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case31 Negotiation 〜交渉〜
夏季休暇中、エスペランサ・ルックウッドはダイアゴン横丁にある漏れ鍋という店に設けられた宿泊施設で寝泊りをする事にした。
本当ならばマグル界のビジネスホテルに泊まりたかったのであるが、ロンドン市内のホテルは宿泊費が高く、休暇中ずっと寝泊りをすればあっという間に財布がすっからかんになることは目に見えていた。
エスペランサは長い間、特殊部隊で作戦に加わっていた事もあり、貯蓄はそこそこある。
危険手当やら何やらがつく作戦に年がら年中参加していたのだから当たり前といえば当たり前だ。
しかし、裏ルートで暗視スコープや各種武器を1学年時に買い揃えてしまったせいか、貯蓄は当初の半分以下となってしまっている。
2学年時からは必要の部屋という名の何でもありな部屋を発見した事で、わざわざ購入しなくても高性能な武器が手に入るようになったのだが、それでも残金は心もとないものとなってしまったのだ。
という訳で彼はマグル界と比べて物価の安い魔法界で寝泊りをする事にしたのである。
とは言え、魔法界はその少ない人口ゆえに宿泊施設が少ない。
ロンドン市外の裏にあるダイアゴン横丁に存在する宿泊施設はたったの2箇所であった。
そのうちの一つが漏れ鍋である。
魔法界に来てからエスペランサはずっと気になっていたのだが、魔法族というのはあまり綺麗好きではないらしい。
ダイアゴン横丁はゴミこそ落ちていないが、殆どの店が埃だらけであるし、蜘蛛の巣もちらほら見かける。
書店や用具品店の陳列棚は無秩序であるし、漏れ鍋の宿泊施設も中世ヨーロッパの農家のような内装であった。
エスペランサはこれが我慢ならない。
軍隊では常に整理整頓が義務付けられ、身の回りのものは全て手入れをする。
物の置き方一つとっても統制があり、守られなければ鉄拳制裁が待っていた。
彼が常日頃から自身の装備を手入れするのは、いざと言うときに作動不良が起きない為というのもあるが、染み込んだ軍隊生活の名残のためでもある。
ロンドン市内のスーパーマーケットの綺麗に統制された陳列棚を見たり、文明社会を見て心の安定を彼は2日にいっぺん図っていた。
そんな訳で、エスペランサは宿泊初日に部屋の掃除と整理整頓をほぼ1日かけて行った。
未成年は魔法が使えないので箒と雑巾、それからロンドン市外で買ったマグルの清掃道具をフルで使用して、軍隊の営舎内ばりに綺麗な部屋を完成させた。
「これでいつ当直士官の巡検が来ても大丈夫だろ」
と彼は掃除を終わらせた後に呟いた。
エスペランサが宿泊してから数日が経った頃、彼の級友であるハリー・ポッターが何故か漏れ鍋に泊りに来る。
ハリーはサレー州に親戚の家があり、そちらで休暇を過ごしていたはずなのだが、どうも、その親戚宅でイザコザを起こして家出してきてしまったらしい。
詳しく聞けば、彼は魔法を暴走させ、意地悪なおばさんを風船のように膨らませてテイクオフさせたようだ。
この件は未成年の魔力の暴走ということで魔法大臣がお咎め無しとしたらしいが、未成年の魔力行使は英国魔法界の民法により、一応、裁判が行われる事になっている。
それを大臣は権力を使い握りつぶしたというわけであるから、法制度が機能していない事となるわけだ。
そのことに危機感を持つエスペランサであったが、一方で、なぜ大臣はそうまでしてハリーを保護したかったのか?と疑問に思う。
ハリーは魔法界の英雄には違いないが、だからと言って大臣のファッジはハリーに対して過保護が過ぎる。
考えても埒が明かないのでエスペランサは忘れる事にした。
昨年、世話になったウィーズリー家は家族総出でエジプトに旅行中(宝くじで当たったらしい)だったので隠れ穴にお世話になる事は出来なくなった訳であるが、返ってその方がウィーズリー家に気を使わずに済むという点で楽であった。
ウィーズリー家は非常に良い家族で、ウィーズリー家で過ごす休暇をエスペランサも気に入っていたが、長年、軍隊の基地内で有刺鉄線に囲まれる生活を送っていた彼には少し眩し過ぎたのである。
兎にも角にも、エスペランサは夏の一時をダイアゴン横丁でのんびり過ごす事に決めのであった。
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横丁の一角に存在するフローリアン・フォーテスキューという名の店主が営む店のバルコニーでエスペランサはハリーとサンデー(店主がサービスで無償提供してくれたもの)を頬張っていた。
