太郎と姫子は京の都を離れ、白石の泉に向かった。その泉こそが鬼ヶ島に行く入口なのだ。姫子と会って以来、りんごには気にかかっていたことがある。姫子は自分を見たとたんに『やまと』と呼び、自分は何の疑いもなく『姫様』と呼んだ。どうしてだろう。京を出た翌日、空き家を見つけて疲れを癒すことにした。
太郎は川に魚を。姫子は山に山菜を取りに行った。りんごはその姫子の護衛だ。
「いつ食糧を手に入れられるか分からないからね。保存できるものは一杯取っておきましょう。あ、やま…じゃなくりんご。この茸はどう?」
りんごには毒か安全か茸を判別できる嗅覚があった。
「大丈夫です姫様」
あ、と思うりんご。自然に口から姫と出てしまう。そして姫子も自然に受ける。姫子は安全の太鼓判を押された茸を嬉しそうにカゴに入れる。
「あの…」
「え?」
「やまとと云う名前は何でしょうか」
「うん、言っておいたほうがいいわね」
「はい」
「かつて竜を封じる戦いに私、龍の宮の乙姫は挑みました。その時、三つの種族の戦士が私を助けてくれたのです」
「三つの種族」
「そう、犬の一族やまと、猿の一族ひよし、鳥の一族らみあ」
「やまと、ひよし、らみあ」
「ごめんね、りんごがやまとにあまりに似ていたから、ついその名前で。やまとはやまと。りんごはりんごなのに」
「そ、そんなに似ているのですか」
「いえ、似ていると云うよりそのものと言っていいわ。きっとりんごはやまとの末裔なのね。やまとも普通に人の言葉を話していたし、そして…」
「え?」
「こうして茸の毒か安全かを匂いで分かるところも同じよ」
「姫様…」
「ひよしの末裔は知らないけれど、らみあの末裔は白石の泉で私たちを待っているはずです」
りんごは素直に嬉しかった。自分に乙姫を助けた先祖の血が流れていることに。自分が竜と戦うに選ばれたのは先祖より受け継いだ戦士の血なのだ。
「私も先祖同様、命をかけて姫様をお守りいたします」
「ありがとう、りんご」
十分な収穫を得て、姫子とりんごは下山した。空き家の庭先で太郎が火を熾して待っていた。
「大漁だ。見ろ」
「まあいっぱい!急ぎ料理しましょう」
大漁と言っても太郎は大食漢。一匹どころか魚の骨も残らない。姫子やりんごは一匹と少しの野菜で大丈夫だが。
「いつ見てもよく食べるわね、太郎」
「腹が減っては戦は出来ない!」
「まあ、難しい言葉も覚えて。うふふ」
「こう見えても、姫子さんがいない時は小食だったのですよ」
「え?ホント?」
「そ、そんなことないよ!りんご変なこと言うなよ!」
久しぶりの楽しい夕餉も終えて、改めて旅の行く先を話し合う。姫子が第一の目的地を言った。
「白石の泉は奇怪々森にあるのよ」
「奇怪々森?ずいぶんと怪しい名前だな」
「うん、ちょっとした樹海ね」
「迷わないか?」
「その点は私がいますから」
「行ったことがあるの?りんご」
と、姫子。
「ございませんが東西南北を見失うことはないので」
「なるほど、それなら簡単に略図を描いていきながら歩けば迷わないわね」
「よし、ではその奇怪々森に向かおう。明日の早朝に出発だ。今日はもう寝よう」
「そうね」
◆ ◆ ◆
さて翌朝。太郎と姫子は奇怪々森に向かい出した。一日二日で着く場所ではない。途中、鬼とも遭遇したが太郎とりんごが力を合わせて撃退した。鬼を切る『鬼切り丸』は太郎の手になじんだ。元々大人顔負けの力持ちだったのに加えて実戦と云う経験が積まれ、太郎は強くなっていった。そして今日、四体目の鬼を倒した。
「ふう」
竹筒の水筒から水を飲む太郎。鬼の胸元に花を手向け合掌する姫子。
「竜に魂を取られなければ、ただの人だったのに。でも貴方を倒さなければ私たちが死んでしまったの。ごめんなさい…」
「もし、鬼ヶ島で魂を開放したら、おいらが今まで倒した鬼はどうなるのだろう。人として蘇えるのかな」
