先生と長門の死闘で浴場が半壊した日の夜、私は頭に包帯を巻いた長門と一緒に居酒屋鳳翔に訪れていた。
あれだけ激怒した先生は久しぶりに見たわ。私たちが駆けつけた時にはすでに浴場は半壊、先生と長門は戦場を外に移し朝潮は廊下の隅で暴漢に襲われたかのようにに身を縮めて震えていた。
「よく生きてたわね、先生ったら本気だったでしょ。」
「ああ、さすが提督だ。艤装を背負ってなかったら何度首を刎ねられていたかわからん。」
陸上でも戦艦クラスならそれなりの装甲は張れるもんね、その長門相手と互角以上に渡り合う先生はやっぱバケモノだわ。
「陸上で弱体化してたとは言え生身でバケモノ共と殺し合ってた人よ?貴女程度がどうこう出来る訳ないじゃない。」
「身をもって思い知ったよ。まさか刀で装甲を削られるとは……。」
「先生曰く、気合いでどうにでもなるらしいわよ?」
「そんなバカな。」
信じられないのはわかるけど実際にやっちゃってるからなぁ……。
「神風も似たような事をするよな?」
「私のは干渉力場を刀身に張ってるだけよ。先生のとは別物。」
艦娘が砲弾などに付与する装甲への干渉力場、通称『弾』は装甲や脚以上に応用が利きやすい。
その気になれば拳に纏わせて直接殴ることも可能だ。
あまり意味はないけど。
「駆逐艦とは器用なものだな、感心するよ。」
「貴女たちみたいな上位艦種と違って元のスペックが知れてるからね、使えるものは何でも使わないと生き残れなかったの。」
トビウオを始めとした私の技はすべて生き残るために編み出したものだ
本来なら技と呼ぶのもおこがましいわね、力のない私がそれでも敵を倒して生き残るために考え出した苦肉の策だもの。
「稲妻と言ったか?朝潮が最後にやった技。アレには驚かされた。トビウオとは別物なのか?」
「トビウオと水切りの合わせ技よ、燃料の消費はトビウオの半分。水切り程じゃないけど機動性も高い。」
合わせ技とは言っても、簡単に言えば片足でトビウオをしてるだけなんだけどね。
「良いことづくめじゃないか、なぜソレを真っ先に教えてやらなかったんだ?」
「自動車でさ、ウィリーするのと片輪走行するのどっちが難しい?」
「ん?自動車は運転したことがないが……。片輪じゃないか?」
極端な例えだけど、素人でも急に速度を上げれば一瞬だけでもウィリーみたいな事は出来る。
トビウオも脚の再発生さえミスらなければ体の動きがデタラメでも飛ぶことが出来るのと同じだ。
だけど稲妻は違う、体のバランスを崩せば即座に転倒するし、場合によっては飛んでる最中に再度別方向に飛んだりする稲妻の力場操作の難易度はトビウオの比ではない。
トビウオが出来る程度の力場操作では一回目もまともに飛べずに転倒するだろう。
「そうよ、それ位難易度に差があるの。それに体に掛かる負担はトビウオ以上と言っていいわね。両足で負担を受け止めるトビウオと違って、同程度の負担を片足だけで受け止めないといけないから下手したら足が折れかねないわ。」
さらに飛べる距離はトビウオより短く、水切り程小回りも利かない。
まあこの欠点は長門には教えてやらないけど。
「なるほど、お前の技には何かしら欠陥があるんだな。」
「うるさい、その欠陥技で背後を取られたのはどこの戦艦でしたっけ?」
「う……。」
バカが欲情して突っ込んでいたとは言え、さすがにアレは予想外だった。
モノマネしか出来ないと思ってたのに思いつきで稲妻を創作するとは……。
「天才って本当にいるのねぇ……。」
「ん?私の事か?」
貴女は天才じゃなくて駆逐艦限定の天災、怯えきった朝潮が目に入らなかったの?
「黙れゴリラ、その口縫い付けるわよ。」
「またゴリラと言ったな!私だって女だ!多少は傷つくんだぞ!」
「本当に?脳みそまで筋肉でできてそうな貴女が?」
「はいはい落ち着いて二人とも、ここでのケンカはご法度ですよ。」
厨房から注文していたお酒を持って鳳翔さんが出て来た。
「しかしだな鳳翔、こいつの暴言は酷すぎる!」
『さん』を付けろデコ助野郎、先生ですらプライベートではさん付けなのよ?
