クーラーの効いた涼しく快適な室温に美味しくリーズナブルな料理が置いてあるレストランと言えば?
そう、答えはサイゼ!
と言うことで、雪ノ下を尾行している我々は現在サイゼに来ている。
それはつまり相対的に言うと、あの雪ノ下雪乃と葉山隼人がサイゼで昼飯を食っていると言うことだ。
「まさかあの二人が一緒に出掛けてサイゼに来るなんて......。デートでこんなところに誘うの先輩だけだと思ってました」
「あ、いろはちゃん、このパフェおいしそうだよ!」
ちょっと、由比ヶ浜さん?貴女目的忘れてません?
いや、俺的には目的も何もかもを投げ出して今すぐ家に帰りたい所ではあるのだが。
いややっぱ嘘。葉山と雪ノ下が何を目的にこうして会ってるのか気になる。
さて、あの二人がこんな庶民的なレストランに来ている理由は定かではないが、俺たち三人はまたしてもいい感じに死角になっている席を陣取っている。
私、耳はいい方なんですよ、と自慢気に言っていた一色が二人の会話に耳を澄まし、俺と由比ヶ浜は特にやることも無くポテトを摘んでいるのだ。
それにしても、だ。葉山の奴め。雪ノ下と飯を食うならこんなチンケなファミレスではなくもっと良いところに連れて行ってやれよ。
ガルルル、と嫉妬と憎悪を込めた視線を離れたイケメンにやるが、距離もそれなりにあるので俺の思いが届くことも無く。
「先輩、その目はちょっとキモいのでやめてください」
「ヒッキー、ポテトにもうちょっと塩振って良い?」
「二人いっぺんに喋るな。後由比ヶ浜、それ以上塩振っても塩辛くなるだけだから辞めろ。体に悪い」
こいつさっき結構振ってたと思うんだけどなぁ。
「んで、なんか聞こえたのか?」
「んー、流石に離れすぎて途切れ途切れにしか聞こえませんねー。ただ、来月はどうだとか、シュミレーションがどうだとか聞こえて来ましたけど」
来月、シュミレーション、ふむ、来月になにかイベントのようなものがあって、葉山にはそれに付き合ってもらっている、と言うことか?
そうであったとして、なぜ葉山なのだろうか。それは俺ではダメなのだろうか。
俺じゃダメなのだとして、その理由は?
所詮はちょっとお世話してやってる元部活仲間程度にしか思われていないから?
そんな考えが過っては、今までの雪ノ下との時間が思い起こされてそれを否定する。
否定しようとするが、完全に否定しきれない。
「あー、わたしわかっちゃったかも」
「え、マジですか結衣先輩?」
「うん。来月でしょ?そのシュミレーションって事は......。うん、なんだかゆきのんらしいなぁ」
離れた場所にいる親友を、優しい微笑みで見つめる由比ヶ浜。
どうやら彼女は雪ノ下の真意を読み取ったらしい。伊達にあの雪ノ下雪乃の親友を務めていないと言うことか。
暫くうんうんと唸っていた一色も、閃いたとばかりに手を叩いた。
「ははーん、そう言うことですか。確かに雪ノ下先輩らしいですね」
「でしょ?」
「待て待て、何お前ら二人だけで勝手に話進めてんの?俺、全く何のことか分からないんだけど」
「あー、先輩は分かんなくていいです。て言うか分からない方がいいです」
「だね。ヒッキーはもっと悩んだ方が良いんじゃないかな」
なんか疎外感感じるなぁ。
しかし、この二人に分かって俺に分からないとはなんか屈辱だ。
こうならヤケだ。絶対に雪ノ下の目的を明かしてやる!