夏の日差しを避けるために設置されたパラソルの下で、ハリーは魔法史の課題である「中世の魔女狩りは無意味だった」という題のレポートを作成し、エスペランサは孫子の兵法に関する書物を読んでいる。
長年、米軍の特殊部隊にいたエスペランサは様々な教育を受けたが、その内容は基本的に作戦や戦略、サバイバル技術、戦闘訓練、情報戦など偏ったものが多い。
故に、マグルで言うところの世界史など学習したことが無かったので「中世の魔女狩り」というものが一体どういったものであったかなど知る由も無かった。
比較的成績優秀なエスペランサであったが、彼は自分に必要ではないと思った課目に関しては一切勉強しない。
賢者は過去に学ぶ、と言う言葉はあれど、中世の魔女狩りが今後、必要となる知識とは思えなかったため、エスペランサは魔法史の課題をたったの3行で終わらせていた。
羊皮紙と睨めっこして「あーでもないこーでもない」と頭を悩ませるハリーを横目で見ながらエスペランサは兵法書をテーブルの上にパタンと置いて伸びをする。
「そんなに頑張ってレポートを仕上げたところで、夏の課題は成績の評価に直接は関係しないぞ。それに魔法史のビンズが全生徒のレポートに目を通すとは思えん。適当にやっても大丈夫だろ」
「それ、絶対にハーマイオニーの前で言わない方が良いよ。小一時間説教されるから」
「違いねえ」
「ところで、エスペランサは今日暇?この後、箒専門店に行こうと思うんだけど一緒に行かない?」
羽ペンを羊皮紙の脇に置きながらハリーが言う。
「昨日も行っただろ。あのファイヤボルトとやらの前で30分も居座って………。買いもしない箒を眺めるだけってのは不毛な時間を過ごしてるとしか思えない。それに、俺は今日はやることがあるんだ」
「やること?」
「ああ。こいつを量産できないかどうか検討しないといけない」
そう言ってエスペランサはテーブルの下においてあった軍用鞄から透明なフラスコ瓶を取り出す。
フラスコの中にはどす黒い液体が入っていた。
「まさか、それって………」
「ああ。採取したバジリスクの毒だ。採取した毒は合計して1リットル程度だが、こいつを量産して戦力にしたいと思ってな」
ハリーはエスペランサの考えを聞いて顔を青くする。
バジリスクの毒はヴォルデモートの魂ですら一瞬で消し去った強力なものだ。
それを軍事転用しようとするエスペランサの思考は常軌を逸している。
「僕はそれは止めた方がよいと思う。だいたい、毒って量産できるものなの?魔法薬の授業では薬品や薬の原料となる魔法生物の体液は魔法じゃ増やせないって言ってたけど」
「何だかんだで魔法薬学の授業まじめに受けてるんだな………。まあ、一般的には不可能だろう。だが、どうもノクターン横丁へ行けば毒の量産が出来る道具が置いてあるって話だ」
「ノクターン横丁って………。あんなところに行くの?一人で?」
「いや、俺は場所を知らないし、案内してくれる奴がいる」
「案内してくれる人って…………あんなところに詳しい人がいるの?」
「ああ。そろそろここに来るはずなんだが………。あ、来た」
ふと店のバルコニーの入り口を見ると一人の女子生徒が会釈をしているのが見えた。
長い金色の髪、どこか冷めた目。
ホグワーツ内では密かに恐れている学生も多いフローラ・カローが立っていた。
店内にいる客のほとんどはマグルの服装をしているが、彼女は学校と同様にローブを着ている。
ハリーは彼女を見つけるなり露骨に嫌そうな顔をする。
無理も無い話だ。
昨年の一見以来、ハリーもロンもスリザリンアレルギーが激しくなり、スリザリンの名前を聞くのも嫌になるようになってしまっていた。
また、感情を一切表に出さず、常に冷たい目をしたフローラをハリーは若干、恐ろしく思っている節もある。
もっとも、エスペランサはフローラが反純血主義であることを知っていたし、この2年間の出来事で彼女に並みならぬ信頼を寄せていた。
また、1学年時に比べれば彼女は感情を良く表に出すようになってきたとも思っている。
「お久しぶりですね」
2人が座るテーブルに近寄ってきたフローラは軽い挨拶をする。
ハリーはまだ怪訝な顔をしたままだったが、エスペランサは気にせずに言葉を返した。
「久しぶりだな。悪いな。こんな休日に付き合ってもらっちまって」
「いえ。課題も終わってますし、暇でしたから」
ちらっとハリーの未完成の課題レポートを見ながらフローラは言う。
「それに、私はあまり家に居たくは無いので………」
さらりと言った一言であるが、その言葉には確かに影があった。
フローラの家庭には何らかの問題があるらしかったし、それが原因で彼女が反純血主義を貫いていることもエスペランサは推測できたが、あえて触れていない。
