6番目のアーウェルンクスちゃんは女子力が高い 作:肩がこっているん
『闇の福音に神楽坂明日菜両名、間も無く桜通りへと到着します』
『フォフォフォ、それでは皆の者、手筈通り頼むぞ。念の為にもう一度言うが、くれぐれもネギ君に我々の事を気付かれんようにな』
我らが学園長の飄々とした声が脳内に響く。
辺りに目を走らせると、夜の帳を蠢く
しかし、今は幾分ーーいや、だいぶ風貌が変わってしまっているが。
『第一班、行きます! 皆、私に続け!』
影が動き出す。彼らが暗い茂みの中から街灯に照らされた通りへと躍り出ると同時に、少女の甲高い叫び声が上がった。
それが此度の作戦の決行の合図であった。
「な、何よこれぇーーーーっ! なんで、なんでこんなにーー」
その声はこの場に居合わせた唯一の一般人の少女。可哀想に。彼女は不運にも、この作戦とも呼べない出来の悪い三文芝居に巻き込まれてしまった犠牲者なのだ。
「アスナさん! どうしたんですか……って、うわぁ! チュ、チュパカブラが! 一、二、三四五六……か、数え切れないくらいいっぱい⁉︎」
「ネギ君、勝手に飛び出しては駄目だ! む、これは一体……」
桜通りは早くも阿鼻叫喚の様相を呈している。それを受けて、潜んでいた他の影が次々と動き出す。
『よし、そのまま彼女らを分断するのじゃ。一般人の明日菜君に怪我をさせる事の無いようにのぅ』
言われずともそのつもりである。
「私達も行きますよ」
後ろに控えていたチームメイトに声をかけ、返事も待たずにその場から飛躍する。
我らは訳あってチュパカブラという異形の怪物に身を扮した学園の魔法教師。何も知らない少年少女達を、何やら邪な謀事を胸に秘めた吸血鬼の毒牙から護るという使命がある。
三者三様の思惑が絡み合う夜はまだ始まったばかりだ。
《ネギ君の成長を見守るチュパカブラ軍団》。今回の任務名である。ネギ・スプリングフィールドに実戦経験を積ませるために闇の福音が一芝居打つというもので、その監視役として私たち魔法教師が抜擢されたのだ。
発案者は他ならぬ学園長本人。
緊急の報だと言って放課後に呼び出された我々を待ち構えていたのは、学園長室いっぱいに埋め尽くすされた“チュパカブラの着ぐるみ”だった。そして呆然とする我々に向かって、学園長は此度の奇妙奇天烈な任務内容を明かしたのである。
現在、ここ桜通り周辺一帯には“空間拡張の結界”が張られている。学園の手練の魔法使い複数人で作り上げた本格仕様であり、半径200メートル程の結界の内部は、現実空間の十倍以上にまで膨れ上がっている。追加で増やされた木々のソリッド・ビジョンは術式によって実体を持っており、術者側の並々ならぬ熱意が感じられる。当然、遠目からは桜通りに変化が起きているように知覚される事は無い。
さらには、大掛かりにも学園の“認識阻害結界”のシステムを流用し、ターゲットであるネギ・スプリングフィールドと神楽坂明日菜にはこの“拡張された桜通り”を“異常”だとは認識出来ないように保険までかけられている。
特例にもほどがある。それほどまでに学園長は“英雄の息子”に入れ込んでいるのか。
元々は女子寮の近くで暴れられては困るという我々側からの苦言に対する解決案に過ぎなかったはずが、蓋を開けてみればまるで、こんな事もあろうかと思って前々から準備していました、と言わんばかりの手際の良さである。タチの悪い事この上ない。
結局、異を唱える隙も何も有りはしなかった。流されるがままチュパカブラの着ぐるみに着替えた我々は、釈然としない気持ちを押し殺し、これも仕事だと胸に言い聞かせながらこの場に立っている。
加えて私はチーム単位で動くこの任務に置いて、一つのグループのリーダーを任されてしまった。日頃の行いの良さがこんな所で災いするとは目も当てられない。学園長からしたら私が断る姿など想像出来ないのだろう、それほどまでに学園長の私に対する印象は良好だ。
ーーまさか私の本来の所属は麻帆良学園では無く、外部からの派遣だという事を忘れているのではでしょうね?
何はともあれ、結果的に引き受けてしまった事に変わりは無い。切り替えは大事だ。一小隊のリーダーとして、班員たちの模範となるよう整然とした態度で臨むべきだろう。
これもまた、小さな善行を積み重ねる行為に繋がると思えばこそ、である。
「いやいや、少し驚かせ過ぎたかな。こういった事は慣れてなくて加減がわからんよ」
「あの神楽坂って女の子、確かネギ君と同室の一般人ですよね? こんな事に巻き込まれちゃって可哀想に」
「ネギ君がほっとけないんだろう。勇敢で実に頼もしい子じゃないか。3-Aの生徒は皆粒ぞろいとは本当だね」
班員の二人は実にリラックスした態度で雑談を交わしている。後ろに目をやると、二人共着ぐるみのチャックから顔を出して、パタパタとチュパカブラの頭を
そう、彼らのような不真面目な連中を導くためにも、私は指針を示さねばならないのだ。言うべき事はハッキリと告げるとしよう。
「……その着ぐるみは学園長曰く“レンタル品”だそうで、取り扱いには注意を払うように。後で別途請求がきても知りませんよ」
「えっ、そうだったんですか? しまった、さっき盛大にすっ転んだんだ。穴空いてないかな……ああ、情報ありがとうございます」
彼らはお互いに着ぐるみの損傷の有無を確認し合う。やがて傷一つ無い事がわかると、彼らはホッと一息ついた後に、「チープな割に丈夫なんだね」と言って再び雑談に戻る。
ーーまぁ、これが普通でしょう。
この任務内容で常に気を張れと言うのも酷な話だ。第一、我々のグループに与えられた“神楽坂明日菜を
ようは今現在は暇を持て余している状態なのだ。後はネギ・スプリングフィールドと闇の福音が実際に交戦を始めるまで我々に仕事は無い。これくらいの気の緩みは大目に見るとしよう。
「そう言えば、神楽坂ちゃん。この件が終わったらどうなるんですかね? やっぱり規則通り記憶を消す事になるんでしょうか」
「そりゃそうだろうーーって、言いたい所だけど、正直わからんなぁ」
「記憶を消されない、なんて事があり得ると?」
「うむ、私もハッキリとは言えないんだが……あの、3-Aっていうクラスは
「あのクラス、治外法権みたいなもんですからね。どんな事件を起こしても学園長の裁断で無理やり丸め込まれるし」