と、意気込んだのは良いものの、さっぱり分からない。
現在午後の4時前くらい。
あの後サイゼを出て、モールに行った二人を何時間も尾行し続けていた訳だが。
葉山のエスコートの元、雪ノ下は雑貨屋や服屋などを見て回っている。
商品を手に取る事はあってもそれを購入する事はない。
そしてたまり続ける八幡ジェラシーメーター。
しかも雪ノ下のやつがまた良い笑顔をするのだ。なんか凄い幸せそうな笑顔。
あんなの俺でも見た事ない、ってくらいのやつ。
その笑顔を葉山の隣で浮かべていると言うのを目の当たりにされて、俺の胸の中のモヤモヤは広がる一方だ。
もうこの際認めてしまうが、俺は葉山にこの上なく嫉妬している。
雪ノ下と二人でサイゼに行き、モールでウィンドウショッピングを楽しみ、そして何より。
俺に引き出せなかった雪ノ下のあの笑顔を、葉山が引き出した。
そのことにどうしようもない嫉妬心と、無力感が生まれる。俺では、雪ノ下をあそこまで笑顔に出来ない。俺よりも葉山の方が雪ノ下を幸せに出来る。
そんなネガティブな思考が止まってくれない。
「あれ、隼人君とゆきのん離れたみたいだよ?」
「本当ですね。って、葉山先輩なんかこっちに向かって歩いて来てません?」
「わわわ、本当だ!どうしよいろはちゃん!」
二人の声に思考の海から抜け出して顔を上げてみると、あの爽やか野郎がこちらに向けて歩いて来ていた。
一色と由比ヶ浜がわちゃわちゃするも、どうやら無駄な抵抗に終わったらしく、俺たち三人の前に葉山がやってくる。
「やあ三人とも」
「ど、どうもです葉山先輩〜」
「き、奇遇だね隼人君!」
「いやそれは無理があるぞ由比ヶ浜。どうせ俺たちがつけてたの気付いてたんだろ?」
俺の言葉に首肯する葉山。
やっぱりか。あの様子だと雪ノ下の方は気付いていなさそうだが。
「雪ノ下さんは君たちの事気付いていないから安心して良いよ」
「そりゃ良かった。気付かれてたら何言われる事やら」
しかし、気付いたからと行って何故こちらに来たのか。
いや、これは好都合でもあるのかもしれない。頑なに『みんな』の葉山隼人であろうとした彼が、何故今になってこんな周囲に誤解されるような行動をしているのか。
「比企谷、少しいいか?」
「あ?俺はいいけど......」
女子二人に目配せすると、二人とも首を縦に振った。どうやら行ってこいとの事らしい。
葉山に連れられて辿り着いたのは、元いた場所からそう離れていない男子トイレだった。
「なんでトイレ?なに?お前もしかしてそっちの趣味があったの?」
「違うよ。雪ノ下さんにはトイレに行ってくると言ってあるからね。形だけでも、と思っただけさ」
良かったー、もしそんな海老名さん興奮もの案件になりそうになってしまったら俺もうお嫁に行けないよ。
「やっぱり、彼女は変わったな」
「何だよいきなり」
「なに、思ったことを言ったまでさ。以前の彼女なら、今日こんなことはしなかっただろうと思ってね」
「それは俺に対する嫌味か?」
その真意がどうであれ、今日雪ノ下とデートをしていたのは誰でもないこいつだ。
そしてそれを情けなくも尾行していた俺に、そんな事を言うなんて嫌味として捉えられて然るべきだろう。
だが葉山は、そんな事を微塵も思わせない表情で続く言葉を吐く。
「俺じゃ、彼女をあんなに笑顔に出来ない......。それをやってのける君はやっぱり凄い奴だ」
「......お前の褒め言葉は素直に受け止められねぇよ」
それもそうか、と笑う葉山。
こいつの言葉の中に隠れた感情は読み取れない。元より他人の感情を理解しようなどと、俺に出来るはずも無いのだが。
逆に知りたいとも思わないが、一つだけ尋ねておかなければならない事がある。
「なぁ葉山。雪ノ下は、今日楽しんでるのか?」
「意外だな、今日彼女と会っている目的を聞かれるものだと思ってたんだが......」
本当に意外そうにそう言う。
俺としてもそこは聞いてみたかったのだが、それを聞くのは無粋という奴なのだろう。
ただ、雪ノ下雪乃が楽しんでいるのかどうか、俺が聞くのはそれだけだ。
「そうだな、楽しんでるんじゃ無いか?」
「偉く他人事のように言うな。エスコートしてるのはお前だろ?」
「エスコートしているのは俺でも、彼女の目に俺は映っていないよ」
その言葉の意味を考えようとして、遮るように葉山が続ける。
「やっぱり、俺は君が嫌いだ」
「......そうかい」
結局、葉山の言葉の意味をどれも図りかねたままトイレを出た。
彼がどんな気持ちで、雪ノ下がどんな想いで今日を過ごしてるのか、まだ分からない。
それでも、分かりたい。彼女のその想いを知っていたい。かつての冬の日に、俺はそう願ったんだ。
「あ、二人とも戻って来た!」
「遅いですよ葉山せんぱ〜い」
うーん、いろはす?俺も一応いるんですけど?