「そうか。じゃあ、とっととノクターン横丁に行って用事を済ませたら早めの晩飯にでもするか。どうする?ハリーも来るか?」
ガタッと席を立ち、鞄を持ち上げながらエスペランサはハリーに言った。
「いいよ僕は。あの横丁にはあんまり行きたくないしね………」
どうやらハリーはノクターン横丁にトラウマがあるらしい。
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ノクターン横丁はダイアゴン横丁に隣接する形で存在している。
そもそもは魔法省が流通を禁止した物品を売買する魔法使いが集まったことによって出来た区画であり、現在でも非合法の物品が売買されている。
裏取引や非正規の製品、販売に規制がかかっている物品の非合法販売がまかり通っているために治安の悪い場所だと言われている。
だが、そんな町はマグル界なら数え切れないほどあるし、事実、エスペランサが入校前に銃器を手に入れたのもこの手の裏路地であった。
治安が悪いとは言え、強力な魔法薬やマニアックな道具などはダイアゴン横丁よりも圧倒的に品揃えが豊富であるので、裏取引目当てではない一般の魔法使いも足を踏み入れる場所である。
どんな平和な国でも非合法のやり取りがまかり通る区画と言うのは存在しているし、それなりに存在価値はある。
グリフィンドール出身の人間などは極端に正義感が強すぎるためにこの区画を毛嫌いする傾向があるが、必ずしも悪に染まった場所と言うわけではなかった。
エスペランサにしてみれば、彼の過ごした中東の街中とノクターン横丁は雰囲気が似ていたので案外、居心地が良いと感じてしまう。
あまり日差しの差し込まない路地に構える怪しげな店には珍しい物品が大量に置かれていたし、探せばいくらでも掘り出し物が出てきそうな雰囲気であった。
そんな横丁とは不釣り合いな容姿をしているのがフローラである。
ノクターン横丁に訪れる魔女は終始ニヤニヤ笑いをした如何にも中世の魔女といった感じの老婆や、性格の悪そうな中年魔女など年齢的には高齢者が多く10台の学生はめったに見る事が無い。
フローラは大人びた雰囲気を持っているものの、見た目は案外と幼かった。
冷めた目をしていることから学内では恐怖の対象となってはいるが、目を除けば案外幼さを残した容姿をしている、というのは最近になってエスペランサが気づいたことである。
「で?どこの店に毒の量産が出来る道具が置いてあるんだ?」
横丁に並ぶ店をキョロキョロ見渡しながらエスペランサが尋ねる。
「ここです。ボージン・アンド・バークスという基本的に非合法の危険なものばかり扱っている中古品店です。以前、立ち寄った際に魔法生物の毒を複製可能な道具が売っていました」
「値段は?」
「ファイアボルトがクィディッチの1チーム分買える程度です」
「そいつは良い。それだけの値段がつくってことは本当に毒の量産が出来る道具なんだろうな。その手の高価なものは必要の部屋でも出してくれないから現物を手に入れる必要がある」
「購入するつもりなんですか?」
「俺はそんな大金は持ち合わせてない。金は持っていないが、些細な問題だ。こっちには交渉素材があるかならな」
そう言ってエスペランサはボージン・アンド・バークスに入っていく。
ボージン。アンド。バークスの店内は薄暗く埃が被っており、黴臭さが目立つ。
しかし、売り物に関してはかなり整備が行き届いていて、ほぼ新品同様の状態で整然と並べられていた。
おそらく、店主であるボージンは魔法道具マニアなのであろう。
闇の魔法がかけられているような品物だけでなく、一般の魔法道具に至るまですべての商品が完璧な状態で保管されているし、並べ方にもこだわりがみられる。
大きな古いキャビネット棚を通り過ぎ、店内でも比較的高価な品物が並べられたショーケースにエスペランサは近づいた。
「ひょっとしてこれのことか?」
彼はショーケースの中に置かれた一組の魔法道具を指さす。
その道具はホグワーツの魔法薬学で使う魔法薬調合キッドに似ていた。
青銅で出来た大鍋、フラスコ瓶、ろ過装置。
ろ過装置に関して言えば、マグルの世界の高等教育で使用されそうである。
一見、何の変哲もない道具類ではあったが、値札には家が建ちそうな値段が書かれていた。
「おい。ここは餓鬼の来るところじゃねえ。とっとと帰んな」
ショーケースをのぞき込むエスペランサの後方から店主のものと思われる声があがる。
キャビネット棚の後ろから店主のボージンと思われる初老の男が現れた。
顔色は悪く身長も低い。
髪は白髪交じりで所々薄くなっており、辛気臭い印象を受ける。
