駅周辺の人混みは、この夏休み中で恐らくピークを迎えているであろうと思うほどにごった返していた。
流石は夏祭り当日。近辺に生息しているあらゆるリア充が挙って出現してはウェイウェイソイヤソイヤと騒いでいる。
勿論リア充だけでなく、家族連れや友人と来ている者もいるだろう。
そして先月までの俺がもしもここに来ていたら、周囲のカップルを嫉妬と憎悪を込めた目線を送っていたはずだ。その目で1組2組は破局へと追い込むかもしれない。真の英雄は目で殺すのだ。
しかし、今年の俺は違う。
何を隠そう、今日は付き合い始めてからの初デートだ。らしくもなく実家から引っ張って来た浴衣を着て見たりしている。
緊張のあまり集合が六時なのに一時間も早くこの場にいるのはご愛嬌。
「比企谷くん」
背後から俺を呼びかける声。
振り向いてみると、人混みが割れていた。
さながら海を割ったモーセのように。そこに現れた彼女の美しさに、周囲の人間は皆息を呑んだ。
白いアザレアが施された、青を基調とした浴衣に、アップスタイルに纏め上げられた黒髪。その目はいつもの澄んだ空色の瞳を映し出している。
その美しい姿に、俺も同じく見惚れてしまっていた。
高校時代から数えて彼女の姿に目を奪われるのは何度目だろうか。少なくとも数えるのが馬鹿馬鹿しくなる程には見惚れている。
ただあの時と違うのは、それを不覚にも、だなんて思わなかったことか。
「待ち合わせの時間までまだ一時間もあるのだけれど」
「......そりゃお互い様だろ」
それもそうね、と笑ってみせる雪ノ下。
「余りにも楽しみで、早く来すぎてしまったみたい。比企谷くんは?」
「ご想像にお任せするよ」
なんでこいつこんなに余裕たっぷりなの?
ちょっと揶揄ってやろうかしら。
「それにしても、その浴衣似合ってるな」
「そう?在り来たりな感想だけれどそう言ってくれると嬉しいわ」
「髪の毛と普段と違うから随分印象が変わって見えるし」
「女の人なんて誰でもそんなものよ」
「チラリと見えるうなじとか白い肌とかもう堪らんし」
「そ、そうね。お肌の手入れには気を遣っているから」
「周りの奴らなんて皆お前に見惚れてたぞ?そりゃこんな可愛くて綺麗な子、誰だって目を奪われるよな」
「ひ、比企谷くん?あの、もうその辺りで」
「その白いアザレアの花言葉ってなんだっけ?」
「あうぅ......」
雪ノ下、沈黙。
あうぅってなんだよ可愛いなおい。
にしても、まさかここまで誉め殺しに弱かったとは。また今度試してみよう。
「ちょっと早いけど、行くか」
赤い顔で俯いたままの雪ノ下に手を差し出す。
最近、手を繋ぐだけでもあれ程緊張していたと言うのに、案外スラッと差し出すことが出来た。
「......そうね。行きましょうか」
その手を何の躊躇いもなく取ってくれる事に嬉しさが込み上げる。
互いの感触を確かめるようにしっかりと繋いだ後、雪ノ下がはたと思い出したように口を開いた。
「貴方もその浴衣、似合ってるわよ」
そんな満面の笑みで不意打ちは卑怯じゃないですかね......。
花火大会の会場は、駅周辺の人混みが可愛く見えるくらいに混雑していた。
ただでさえ人が多いと言うのに、出店で食べ物やらを買うために立ち止まって並ぶ奴らがいるので余計に道は混雑し、どうも前に進めない。
「大丈夫か?」
「ええ......。それにしても、本当に人が多いわね」
体力が少ない上に人混みが得意ではない雪ノ下は早速疲弊していた。まぁ仕方ないっちゃ仕方ない。
花火大会に来ると言うことはこの人混みと戦うと言うことでもあるのだ。
「前に由比ヶ浜と来た時はここまで混雑してなかった気がするんだけどな」
「......由比ヶ浜さんと来たの?」
由比ヶ浜の名前に反応して、雪ノ下が俺の手を握る力が増した。
と言うか痛い。体力無いくせにこんな力がどこからって痛い痛い痛い!マジで痛い!ちょっとどんどん握力強くなってんよ!