こいつ本当、葉山の前だと他の男は視界に入ってないんだな。
ふと、先程の葉山の言葉を思い出す。
『彼女の目に俺は映っていないよ』
ならば誰をそこに映していると言うのか。
由比ヶ浜や一色達、友人か。
陽乃さん達、家族か。
ダメだ、考えてもラチがあかない。
「それじゃあ俺はそろそろ戻るよ。つけてくるのは良いけど、彼女に気づかれないようにしろよ?」
相変わらずの爽やかな笑顔でそう言った葉山が雪ノ下の元に戻ろうとした時、その光景が目に入って来た。
見知らぬ男三人組が雪ノ下に声をかけている。ナンパだろうか。まだあんな事する輩居たんだな。他の三人は、まだ気付いていない。となると、それを最初に見たのは俺なわけか。
そんな風に考えるよりもまず先に、体が動いていた。
「ヒッキー⁉︎」
「先輩⁉︎」
突然駆け出した俺に驚いて由比ヶ浜と一色が声を上げる。
そんな二人よりも早く状況を察したのか、葉山が警備員を呼んでくるように二人に指示していた。
流石葉山、的確な判断だ。
人の流れに逆らうように駆けてきた俺に気がついたのか、素気無く男どもを遇らおうとしていた雪ノ下が目を丸くしてこちらを見る。
「おい」
自分でも驚くくらい低い声が出た。
その声に反応して、男どもが一斉にこちらに振り向く。
「ん?何だよお前」
「ちょっとちょっと、邪魔しんないでくれる?」
いかにもチャラ男ですよと言った雰囲気の、右側に立ってる茶髪ロン毛と金髪が不機嫌さを隠しもせずにこちらを見る。
「雪ノ下、帰るぞ」
「え、比企谷君......?」
そいつらを無視して間を通り抜け、雪ノ下の手を掴んでその場を去ろうとする。
が、勿論男どもはタダで帰そうとはしなかった。
「おいおいおい、いきなり現れて王子様のつもりかよ」
残る左側に立っていた坊主頭のやつの言葉に、他の二人がギャハハと下品に笑う。
正直こいつらの相手なんて面倒だ。そもそも向こうから手を挙げてこようものなら、隣の雪ノ下が動いてこいつらは空気投げの餌食だろう。
て言うか、それ以前に、俺はどうやら予想以上に機嫌が悪い。
「あ?」
心持ち鋭い視線で、ギロリと睨む。
それにたじろいだ隙を見て、雪ノ下の手を引いてその場から走り去った。
こう言う時に俺の腐った目は役に立つんだよ。
互いの間に会話は全くなく、千葉駅から海浜幕張駅まで電車を使い、そのまま俺の家へと二人揃って帰宅した。
いや、俺の家であって雪ノ下の家ではないから雪ノ下は帰宅ではないのだが。
で、俺の心中はと言うと、完全にやってしまったとなんか今になって自己嫌悪に陥っている。
いやマジでもうちょいやり方ってのがあったでしょ。
由比ヶ浜達は置き去りにして来たし、帰る途中もなんか気不味い雰囲気だし、でも俺も雪ノ下も手は離そうとしないし。
「取り敢えず、色々と説明してくれると助かるのだけれど......」
家に着いてから雪ノ下の発した第一声がそれだった。
まぁ、当たり前か。説明はしなきゃならんよなぁ。
「由比ヶ浜と一色に外に連れ出されたら偶然ナンパされてるお前を見かけて今に至る。それ以上でも以下でもねぇよ」
「本当に?」
「うっ」
雪ノ下のその瞳に捉えられて言葉に詰まる。
あぁ、なんだか罪悪感が込み上げてきた...。これは全部白状するしかないですねぇ。
「あー、実はな......」
それから俺は今日の一連の流れを詳らかに語った。
一色に雪ノ下の尾行をしようと強制的に連れ出され、サイゼでポテトを頬張り、葉山に見つかって、それから雪ノ下をナンパから助けた。
サイゼの下りいらなかったか。
そしてそれを聞いた雪ノ下の反応は
「はぁ、あなた達は本当......」
まあ、呆れますよね。
俺たちのやっていることを見ると完全にストーカー、立派な犯罪行為だ。