何年も洗濯していないようなローブを引きずりながらボージンはエスペランサに話しかけた。
「その道具は子供には買えないし、扱いも出来ん」
「どういうことだ?」
エスペランサはボージンの失礼な態度に敬語を使うことも忘れて聞き返した。
「そいつはミトリダテスって名前の道具で強力な毒物を量産させるために中世の錬金術師が作ったものだ。本来なら博物館行か、魔法省の管理下に置かれる筈だったものだ。裏ルートでギリシャから流れてきたんだが正直値段をつけるのもどうかと思うほど貴重な代物なんだ」
ボージンは道具について説明をする。
やはりマニアなのだろうか、説明をするときは少々高揚した感じだ。
「今までにこれを買おうとした人間は?」
「いるさ。マルフォイ家にブラック家。あの家は闇の魔術がかかった道具を収集するのを趣味にしているからな」
「でも、売らなかった、と?」
「値段が値段だし、そもそもこの道具は扱いが難しい。それに、量産できる毒はアクロマンチュラ級の毒だけだからな。そんな強力な毒は手に入らないし、手に入ったとしても管理が困難だ。だから、こんな道具を買ったところで金の無駄だと皆思うんだろう」
アクロマンチュラの毒にはそんな価値があったのか、とエスペランサは思う。
「だ、そうですよ。購入は諦めますか?」
いつの間にかエスペランサの後ろに立っていたフローラが言う。
フローラの姿を見た瞬間、ボージンは途端に態度を変えた。
「か…カロー家のお嬢様がご一緒だったんですか!これは大変、失礼なことを……」
「お気になさらないでください。今は他の純粋なカロー家の人間はいませんので」
「し……しかし」
「今日は私の級友であるこの人が、その魔法道具を手に入れたいらしいので連れて来たんです」
「級友……この小僧、失礼、この坊ちゃんが級友?」
ボージンは不思議そうな顔をする。
どうやらフローラに級友がいることに驚いているようだった。
「そうですか……。しかし、いくらカロー家の娘の頼みといえど、このミトリダテスはそう簡単に売れる道具じゃ………」
「確かに俺はそんなに金は持っていない。だから交渉に来た」
「交渉?」
「見たところ、ボージンさん。あなたは魔法道具だけでなく高価なものなら何でも欲しがる人間だろ?」
「まあ、そうだ。高価なものだけじゃなく珍しいものも手に入れたいと思うのは人間なら誰しも持つ欲望だろうが」
「もし、仮にだ。めったに存在しない魔法生物の体の一部が手に入るとしたら、あんたはいくらでそれを買い取る?」
「何だ、唐突に。そりゃあ、その生物によるとしか言えないが………。まあ、そうだな、伝説級の生物の体の一部なら、それこそ、そこのミトリダテスと同等の値段は出すだろうな」
ボージンの言葉を聞いてエスペランサはニヤリとする。
「もし、それが今、ここにあるとしたら?」
「ああ?お前のような子供がそんな珍しいものを持っているはずはないだろう」
エスペランサは鞄からバジリスクの毒が入ったフラスコと、バジリスクからむしり取った牙を取り出す。
ボージンはそれを訝しげに見ていた。
「何だそれは」
「何だと思う?」
「見たところドラゴンか何かの牙と体液だろう。ドラゴンの牙ならダイアゴン横丁の雑貨屋でも売っているぞ」
「違う。これはそんなもんじゃねえ。あんた、日刊預言者新聞は購読しているか?」
「ああ、まあしているが」
「なら、1か月ほど前にホグワーツで起きた出来事も知っているよな」
「秘密の部屋が開かれて生徒が襲撃された事件か?そんなのは知っていて当然だg…………まさか!?」
日刊預言者新聞でホグワーツで秘密の部屋が開かれたことと、そこに生息する怪物が生徒に倒されたことは大々的に報じられた。
故に、英国魔法界の人間はホグワーツにバジリスクという名の怪物が潜んでおり、また、その怪物が倒されたことも知っている。
「そう。これはバジリスクの牙と毒だ」
エスペランサの言葉にボージンは驚愕する。
バジリスクは数千年もの間生息が確認されていなかった生物だ。
そんな生物の牙と毒が目の前にある。
ボージンだけでなく、魔法界の商人なら皆、それをこぞって手に入れたがるだろう。
「そ、それは本物なのか?」
「ええ。本物です。バジリスクを倒した本人が収集してきたのですから間違いありません」
フローラが言う。
「倒したって……まさか、この小僧が?」
ボージンは再びエスペランサを見る。
確かに、今まで気づかなかったが、この子供からは何か威圧的なオーラを感じる。
ボージンはそう思った。
「このバジリスクの毒と道具を交換しようと考えたんだが、生憎、俺はそのミトリダテスとやらの使い方を知らない。だから………」