「来たっつっても高2の頃に一回な。小町が屋台の食いもん買って来いって言うから流れでそうなっちまったんだよ......」
「そう、ならいいのだけれど。ああそれと、デリカシーない谷くんに一つ教えておいてあげるわ。デートの最中に他の女の名前は出さない方がいいわよ?」
「笑顔で言うなよ怖いだろ」
まぁでもこれは、あれか。嫉妬してくれてるのか。なんだよ嬉しいじゃん。
「所で、私屋台の食べ物を食べたことがないのだけれど、美味しいのかしら?」
「結構美味いもんだぞ。値はちっと張るが、なんつーの?雰囲気的なので結構美味く感じる」
「随分とふわふわしたイメージなのね......」
「あれだ、五感で味わえって奴だ」
実際、家で作る焼きそばやたこ焼きよりも祭りの屋台のものの方が数倍美味く感じるのは、そう言う雰囲気とかもあると思う。
食事は楽しくなくちゃいけないからね。そう言う意味では祭りの屋台というのはいいシチュエーションではあるのだ。
「比企谷くん、あれは何かしら」
「ん?」
足を止めた雪ノ下。
その視線が釘付けになっているのは綿菓子屋だ。そして皆さん御察しの通り、別に綿菓子を見ているのではなく、屋台のおっちゃんの背後に飾られた袋、パンダのパンさんが描かれたそれに目を奪われている。
「欲しいか?」
「ま、まだ私は何も言っていないのだけれど。ただ、あれは何かと問い掛けただけよ?私がパンさんならなんでも喰いつくと思ったら大間違いよ。そもそもあなたは」
「んじゃいらないな。先に進むぞ。ただでさえ立ち止まるのは周りの迷惑なんだから」
「待って、お願い待って下さい」
全く、素直じゃない奴だ。パンさん大好きなんてもう二年前にバレてるってのに、どうして今更誤魔化そうとするかね。
「ほれ、ついて来い」
「あ......」
半ば無理やり引っ張るようにして綿菓子屋へと足を進める。
運良くそんなに並んでいなかったようで、五分もしないうちに目的の綿菓子とパンさんの袋を手に入れることが出来た。
「お金は払うわ」
「いい。これくらいなら気にすんな」
「私が気にするのよ」
「はぁ、ちょっとくらいカッコつけさせてくれよ」
空いてる方の手で頭をガシガシと掻く。
なんだか気恥ずかしくなって視線は宙に浮いたままだ。
隣からクスリと笑う声が聞こえた。
「似合わないわね」
「自覚はある」
「そう?でも、そうやって無理してカッコつけようとするあなたも好きよ」
好き、と言葉にされて心臓がドクンと跳ねる。
チラリと雪ノ下を見てみると、イタズラが成功した子供のような笑みを浮かべていた。
どうやらしてやられたようだ。
「今日一日くらい、カッコいいところを見せて欲しいものね」
「つまり、屋台の食いもん全部奢れと?」
どうやら俺の財布は今日一日でスッカラカンになるらしい。
悲しい事に雪ノ下のためなら別にいいかと思ってしまっている俺ガイル。
「そこまでは言っていないわよ。......そうね。なら取り敢えずあれを取ってもらおうかしら」
あれとはどれかと思い、雪ノ下の視線の先を追うと、そこには射的の屋台。そしてそこの景品に置いてある猫の人形。結構デカイ。
「任せろ。俺は小町のおねだりに鍛えられて射的は無駄に上手いからな」
「デート中に他の女の名を出すなと言わなかったかしら」
「妹もアウトっすか......」
雪ノ下に言われた通り、今日一日くらいは少しカッコつけさせて貰うとしますか。
.........あの人形に英世は何人犠牲になるだろうか。
次で最終回になります。