ところでカルナさん。魔神柱にブラフマーストラって使えるの?
「これが、せいはい」
ロクサーヌはパールの眼差しで、目の前の結晶をじっと見つめた。
完全な聖杯、魔術師たちが、競って奪い合うほどの魔術礼装。これの類似品を巡って、数多の人間が運命に飲まれたと思うと、何かが込みあがってくるのを感じる。
「カルナ。これって、今からでもつかえる?」
「やめた方が賢明だろう。門外漢のオレでも、それが魔術師として三流以下のお前の手に余る代物であるのは分かる」
「そうか。なら、クー・フーリンならどう?」
自分が駄目なら所長なら。あるいはそれ以上の魔術師である、クー・フーリンではどうだろうか。
この聖杯は、今からでも十分に使い道があるように思える。
「悪いな、嬢ちゃん。俺はここでお別れだ」
「あ」
クー・フーリンの足元から光が流れ、その身体が消えていく。彼は聖杯戦争に喚び出された身である。聖杯戦争が終わった以上、サーヴァントとしての役目を終えたのだ。そうした後は消え去るだけだった。
「クー・フーリン。おれを、まだささえてくれないかな?」
ロクサーヌとしてはまだまだ、彼に先導して欲しかった。これから待っている苦難に対抗するために、彼の力が欲しいと思ってしまう。
その懇願に、クー・フーリンは笑って応える。
「おう、いいぜ。案外、嬢ちゃんの指示も悪くはなかったしな。でもまあ、そこの兄ちゃんがいれば、嬢ちゃんなら十分やっていけるだろうよ。だが、そうだな」
クー・フーリンは足元にあった石ころを拾い、それにルーン文字を描いた。刻むルーンは軍神ティール。勝利や男性性、精神力を意味するルーンである。
「ほらよ。受け取りな」
そうして、ロクサーヌに投げ渡す。
ロクサーヌはそれを受け止め損ねたが、石は体にくっついた。
「次はランサーとかで
ロクサーヌはこの石を持っているだけで心が落ち着き、勇気が湧いてくるような気がする。いや、実際にそういう効果を持った魔術の概念が込められているのだろう。キャスター、クー・フーリンが作った簡易的なお守り、魔術礼装という訳だ。
また、これを召喚用の触媒にすれば、カルデアのシステムでクー・フーリンが召喚できるであろう。
そうして、クー・フーリンは完璧な光の粒子となり、消え去った。
「修復、完了ね」
オルガマリーが呟く。
この街から怪異は消え去り、この地の歪みは正された。後は、レイシフトによりカルデアに戻るだけであると。
そう彼女は思い込もうとした。
「いや、まだ終わっていない」
「カルナ。ひょっとして、その、レフがいる?」
「ああ、いるな。出てくるがいい。互いに積もる話もあることだろう」
だが、この事態がこのままで済むはずはない。アルトリアに聖杯を渡した悪しき者が、全ての元凶がまだ姿を現していなかった。
「全く、不愉快だ。私のことを全て見通したつもりになったのかな?」
そうして現れたのは、シルクハットとモスグリーンのタキシードを身に着け、ぼさぼさの赤毛の男。
この男こそが、レフ・ライノール・フラウロス。
オルガマリーの信頼する副官にして、凄腕の魔術師である。
だが、ロクサーヌは、この男こそが今回の黒幕であり、すべての元凶の一端であると知っていた。
「レフ」
そして彼女はその情報を、この場にいる全員に共有しようとしていたのだ。
ここで時は鍾乳洞の突入前まで遡る。丁度、ランサーとアサシンのシャドウサーヴァントと遭遇し、討伐した後の話である。
「所長。たいせつな話があります」
「何よ」
「今回の。その、ばくはつと冬木のくろまくについてです」
黒幕、と聞いて、オルガマリーは訝しむ。
まあ、今回の事件を誰かが引き起こした、というのは何となくだが理解できなくもない。
外道の魔術師が魔術師としての最終目標である根源へと至るため。ちょっとした破壊をもたらしたという話があっても、全くおかしくはないからだ。
そうした目的で冬木やカルデアは爆破された、というのはあり得なくはない。そうした人物が黒幕かはともかく、魔術師というのはそういう生き物であるのだから。
ただ、そうした話をする場合やはり、どうしてコイツがそれを知っている、という話になるのだが。さて。