そう言ってエスペランサはボージンに毒の入ったフラスコを手渡した。
「あんたにこれを譲渡する。もっとも、俺が採集したバジリスクの毒の1割にも満たない量だが」
「何だって!?」
「最初に言っただろ。これは交渉だと。俺はその毒を量産させたい。だからバジリスクの毒と牙を無料で譲渡する代わりに、あんたはそれを量産してくれないか?」
「いや、それは……。一体、その毒でお前は何をする気なんだ………」
「それは言えない。だが、あんたは世界で唯一、バジリスクの毒を所有した商人になる。しかも、無償でな。こんな良い話はないだろう」
「確かに……それは良い話だが」
「交渉の条件をまとめる。俺はあんたにバジリスクの毒と牙を一定数無償で譲渡する。あんたはそれを量産して俺に売ってくれ。値段に関してはフラスコ1瓶あたり10ガリオンで手を打とう。ただし、あんたはバジリスクの毒を俺以外に売買してはいけない。また、バジリスクの毒を所有していることを口外せず、私的利用もしない。これでどうだ?」
ボージンからしてみれば良い商売であった。
ミトリダテスの扱いは難しいとはいえ、魔法道具に精通した彼なら普通に扱える。
また、バジリスクの毒と牙という珍しいにも程があるものを彼はコレクションに加えることが出来、また、量産した毒はエスペランサが良い値段で買い取ってくれる。
それだけ十分に利益になるからバジリスクの毒をエスペランサ以外に売買する必要性はボージンにはない。
問題はこの毒が本当にバジリスクの毒であるか証明されていないことと、エスペランサが10ガリオンしっかり払えるかどうかの2点であった。
だが、エスペランサの横にはカロー家のフローラがいる。
カロー家の人間がボージンの店に偽物の毒を売りつけに来るとは考えにくいし、カロー家の娘なら10ガリオン程度の金なら簡単に支払えるだろうとも思った。
「………良いだろう。俺の店に毒の危険度を調べる道具もある。もし仮に、この毒が偽物だったら一発で分かるしな。あー、ひとつ約束してくれ、この毒は俺以外の店に譲渡しない、とな」
「抜け目がないな。俺からも条件を追加だ。俺とフローラが今日この店に訪れたこと、バジリスクの毒を手に入れたこと。これらは誰にも言うな。もし、それを口外しようものなら………」
「安心しろ。バジリスクの毒を俺が持っていることが世間にばれたら闇の魔法使いがここへ押し寄せてくることになる。そんな状況は俺も避けたいからな。後、俺は口は堅いほうだ」
「それは信用できないが…………」
エスペランサはボージンに手を差し出す。
ボージンはその手を握った。
「俺の名前はエスペランサ・ルックウッドだ。よろしく」
「気に入ったよ。俺はボージンだ」
こうしてバジリスクの毒の量産計画は可能となった。
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ノクターン横丁を後にしたエスペランサとフローラは再びダイアゴン横丁へ戻り早めの夕食を取ろうとしていた。
時刻は16時過ぎ。
夕焼けが横丁を赤く照らし、昼間とはまた違った雰囲気を醸し出す。
漏れ鍋の片隅のテーブルでボージンとの交渉に成功したことを祝していた。
時間が時間だけあって漏れ鍋の食堂には人が少ない。
店内は閑散としており、ただでさえ薄暗い店内がさらに暗く見える。
マグル界の蛍光灯に照らされた明るいファストフードに慣れているエスぺランサにはあまり馴染めない光景だった。
しかし、そんな環境下ならバジリスクの毒の量産の話をしても盗み聞きされる心配は少ないだろう。
「正直言ってあそこまで交渉が上手くいくとは思わなかった。ま、結果として毒の量産には成功したし、これで計画は順調に進みそうだ」
エスペランサはいつになく上機嫌だ。
バジリスクの毒の量産に目途が立ったことで彼の考える計画が成功する確率が飛躍的に高まったためである。
計画。
将来的に魔法界だけでなくマグル界を含めた全世界の平和を維持する独立部隊の設立。
その雛形となる部隊をホグワーツ内で作ることが彼の計画であった。
しかし、ホグワーツの生徒は魔法の腕も未熟であり、部隊を作ったところで闇の魔法使いや生物には太刀打ちできない。
それに、銃や野戦砲で武装した魔法使いの部隊という存在は英国魔法省が危険視することが容易に予想できる。
おそらく作った矢先に闇払いに潰されてしまうだろう。
故に、エスペランサはこの治安維持軍を秘密裏に組織し、数年をかけて育成しようとしていた。
そして、部隊の戦力が魔法省管轄下の闇払いを凌駕し、闇の魔法使いや生物を圧倒するものになったのならば、公にその存在を知らしめることにした。
