私は憲兵である。
名前はあるが名乗る気はない。
憲兵とは陸軍大臣の元で運営される治安維持組織で、同大臣の管轄に属しながらも、憲兵制度がない海軍の軍事警察、行政警察、司法警察にも対応する。
要は軍隊のお巡りさんだ、艦娘が可憐な乙女ばかりな事もあってよからぬ事を企てる奴は後を絶たない。
他所の鎮守府では提督自ら艦娘に対して卑猥な行為を行うとか……。
私の管轄が横須賀でよかった、品行方正にして清廉潔白なここの提督殿ならそんな不祥事はまず起こさないだろう。
なにせ元が陸軍でも指折りの軍人だ。
艦娘がいなければ英雄と呼ばれていたのは彼だったかもしれない。
彼と彼が率いる部隊の武勇伝は憲兵隊でも有名だ。
曰く、彼の部隊は竹槍を主兵装としていた。
曰く、日本刀で上陸した深海棲艦を真っ二つにした。
曰く、補給なしで半年間戦線を維持し続けた。
と言った感じで、若干誇張はされているだろうが語り出したらキリがない。
たしか陸軍時代の異名は『周防の狂人』だったか。憲兵隊にも彼を慕う者が少なからずいる、私もその一人だ。
「隊長、てるてる坊主300個の納品が完了しましたがどこに運びましょう。」
「写真を添えねばならない、そこに置いておいてくれ。」
提督殿から提案された『てるてる坊主販売任務』、一般人はもちろん鎮守府の関係者すら買いに来るコレの売り上げはすべて艦娘達の慰労に当てられる。
この任務を提案された時はさすがに気が触れたかと思ったが、理由を聞いてなるほどと思ったものだ。
『コレを買いに来る奴はかなりの確率で変態だ。君たち憲兵が直接販売して買いに来る危険人物をマークしておいてほしい。』
さすが提督殿だ。こちらから餌を撒き、危険人物たちを誘い出しマークしておけば艦娘への被害を未然に防げる。
さらに艦娘の慰労資金も稼げて一石二鳥だ。
「今回制作した駆逐隊は第八駆逐隊だったな?」
「はい。先ほど大潮殿達が納品に来られました。」
提督殿直属の第八駆逐隊か、真面目な彼女達らしい丁寧な仕事だ。
元が5個パック100円の特売品のティッシュとは思えない。
「た、大変です隊長!一大事です!」
「どうした?」
二人いる隊員の内の一人、仮に隊員Aとしようか、が緊急事態を知らせて来る。
「先ほど納品に来た荒潮殿の制服はスカートにフリルが追加されていました!ここにある朝潮型の制服にはフリルが付いていません!」
「なんだと!?」
迂闊だった、てるてる坊主に添付するブロマイドはすべて私のコスプレだ。
当然、私に艦娘の制服が支給されるはずはないから自作するしかない。
朝潮型の制服もそうだ、通常の制服と改二の制服の制作が完了したことに安堵して改造されている可能性を失念していた。
「急いで買って来い!販売は今日の昼一だ!急げばまだ間に合う!」
「りょ、了解しました!」
これでフリルはどうにかなる、今のうちに荒潮殿以外の三人に扮して撮影を……。
「た、隊長……、それ……。」
どうした隊員B、他に問題はないはずだ、なぜ私を指さして震えている?私の足に何かついているのか?
「こ、これは!」
私は自分の足を見て愕然とした、何たる慢心!私としたことがすね毛の処理を忘れていた!
私は顔立ちが中性的な事もあり、てるてる坊主に添付するブロマイドの被写体を一手に引き受けている。
その私がムダ毛処理を怠るとは!スキンケアに注力しすぎたのが原因か!
いや、言い訳をしている場合ではない、今すぐこの醜いスネ毛をどうにかしないと……。
「隊長……ここにガムテープがあります……。」
ガムテープ?それをどうすると言うのだ、まさか貼り付けてべりッと一気に剥がすのではないだろうな!
「隊長……ご決断を……。」
やるしかないのか?せめて風呂に入って肌を柔らかくし、シェービングローションを塗って剃る時間はないのか?
「撮影と着替え、現像の時間を考えると時間が足りません……。」
私の表情を見て心情を察した隊員Bが私の退路を塞ぐ。
やるしか……ない!