「どうだろう。『鬼切り丸』はまさに『鬼』を斬る刀。人としての体を斬るものではないと聞いたことがあるわ。魂さえ戻れば人間として元通りになる。そんな都合のいいことがあるのか分からないけど…」
「そうだな、それを願わずにはいられないよ」
太郎と姫子はそれから数日後に奇怪々森に到着した。
「本当にうっそうと茂っているね」
森の入口からその不気味さに圧倒される太郎。
「これで森の名前が『スッキリ爽快森』ならおいら怒ったな」
「大きくなっても冗談の素養はないわね」
「でへ」
そんなこんな言いながら森に入った一行。りんごが先導し、姫子が目立つ木々に目印をつけて簡略な絵図も描いて進む。こういう作業は太郎には絶対無理。しばらく進むと『こーん、こーん』と云う声が聞こえてきた。
「どうやら先に狐がいるようですね」
その子狐のいる木の下を通りかかった一行。太郎が足を止めた。
「何しているんだ、あの子狐」
子狐は木に生っている実を一生懸命取ろうとしていた。しかし子狐の跳躍力では無理。でもあきらめきれないようで飛ぶのを繰り返している。太郎が歩んで実をひとっ飛びで取った。
「こーん…」
実を横取りされたと悲しそうに太郎を見る子狐。生っていたのは葡萄である。
「ほら」
しかし子狐は太郎を警戒して近寄らない。刀も指しているし怖い。もう一つ押して差し出す太郎。
「ほら、食べたかったんだろう」
それでも太郎に近づかない子狐。
「仕方ないな、食べちゃうぞ」
大口開けてまとめて食べてやると云う素振りをすると
「こーん!!」
血相を変えて吼える子狐。
「冗談だよ、ほら」
葡萄を地面に置いて、そこから離れた太郎。子狐はサッと葡萄を取って一目散に逃げた。
「すばしっこいな、あいつ」
「ははは、太郎さんが都でお化けを見たときもあんな逃げっぷりでしたよ」
「うるさいな、りんご!」
「うふ、さあ進みましょう」
再び進むと、さっきの子狐がまたいた。子狐の横に大きな狐がいる。
「お母さんかな」
「そうみたいね」
「何かおつうと同じにおいがする。きっと優しいお母さんだぞ」
母親狐は太郎に二つのどんぐりを差し出した。
「お礼のつもりかな」
「いえ、どうやら耳に入れろと言っています」
りんごには動物の言葉が分かる。まさに旅の仲間のとして頼りになることこのうえない犬だ。りんごの言葉どおり耳にどんぐりを入れた太郎と姫子。それを見ると母狐、
「こんにちは」
「ホントだ!狐さんの言うことが分かるぞ!」
何か感動している太郎。
「この子に葡萄を取って下されたようで。ありがとうございました」
子狐は照れくさそうにしていた。ちょうどいい、森の住民なら聞きたいことがある。
「おいらたちの言葉は分かるかな?」
頷く母狐。
「おいらたち、白石の泉を探しているんだけど」
「白石の泉?篠原の権太桜がその入口と『じゃのう』から聞いたことはありますが」
「『じゃのう』?」
「この森に住む謎の雀です」
「どこにいるの?」
と、姫子。
「それが…森の奥に住んでいるとしか知らないのです」
太郎は子狐にも訊ねた。
「ねえ、白石の泉ってところ知らない?」
「おいら知らない…。チュン太郎くんのお父さんなら」
「チュン太郎?」
「うん、おいらの雀の友達」
◆ ◆ ◆
狐親子の家を後にして、すずめの『じゃのう』を探すことにした太郎たち。しかしそろそろ日が暮れる。
「これ以上進むと、いかに方角を見失わないりんごがいても危ないわ。ここで野宿しよう」
姫子の言葉を聞いて改めて空の様子を見る太郎。
「そうしようか」
今までの道中、食べられそうな木の実や茸は取っておいた二人。大きな木を見つけてその下で野宿の準備をした。火を熾して、おばあさん直伝の山菜汁を作り出す姫子。
「しかし今日はいいもんをもらえたね。動物と話が出来る『不思議どんぐり』だ」
「本当、大切にしないとね」
山菜汁が出来てきた。
「うん、いい匂いだな」