闇払いや闇の魔法使いに生物を凌駕する戦力を数年で整えるのは非常に困難であるし、行く行くはマグル界の武装組織との戦闘も想定しなくてはならない。
そうなった時に必要とされるのは通常の武器や魔法とは一線を画した「切り札」の存在だ。
魔法省をけん制し、闇の生物を圧倒できる切り札の存在があれば、彼の作る部隊はこの世界で大きな発言力を得ることが出来るし、一種の抑止力ともなり得る。
云わば、冷戦期における核兵器のような抑止力となる存在が欲しかったわけだ。
その切り札こそが「バジリスクの毒」。
おそらく現存する毒物の中で最も強力で、いかなる敵でも死に至らしめるバジリスクの毒は兵器に転用すれば強力な戦力となるだろう。
「しかし、量産した毒はどうやって使うんですか?強力なものには違いありませんが、管理も困難ですし、そもそも毒を武器にする方法を私は思いつきません」
テーブルの向かいに座るフローラが言う。
その疑問は至極当たり前のものだ。
マグル界でも毒を兵器に転用した例は毒ガスのように空気散布するものくらいしかない。
バジリスクの毒は空気散布出来るようなものではなかった。
「それはもう考えてある。これだ」
そう言って彼は懐から銃弾を取り出す。
薄暗い店内で不気味に光るその銃弾は一般に7.62ミリ弾と呼ばれるものであった。
「魔法使いと正面から戦った時、銃はあまり役に立たない。闇の魔法使いは盾の呪文くらい簡単に使えるだろうからな。先の戦いでもそれは思い知った。だが、正面からの戦いではなく、例えば狙撃などは対魔法使い戦闘において有効であると俺は考える」
盾の呪文は使い勝手が良い。
しかし、当たり前だが、呪文を唱えないと発動しない。
故に使用者は敵の攻撃を視認してから呪文を唱えることとなる。
よって狙撃に対して魔法使いが盾の呪文で対応するのは難しい。
実際、バジリスク戦でもエスペランサの放った対戦車榴弾の初撃をヴォルデモートは防げなかった。
「なるほど。銃弾に毒を染み込ませて使うんですね。銃弾を食らったら最後、銃弾に染み込んだ毒が体内に浸透して確実に死を迎える、と」
「そういうことだ。バジリスクの毒はあらゆる生物をしに至らしめると聞く。銃弾で死なない生物でもこの弾丸なら恐らく………」
「ですが、あのボージンは信用出来ますか?もし彼が毒を闇の魔法使いに流したら逆に脅威にもなりますよ?」
「その点も抜かりない。初めて会ったが、ボージンは武器商人として有能だ。余程のことがない限り闇ルートに毒を流したりはしないだろう。それに、バジリスクの毒を所有しているとなれば狙われる可能性も高い。無暗に売買するなんてアホなことはしないはずだ。万が一、彼がバジリスクの毒の量産を口外したり、俺たち以外に流したりしたら………その時は迷わずに消す」
敵陣営に切り札となり得るバジリスクの毒が渡るのは何としても阻止しなくてはならない。
もし仮にボージンがそのような行動を起こしたら迷わずに引き金を引く事をエスペランサは決めていた。
「あんた、こんなところで何やってんの?」
エスペランサが銃弾を懐に仕舞うと同時に、背後から何者かが声をかけてきた。
振り返ってみれば、3人の人間が彼とフローラを見下ろして立っている。
その3人にエスペランサは見覚えがあった。
エスペランサよりも1学年上のスリザリン生3人組である。
3人中2人の名前は咄嗟に思い出せなかったが、中心に立つリーダー格の女子生徒の名前はすぐに分かった。
ヘスティア・カロー。
フローラ・カローの1つ上の姉である。
容姿端麗なフローラとはうって変わってゴリラとトロールを足して2で割ったような見た目をしており、長年の軍隊生活で肉体が鍛えられているエスペランサよりもガタイが良い。
身長も170を超える。
フローラは反純血主義であったが、ヘスティアの方は根っからの純血主義だ。
セオドール・ノットのように文化的な面から純血主義を重んじる主義者も居るが、ヘスティアの掲げる純血主義はマルフォイ家同様に差別的なものである。
また、彼女は4学年のスリザリン女子生徒のドンであり、その粗暴さと性格の悪さから一部の生徒に非常に恐れられていた。
学業はお察しである。
「夕食の最中です。今日は外出先で夕食を済ませると既に伝えていたはずですが?」
フローラの返事はいつにも増して冷ややかであった。
そう言えば、エスペランサはこの姉妹が会話しているところを校内で見たことが無い。
「マグルびいきの劣等生と一緒に夕食をとる、とまでは報告になかったようだけれど??」
ヘスティアはエスペランサを顎で指して言う。
彼女の腰巾着2名はエスペランサを見てせせら笑っていた。