任務中以外はさん付けで呼ぶのは横須賀の暗黙の了解でしょうが。
「まあまあ、神風さんがここで気兼ねなく話せるのは長門さんくらいなんですから。」
いや、別に誰に対しても気兼ねなんてしてないけど。
「他の者から避けられてるだけではないのか?すぐ暴れるし口は悪いし。」
「へぇ?泣き虫長門が言うようになったわね、艦娘になりたての頃は自分の主砲の音にさえビビって腰抜かしてたのに。」
「それはきっと私ではない。」
そっぽ向いて誤魔化しやがった、まあ貴女からしたら消し去りたい過去よね。
昔の貴女を知ってたら、横須賀の守護神って言われてる今が不思議でしょうがないわ。
「でも可愛いものはいまだに大好きですよね。」
「可愛い物って言うより駆逐艦でしょ?よく憲兵さんに捕まらないわね。」
この間発覚した憲兵さんの問題行動は一部の者のはずだ、ほとんどの憲兵さんはまともなはず……。
「捕まるような事はしていない。私は駆逐艦を愛でているだけだ!」
朝潮に欲情して先生を激怒させたのはどこのどなたでしたっけ?憲兵さんに見られてたらしょっ引かれてたんじゃない?
「ん?神風が頼んだのはアジの塩焼きか?食堂でよく出るだろ。」
話を逸らすな、実は捕まりそうな事してる自覚あるんじゃない?
「先生のご飯も作らなきゃいけないから食堂で晩御飯を食べる機会があまりないのよ。それに、先生に魚出すと骨取ってあげなきゃいけないからあんまり作りたくないの。」
「まるで母親だな……。実は提督のお母さんだったりしないか?」
私まだ21よ?そんな歳であんなでかい子供はごめんだわ。
「でも提督もたまに塩焼き注文しますけど、骨は自分で取ってますよ?」
「それホント?」
あれ?じゃあなんで私に取らそうとするんだろ。
「ええ、器用に取ってますよ?見本みたいな魚の食べ方をしますね。」
「あのクソ親父、きっと面倒だから私に取らせるのね。二度と取ってやらないんだから。」
骨を自分で取れる言質は取ったんだから、次魚を私に寄越して来たら突き返してやる。
「神風に甘えたいんじゃないか?」
は?いやいや勘弁してよ、それじゃ本当にただの子供じゃない……。
「あ~それはあるかもしれませんね。提督さんなりに甘えてるつもりなんですよ。」
「や、やめてよ。あんなオッサンに甘えられても嬉しくないわ!」
「いつも提督に甘えて好き放題してるんだ、それくらいは許してやってもいいんじゃないか?」
「別に甘えてないし。私の性格は先生だって知ってるんだから、呼び戻した以上は覚悟してもらわないと。」
まあ呼び戻されたと言っても、呼び戻されるのと私が日本に戻ったタイミングが丁度重なっただけで……。
目的は達成したからどっちみち戻る気だったけど。
「駆逐古姫でしたよね?神風さんが東南アジアまで追って行ったのは。」
「倒すまで4年もかかっちゃったけどね。まあ他にも色々やってたし。」
それが甘えてるって事?たしかに駆逐艦とはいえ4年も鎮守府から離れられたし、泊地の司令に話をつけてもらったおかげで好き勝手できた。
「可愛い子には旅をさせろと言いますし、提督はそのつもりで神風さんを送り出したんじゃないですか?」
戦闘漬けだったけどね、随分と血生臭い旅だこと。
「その可愛い子の扱いが酷いと思うんだけど?ほとんど小間使いよ?」
「きっと提督なりの愛情表現ですよ。神風さんが鎮守府を去ってしばらくは落ち込んでたんですよ?」
うっそだ~。
朝潮が居たじゃない、むしろ邪魔者が消えたと喜んでたんじゃない?
「先代の朝潮にベッタリじゃなかったか?憲兵に捕まるんじゃないかとヒヤヒヤした覚えがあるんだが。」
ほら見なさい、鳳翔さんは先生を色眼鏡で見過ぎなのよ。
「そんな事ありません。ここに一人で来られた時は寂しそうにお酒を飲んでましたよ?」
「先生のお酒の飲み方はいつもそんな感じでしょ?浴びるような飲み方はあまり好きじゃないし。」
そんなだから祝勝会とかの催し物にも顔出し程度しか来ないしね。
「それはそうですけど……。」
「提督の飲み方と言えば、前に鳳翔に聞いたんだがツマミなしじゃ飲まないんだって?」
だから『さん』をつけろゴリラ、張っ倒すわよ。
「そういえばそうですね。別に珍しいことではないですけど。自分ルールと言ってましたっけ。」
昔、奥さんに『お酒だけじゃ体に毒ですから何か食べながら飲んで。』って言われたかららしいわよ。
教えないけど。
「神風は知ってるのか?」
「知らない。鳳翔さんの言う通りただの自分ルールでしょ。」
「ふむ、横須賀鎮守府七不思議がまた一つ増えたな。」
別に七不思議に加えるほどじゃないでしょ!学校の怪談か!七つ全部知ったら死んじゃうんじゃないでしょうね。
「ちなみに他の六つは?」
「噂してるのは主に駆逐艦なんだが……。中庭に出る提督そっくりで方言を喋るヤクザの霊。深夜に赤い着物の子供を連れて歩く提督そっくりの侍。夜の執務室に揺らめく赤い人玉。駆逐艦が一人で歩いているといつの間にか後ろに立っている黒髪の鬼。厨房で出撃したいと呟きながら芋を剥く空母の霊。最近ではお尻に殴られた痣がある駆逐艦の霊だな。」
面倒くさ!ツッコミどころが多すぎて面倒くさすぎる!