『ほんとに美味そだなや』
「そうだろそうだろ、まだおばあちゃんには叶わないけど、姫子の作るのも…て、りんご変な訛りでしゃべるなよ」
「私は何も言っていませんよ」
「なんだ、気のせいか」
『おいオラに一口だけ食べさすだ』
「「……!?」」
ふと声のした方角を見た姫子は驚いた。
「キャアアアアッッ!!」
姫子の叫びに鳥たちが驚いて飛んでいった。太郎とりんごも声の主が分かった。
「こ、この大木、目とクチがある!!」
『「キャアアア」はないだ。オラは傷ついただ』
どうやら森の中で長く生きている樹木の精霊のようだ。襲ってくる様子はない。何より声は暖かい翁を思わせる。驚いたことを詫びた姫子は望むとおり、山菜汁を一口食べさせた。
『うめえ。一つ一つの素材が喧嘩せず持ち味を引き出しあい、汁の中で渾然一体となり奥深い味わいを出しているだ』
「……」
『オラは樹の精霊で『きい坊』と言うだ』
「これは丁寧に。私は姫子、彼は太郎、そしてりんごです」
『ところでオメたち、なしてオラの言葉が分かるだ?』
「それは先ほど、狐の親子に不思議などんぐりをもらったからです」
『そうだっただか。オメたちゃ狐のおつゆさんと知り合いだか』
「え、ええまあ…ところで、きい坊さん」
『きい坊でええだ。そんで?』
「『じゃのう』って云う雀を知っている?」
『知ってるべ。んだども…行かね~方がええだよ』
「どうして?」
『二度と帰ってこれなくなるだよ』
「でもおいらたちは行かなければならないだ」
きい坊の口調がうつってしまっている太郎。
「ではその『じゃのう』がどこにいるか教えてくれますか」
と、姫子。
『オラは知んね。だけんど…すね作のやろなら知ってるべ』
「すね作?」
『性質の悪い蛇のことだぁ。奴ならじゃのうの居場所を知っているだ。すかす、あんにゃろは一筋縄ではいがね~がらな』
「すからば、どうすたらええだ」
すっかり口調がうつってしまった。冗談でなく素でやっている太郎。姫子は笑っている。
『これをオメらにやるだよ。山菜汁の礼だぁ』
変なのが落ちてきた。
『これは南蛮渡来の『はんばあがあ』とゆうもんだで』
「食べるもの?」
『うんだ。すね作の好物だ。これで何とかしてみれ』
「分かっただ!恩にきるだよ」
太郎は『はんばあがあ』を取った。山菜汁を食べて、しばらくきい坊と話し眠りについた一行は、その翌朝にすね作が出てくるという西に向かった。
「ねえ、太郎」
「なんだぁ、姫子」
「その話し方、早く治さないと笑われるって」
「でへ、そう?だって面白くて」
一行の前方で茂みが動いた。少し鼻歌を歌っていた太郎だがピタリと止めた。
「気をつけて、姫子」
ちなみに云うと、この奇怪々森に入って以来、何故か獣が彼らを襲ってくることは一度もなかった。姫子の正体である龍の宮の乙姫は動物や昆虫にも大変慕われていたと云う。崇拝とも言っていい。それが乙姫の力であるのだろう。姫子自身、まだ完全に乙姫として覚醒していなくても動物と昆虫たちにも愛されたその雰囲気のようなものはすでに身につけているかもしれない。
しかし、すべての動物がそうするとは限らない。太郎は姫子を守るように茂みの前に立つ。そして
「食い物置いていけ人間~!」
何とも大きな白い蛇が現れた。
「でかっ!」
りんごが吼えるがひるまない大蛇すね作。すね作に話しかける太郎。
「や、やあ、こんにちは」
「おっ!お前たち話せるのか?」
「狐のおばさんから不思議などんぐりをもらったから」
「そうかそうか、で、こんな森の奥に何の用だ?」
「白石の泉の場所を知らない?」
「おいおい、ただで教えろってのか?」
「いいものがあるんだ。これで教えてよ」
きい坊からもらった『はんばあがあ』をすね作に渡した太郎。
「美味そうだねえ。いいだろう」
「泉の場所、教えてくれよ」
「何だ?その言い方は?」
(何をこいつ!)