それを自分が受けていたとなると良い気分ではないだろう。
「その、すまんかった。後ろでコソコソとしてて」
「貴方はいつも舞台の後ろでコソコソと、いえ、カサカサと動き回ってたじゃない」
「ちょっと?その言い方だとなんかゴキブリみたいなんですけど?」
「あら、何か間違ってたかしら?」
間違ってないな、うん。少なくとも高校時代はそんな感じだった。
「でも、そうね......。見られてたなら私も白状するわ」
一つ咳払いをして、意を決したかのように雪ノ下は話し出す。
「別に今日は葉山君とデートをしていたと言うわけではないの。元々、彼と会う予定では無かったから」
「そうなの?」
「ええ。あれは姉さんの差し金よ」
「ならなんで...」
あんなに幸せそうに笑ってたんだ
その一言は口から出なかった。
その代わり、それの答えのようなものが、雪ノ下の口から発せられた。
「来月、何があるか分かっている?」
「は?来月?なんかあんの?あ、花火大会とかか?」
「違うわよ。それよりも少し前、八月に入って直ぐよ」
八月に入ってから直ぐにある何か。
少し考え、数秒のうちに答えに行き当たった。
「もしかして、八月八日の?」
「ええ。貴方の誕生日」
フッと、ここでようやく笑顔を見せてくれた。
それは俺を罵倒するときのものとは違う、小さな幸せを噛みしめる少女のようなもので。
「貴方の誕生日に何かしてあげたかったから。だから今のうちからその日のシュミレーションでもしておこうかと思って、姉さんに相談してたの。だから今日は本来姉さんと会う予定だったのだけれど、急用が入ったからと葉山君を寄越してきたのよ」
男の意見の方が参考になるんじゃないか、と陽乃さんは言ったらしい。
果たして本当に急用が出来て、本心からそう思って葉山を差し向けたのか、それとも別の思惑があっての事なのか。
多分、前者だと思う。
妹に頼られて嬉しかったのだろう。だが自分は行けなくなったからと、せめて力になろうと陽乃さんなりの気遣いが見えた気がした。
と言うことは、今日俺が葉山に嫉妬していたのは見当違いも甚だしいと?
.........っべー、なんかめっちゃ恥ずかしいんですけどー......
「男性をエスコートする事なんて今までなかったし、どうせなら貴方にも楽しんで貰いたかったから......」
「あー、なんか、マジですまん......」
「いいのよ。どうせ由比ヶ浜さんと一色さんは見ていたのなら私の意図にも気がついていたのだろうし、その上で貴方を連れ回した彼女達が悪いわ」
恥ずかしいやら嬉しいやらで、正直どんな顔をすればいいのか分からない。
だって、あの雪ノ下が俺のためを思って、陽乃さんに頭を下げてでもそう言うことをしていてくれたんだ。
つまり、あの満開に咲き誇る花のような笑顔を向けられていた先は......
これ以上は考えないでおこう。
「それと、その......」
「なに、まだなんかあるの?」
「さっきは、ありがとう。お陰で助かったわ」
「......いや、まぁ、なに。そう言ってくれると俺も助かる」
「ふふ、いつもよりカッコよく見えないこともなかったわよ」
「もうちょい素直に褒められないんですかね...」
「だから、これは、そのお礼......」
急に歯切れの悪くなった雪ノ下。
どうしたのかと思っていると、突然頬に柔らかい感触が襲った。
気付けば、雪ノ下の綺麗な顔が直ぐ目の前にある。その顔に見惚れて、離れていったのを確認してから、柔らかい感触の正体に気がつく。
「ば、晩御飯の準備してくるわ......」
顔全体を真っ赤に染めた雪ノ下がそう言ってキッチンに向かった後も、俺は暫くフリーズしていた。