「おれが、うそをついているとおもうなら、カルナに聞いて下さい。かれの言うことなら、所長もしんじられるはずです」
確かに、カルナは嘘を言わない。
ここまでのやり取りで、オルガマリーも彼のことを察している。彼が神話に語られた通りの高潔な英雄であるのだと。その人間性はやや難があるが、嘘はつかないし、真偽を見抜くだけの観察眼を持っていることも確かだ。
オルガマリーも短い間であるが、随分と痛い所をつかれ、嫌と言うほど感じたことである。
「レフが生きています。そして、かれが今回のくろまくです」
「嘘よ!」
瞬時にオルガマリーは反発した。
理由は簡単だ。ロクサーヌが言ったことがあまりにも信じられないような内容だからだ。
「どうか、しんじて下さい。所長のためなんです」
「レフが生きているのはともかく、レフが今回の黒幕な訳はないじゃない!」
さて、説得するにあたって、信頼というのは重要である。
例えどんなに素晴らしい説得ができていても。それ以前に信頼がないと、全く話を聞いてもらえないということは往々にしてある。
さらに、説得する相手が、問題となる人物を信用していると厄介だ。例を挙げるなら、新興宗教に嵌まった人を引き戻すような、そんな感じである。
「カルナぁ」
「マスター。お前の王を助けたいという気持ちは分かるのだが。それを信じてもらうには無理があると思うぞ」
例え、それが全て真実で。ロクサーヌがその人をどんなに思っていたとしても。オルガマリーは、レフ・ライノールという男に依存していた。
そんな男が黒幕であると、どうして信じられよう?
「聞いて下さい。レフは、あくまなんです。ソロ、えーと、だめだ、えーと、ソロロン王の、七十二ちゅうのあくまの、フラウロスなんです」
「そんなの嘘よ! レフは、レフはいつだって私を助けてくれたのだもの! そんなレフが悪魔で、こんなことを引き起こすはずがないじゃない!」
単純に言うと、積み上げてきた信頼の重さが違うのだ。
ロクサーヌはそれなりに信頼されているとはいえ、所詮、ぽっと出のホムンクルスである。
それに対してレフは、長い間献身的にオルガマリーを支えてきた者なのだ。
積み重ねた印象は大事。皆も自分が与える印象を大切にしよう。
「カルナぁ」
ロクサーヌは再び情けない声を出す。
カルナはしばらく突っ立っていたが、それでもオルガマリーの方を向かい、マスターに代わって説得を試みていた。
「天文台の統領よ。我がマスターの話は、何の証拠もない話で、根拠はマスターの中にしかない話なのだが、ともかく嘘は言っていないのだ。そこはどうか信じてやって欲しい」
なんとも説得力のない言葉を口にするカルナ。レトリックも何も、あったものではない。
これが、カエサルのような英雄であったら、また違った結果になったかもしれないが。借金を取りに来た人間から借金を取り付けたという逸話を持った彼なら。オルガマリーを説得できたのかもしれない。
とはいえ、そんな能力がカルナにあれば、もっと彼の人生は豊かであっただろうが。
ペットは飼い主に似るともいう。カルナの召喚者がロクサーヌの時点で、能力に関してはお察しである。
とはいえ、この言葉はオルガマリーのひんしゅくを買った。
「貴方までそんなことを言うの! サーヴァントの癖に!」
「所長。おれの言うことはしんじなくてもいいです。でも、カルナのことは、しんじてやって下さい」
とはいえ、ロクサーヌとしては、所長になんとかしてここで引き下がってもらわねば困るのだ。
これから鍾乳洞に突入にあたって、彼女にはいてほしくない。
「おれのよそうが正しければ、レフは所長の前にあらわれます」
ロクサーヌは過程がどうあれ、今回の事態のほとんどを知っている。
それが幸か不幸か、自分の鈍化した頭では判断できない。
「でも、ぜったいに近づかないでください。それか、カルナの近くにかならずいてください。おねがいです」
ただ、これからさらに不幸になる不幸な人間がいると知って。彼女はそれを見捨てることはできないでいた。
彼女は自らの手で、自らが尊敬する人物をなんとか救おうとしていたのだ。
「所長は、もう、しんでいます。ですけど所長を、レフがひょっとしなくても、しぬよりひどい目にあわせます」