太郎の腕を掴む姫子。
(そんな短気でどうするのよ!)
「い、いやごめん。コホン…」
もみ手をして愛想笑いの太郎。
「泉の場所を教えて下さいませ」
と、ひたすら低姿勢。
「まあ待て、こいつをいただいてからだ。…ぐ…ごっくん。うん、美味い。まったりとしてコクがあり、それでいてしつこくない」
「……」
「さて、何だった?ああ、そうそう白石の泉の場所ね。それでは答えよう。よおく聞け」
すね作の言葉を期待込めて聞く太郎たち。しかし
「俺は知らない」
悪びれず平然と言うすね作。太郎激怒。
「むっかあ~っ!」
刀を握った太郎。
「お?やるかチビ助」
と、同時に姫子泣き出し
「私、悲しい…。この蛇さんは長き歳月を生きてきた生き神とも思える方なのに…私たちのような子供を騙すなんて」
「お、おいおい」
生き神とも呼ばれて悪い気もしないすね作。
「参ったな、俺は女の子の涙に弱いんだ。悪かったよ」
横を向いてペロと舌を出す姫子。嘘泣きだった。
「でも申し訳ないが本当に泉の場所は知らない。『じゃのう』に聞くしかないだろうな」
「その『じゃのう』のいる場所は?」
「それなら知っている。ここからの西に、そうだな人間の子供の足では四半刻(三十分)くらい行くと四角錐の大きな岩がある。『じゃのう』はそこに住んでいる」
太郎と姫子は顔を見合った。ついに『白石の泉』に話が繋がった。
「ありがとう、すね作さん」
「さしものすね作様も女の子の涙には勝てないぜ」
◆ ◆ ◆
すね作は去っていった。言うとおりに西へ歩く太郎と姫子。しばらく進むと太郎の頭に小石のようなものが当たった。
「…?」
「どうしました、太郎さん」
「いや何か頭に当たったみたいなんだけど気のせいかな」
今度はりんごの頭に当たった。
「雨かな」
「いや、太郎さん、これは葡萄の種ですよ」
続けて三発四発と飛んできた。これは誰かが太郎たちに種を投げている。
「あそこ!動いたわ!!」
「来るのが遅いんだよ!」
種が飛んできた方から怒鳴り声。
「「……!?」」
「こんな不気味な森でずっとおいらを待たせていた罰だ!!」
「誰だ!」
何者かが木々の間に隠れている。怯える姫子。
「太郎、私怖い。ちょっと見てきてよ」
「おいらが?わ、わかった」
木に登る太郎。しかし声の主は木を降りて草むらに逃げた。
「あ!下に行ったぞ、りんご!!」
姫子を守るように前に立つりんご。
「出て来い!」
注意深く草むらを見ていると、一匹の猿がピョーンと飛び出してきた。姫子はその猿の顔を見て
(ひよし…!)