「そうそう、過去にはガンドルフィーニ先生をはじめ大勢の魔法教師連中が学園長と衝突したものだよ。今ではすっかり角も取れて丸くなったけど」
丸くなるどころか潰れてしまったのだが。
ガンドルフィーニ先生らが長期休暇に入る事になった際、誰一人として不平不満の声が出なかった。それほどまでに他教師からの同情を集めていた。
「それに、十歳の子供を担任に据えるだけじゃなく、生徒の部屋に同居人として寝泊りもさせているんだよ? それだけ私物化している3-Aだ。きっと上手いことネギ君との間にきっかけを作らせて、そのままパートナー契約でも結ばせようと考えているに違いない」
「うわぁ、そういう風に聞くと悪どいなぁ、学園長」
「悪どいも何も悪党さ! 実際に我々はこうしてサービス残業を強制させれているのだからね! ただでさえガンドルフィーニ先生らが休職に入ってしまって、処理出来なくなった案件等の皺寄せにてんてこ舞いなんだ! あぁ、妻の温かい手料理が恋しいよ……」
本音はそちらか。
しかし、学園長が悪党かどうかは置いておいて、裏で色々と手回しをしている事は確かだ。
ここに居る彼らは知らないだろうが、ネギ・スプリングフィールドは既に魔法バレという違反を犯している。だが、学園長はその事実をあっさりと流した。本国に知られれば即有罪判決が下されるであろう事案を、だ。私を含め、一部の魔法教師にはこの事を明かしているだけに、これはもう開き直っていると言っていい。学園長は確信犯だ。暗に“揉み消す手立てならいくらでもある”、そう言っているに等しい。
ただ、今回の件に関しては不可解な点が多い。
どの辺りが不可解なのかと言われれば全部と答えたい。未来有望な少年に力をつけさせるという目的も、それによって得られる相対的効果も、理解はできる。ただ、何故それを今やらねければならないのか。もう少し時期相応なタイミングは無かったのか。闇の福音はどういった経緯で此度の案件を了承するに至ったのか。何もかもが説明不足だ。
学園長は何故ーーここまで事を急がねばならぬのか。
学園長は焦っている。焦らされている。
その焦りの原因の先に何が待ち構えているのかは知る由もない。ただ、あまり良い事ではないのだろう。
最後に責任を被るのが学園長一人であれば、そこまで問題ではないのだが。
森は依然として静かだ。
そろそろ交戦が始まっていてもおかしくない筈だが、それらしき音は一切聞こえてこない。
班員たちの無駄話もいい加減に聴き飽きた。既に作戦とは関係の無い内容へと移って、ヒートアップしている。我々は世間話をしに来たのではない。
ーーこれは様子を見に行くべきか。
「そこ、無駄話はそこまでにしなさい。少し移動しますよ」
「す、すいません、今すぐ支度を……って、あぁ⁉︎」
「どうしたんですか先輩?」
「着ぐるみのチャックの引き手が無い! その辺に落ちてないかな⁉︎」
慌てて身なりを整える班員を横目に、近辺に軽く
我らは他班からかなり孤立した場所に居るようだ。
位置どりを誤った覚えは無いのだが。
ーー間違いは無い。私達の待機場所はここで合っている。
その証拠に、今私が背を預けている木の幹には、私達の班番号である“6”の数字がマーキングされている。ここからそう離れていない場所には他班が待機しているーーはずなのだ。
「……そう言えば君、ウチの班のリーダーはどなただったかな?」
「声色からして女性って事くらいしかーーって、先輩も知らなかったんですか!」
「しょうがないだろう、なんせ集まった時から皆この着ぐるみを着用していたんだから。それよりもチャックの引き手は……」
「こんな真っ暗じゃ探しようも無いですよ。諦めて修理代払いましょう?」
班員の私語を注意している場合では無いようだ。
未だ着ぐるみの着用に苦戦している彼らを残して、一足先に夜の闇へと飛び込む。
異常はすぐに確認できた。
ーー流石に静か過ぎる。
近辺に人が居ないという理由だけではこの静かさは説明できない。
聴覚強化の魔法を使っても、せいぜい私を追いかけて来ている班員二人の私語しか耳に届かない。
高々とそびえる木々に視界を覆われたままでは得られる情報も少ない。
いっそ空から全体を見渡せればいいのだが、この“拡張結界内”は
無理に飛ぼうとしようものならーー
「うわぁぁぁっ⁉︎」
「せ、先輩⁉︎ お、落ちるーー」
ーーこのように無残にも地に体を打ち付けることになる。
二人組のチュパカブラは墜落するだけでは止まらず、流れるように地面を滑走し、ちょうど私の目の前で仲良く静止した。
「貴方達は作戦説明を聞いていなかったのですか?」
「……うっかりしていました」
もはやため息も出ない。彼らには後ほど指導が必要かもしれない。
とりあえず他の班に連絡をーーそう思って、共同用の念話符を額に当て、チャンネルを開いた。
『ザザ……ザザザザザザ……ザザザーー』
しかし、人の声はおろか、砂嵐が吹き荒れるばかりでこちら側のコール音すら鳴らないとはどういう事か。
念話が妨害されている? いや、この症状はーー
「あ、先輩、そこに落ちてるのって……」
班員の一人が私の足元を指差す。視線を下にやると、月の光を受けてキラリと光るものがあった。これは、何かの金具だろうか?
「ああっ、引き手だ! 着ぐるみの! チャックの! よかった、こんなとこに落ちていたのか!」
私は足元に落ちていた引き手を拾い、彼に渡した。
そして、辺りを見回すとーーやはり、
「あれ、でも先輩、さっき着ぐるみに傷が無いか確認しあった時にはまだ付いてましたよね? 引き手」
「うん? そうだったかな……」
「そうですよ。それに、こんなとこに落としてたなら、どうやって着ぐるみから顔を出したんですか? 引き手無しじゃこのチャック開けられませんよ?」
「え、じゃあ今
「ーーそれは貴方の物で合っていますよ」
「え?」
班員二人の視線が私に集まる。
そんな彼らの真後ろにある木ーーそこに刻まれた“6”の数字。
ここは私達が先ほどまで待機していた場所。
「貴方達はこの場に居なさい」
「ちょ、リーダー⁉︎ どこ行くんですか⁉︎」
困惑する班員二人を置いて、私は夜闇に浸る森を全力疾走する。
これは確認だ。
十中八九、私の推測は当たっているだろう。
人影が見えた。
当然、その二組の影はーー
「ーーやはり、嵌められたかっ!」
「うわぁっ! って、リーダー⁉︎ なんで後ろから……」
勘が鈍ったか、私とあろうものがまんまと敵の術中に陥るとは!