たとえ、その人が既に亡くなっていようとも。
まだ、自分にできることは残っている。
世界を守るため、そして目の前の人を救うため。
ロクサーヌは必死になって説得を試みる。
世界を滅ぼさんとする計画を話し、その中でそれに抗い、最善を尽くさんとする。
だが、この説得は無意味に終わる。
まだ、この時点では。
「レフ。レフなの?」
オルガマリーは、ふらふらとした足取りで、レフに近づこうとする。
「カルナぁ」
「待つがいい。近づくなと言っただろう」
それを事前に打ち合わせをしていた、カルナが止める。魔力放出で近づき、彼女の服を掴んで引き留めていた。
「放してよ! レフよ! レフが私には必要なのよ!」
「マスターの話を否定しきれず、狂気に走るか」
それを見ていたレフは、怪訝そうにため息をついた。
「私の正体を知っているのかね? 全くどいつもこいつも、クズの癖に中途半端に小賢しい。大方、そのサーヴァントから話を聞いたのだろうが」
「レフ? 貴方は何を言っているの?」
レフは眼を見開き、そして歯ぎしりをする。
そうするだけで場の空気がよどみ、重く濁ったものになる。
自身の信頼する副官の豹変に、オルガマリーは困惑を隠せない。
彼女の中でレフに対する信頼が、揺れに揺れていた。
そこで、ロクサーヌが一歩踏み出す。
「あなたは、あくまですね?」
「ああ、そうだが。それがどうしたのかね?」
ロクサーヌの重要な問いに、まるで今日の天気を答えるようなレフ。
その態度は頭の悪い子供に教えるようでもあり、ややうんざりしている。
「フラウロス。まじゅつ王のにせもの。ゲーティア」
だが、続く言葉でレフは驚きを隠せない。
「ほほう? どうして君ごときがそれを知っている? 何故だ? そこまで知っているとは、そのサーヴァントの入れ知恵だけではないな?」
レフが思うに、最初からこのホムンクルスの態度はおかしかった、と言わざるを得なかった。
ロクサーヌはレフと初めて会った時から、彼を避けていた。彼はオルガマリーやDr.ロマンを初め、多くの者たちからの信頼を得ていたにも関わらず、である。
他の者も同様であれば、人間嫌い、で終わったのだろうが。しかしそれは、どうも自分だけ、その態度を取っているようであった。まるで自分の正体を初めから知っていたように。
自分のことをサーヴァントであるカルナから聞いたとしても、それはおかしい。カルデアで召喚されたならともかく、彼はこの地で召喚されたのである。それでは辻褄が合わなかった。
確実に、彼女は確実な何かを知っていた。
怪しかった、が、どうせ何もできないと高をくくっていたのだが。
しかし、そこまで知っているなら話は別だ。
「そんな。レフ。私は」
「黙っていてくれ、オルガ。今、君のことはどうでもいいのだ。どうしてだ。答えろ!」
レフは噛みつくばかりの権幕を見せる。
だが、ロクサーヌは怯えるばかりで、何も口にしない。
彼女としては、彼が悪魔であるということを実証したかっただけだ。それ以上、何も言うつもりは無かった。
そこで、見かねたカルナが助け舟を出した。
「簡単なことだ、憐憫の獣よ。神々がお前たちを倒すために、我がマスターを送り込んだだけのことだ」
カルナは、己のマスターの性質を見切っていた。
神々によりその身体を授かったこと。
精神は壊されてはいるが、微かな勇気を持っていること。
そして、まるで簡単な方法で知っていたかのように、
それを聞いたレフは、爆発したように豹変した。
「ふ、ふはははははは! あのどうしようもない連中が、人理を守るために送り出しただと? それも、こんな、魔術師以前の粗悪品を? なんと馬鹿らしいことだ!」
なるほど、どうやら自分たちの計画は、どこぞの神の怒りを買ったようだ。
それで自分たちを討伐するために、加護を与えた勇者を送り出す、というのもまあ、分からんでもない。
そういう話はよくあることであり、神話問わず神々が自分たちの過ちを消すために、散々やってきたことだからだ。
だが、そうして送られてきた者がこれというのは、なんとも可笑しな話であった。
ヘラクレスのような知恵と力を兼ね備えた勇者ならまだしも、男の慰めもののような白痴美の女を向かわせただと?