「劣等生、ですか?それがエスペランサ・ルックウッドを指して言った言葉なら撤回を求めます。彼の成績は一部を除いて非常に優秀ですし、先学期は秘密の部屋の怪物を倒すという偉業も成しています。あなた達が束になっても彼には及びません。それに、外出先で誰と行動しようと私の自由です。家の外での自由は保障する、というのが“約束”だったはずですが?」
フローラは自分の2倍以上はあるであろう姉に一歩も引かずにこう言い切った。
元から沸点の低いヘスティアにはこれが我慢ならなかったのだろう。
彼女はテーブルを拳でバーンと殴り、フローラに詰め寄る。
「養子のくせに偉そうなことを言うじゃないの!少し見た目が良いだけでいい気になって………。あんたはカロー家にとって唯の道具に過ぎないの!ちょっとは身の程を弁えなさい!」
「そんなことは承知しています。それに私はカロー家のことを誇りに思ったこともありませんし、むしろ、恥としか感じていません。この家に籍を置いているのも不本意ながら、です」
「よくもそんな事が言えたもんだわ!お情けで引き取ってもらって、良い思いをしてきたくせに!?」
「良い思いなんてしたことはありませんが」
ヘスティアは今にもフローラを殴りかかりそうな勢いであった。
もし物理的な戦闘になればフローラに勝ち目は無い。
エスペランサは見かねて止めに入る。
「その辺で止めておけ。ここは公共の場だ。家庭内のイザコザを外でやるんじゃない。あんまり騒ぎを起こすと、あんたが誇りに思ってるカロー家とやらの名に泥がつくぞ」
「はん。あんたみたいな奴と関わっているという事実だけでカロー家の名に泥がつくの。唯でさえこの腐れ妹があんたと仲良くしてるという噂がスリザリン内だけでなく純血家系でも流れて、あたしたちの肩身を狭くしてるんだから」
ヘスティアは今度はエスペランサに詰め寄ってくる。
いくらガタイが良いとは言え、ヘスティアは所詮、ただの学生だ。
徒手格闘に長けたエスペランサが本気を出せば、一瞬で倒す事ができる。
彼はフローラを守るようにしてヘスティアの前に立った。
「他人の家の事情に口出しをするのは気が引けるが、お前の言動はフローラの人権を無視したもので俺としては看過出来ん」
「あんた、あたしよりも年下でしょ?生意気な口利いてると痛い目を見ることになるわよ?」
「痛い目だって?お前らが束になってかかってきても俺には勝てない」
「口だけは達者じゃない。なら本当に痛い目にあわせてあげる」
そう言い終わらないうちにヘスティアの腰巾着2名が(ちなみに2人とも男だった)エスペランサに飛び掛ってきた。
腰巾着2人はエスペランサよりも10センチは身長が高い。
加えて、体積も2倍近くある。
しかし、その体積は筋肉ではなく贅肉が殆どを占めているようで動きはかなり鈍かった。
同時に殴りかかってきた2人の拳を軽くかわす代わりに、エスペランサは片方の人間の腕を掴んで捻り上げる。
「いてええええええ!!」
一切の加減をしていない捻り技によって腰巾着の一人が悲鳴を上げる。
「怪我人が出ると面倒なので加減してください」
その様子を見ながらフローラは静かに言う。
「了解」
エスペランサは手の力を緩めた。
技をかけられていた男子生徒は床にドウと倒れてうずくまる。
「動きが鈍い上に無駄が多過ぎる。新米の二等兵の方がよっぽど強いぞ」
彼は技をかけられていない方の男子生徒にゆらりと近づいた。
男子生徒は近づいてくるエスペランサを見て顔を青くする。
「ひ、ひいいい」
エスペランサの目には明らかな殺気が漂っていた。
幾度の戦場を潜り抜けてきた彼の殺気を帯びた目を見て恐怖しなかったのはヴォルデモートぐらいなものである。
男子生徒は怖気づいて店から飛び出していった。
「で?そっちのデカイのはまだやるのか?」
エスペランサは未だに腕を押さえてうずくまっているもう一人の男子生徒に問いかけた。
その生徒は首を小刻みに横に振り、戦意がないことを伝える。
「という訳だ。どうする?ヘスティア・カロー?」
エスペランサは信じられない、という顔をして立ちすくんでいるヘスティアに問いかけた。
「な……覚えてなさい!いつか絶対に痛い目にあわせてやるから!」
そんな捨て台詞を吐いてヘスティアと腰巾着は食堂から退散していった。
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「ご迷惑をおかけしました………」
3人が去った後でフローラが謝罪をする。
「いや、むしろ謝るのは俺の方だ。勝手に介入して………。この一件のせいでフローラの家やスリザリンでの立場が危うくなったら俺の責任だ」