「二人共、すぐに攻撃魔法の準備を! 私が許可します。辺り一面に手当たり次第放射しなさい!」
「はい? それってどういうーー」
攻撃を受けた
しかし周囲の様子に変わりは無い。
どうやらこの木はハズレのようだ。
「あ、貴女は
「私達は今、一種の幻術空間に閉じ込められています。同じ道を何度も彷徨わせるループ型の使用です」
「幻術……まさか、闇の福音が⁉︎」
日本の呪術者の間では《
「どこかに術の基点となる《要所》がある筈です。直ちにそれを見つけ破壊しなさい。事を一刻を争います、早く!」
「わ、わかりました!」
これは闇の福音からの明確な“敵対宣言”に他ならない。
この結界を脱出した後は確実に闇の福音との戦闘になるだろう。
急な事態で武装もままならないが、やるしかない。
「くそっ、まだその《要所》は破壊出来ないのか!」
「先輩、愚痴じゃなくて呪文を唱えてください!」
すでに相当な数の
ーーこの事に学園長が気づいていない筈が無い。私達はともかく学園長ほどの術者が、単なる結界魔法の解除に手間取るなどあり得るだろうか。
「まさか、学園側の《空間拡張結界》そのものに細工を施されたかーーいや、下手したら術式ごと乗っ取られて……」
闇の福音ならあり得る。
魔法に関する
今もなお頑張って魔法を放っている班員達には悪いが、この行為はただの徒労に終わりそうである。闇雲に魔力を消費するだけでーーまたは、それも狙いの一つなのかもしれない。
力を抑えられているとはいえ、吸血鬼との交渉事に“夜”という時間を指定するなど迂闊にもほどがある。
「……やられたか」
††††
「ようやく
自分達が最初から罠にかかっていたことにーー計画の順調な滑り出しを感じ、エカテリーナは実に満足気だった。
兼ねてから警戒していた近衛近右衛門の力量は充分に知れた。未だ“空間結界”の支配権を取り戻せずにあくせくしている様子から、エカテリーナの予想を超える一手を打てるほどの引き出しは無いだろう。戦闘になれば話はまた変わってくるが、それはそれ。やりようはいくらでもある。
エカテリーナからしてみれば、危惧すべきは外敵よりも、他ならぬ自分自身なのだ。
『おい、宿主よ。気分はどうだ? さっきから一言も言葉を発さないではないか』
内に問いかけるも、返事は返ってこない。日中は己の身体の支配権を取り戻さんと随分暴れられたものだが、それが今は嘘のように静かだ。完全に意識を失っている。大嫌いなニンニクとネギの大量摂取はよっぽど応えたようだ。実に好都合である。できれば事が終わるまでそうしていてくれると助かるのだが。
そしてーー
「なぁぼーや、もうその辺にしておけ。足がふらふらじゃないか」
「…………」
目の前の少年ーーネギに声をかける。
ネギは杖をこちらに向けたまま微動だにしない。
エカテリーナがすぐ側まで近づいても反応は無い。
よく見ると唇だけが小刻みに動いている。どうやら呪文の詠唱を繰り返しているようだが、息だけが弱々しく漏れるばかりで、声になっていない。これでは精霊にまで届かないだろう。
どうやら
「ほら、杖を離せ。ここまでにしよう……ん? どうした?」
魔法媒体を失えば決定的に戦意を失くすだろう、そう思ってネギの手から杖を奪い取る。しかし、それでもこの少年は戦闘態勢を崩す様子が無い。
不思議に思い、顔を覗き込んだところでようやく合点がいった。
「ああ、ワタシの“瘴気”に当てられたのか。これはすまないことをしたーーーーほら、これでどうだ?」
リアル感を演出するためには幻術で化けるだけでは足りぬと思い至り、吸血鬼固有の毒気をサービスしたのがいけなかったようだ。どうやらこの少年には効きすぎてしまったらしい。
エカテリーナが指を鳴らすとその瘴気は霧散し、ネギはようやく己を縛り付けていた“圧力”から解放され、糸が切れた人形のように脱力した。崩れ落ちるその身を、エカテリーナは優しく受け止める。
ちなみに幻術による変化は解いていない。側から見たらとんでもない絵面だろう。
「よ〜しよし、頑張った頑張った。お前は強い子だ」
ネギは将来大物になる、少年の頭を撫でながらエカテリーナはそう思った。
驚いた。まさかここまでの逸材だったとは。末恐ろしいとはこのことか。間違いなく少年はこの先の未来、ありとあらゆる魔法使い達を束ねる存在になるだろう。この分なら大魔法“千の雷”を単独行使する日もそう遠くないかもしれない。
「もっとも、そのような日は来ないに越した方が、ぼーやにとっては幸せなんだろうが……」
“燃える天空”、“引き裂く大地”、“千の雷”……攻撃魔法の最奥である大呪文の数々。
本来は優れた術者複数人で行使することを前提に組まれた術式であるが、稀に強力な”
そんな大魔法使いと呼ばれた者達の最期はーー決していいものとは呼べない。大魔法が精神に及ぼすリスクは誰しもが平等に被るものなのだ。それは、この真祖の吸血鬼の身体を持ってしても同じこと。
ましてや、ネギはまだ幼い。早すぎる才能の開花は、少年に対して自らの寿命を縮める毒にしかならない。
「また、ぼーやの才能の恩恵にあやかろうと群がる
それ故に、闇の福音という都合のいい存在をあてにしたのだろうがーー
「ーータイミングが悪かったな、ジジイ。残念ながら今の“ワタシ”は、貴様のアテにしていた“私”ではないのだよ……さて」
エカテリーナは己の胸の中で安らかに眠る少年ーーその首筋に目線を向ける。
闇の福音を戒める《登校地獄》の呪い、その解呪法は、“術者の血縁者の血を取り込む”というもの。
もう邪魔は入らない。
このままネギの喉元に牙を突き立てれば、かねてからの闇の福音の悲願が達成される。
ーー
「宿主にも困ったものだ。
ーーよもやそんな
唇を首筋に近づける。
本当に血を吸うつもりはない。
あくまでもパフォーマンス、そうでもしなければーー
「ーーおっと、そこまでだ。私の目の前で不純な行為は止めてもらおうか。エヴァンジェリン」
ーーこの覗き魔がいつまで経っても顔を見せてくれないからな。
「貴女こそ、覗きなんてあまり良い趣味とは言えませんよ? 背格好の割に随分と陰気な真似をなさるのですね、龍宮真名さーー」