竜を封じる戦いにて、かつて自分を助けてくれた猿の戦士ひよし。そのままの姿の猿だった。思わず心の中でその名を呼んでしまった。姫子とりんごの前にチョンと立った猿。まだ少年のような若い猿だ。
「よお!俺はまつのすけってんだ。アンタらの供をするように『ひのえ様』から言われたんで待っていたぜ」
太郎も木から降りてきた。
「私は姫子」
「姫様、いきなり果物の種を投げてくる無礼者に御名を教えることはございません」
「あ、何だぁ、この犬っころは偉そうに」
「私はりんご、ずっとお二人と旅をしている」
「りんごぉ?変な名前だな」
「なんだと!私の主人がつけてくれた大切な名前だぞ!」
「まあまありんご、これで仲間が増えたってことだ。よろしくまつのすけ、俺は太郎」
「よく来てくれたわ」
と、ニコリと笑う姫子。照れ隠しに頭をポリポリと掻くまつのすけ。姫子に聞いた。
「で、泉の場所の目星は?」
どうやら、ひのえからそれなりの情報は得ていたらしい。
「この森の奥の『じゃのう』と云う雀が知っていると聞いたわ。もう少し歩けば、その『じゃのう』の家があるらしいの」
「『じゃのう』の家はこっちだぜ」
ただ待っていただけではないらしい。ちゃんと周囲の地理状況は把握していたまつのすけだった。彼が先導して一行を『じゃのう』の家に向かった。だんだん甘ったるい匂いがしてきた。鼻を押さえる太郎。
「何だよ、このむせるような甘い匂い」
姫子も一つ二つ咳き込んだ。そしてすね作が言った四角錐の大きな岩が見えた。これが『じゃのう』の家のようだ。大岩と云うより崖に近く、しかも入口がない。
「崖のうえにあるのかしら。まつのすけ、登って見てこられる?」
「う~ん、石の肌に凹凸がないから俺でも無理だなあ」
「凹凸か…。ん?」
太郎がふと横にあった木を見てみると、蔓がたくさん絡んでいた。
「これだ!」
蔓を引っ張る太郎。中々末端が見えない。
「長いな、これ」
完全に取り終わった頃には結構な長さだった。太郎は蔓の先端に重りをつけて石の上にと投げた。
「えい!」
蔓は上手い具合に崖の上に引っかかった。
「やた!まつのすけたのむ!」
「猿使いが荒いなあ」
蔓を伝ってまつのすけは崖のうえに登っていった。だが登っていったのは良いが、まつのすけから何の返事もない。
「まさか『じゃのう』に捕まってしまったんじゃ…」
「だったら仲間の私たちにも何か言ってくるはずだわ」
しばらくして、やっとまつのすけが太郎たちに顔を見せた。
「う~い…。ヒック」
顔が真っ赤で、すっかりいい気持ちのまつのすけの顔だった。
「まあっ!なあに?まつのすけお酒飲んでいるの?」
「いや、お姫様さ。この崖の上に葡萄がいっぱい腐っていて…ヒック、酒になっていてよ。きっと『じゃのう』が作って独り占めしているんだ。こんな美味い物を独り占めしやがって…ヒック。猿の世界なら袋叩きの刑に遭うぞ!!おい『じゃのう』!出てきやがれ!ばっきゃろ~っ!」
すると突然、岩の壁が開いた。
「だあれ~じゃあっ!」
大きな雀が出てきた。何か高価そうな着物を着て恰幅がいい。人間で言えば金回りの良さそうな太っちょとでも言えよう。それが狐のおつゆが言った謎の雀『じゃのう』だ。
「おうおうっ!てめ~らっ!俺様の酒を黙って飲みやがったのじゃのう!てめ~らのしたことはこのじゃのう様にはみんなお見通しなんじゃのう!この扇子に見覚えがないとは言わせないのじゃのうコラ!!」
お前らの所業はすべてこの扇子と共に見ていたと言いたげ。清水の舞台から飛び降りて買ったのか自慢の扇子なのだろう。金色に赤の日の丸の扇子。
「知らないよ」
と、太郎。
「見たことない扇子だわ」
姫子も続けた。
「むお、てめえらっ!しらを切るつもりなんじゃのう!おいチュン太郎!かまわねえから畳んじまうのじゃのう!!」
