いせまじょ ~異世界の魔女達の夜~   作:ジト民逆脚屋

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今回は将軍の真面目な感じ


魔女は涙を見せない

 曇天というには、青空の見える公国の空の下、銀の髪が鼻歌を歌いながら長閑な町を歩いていた。

 気楽な様子で白のコートを靡かせ、口の端に挟んだパイプから紫煙を燻らせる一人の魔女が、その歩みを止める。

 

 「やあ、どうかしたのかね?」

 

 大通りのその人だかりというには、人数の少ないその中の一人に、魔女は問い掛ける。

 

 「ああ、これだよ」

 

 問い掛けられた男が指し示した窓には、『店主急病の為、本日閉店』の文字が、紙に手書きで貼り出されていた。

 魔女はその貼り紙を見て、目を見開いた。

 

 「これは?」

 「店主が急病らしくて、今日は閉店らしい…って」

 「ふむ、それは困った」

 

 魔女は心底困った様子で、紫煙を吐く。

 魔女の前には公国の首都、その大通りでも指折りの名店であり魔女はその常連であった。

 

 「さて、どうしたものか」

 「し、将軍?!」

 「ふむ? 私がナジェーリア・リトリアであるよ」

 

 帽子の位置を直し、笑顔で名を告げる。

 黒く、よく手入れされ磨かれたパイプが眩しく光を反射している。

 

 「うわ! マジの将軍だ!」

 「はっはっはっ、同志諸君。ご機嫌如何かね? 私は勿論良いとも」

 

 口の端にパイプを噛み、白い歯を見せて笑うナジェーリア。だが、パイプから伸びる煙が(´д`)の形を取り、ナジェーリア自身も肩を落とした。

 

 「久々の休日、ペリメニとヴォートカと共に朝日を迎え、この店のパンケーキを、楽しみにしていたのだがね?」

 

 喫茶店に貼られた貼り紙を見ながら、ナジェーリアは紫煙を燻らし考える。

 ここのシロップを並々とかけたパンケーキを、久々の休日に楽しみにしていたのだが、店主急病で閉店。

 休日の予定が崩れていく音が聞こえるが、この程度で止まるナジェーリアではない。

 

 「仕方あるまい。作るか」

 

 言うや否や、ナジェーリアは店から足を動かし、市場へと向かう。

 将軍やら歩くアドリブやら呼ばれようが、これでも見た目二十代のアラフィフ未亡人、料理は出来る。

 パンケーキの材料を次々と手に取り、市場を進む。

 

 「このシロップはやはり、蜂蜜よりはメープルであるね」

 

 普段なら蜂蜜なのだが、今回はあの店のパンケーキの真似。知っている限りの情報には拘りたい。

 なので、ナジェーリアは蜂蜜ではなくメープルシロップを手に取るが、どうにも気に入らない。

 

 「うむ?」

 

 市場の店先に並ぶ小瓶を、次々と見ては置いてを繰り返し、並ぶ小瓶の九割を越えた時、漸くお眼鏡に敵う代物を見付けたようだ。

 

 「これである」

 

 店主に支払いを済ませ、ナジェーリアは市場を後にする。

 公国独特の、乾いた冷たい風が白いコートを揺らす。

 パイプから燻る紫煙が風に乗り、巻き上げられた落ち葉と共に飛んで消えた。

 

 「冷えるね。…村を思い出す」

 

 軽く身震いし息を吐けば、紫煙とは違う白い蒸気が大気に融けた。

 思えば、来るところまで来たものだと、ナジェーリアは口の端を吊り上げる。

 

 ナジェーリア・リトリアの出自は、謎が多く彼女自身、問われてもはぐらかして語らない。

 しかし、〝リトリア〟という姓の貴族や良家は、公国には存在しない事から、平民からの出とする者や、隠された家系の出であるとする者すらいる。だが、そのどれもが確証の無いものだ。しかし、一つだけ確かな事がある。

 