最後のは知らないけど、ここに不思議の発生源と思われる人物が3人いるんだけど!?
最初の三つは間違いなく先生だし!赤い着物の子って私よね!?私をお手洗いに連れて行ってる時よね!?ってか仕事終わりに執務室で喫煙してたわねあの親父!
それに四つ目は間違いなく長門だし、五つ目は鳳翔さんよね!?
「……。」
ほら!鳳翔さんったらバツが悪そうに眼逸らしてるじゃない!夜の厨房でボソボソ言いながら芋剥いてりゃ幽霊扱いもされるわ!
「これが事実だとしたら四つ目の駆逐艦の後ろを付きまとう鬼はどうにかしないとな。万が一の事があったら大変だ!」
だから四つ目は貴女!自覚ないの!?その頭の艤装が鬼の角に見えるのよ!
「でも六つ目が謎ですね。私もそれは初めて聞きました。」
「最近って言ってたわよね?いつ頃から広まったの?」
「たしか……今年の3月くらいだったか?子供のお尻に痣がつくほど殴るとは……。酷い親もいたものだ。」
今年の3月頃……。朝潮が着任したのがその頃じゃなかったっけ。
「あ~なるほど……。」
鳳翔さんが何かに気づいたみたい、手の平にポンと拳を落としてる。
おそらく霊の正体は朝潮ね、でもお尻の痣はなんなんだろう……。
「鳳翔さんわかる?」
霊の正体が朝潮だと気づいてるのを前提で聞いてみる。
この人はお尻の痣の正体にも気づいてるはずだ。
「言えません。彼女の尊厳を守るために。」
尊厳を守る?お尻の痣は恥とでも言うのかしら。
お尻にあると恥になる痣とは何?
考えろ、自分だったらどうだ?どんな痣がお尻に残ってたら恥ずかしい?
ん?残ってたら……?
「あ!蒙古斑か!」
「ちょ!神風さん!」
「ん?蒙古斑がどうした?」
そうか、あの子お尻に蒙古斑が残ってたのね!
どうして噂にまでなったかはわからないけど、おそらく真相はこうだ。
満潮たちは蒙古斑の事を知ってるはずだから人がいない時間を見計らって一緒に入浴していたはず。
きっと何度かからかわれたはずね、それをたまたま外で聞いていた子が『蒙古斑がお尻に残ってる駆逐艦が居るらしい』と世間話程度の感覚で話す。
あとは簡単ね、蒙古斑が『殴られた痣』にすり替わり朝潮は幽霊にされた。
『お尻に殴られた痣がある駆逐艦の霊』の出来上がりだ。
「神風は蒙古斑が残ってるのか?いい歳して。」
「私じゃないわよ!朝……むぐ……。」
「ダメよ神風さん。それ以上はダメ、絶対。」
危ない危ない、鳳翔さんに口を塞がれなければ言ってしまうところだった。
別に言ってもよかったけど。
でも、七不思議って言っても真相はこんな物か。
たしか『七不思議を全部知ると死ぬ』って言う話自体が七つ目の不思議って話があったわね……。
あれ?じゃあ私全部知っちゃってない?しかも真相まで!
「たぶん、大丈夫と思いますよ……。」
私の表情から察したのか鳳翔さんがフォローを入れて来る。
ですよねー、こんなアホな事で死ぬなんて嫌すぎるわ。
なんで目を逸らしたままなの?ねえ、大丈夫なのよね!?
「しかしどれも恐ろしい噂だ、一度調査してみるか……。」
黙れ四つ目!神妙な顔して考え込むんじゃない!貴女のせいで変な不安を抱え込んじゃったじゃない!
恨むからね!今日は先生の帰り遅いんだから!
・・・・・・
・・・・・
・・・・
次の日の朝、食堂は久しぶりに出た『赤い着物の子供を連れて歩く侍』の話題で持ちきりになったらしい……。
わ、私じゃないし……。