雨の鬱陶しい六月が過ぎ、太陽が燦々と輝く七月。
夏休みだ。
学生にとってのオアシス、夏休みだ。
日頃勉強とか人間関係とかで疲弊しきった俺たちを癒してくれる心のオアシス。そんな夏休み真っ只中であるにも関わらず、俺は昼間まで惰眠を貪る事も出来ず、朝の7時には起床していた。
因みに雪ノ下はまだ来ていない。
いや、雪ノ下が夏休みにも関わらず毎日朝からうちに来ること前提で話が進むのはこの際突っ込まないで欲しい。
互いに余程な用事がない限りは休日だって関係なく奴は俺の家に来ていた。
そこで、だ。他人に蹴り起こされるくらいなら自分で起きようと思った次第である。
いや、マジであいつ俺が布団にへばりついてると容赦なく足蹴にしやがるからな。
一度運悪く鳩尾に入った時はすっごい心配されたけど、心配するくらいならやらないで欲しいかな。
確かに起きた時見上げる形で雪ノ下の顔を見れるのは非常にベネではあるのだが、このままだと雪ノ下の蹴りじゃないと起きれない体に調教されてしまう。
らめぇぇぇぇぇぇぇ雪ノ下の足じゃないと起きれない体にされちゃうのぉぉぉぉぉぉぉ
キモいな。
罵倒による精神的ダメージには慣れどころかむしろ愛着すら湧いてくるまであるのだが、身体的ダメージはちょっと辛いのです。
あれ?もしかしてもうドMに調教されちゃってる?
自分の中で目覚めつつある新しいナニかに頭を悩ませていると、LINEの通知音が聞こえた。
送信者は雪ノ下。
どうでもいいけど、アドレス帳に電話番号登録したらLINEにも勝手に追加されるの便利だよな。余計な手間が省けるし。
『今日は所用があるのでそちらには行けません』
「マジか......」
この落ち込みようである。
『でも晩御飯は作りに行くので待っていて下さい。何が食べたい?』
ここでお前、って送ったらどんな反応が返ってくるのだろうか。
いや、必殺の罵倒旋風で俺の心がヒートエンドされるのは目に見えてるから辞めておこう。トドメとばかりに通報される未来も見えるな。
『じゃあお前の得意料理で』
『分かったわ。楽しみに待っていてね』
なんかLINEだと雪ノ下さんごっつ柔らかくなるよね。
これはあれか。面と向かって喋ってない分ちょっと素直になっちゃう感じのあれか。
顔を見ちゃったら素直になれない、でもLINEだと素直になれちゃうのか。いいな。うん、実にいい。今後は積極的に雪ノ下とLINEしよう。
今後の楽しみが一つ増えたところで、ピンポーンと我が家のインターホンが来客を告げる。
はて、密林さんはここ最近お世話になっていないから新聞勧誘とかそこらへんか?もしくは小町。
個人的には後者を推したい所である。
「へいへい、今出ますよっと」
重い腰を上げて玄関の前まで行く。
いつもの俺ならここで玄関越しに相手を確認してるところだ。
しかし、今回はそれを怠ってしまった。
それが全ての間違いだったんだ。
「やっはろー!」
「やっはろーですせんぱ」
光よりも早く扉を閉めた。
が、来客の足はそれよりも早かったようで扉の間に足が挟まる。
「なんで閉めようとするんですかー?」
「なんでってお前、そっちこそなんで俺の家知ってるんだよ......」
怖い、笑顔が怖いよいろはす!
この家を教えた犯人であろうもう一人の来客を睨むように視線を向けると、そいつは困ったような笑顔で頭のお団子をクシクシとしていた。
「ま、まぁまぁいろはちゃん。イキナリ来ちゃったのは私達だし。それよりもヒッキー、ゆきのんから何も聞いてない?」
「雪ノ下から?」
ここ最近の雪ノ下とのやり取りを思い返して見たが、特にこれと言って彼女ら二人が来るというのは聞いていない。
さっきのLINEも今日用事が出来たって事しか聞いてないし......
ここで再びLINEの通知音が。
ポケットの中から携帯を取り出すと、送信者はまたしても雪ノ下。
『ごめんなさい、一つ伝え忘れてたことがありました。今日そちらに由比ヶ浜さんと一色さんが行くと思うのでよろしく』
はは、あのうっかりさんめ。
「んで、何の用だよ」
携帯をポケットにしまい、改めて来客二人である由比ヶ浜と一色に向き直る。
「まぁ取り敢えずお邪魔しますねー」
「あ、ちょっ!」
一瞬気を抜いた隙に侵入を許してしまった。
このいろはす、さらに出来るようになっている...!