「わかった……それでいこう……。」
「隊長の犠牲は無駄にはしません!」
隊員Bが私のスネにこれでもかとガムテープを貼りまくる、この先に待つのは地獄だ。
私は地獄の苦しみに耐えねばならない。
「お覚悟は……よろしいですか?」
斬首される時はこうゆう気分なのだろうか、隊員Bが持つテープの端を引き下ろせば私のスネに激痛が走るだろう。
「ああ、一思いにやってくれ。」
私は覚悟を決め目を瞑る、まだか?やるなら早くしてくれ!焦らさないでくれ!
「行きます!」
ベリベリベリベリ~~!
「うぬああああああああ!!!」
なんという痛みだ!毛がプチプチと抜けるのではない!ブチブチ言ってる!皮膚ごと剥がされてるんじゃないかと錯覚してしまうほどの痛みだ!
「はあ……はあ……だがこれで……。」
「いえ……まだです隊長、もう片方残っています……。」
なん……だと?もう片方?もう一度あの痛みに耐えろと言うのか?鬼か貴様!
「では失礼して。」
おい、そんな黙々とテープを張るな。
心の準備くらいさせてくれないか?
「よっと!」
ベリベリベリベリ~~!
「んあああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
雑!最初と違って二回目が雑過ぎる!いきなりはダメだろ!痛いんだぞコレ、貴様にもやってやろうか!
「ふう……ふう……。だが今度こそ大丈夫だ……。さあ着替えを……。」
「隊長……残念なお知らせがあります……。」
今度はなんだ?もうムダ毛はないぞ?私は腿まで毛は生えてないからこれでいいはずだ。
「朝潮型の制服は……ソックスでスネが隠れます……。」
なぜもっと早く言わない!もう剥いじゃったじゃない!ベリッてやっちゃったじゃん!
「それに加え、荒潮殿はタイツであります……くぅ!」
くぅ!じゃないよ!なんで無念です風なポーズしてるの!?無念なのは私だよ!無駄に痛い思いしたんだぞ!?
「あ、時間押してるんで早く着替えてください。満潮殿からでいいですよね?」
ワザとか!?貴様ワザとやってないか!?
「は~い笑って~。あ、それじゃ満潮殿に見えないですね。もうちょっと手で顔隠して……。そうそう、その感じです。いや~キモイですね~。」
おい、貴様今キモイと言ったか?私のコスプレをキモイと言ったか貴様!濡れ衣をきせて投獄してやろうか!
「はいオッケーでーす。次は改二制服ですね。これはカツラ変えるだけだから楽でいいですね。」
「待て待て、まだフリルが届いていないだろう。」
朝潮殿と大潮殿はそれでいいかもしないが荒潮殿はそうはいかない。
買いに来る変態共は騙せるだろうが私の美学が許さないのだ、やるからには徹底的にやる!
「あ、全部バストアップで撮ってるんで大丈夫です。」
なら問題な……いやあるわ!それなら無理にスネ毛を処理しなくてもよかったではないか!
「隊長のクオリティに対する情熱はよくわかります。ですがわかってください!全身を写すと駆逐艦に見えないんです!」
だ、だからバストアップか、確かに私の身長は平均より低いとは言っても160は超えている。
こんな身長では駆逐艦に見えるはずもないか……。
「じゃあそうゆう事なんで、残り3枚ちゃっちゃと撮っちゃいましょう。」
実は貴様、面倒だからさっさと終わらせたいだけではないのか?
「はいお疲れ様でした。それでは現像してきますので、隊長は適当に散歩でもするなりしててください。」
なんか私の扱いが酷くないか?これでも憲兵隊の隊長だぞ?朝潮殿のコスプレをした状態では説得力はないかもしれないが。
「あ、散歩するならちゃんと着替えて出てくださいよ。」
わかってるよ!さすがにこの格好で歩き回ったりせんわ!
まったく、上官に対する敬意が足りないのではないか?このコスプレだって好きでやっているのではない。
全ては鎮守府の秩序を守るためだ、そのために徹夜までして各艦娘の制服を縫い、スキンケアに気を使い化粧まで覚えたのだ。
よりクオリティを上げるために年に二度ほど某所で行われているイベントにも参加している。
最近は艤装まで自作してくるレイヤーもいて感心させられる、私も負けてはいられないな。
さて、散歩と言ってしまうと体裁が悪いので見廻りと言う事にしておこうか。
おっと寮の方から歩いてくるのは雷殿と潮殿ではないか、珍しい組み合わせだな。
「あ、憲兵さん。こんにちは。」
「こ、こんにちは……。」
「はい、こんにちは。」
この二人、実は我々の要監視対象の艦娘だ。
雷殿は通称『ダメ男製造器』と呼ばれ彼女に褒められたり慰められた男共は全て堕落していく。
ある者はギャンブルに走り、またある者は仕事を失敗しても開き直るようになってしまう。
『だってママが良いって言ったんだ!』とは彼女の被害に遭った者達の弁である。
何がママだ!駆逐艦に母性を求めるんじゃない!