何たる冗談だ。どこぞの神の仕業というのか。
レフは込みあがる笑いを抑えることができないでいる。
そんな中、カルナは不思議そうに尋ねた。
「分からないのか? とんだ傲慢なことだ。この脆弱なマスターにこそ、お前たちの計画を破る可能性が残されているということを。お前たちは理解できないらしい」
オルガマリーにはもう、何がなんだか分からない。
話をもう一度纏めるに、レフはソロモンの悪魔で、ロクサーヌはそれに対抗する神々の使いであるらしい。
なんとも、無茶苦茶な話である。
ロクサーヌが事前に説明しようとしたことだが、これはあんまりだろう。
信じろ、というのが無茶な話なのだ。
そんなことはどうか、せめて自分のいない所でやってほしかった。何を神代クラスの争いを、神秘の薄れた現代でやろうとしているのだ。
本当に、訳が分からない。
「ふむ? では、貴様はそのマスターを守る槍とでも言うつもりかね?」
「ああ。そうだ」
カルナはその槍をレフに向ける。レフはそれを見て、健気なものだと酷薄に笑った。
聖杯が唸り、魔力がレフの周囲に堆積する。
さて、言うまでもないが。カルナの体は戦闘の後で、既にボロボロの身である。
気合と根性で何とかその地に立ってはいるが、アーサー王のエクスカリバーの一撃はそう軽いものではなかった。
身体の限界など既に超えている。
神造兵器の一撃は、ランクにしてA++の一撃は、太陽の鎧があったとしても、普通はとても耐えうるものではないのだから。
レフがそれなりに複雑な、神代のものと比較しうる呪いをかける。それは、ありとあらゆる妨害の魔術の数々だ。
カルナの身体は眼に見えるように鈍っていき、最後には地に沈んだ。
「え?」
ロクサーヌは困惑した。
目の前の悪魔に、カルナが敗北した?
まさか、あのカルナが?
施しの英雄が、こうも簡単にやられてしまったことに、驚きを隠せない。
そんなはずはない。そんなのあり得ない。
カルナは高い対魔力というものを持っている。鎧だって、魔術に抵抗するはずだ。
そうは思っても、目の前の現実はそれを裏切っている。
明確な敗因として。対人戦においてほとんど敵がいないと言えるカルナと言えど、彼の逸話の中に死因というものがある故だった。
カルナはあらゆる呪いと妨害を受け、最後にはアルジュナの手で打ち取られたのだ。
既に戦闘で身体は消耗し、呪いを立てつづけてに受けたカルナには、戦う術が残っていなかったのだ。
決してカルナも、全ての英雄がそうであるように、無敵の英雄という訳ではなかった。
「カルナぁ!」
「所詮はこんなものか。何が施しの英雄か。笑わせる」
レフはついでとばかりに、オルガマリーに拘束の魔術をかけ、その身体を手繰り寄せた。
「さて、君たちはそこで見ているといい」
レフは引き続き聖杯の魔力を用いることで、大規模な魔術儀式を始めた。
すると、辺り周辺の景色が歪み、そこにカルデアの一室が出現した。
その部屋には、カルデアの象徴である、カルデアスが鎮座している。
「愚鈍な君たちでも、これが何を意味するのかは分かっているだろう?」
地球シュミレーターたるカルデアスは、普段は地球の色をしているのだ。
だが今、カルデアスはその色で異常を示していた。
その光景を見て、ロクサーヌとオルガマリーは、ただでさえ青かった肌を青ざめた。
「なに、あれ。カルデアス? なんで、なんでカルデアスが真っ赤になってるの?!」
「素敵な光景だろう? オルガ」
オルガマリーは、困惑しているが、頭の中では何が起きているのか分かっている。
真っ赤に燃えるカルデアス。それが意味するのは人類の滅亡である。
「もはや人類の未来はないのだ。今回の君のミッションにより、それが確定したのだ。他ならぬ君のせいでね」
正確には、レフ達が焼き尽くしたのは、2016年以降の人類の歴史である。
各時代に聖杯を用いて人理を焼却させ、人類の未来を崩壊させる。
冬木の崩壊も、そんな計画の一つだったのだ。
「そんな。そんなことが」
オルガマリーは自体のあまりの深刻さを今になって、完全に理解した。
現実から目を背けていて、なお解決しようか迷っていた問題は。余りにも自分に、重荷であり過ぎることだった。
「今から、これをじっくりと眺めさせてやろう。私からのプレゼントだ。君の生前ではできなかった、初のレイシフト祝いのね。喜んで受け取りたまえ」