声がするほうへ振り向いた矢先、龍宮真名はこちらへ向かって“何か”を
反射的に障壁を展開するーーしかし、その飛来物の正体を確認し、思わず眉をひそめる。
何故ならそれはただのーー
「それはーー」
一体なんのつもりだ、そう言葉が出かかったところで、エカテリーナの第六感とも言うべき戦闘勘が警報を鳴らした。
視界に映るのは、すぐ目の前まで接近しているペットボトルと、ハンドガンの銃口をこちらへ向けている龍宮真名の姿。どちらも魔力障壁の前では何ら脅威ではない。しかしーー
「ーーっ!」
エカテリーナは抱えていたネギを突き放し、後ろへ跳躍する態勢に入る。
だがーー早かったのは真名の方であった。
「さっきから
銃口から放たれた弾丸はエカテリーナではなく、宙を舞っていたペットボトルを射抜いた。
中身のミネラルウォーターが吹き荒れる。
「ーー悪いがそちらの方で引き取ってくれ。いたいけな少年と肌を寄せ合うよりかはずっとお似合いさ」
エカテリーナの眼前、暴発する水から急激な魔力反応が表れる。
これはーー水の
そこから現れたのはーー
「ーーネェェギ君に何してくれてんですかァ! こんのぉ馬鹿吸血鬼ィィイ!」
ーー当然、お前に決まってるか、
やたらと荒ぶった『元祖・着ぐるみチュパカブラ』の跳び蹴りを障壁で受け止めながら、エカテリーナは
††††
居ても立っても居られずやって来てしまった。
夕飯の支度を放り出して姿を消すだなんて、正直言い訳のしようが無い。千雨から浴びせられるだろうお小言の事を思うと、今から気が滅入る思いだ。いや、お小言で済めばまだ良い方か。昨日から千雨は様子がおかしい。原因は詳しくわからないが、恐らくここ最近の私の行動に対して何か思うところがあるのだろう。それが心配からくるものなのか、はたまた別の要因があるのか定かではないが。
しかし、私はこうして来てしまったのだ。
千雨にはまた埋め合わせをーー今晩、するつもりだったんですよねぇ、本当なら。ああ、いけない、怯んでは駄目だ。今晩出来なかった埋め合わせの埋め合わせをまた今度、念入りにするとしよう。大丈夫、千雨ならわかってくれる。
ネギ君は真名に任せてきた。
依頼内容には入ってないが、あの状態を見ればそのまま放っておく事はしないだろう。彼女は子供を放ってはおけない。
とにかく今は、だ。目の前で軽快にバックステップを刻みながら、私からの追及を逃れようとしている意地汚い吸血鬼を問いたださねばならない。
「コラっ! そこのチュパカブラの皮を被った吸血鬼! アンタ何考えてんですか! とうとうストレスで頭がおかしくなりましたかっ!」
「随分な言われようだな。ワタシはジジイに頼まれた事を実行しただけだが? ぼーやに軽い手ほどきを、な」
あれのどこが軽い手ほどきだ。
確かに横目でチラリと
しかし、結果としてネギ君は極度の疲弊により意識を失った。
魔力はまだ残っているにも関わらず、である。
理由は単純。“精神力”ーー“マインド”が限界を迎えてしまったからだ。
魔法使いが言うところの
一回の魔法にどれだけの量の魔力を注ぎ込めるか。また、より少ない魔力消費でどこまで術の威力を伸ばせるか。高位の精霊を使役するに足るか。これらは全て魔法の威力に直結する要素であり、それを定めるのが
ネギ君はまさしくその“エンジン”が焼き切れる寸前だった。
私の目算では、現状ネギ君の
これから先もあんな調子で訓練を続けたら、ネギ君はあっという間に廃人になってしまうだろう。
そして、訓練初回にしてそんな滅茶苦茶なコーチングをした目の前の人物は、信じられない事に魔法界ではトップクラスの実力者なのだ。
「あの一瞬でそこまでぼーやの状態を把握したか。流石は水系魔法の使い手。ステータスの異常には敏感だな」
「……よくもまあ臆面も無くそんな事が言えますね」
本人は至って悪びれる様子も無い。
それとも本当に気づいていない? いや、あり得ない。
新米のペーペーならまだしも、600年の歳月を魔法の研鑽に費やしてきたエキスパートが、そんな初歩的な過ちをするわけが無い。
「ーー貴女はネギ君を“潰す”つもりですか?」
私の知っているエヴァさんはそのような事をする人では無い。
しかし、昨日と今日で一切エヴァさんの考えが読めなくなってしまった。
彼女の左目に当てがられた“薔薇の水晶”は、私に対する明確な牽制。私が未だ攻略の目処が立っていない“切り札”を投入してきたのだ。私が持ちかけた“ネギ君に事情を話して血を分けてもらう”と言う提案を受け付けないと言う意思表示なのだろう。
それが、どうして学園側を罠に嵌め、ネギ君を追い詰めるという行動に繋がるのかはわからないが。
「潰す、か。そんな事は考えていなかったさ。少なくともワタシはぼーやに対してそんな邪な感情を抱いていない。どちらかと言えば保護してやりたい対象さ」
「だったら、ネギ君のあの状態はどう説明する気ですか。貴女クラスの使い手になると、ワザとでも無い限りあんなヘタクソな教えにはならないと思うんですが?」
「そう責めてくれるな。ぼーやのような、幼いながらも既にある程度能力が備わった“早咲き”は、こちらとしても扱いが難しいんだよ。『やれるやれる』と言うからやらせてみたら、まさか命を削る勢いだったとは思うまい? それにぼーやは“早咲き”の中でも特異中の特異だ。教科書通りにはいかなかったーーそれだけのことさ」
言っている事はそれらしい。
故に、違和感が尋常では無い。
この開き直ったような態度もだが、そんな教科書通りの言い訳を返すような事が今まであっただろうか。
「……学園の魔法先生を罠に嵌めた理由は?」
「恥ずかしいではないか。ワタシは人に見られながら耽る趣味は無い」
わかった。この人だいぶオカシイ事になってる。
私の問いに対してまとも取り合う気は皆無。ならーー
ーー先手必勝、とっとと取っ捕まえて、目を覚まさせる。
「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト、目醒め現れよ、浪立つる水妖、水床に敵を沈めんーー」