 ある日突然、ナジェーリア・リトリアの名は軍に登録され、瞬く間に公国最強の魔女となった。

 

 これだけは、間違いない事実である。

 

 「おや?」

 

 思考の海に沈み始めたナジェーリアの耳に、聞き慣れた喧騒が届いた。荒くれ者の多い前線では、この喧騒は日常茶飯事であった。

 

 「喧嘩であるか…!」

 

 口の端を吊り上げながらも、どこか暗く沈んだ表情から一転、祭りに遊びに行く子供の様な表情を浮かべ、軽い足取りで人だかりへと向かう。

 パンケーキの材料が入った紙袋は、口を〝槌〟で密閉しておく。

 帰ってから、この喧嘩を肴に、厚切りベーコンと目玉焼きのパンケーキを食べる為だ。

 

 ーー同志大尉に見られたら、怒られるねーー

 

 十年以上の付き合いとなる部下、ナジェーリアが一番信頼しているボリスは、規律に厳しく喧嘩を肴に酒を呑んでいたら、すぐに仲裁されて酒を没収された。

 堅物と揶揄される事もある彼だが、緩めるところは緩め、無視するべき規律は〝密かに〟無視する事を平然と行い、部下達からの評価と信頼は高い。

 なので、喧嘩もいき過ぎなければ仲裁しない。

 

 ナジェーリアは、ボリスが影に潜んでいないかを確認し、通りに並んでいた出店で発泡酒の小瓶を購入、栓を〝刈り取り〟一口呑む。

 

 「はっはっはっ、喧嘩を肴に昼から呑む酒は沁みるね。同志諸君」

 「なんだ、なんだ、将軍じゃないか」

 「おぉ、同志ナディア。君も休日かね?」

 

 公国人の大男同士の喧嘩を見物する人だかりの中に、ナジェーリアの部下であり酒呑み仲間のナディア・イヴェノヴァが私服姿で立っていた。

 

 「いやいや、私は早上がりさ。一番下のチビが熱出したって、学校から連絡が来てね」

 「…迎えかね?」

 「さっき、さっき、病院で薬貰って、家のベッドに括り付けたとこさ。んで、今は晩飯の買い物帰り」

 「…そうであるか。しかし、一番下というと、五男だったかね?」

 「残念、残念、七女さ。イヴェノヴァ家は、代々多産の家系でね」

 

 東部訛りの大男の拳が相手の顎を打ち抜き、その打撃に周囲が沸き立つ。中々に熱狂しているが、警官隊が数人待機しているので、いき過ぎる事は無いだろう。

 

 「なんだい? なんだい? もう行くのかい?」

 「はっはっはっ、私を厚切りベーコンと目玉焼きのパンケーキが呼んでいるのだよ」

 

 発泡酒の小瓶をナディアに手渡し、ナジェーリアは喧騒から背を向ける。

 ナディアはその背中を見つつ、渡された小瓶に目を向ける。中身は殆ど減っていない。

 

 「参った、参ったね。妙なスイッチ入ってたか? いや、入ったのか?」

 

 喧嘩の決着を背で聞きながら、ナディアは手渡された温い発泡酒を一息に飲み干した。

 

 「さて、さてと、どうしたもんか? …子供の話は避けるべきだったか」

 

 ナディアが酒精の匂いのする息を吐いて、雲が多くなり始めた曇天を見上げた。

 

 

 

 

 

 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃

 

 

 

 

 

 ーーマーマ

 ーー大丈夫である。マーマはここにいるよ

 ーー頭痛い

 ーーもうすぐ、パーパが帰ってくるよ

 ーー喉も

 ーーでは、シロップであるね。飲めたら、あの店のパンケーキであるよ

 ーー二枚いいの?