そして潮殿は通称『魔性の潮』。普段は若干猫背ぎ気味のため目立たたないが駆逐艦とは思えぬほど自己主張の激しいおっぱ……胸部装甲を持っており、その豊満な胸部装甲はまるで誘蛾灯のように変態どもを引き寄せる。
性格は戦艦並の胸部装甲とは反比例するかのように大人しく、その大人しさに付け込もうとする不届き者も後を絶たない。
実際、私も長時間見ていると理性を保つのが難しい……。
「憲兵さんどうしたの?」
「……。」
おっといかん、つい蠱惑的な潮っパイに目が行ってしまった。
思っていないぞ?あのたわわな潮っパイを両手で弄んでみたいなどとは決して思っていない!
なぜなら私は憲兵だから!
「申し訳ない。ちょっと考え事をしていただけです。ご心配には及びません。」
「大丈夫?疲れてるんじゃない?無理しちゃダメよ?」
はいママ。
じゃない!これが彼女の力か!
包容力の塊で出来ているような瞳で上目遣いをされ、あどけなさの残る声で『無理しちゃダメ』と言われたら並の男はすぐさま彼女に抱き着いてしまうだろう。
だが私は憲兵だ!この程度の誘惑には負けん!
秩序の守護者たる私が屈してしまえばこの鎮守府はお終いなのだ!
「本当に大丈夫ですよ。では、私はこれで。」
ふう、危なかった。
訝しむ二人の元を後にして私は見回りを再開、監視を強化せねば。
無意識にやっているのだろうが、あの二人は危険すぎる。
この私でさえ誘惑に負けそうになったのだからな。
ん?あそこに居る赤い着物の子はたしか神風殿だな。
提督殿の養女で現存する艦娘で最も古いとか。
「こんにちは神風殿。」
「……。」
どうしたのだろう?いつもは愛想よく挨拶を返してくれるのに今日は無言だ。
しかも私をまるで虫を見るかのような目で見ている。
「ああ、憲兵か。こんにちは。」
やはりおかしい、前はさん付けで呼んでくれてたはずなのに……。
そうか!彼女は問題行動が多い事で有名だ、きっと悪さをして他の憲兵に叱られたのだろう。
だから私を警戒しているのだ。
ん?警戒どころかジリジリと遠ざかってるな。安心しなさい、何も悪い事をしていないのなら私は何も言いませんよ?
「神風殿。なぜ遠ざかってるのですか?」
「い、いや……だって変態だし……。」
変態!?私が!?いや、そんなはずはない。
私のような模範的な憲兵はそうそういないのだ、だとすると私の後ろか!
「誰もいない……。」
バッと振り返ってみたがそこには誰もいなかった、さては逃げたな。
逃げ足の速い奴め、おそらく神風殿をストーキングでもしていたのだろう。
見回りを強化しなくては、鎮守府内に駆逐艦をストーキングしてる奴がいるなど看過できん!
「ご安心ください神風殿、ストーカーはどこかに逃げたようです。」
再び神風殿に対すると、彼女は『何言ってんだコイツ。怖!』みたいな顔で私を見ていた。
「神風殿?」
「ひいっ!」
ひいっ?なぜ怯えるのですか?それではまるで私が貴女に何かしようとしてるみたいじゃないですか。
「わ、私用事があるから!じゃ、じゃあね!」
ダッ!と言う効果音が聞こえてきそうな勢いで走り去ってしまったな。
廊下は走ってはいけませんよ?
しかし神風殿のあの怯えようは尋常ではなかった……やはり彼女をストーキングしていた変態がまだ近くに!?
周りを見渡してみるがやはり居ない……よほど姿を隠すのが上手いのか、それとも恐ろしく足が速いのか。
どちらにせよ見回りの強化は必須だな。
おっといかん、そろそろてるてる坊主を販売する時間だ。
彼女たちの慰労資金のため、そして鎮守府の秩序を守るためにも真剣に事に当たらなければ。
私は憲兵である。
艦娘達の安全を守るためならコスプレさえも厭わない。
鎮守府の秩序を守るためなら鬼にもなろう。
私が居る限り、鎮守府の平穏を乱させはしない。