宙に浮かび上がる水の塊。水の
「ーー水の柩!」
水のアーウェルンクスの基本魔法として設定されている水系捕縛魔法。
一般的な魔法使いの間では、“流水の縛り手”という名で通っている呪文だが、そちらと比べるとこの“水の柩”はだいぶ自由度が高い。呪文難易度や性能面では完全に別魔法と言える。
水の形状、捕獲方法、魔法の持続時間、それら全てが術式によって一定に統一されている“流水の縛り手”に対して、“水の柩”はすべてがマニュアル制御だ。術者の力量が満たなければ、生成された水は敵を捕らえもしなければ、そのまま地面を潤すだけの水分にしかならない。
しかし、私は水のアーウェルンクス。
他属性の魔法すべてを犠牲にして、“水”のみに特化されたこの身体ならば、自分で作り出した水の制御なんて赤子の手をひねるのようなもの。
「捕らえなさい!」
「そう容易く捕まるか」
重力を無視した水の触手が一直線に対象に襲いかかる。追尾能力に長けたこの魔法は、効果時間が続く限り延々と対象を追い詰める。
エヴァさんは木々の間をピンポン球のように跳ねながら回避を続ける。吸血鬼の身体能力を抑えられていても、これだけの動きが出来る時点でこの人は色々と規格外だ。
ただ、何かある度に「別荘に来い、そこで決着をつけよう」と言われて、全力状態のエヴァさんと喧嘩に興じてきた私だ。この程度の動きはーー
「ーー流石にイージーモード過ぎますよ、エヴァさん」
「っ!」
ーー水の制御なんてお手の物。
私の意思一つで、宙を踊っていた水の塊は形を変える。球体から棒状へ、更には糸状に。そこから枝分かれし、最終的には“網状”にまで形状を変え、周囲の木々をウォーターカッターの要領で切り裂きながら、遂には対象を捕らえるに至った。
紙で包み込むように、捕獲対象を水の柩へと封じ込める。
「見事、また腕を上げたな性悪」
ブロック状に形を定められた水牢の中で、こちらへ賞賛を送るエヴァさん。
「そんな状態で余裕ですね。この魔法がただの捕縛魔法じゃ無い事はお忘れじゃないでしょうに」
「この水の柩の中からでは“精霊に声が届かない”。無詠唱含め、あらゆる精霊魔法の使用が不可能になる。脱出方法は、体内から
よくわかっていらっしゃる。
付け足すとすれば、“気の使い手”と違って、西洋魔法使いの間では“
エヴァさんなら可能だろうが、そもそもこの人は放出する為の
だから、ここまで余裕の態度でいられるのはおかしい。
ーー闇の福音は、魔法を吸収する能力を持っているのか?
念話越しでの真名との会話を思い出す。
まさか、本当にできるのか。
でも、
「ーー術式吸収・太陰太極陣」
「なっーー」
私と水の柩を繋ぐラインが途絶えた。
エヴァさんの周囲に展開された陰陽模様の魔法陣が回転し、ブロック状の水牢を巻き込みながら収縮、そのままエヴァさんへと取り込まれる。
「……ホントに魔法を吸収した」
「おおぅ寒い寒い。びしょ濡れになってしまったぞ性悪? これは風邪をひくな。ちゃんと責任を持って看病に来いよ?」
水牢から解放されたエヴァさんは、水で滴る髪を振り乱し、惚ける私に向かってカラカラと笑いながらそう言った。
ーー太陰道。
以前に聞いたことがある。エヴァさんが自身の奥の手として開発を始め、遂には完成に至らなかった魔法技術が、確かそんな感じの名前だったはずだ。
「ホントは隠しておくつもりだったんだがーーああ、その様子だと既に情報は伝達済みか。なるほどーー龍宮真名か。この結界内を一直線で抜けてくる辺り、中々に
「貴女の余裕の正体はその魔法吸収術でしたか」
「いや? お前の目にはそう映っていたのかもしれないが、内心はヒヤヒヤ物だったぞ? 何せ実戦投入したのは今夜が初だからな。それに、いくら魔法を吸収したところでワタシはお前に対して有効な攻撃手段を持っていない。結局は八方塞がりな事に変わりないさ」
「そう思うなら諦めてさっさとお縄についてほしいんですけどね。ようやく完成した新術を私に見せびらかせて満足でしょう?」
このまま大人しく引き下がって欲しいと心の底から思う。
というのは、エヴァさんがまだ何かを隠し持っているという嫌な予感がひしひしと伝わってくるからだ。
こういう時のエヴァさんは必ずと言っていいほど隠し球を用意してくる。
まさか、その“薔薇の眼帯”に秘められた魔法をここでぶちかます気ではーー
「そうせっかちになるなよ。わざわざワタシの為に時間を割いてお越し下さった大事な客だ。もう少しワタシの悪あがきを愉しんでいくといいーー」
「結構です! こちとら夕飯の支度の途中なんで!」
エヴァさんの周囲に“赤いもや”が立ちこめる。
やはりまだ何かあるーー前に歩み出そうとする私の眼前に、巨大な氷柱が飛来する。
「くっーー」
障壁を展開し氷柱を防ぐも、すぐに二打目三打目と打ち出される氷柱に足を止められる。
その隙に、エヴァさんは呪文の詠唱を開始しーー
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック、契約に従い彼方より出でよ、真紅に染まりし我が幻影城よ、現世を惑わし、威風たるその様で我が寄る辺となれーー」
ーーあっという間に唱え切った。
四工程を費やす大呪文を一瞬にして完成させるその高速詠唱は、従者による護衛を必要としない上位の術者の証。
「な、景色が変わってーー」
赤いもやが周囲を埋め尽くす。
木々は輪郭を保てず崩れ落ち、地面が脈々と波を打つ。
まるで重度の薬物投与が見せるサイケデリックな異常風景。
幻術魔法か、いや違う。
十二基の電子精霊によって脳を保護されている私は、あらゆる幻術・催眠効果を看破する耐性を持っている。だからこれは幻術では無い。
遂には視界に映る物全てが赤いもやで覆われ、何も見えなくなった。
呪文の成功を告げるエヴァさんの声が聞こえた。
「ーー異界召喚・レーベンスシュルト城。……ようこそ我が城へ、歓迎するよ性悪」
その声と同時に赤いもやが晴れ、視界が復活する。
見渡すは、足元一面に広がる
草木が香り、夜露が葉を濡らす先ほどまでの桜通りの様相から一変、そこは中世を思わせる巨大な外壁が堂々と建ち並ぶ異世界。
