方法がわからない、窮奇を討ち取れば少しは傷も塞がるかもしれない。
でもその後は?きっと深海棲艦を根絶してもこの人の心の傷は癒えない、なんとなくだけどそう思えてしまう。
「私は……どうしたらいいですか?」
聞いても答えが返ってくるなんて思ってない、だけど口に出さずにいられなかった。
「そばに……居てくれ……。」
「え……?」
起きてる?いや、寝息は規則正しく続いている、寝言なのは間違いないけど……。
「私で……いいんですか?」
私に対して言ったんじゃないかもしれない、答えもきっと返ってこない。
それでも、私を選んでほしいという浅ましい欲望が口を突いて出てしまった。
司令官の事を思っているようで、結局は自分の欲望を優先するなんて……。
「嫌な女ですね……私って……。」
自己嫌悪でどうにかなってしまいそうだわ。
けど、私がそば居ることで貴方が癒されるなら私は貴女のそばに居続けます。
「私は……朝潮はいつまでも貴方のそばに居ます。私は貴方の剣で、貴方は私の鞘なんですから……。」
司令官の涙を指で拭い、私は慈しむように頭を撫で続けた。
貴方を悲しませたりしません、貴方の悲しむ顔を見ると私まで悲しくなってしまいますから。
貴方と一緒に歩みたい、どんな苦難に満ちた道でも、貴方となら乗り越えられる気がするから
貴方と一緒に笑いたい、貴方の笑顔を見ると私も嬉しくなるから。
こんな欲望まみれの私ですけど、末永くお仕えさせてください。
貴方に要らないと言われるその日まで……。
「私は貴方に、全てを捧げます……。」
私は最後にそう一言だけ呟いた。