ヘスティアはスリザリン内で強大な権力を持っている一人だ。
彼女に逆らえば、寮内で平穏に生活する事は難しくなる。
また、家庭内でもフローラに対する風当たりが強くなることが予想され、エスペランサは悔恨の念に襲われた。
「それにしても、養子だったのか」
「言っていませんでしたっけ?私はカロー家の血は引き継いでいません。ホグワーツ入学前にカロー家に引き取られたんですよ」
「それは一体何故………」
「簡単な話が政略結婚のためです。ほら、私の姉……実の姉ではありませんけど。見ての通り、あまり良い性格はしていません」
「そのようで」
「純血家系は純血家系と政略結婚をさせたがるのですが、カロー家も例外ではありませんでした。カロー家は娘を嫁がせるならマルフォイ家などの権力を持った家と決めていたんですが、上手くいきませんでした。どの家の息子も横暴な姉と結婚するのは嫌だったそうです」
確かにその通りだ。
あの性格と見た目のヘスティアと結婚をさせられそうになった純血家系の子供にエスペランサは少し同情した。
もし自分が相手側の子供もしくは当主だったとしたらヘスティアを家に迎え入れたくはないだろう。
仮に迎え入れたら家庭が崩壊しそうな気がする。
「そこで、私の義理の父にあたるカロー家当主は遠い親族にあたる私を養子に迎え、政略結婚の道具にしようとしたわけです」
「酷い話だな」
フローラは性格はともかくとして見た目なら十分に戦略的価値がある。
政略結婚の交渉素材にするのならうってつけだ。
しかし、無理やり家に引き取って政略結婚の道具にしてしまうのはひどい話であった。
「そうですね。私は前の家での生活のほうが気に入っていたので………」
「前の家……か」
「はい。まあ、祖父と二人暮らしだったんですけどね。両親は幼いころに亡くなっているので」
エスペランサがバジリスク戦で失ってしまったフローラにもらった鞄は、元々は彼女の祖父のものであったと聞く。
彼女が家族の中で祖父だけには心を許しているという話を聞いたことがあるが、この話を聞いて納得した。
フローラの本当の家族は祖父だけだった、というわけだ。
「あなたと初めて出会ったときのことを覚えていますか?」
「それは、例の図書館での一件のことを指してるのか?」
「そうです。私がとあるスリザリンの上級生に絡まれていたところを助けていただきましたよね」
「そんなこともあったな」
エスペランサは既に空となったコップを手でいじりながら、1学年の時のハロウィンを思い出す。
男子生徒にしつこく付きまとわれていたフローラを助けた出来事だ。
確か、男子生徒をバトルライフルで脅して追い払ったはずである。
あの出来事以来、フローラと彼女の友人であるグリーングラスはエスペランサと親しくなった。
「あの時の彼が私の政略結婚の相手の候補の一人でした。しかし、あなたが銃で脅したおかげで、彼は私から手を引いてくれたようです」
「そ…そうだったのか」
「だから、あなたには感謝しているんですよ?」
「じゃあ、その男子生徒が手を引いたってことは、フローラはもう政略結婚はしなくても済むってことなのか」
「いえ。彼は候補の一人に過ぎませんでした。相手の候補はまだ複数人存在します」
「ではフローラは将来的にその候補の誰かと結婚させられる……と?」
「……………嫌です」
エスペランサの問いかけに少しの間をおいてフローラは答えた。
「勝手に自分の人生を決められて………。誰かの描いたシナリオの上で踊らされる人生なんて嫌です」
「………………」
「でも、私にカロー家に歯向かえるだけの力はありません。祖父の元を離れるのは嫌でしたが、しかし、私には抵抗する力がなかった。無力さを嘆き、半ば人生について諦めかけていたんです。そんな時にあなたに出会いました。正直、羨ましかったです」
「羨ましかった?」
「あなたには力がありました。まあ、あなたはそれを否定するとは思いますが。でも、どんな強大な力にも屈すことなく抗い、そして勝ってしまうあなたを羨ましく思ったんです。それに、もしかしたら………」
「もしかしたら?」
「いえ、これは忘れてください。とにかく、私も出来るだけ抗ってみることにします」
「………そうだな」
もし、エスペランサが計画を達成し、理想の世界を作り上げたなら。
そこにはきっとフローラを縛り付けるものなど何も無く、彼女は自由に生きることが出来るかもしれない。
ならば、やはり自分の計画は間違ってなんかいない。
どんなに自分の手を血に染めようとも、その先にある世界でフローラが笑って過ごせるのならそれで良い。
エスペランサはそう思った。
やっとアズカバンに入りました。
今後もよろしくお願いします。