宙に浮かぶ紅い月が夜空を気味悪く染め上げる。
そして、天と地を繋ぐ役割を担っているが如く、悠然とそびえ建つ魔城の影。
その城を背に、ここの唯一の住人であり、城主である真祖の吸血鬼が悠々たる態度で私を出迎えた。
「これは、エヴァさんの別荘の……」
「そう、不甲斐ない城主の身を案じて態々駆けつけてくれたワタシの自慢の城さ。どうだ、別荘で観る時よりもデカくて威厳があるだろう?」
こんな型破りな事をしてのけるなんて。
それに、異界召喚なんてーー今のエヴァさんの何処にこれだけの大魔法を扱える力がーー
「現在、この桜通りの『空間拡張結界』はワタシの支配下にある。いわばワタシが好き勝手に遊べる庭のようなものだ。故に、この結界内であればこのような無茶も効くのさ。おまけに結界を維持している魔力は学園側が全負担している。至れり尽くせり、ノーコストで使う大魔法とは気持ちのいいものだな」
脳内で電子精霊達の解析が進む。
なるほど、『空間拡張結界』によって作られた“仮想スペース”。その領域を利用した異界召喚ならば、現実の桜通りに何ら干渉する事なくすんなり術が通る、ということか。よかった、てっきり桜通りごと異界で押し潰したのではないかとヒヤヒヤした。だとしたら、この異界はーー
「ーー完全な異界では無い。別荘とは違って、ここの空間座標は依然として“麻帆良女子寮前の桜通り”を示している。結局、麻帆良の中に居るのと変わらないため、ワタシの魔力は抑え込まれたままという訳さ」
別荘とは違う。
その証拠に、目の前のエヴァさんからは微弱な魔力しか感知できない。
そうーー
「結局、この大層な城も私に見せびらかすくらいしか役に立たないのでは?」
自分で言ってて笑いそうになる。
先程から感じている尋常じゃ無いプレッシャーは間違いなく彼女のモノ。
強がりを言って誤魔化すくらいしか今は出来ない。
無意識に後退している足にすら気づく余裕はなかった。
「役に立っているさ。久し振りに我が城へ来客がやってきた。それをもてなすというイベントを前にどれだけワタシが舞い上がっているかーー」
姿が消えた。
私の視界から、黄金の吸血鬼が。
「ーー身を以て体感しろ」
「あーーーー」
耳をつんざく炸裂音の正体が、私の多重魔法障壁の半数以上を粉々に砕いた音だと理解した時には既に、吸血鬼は私の懐に入り込もうとしていた。
お互いの目が合う。
縦に切り開かれた瞳孔は、彼女が人ならざるものである何よりの証。
その両手に構える
ーー遠隔発動・『
ーー寸前、物凄い力で後ろへ引っ張られた。
「むーー」
光剣が私の制服の前ボタンを両断していく様子をスローモーションで眺めていたらーー次の瞬間にはエヴァさんからだいぶ距離が離れた場所で尻餅をついていた。遠くの方で光剣が空を切る音が聞こえる。
『ボサッとしてるんじゃねーでち! しっかりするでちたいげ〜!』
脳内で電子精霊の叱咤が木霊する。どうやら間一髪、彼女達が私を救ってくれたようだ。
「ありがとう、おかげで助かりました」
すぐさま立ち上がり、障壁の再展開の準備をする。
エヴァさんが遠くから声をかけてくる。
「今のはワタシの『
「言ってなさい。
人形師のスキルをアーティファクトでお手軽体験できると言う、エヴァさんブチ切れ案件の代物だが(実際にブチ切れた)、現実はそう甘くは無かった。何しろ、使用者には“不可視の魔力糸”と言う本格派プロ仕様アイテムを与えられるのみで、肝心の人形を操る為のスキルを享受してくれるわけでは無いのだ。
幸いにも私はアーウェルンクスであるため、お得意の電子精霊を使った情報収集により、初歩的な入門編まではこぎ着ける事が出来た。が、そこまでだった。鼻の垂れた子供に見せるくらいが精々な拙い人形劇レベルで私のスキル上昇は伸び悩んでしまい、とても実戦に投入できるようなものではなかった。
原因はおそらく私のステータスに存在する『女子力』スキルが邪魔をしているのだろう。
料理や裁縫、家事全般に至るあらゆる“主婦の知恵袋”的なスキルから、ピアノや花道、茶道と言った“いいトコのお嬢様の嗜み”的なスキル等に至っては免許皆伝レベルにまで昇華されていく。うって変わって、戦闘に必要な格闘技術方面はまるでいけない。拳法など以ての外、基礎的な瞬動術ですら身に付けるまでに何回胃の中の物を空にしたか。『女子力』スキルがどういう判定を下しているのかしれないが、よっぽど私を“か弱い乙女”にさせたいようだ。
そういう理由もあり、この
『やっぱりたいげ〜の戦いは見ててヒヤヒヤするでち』
『イクたちがちゃんと糸で引っ張ってあげないとあっと言う間にお陀仏なのね』
『エヴァンジェリンさんがこんな便利なアーティファクトを排出してくれたおかげで、私達は今日まで生きて来られたんですねぇ……あ、次、左脚はしおんが担当しますね』
原因はこいつら、電子精霊達である。
近接戦闘に持ち込まれる度によたよたと醜態を晒す私の戦いぶりを前に、電子精霊達は常々肝を冷やしていた。なんせ私が死んだら自分達も道連れだ。いつも彼女達は「たいげ〜は私達十二人分の命を背負ってるんだから、しっかりと戦ってくれ」と訴えてくるが、私だって何も手を抜いてるわけじゃないのだ。彼女達には悪いが、そこは肉弾戦最弱のアーウェルンクスとしてデザインされ、尚且つ『女子力スキル』により成長も見込めない、そんなダメダメな私の担当になった自分達の運の無さを恨んで欲しい。
まぁ、電子精霊達とは生まれた時からの長い付き合いだ。
思い入れが無いと言えば嘘になる。
少しでも彼女達の心労を減らしてやろうと、一向に実を結ぶ気配の無い近接戦闘の修行に打ち込んでいたーーそんな最中に偶然引き当てたのが、この『
前述の通り、私自身は『
電子精霊達は基本的に暇を持て余している。私の頼みでネットの海をクルージングする以外の時間は、全くもってやることが無い。彼女達曰く「前世は忙し過ぎたけど、こっちは逆に暇過ぎる」との事。電子精霊に前世なんてものがあるのかどうかしれないが、本人達が言うからにはそう言う事なのだろう。ようは彼女達は常日頃から暇をつぶすための“おもちゃ”を探している。