「い、いやあああああああああ!」
オルガマリーの身体が。いや、彼女の残留思念がカルデアスに引っ張られていく。
彼女の身体は高度の魔術で縛られているため、ろくに抵抗もできないでいる。
「何で、何で私は信じなかったのよ! 私は悪くない! 私は悪くなかったはずなのに!」
そうした中で、彼女は叫ぶしかない。
カルデアスは高密度の情報体であり、その領域は文字通り次元が異なる。
例えるなら、そこは情報のブラックホールだ。情報を引き寄せ、ただ、分解する。
これに吸い込まれるということはすなわち、地獄を意味する。
「何もかもが! ロクサーヌと、カルナの言うとおりだったなんて! レフは悪魔で、最初から私を裏切っていて、私は既に殺されていた! そして私はここに来るべきではなかった!」
オルガマリーは吸い込まれながら、必死に手を伸ばす。伸ばした先は、カルナたちがいる。
口だけでなくオルガマリーの視線も、二人に訴える。
たすけて、と。
「それでも! それでも私を! 二人は私を認めてくれているのに! ようやく私のことを認めてくれた人が現れてきたのに! 私は! 私は!」
しかし、カルナの体は呪いに蝕まれ、動かない。その傍でロクサーヌは白磁の手を伸ばすが、当然届くはずもない。
「れ、令呪をもって命ずる! どうにか助けて、カルナぁ!」
そこで、ロクサーヌは何とか最後の令呪の存在を思い出し、この場を救おうとする。
もうどうにもならない、と分かっていながら。
「わかった。やってみよう」
カルナは乞われるままに、それに応える。
しかし、さて。どうしたものか。
令呪一画の力を得たとはいえ、体はろくに動かない。
身体を動かそうにもそれは難しい。あの令呪の命令では効力範囲が広い分、最大効力は大したことがないのだ。
妨害は思ったよりは弱いが。これでは今から
自分はマスターの槍であるのだ。だが今は、槍以上のことをせねばなるまい。
せめて何か、何か彼女に施しをできないのか。
そこで、カルナは今からでも十分に施せるものを見つけた。
自分の口は、十分に動かせるではないか。
「オルガマリーよ。お前は決して悪くない。お前はただ、利用され続けてきただけだ」
「え」
カルナは必至に、にじり寄りながら、その言葉を紡ぐ。
私が吸い込まれる直前で、貴方は何を言っているの。オルガマリーはそんな顔をした。
「最早、お前の運命は決定した。だが、お前の運命に抗おうとしてきた努力があったからこそ、オレたちには現在があり、未来がある」
この言葉で、事態がどうにかなるわけではない。
既にオルガマリーの身体は死亡している。
その残留思念が、今、ここで、消滅しようとしている。それだけのことだった。
それを解決するには、余りにも多くの奇跡が必要なのだ。
「お前が抗う時は過ぎた。これからお前が背負べきだった運命は、オレ達が引き受けよう」
だが、その言葉でカルナは、オルガマリーを助けようとしたのだった。
それは物理的な意味は持たないが、精神的な意味を持つ言葉であった。
「わたし、は。生きてて、よかったのかな?」
そうして、オルガマリーの残留思念は。茫然とした顔のまま、カルデアスに吸い込まれ。そのまま塵となって消えた。
「あ、あああああぁぁぁぁぁ」
ロクサーヌのか細い嘆きが、鍾乳洞に木霊した。
「無駄なあがきをしたものだな」
レフには、ロクサーヌとカルナの行動が分からない。
どこにでもある悲劇が。どうしようもない結末がまた一つ、増えただけのこと。
そう彼は認識していた。
「精々、諦めることだ。人類に希望など、最初からないのだと」
苦虫を潰した後の顔をして、レフは残る二人に背を向ける。
最早用はない。お前らなどどうでもいい、という気持ちの表れだった。
「最早、人類史は焼却された。時間差はあれど、カルデアも同じ末路を辿るだろう。では、さらばだ。施しの英雄に、壊れた人型よ。貴様らは完全に狂った方がいっそマシであったな」
そう言い残して、レフは去って行った。
そしてその地には、茫然とするロクサーヌと、未だ魔術に縛られているカルナが残されていた。
―特異点 F、修復完了。
あと一話で、一旦この小説は終了です。
次回は、明後日に投稿予定です。