しかし誰も返事をしない。振り返るじゃのう。
「あれっ?チュン太郎!おい…」
太い首を回して廻りを見渡すじゃのう。どうやらいつも傍らにいる身内がいないらしい。
「おりょっ!チュン太郎がいないのじゃのう…。お~い!チュンたろ~う!た、大変じゃのう。あんたらチュン太郎を知らないじゃのう?」
顔を見合う太郎と姫子。今まで威勢良かったじゃのうが慌てている。じゃのうに訊ねる姫子。
「チュン太郎って息子さんですか?」
「そうなんじゃのう、それはそれは儂に似てめんこい子なんじゃのう、さっきまでここにいたはずなんじゃのう…」
何でこの雀が『じゃのう』と呼ばれているか理解した太郎たち。しかし困った。そのチュン太郎を連れてこない限り、じゃのうは太郎たちの相手をしそうにない。まつのすけは崖の上で熟睡している。頼りになるか使えないのか、よく分からない猿だ。
やむなく引き返した太郎。こんな広い森で小雀が見つかるわけがないじゃないかと思っていた時だった。小さな羽音が姫子目掛けて飛んでくる。
「俺の・話を・聞けーッ!!」
「は?」
羽音の主は姫子の肩に降りた。
「よう、おいらはチュン太郎、よろしくな」
「あなたがチュン太郎くん?」
と、姫子。
「チュンちゃんと呼んでくれ」
「…」
「お姉ちゃんは?」
「姫子よ」
「良い名前ですなァ」
「おいらはさす…」
太郎が名乗ろうとしたが
「必要ない。すぐ忘れる」
チュン太郎は太郎を無視。額に青筋立ててゲンコツを握る太郎をなだめるりんご。チュン太郎は太郎を無視し続けて姫子に話す。
「よう、姫子ちゃん聞いてくれ。俺も木の実ばかりじゃ飽きてきてな。先日近くの村に行ったんだ。そしたら農家の縁側に美味しそうな糊が作られていてよ。ちょっとなめたんだ。それが美味くてな。障子貼りに使うにはもったいないと全部食っちまったんだ。食うもん食ったら出るものもあるだろ。縁側に健康そうな糞をたらふくしたんだわ。そしたら、その家のばばあ激怒しやがってよ」
(当たり前だろ…)
と、太郎は思った。
「不覚にも捕まっちまってよ、繊細な俺の体を力いっぱい握りやがってよ。この美食家の俺様の舌を鋏で切ろうとしやがったんだ。なんちゅう極悪なばばあだと思うだろ?」
「そ、そうね」
「でも何とか辛うじて逃げてきたんだ。やっぱり神様は見ているよな」
延々にチュン太郎から話を聞かされる雰囲気。わずか話が途切れた時を逃さず姫子。
「お父さんが心配していたわよ。一緒に帰りましょう」
「親父が?仕方ねえなあ…ぶつぶつ」
「よし、そうと決まれば急ごう。チュン太郎、おいらの肩に乗りなよ」
ポンと自分の右肩を叩く太郎。
「野郎の肩なんて嫌だね」
「憎ったらしい奴だな」
「じゃあ、チュンちゃん、私の着物の中に」
「えへへへ…」
◆ ◆ ◆
かくしてチュン太郎を『じゃのう』の元へ連れて行った太郎一行。喜ぶ父親のじゃのう。
「わお~っ!チュン太郎~っ!ありがとうなんじゃのう。どうもありがとうなんじゃのう」
じゃのうの頬擦りを嫌々受けているチュン太郎。姫子の着物の中から親父の頬擦り。天国から地獄であった。
太郎と姫子はじゃのうの屋敷の中に通された。偉いお侍のような豪奢な屋敷内。上座にデンと座るじゃのうに話を切り出す姫子。
「じゃのうさん、私たちは白石の泉に行きたいのです。そのためには泉の入口があるという篠原の権太桜の場所を知りたいのです」
「ほう…。権太桜を知っておるのじゃのう」
「狐のおつゆさんから貴方が知っていると聞きました」
「なぬ?お前たちはおつゆさんと知り合いか?ならば何とかしてやりたいもんじゃのう…」
しかし、じゃのうは渋る。横にいるチュン太郎に太郎。