そんな彼女達にとって一番の楽しみは、なんと私の“十連
電子精霊達は私の『2G仮契約カード』の管理権限を持っており(何故かはわからないが)、”遠隔発動”をして私の脳内でアーティファクトを顕現させて遊ぶ事ができる(これまたどういう原理なのかは知らないが)。
ここまで話せばもうオチはあらかた把握できただろう。
そう、電子精霊達は新しく引き当てた『
電子精霊達の演算能力を持ってすれば、
まさか長年連れ添ってきた子分達に体の自由を奪われるとは。
私が止めろと言ったところで、新しいおもちゃを手にした子供達がそんな言葉を聞くはずもない。
どうにか「学校や人がいる前以外で、私が許可した時だけ」という折り合いをつけたのだが、結果は今見てもらった通り。
戦闘中、私が危なくなる度に、電子精霊は『
結果的に私もそれで何度も一命を取り留めているため、文句が言えなくなってしまったのだ。
さて、それじゃいい加減気合い入れますか。
「不意打ちとはらしく無いですね。余裕そうな顔ぶりとは裏腹に、内心今ので仕留められなくて焦ってるんじゃないですか?」
「いや、私はほんの挨拶程度のつもりだったんだがな? どうやら思いのほかお前は惚けていたようだ。ひょっとしたらあのまま倒せていたのか? だったら惜しい事をした」
あれのどこが挨拶程度だ。
アーウェルンクスの多重障壁をそんなノリで木っ端微塵にされては溜まったもんじゃ無い。
もはや“瞬間転移”の域に達している完璧極まりない“縮地”、更には体に“回転を加える”事でライフルの弾丸よろしく突っ込んで来る様は、さながら人型の削岩機だ。
あんなものの直撃を許したらあっという間にミンチにされてしまう。
そしてーー
今も尚、その両手に在りながら
私の多重障壁の破壊が可能な事から、恐らく出力は最大の“オーバーロード”の手前くらいだろう。
さっきの縮地と言い、断罪の剣の出力といい、間違いなく今のエヴァさんはーー
「術の威力も身体能力もほぼフルパワー、制限されているのは
「そのようですね。おかげで目もすっかり覚めました」
今頃になってお互いチュパカブラの扮装を解いている事に気付いた。
そのくらいには雰囲気に呑まれていたという事。
まったく、私ともあろうものが情けない。気合いで負けていては、いつまで経ってもこの人との勝敗差は縮まらないではないか。
それに、どうやら今回は本気で私を殺りにきている様子なのだから。
「これでお互い条件はイーブンだ、性悪よ。お互い魔力制限という
障壁の再展開完了。
すぐさま殺意の剣舞の第二陣が襲いかかるだろう。
ーー来る。
「ーー
「ーー
先程の再演なぞさせてやるものか。
再びの轟音。
相反する
魔力で保護していなければ鼓膜が破れているだろう。
エンチャントにより己の存在的役割を極限にまで高められた剣と盾の衝突ーー見事に役割を果たしたのは、“盾”。先程は無惨にも敗北を喫した私の多重障壁の方であった。
周囲に飛散するガラスの状の魔力物質は、たった今剥がされた私の多重障壁の“外皮”の他に、先程まで敵の業物として暴威を振るっていた“断罪の剣そのもの”である。
「今度のは流石に硬いな」
「念入りに作り直しましたから」
すかさず魔力放出。
突進攻撃を防がれ、敢え無く宙に停滞、硬直状態にあったエヴァさんを魔力の圧を持って上空へ吹き飛ばす。
近接攻撃の手段なんて私には無い。
故に、私は敵との間合いを常に遠距離で維持しなければならない。例えそれが、
「つれないな。もっと身を寄せ合おうじゃないか」
上空へ投げ飛ばされたエヴァさんは、一度背転することで態勢を立て直し、断罪の剣を再構築ーー再び私目掛けて跳躍する。
これはーー虚空瞬動。
三度目の襲撃は空からの爆撃弾となり、その衝撃波が周囲に伝播、舗装された石畳が
再度、魔力放出。
だが、エヴァさんは断罪の剣を地に突き刺し、支えすることで、魔力の熱風を凌ぎ切ってしまった。
「ヤバーー」
「せっかく今朝おろしたばかりのブレザーが炭になってしまった」
距離を離すことに失敗した私に対して、お返しとばかりにエヴァさんは一気に畳み掛けてきた。
怒涛の剣の乱舞が火花を散らし、私の多重障壁を破砕していく。
ーー障壁の損傷率67%、もう既に半分以上持っていかれたか!
このレベルの障壁は再展開に時間がかかる。
『
地上戦はまずい、一旦空へーー
「ーーって、あれっ⁉︎」
ーー飛ぼうとしたら、なんか妙な力で抑えつけられて……あれ、飛べない⁉︎
「言い忘れていたが、現在桜通り一帯には“飛行阻害”のエンチャントが掛けられている」
「確信犯でしょこんにゃろぉ!」
私の絶叫と同時に、多重障壁の損傷率が八割を上回る。
トドメとばかりに、断罪の剣による鋭い突きが放たれようとしたところで、電子精霊達の
『
「……持つべきものは優秀な電子精霊ですね」
不可視の糸を通して伝わってくる電子精霊達の“死んでたまるか”という必死な思いに思わず涙腺が緩む。
遠くに霞むレーベンスシュルト城の塔頂と目線を同じくする辺りまで上昇し、数回の回転運動を以って宙に静止した。一切の重力は感じない。身体を糸で吊られているといった違和感も無い辺り、最早飛行魔法と何ら変わりは無い。素晴らしい精度である。
「飛行阻害が掛かっているなら、エヴァさんはもう空にいる私をーー」
ーー捕らえる事は出来ない、そう喉先まで出かかったところで、言葉を呑んだ。
何故なら、今現在上空にいる私目掛けて高笑いを交えながらぐんぐんと接近して来ているのは、他でもない金髪の吸血鬼だからだ。
「飛行阻害の抜け穴さえも付けるとは、面倒なアーティファクトだなそれは!」
大振りに切り上げてきた断罪の剣を、私は身をねじる事で回避する。
「ちょ、なんでアンタは飛べるんですかっ!」
「ワタシはこの空間結界の
「なんつーインチキ! いつからアンタはそんな狡い事を覚えてーーああ、もうっ!」
『
狂気に転色した真紅の独眼ーーその眼光が尾を引き、漆黒の夜空に紅い軌道を描く。完全に狂戦士の威容だ。
「しつこいっーーとまれ、このバーサーカー!」
ーー魔法の射手・無尽連弾・水の豪矢!