はぁ、と半ば諦めつつ嘆息して由比ヶ浜にも中に入るように促す。
「お前も上がれよ」
「えっと、大丈夫?」
「別に散らかってる訳でもねぇしな。隠すようなもんもないし、問題ない」
「じゃあ、お邪魔します」
由比ヶ浜を先導する形で部屋の中まで戻ると、早くも一色が部屋の物色を始めていた。
「お前何やってんの?」
「えー、どこかに先輩の秘蔵コレクションとか置いてないかなーって」
「置いてねぇよんなもん......」
つーか置ける訳ねぇんだよなぁ......。
毎日のように突撃して来る奴の相手をするのに、そんなものを置いていたら二時間コースの罵倒だ。
一色の物色を辞めさせ、由比ヶ浜に座るよう促し、キッチンで適当にお茶を入れて持って行く。
「で、お前らは何しに来た訳?こんな朝早くから」
「本当に雪ノ下先輩から何も聞いてないんですか?」
「えっとね、本当は今日ゆきのんといろはちゃんと三人で遊ぶ約束だったんだけど、ゆきのん用事出来ちゃったみたいでね、『代わりと言ってはなんだけれど、比企谷君をお貸しするわ。まぁ、彼が私の代わりを務められるわけがないのだけれど』って」
「え、なに、今の雪ノ下の真似?めっちゃ似てるじゃん」
そして俺は雪ノ下に売られたということか。
いや、まぁこいつらなら別に構わんのだが、これで相手が陽乃さんとかなら絶望した末に魔女になっちゃうね。俺魔法少女じゃないけど。
「にしても、ゆきのんにご飯作ってもらってるって本当だったんだね」
「......何故それを?」
「いやいや先輩、食器とか思いっきり二人分あるじゃないですか」
「あれはあれだよ。ほら、小町が遊びに来た時用にと言うかなんと言うか......」
「でもあのパンさんのティーカップは?」
「うぐっ」
それを取り出されると反論出来ない。
まさかあの時買ったティーカップがこんな所で敵に回るとは......。
「まぁいいじゃん。ヒッキーがゆきのんと上手くやってるようで私も安心したし」
「由比ヶ浜......」
ここで一つ衝撃的な事実を明かすとしよう。
実は、高校の卒業式の日に俺は由比ヶ浜に告白された。今まで短くない時間を共にして来て、彼女が俺に対して抱いてる気持ちは100%と言わずとも、ある程度察することが出来ていた。
もしかしたら、自分が告白する事で卒業後の奉仕部の関係が終わるかもしれない。そうして不安を押し切って、由比ヶ浜は俺に一歩踏み込んでくれたのだ。
その結果は今のこの生活を見れば分かってくれるだろう。俺は由比ヶ浜ではなく、雪ノ下を選んだのだ。だから、彼女の気持ちには答えられなかった。
俺は由比ヶ浜を振ったわけだが、当初の俺の不安などどこ吹く風とばかりに、由比ヶ浜は今でも俺との付き合いを続けてくれている。
だからと言って雪ノ下と疎遠になる事もなく、そこに一色や小町もいて、以前と同じ、いや、もしかしたら以前よりも俺たちの関係は強く深いものになってるのかもしれない。
それどころか俺の気持ちを応援するとまで言い出したのだ。
本当、由比ヶ浜には頭が上がらない。
「でもまだ告ってないんですよねー?」
と、俺の感慨など知る由も無しに一色がなんと無しにそんな一言を口にした。
「......悪いかよ」
「いや悪いって訳じゃないですけど、こんな半同棲みたいな生活を送ってるのにまだ告ってないって、先輩ってもしかして思ってた以上にヘタレ?」
「んー、あんまりモタモタしてたらゆきのん取られちゃうかもよ?」
「それはそうなんだが......」
俺よりも好条件な男なんぞこの世にはこまんといる。そんな男が雪ノ下とくっ付く可能性だってあるし、雪ノ下の実家が見繕ったやつとお見合い、なんて展開もありえる。
ゴールデンウィークの事を考えると後者はあまり考えられないかもしれないが、俺がモタモタしているのなら結局なにも変わらない。
「じゃあ先輩、ちょっと行きましょうか」
「行くって、どこに?」
「そりゃ雪ノ下先輩の所ですよー」
「は?」
きゃぴるん、と清々しいくらいにあざとい声色で、一色いろははよく分からない事を言いやがった。
「あ、ゆきのんいたよ!」
「何処ですか?あ、ほんとだ。わー、凄いおめかししてません?誰かとデートですかねぇ」
遠くに親友を発見して笑顔の由比ヶ浜と、何か他意を含んだようなニヤニヤ顔でこちらを見る一色。
そして俺たちより数メートル離れた所には、今日は用事があると断りを入れていた雪ノ下がいる。
俺たち三人は雪ノ下の死角となる位置から彼女を眺めていた。
「なぁ、マジでやるのか?これって普通にストーカーだろ」
「気にしたら負けだよヒッキー」
「そうですよ。そもそも先輩一人だと確実に通報されるから私達がこうして付き合ってあげてるんですよ?」
いやそもそも俺から頼んだ訳じゃないんだけどね。君らが勝手に俺を外に引きずり出しただけだよ?
さて、現在午前10時。夏休みの千葉駅は人混みでごった返している。
一色が俺の家でよく分からない事を口走った後外に連れ出された俺は、なぜか雪ノ下のストーカー、いや、尾行をする事になっていた。
もしかしたら雪ノ下が別の男と会ってるかもしれない、と一色が言いやがり、それはマズイよ、と由比ヶ浜が信じちゃって現在に至る。
え、俺の意思?彼女らには関係ないみたいですねはい。
雪ノ下が男と会ってるかもしれないと言われて何も感じないと言うわけではないが、別に雪ノ下が誰と会っていようが、それに対して俺にとやかく言う権利は無いだろう。
しかも雪ノ下が男と会うなんてのはまだ決まったわけじゃ無い。もしかしたら陽乃さんかもしれないし、俺たちの知らない雪ノ下の知人かもしれない。
「あ、相手の男の人来たみたいですよ!」
あー、やっぱり男だったかー。
胸の中にもやもやしたものが広がる。
落ち着け、雪ノ下が誰と会おうが勝手なのだ。そこに俺が口を挟む余地など無い。
もう一度先程と同じ思考を頭の中で反芻し、果たして相手はどんな奴なのかと目を凝らしてよく見て見ると
「あれ、葉山先輩?」
「隼人君だ......」
そこに居たのは、高校時代と変わらぬ爽やかスマイルを浮かべた葉山隼人だった。