「チュン太郎、おいら子狐からお前の父ちゃんのことを聞いたんだ。友達のチュン太郎くんのお父さんなら知っているかもと。じゃのうに教えてもらえないと、俺たち完全に行き詰るんだ。頼むよ」
「なんだ、お前まるの知り合いだったのか。そういうのは先に言えよ」
あの子狐は『まる』と云う名前らしい。チュン太郎の言葉からしてかなり親しい友達なのだろう。
「父ちゃん、教えてやれよ」
「うむ…」
「お願い、じゃのうさん!」
「チュン太郎、儂の眼鏡を取ってくれんじゃのう」
「はいよ」
眼鏡をかけたじゃのう。
「歳を取ると目も弱くなってじゃのう。白石の泉の名まで出てくるとは思ったより話は深刻そうじゃのう。お前たちの顔をよう見て教えるか決めるじゃの……!?」
眼鏡をかけて姫子を見たじゃのう。姫子の首に飾られている首飾りに驚いた。
「そ、その、その首飾りは!もしや貴女様は乙姫様!」
「そ、そうだけど?」
「こ、こ、これは知らずとはいえ何たる無礼な振る舞いを!」
じゃのうは上座から降りるやいなや、大きい体を丸めて姫子に平伏した。
「父ちゃんどうしたの?」
「アホッ!お前も平伏せんか!」
「う、うん!」
じゃのう親子の反応に驚く姫子。
「い、いえいいんです。お顔を上げてください。じゃのうさん、チュンちゃん」
「はっ…」
「じゃのうさん、貴方はかつて私に?」
「はい、鳥の一族にて姫様の側近であった、おはなさんと共にお仕えしていたのじゃのう」
「そうだったのですか。思い出せなくてごめんなさい。私はまだ乙姫であった時の記憶が完全に…」
「気にしないでほしいじゃのう。それにしても元気なお姿を拝謁できて儂は嬉しいのじゃのう…」
「じゃのうさん、貴方は今まで」
「儂はここの番人じゃのう。姫様が転生されて再び現れるまでここで番をしていたのじゃのう。だから姫様の正体が分かるまではお教えできなかったのじゃのう」
「では、あのお酒も」
「左様、鬼は強烈なにおいを嫌う者なのじゃのう。だから葡萄の酒を作り匂いを発しさせ鬼が近づけないようにしたんじゃのう」
「では、もしかして篠原の権太桜は」
「この奥にあるのじゃのう。案内するのじゃのう」
姫子は太郎に顔を向けた。
「太郎、行きましょう!」
「ようし、ほらまつのすけ行くぞ!!」
酔って寝ていたまつのすけを起こした太郎。
「ふ、ふあ~い」
奥に行くと庭に出た。そしていくつ連なっているか分からないほどの鳥居があり、一つの道を守っている。じゃのうはさらに奥へと一行を連れて行き、ひときわ大きい鳥居が守る入口に着いた。
「この洞窟の奥に?」
「左様、洞窟そのものは一本道で子供の足でもすぐ通過できるじゃのう。出るとそこは山々に囲まれた平原。その平原の名前が篠原で、真ん中に立つのが権太桜じゃのう」
「ありがとうじゃのう!」
と、太郎。
「喜ぶのは早いのじゃのう。確かに白石の泉の入口とされている篠原の権太桜。しかし一見ただの桜の樹でしかないのじゃのう。どこが入口なのか、それを知っているのは」
「私、乙姫とおはなだけが」
「そうなのじゃのう。おはなさんは今も姫様のご命令どおり泉の番人をしているはずじゃのう」
「でも私にはまだ完全に乙姫の記憶は戻っていません。権太桜にて色々と当たってみないと」
「そうだね。頼りにしているぞ、りんご、まつのすけ」
「はい」
「任せろ」
「何かの役に立つじゃのう。これを持っていくのじゃのう」
じゃのうは奇怪々森特有の丈夫な蔓、そして松明を太郎と姫子に渡した。
「ありがとう」
じゃのうとチュン太郎に見送られながら、太郎と姫子は篠原の権太桜を目指した。
「父ちゃん、そんなに大事なご主君なら何故このまま付いて行ってあげないんだ?お姫様ずいぶんと危険なところに行くんだろう?」
「その通りじゃのう。しかし、彼らがしなければならないことなのじゃのう」
「?」
「特に、あの太郎と云う少年が」