これでは堪らないとばかりに『無詠唱・魔法の射手』の連打を暴れ狂う追撃者に撃ち込む。
無数の水矢を前にして、エヴァさんの周囲に先程の“陰陽陣”が再び顔を出す。
これも“吸収”するつもりか。
“陰陽陣”が絶え間無く降り続く水矢のことごとくを飲み込んでいく。
しかし、だからと言って怯んでる場合では無い。構わず撃ち続ける。
完全に自棄っぱちの愚策にしか見えないが、別に考え無しな訳でも無い。狙いはある。
そしてーーそれはすぐに訪れた。
いつまでも止む様子の無い『魔法の射手』のしつこさに“陰陽陣”も嫌気がさしたのか、防戦の半ばで撤退ーー“陣”が消失したのである。
「……弱攻撃連打のチキンプレイも考えものだな」
魔法吸収現象が治り、無数の水矢が護りを失った暴君に殺到する。
両腕を十字に組み防御の姿勢を取るが、水矢のダメージは抑えられてもその勢いまでは殺せず、押し出されるように大きく後退する形となった。
再び両者の距離が開かれる。
「やっぱり、その厄介な“魔法陣”はいつまでも出しっぱという訳にはいかないようですね」
“魔法吸収陣”は展開出来る時間には限度がある。それも最大で十秒もいかない程度。それを知る事が出来たのは大きい。
「ハーーこんなショボくれた水鉄砲などいくら貰ったところで何の足しにもならんからな。実りがないと悟ってさっさと帰ってしまったんだろうよ」
「減らず口を……まぁいいです、おかげでこうして
ようやくターンを確保出来た。
何の準備も許さないエヴァさんの執拗なアプローチのおかげで、いつまで経っても反撃にありつけない所だった。
神秘の力を持って再構築された私の衣装は、一見すると何らファンタジー要素など存在しない。
さらに言うと、学生服以上に戦場という場に似つかわしくないその姿は、間違いなく台所に立っている方が映えるだろう。
学生服に代わり私の身を包むのはーー着物。紺地に白の水玉模様。
その上に、クジラのワッペンが縫い付けれた白いエプロンを着用している。
そう、
「ーーアーティファクト『花嫁修行・炊事』」
私が扱う『2G仮契約カード』において、最重要の役割を担う“洋服カテゴリー”に分類されるアーティファクトの内の一つ。『きせかえごっこ』というシリーズ名の所以。
「させると思うかーーーー何っ⁉︎」
この割烹着の能力を知っているエヴァさんは、これ以上好き勝手は許さないと行動を起こそうとする。
しかし、虚空瞬動の態勢に入ろうとした途端にその動きを止めた。
「これはーー麻痺毒。そうか、あの水鉄砲にーー」
「ええ、たっぷりと練り込んでおきました。イタズラ好きな水の精霊達特製の痺れ粉を。いいからじっとしてなさい」
私の手には新たに十一枚の
その全ては『
しかし、“洋服”を身にまとった今なら、その
十一枚の『花嫁修行』カードの画面が暗転する。
平面の静止画から一転、現在カードが映し出す光景は、深海を思わせる暗い水底と、その中を漂う“白くて丸い物体”。
そんな十一基の“球体メカ”が一斉にこちらを向く。
すると、まるで親を見つけた子供のように画面に向かって迫って来てーー
ーー
「お得意の
カードから飛び出して来た彼らを見て、エヴァさんがうんざりした顔で呟く。
人間の頭部より一回り小さいサイズの彼ら球体メカ達は、特殊な浮力を以って私の周囲を自由に飛び回る。
不気味でありながらもどこか愛嬌のある彼等こそが、この『きせかえごっこ』シリーズで唯一の戦闘特化アーティファクトである。
エヴァさん曰くーーファンネル。
電子精霊達曰くーー艦載機。
私が主張するはーーキ○ィちゃん(子猫っぽいから)。
「待ってなさい、今から“餌”を用意しますから」
彼らが主食とするのは食べ物では無くーー魔法だ。
ーー固定、魔法の射手・水矢!
ーー掌握、変換!
ーー魔法弾倉、装填!
組み上げられた術式情報が十一基の球体メカへと転送される。
同時に私と球体メカの間で送受信が行われる。
脳内で膨大な量の演算処理が繰り返され、やがて彼ら十一基全ての視覚情報を獲得する。
「ーー術式兵装
今この時、彼らはただの奇妙な球体メカから、強力な武力を秘めた“戦闘機”へと換装された。
「この子達の水鉄砲はそう甘くはありませんよーー往け、
稲妻が走るようなイメージが脳裏を過る。
私の脳波を受信した球体メカ達が、不規則な軌道と、驚異的な高速飛行能力を以ってエヴァさんを取り囲む。
ちなみにメカの名前は厳正な抽選の結果“タコヤキ”に決まった。
十一基のタコヤキの口から一斉に放たれたのはーー光線であった。
術式として設定した“魔法の射手・水矢”とは随分と趣きが変わっているが、このタコヤキ達は取り込んだ魔法を自身の規格に合わせて再構成する能力がある。
故に、今放たれたのは単なる魔法の射手ーーエヴァさんが言う水鉄砲とは
エヴァさんはまだ麻痺による戒めから解放されていない。回避は不可能。
しかし、エヴァさんには“陰陽陣”がある。
当然、展開する。せざるを得ない。
全方位から放たれた十一の光線が今まさに“陰陽陣”に接触しーー
「……これのどこが水鉄砲だ」
「水鉄砲ですよ。
ーー光線、改め十一の『
タコヤキのイメージ図は艦これに出てくるあの丸い艦載機そのままです。