 ーーはっはっはっ、流石は私の娘であるね

 

 簡素な住宅、一国の重要人物が〝一人〟で住んでいるにしては、少々広いが質素なその家の扉を開き、テーブルに紙袋を置く。

 

 「…やはり、辛いものである」

 

 ナディアに罪は無い。子供が体調を崩した話で、過去を思い出したのは自分だ。

 否、それ以前にも娘と行きつけの店の閉店、故郷の記憶、どうにも今日はいけない。

 

 「折角、休日であったが、まったくままならぬものである」

 

 帽子を落とし、コートを椅子に引っ掛けると、そのままソファーに横たわる。

 見上げる天井は、嘗て夫と娘の二人と共に見上げたもの。天井だけではない。床も壁も、紙袋が乗るテーブルにコートを引っ掛けた椅子も、己が横たわるソファーも、何もかもが当時のまま、嘗てのリトリア家のままだ。

 

 「アレクセイ、タチナヤ。私は…」

 

 細い手指を伸ばし、空を掴む。己の〝鎌〟が届かぬ場所は無い。己の〝槌〟が圧し砕けぬものは無い。

 その筈だったのに、結局は届かず圧し砕けず、大事なものは全て目の前で消え去り、そして

 

 「満代、今の私を君は、どう言うかね?」

 

 唯一無二と言える親友すら喪った。

 思考だけでなく、体も何か深く冷たいものに沈み込む錯覚。このまま身を任せて眠ってしまおう。明日の朝に基地に居なければ、ボリスか誰かが迎えに来るか、探しに来るだろう。

 

 ナジェーリアがゆっくりと瞼を落とし、眠りに沈もうとすると、控え目な音がドアから聞こえる。

 

 「む?」

 

 来客は珍しいが、出る気にはならない。また控え目に音が鳴るが、それだけだ。

 

『あれ? あれぇ?』

 

 聞き覚えのある声が聞こえる。

 

『なにを、なにを、やってんだい?』

『ナディア中尉、将軍が出ません』

『同志軍曹、ノックだけでなく、呼ばないと将軍は出てこないぞ』

 

 聞き覚えがあり聞き慣れた声、他にも多数それが聞こえる。

 

『つかさ、将軍帰ってんの? 酒場は?』

『さっき見てきたけど、将軍の気配は無し』

 

 騒がしい。これでは眠れない。

 ナジェーリアは身を起こし、気怠そうにドアに向かう。

 

『よっーしゃー、シルヴィア。もっーかいーだ!』

『少尉、お菓子食べないで下さいよ』

 

 ナジェーリア声の重なるドアを開く。だが、開いたドアは完全には開ききらず、僅かな衝突音と手応えに止まる。

 一体何かとナジェーリアが隙間を覗くと、見覚えのある癖毛が額を押さえしゃがみ込んでいた。

 

 「い、痛い…」

 「同志、軍曹?」

 「はいぃ、シルヴィア・クシャトロワ軍曹です」

 

 少し赤くなった額を擦りながら、シルヴィアが立ち上がる。僅かに涙目の彼女は、ドアから覗くナジェーリアを見ると、実に気の抜けた笑顔を浮かべた。

 

 「ナディア中尉から、将軍がサプライズパンケーキパーティーを計画してると聞いて、先制サプライズです…!」

 

 鼻を鳴らすシルヴィアに、ナジェーリアが珍しく呆気に取られていると、少し離れたナディアが笑っているのが見えた。

 

 「…って、あれ? 違いました?」

 「…ククク、私とした事が、悪戯がバレてしまうとはね」

 

 頭一つ分低い彼女が、不安そうにこちらを見上げる。

 ナジェーリアが額に手を当て笑い、いつの間にか手にしていたパイプを口に噛む。

 

 「同志諸君、パンケーキを焼くのはいいが、材料はあるのかね?」

 「バッチリ、バッチリさ」

 

 ナディアの声に、隊員達が思い思いの材料を詰めた袋を掲げる。

 ナジェーリアは、それを見てまた笑んだ。

 

 「では、公国魔導部隊〝バーバヤーガ〟のパンケーキパーティー開始である! 諸君、準備し給え…!」

 

 宣言する身は、もう何にも沈んでいない。




将軍の出自は本編でね

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